ベヒシュタインで録音されたピアノ音楽

何度かこのブログにも書いたけれど、私の自宅には1896年製のベヒシュタインのグランドピアノがある。庶民の私が、この貴重なピアノを所有するようになったのには、ちょっとしたストーリーがある。

その話は、長くなるから、今日は割愛して、一枚の素敵なアルバムを紹介したい。

「川岸秀樹ピアノソロ曲集 PIANOWORKS- 11 songs」と題されたこのアルバムは、ピアノの詩人 川岸秀樹さんが作曲したピアノ曲が11曲収められている。演奏するのは3人のピアニスト。川岸さんは北海道の調律師で、作曲もされる。いや、調律もする作曲家と呼んだ方がいいだろうか。

川岸さんの曲は、どれも優しく、朗らかで、切ない。初夏の札幌の日差しの中からポロポロと聞こえてくるピアノの音色のような、素敵な音楽だ。それは、ポップスでも、ジャズでも、はたまたクラシックとも少し違った、川岸さん流の「ピアノ音楽」だ。どの曲も、聴いていると心が休まってくる。

ピアノ音楽、というものが私は苦手だった。

ピアノ音楽の音は、どれも同じように濁っていて、ドカドカしていて、どうもハシタナイ、と思っていた。ピアノ屋で勤めるようになってからも、仕事で聴くピアノのコンサートも少しだけ苦手だった。中には本当に素晴らしいピアニストの方々も多くいたけれど、それでも、ピアノだけで奏でられる音楽というのは、どうも強迫観念のようなものを抱かされるぐらい、窮屈で、音が詰まりすぎていて、甘美すぎて、好きではなかった。まるで、甘すぎる果物のような。

いろいろなコンサートの現場で調律する川岸さんのことだから、様々なピアノ音楽に触れているだろう。きっと、私の苦手だった「ピアノ音楽」の方が、川岸さんの専門分野なのかもしれない。

けれども、このアルバムから聞こえてくる川岸さん流のピアノ音楽は、ピアノの音色が甘美すぎず、ダイナミック過ぎず、むしろ地味でいて、懐かしい。そして、そこに、ピアノという楽器が持つ、美しさのひとつの完成形があるような気がする。私は、このアルバムを聴いた時に「ああ、やっと見つけた」と感じた。

私の好きなピアノの音色とは、重なり合う時の濁り方と、単音で聴かせる時の澄み渡った感じが程よく混ざったものなのだ。それは、たとえどのような音楽を奏でていても共通することなのだけれど、そういう音を出せるピアニストと出せないピアニストがこの世の中にはどうも存在するらしい。そして、私の好みの音色を出せるピアニストは、どうもそう多くはないらしい。そして、そのような音を奏でる楽器もそう多くはないのだろう。

もちろん、ピアニストという商売は常に自分が弾く楽器を選べるわけではないので、どんな楽器でもその時のベストを引き出せないといけない。だから、使っている楽器云々を語るべきではないのかもしれないのだけれども、このアルバムに関しては、どうか楽器についても語らせて欲しい。

このアルバムは、私の自宅のピアノで録音された世界で唯一のアルバムだからである。

自宅のピアノを弾くたびに、このCDのことを思い出し、「どうやったらあんなに美しい音を作り出せるんだろう」と首を傾げたりする。そして、時々このアルバムを聴いている時に、どこか懐かしいものに出会ったような感覚にもなる。ペダルの軋む音、鍵盤から指を離してから音が消えるまでの少し物悲しいような響き、低音弦のゴロッとしていながらすこしナイーブな響き、そこには紛れもなく、私の自宅のベヒシュタインの音色がある。

よくぞこのピアノに合う曲をこんなに書いてくれた!!

残念ながら、このCDは一般流通はしていないようなのですが、アマゾンではストリーミング配信で売られているようです。

川岸さんにお願いして、家宝として、もう一枚買っておこうかな。

 

哲学を傍らに〜ピアノのあれこれから思うこと

つい最近まで、私はピアノ屋に勤めていた。ピアノ屋でいろいろなピアノを扱ったり、お客様のピアノを見せてもらったりした。私の勤めていたお店は高額商品を中心に扱うピアノ屋だったから、お客様も高級ピアノを持っている方が多かった。

ピアノ屋になるまでは、ピアノというのはただの黒い箱だと思っていた。まあ、もっとも、ピアノ屋になるぐらいだから自分自身も楽器は好きで、世の中の普通の人よりも楽器については知っているつもりだった。けれども、ピアノ屋になってみて、自分がいかにピアノについて知らないでいたかを思い知った。アップライトピアノとグランドピアノの違いはわかるとしても、それ以上はほとんど知らないも同然だった。

例えば、グランドピアノにはアリコート弦というものがある。これは、ハンマーでは叩かれない弦のことで、倍音を共鳴させるためだけに張ってある。アリコート弦として、「4本目の弦」を実際に張っているのは、ドイツのブリュートナーという会社のピアノなのだが、ブリュートナーの「4本目の弦」方式以外に、この「アリコート」という不思議な方式は、世界中のグランドピアノで採用されている。

もし、グランドピアノを見る機会があったら、高音弦の張ってあるところを見てみてほしい。調律するピンに弦の張ってある鍵盤側ではなくて、ピアノの響板側の方を見てみると、金属のフレームから飛び出した杭のようなものに弦が引っかかっていて、その手前の銀色の出っ張りのようなまくらに弦が乗っかるように張られている。このまくらに乗っかった箇所から、もう少し鍵盤側にもう1箇所弦が乗っかっている「ブリッジ」という棒のようなものが見えるだろう。このまくらと、ブリッジの間の弦は、鍵盤を押してもハンマーで叩かれることはないのだけれど、ピアノを鳴らしている時、この間の部分が常に共鳴している。そのことによって、ピアノの音色に高次倍音が加わり、複雑で煌びやかな音色になるのだ。これが、「アリコート」という仕組みで世の中のグランドピアノの7割以上はこの方式を採用しているのではないだろうか。

我が家にある、ベヒシュタインというメーカーのピアノは長い間ずっと、このアリコートという仕組みを採用してこなかった。それどころか、この部分が共鳴しないように、フェルトで押さえてある。アリコートを採用しないと、余計な高次倍音が混ざらないので、どこか素朴で儚い響きになる。ヨーロッパのピアノは、個性的なメーカーが多くて、お互いにあまり真似をしないで楽器作りをしてきたという背景もあって、古いピアノはこのアリコート方式を採用していないメーカーが多い。

逆に、アリコート方式で有名なのはスタインウェイだ。この方式を発明したのは、たしかスタインウェイじゃなかったかしら。スタインウェイではこれをアリコートと呼ばずに、デュプレックス方式と呼んでいる。スタインウェイピアノは、それ以外にも様々な方法で高次倍音を共鳴させ、あの重厚でいて、凛としたピアノの音色を作り出している。その、複雑な高次倍音を共鳴させるさじ加減は、秘伝のレシピのようなもので、そっくり同じ設計で作っても、なかなかスタインウェイのような音にはならない。

我が家のベヒシュタインは(写真のピアノはベヒシュタインではなくSchimmelというピアノです)、その全く逆の発想で作られていて、共鳴弦によって高次倍音を付加するのではなく、弦のテンションと長さの取り方により、複雑な倍音構成を実現している(らしい)。話すと長くなるので割愛するけれど、アリコート方式一つを取っても、ピアノの作りはそれぞれに工夫と個性がある。

その中でも、最もアグレッシブな工夫(まあ、100年以上前の技術だけど)を凝らしたピアノ、スタインウェイが今となっては、ピアノのスタンダードになってしまった。

近年作られた多くのピアノを見ていると、どれもこれもが、スタインウェイの技術を真似して作られていて、どうもつまらないような気持ちになってしまうのは私だけだろうか。

しかしながら、いくらスタインウェイの技術を採用したからといって、スタインウェイの音になるわけではない。実際は、そこからが楽器造りの勝負なのだ。これは、カタログやホームページに書かれたスペックからは読み取れない世界なのだけれど、その、同じ音にならないというところが楽器にとって一番大切なことなのだ。

多くの、メーカーがスタインウェイの技術の真似をしている、と書いたが、だからと言って、スタインウェイの音を真似しているというわけではない。倍音の乗せ方は、先ほど書いた通り秘伝のレシピである。同じハイテク調理器具を使っても、レシピが違うと味が違うように、ピアノメーカーによって、音色は様々である。

悲しいことに、ただ、スタインウェイの後を追ってコピーしているだけのメーカーも沢山ある(どことは言わないけれど)。けれども、一流ブランドのピアノを弾くと、どれもが、スタインウェイの技術を借用しながらも驚くほど味付けが大きく違うことに気づくだろう。もちろん調律や、その他いろいろなファクターが介在するので、聴きわけるのは難しいのだけれど、一流メーカーのピアノにはそれぞれ、どんな音のピアノを作りたいかの哲学がある。

この、音作りの哲学というのが、実際は楽器造りで一番大事なことで、設計や製造技術はその後についてくるものだと思う。

なんで、今日こんな話を書いたかというと、帰宅して、書斎に置いてある楽器を見ていて、ふと、自分はなぜこんなに同じような楽器を何台も所有しているのかと思ったからである。

そうか、私は、哲学を傍らに置いているんだ。と、わけのわからない納得のしかたで、自分の収集癖を正当化してみるのである。

家のベヒシュタインを調律してもらった

昨年の5月にベヒシュタインの古いグランドピアノを家に迎え入れた。それで、うちの貯金は全て使い果たしてしまった。そういうわけで、我が家には住宅ローンやら、楽器のローンやらだけが残った。

確かにお金は無くなったが、心は満たされた。

しかし、ピアノというものはメンテナンスをしなくては、どんどん劣化するものである。逆に、メンテナンスさえ怠らなければ、うちのピアノのように120年後にも楽器としての役目を果たせるのである。

しかし、悲しいかなピアノを買ってお金に窮してしまい、1年ほど調律ができなかった。北の国から運ばれてきた私のピアノは、東京の湿度にやられピッチがどんどん上がってきてしまい、ついには447Hzぐらいに狂ってきてしまっていた。これでは、ピアノを常に痛みつけているような状態だ。

これではピアノが壊れるのが時間の問題なので、清水の舞台から飛び降りる気持ちでピアノを調律してもらった。

ピアノをずっと調律できないでいたのには、お金以外にもう一つ理由があった。うちのピアノは1896年製ということもあり、すでにボロボロでいつ壊れてもおかしくない。そのようなピアノを調律したりすると、壊れてしまうのではないかと心配だったのだ。

響板には幾つもの割れがあり、アクションは元気なのだが、フレームにヒビが入っている。このフレームのヒビが気になってしまい、このピアノを調律すると、このヒビがさらにひどいことになるのではないかと危惧していて、ずっと触らずにいたのだ。また、そのようなピアノを快く調律してくれるような調律師がいるのか、ということも心配だった。

しかし、一方ではピッチが5ヘルツも上がっている。このままではピアノに負担がかかりすぎて、ピアノがダメになってしまう。

困った挙句、餅は餅屋だろうということでベヒシュタイン・ジャパンに電話をかけ、調律師さんにとりあえず来て診てもらうことにした。

こうこうこういう状態なのですが、ピアノ、調律していただけますかね?もし、来てみて、これはもうダメだということであれば、何もしないで帰っていただいても構いません。と、ダメ元でお願いしたら、調律師さんは

大丈夫です。ピアノは、持ち主が諦めない限り、いつまででも寿命を延ばすことはできます。お金がかかる場合もありますが、諦めなければ、ピアノはゴミにはなりません。ましてや、ベヒシュタインという名器をお持ちであれば、諦めずにコツコツメンテナンスすれば、必ず、良い状態を保てます。

と言ってくれるではないか。

それでは、ということで、調律に来てもらった。

午後の1時半から何時間もかけて、じっくり調律してもらった。調律だけでなく整音もしてもらった。440Hzにしてもらったから、7Hz下げである。調律を3回したという。

ピアノは、また蘇り、元気を取り戻した。もちろん、120年前の楽器である。色々とガタはきている。御老体である。新品同様とはいかない。けれど、雑音していたところも、できるだけ雑音を消してもらい、音色のバランスも整えてもらった。以前よりも、鍵盤の押さえ方に対して敏感に反応するようになった。

このピアノは、元ピアノ屋稼業の私にとって特別な一台なのだ。そして、我が家の大切な宝物なのだ。

これから、時々は練習して、いつかErroll GarnerのMistyを弾けるようになりたい。そこまでいかなくても、弾いてみたい曲は幾つかある。

この、外出自粛の中、私の心を癒してくれるのは一台のBaby Grandなのだ。

偉大なるホラ吹き家系

あるピアニストのリサイタルに行った。

とても、個性的な演奏をするそのピアニストのリサイタルがあるということを知ったのはつい数日前のことだった。それから、チケットをとり、滑り込むようにリサイタル会場に着いた。

とても個性的なピアニストで、元の曲のイメージが大きく覆るような演奏だった。個性的でありながら、妙な説得力があり、特に冒頭のスカルラッティが美しく、奇抜だった。いや、この場合奇抜という言葉は的確ではないかもしれない。そこには、奇抜さを超えた個性があり、その個性はひょっとするとスカルラッティの曲が元々持ち合わせているものなのではないかと思うほど、いびつな形で曲の中に収まっていた。

私は、音楽の専門家ではないので、それをどのような言葉で表現すべきなのかを戸惑っているのだけれど、今まで聞いたことのある、可愛らしく、明るく、明朗なスカルラッティではなく、饒舌で、愛嬌があるのだが愛想を振りまいていない、常人の解釈では咀嚼できないスカルラッティを聞くことができた。

プログラムのメインはリストのロ短調ソナタだった。

リストのロ短調ソナタは一楽章のみで構成されていて、かつ、ものすごく長大でダイナミックな曲であるため、自宅の書斎で独り聴くにはすこし大曲過ぎるような気がして敬遠してきたのだが、このコンサートで聴くとその表情の豊かさも手伝い、初めから終わりまで飽きることなく、スリリングで、堂々としていて、心地よさとは少し違った満足感が得られた。私は、このコンサートの鮮明な印象をこの先しばらくは忘れられないであろう。

そのあと、自宅に帰ると、翌日の娘の運動会を見に、北海道の実家からはるばる両親が上京してきていた。

両親が来るのは、運動会当日の朝だと思っていたので、少し面食らってしまった。

両親は、私の自宅の古いベヒシュタインのピアノを見て、そのピアノの出自を知っているという。私が帰宅するや否や、私の父は矢継ぎ早にそのピアノにまつわるストーリーを話し始めた。北海道に戦前に渡ってきた宣教師と、彼の教会が取り壊されるまでの半世紀以上にもわたるストーリーを。

まるで、私がこのピアノに出会う前から、彼はそのピアノの存在を知っていたかのような、自信に満ち溢れたストーリー展開に私は圧倒され、時に涙し、耳を傾けた。

しかし、その話が嘘であることを私は知っていた。

このピアノは、1990年代のバブルの時期に、成金趣味の結婚式場に使われていたチャペルに置いてあったことや、その後その教会が取り壊されある調律師の手に渡ったことも。

しかし、父の話すストーリーには妙な説得力と、構成の妙味が加わり、愛嬌がありロマンチックに響いた。だから、そういう夢のようなストーリーを信じてもいいのではないかとすら思った。彼の夢を壊してはいけない。このピアノがいかに価値のあるものなのかについての彼の中での構築を崩すのはたとえ親子とはいえ憚られた。

ただ、私はそのような幻想のためにこのピアノを所有しているわけではない。ピアノのコンディションや、ハンマーの減り具合、鍵盤の触った感じ、外装のやつれ具合から、もっと大きな愛の物語をこのピアノから見出して、私はこのピアノを手元に置くことにしたのだ。北海道の歴史や、それによる歴史的価値のようなそういったくだらないことのために所有しているわけではない。

古い楽器は、楽器そのものが語ってくれるストーリーがある。そのストーリーの方が、想像上の歴史的背景なんかよりもずっと説得力がある。楽器の専門家ではない父は、そこまで頭が回らなかったのだろう。

結局、父も私も、このピアノを通して、それぞれのストーリーと背景を想像したにすぎない。真実について、私は詮索しようとはしていない。真実や事実よりも、このピアノそのものが持つ少ない情報から、体の良いロマンチックでいて現実味のない自分だけのストーリーを持っていたいのだ。

その、なんの根拠もないストーリーたちのために、私は数多くの楽器を手元に置いているのかもしれない。

ピアノのT Shirtを作った

ベヒシュタインのピアノが自宅に来たことがあまりにも嬉しくて、C. BECHSTEINのT Shirtを作った。つまのと、じぶんのを一着ずつ作った。オリジナルTシャツって、案外簡単に一着から作れるようなのだが、これが結構良い値段する。一着4,500円ぐらいかかってしまった。一応、生地もそこそこ良いのを選んで作ったのだけれど、サンプルも何も見ずにいきなり出来上がりだから、いろいろと反省すべき点もある。もっとプリントを上に入れたほうがよかったのではないかとか、写真も左右でもうすこし調整すればよかったのではないかとか。

しかしながら、出来てしまったものは仕方ない。

うれしくて、早速着てみた。こういうT Shirtは本当はメーカーの人が作るべきなのだろうけれど、ピアノメーカーのお客さんはあまりT Shirtを着る人がいないのか(クラシックのピアノの先生がT Shirtを着ているところをあまり想像できない)、メーカーは作っていないようだ。

そういえば、日本だけなのかもしれないけれど、ピアノってどうしてもお稽古事として嗜まれる方が多いようで、なんだかT Shirtというスタイルが似合わないのかもしれない。これがエレキギターの皆さんは、T Shirtというとしっくり来る。

けれど、私はそういう「先生」がいるような世界ははっきり言って苦手だし。そういう堅っ苦しいことを抜きにしてピアノという楽器を楽しんでも良いのではないかと思う。なにも、みんながコンクールに出たり、ベートーヴェンを弾けたりする必要はないと思う。特に私個人に限って言えば、人にモノを習うということがものすごく苦手で、自動車の教習所でもダブりまくって、ひとの3倍ぐらい時間をかけて大型二輪の免許を取ったりしている。誰か先生に習ったほうが上達できて嬉しい、楽しいという方がいるのはもちろんわかるけれど、楽器というものは元来、そういう「お稽古」でやらなくても結構楽しめるものなのだ。

自慢ではないが(いや、自己満足という側面では自慢だが)私はエレキギターも、ピアノもほぼ我流で楽しんでいる。厳密に言えば、ピアノは幼少の時習っていたこともあり、「プライマリー」とかいうのが家にあったけれど、「バイエル」とかいうのは全く弾いた覚えはない。一つ覚えているのはピアノの先生に顔をあわせるのが嫌で嫌で仕方なかった。何か曲を弾いたという記憶が全くない。ただ、ドミソ、だとかそういうのを弾かされた覚えはある。とにかく、そういうのがあったせいで、ピアノという楽器が大っ嫌いだった。

エレキギターも、厳密に言えば、先生に習ったことがある。オーストラリアの高校で月に何度かギターのレッスンを受けることができて、私はそれを受けていた。先生はローカルのロックバンドのギタリストで、ギターショップのオーナーだった。良い先生だったが、先生からギターの弾き方を教わった記憶はほとんどない。毎回先生とギターについて語り合っていた記憶だけしか残っていない。あとは、ひたすらジャムセッションをしていた。

そういうこともあり、楽器を人に習うということにはあまり肯定的ではない。そりゃあ音楽家を目指そうとか、ピアノを弾いて金を稼ごうと思っている方は、そういうのを我慢して大いに先生に習えば良い!どんどん盛んにやってくれ!

けれど、私はこれまでも、これから先も人前でピアノの演奏をするようなことはないだろうし、そういうことを望んでもいない。純粋に、ピアノを触っていて面白いと思うのだ。ちょっと弾きたい曲のさわりの部分だけ弾けるようになって嬉しい。歌のコードを拾うのにピアノがあって嬉しい。演歌やら、カントリーの名曲を弾き語りできて嬉しい。そういう為にピアノがあればそれで良い。

世の中には、そういう気軽にピアノと向き合うという関係があって良いと思う。先生について、上達するだけがピアノの楽しみではないのだ。みんなと同じ「ツェルニー」だとか「ソナチネ」だとかを一生懸命やる、高校の勉強みたいな楽しみ方しかない世の中には生きていたくない。そんなもの一生弾けなくても、ピアノでブルースの弾き語りはできるわけだし、練習すればロックのリフを弾けるようにもなるだろう。

そういう、カジュアルなピアノとの付き合い方への第一歩として、ピアノT Shirtを作ってみた。

そのシャツを着て今日は、友人を家に迎えた。彼女は私の学生時代のサークル仲間のピアノ弾き。相変わらず、パワフルにピアノを弾いていた。マッコイタイナーなんじゃないかというほど、ドスが効いたピアノだった。東京の下町の夕刻にピアノの音色が響き渡った。

彼女のように、ピアノを自由自在に弾けるようになれると楽しそうだなぁ、と思いながら、私は隣で、ギターをかき鳴らした。思えば、今日は昼からカントリーのバンドの練習もあって、久しぶりにギターを弾いた気がした。

楽器と、もっとゆっくりリラックスしてお付き合いできる時間ができれば、良いのになあ。。

Our little old C. BECHSTEIN V

今日は、体調がすぐれなく仕事を休んでしまった。

この季節は、どうも体調を崩しやすいので気をつけなければならない。体調を崩してしまわないように大事を取った。これで良かったのだろうか。良かったことにしよう。

それで、一日中家にいたのだが、退屈なのでリビングのピアノの写真を撮った。カメラは、雨漏りの中でなんとか生き残ったミノルタフレックス。私が学生時代に札幌で購入した6x6の二眼レフ。なかなか渋い写りのレンズが付いている。

本当なら、こんな写真を撮る暇があったらピアノを練習する方がいいのだが、今日はその気力もわかずに、写真のプリントだけして、休んでいた。

6x6は難しい、と色々な方に言われるのだけれど、それは、きちんとした写真を撮ろうとするから難しいということだろう。こうやって、パチリパチリと撮っている分には、構図とか何にも考えなくても取れるので楽なカメラである。

 

妻がピアノを弾く写真をプリントした C. BECHSTEIN V

写真を撮るのと、モノクロプリントが趣味だったので、自宅の物置に水道を引っ張って暗室にしている。しかし、困ったものでここ数日の雨にやられて、暗室が雨漏りするようになってしまった。

暗室の床に置いてあった印画紙が全て水に浸かってしまい、かつてプリントしたプリントも全て水に浸かってしまい、私にはポートフォリオらしいポートフォリオが全くなくなってしまった。そもそも、たいしてポートフォリオらしいものはなかったのだけれど、これはこれで悲しいもんである。

水に浸かってベタベタにくっついてしまった古い写真を全て燃えるゴミに捨てた。手元に残っていたネガファイルも、いくつかは水害に遭いダメになってしまった。何よりもこれが寂しい。

カメラも何台かは水害に遭い、カビが生えた。

カメラというものは元来水に弱い。水害にあってしまうと、終わりである。ここ数年、全く使っていなかったカメラとはいえ、かつては欲しくて欲しくてたまらなかったカメラたちである。ものすごく悲しい。ほぼ、立ち直れないでいる。フイルムで撮影する写真というものは、現像やプリントに大量の水を必要とするのだが、同時に、水にとても弱いのだ。

仕方が無いので、それらの写真とカメラの供養に、妻がピアノを弾いている姿を写真に収めた。カメラは水害の中でかろうじて生き残った1920年代(40年代だったか?)のプラウベルマキナ。それと、同じく20年代の6x9の蛇腹カメラである。蛇腹カメラには100ミリのアナスティグマートがついている。この二台は、かなり古くてボロボロなのだけれど、修理してガンガン使っていた。だから、床よりも2〜3cm高い場所に置いてあって、カビの被害も少なかったので、なんとか使うことができた。

このカメラで、妻が私たちの家宝ベヒシュタインを弾いている写真を撮ってプリントした。雨漏りした暗室で。

プリントに使った印画紙は、箱にカビがびっしりついていたのだが、ビニール袋の中はなんとか無事だったのがあったので、それを使った。高い印画紙だったのだけれど、供養だと思い使った。

妻は、休みの日にちょこっとだけベヒシュタインを弾いている。私もすこし触るのだが、ピアノというのはどうやら難しい楽器のようで、ちっとも上達しない。誰かに習えば良さそうなものなのだけれど、私は元来ひとにものを習うことが苦手なので、楽譜とにらめっこしながら、一音一音拾うようにして鍵盤を押さえている。この調子では、10年かかっても童謡も弾けるようにならないだろう。今まで、努力というものから逃げていた自分への戒めだと思って、ピアノに向かっている。

私と、ピアノの対話ができるようになるのはいつになるのだろう。

ボロ家に鎮座する hof-lieferant sr maj des kaisers und königs

私の自宅のリビングにはhof-lieferant sr maj des kaisers und königsと書かれたグランドピアノが鎮座している。

hof-lieferant sr maj des kaisers und königs、外国語はよくわからないけれど、王室や、皇帝、皇族への納入業者です、とでも訳そうか、そんな意味合いであるだろう。

このhof-lieferant sr maj des kaisers und königs、と書かれたピアノはカール・ベヒシュタインが創業したピアノメーカーのC. BECHSTEIN社のピアノなのだけれど、ベヒシュタインと言っても、ピアノを弾いている人も名前を聞いたことがあるような、無いような感じだろう。王室御用達のピアノというのも、なんだかありがたい響きだけれど、この「王室御用達」というフレーズはピアノメーカーが好き好んで使っていて、なにもベヒシュタイン社に限ったことでは無い。だから、実のところそんなにありがたくは無いのかもしれない。

ドイツのピアノメーカーでも、シンメル社だって王室御用達を謳っているし、私は触ったことは無いけれどレーニッシュ社(王族ではないから触ったことなくてもしょがないか)もそうだと聞いたことがある。

よく考えてみれば、キッコーマン醤油だって、TOTOの便器だって、トンボ鉛筆だって皇居で使われていれば「皇族御用達」と謳えるのだし、なにも騒ぐことでは無い。けれども、ピアノメーカーはなぜこんなにそれを強調するのだろう。

近年のベヒシュタイン社のピアノにはhof-lieferant sr maj des kaisers und königsと記載されている代わりに王冠のマークが付いていて、それが「王室御用達」という謳い文句の代わりなのかもしれないけれど、もしかしたら、今は王室への「公式納入業社」ではなくなってしまったから、仕方なくそうしているのかもしれない、などと余計な勘繰りをしてしまう。

それでも、ピアノという楽器はなぜかそういう「ありがたみ」みたいなことが大切なのかもしれない。これが、エレキギターやら、ドラム、シンセサイザーであったら、王室で使われているとなんだか、ちょっと「ヒップでない」とおもわれてしまいマイナスイメージになってしまいそうなもんだが、ピアノは未だにそうでは無いようだ。そういう、ちょっとカッコよくないセールスポイントを背負った楽器であるのだが、このベヒシュタインという楽器はそれでいてなかなか味わい深い楽器なのである。

楽器は、誰が使っていようと音が良ければいいのであって、弾きやすければ良い。ただそれだけで充分である。欲を言えば見た目がカッコ良ければなお素晴らしい。私なんかは、もう、ほとんどその3つだけで楽器を選んできた。これは、当たり前のことのようだけれど、なかなか難しい。

音が良い、というのは絶対的な感覚ではなくて、人により千差万別であるから、何をもってして音が良いとするかははっきりとしていない。私にとって、良い音のピアノという尺度はぜんぜんはっきりしていなくて、正直どんな音が良い音なのか、自分の好きな音なのかわからないでいる。あえて言うと、「嫌いな音のピアノ」というものだけははっきりしている。「嫌いな音のピアノ」は冷たい音のするピアノである。

はじめて自宅にピアノを買おうと思ったとき、最初はヤマハのグランドピアノを買おうと思って店に行った。何台か小さいのやら、中位のやつを見たけれど、それらはなんだか業務用の機械のような見た目で、まさにピアノの先生たちのための「仕事の道具」にしか見えなかった。「仕事の道具」というのは、ライカのカメラやらアクアスキュータムのトレンチコート、モンブランの万年筆など、元来カッコ良いものなのだが、ヤマハのグランドピアノにはそういう魅力を感じなかった。ヤマハのあれは、もっと真面目な世界のものなのだろう。例えば、トンボ鉛筆とか、キャノンのカメラみたいにデザインに遊びがなくて、本当に実用一辺倒の道具なんだろう。それで、私はこれからピアノに真剣に取り組もうというわけではなかったので、そういうのは買うのをやめて、シンメルのアップライトピアノを買った。

ヤマハのグランドピアノを買わなかったもう一つの理由は、音に魅力を感じなかったからだ。まっすぐ真面目な、よく聴いたことのあるような「冷たいピアノの音」がした。ほんと、グランドピアノにしなかった一番の理由かもしれないけれど、あの音のピアノがあっても、きっと練習しないだろうな、と思った。弾いてて、なんだかニヤニヤするような音が出てくれなかったのだ。

じゃあ、シンメル社のアップライトピアノが、弾いていてニヤニヤするような音が出たのか、といえば、それはよく覚えていないのだけれど、ヤマハのグランドピアノより少し不器用で、素朴な音がしたのを覚えている、暖かい音がした。「なんだかピアノって可愛い楽器だな」と思わせられる、見た目と音に惚れた。

私は、これまでも、これから先も、人前でピアノを演奏するようなことは無いだろう。もう、純粋に、自分の家で楽しみのために弾く楽器である。だからこそ、どこにでもあるようなものではなく、ちょっと特別なものが欲しかったのだ。

私の自宅の”hof-lieferant sr maj des kaisers und königs”もそういった楽器だ。音は、大げさすぎることなく、ちょっと素朴でいて、可憐で、上品。これ以上の何を望むのか、というほど私はその音色を気に入っている。そして、なんとも存在感のあるルックスも素晴らしい。ほかの楽器に比べて弾きやすいのか、弾きづらいのか、その辺りは詳しくはわからないのだけれど、

そういうものが、私の自宅のような、下町のボロ家にあっても良いものなのか、と今でも思っているのだけれど、こういうものだからこそ、「仕事の道具」としてではなく、私のような楽器愛好家の手元にあったほうが良いのかもしれない。

「王室御用達」というちょっと田舎くさい肩書きを持った、この愛おしい楽器を傍らにおいて、王室や皇族の手元にあるよりももっと大切にしてやらねば、と日々思っているのである。

My Baby Grand’s been good to me.

憧れのピアニストがやってきた! C. BECHSTEIN Vを弾きに。

10日ほど前に、我が家にベヒシュタインのグランドピアノを迎え入れた話は数日前に書いた。とても愛おしいピアノである。1896年製だから、モダンピアノではあるのだけれど、もはや古楽器の領域にありそうな年代ものである。今までとても大切にされてはきているのだが、当然、いろいろなところにガタがきている。もう数十年前(ひょっとすると50年以上前)にオーバーホールされた形跡があって、そのとき弦も交換されているようだが、それからすでに長い月日が経っている。これからはそうとういたわってあげないと、すぐにでも壊れてしまいそうだ。

早速、書斎で使っていた除湿機をピアノのあるリビングに持って行った。これでなんとか湿度は50%〜60%に落ち着いた。湿度がおちついたとしても、なにせ古いものである。すでにピン板の表面にも、響板にもいくつものクラックがある。あまつさえ、フレームにも小さなヒビが入っている。本当に、心配である。家族のうちの誰かが体が弱く病気がちであるのと同じぐらいか、そのくらい心配である。

それでも、楽器である。演奏しないことには、コンディションが保てない。弾いていないと、ちょっとした楽器のコンディションの変化に気づくことができない。だから、できるだけ毎日弾けばいいのだけれど、仕事から帰ると疲れ果てて、ピアノを練習する気力が湧かない。

そもそも、我が家にはピアノを弾けると胸を張って言える人は一人もいない。娘は全く音楽に興味がないのかもしれないし、妻も、結婚してからピアノに向かっている姿は2度ほどしか見たことがない。これでは宝の持ち腐れである。

それで、とても困ったもんだと思っていたのだけれど、私の好きなジャズピアニストの方に、うちに古いベヒシュタインのグランドピアノが来たと自慢したところ、自宅まで来てくれた。

憧れのピアニストである。

もう、5年ほど前だろうか、それとももっと前だろうか。私は学生時代の友人、佐野大介さんのライブを聴きに行った。そのときは彼と会うのも、10数年ぶりである。ジャズのドラマーになったという話を別の友人から聞きつけ、それではライブを聴いてみようと思い恵比寿のライブスペースに行った。

彼のバンドでピアノを弾いていたのが、彼女だった。小柄で可愛らしいのに、ピアノはパワフルで、ダイナミック、それでいて、まだ少し不器用さが残るジャズピアノを聴かせてくれた。不器用さというのは、正しい表現ではないかもしれない。ものすごく上手いのだが、どこかジャズになりきっていないというか、ジャズに染まっていないスタイルだった。

それから2年ほど、彼女のライブにはほとんど足を運んだ。幸い、妻もよく理解をしてくれていたのか、呆れていたのかわからないけれど、月に5回ぐらいはライブを聴きに行った。

一度、佐野さんと彼女が代官山のレストランでライブをやったときに、妻を連れて行った。ライブの後、佐野さんと彼女に妻を紹介した。妻とは学生時代からの仲なので佐野さんは妻をよく知っているのだけれど、ピアノの彼女とは初対面であった。

娘が生まれたとき、彼女のような素敵な表現者になってほしいと思い、彼女の名前を拝借した。

その、ピアニストが私の自宅で、ピアノを弾いてくれた。彼女がピアノを弾いている間、娘はひたすらお土産でもらった紙相撲に白熱していた。きっと、うちの娘は大物になるだろう。

佐野さんのライブで彼女のピアノを初めて聴いたときから、彼女の演奏スタイルはどんどん進化しているのだろうけれど、はじめに聴いたときにすでにスタイルは出来上がりつつあったし、この5〜6年でメキメキと頭角を現してきている実力派のアーティストになった。パワフルさやダイナミックから、もっと洗練されたタッチになったと感じ、いや待てよ、もともと彼女はこういうタッチだったかもしれんなどとも思った。

横浜モーションブルーでの自身のバンドのワンマンライブ、たくさんのライブハウスでのサックスとのデュオでのライブ、ミュージカルのバンドでの国内外での演奏、など多岐にわたる活動で彼女の音楽の幅は確実に広がったのだろうが、初めに聴いた頃も、ジャズのスタンダードならどんな曲でもサラリと弾いてしまう多彩さはあった。そうだった、初め聴いたときから凄かったのだ。

書斎のRhodesも弾いてもらった。このいつもいじっているRhodesから、こんなにもそれっぽい音が出るんだということを知って、驚いた。私のローズで素敵な曲を弾いてくれた。「素敵な曲ですね。誰の曲です?」と私がたずねると、「今テキトウに弾いてみただけです」と彼女は答えた。

最後に、一曲ベヒシュタインで、私の好きな曲My Foolish Heartを弾いてもらった。間近で演奏を聴けるのはもちろん、わたしにとって特別な体験だけれど、それにも増して、My Foolish Heartって素敵な曲だな、としみじみと感じた。

このピアノが、さらに特別な楽器になったような気がした。彼女のように自在にこの楽器を弾きこなせなくても、せめて、My Foolish Heartのさわりの部分だけでも弾けるようになりたい。そう思っている。

妻がピアノを練習しているところ、初めて見た

我が家には、楽器が沢山ありまして、そのわりに誰も大して楽器の演奏は得意ではない。

我が家にはと書いたが、まあ、ほぼすべての楽器は私が購入したものなので、楽器を弾かねばならないのは私自身なのだけれど、私自身あまり楽器を一生懸命弾いたりはしていない。

ここ10年ぐらい、楽器関係の仕事をしているもんで、商売柄日々素晴らしい楽器に出会うことが多い。仕事だけでなく、実はアマチュアのバンドにも所属しており、そこでカントリーミュージックを演奏している。これだけ聞くと、さぞ何か音楽を盛んに演奏してそうなのだけれど、私自身何か得意な楽器があるかというと、特にこれといって盛んに演奏できるよな楽器はない。

中学2年の頃に、エレキギターというものを初めて手にして、それ以来ギターは爪弾いたりはしているのだけれど、ここ10年以上ちっとも上達していない。むしろ、ギターの腕は落ちている気がする。とても、人前で披露できるようなレベルではない。よく、いろいろな方に会うと、「楽器、音楽の方はからきしダメで」とか言っている人に限って、ちょっとギターを持たせると「神田川」なんかをそこそこ上手いこと弾けたりするもんだが、私は「神田川」すら上手いこと弾けない。それこそ、「神田川」ぐらいいざという時のために練習しておけば良いのだけれど、それが悲しいかな練習しとけば良いような曲はちっとも練習できない。なんとなく、やる気が続かないのだ。

けれども、音楽というものは人一倍好きで、実家の両親なんかはちっとも理解してくれないのだけれど、高校の頃から演歌でもオペラでも何でも好きで聴いていた。高校時代は街に良いコンサートホールが出来たばかりで、高校の先生から演奏会の招待券なんかをもらったり、時々はお小遣いを工面して自分でチケットを買ったりして、そのホールに足繁く通っていた。ジャズのライブにも何度か行ったりして、ジャズの詳しいことはわからないながらも、ジャズというのはどうも心を震わせる音楽であるなぁなどと感じていた。

大学生になり、迷わずモダンジャズ研究会に入り、本格的に楽器を演奏してやろうかとも考えたことがあったが、選んだ楽器がよくなかった。トランペットを選んだのだが、トランペットっていう楽器はそれ自体とても難しい楽器で、ちっとも思うように音は出ないし、音程を取るのも、指使いも難しい。それで、すぐ挫折して、ギターに専念すればよかったのだろうが、結局幽霊部員になってしまい、楽器の練習からは遠のいてしまった。

今考えてみれば、大学時代にきちんとギターを練習していれば、それなりの腕前になったかもしれないのだが、あの頃はギターを練習するということが、一体どのようなことをすれば良いのかがわからずに、結局ちっとも練習せずじまいで長い大学生活は終わりを告げた。

それから、サラリーマンになって、にわかにギターを買い集めるようになった。初めは、つまらない社会人生活のはけ口と言えば良いのだろうか、ストレスの解消の一環として、B級ヴィンテージギター(グレッチとか)を買い集めていたのだけれど、新卒の安月給ではギターなんか買っているとすぐに破産してしまうので、何度も危ないところだった。

新卒では結構堅い会社に入って働いていたのだが、結局5年も務めるまえにやめてしまい、楽器に関わる仕事に就いた。楽器屋というところは、とにかく給料が少なくて、新卒の安月給をさらに下回る、超安月給、東京都の決められた最低賃金よりも数段低い条件で働いていたのだが、それ以来、本当に安い月給、ボーナスなしの職場で今まで働き続けている。今考えてみれば、新卒で入社した時が一番年収は高かったかもしれない。

今の職場でも、サラリーマンをやっているのだけれど、何でこんな給料でここまで働かされているんだと思うような仕事である。今の倍もらったところで、高校の同級生たちの年収には遠く及ばない。それでも、自分の好きな楽器業界で勤めているのだから、仕方がないと半分諦めに似た気持ちで働いている。

そんな、私の生活を支えてくれているのが、妻だ。

彼女は、これといって音楽が好きというわけでもなく、楽器も嗜むわけでもないのだけれども、私が音楽やら楽器が好きだということは人一倍理解してくれていて、世界の誰よりも、そんな私を応援してくれている。私が楽器屋で働くようになって以来、パートに出て働いて我が家の生活を支えてくれている。我が娘も、そんな母親の姿を見て、私の楽器道楽をどうもよく理解してくれているようだ。

今回、古びた、壊れかけた120年もののベヒシュタインのグランドピアノを家に受け入れることを快く了解してくれた妻に感謝しなくてはいけない。彼女がピアノを弾いているところを見たことはほとんどないのだが、全く弾いたことがないわけでもないらしく、ハ長調、イ短調の曲であれば、臨時記号が少なければ初見である程度弾ける。というぐらいの腕前を持っているということが本日判明した。とはいっても、腕前はバイエルぐらいで止まっているようなのだが、バイエルもなにもやったことがない私にとっては、師匠のようなレベルである。

この、古いピアノを買うにあたって、家の貯金をすべて使ってしまったということもあり、私だけでなく、家族みんなにとって、このピアノは家宝である。妻も、大変気に入っているようで、とても珍しく、今日は妻がこのピアノで、練習をしていた。

我が家では珍しい、楽器を練習する風景である。

楽器道楽の私でさえ、滅多に人に見せない楽器を練習する姿である。

楽器とは、生活に潤いを与えてくれるものであることを、ひしひしと感じている。良い楽器は、人の心を豊かにするのである。だから、楽器とは上手い下手だけで語れるものではないのだと思う。

美しい時間を授けてくれたベヒシュタインと、妻に感謝。