久しぶりに10-46の弦を張った

エレキギターには11-49のゲージの弦を張ることにしている。もうかれこれ20年近くダダリオの11−49のゲージを買って張っているだろうか。

今までに何度か、気まぐれに違うゲージやブランドの弦を張ってみたことはあるが、どうもしっくりこなくて結局このダダリオの11−49に落ち着いている。25セット入りのバルク弦を買ってつかっている。

25セットのバルク弦も2年もしないで使い切ってしまう。それほど練習するわけでもないのだけれど、ギターをしまいこんでおくと弦の状態が悪くなってしまうから、しかたなく交換しているうちに25セットをあっという間に使ってしまう。

この度、気まぐれにロトサウンドの弦を買って張ってみた。それも、普段は使わない10−46というひじょうに細いゲージの弦を張ってみた。10−46が細いかというとそんなことはなく、むしろ11−49というゲージは太めなのだけれど、普段サムピックを使って、指弾きをしているので、あまり細いとかえって弾きづらい。それで、11−49というのがスタンダード担っていた。11−52という弦を試したこともあったけれど、ちっと私には太すぎる気がして、それだけでなくギターのネックにかかる負担も考えて、少しだけ細い11−49といゲージに落ち着いていた。

ロトサウンドという弦は、いい意味で普通の弦である。派手な感じでも荒い感じでもない、かといってダダリオのように優等生すぎるというわけでもなく十分にロックンロールな弦である。ブリティッシュロックの方々がよくロトサウンドの弦をつかっていると聞くけれど、とくにブリティッシュロックだからどうのということもない。ニッケルワウンドらしい、元気でハキハキとした音である。

先日、同じロトサウンドのフラットワウンド弦を張った。12−52かなんかのジャズ弦の中では細めのゲージである。これが、また個性的な弦で、フラットワウンドなのにツルツルしていなく、ザラザラしている。おとも、ぼんやりとはしていなく、ハキハキとしている。オールドスタイルのハードバップなんかをやる人には合わないかもしれないけれど、ロックでリズムギターを刻んでいるひとにはオススメできる弦だった。ああいう力強い音がなるフラットワウンドは珍しい。

何れにしても、ギターは張っている弦によって随分音が変わるもんであるなあ、と感心してしまった。

10−46の弦にこれからどれだけお世話になるかはわからないけれど、ギターによって使い分けようかと思っている。

アンプグルのアンプを手にいれた

エレキギターの音色を決めるのは7割がアンプだと思っている。

もちろん、優れたギター本体から紡ぎ出される音は、それぞれのキャラクターを持っている。時に荒々しく、時に枯れていて、はたまたカプチーノのようにクリーミーな音色のものや、凛とした音色の楽器もある。それでも、一旦アンプに繋いでしまえば、そのアンプの音の中に染まってしまう。

アンプ7割と書いたのは昨今のデジタルアンプのことではない。デジタルアンプも、それぞれの音は持っていて、かつ、ギター本体の持つオリジナリティーを再現できるものは存在するであろう。むしろデジタルの方が忠実なのかもしれない。それでも、やはりアンプはチューブアンプ(真空管アンプ)のほうが私は好きである。最高のチューブアンプは、どんなに優れたデジタルアンプにも勝る音と、レスポンス、弾き心地がある。

チューブアンプは、その重量やら、コンディションを保つ難しさ等で、今のプレーヤーは敬遠してしまうかもしれない。消費電力も半端じゃない。そのあたりについては、デジタルアンプには遠く及ばない。デジタルアンプは、電源さえ間違わなければ、めったなことでは壊れない(壊れたらユニット交換以外の修理はほぼ不可能だが)。酷使してもそう簡単には壊れない。それに比べて、チューブアンプは、簡単に壊れてしまう。

ソリッドステートのアンプも幾つかは持っているけれど、あれはあれで悪くはないのだけれど、チューブアンプの持つコンプレッション感や、弾き心地を味わえるようなものは少ない。少なくとも、私の持っているアンプで、ソリッドステートのもので、チューブアンプのようにふくよかでいて、個性豊かなクランチトーンを鳴らせるものはない。

それで、やっぱり真空管のアンプに行き着いてしまう。

行き着いた結果、何台か、チューブアンプを自作したりした。どれも、音が出るところまでは行くのだが、なかなか満足のいく音色にはならなかった。中には、フェンダーのヴィンテージアンプの回路をそのまま使って、パーツも手に入る限り良いものを使って作ったアンプもある。キットで買って、コンデンサやら抵抗やらを全て交換して、自分の納得のいくところまでチューンアップしたものもある。けれども、なかなかハムノイズが治らなかったり、特定の音で共振してしまうなど、なかなか満足のいく出来上がりになるものはできなかった。

私が、アンプ作りの教科書にしていた本があって、ジェラルド・ウェバーという人の書いたものである。100ぐらいの機種の回路図やら、レイアウトが掲載されていて、それをほとんど穴が開くぐらい読み込んだ。私にとってのアンプ・グルである。

この度、そのアンプグルの作ったメーカー Kendrickのギターアンプを中古で手にいれた。何箇所か改造箇所があるものの(勿体ない!!)ほぼオリジナルコンディションである。フェンダーのヴィンテージアンプのクローンなのだが、私は、かつてそのオリジナルのヴィンテージアンプを弾いたことがあり、素晴らしい夢のようなアンプだった。

Kendrickのアンプも、そのオリジナルのヴィンテージアンプとほぼ同じ音が出る。もちろん、ヴィンテージアンプよりも味付けは少し現代的で、ノイズも少なく、優等生なところがあるのだが、それも、嫌味ではない。ヴィンテージアンプは、いつどこがおかしくなるかはわからないので、なかなか面倒を見るのが大変である。その点、アンプグルのアンプは、新しいパーツで作られているので、安心である。

実は、アンプグルの本を読んで、Kendrickと全く同じ回路のアンプを自作して持っている。それはそれで、私が自作したアンプの中では良い音がするのであるが、この度、その2台を弾き比べて愕然とした。さすがアンプグル、たとえ生まれ変わったとしてもこの歴然とした違いは追いつくことすら不可能なレベルなのである。

いったい何が違うのか?つかっているパーツは、ほぼ同じものであるはずなのだ。

恐るべし、アンプグル。

もう、2度と自作アンプは作るまい。

私のメインキーボード CP−70B

私は、ピアノをまともに弾けない。ピアニストに憧れたこともない。きちんとピアノを練習したこともない。

弾けないけれど、鍵盤楽器は7台ぐらい持っていて、自宅にはグランドピアノすら置いてある。そのあたりのピアニストなんかよりも、鍵盤楽器に関して言えばずっと恵まれた環境で生きている。

なぜそんなにたくさん鍵盤楽器があるのかというと、かつてピアノメーカーに勤めていたこともその一因ではあるのだが、それよりもそもそも楽器というものが好きだからという方が正しいのかもしれない。鍵盤楽器は、ドを押せばドの音が出るし、ドミソと弾けばCメジャーコードが鳴ってくれる。これほどありがたい楽器はない。

そんなに、たくさんの鍵盤楽器に囲まれて、何をしているのかといえば、歌を歌う時の伴奏楽器として使っている。

伴奏と言っても、大層な伴奏を弾くこともできず、左手はもっぱらベース音(ルート音)を、右手はもっぱらコードを四つ打ちで弾いているだけなのだけれど、ピアノというのはよくできた楽器で、それだけで歌の伴奏としては、最低限の役目を果たしてくれる。そのためだけに、ピアノを持っているのは、すこしばかり贅沢なことなのだけれど、ピアノの音を鳴らしながら歌っていると、何か、自分がレイチャールズかビリージョエルにでもなったかのような気分にさせてくれる。

ピアノの良いところは、自分を一瞬ロックスターや、ソウルシンガーにしてくれる、それだけではない。私はギターも弾くのだけれど(こっちも腕の方はからっきしであるが)ギターではおよそ鳴らせないような難しいコードもピアノであれば押さえることができる。例えば複雑なテンションコード、ギターであればある程度コードのフォームに習熟していないと、どの指をテンションノートにあてがうか、などと考えながら押さえなければならないところを、ピアノであれば、ある程度曖昧にすることができる。

それと同時に、コード理論の基礎もピアノがあれば簡単に納得できてしまう(キーをCに置き換えると尚更わかりやすい)。

私は、楽譜も読めない。

全く読めないというわけではないのだけれど、ベートーベンの悲愴の2楽章の一小節目を読もうとして、15分で諦めたぐらい読めない。あの、オタマジャクシが上下に2つ以上出てくると、何が何だか分からなくなってしまう。

しかし、コード表は読めるので、コードとメロディーだけであればなんとか押さえることができる。なので、さしあたり独りで弾き語りをする分には特に問題はない。全く、コード表記を考えた人は偉大だっと思う。まさに、私のような楽譜音痴のためにあれは存在しているのかもしれない。

そのため、楽譜はろくに読めないくせに、たくさん楽譜を持っている。大抵、ポップスの楽譜には、ちゃんとした譜面の上に、メロディーラインと、コードが記されている。そのため、本物の楽譜の方は読めなくても、楽譜を持っていると、だいたいのメロディーと、和音がわかるので、自分で楽しむ分にはある程度用をなす。

もちろん、難しいキーの曲は伴奏ができない。例えば、#やら♭なんかがたくさんついている曲は、そのままでは弾けない。

それでも、ポップスの曲の多くは、ラウンドミッドナイトのような変なキーの曲はそれほど多くはないので、不自由はしない。

そんな私が普段一番よく使っているのが、ヤマハのCP−70Bという電気ピアノだ。これは、80年代にヤマハが作った楽器で、実際に弦が100本以上張ってあり、キーボードアクションもグランドピアノと同等のものが使われている。鍵盤は73鍵しかないが、私の使い方では十分である。持ち運びができるように、足をとって、2つに分かれるようにできており、合計120キログラムの楽器が、なんと、60キロの箱2つになる。電気ピアノなので、弦の振動をピックアップが拾ってくれ、出そうと思えばアコースティックピアノでは到底かなわないような、ものすごい爆音も鳴らせる。アンプの電源を切っておけば、サイレントピアノとして使える。まさに、夜でも練習できる小さなグランドピアノである。

私にとっては、夢のピアノである。

このCP−70Bという楽器は、すでに製造されてから40年近くが経ってしまっているので、いろいろな不具合も出てきてはいる。電源がうまく入らないことがあったり、イコライザーがうまく効かないことがあったり。それでも、普段使う分には特に不自由を感じたことはない。

鍵盤には一部割れが補修された跡があり、外装の皮も剥がれてはきている。なにより、このピアノの上に、楽譜やら、エフェクターやら、愛用のカメラやレンズやら、はたまた服用している薬の袋やらが無造作に、うず高く乗せられているので、決してきれいな外見を止めているわけではない。しかし、私はこの楽器が手元にあって本当に良かったと思っている。普段、いつでも弾けるように、パソコンの置いてある机から振り返れば、すぐに弾ける状態にしている。

そもそも、私はヤマハというメーカーの楽器はどうも魅力を感じないのだけれど、このCP−70Bだけは別物である。音そのものはそれほど良いわけではないけれど、その独特のサウンド、鍵盤のタッチ、無駄に大きな図体、何をとっても素晴らしい楽器だと思う。多くのポップスミュージシャンが、このCP−70という楽器をメインキーボードにしているのも頷ける。

購入した時は、本体価格より運送費の方が高くついてしまったぐらいだが、これからも、末長く大切にしていこうと思っている。

既視の街を手にいれた。

先日、中野のまんだらけで金井美恵子、渡辺兼人の「既視の街」を買った。渡辺兼人はこの本の写真で木村伊兵衛賞を受賞しているから、彼の代表作とも言える。

写真集としては、印刷がそこまで綺麗でもなく、小説の挿絵にしては主張してくる写真群がこの本を特殊なものとしている。小説は、妙に暗く、それでいて重すぎない。むしろ、何気ない日常を撮っている写真のほうが重い感じすらする。

もし、これらの写真が、もう少し軽い印象を受ける作品群であったら、この本はここまで異彩を放っていないだろう。その一方で、また、この小説がもっとドラマチックなものであったら、これらの写真も生きてこないだろう。その絶妙なバランスで、この本は成り立っている。

写真と、小説に関連性がなく、かつ、両方の持つ世界観がこれほどまで当たり前に共生できているのも不思議だ。この本は、写真集でもなければ、小説でもない。まさに、写真と小説が合わさり一冊の本となって完成している。

なんだか、この本について、私が今書けるべきことが整理できていないので、続きはまたこんど。

1930年代のコンパクトカメラ

最近、写真が懐かしくなって、物置から古いカメラを出してきていじっている。

今日、暗室にしている物置から、1930年代のカメラを出してきた。1930年代当時の小型カメラ。

ガラス乾板を感光剤に使っていたのから、フィルムが出始めてきて、シートフィルムの時代があったらしい。らしいらしいで恐縮だが、1900年代の初めぐらいにロールフィルムというのが出てくるのだけれど、一般的になったのは1930年台をすぎたぐらいから。だんだんレンズの性能も上がってきて、小さなフィルムのフォーマットでも画質が安定するようになり、1935年ぐらいから一気にロールフィルムの時代がやってくる。

今日取り出してきたカメラも、もともとはガラス乾板もしくはシートフィルムで撮影するためにできたカメラだが、専用のロールバックをつけることにより、ロールフィルムでの撮影も可能となっている。

私が20代の頃、カメラマニアだった頃に、新宿のカメラ屋で購入した。レンズには、カールツァイスのテッサーが立派にも付いている。

すでに生産から90年が経っているので、外装はボロボロだが、まだまだ使えるカメラだ。さすがはテッサー、よく写る。

こんなカメラを出してきて、いつ使うのかもわからないけれど、とりあえず、写真とカメラが好きだった我が青春時代の遺品として、愛でている。

何、今日はレコーディングするの?

私は、レスポールというギタリストが好きで、アルバムも何枚か持っている。レスポールとは、あのギブソンのレスポールのレスポール氏である。

レスポール・レコーディングというモデルがあって、復刻版のそれを一台持っている。本当は70年代のやつが良いのかもしれないけれど、いかんせん70年代のレスポール・レコーディングに状態の良いやつは少ない。だから、復刻版を持っている。

復刻版の良いところは、通常のギターとして全ての音が使えるところだ。もちろんローインピーダンスのアウトプットも付いているのだけれど、そっちは使わない。もっぱらレギュラーのアウトプットを使っている。

一度、このギターをバンドの練習に持って行ったことがある。スタジオのJCにつなげたのだが、なかなか思うような音作りができなくて苦戦した。まあ、それまでテレキャスターばかり使っていたから、仕方あるまい。音の太さが全然違うのだから。

レスポール・レコーディングは音は太いのだが、なんとなくボワっとしていて、締まりがない音になりがちなギターである。あのレスポールさんの出すような、艶やかな音は、どうやって作っているのだろう。あの音が欲しくてこのギターを持っているのだけれど、なかなかああはいかない。

そもそも、この復刻版のピックアップはオリジナルのそれとは大きく異なっている。と、聞いたことがある。オリジナルを解体したことがないからわからないのだけれど、ギブソンが復刻版を作った際にまさかピックアップまで復刻したとは思えない。それでも、見た目が似ていて、このやたらと多いコントロールが好きで、持っている。

それと、このモデルは、通常のレスポールに比べてボディーが少し大きめなのも良い。サスティーンが長く、弾きやすい。

バンドの練習に持って行った際に、メンバーから、

何?今日はレコーディングするの?

と聞かれ、ああ、この人はギターのことよくわかってらっしゃる方なんだなぁと妙に感心したのを覚えている。ギター好きが一目おく機材。レスポール・レコーディング。

下手だろうが上手かろうがモズライト

昨日、Mosriteについての話を書いたら反応があったのでもう少し。

Mosriteというギターはやはり一般的には弾きやすいギターではないだろう。何よりも、ネックが極端に細く、薄く、フェンダーやギブソンのギターを弾き慣れている方ははじめは戸惑ってしまう。また、バスウッドボディの割にはサスティーンが短いこともあり、弾き手の腕がバレてしまう。ビブラミュートやモズレーユニットと呼ばれるトレモロユニットも決して使いやすいものでもない。

それでも私がモズライトに惹かれるのは、その楽器としての完成度の高さかもしれない。ここで、完成度と呼んだのは、楽器の造りの良さも含めてなのだが、むしろ、エレキギターとしての個性の強さである。

フェンダーやギブソンといったメジャーなメーカーの楽器はともかくとして、モズライトというカリフォルニアのローカルなギターメーカーのギターを、たくさんのメーカーがコピーしている。その多くはヴェンチャーズ人気にあやかり日本のメーカーがコピーしたものだが、本家のモズライトとは比べるべくもない。モズライトに比べると、どれも大概造りが悪いのである。中には、モズライトにかなり迫っているものもあるが。

一度、御茶ノ水の楽器屋で、70年代のモズライトのフルアコを弾かせてもらったことがある。値段は50万円ぐらいだったから、70年代のモズライトの中としては結構高価なモデルだ。そのフルアコについていたネックも、通常のモズライトのように細く薄く、独特のグリップだった。搭載されていたピックアップもソリッドボディの通常のモデルと同じもので、アンプに繋ぐと、まさにモズライトの音がした。これでは、フルアコの意味がないではないか、と思うぐらいだった。

1963年モデルが一番高価で、作りも良いとされている。セットネックでボディーバインディングもついて、ラッカー塗装で、ヴィブラミュートユニットが付いている。さすがに、1963年製のモズライトは弾いたことはないのだけれど(100万円ぐらいしてしまうから)見ているだけで惚れ惚れしてしまう。エレキギターの世界で息をのむほど美しく、個性的な楽器は他にあるまいと思わせるぐらいの迫力がある。

しかし、悲しいかな、モズライトのギターを使うミュージシャンは少ない。モズライト使いといえばヴェンチャーズぐらいしか名前が挙がってこないのではないだろうか。モズライトのモデルで定番なのはヴェンチャーズモデルで、他のモデルはほとんど人気がない。したがって、ヴェンチャーズ世代の方々にしかモズライトのニーズはなく、ヴィンテージギター市場でもかなり値段が下がってきているのは確かだ。

ヴェンチャーズ以前にはJoe Maphisというカントリーの超速弾きギタリストがモズライトを愛用していて、ヴェンチャーズモデルは彼のモデルが元になっている。私もJoe Maphisモデルの60年代後期のものは触ったことがあるが、少し大ぶりなボディーで、やはりネックは細く、薄く、かなり個性的なギターだった。

Joe Maphis本人は、ほとんど自分のシグネチャーモデルを使うことなく、ほぼ9割方ダブルネックのカスタムモデルを弾いていた。彼の演奏を聴いていると、サスティーンが短いギターの特徴で、速いフレーズがキビキビと速く聞こえる。モズライトであのぐらい音符が揃って聞こえるように弾くのは至難の技だろう。モズライトはちょっとでもリズム感が悪いと、それがバレてしまう。

私は、腕がバレるような楽器ほど良い楽器だと思う。腕がバレるというのは、逆に言うとピッキングのニュアンスや節回しがはっきりと出るからである。初めのうちは弾いていても決して気持ちの良い楽器ではないかもしれないが、上手い人が弾くと、その人の表現が素直に聴こえてくる。まあ、私は、モズライトを自由自在に操れるほどの腕はないのだが。

そういう難しい楽器ではあるが、Joe Maphisやヴェンチャーズの弾くモズライトの音を聴いていると、なんだかギターというものがいかにカッコイイ楽器であるかを再認識できる。モズライトはそういう音のする楽器なのだ。

砂をつかんで立ち上がれ

世間はすっかり2021年になった。年を越したので当たり前であるが、何だかこういう風に急に変わられると実感がわかない。できることなら、少しづつ、緩やかに新年を迎えて欲しいものだが、世の中そういうわけにはいかないのだろう。

仕方がないので、私も2021年に合わせて、人並みに元旦を過ごした。コロナ禍のこともあるので、できるだけ人混みのあるようなところにはいかずに過ごした。一日中本を読んだりゴロゴロしたりして過ごした。

一年の計は元旦にありなどという言葉もあるから、元旦こそ充実した一日を過ごさなければならないのだろうけれど、なかなかそういう風に身体はできていないので、急に元旦だからといって体がキビキビ動くようなものではない。それでも、あまりゴロゴロしてばかりではダメだろうと思い、本を読んだり、家族と過ごしたりして一日を過ごした。

特にクリエイティブなことはできない一日ではあったが、それでも、為になる本を読めただけでも良しとしよう。(まだ、読み終わったわけではないけれど)

もう、10年も前に出版された楠木建の「ストーリーとしての競争戦略」を読んでいる。なかなか面白い本で、どんどん読み進めてしまう。面白いだけで何も身につかなそうなところは怖いけれど、それでも、何も読まないよりは仕事に役立つのではないかと思って読んでいる。「競争戦略」というとそれこそ色々な本が出ており、どれもなかなかこむづかしいことが書かれている印象を受けるのだが(読んだわけではないので、正直わからない)、この本は平易な言葉で書かれているので、誰にでもわかる。

競争戦略を立てる為には、強く、太く、長いストーリーを考えなくてはいけない、そしてそれをスラスラと語れなくてはいけないというような内容である。いや、その逆か。優れた競争戦略は強く、太く、長いストーリーがあり、もっともっとそのストーリーを聞きたいと思わせるものである。といったほうがいいか。

「強く」というのは、そのストーリーが帰結する成功に向かう必然性の強さであり、「太く」というのはそのストーリー展開を支える要素の広がりと、まとまりであり、「長い」というのは、そのストーリーの語るべき内容の深さとも言い換えることができる。と、今は、そこの部分までしか読んではいないのだが、この続きが楽しみである。

願わくば、この本を読み終えた時、単なる成功事例の俯瞰に終始せず、自分のやり方の幅を広げる手助けとしていきたいと思っている。この手の本を読む際に、「ああ、そういう成功譚があるのね」という風に感じて終わってしまう、ということがままある。もしくは、単に「目から鱗」で終わってしまうこととか。

それでは意味がない。それは、学問の一番役に立たない形ではないか。私は、この本に学問は求めていない。実戦への転用を求めているのだ。この本にという書き方は受け身でよくなかった。この本を読んで私がしなくてはならないことは、この本から何か小さなことでも掴み取り、実践に生かすことなのだ。中島らもの言うところの「砂をつかんで立ち上がれ」ということだ。(本当にそんなこと言ってたかしら)

読むだけで満足してはいけない。今は、まだそんな齢ではないはずだ。

今年こそ、砂をつかんで立ち上がるのだ。

想い出の夏Toots Thielemans

今年の夏は短かった。

いや、今年は短かった。短くて、辛い一年だった。時ばかりが過ぎ、先に進めない一年だった。そんな一年を思い出し、レコードを聴いている。

今年40歳になった私は、転職し、生活も変わった。他にも色々あったのだけれど、よくは覚えていない。何となく、一年が過ぎていった。

本を読まない一年だった。もっと読めばよかった。体を動かさない一年だった。当然太った。携帯電話をいじってばかりの一年だった。目が悪くなった。楽器の練習をしない一年だった。バンドの練習もできなかった。ブログの更新をサボった一年だった。つまらないことすら書き残せなかった。

来年はどんな一年になるのだろうか。

これはToots Thielemansというハーモニカ吹きで、想い出の夏という曲。私が最も好きなバラードの一つ。ジャズのバラードで好きな曲はたくさんあるけれど、ミシェルルグランの書いた曲が好きだ。

ミシェルルグランの曲でHow do you keep the music playingという曲があるけれど、あれも美しい。フランクシナトラがクインシージョーンズのビッグバンドを従えて、歌っているのがとても好きだ。

私は、布団から出て、ボーとしている。時が過ぎていくのを感じながら、服を着て、

明日が来てもなにも変わらないのが常というものだ。明日が変わるのは、一年のうち今日ぐらい。今日から生まれ変わったように努力しなくては、明日も同じ自分でいてしまう。

末詣

空は晴れ渡っていたが、寒い日だった。家族で浅草寺にお参りに行ってきた。何も考えず、無心に祈った。何も願かけることなく、無心に。

私は、宗教というものを殆ど信仰していない。信仰がないというのとも違うが、かといって、何処かの寺の檀家ではないし、教会に通っているわけでもない。結婚式もしなかったので、自分が葬式を迎える時、どこのなんの宗教で葬式をするのかもわからない。きっと、別れの会のようなもので済ますのだろう。

これは、私に限ったことではなく、私の家族は誰も、特定の信仰がない。それでも、寺社仏閣にお参りに行ったり、教会でクリスマスを祝ったことすらある。もしかすると、日本国内の世間一般の家庭は私の家のように宗教と付き合っている方が多いのかもしれない。

私が、慶応の法学部を受けた時、面接というのがあった。その面接で、私は、高校時代の留学経験について話した。留学経験と言っても、2年に満たない短い留学ではあったが、私はオーストラリアの高校に通っていたことがある。オーストラリアで何か特別な勉強をしたわけではないので、正確には留学ではないが、その短い滞在で、私は大きな経験をしたと思っている。それは、自分が日本人であるということを強く感じたことだ。

日本人のアイデンティティーという表現をその面接で使ったのは少し大げさだったかと今では思うけれど、高校時代の私にとってはそれは日本人としてのアイデンティティーと呼べるぐらいの一大事だった。自分は、オーストラリア人ではない。移民でもないし、一時的にここに間を借りて住んでいるだけの日本人である。という思いを強くした。

その、日本人のアイデンティティーとは何ですか?私に面接官は聞いた。私は、それをすぐに言語化できずに、言葉に詰まりそうになった。例えば、英語ができないとか、そういうことであれば、日本人のアイデンティティーとは言わない。例えば、ひたすらお辞儀をしてしまうのも、日本人のアイデンティティーとは言えない。けれども、そういうことが重なり、自分は確かにここに住むだけの、異国の人間だと強く感じたのだ。

その一つの側面は、自分は信仰というものを殆ど持たないということであろうか。もしくは、宗教というものに囚われずにものを考えることができるということだろうか。それが、日本人のアイデンティティーという言葉を使ったことの象徴的な一面です。と、その面接で、何だか日本語らしくない表現をしてしまった。

例えば、向こうの人たちは、キリスト教徒であればキリスト教徒の習慣があり、仏教徒と自分を表現する人に対しては、異色な存在として扱う。ちょうど、私の友人が、自分を仏教徒だと表現していた。日本から数珠さえ持ってきていた。単身高校に通うためにオーストラリアに来たのに数珠を持ってくるぐらいだから、確かに仏教徒である。彼は、私の滞在中は仏教徒らしいことはなにもしていた様子ではなかったが、確かに自分のことをそう表現していた。

私は、そのとき信仰を持たなかったというよりも、ホストファミリーに合わせていた。私のホストファミリーは、一応キリスト教徒だったのかもしれないが、教会には通っておらず、全くそれらしいそぶりも見せなかった。けれども、何かの機会に祈る時には十字を切っていたし、イースターを祝ったりと、キリスト教徒の習慣をこなしていた。私は、それに合わせ、イースターを祝ったり、ホストファミリーの祖父にあたる人が亡くなった際には、十字を切って祈った。

そのように、習慣を合わせていたことは、その時の自分にとってなにも意味があったわけではないが、十字を切りながらも、キリストの救いなどについては信じてはいなかったし、自ら教会に行こうとも思わなかった。

以前にも書いたが、私の実家は両親がキリスト教徒である。父の方は、洗礼は受けているらしいが殆ど信仰していないのと同義なぐらいなにもしないが、母は毎週一応教会には通っているようだ。だから一応キリスト教徒ということになる。

しかし、その一方で、家に坊さんを招いて、般若心経を唱えさせたりしている。数年前に他界した祖母のためとは言え、家には仏壇があり、坊さんが年に一度や二度やってくるのは滑稽だ。実家の人間も、私と同程度に宗教に無頓着なのかもしれない。ことによっては私以上に。

それで、私である。

浅草が近所なので、時々浅草に行くのだが、その際は必ず浅草寺にいきお参りをする。妻などは、うちのホームテンプルは浅草寺だと言っている。そうか、私はもしかすると仏教徒なのかもしれないなどと思うのだけれど、実のところ、浅草寺が何宗の寺なのかなど考えたことはない。

ただ、人にその話をすると、宗教を冒涜しているように聞こえるのが嫌なので、私は普段、祖母の宗派であった浄土宗であるということにしている。

年の暮れで、とりとめもない話になってしまったが、浅草寺を詣りそんなことを考えた。