ファンキーなジャズとはまさにこれMorris Nanton

今日は暑い1日だった。このままいけば、真夏は日中45度ぐらいになってしまうのではないかと思うほど暑かった。暑くて暑くて、外を歩くのが苦痛であった。

それにもかかわらず、いや、そのせいもあってか、仕事は遅々として進まず、いろいろな方々から不満を言われ、嫌な1日だった。暑い上に仕事もイマイチ、というのはなかなか疲れる。

仕事帰りにディスクユニオンに寄り、レコードを買って帰ってきた。それもまとめて8枚。ストレスがたまるとついレコードを買ってしまうのは私の悪い癖か。

帰宅して、夕飯を食べながらそれらのレコードを聴いていたが、もちろん全てを聴ききることはできない。家族が寝静まった後、書斎のオーディオのボリュームを下げ、じっくりと聴いている。レコードを聴きながらこれを書いている。

私は、普段カントリーばかりを聴いているのだが、学生時代モダンジャズ研究会に所属していたこともあり(幽霊部員であったが)、ジャズのレコードをきくこともある。時々ある。ジャズのCDは1500枚以上持っているのだが、最近はCDを聴くことはほとんどない。CDを聴くほど気合が入らない。代わりにレコードを聴いている。レコードはなんとなくでも聴くことができる。不思議なもんである。

それで、今はMorris NantonのアルバムSoul Fingersを聴いている。これがまた、聴きやすくていいアルバムである。Prestigeレーベルの7000番台なのだが、聴きやすい。だいたいこの辺りのアルバムはブローイングセッションで、ジャムセッション垂れ流しのレコードが散見されるのであるが、このアルバムは比較的作りこまれている。Prestigeにホレスシルバーが移籍して、スタンダードを弾きまくっているというような雰囲気のアルバムである(もちろんピアノはホレスシルバーではなくモリスナントンであるが)。

このなんの変哲もないようなアルバムが、今日の私には丁度良い。アレンジはゴリゴリにされているし、どこかイージーリスニングのような感じすらしてしまうのだが、そこのところをMorris Nantonのファンキーなプレーが縦横無尽に駆け巡り面白くしている。こういうピアノアルバムはあまり多くない。ボビーティモンズも良いのだが、ちょっと暑苦しすぎるきらいがある。そこのところ、この人はすこしさっぱりしている。さっぱりしているのだが、めちゃくちゃファンキーなアルバムに仕上がっている。

良いなあ、こいうアルバム。

ずっと調子の悪かったLeslieがなんとなくなおった

ハモンドB3オルガンというのは、オルガン本体だけでは全く音が出なく、必ずLeslieスピーカーがセットでなければいけない。そもそもLeslieにつなぐ以外の音を出す方法がない。

厄介なもので、古いB3はその型式によって外部につなぐソケットも違い、現行機種のLeslieにつなぐためには専用のケーブルを繋がなければならないらしい。これは、人に聞いた話なので本当かどうかはわからない。なんせ、今まで本物のB3をじっくり見たのは、自宅にある一台だけなのだから。

私のB3は、ひとから借りているのだけれど、まあ、馬鹿でかくて重い。ろくに演奏できないのにこれを自宅に置いておこうというのは、我ながら酔狂というか、ちょっと困ったもんである。その上、内部の構造もよく知らないので、壊れてしまったら直しようがない。だから、時々オイルを注したりして、気遣ってはいる。

しかしながら、やっぱり年代物なので、いろいろなところが調子悪くなってくる。なんせ、倉庫に10年以上放って置かれていた楽器なので、いろいろな不具合が出てきても仕方ない。

私の家に初めて入れたときには、果たして音がきちんと出るのか、はたまた巨大なゴミを預かってしまったかもわからないでいた。ためしにスタートモーターを回してみると、なんとか回るには回ったのだが、内部の歯車がキシキシいって、モーターの音がグワングワンいってしまい、楽器というよりも耕運機のようなおとが出ていた。鍵盤の接触も悪かったらしく、ところどころに音の出ない鍵盤すらあった。

しかし、私は運が良かったのか、オイルを一通り注して、鍵盤を何度も押しているうちに、きちんと440Hzで音が出るようになった。冬場には調子が悪くなったりはするが、なんとなくこの楽器との付き合い方もわかってきた。どの鍵盤もドローバーもなんとなくきちんと音が出るように、機能するようになった。

それでも、いままでずうっと気になっていることがあった。

それはLeslieスピーカーの上の方のスピーカーホーンの高速回転が回らないことであった。手元のスイッチでTremoloにしても、上だけ止まってしまう。ゆっくり回転は回るのだが早くすると回らない。これには困った。

それはそれで仕方ないのかとずっと思っていたのだけれど、今回Leslieの裏蓋を開けて、ゴミを取り除いたら、なんとなく高速回転も回るようになった。おそらく、完全に治ったわけではないので回転速度の切り替えにタイムラグがあるのだが、それでもずいぶんマシになった。回らなかったときは精神衛生上とても良くなかったのだが、ひとまず回るようになって、安心した。

良かった、良かった。あとは練習するのみである。

いつかは、この楽器で一曲ぐらいまともに弾けるようになりたいもんだな。

レコードのカートリッジを替えた

レコードを何枚も持っていて、時間を見つけて聴いているのだが、なかなかじっくりと聴く時間が作れないでいる。私のような歳の人間がレコードをじっくりと聴くほど時間が有り余っているというのも問題なのだろうが(私は今40代前半なので)、趣味は専ら音楽なのでできればゆっくりと音楽を聴きたいという気持ちはある。

家族には申し訳ないのだが、休みの日には一人ゆっくりと時間を過ごしていることが多いのだが、そういうときに限って音楽をかけようという気持ちがあまり沸いてこない。不思議なものである。むしろ、人が家に来ているときなど、無性にレコードを聴きたくなるのだ。

まあ、それはそれとして、レコードである。

私が学生の頃、清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちでステレオのセットを買ったのだ。それから20年間で少しずつアンプやスピーカーをアップデイトしてきて、今は身分不相応かもしれないが、真空管アンプをJBLにつないで音楽を聴ける環境を手にいれた。それほど高いセットではないけれど、カントリー、ジャズ、ロック、クラシック少々を聴く分にはこれで十分である。

特に、Jazzを聴く人にはオーディオにお金をかける人が多くて、何百万円、ときには何千万円と音響設備にかけていたりする。そういう方々も羨ましくは思うけれど、私はどちらかというと音楽を気分良く聴ければそれで良いので、そこまでお金をかけようとは思っていない。むしろ、気軽に扱えて、そこそこ良い音質で聴けるいまのステレオセットに勝るものはないとすら思っている。

レコードのカートリッジは学生時代からずっとシュアーのM44Gを使っていたのだが、気がついたら生産終了になってしまっていた。生産終了になってしまってからは、ディスクユニオンオリジナルの、通称「ユニオン針」とか「赤針」というのに針だけ交換して使っていたのだが、先日ディスクユニオンに行ったところ、その赤針もなくなっていた。

それで、仕方なく、レコードのカートリッジを新調した。

極力お金はかけたくなかったのだが、せっかくだからそこそこの音質で聴きたいと思い、御茶ノ水のオーディオユニオンに行ってきた。その中で、丁度良い値段帯で、出力が大きく(音に迫力があって)、そこそこ音質も良いという評判のChudenのカートリッジを買ってきた。MG-3675というモデルである。

オーディオユニオンの人によると、丸針の方が元気な音はするらしいが、楕円針の方がきめ細さも持ち合わせているとのことであったので、一応クラシックも聴いたりする手前楕円針のMG-3675の方にした。

結果、今の所何の不満もない。音圧/迫力はM44Gと同じぐらいあるし、サ行が歪んだりしないので、むしろこっちの方がはじめっから普通に使えて良い気もする。

早速、先日購入したビルエバンスのワルツフォーデビーなんかを聴いてみたが、シンバルの音もきれいに出てくれるし、うちのステレオセットのパフォーマンス的には十分すぎるぐらいであった。

今はこのカートリッジで、バーニーケッセルのモントルーでのライブ盤を聴いているが、ギターの音が前に出てくる感じがして、ベースもしっかり鳴るし、悪くない。これで2万円しないぐらいで買えるので、レコード針としてはリーズナブルな方である。

ひとまず大満足である。

Waltz for DebbyをLPで

このアルバムは、いままで何枚買っただろうか。CDで少なくとも3枚は買ってきた。いや、それ以上かもしれない。LPで買うのは初めて。

Bill Evansは普段それほど聴かないけれど、Waltz for Debbyほどの名盤となるとさすがに今まで随分と聴いてきた気がする。ジャズだとか何だとかは関係なしに、これほど完成されたアルバムは他にないと思う。それほど、何度でも繰り返し聴ける作品だ。私が今更言うようなことではないけれど。

一昨日、自宅のピアノを調律してもらい、調律師さんが帰った後にMy foolish heartのコードをなぞった、Bbで。このアルバムでビルエバンスは同曲をAで演奏している。一曲目でミ、ミと入ってくる。

私は、このMy foolish heartという曲が好きだ。と言っても、ビルエバンスのこのアルバムぐらいしか聴いたことはないかもしれない。いや、たしかチェットベーカーが歌うレコードも持っていたかもしれない。よく覚えていない。まあ、仕方ないか。それぐらいこのレコードでの印象が強いから。

今日、帰宅し、早速このレコードに針をおとしてみた。美しい、My foolish heartが流れてきた。それだけで、私は満足だった。

でも、このレコード、オリジナルと曲順が違うのよ。そこさえ、何とかしてくれたら完璧なのだけれど。やっぱり、曲順きになる方は、下記のが良いでしょう。

ピアノの神様から預かっているベヒシュタイン

恥ずかしい話なのだが、私は鍵盤楽器をたくさん手元に置いているのだが、ほとんど鍵盤楽器が弾けない。このブログでも何度もピアノやエレピ、オルガンなんかについて書いているので、時々バンドのキーボード募集のお誘いを頂いたりするのだが、そういうことは全くできない。自分が歌を歌うときに、和音を鳴らして伴奏することぐらいしかできない。

できないできないばかりで恥ずかしいのだが、それが事実なのだから仕方ない。

しかしながら、ピアノという楽器が好きだ。この楽器さえあれば、世界中の音楽を奏でることができるだけでなく(演奏の腕前の問題はあるが)、音楽を教えてくれさえする。そして私は、あまたあるピアノの中でも、自宅にあるベヒシュタインの古いグランドピアノが特に気に入っている。この楽器は、私が拙い腕で鍵盤に触れても、優しく鳴ってくれる。

このベヒシュタインは、今より遥か120年前に作られたものである。前のオーナーから1896年製と聞いている。鉄骨の構造や、ロゴマーク、製造番号その他色々のディテールから見ても、それは本当で、たしかに120年前に造られたものである。もちろん、新品のピアノとは違い、いろいろなところにガタはきている。弦はおそらく一度は張り替えられており、下から2オクターブ目のミの弦は、そのあともう一度切れたらしく、急ごしらえで巻いたゲージがちぐはぐの弦が張ってある。そのため、このミはどのように調律してもうなってしまう。また、低音弦も何本かはもう既に寿命がきており、うまく取り扱わなければジンジンとなってしまう。ピアノの脚は、もう随分前に交換されている。

もう一つ、これは決定的な致命傷であるが、フレーム(鉄骨)に小さなクラックが入ってしまっている。この時代のベヒシュタインに特有の、フレームのクラックだ。おそらく、最後に弦を張り替えた際にこのヒビが入ってしまったのだろう。

けれども、そのような箇所を考慮しても、この楽器が奏でる美しく儚い音色を聴くと、そんなことはどうでもよくなる。私はピアニストではないから、それらの古傷をいたわりながら演奏すれば良いのである。ピアノに寄り添い、無理をさせなければ、まだまだこのピアノは美しい音を奏でてくれる。

昨日、この楽器を調律してもらった。

440でお願いします。というと、調律師さんは「わかったよ、確かにこの楽器の時代を考えると442は高すぎるかもね」とつぶやいた。

たしか、この時代は436とかでチューニングしたりしてたはずです。などと、知ったようなことを私はつい調律師さんに言ってしまった。インターナショナルピッチが440になったのは1939年頃のことだから、おそらく本当にこのピアノができた時代は436ぐらいで調律していただろう。もしかすると、もっと低かったかもしれない。たった2ヘルツだけれど、私はこのピアノに負担をかけたくないのだ。私の家で、ゆっくりとすれば良い。

私が、ピアニストではないことが、はたしてこのピアノにとって幸運なことなのか、不運なことなのかはわからないけれど、楽器なのだからしっかり鳴らせる人が手元に置いていた方が良いに決まっている。けれども、たまたま私の手元にあるからこそ、このピアノは延命しているのだとも言える。そして、私の家族でピアノを演奏する人は他にいない。私が歌を歌うとき以外には、時々思い出したかのように、娘や妻が鍵盤に触れるぐらいで、しっかりとした音楽を奏でられる人はうちにはいない。時々、ピアノを演奏できる友人が遊びに来た際に、弾くぐらい。

調律が終わって、試しに少し鳴らしてみたら、調律前より音色がキリリとしていた。キラキラしましたね、このベヒシュタイン。と私が言うと、調律師さんは懐かしそうにベヒシュタインをさらりと奏で、「ああ、佐々木さんとこのベヒシュタインにまた会えたなあ」とつぶやいて、世間話を(ピアノについてなのだが)して帰った。

帰られた後に、ピアノと二人きりになった私はMy foolish heartのコードを追いかけた。ゆっくりと日が暮れていき、妻と娘が帰ってきて

調律師さん帰ったの?どうだった?

聞くので、「うん。とても良い音になったよ」と答えた。

Myクーバツのパツラ

最近はステーホームやらなんやらで、運動不足になることが多い。

私は、スポーツを嗜まないので、もっぱら散歩か、腹筋をするぐらいしか体を動かしていないのだけれど、インナーマッスルを鍛えるのも必要なのではないかと思い、最近気まぐれにトランペットを吹いている。

もっとも、吹いている、と言っても一昨日から始めたのだが。トランペットというのは体のあらゆるところを使って吹くので、結構体力を消耗する。まあ、肺活量を中心にして、口の周りの筋肉を使うくらいなのだけれど、それでも、久しぶりに吹いてみると体力を使う。

トランペットは健康に良い。

健康に良いものが正義というわけでもないのだろうけれど、これがなかなか運動の代わりになってくれるので、帰宅してからこっそりと吹いている。こっそりと吹いても、かなり大きな音がしてしまうのがトランペットという楽器の悲しいところなのだけれど、できるだけ、近所迷惑にならない程度に、控えめに吹いていては、唇に負担がかかってすぐにばててしまう。だからと言って、大きな音で吹いていては、近所からすぐに苦情が来てしまうであろう。

困ったもんだ。

トランペットの困ったことのもう一つは、スランプが多いことである。トランペットを練習していると、すぐにスランプが来てしまう。これは、きっと体のどこかにアンバランスが生じ、そこばかりに負担がかかっているからであろうが、三日練習したら、必ずと言って良いほどスランプが訪れる。

スランプを解消する方法は色々とあるのだろうが、トランペットを吹く人は、なぜかその原因は楽器なのではないだろうかと考えてしまいがちだ。俺の体は健康なのに、思うように音が出ないのは、楽器がいけないからだ。という思考回路である。

これは、ラッパ吹き全てが全てそういうわけではないのだとは思うが、バンドやら、ジャムセッションやらでトランペット吹きが3人集まると、必ず楽器の話で盛り上がる。やれ、ここをこう変えたら吹きやすくなった、バテづらくなった。やれこの楽器を試したら、ハイノートが出るようになっただのと演奏も忘れて話し込んでしまう。

これは、サックス吹きもそうなのかと思っていたが、どうやらラッパ吹きの方がそういう傾向が大いにあるようだ。(統計をとったわけではないが)

そこで、私も1年ほど前にトランペット本体を買い替えたという実績がある。

1年ほど前に、久しぶりに楽器を吹いてみたら、ちっとも音が出なかったのだ。困った。困ったので、すぐに楽器を買いに行った。ヴィンセント・バックの楽器である。

帰ってきて、吹いてみたら、するすると音が出た。

これだから、楽器というものは、困るのである。これで、買ってきてやっぱり音が出なかった、というのであれば、やっぱり悪いのは自分かということで落ち着く。ところがトランペットについては、バックにしてみたところ、音がきちんと鳴るようになったのだ。

今考えてみると。これは、まったく楽器の影響ではないというわけでなく、確かにバックの楽器は吹いた際の独特の抵抗感のおかげで吹きやすいのだけれど、まあ、気分の方が大きい。気分9割9分といったところだ。

けれど、さすがはトランペットの名器、ヴィンセント・バックである。これさえ吹いていたら間違いない。音も、悪いわけがないし(もし悪いのであれば、吹いている自分が悪い)、音程も良い(もし悪ければ、吹いている自分が悪い)。

ああ、どうして私は始めっからバックのトランペットを買わなかったのだろう。

今年も晴れてJapan Steel Guitar Association会員で居られる

日本国内では唯一のペダルスチールギターのメーカー、ファゼイ・ペダルスチールギター・プロダクツ。私も一台ファゼイのペダルスチールギターを所有しており、メインで練習しているのはファゼイの楽器だ。メインとはいっても、ろくに弾けないのだけれど。

ファゼイは藤井三雄さんというペダルスチールギター奏者が経営し、ご自身で設計製作を行っている。日本で唯一のペダルスチールギター製作者だ。私も、何度か工場兼オフィスにお邪魔して、ペダルスチールギターを修理・調整してもらった。藤井さんの楽器は壊れずらくて、弾きやすくて良い楽器だ。

舶来品の楽器も持ってはいるのだけれど、どうしてもアメリカの人は足が長いから、そのままでは楽器の脚も長すぎて、靴やスリッパを履かないと練習ができない。その点、ファゼイの楽器は日本人の足の長さに合わせて約1インチぐらい脚が短いので素足でも練習ができる。

もっとも、もしスタジオに持ち出して練習したり、万が一ステージで弾くようなことになったらそれは素足ではなく靴を履いて演奏するわけだから必ずしも脚が短い必要はないのかもしれないけれど、自宅で練習する分にはファゼイが一番ちょうど良い。そういうわけで、主にファゼイで練習している。

以前にも書いたかもしれないが、ペダルスチールギターというのは、ものすごく難しい楽器で、所有して5年以上が経つが、ほとんど上達していない。そして、ものすごく競技人口が少ないので、教則本の類も国内ではほぼ流通していない。仕方がないので洋書を買って練習するしかない。

E9チューニングであれば、まあ、それほど複雑なことさえしなければある程度は弾けるようになるのだけれど、C6チューニングに至っては、私はチンプンカンプンだ。けれども、なぜかE9とC6のダブルネックの楽器を持っている。いざという時は、ダブルネックの方が都合が良い(らしい)。

そんな私たち、ペダルスチールギターを志す者たちの強い味方がいる。Japan Steel Guitar Associationだ。

ここに入れば、年に数回会報が送られてくる。その会報に、スチールギターの楽譜が載っているのだ。しかも、TAB譜つき(年度末にCDも送られてくる)。

このTAB譜を頼りに、スチールギターをせっせと練習していれば、そのうち弾けるようになるはず。今までわからなかったカントリーのスタンダードも弾けるようになるはず。なのだが、なかなか練習できていない。

しかし、ここで挫折しないためにも、なんとか苦しい中で年会費を納め、今年も晴れてJapan Steel Guitar Associationの会員になった。そして、本日、会員証が届いた。

このJapan Steel Guitar Association、一体何人ぐらい会員いるんだろう。若手のペダルスチールギター奏者も会員なのだろうか?などと、いろいろな疑問はあるが、とにかくなんでも良いからこの会は続けて欲しい。

藤井さん。Japan Steel Guitar Associationの皆様。いつも大変御世話になっております。日本から、ペダルスチールギターの文化の火を絶やさないように、なんとか練習して弾けるようになります!!

今年こそ、なにか一曲、しっかりと弾けるようになるぞ。

なかなかできぬダイエット

コロナ禍で、運動不足気味になっており、体重は上昇の一途をたどっている。私としては不本意なのだが、体は言うことを聞かず、どんどん太っていく。すでに不惑を過ぎ、痩せた体型をキープすることは、とても困難になりつつある。どれぐらい困難かというと、 Gee Bee Racerの操縦桿を握るよりも難しい。

それでも、痩せたい。いや、痩せなければいけない理由がある。

その理由とは、着れる服がどんどんなくなっていくのである。夏の初めに、大きめのサイズのズボンを購入し、履いているのだが、来る秋冬のシーズンのクローゼットを開けたところ、時すでに遅し、ウエストが入らないのである。

これは、困った。緊急事態である。まさか、このまま秋に突入して、着ることのできる服(ズボン)がなく、下半身裸で会社に行くわけにはいかない。そんなことしてしまったら、ヘンタイである。それはいかん。それだけはいかん。

そうは言ったものの、食べる量を控えるとか、そういうことが簡単にできないのが人間の体の恐ろしさ。いくら痩せようとしても、お腹は勝手に空くのである。常に小腹は減り続け、とくに就寝前は腹が減り、常にパクパク食べていたいくらいである。

こういう時は、チアシードとか、こんにゃくなんかを食べてお腹を紛らわせれば良いのかもしれないが、そう簡単にいかないのが人間というものである。お腹は一杯になったとしても、頭(脳)が腹をすかすのである。

致し方ない。もうしょうがない。だから、一昨日から腹筋を始めた。

普通、腹筋といえば最低30回、多い人は100回とかやるらしいのであるが、そんなに簡単に腹筋30回できるような体であれば、今こんなことは言っていない。腹筋はできてせいぜい、15回。精一杯頑張って20回が関の山である。

それでも、やる。

やるとやらないのでは違うのである。今腹筋をしなければ、10月の衣替え以降、着て行く服がない。

世紀の名シンガー、Michael Bubleだってかつては太めだったけれど、痩せたではないか。痩せて、ブリオーニをカッコ良く着れるようになったではないか。彼は、歌うたいだから、太っているのも仕事の一部のようなところなのに、痩せたではないか。

いわんや、私などは、太っているのは仕事ではない。いや、むしろ太っていない方が裸で職場に行く羽目にならないので、痩せているのが仕事の一部のようなもんだ。

痩せなきゃ。

気分はDuane Eddy Guild X160

私は、ギルドというギターメーカーのエレキギターが好きだ。

好きな理由は、私の敬愛するギタリストMerle TravisもDuane EddyもかつてGuildのエレキギターをテレビで弾きまくっていたからだ。とにかく、この二人のかき鳴らすGuildのギター(スーパージャンボボディー)はド派手でかっこよかった。

この二人に憧れて、私もギルドのアーティストアワード(かつてのJohnny Smithモデル)とX160というギターを所有している。Artist Awardの方は、ボディーが馬鹿でかくて、日本人の私が持つとなんだか二人羽織のような、ギターにもたれているかのような状態になるが、音はものすごく良い。生で鳴らしていても、ものすごく気持ちが良い。すっきりとしたまさに高級ギターの音がする。

X160は、マイナーなモデルで90年代の一時期だけアメリカで作られていたモデルなのだけれど、これがまた、存在感があって良いギターである。ギルドの中では比較的廉価モデルなのだろうけれど、Dearmond製のピックアップが2発搭載されていてゴロリとしたごつい音がする。フロントピックアップの音も、甘すぎず、どちらかというと無骨で頼もしい。

カラーがオレンジで、ビグスビーお付いているので、ぱっと見グレッチのような見た目も良い。この楽器を楽器屋で見た時、初めは日本製のグレッチかと思った。ダイナソニックが搭載された6120かと思った。

あれ、へんな仕様の6120があるな、と思ったらギルドだった。

あんまり期待しないで鳴らしてみると、これがまたグレッチよりも箱鳴りがして、爆音で鳴らすとすぐにハウってしまいそうで、実際店のツインリバーブのボリュームを上げるとハウった。しかしながら、ルックスがいかつくて、なおかつグレッチではなく、ギルドのテイストを色濃く残していて、これこそが私の求めていたロカビリー/カントリーギターであると強く感じた。

アーティストアワードを買った時、もうギルドは上がりだと思ったが、アーティストアワードがあまりにも良いギターなので、ギルドというギターメーカーがさらに好きになった。このX160もまるで、さっきまでデュアンエディーが抱えていたかのような存在感があってすぐに気に入った。

家の、メインのアンプであるケンドリックのツイードアンプに繋いだら、気分は50’sのロカビリーマンセーの時代にタイムスリップしてしまった。

目下、ロカビリーを練習しているのだが、ロカビリーというのは奥が深くて、なかなか思うように弾くことができない。しかし、サウンドはロカビリーであるから、弾けなくてもデュアンエディーやらエディーコクランやらの気分に浸ることができる。

ギブソンやら、フェンダーやら、世に言うギターの最高峰はいろいろあるけれど、ギブソンやフェンダーは良い音がするのが当たり前すぎて、こういうギルドみたいなギターが一台あればなんだか自分だけ特別なサウンドを手に入れたかのような気がしてくる。楽器というのは、弾きやすさとか、音色とかもとても重要なのだけれど、私のようなアマチュアにとっては、楽器は気分が一番重要なのだ。気分が乗ってくる楽器があれば、弾けないフレーズだって何度も練習できてしまう。それに、あんな曲、こんなフレーズ、いろいろと弾いてみたくなる。

アメリカ製のグレッチなんかよりも作りが良くて、安心して練習に持っていけそうなところも気にっている。愛用のヘイマーとともに、私のメインギターとして、書斎に置いている。

アンプグルのアンプを手にいれた

エレキギターの音色を決めるのは7割がアンプだと思っている。

もちろん、優れたギター本体から紡ぎ出される音は、それぞれのキャラクターを持っている。時に荒々しく、時に枯れていて、はたまたカプチーノのようにクリーミーな音色のものや、凛とした音色の楽器もある。それでも、一旦アンプに繋いでしまえば、そのアンプの音の中に染まってしまう。

アンプ7割と書いたのは昨今のデジタルアンプのことではない。デジタルアンプも、それぞれの音は持っていて、かつ、ギター本体の持つオリジナリティーを再現できるものは存在するであろう。むしろデジタルの方が忠実なのかもしれない。それでも、やはりアンプはチューブアンプ(真空管アンプ)のほうが私は好きである。最高のチューブアンプは、どんなに優れたデジタルアンプにも勝る音と、レスポンス、弾き心地がある。

チューブアンプは、その重量やら、コンディションを保つ難しさ等で、今のプレーヤーは敬遠してしまうかもしれない。消費電力も半端じゃない。そのあたりについては、デジタルアンプには遠く及ばない。デジタルアンプは、電源さえ間違わなければ、めったなことでは壊れない(壊れたらユニット交換以外の修理はほぼ不可能だが)。酷使してもそう簡単には壊れない。それに比べて、チューブアンプは、簡単に壊れてしまう。

ソリッドステートのアンプも幾つかは持っているけれど、あれはあれで悪くはないのだけれど、チューブアンプの持つコンプレッション感や、弾き心地を味わえるようなものは少ない。少なくとも、私の持っているアンプで、ソリッドステートのもので、チューブアンプのようにふくよかでいて、個性豊かなクランチトーンを鳴らせるものはない。

それで、やっぱり真空管のアンプに行き着いてしまう。

行き着いた結果、何台か、チューブアンプを自作したりした。どれも、音が出るところまでは行くのだが、なかなか満足のいく音色にはならなかった。中には、フェンダーのヴィンテージアンプの回路をそのまま使って、パーツも手に入る限り良いものを使って作ったアンプもある。キットで買って、コンデンサやら抵抗やらを全て交換して、自分の納得のいくところまでチューンアップしたものもある。けれども、なかなかハムノイズが治らなかったり、特定の音で共振してしまうなど、なかなか満足のいく出来上がりになるものはできなかった。

私が、アンプ作りの教科書にしていた本があって、ジェラルド・ウェバーという人の書いたものである。100ぐらいの機種の回路図やら、レイアウトが掲載されていて、それをほとんど穴が開くぐらい読み込んだ。私にとってのアンプ・グルである。

この度、そのアンプグルの作ったメーカー Kendrickのギターアンプを中古で手にいれた。何箇所か改造箇所があるものの(勿体ない!!)ほぼオリジナルコンディションである。フェンダーのヴィンテージアンプのクローンなのだが、私は、かつてそのオリジナルのヴィンテージアンプを弾いたことがあり、素晴らしい夢のようなアンプだった。

Kendrickのアンプも、そのオリジナルのヴィンテージアンプとほぼ同じ音が出る。もちろん、ヴィンテージアンプよりも味付けは少し現代的で、ノイズも少なく、優等生なところがあるのだが、それも、嫌味ではない。ヴィンテージアンプは、いつどこがおかしくなるかはわからないので、なかなか面倒を見るのが大変である。その点、アンプグルのアンプは、新しいパーツで作られているので、安心である。

実は、アンプグルの本を読んで、Kendrickと全く同じ回路のアンプを自作して持っている。それはそれで、私が自作したアンプの中では良い音がするのであるが、この度、その2台を弾き比べて愕然とした。さすがアンプグル、たとえ生まれ変わったとしてもこの歴然とした違いは追いつくことすら不可能なレベルなのである。

いったい何が違うのか?つかっているパーツは、ほぼ同じものであるはずなのだ。

恐るべし、アンプグル。

もう、2度と自作アンプは作るまい。