アンプグルのアンプを手にいれた

エレキギターの音色を決めるのは7割がアンプだと思っている。

もちろん、優れたギター本体から紡ぎ出される音は、それぞれのキャラクターを持っている。時に荒々しく、時に枯れていて、はたまたカプチーノのようにクリーミーな音色のものや、凛とした音色の楽器もある。それでも、一旦アンプに繋いでしまえば、そのアンプの音の中に染まってしまう。

アンプ7割と書いたのは昨今のデジタルアンプのことではない。デジタルアンプも、それぞれの音は持っていて、かつ、ギター本体の持つオリジナリティーを再現できるものは存在するであろう。むしろデジタルの方が忠実なのかもしれない。それでも、やはりアンプはチューブアンプ(真空管アンプ)のほうが私は好きである。最高のチューブアンプは、どんなに優れたデジタルアンプにも勝る音と、レスポンス、弾き心地がある。

チューブアンプは、その重量やら、コンディションを保つ難しさ等で、今のプレーヤーは敬遠してしまうかもしれない。消費電力も半端じゃない。そのあたりについては、デジタルアンプには遠く及ばない。デジタルアンプは、電源さえ間違わなければ、めったなことでは壊れない(壊れたらユニット交換以外の修理はほぼ不可能だが)。酷使してもそう簡単には壊れない。それに比べて、チューブアンプは、簡単に壊れてしまう。

ソリッドステートのアンプも幾つかは持っているけれど、あれはあれで悪くはないのだけれど、チューブアンプの持つコンプレッション感や、弾き心地を味わえるようなものは少ない。少なくとも、私の持っているアンプで、ソリッドステートのもので、チューブアンプのようにふくよかでいて、個性豊かなクランチトーンを鳴らせるものはない。

それで、やっぱり真空管のアンプに行き着いてしまう。

行き着いた結果、何台か、チューブアンプを自作したりした。どれも、音が出るところまでは行くのだが、なかなか満足のいく音色にはならなかった。中には、フェンダーのヴィンテージアンプの回路をそのまま使って、パーツも手に入る限り良いものを使って作ったアンプもある。キットで買って、コンデンサやら抵抗やらを全て交換して、自分の納得のいくところまでチューンアップしたものもある。けれども、なかなかハムノイズが治らなかったり、特定の音で共振してしまうなど、なかなか満足のいく出来上がりになるものはできなかった。

私が、アンプ作りの教科書にしていた本があって、ジェラルド・ウェバーという人の書いたものである。100ぐらいの機種の回路図やら、レイアウトが掲載されていて、それをほとんど穴が開くぐらい読み込んだ。私にとってのアンプ・グルである。

この度、そのアンプグルの作ったメーカー Kendrickのギターアンプを中古で手にいれた。何箇所か改造箇所があるものの(勿体ない!!)ほぼオリジナルコンディションである。フェンダーのヴィンテージアンプのクローンなのだが、私は、かつてそのオリジナルのヴィンテージアンプを弾いたことがあり、素晴らしい夢のようなアンプだった。

Kendrickのアンプも、そのオリジナルのヴィンテージアンプとほぼ同じ音が出る。もちろん、ヴィンテージアンプよりも味付けは少し現代的で、ノイズも少なく、優等生なところがあるのだが、それも、嫌味ではない。ヴィンテージアンプは、いつどこがおかしくなるかはわからないので、なかなか面倒を見るのが大変である。その点、アンプグルのアンプは、新しいパーツで作られているので、安心である。

実は、アンプグルの本を読んで、Kendrickと全く同じ回路のアンプを自作して持っている。それはそれで、私が自作したアンプの中では良い音がするのであるが、この度、その2台を弾き比べて愕然とした。さすがアンプグル、たとえ生まれ変わったとしてもこの歴然とした違いは追いつくことすら不可能なレベルなのである。

いったい何が違うのか?つかっているパーツは、ほぼ同じものであるはずなのだ。

恐るべし、アンプグル。

もう、2度と自作アンプは作るまい。

私のメインキーボード CP−70B

私は、ピアノをまともに弾けない。ピアニストに憧れたこともない。きちんとピアノを練習したこともない。

弾けないけれど、鍵盤楽器は7台ぐらい持っていて、自宅にはグランドピアノすら置いてある。そのあたりのピアニストなんかよりも、鍵盤楽器に関して言えばずっと恵まれた環境で生きている。

なぜそんなにたくさん鍵盤楽器があるのかというと、かつてピアノメーカーに勤めていたこともその一因ではあるのだが、それよりもそもそも楽器というものが好きだからという方が正しいのかもしれない。鍵盤楽器は、ドを押せばドの音が出るし、ドミソと弾けばCメジャーコードが鳴ってくれる。これほどありがたい楽器はない。

そんなに、たくさんの鍵盤楽器に囲まれて、何をしているのかといえば、歌を歌う時の伴奏楽器として使っている。

伴奏と言っても、大層な伴奏を弾くこともできず、左手はもっぱらベース音(ルート音)を、右手はもっぱらコードを四つ打ちで弾いているだけなのだけれど、ピアノというのはよくできた楽器で、それだけで歌の伴奏としては、最低限の役目を果たしてくれる。そのためだけに、ピアノを持っているのは、すこしばかり贅沢なことなのだけれど、ピアノの音を鳴らしながら歌っていると、何か、自分がレイチャールズかビリージョエルにでもなったかのような気分にさせてくれる。

ピアノの良いところは、自分を一瞬ロックスターや、ソウルシンガーにしてくれる、それだけではない。私はギターも弾くのだけれど(こっちも腕の方はからっきしであるが)ギターではおよそ鳴らせないような難しいコードもピアノであれば押さえることができる。例えば複雑なテンションコード、ギターであればある程度コードのフォームに習熟していないと、どの指をテンションノートにあてがうか、などと考えながら押さえなければならないところを、ピアノであれば、ある程度曖昧にすることができる。

それと同時に、コード理論の基礎もピアノがあれば簡単に納得できてしまう(キーをCに置き換えると尚更わかりやすい)。

私は、楽譜も読めない。

全く読めないというわけではないのだけれど、ベートーベンの悲愴の2楽章の一小節目を読もうとして、15分で諦めたぐらい読めない。あの、オタマジャクシが上下に2つ以上出てくると、何が何だか分からなくなってしまう。

しかし、コード表は読めるので、コードとメロディーだけであればなんとか押さえることができる。なので、さしあたり独りで弾き語りをする分には特に問題はない。全く、コード表記を考えた人は偉大だっと思う。まさに、私のような楽譜音痴のためにあれは存在しているのかもしれない。

そのため、楽譜はろくに読めないくせに、たくさん楽譜を持っている。大抵、ポップスの楽譜には、ちゃんとした譜面の上に、メロディーラインと、コードが記されている。そのため、本物の楽譜の方は読めなくても、楽譜を持っていると、だいたいのメロディーと、和音がわかるので、自分で楽しむ分にはある程度用をなす。

もちろん、難しいキーの曲は伴奏ができない。例えば、#やら♭なんかがたくさんついている曲は、そのままでは弾けない。

それでも、ポップスの曲の多くは、ラウンドミッドナイトのような変なキーの曲はそれほど多くはないので、不自由はしない。

そんな私が普段一番よく使っているのが、ヤマハのCP−70Bという電気ピアノだ。これは、80年代にヤマハが作った楽器で、実際に弦が100本以上張ってあり、キーボードアクションもグランドピアノと同等のものが使われている。鍵盤は73鍵しかないが、私の使い方では十分である。持ち運びができるように、足をとって、2つに分かれるようにできており、合計120キログラムの楽器が、なんと、60キロの箱2つになる。電気ピアノなので、弦の振動をピックアップが拾ってくれ、出そうと思えばアコースティックピアノでは到底かなわないような、ものすごい爆音も鳴らせる。アンプの電源を切っておけば、サイレントピアノとして使える。まさに、夜でも練習できる小さなグランドピアノである。

私にとっては、夢のピアノである。

このCP−70Bという楽器は、すでに製造されてから40年近くが経ってしまっているので、いろいろな不具合も出てきてはいる。電源がうまく入らないことがあったり、イコライザーがうまく効かないことがあったり。それでも、普段使う分には特に不自由を感じたことはない。

鍵盤には一部割れが補修された跡があり、外装の皮も剥がれてはきている。なにより、このピアノの上に、楽譜やら、エフェクターやら、愛用のカメラやレンズやら、はたまた服用している薬の袋やらが無造作に、うず高く乗せられているので、決してきれいな外見を止めているわけではない。しかし、私はこの楽器が手元にあって本当に良かったと思っている。普段、いつでも弾けるように、パソコンの置いてある机から振り返れば、すぐに弾ける状態にしている。

そもそも、私はヤマハというメーカーの楽器はどうも魅力を感じないのだけれど、このCP−70Bだけは別物である。音そのものはそれほど良いわけではないけれど、その独特のサウンド、鍵盤のタッチ、無駄に大きな図体、何をとっても素晴らしい楽器だと思う。多くのポップスミュージシャンが、このCP−70という楽器をメインキーボードにしているのも頷ける。

購入した時は、本体価格より運送費の方が高くついてしまったぐらいだが、これからも、末長く大切にしていこうと思っている。