偉大なるホラ吹き家系

あるピアニストのリサイタルに行った。

とても、個性的な演奏をするそのピアニストのリサイタルがあるということを知ったのはつい数日前のことだった。それから、チケットをとり、滑り込むようにリサイタル会場に着いた。

とても個性的なピアニストで、元の曲のイメージが大きく覆るような演奏だった。個性的でありながら、妙な説得力があり、特に冒頭のスカルラッティが美しく、奇抜だった。いや、この場合奇抜という言葉は的確ではないかもしれない。そこには、奇抜さを超えた個性があり、その個性はひょっとするとスカルラッティの曲が元々持ち合わせているものなのではないかと思うほど、いびつな形で曲の中に収まっていた。

私は、音楽の専門家ではないので、それをどのような言葉で表現すべきなのかを戸惑っているのだけれど、今まで聞いたことのある、可愛らしく、明るく、明朗なスカルラッティではなく、饒舌で、愛嬌があるのだが愛想を振りまいていない、常人の解釈では咀嚼できないスカルラッティを聞くことができた。

プログラムのメインはリストのロ短調ソナタだった。

リストのロ短調ソナタは一楽章のみで構成されていて、かつ、ものすごく長大でダイナミックな曲であるため、自宅の書斎で独り聴くにはすこし大曲過ぎるような気がして敬遠してきたのだが、このコンサートで聴くとその表情の豊かさも手伝い、初めから終わりまで飽きることなく、スリリングで、堂々としていて、心地よさとは少し違った満足感が得られた。私は、このコンサートの鮮明な印象をこの先しばらくは忘れられないであろう。

そのあと、自宅に帰ると、翌日の娘の運動会を見に、北海道の実家からはるばる両親が上京してきていた。

両親が来るのは、運動会当日の朝だと思っていたので、少し面食らってしまった。

両親は、私の自宅の古いベヒシュタインのピアノを見て、そのピアノの出自を知っているという。私が帰宅するや否や、私の父は矢継ぎ早にそのピアノにまつわるストーリーを話し始めた。北海道に戦前に渡ってきた宣教師と、彼の教会が取り壊されるまでの半世紀以上にもわたるストーリーを。

まるで、私がこのピアノに出会う前から、彼はそのピアノの存在を知っていたかのような、自信に満ち溢れたストーリー展開に私は圧倒され、時に涙し、耳を傾けた。

しかし、その話が嘘であることを私は知っていた。

このピアノは、1990年代のバブルの時期に、成金趣味の結婚式場に使われていたチャペルに置いてあったことや、その後その教会が取り壊されある調律師の手に渡ったことも。

しかし、父の話すストーリーには妙な説得力と、構成の妙味が加わり、愛嬌がありロマンチックに響いた。だから、そういう夢のようなストーリーを信じてもいいのではないかとすら思った。彼の夢を壊してはいけない。このピアノがいかに価値のあるものなのかについての彼の中での構築を崩すのはたとえ親子とはいえ憚られた。

ただ、私はそのような幻想のためにこのピアノを所有しているわけではない。ピアノのコンディションや、ハンマーの減り具合、鍵盤の触った感じ、外装のやつれ具合から、もっと大きな愛の物語をこのピアノから見出して、私はこのピアノを手元に置くことにしたのだ。北海道の歴史や、それによる歴史的価値のようなそういったくだらないことのために所有しているわけではない。

古い楽器は、楽器そのものが語ってくれるストーリーがある。そのストーリーの方が、想像上の歴史的背景なんかよりもずっと説得力がある。楽器の専門家ではない父は、そこまで頭が回らなかったのだろう。

結局、父も私も、このピアノを通して、それぞれのストーリーと背景を想像したにすぎない。真実について、私は詮索しようとはしていない。真実や事実よりも、このピアノそのものが持つ少ない情報から、体の良いロマンチックでいて現実味のない自分だけのストーリーを持っていたいのだ。

その、なんの根拠もないストーリーたちのために、私は数多くの楽器を手元に置いているのかもしれない。