Please come home for Christmas

今日はクリスマスイブだという。

私は、独り。書斎でパソコンに向かっている。JBLからはハモンドオルガンのジャズが流れていて、平穏な時間を過ごしている。家族も元気で、幸せな毎日を送っている。

昨夜、クリスマスイブの思い出を書いた。私の記憶の中のクリスマスである。世の中でクリスマスというのがどのような位置付けなのかわからないけれど、私のような浄土宗の人間もクリスマスイブとなるとどこか心が浮き立つ。それは、古い思い出に引っ張られてのことなのかもしれない。

もう、しばらく故郷には帰っていない。故郷の町でクリスマスを過ごしたのは何年前だろうか。もう20年ぐらい前になるだろうか。

私は北国の町で生まれ育った。一年のうちの半分近くが冬の町。

二十歳の頃は、函館が好きだった。大学の休みに入ると、帰省のたびに函館に寄って、何泊かして函館の街を堪能した。駅前の安宿に泊まり、昼頃まで寝て、昼ごはんを食べる前に、谷地頭の公衆浴場で汗を流し、それから、街を散策した。

当時私はカメラが好きで、函館中のカメラ屋をハシゴしてまわった。その途中にパチリパチリと写真を撮った。函館は、港町だから舶来品や宝飾品を扱う店が多かった。かつては日銀の支店があったというぐらいだから相当栄えていたのだろう。

そんな函館も、私が二十歳の頃は寂れた町であった。青函トンネルが、今から30年以上前に開通してからというもの、青函連絡船を使う人はいなくなり、函館という町に立ち寄る人が激減してしまった。それでも、一応観光地としての生き残りをかけて、再開発したようで、倉庫街がショッピングモールに変わっていたり、メモリアルシップと銘打って青函連絡船が往時の面影を残しながら函館港に停泊されていたりして、私は飽きもせず何度も函館港に足を運んだ。

駅前にあったホテルはかなりガタがきていて、一泊3,600円だった。だから、学生の私でも、そこに4〜5泊することはできた。湯の川と谷地頭という、二つの温泉を持つ函館という町にありながら、私の宿は温泉宿などではなく、単なるビジネスホテルであったというのも、そのホテルが安価だった理由の一つであった。

しかし、その宿は駅前で、便利であった。青春18切符を使い、函館駅に降り立ち、駅前のコンビニエンスストアに寄って食べ物を買ってチェックインするまで5分とかからない立地であった。函館には市電が走っており、市電に乗ってすぐに函館山のロープウェイ駅まで行くこともできたし、十字街にもすぐに出ることができた。

函館の十字街には、カトリック、プロテスタント、正教の3つの教会があって、私は飽きもせず、十字街を徘徊した。とくに冬の十字街は美しかった。元町の坂からは港が一望でき、夕方になると街灯が灯り始め、雪に覆われた函館の町が青白く輝き始める。かつて東洋の3大夜景と呼ばれただけのことはあった。夜になると函館山にのぼり、独りで夜景を見て写真を撮って降りてきて、市電に揺られ駅前に戻り、立ち飲みで酒を飲んだ。

函館の駅前には立ち飲み屋があった。立ち飲み屋というよりも、酒屋の一角が立ち飲みスペースになっており、そこに函館駅前会館というパチンコ屋から出てきた方々が杯を酌み交わしていた。私は、その中に混ざり、独り酒を飲んだ。

下戸だった私も、函館の夜の寒さが身体に染み込み、1杯や2杯飲んだところで大して酔いはまわらなかった。そこで、独り静かに飲んでいると、時々常連客が話しかけてきたりした。

そんな函館滞在を5日間ほど楽しみ、私は故郷の町へと向かった。故郷の町の駅に降り立った時、町は大晦日を迎えていた。寒い町の、小さな大晦日だった。

ベルが鳴り、町にはクリスマスが溢れている。こんなクリスマスに、沈んだ気持ちになるなんて。恋人は私のもとを去り、友人もいない。一緒にクリスマスを祝う人もいない。

あんた、今年の冬は帰ってくるのかい?もし、クリスマスに間に合わなかったら、大晦日までには帰っておいで。

そう言ってくれる、故郷に帰ろうか。

キリストのミサの夜

明日はクリスマスイブである。クリスマスイブとは「キリストのミサの夜」という意味であると幼少のころ、教会で聞いた。教会で聞いたのだからおそらく本当であろう。教会の神父さんが嘘をつくとは思えない。

私の両親はクリスチャンだったから、クリスマスイブぐらいは教会に一緒に行った。両親とも仕事熱心で、土日も仕事に行っていたからなかなか家族で一緒に時間を過ごすことはなかったけれど、クリスマスイブは特別だった。

クリスマスイブの日、母はいつもより早く保育園に迎えに来て、姉たちと私は母のカローラに乗せられて帰宅する。姉はいつもよりも上機嫌で、普段なら私をからかったりしていじめるのだが、クリスマスイブの日は特別だった。

あんた、今日が何の日か知ってる?クリスマスイブって何の日か知ってる?イエスキリスト様が生まれた日よ。今日を境に、世の中は変わったのよ。もう、もとには戻らないの。

なんて話を姉と車の中で話しながら家に帰って、いつもよりも少しだけ暖かい服に着替えて、また母の車に乗り込む。父を職場に迎えに行き、その足で教会に行くのだ。

教会の駐車場は教会の裏にあり、駐車場から教会の正面に入るためにはチャペルの横を通らなくてはいけない。雪深く、チャペルの高い屋根からは大きなつららが垂れ下がっている。その雪の中をゴム長靴を履いて歩いている時、僕は確かにクリスマスイブの時間を過ごしているんだと感じていた。そして、このクリスマスイブがいつまでも続けばいいのにと思っていた。クリスマスの朝なんて来なくてもいいのだ。

そして、教会の正面玄関を入ると、シスターにろうそくを渡される。ろうそくに灯を灯して礼拝堂に入るのだ。礼拝堂には、オルガン演奏で聖しこの夜が流れていて、私たちは混んでいる礼拝堂の2階席に上がり、隅っこの方でミサを聞く。私たち家族は、めったに教会に来ないから、つつましく端っこの方で静かにミサに参加するのだ。

ミサは永遠のように長く、神父さんはよくわからないキリストの生まれた夜の話をする。そして、時々賛美歌を唄い、アーメンを唱え、ミサは粛々と進む。私は、集中力がない方だったから、この長いミサが苦手ではあったが、決して嫌ではなかった。家族皆で賛美歌を口ずさみ、わけのわからないパンはパスして、ひたすら祈る。それだけで何となくいい気持ちになれた。

ミサが終われば、ささやかなパーティーが教会のホールで開かれている。私たち家族は、教会の常連ではないから、少し挨拶をするだけで、そそくさとまた母のカローラに乗る。母は教会に知り合いが多いから、少し挨拶をするだけで20分ぐらい掛かってしまうのだが、父も私たちきょうだいもとくに知り合いはいないから、早く帰宅したいのだ。

そして、教会から家への帰り道にあるファミリーレストランに入り、ささやかな宴を開催する。

それで、私たち家族のクリスマスイブはしめやかに終わるのだ。

私の、クリスマスイブの思いではそこまでである。

その、思い出がいつまでも保育園時代のままなのは、何故なのか自分でもわからない。まだ、家族が一緒だった頃のちいさな思い出である。

健康なのはいいけれど、

先日、人間ドックというのを受けてきた。

メタボリックシンドロームという診断以外は、特筆するほど大きな問題はなく、再検査も一項目だけで、日頃の不摂生にしては案外悪くない結果であった。20代の頃は40までこうして元気に生きているとは思ってはいたけれど、まさか本当に40歳になるとは思っていなかった。そして、私はもうすぐ41歳になる。

30代の後半は体調を崩したりしてボロボロであった。一時期はもう社会復帰すらできないのではないかと自分では思っていた。こうして、社会人としてまともにというほどではないけれど、働いていられることが奇跡のようである。

しかし、人の欲というのは限りない。

私は今、社会人としていくばくかの成功体験を持ちたいとすら思っている。過去十年間何の努力もしてこなかったのにもかかわらず、少しでもこれから成功したいと思っている。

人間は欲を持ち始めると、憂鬱になるものなのか。己のだらしなさ、己の無力さを痛感して気が滅入るものなのか。私はいまものすごく落ち込んでいる。初めから低かった思考能力は、更に減退し、行動力も衰え、齢四十にしてもはや斜陽であるかのような気分になってしまっている。

せっかく、人間ドックで健康だと言われたのに。

思えば、かつてほど本を読まなくなった。音楽も聴かなくなった。文章を書く機会も減った。

このままではいけないと思いながらも、今日も夕日は沈んでいく。

年の瀬に焦ること

先日、キッチンに置いてあったフェンダーの6弦のスティールギターを片付け、代わりにフェンダーの8弦のペダルスティールギターを出してきた。

今まで、そのペダルスティールギターはE9チューニングにしていた。E9であれば他にも幾つか10弦のペダルスティールギターをそのセッティングで持っており、わざわざ2本弦が少ないフェンダーのギターを出してきて弾くこともないだろうと思い、もう半年ほどしまったままにしていた。それを、もう一度出してきたのは、このペダルスティールギターをC6チューニングにしてみれば、C6のノンペダルスティールギターの練習にもなるし、ペダルも4つ付いているので、ペダルスティールの練習にもなり一石二鳥と考えたからである。

なぜ今更C6チューニングのスティールギターが弾きたくなったのかはよくわからない。最近スピーディーウェストのCDを聴いてジャジーなコードも弾いてみたくなったためかもしれないし、いままでC6というチューニングが全くわからなかったのが悔しかったからかもしれない。何れにしても、ほとんど気まぐれでC6のペダルスティールを嗜むこととなった。

2020年ももう終わろうとしている。一年の終わりに、何か焦りのようなものも感じているのだろう。今年も何もせずに終わっていくというのはあまりにも悲しい。それであれば、せめてC6チューニングのペダルスティールギターで一曲ぐらい弾けるようになれるのであれば、御の字と考えたのかもしれない。

思えば、今年は変な一年であった。春に私は転職し、ほどなくしてコロナの大流行があり、世の中の多くの人達は、自宅勤務だとか、テレワークに移行し、学生の多くも学校が休みになってしまったり、配信授業を受けたりと、私も含め世界中の人たちが今までの世界とまるで違う世界で生きてきた一年だった。来年もどうなるのかは誰もわからない。もしかしたら早期に解決するかもしれないし、永遠にもとには戻らないかもしれない。

世界というのは、一度変わってしまうともう完璧にはもとに戻らないものなのだ。それは、世界を、自分の世界と言い換えることもできるし、人間関係と言い換えることもできる。私の場合、今年の春に転職してから、どうも自分のペースをつかめないでいる。私は、会社に貢献できていないという思いが強く、貢献したいという思いも強く、それでいて、なにもせずに毎日を過ごしている。

自分の怠惰さ、無力さを思い知った一年だった。

いや、むしろ、振り返ってみると、私は前の会社に対しても何も貢献できないまま辞めてしまったではないか。前の会社だって、私がいた間に少しも良くはならなかったではないか。売り上げは下がる一方で、それに対して私は何もできなかったではないか。

結局私には、成功体験がない。

当たり前である。私は成功体験を勝ち得るような努力を怠ってきたではないか。

向上心とは、努力とともにあるべきもので、努力ないところに向上心は不要である。私は、そういうトレーニングを怠ってきた。甘えっぱなしできたのである。それで、ヤドカリのように自分のまわりの器だけ大きくしたり、小さくしたりして自分を大きく見せようとしてきただけなのだ。

年末になり、C6チューニングのペダルスティールギターを出してきたのも、それと同じことなのかもしれない。結局、器だけ変えたところで、トレーニング=練習をしなければ、自分はちっとも良くはならない。

努力しなければならない。それが私に今更課されたことなのだ。一年の終わりに、努力を怠ってきた自分を恥じているのである。

何事にもスピード勝負なSpeedy West

Speedy Westというとんでもないスティールギター弾きがいるというのは、20代の初めぐらいから知っていた。知っていたが、実際に彼の演奏を聴いたのは30代に入ってからだと思う。Jimmy Bryantとのデュエットアルバムを聴いて、やはりとんでもないオヤジだと感心したものだ。

スピーディーウェスト、なんとも速そうな名前である。彼は、おそらくペダルスティールギターの開祖の一人だし、彼の奏法自体がペダルをあまり多用せずに、ほぼスライドバーだけでメロディーやコードを作り上げている。YouTubeで彼の演奏を観ることができるが、両足ともリズムを刻んでいて、ほとんどペダルを踏んだりしていない。

それでも、レコードで聴く限りはかなり複雑なコードを鳴らしているから、随所にペダルを使っているのだろう。なにせトリプルネックやダブルネックのスティールギターのネックを自由に使い分けるのだから、ペダルなんて付いていなくても、なんでもできてしまうのだろう。

何よりも、すごいのは、高速テンポでのソロプレイである。テンポ300以上のような曲も、難なくこなしてしまう。世の中には、凄い連中がいるものだ。

凄い人は、だいたいテクニックに終始してしまい、音楽の深みのようなものはおろそかになりがちなのだが、この人の場合は、根っからのエンターテーナーのような演奏で、いろいろな形で聴くものを楽しませてくれる。カントリーミュージックではあるのだけれど、古いスタイルのカントリーだから、ジャズの影響を強く受けている。だから、コードも複雑なテンションを多用するし、ソロフレーズもなかなか洒落ている。

スピーディーウェストのアルバムは、若い頃の録音しか聴いたことがない。こういうオヤジが、歳をとってから、本気でウエスタンスウィングなんてやろうもんなら、相当面白い音楽をやってのけるだろう。

私も、彼に憧れて、何度もスティールギターの前に座ったが、一向に弾けるようになる気はしなかった。

そもそも、スピーディーウェストの使っているチューニングがわからない。

こんど、もっと時間をかけてじっくりと研究してみよう。

去年ライブをやってからもう一年が経ってしまった。

月日が経つのは疾いもので、もう年末である。

昨年の12月7日に高田馬場のローンスターでバンドのライブをやってから、もう一年が経ってしまった。今年はほとんど何もバンドの練習ができない一年だった。私は春に転職し、そのせいで慣れない毎日だったということもあるけれど、それにしてもバンドの練習ができなかったのは残念だった。

ライブで使った黒のテレキャスターも、もう一年弾いていないということになる。そもそも、この一年間カントリーの曲を一曲通して弾いていないのではないか。それどころか、誰かと一緒にジャムセッションのようなこともしていない気もする。どんどん、楽器離れしてしまっている。

一方で、手元にある楽器は増えたといえば増えたのだが、、、、

楽器というものは、練習して上手くならないと面白くないし、誰かと一緒に弾いたり、誰かに聴いてもらわないとそれはそれで退屈である。だから、上手い下手を抜きにしても、ライブというのは時々はやらなければならないのだ。ライブがないと練習する意欲もわかないのだから。

コロナでライブができなくなってから、バンドの練習曲もないから、練習をしない代わりに楽器の手入れをする時間ができた。このすきに手入れしたい楽器はたくさんあるのだが、手入れをするとなるとお金がかかるので、うーんと重症なギターを優先しなくてはいけない。愛用の白のテレキャスターももうそろそろリフレットが必要な頃なのだが、もう少し様子をみておこう。

この、1980年製の白のテレキャスターも随分と弾かないで押し入れにしまったままにしてしまった。久しぶりに弾いてみようかな。

来年こそは、またライブができるようになりますように。

書斎にスティールギターを置いた。

楽器は日々の練習が重要である。それは。楽器というものがこの世界に生まれた時からの常識である。

この世に初めて生まれた楽器は何かしらないが、きっと練習が重要であったであろう。さすがに、初めて生まれた楽器だから、お師匠さんのような人はいなかったかもしれないけれど、当時の楽器奏者は、日がな一日楽器を練習していただろう。メトロノームとかを使って、インテンポで難しいフレーズを練習したりして、うまくできたら、ちょっと人前で弾いてみたりしていたのだろう。

私も、何か楽器を練習したほうが良いかと思い、書斎にスティールギターを持ってきた。Fender Deluxe 8という、これまた60年代のスティールギターである。とても難しい楽器である。ギターとチューニングが違うので、慣れないと何も弾けない。なかなか厄介な楽器である。

教則本の類を幾つか持っているので、それを参考にチューニングをし、弾いてみているのであるが、なかなか上手くならない。教則本の著者 小林潔先生にいろいろと活字で教えていただいているのだが、DVDを併用してもこれがまたなかなか難しいので苦戦している。

小林先生、どうか、この私にスティールギターのモジョハンドを授けてください。

ロックなPSG!

さて、またペダルスティールギターである。

今日は、 The Flying Burrito Brothersを聴いている。

フライング・ブリトー・ブラザーズなかなか奥深いロックの世界である。ロックの沼である。私は、初めて彼らの演奏を聴いた時、ああ、バーズだな、と思った。バーズそっくりだと思った。その時から、私は少しも変わっておらず、未だに彼らのアルバムを聴いてもフライング・ブリトー・ブラザーズなのか、バーズなのかの判別はつかないだろう。

バーズは、何枚かアルバムを持っている。ロデオの恋人だとか、いろいろと良いアルバムがあるのは知っているが、ほとんど聴かない。べつにきらいでも好きでもない。ただ、ああいうサウンドを聴いてもそれほどエキサイトしないのである。フライング・ブリトー・ブラザーズもそうである。それほどエキサイトしない。

ただ、彼らの曲にはペダルスティールギターが多用されている。それが、どうも悪くないのである。これで、ペダルスティールが入っていなかったら、特になんとも思わないかもしれない。Do Right Womanとか良い曲もあるのだけれど、それほど記憶に刷り込まれることのない彼らの曲も、ペダルスティールの音色をポップスに持ち込んだという意味では評価されても良いだろう。いや、世の中ではもっと高く評価されているのだろうけれど。

彼らの音楽を聴いていると、アレンジが案外凝っていて、かっこいい。そのアレンジの要を担っているのがペダルスティールギターなのである。マンドリンが入っている曲もあって、それも良い。

ペダルスティール、マンドリン、うーむ、カントリーなのである。カントリーテイストがありながら、古きよきロックに落ち着いているのが心地よい。彼らの音楽を聴いていると、べつにエキサイティングでなくても音楽は成立するんだと再確認させられる。

なーんだ、それで良いのか。

もっと、肩の力を抜いて音楽と向き合おう。

バディーエモンズはやっぱり

このブログをもうかれこれ二ヶ月近くサボってしまっていた。

特に何があったというわけでもないのだが、何もないからこそ、何も書くべきことがなかったのだ。とは言ったものの、世の中には書くべきことが山ほどあるということはなんとなく理解はしている。だからつまりは、サボっていただけなのだ。

それでは、今日、何かあったのかと言われると、特に何もなかったのだけれど、何もないという日々というのが案外大切なものである。何もない、と言えるような日々は平穏な人生をおくるうえでとても重要で、毎日がエキサイティングであっても、それはそれで良いのかもしれないけれど、安定しない毎日をおくると命がいくつあっても足りなくなってしまう。

そういえば、ひと月ほど前から、自宅に隣接している建物の取り壊しが行なわれている。建物が壊されるというのは、ちょっと非日常で、それだけでも私はストレスを感じてしまう。建物が壊されるということは、そこに次に何かができるか、はたまた道路の再開発に充てられるのか、何れにしても私の生活になんらかの変化が来るのである。その変化というのが、私にとって良い変化なのか、悪い変化なのか、私はその変化に馴染むことができるのか、いろいろと不安に感じてしまうのである。

やはり、安定が好ましいと感じてしまうのだ。

安定といえば、今夜はバディーエモンズのアルバムを聴いている。バディーエモンズはペダルスティールギターの名手。誰がなんと言おうと、ペダルスティールギターの奏法を完成させたのはこの人だし、完成にとどまらず、常にその表現の幅を広げ続けていた偉人である。

今更、バディーエモンズについて、私が語るようなこともないのだけれど、彼のスティールギターを聴いていると、その安定感が心地よい。決して、無難な演奏を繰り広げているからではない。彼は常に挑戦的であり、クリエイターであり続けている。けれども、その技術に裏打ちされた演奏は、聴いている私たちを不安にさせない。むしろ、その超絶技巧の中にも安心のようなものさえ感じてしまうのだ。

バディーエモンズのようなスーパースターを引き合いに出してしまい、とても恐縮なのだけれど、もし、私が彼のスティールギターの演奏のような安定を手に入れることができたら、世の中はどのように見えるのだろうか。

私の向上心は、時として私の安定を邪魔してくるのだ。それは向上心というよりも背伸びであるからなのだろうけれど、人は背伸びをすると安定感を失ってしまう。もっと着実に成長していかなければ、成長のために常にトレーニングしなければ、向上とは裏腹にバランスを崩してしまう。バランスを常に保つためには、全身のトレーニングが必要である。付け焼き刃ではダメなのだ。

バディーエモンズのスティールギターを聴いて、日々トレーニングをサボってしまっている自分を強く意識した。

せめて、ブログだけでもこまめに書こう。

見た目の派手さとは裏腹、堅実なJames Burton

James Burtonのキャリアのハイライトはやはりエルヴィスのバンドのバンマスだった時だろうか。ピンクペイズリーのド派手なテレキャスターをステージでメインに使い、ゴージャスなサウンドを奏でていた。

ジェームスバートンについて、実は私はそれ以上のことを知らない。エルヴィスのバンドの凄腕テレキャスおじさんということぐらいしか知らない。けれど、あのバンドで聴けるジェームスバートンのサウンドだけで、十分彼の魅力は伝わって来る。

現に、私は、彼の出した2枚のソロアルバムは持っている。持っていて、何度か聞いたこともあるけれど、特に感銘を受けるようなアルバムではなかった。やはり、ジェームスバートンはあのエルヴィスのバンドのあの音でなくてはいけない。

彼について、詳しくはないけれど、私は長らくジェームスバートンのファンであった。今もファンである。彼のように自由自在にカントリーリックを奏でられたらどんなに素晴らしいだろうとなんども思った。

ジェームスバートンを始めとするカントリーの大御所ギタリストに憧れて、フェンダーのテレキャスターをかれこれ4台ぐらい持っている。そこに、ジェームスバートンモデルのテレキャスターも加わった。

この楽器をテレキャスターと呼んで良いのかどうなのかはわからないけれど、間違いなくテレキャスシェイプのギターではある。ヘッドもテレキャスターの形をしているから、テレキャスターと呼んで良いだろう。

オリジナルではフェンダー製のピックアップが付いているのだが、私が買った時にはすでにこの楽器には3基のレースセンサーが搭載されていた。オリジナルのピックアップもレースセンサーを元にフェンダーが開発したピックアップであるので、どちらでも同じなのだが、ホワイトカバーのレースセンサーが載せられているせいで、ただでさえ派手なのにさらに派手に見えてしまう。

レースセンサーは嫌いだという人が多いけれど、これはこれで、完成されたピックアップである。フェンダーのようなエロティックな音は出ないし、暴れもしないので、面白みには欠けるけれど、出来の良いハムバッカーの角を落としたような音、というか、シングルの大きさなのに不思議な音がする。

間違っても、このギターにテレキャスターの音を期待してはいけない。テレキャスターの音が欲しければ、普通のテレキャスターを使えば良い。エルヴィスの時代のジェームスバートンは、オーソドックスなテレキャスターのサウンドを鳴らしていた。このギターは、もっと仕事人風の音色がする。

レースセンサーはヴィンテージトーンというよりも、もっとヴァーサタイルなバッキングにも、リードにも使える音を目指しているのだろう。よく言えば使いやすい、悪く言えば色気のない音がする。ジェームスバートンモデルは、通常のテレキャスターと違いアッシュボディーではなくバスウッドボディーを採用している。

アッシュではないことで、ジャキッとした音ではなく、太い音がする。パコーンとなる感じだ。ストラトキャスターとも違う、テレキャスターとも違う、良く鳴るのだが、個性が出過ぎない音に仕上がっている。なんだか擬声語が多苦なってしまったが、一見面白くないギターのように聞こえるのだが、これはこれで実用的で良いギターである。

見た目の派手さには裏腹、堅実なギターなのである。

ジェームスバートンはエルヴィスのバンドで派手な格好をして、派手な楽器を弾いていたが、その実堅実なギタリストであった。そんな彼のキャラクターを良く表したギターに仕上げてあるのかもしれない。

メインのギターとして使いたいと思っている。