仕事人が作った名盤「The Warm Sound」

トランペットのワンホーンカルテットの名盤は案外少ない。大抵は、もう一人サックスやトロンボーンが入っていて、ソロを回している。

サックスのワンホーンものはそれに比べたら少しは多いかもしれない。これは、トランペット好きとしてはなんとなく寂しい。トランペット一本でも十分フロントは務まるのだけれど、どうも世の中はそれだけでは満足しないような気分になる。

ライブ盤のワンホーンカルテットは比較的多いのだけれど、スタジオ盤となると、少なくなる。マイルスデイヴィスなんかは、結局ワンホーンカルテットのアルバムを作らなかったんじゃないか?いや、もしあったらごめんなさい。私のレコードラックにはマイルスのワンホーンもののアルバムはなかった気がする。

マイルスの場合は、テナーサックスとのハーモニーを使ってまるでオーケストラのような世界観を出すこともできるということもあって、あえてワンホーンもののアルバムを作らなかったのかもしれない。マイルスとコルトレーンのクインテットは、その代表例だ。いつも素晴らしい。

何年も前に、雑誌の記事で読んだのだけれど、オールマンブラザーズがデュアンオールマンと、ディッキーベッツのツインリードギターにしたのは、マイルスとコルトレーンを意識したからだとのことだった。オールマンの場合は、マイルスとコルトレーンともまた違ったレイドバックしたギターの絡みが面白いんだけれど、まあいいか。今日はそのことについては書かないでおこう。

そんな、数少ないトランペットのワンホーンカルテットの名盤を一枚紹介したい。いまさら紹介するようなアルバムでもないけれど。

ジョニー・コールズのリーダー作「The Warm Sound」。これが、なかなか素晴らしい。ピアノのケニー・ドリューもいい味を出している。

ケニードリューは、サックスワンホーンものの、デックスとかのアルバムでいい仕事をしているから、トランペットのバックでも手馴れたもんである。ケニードリューのピアノは、とくに特別なことはしないのだけれど、安定しているからいいのだろう。この人はいつも安定していて、ピアノトリオでも、危なげがないので、どうもわざわざレコードを買ってじっくり聴く気になれなかったりするのだけれど、あらためて聴いてみるとこれが、まさに理想的なジャズピアノでないか!

アルバム「The Warm Sound」に戻って、ここでのジョニー・コールズのトランペットをじっくりと聴いてみたい。ジョニーコールズはほとんどヴィブラートをかけない。マイルスデイヴィスもほとんどかけないけれど、50~60年代の流行りなのだろうか。チェットベーカーもヴィブラートはあまりかけない。ヴィブラートをかけないでジャズを吹くと、どこかモダンな雰囲気がただよってくる。逆に、40年代からのスタイルは、ヴィブラートをかけまくるからだろう。

ハーフバルブを多用するところもマイルスのようだ。トランペットの音はマイルスの音に似ているのだけれど、意識的にそうしているのかな。

しかし、一方で、小気味よくスイングしている感じがちょっとマイルスよりも古めかしくて、好感が持てる。スイングの仕方が素直、と言えばいいのか、どんどん飛び出すソロのフレーズも、マイルスの感じとは随分違う。マイルスよりも、もっとケニードーハムのようなハードバップに仕上がっている。

それでは、ジョニーコールズに個性がないように聞こえるけれど、確かにこの人は個性が強い人ではない。危なげなく、しっかりきっちり正統派のジャズを奏でる仕事人である。仕事人であるからこそ、いいアルバムを作れるのだ。

サウンドは実験的であればいいというものではない。マイルスは、常に実験的なアルバムを作り続けていたけれど、ジョニーコールズはそういうタイプのトランペッターではなかったのだろう。だからこそ、頑固にハードバップの名盤を作ることができて、実際に、この「The Warm Sound」のような名盤がうまれた。

まさに、ウォームで、楽しげなアルバムに仕上がっている。ブルース良し、スタンダード良し、バラード良しの3拍子が揃っているワンホーンの名盤です。

楽器の練習にかける気力

このところ、何週間もほとんど楽器を弾いていない。弾く時間がないのではなく、弾く気力がわかないのだ。

思えば、楽器というのは相当な気力が必要なものだ。よし、やるぞ、と思わないと練習もできない。それは、少しの気力なのだけれど、その少しを振り絞るまでに随分と時間がかかってしまう。

私の場合、寝室や書斎が楽器に溢れているので、いくらでも弾こうと思えば弾けるのだけれど、それでも弾かない。ちっとも練習しない。これでは楽器が不幸だ。

特に、ギターなどは、そこまで大きな音量が出るわけでもないし、抱えればすぐに音が出るのだけれど、この抱えるまでが大変なのだ。ギターを抱えるためには、寒い朝布団から抜け出すぐらいの気力が必要だ。

抱えてからも大変だ。抱えたら、何かを弾かなくてはならない。何を弾くか。それを考えるだけでもう一つ、気力を振り絞らなければならない。練習するとなると、そこでもう一丁、気力を使う。

よく、楽器の先生とかが、できの悪い社会人の生徒に、毎日練習しなさいとは言わずに、とにかく毎日楽器のケースを開ける習慣をつけなさいという。

あの言葉の真意がなんとなくわかってきた気がする。

まあ、わかったところで、楽器は上達しないのだが。

Dear Harmonica Friend, Toots Thielemans

Jazzではいろいろな楽器が使われる。サックスやトランペットは定番だけれど、珍しいところでは、フレンチホルン、バストランペット、チューバ、ハープ、チェンバロなんかが使われたりする。

珍しい楽器の演奏は、それだけで興味を惹くのでつい聞いてしまったりするけれど、なかなか、音楽として面白い演奏に仕上がっているものは少ない。まあ、仕方ない気もする。

そんな中にも名手というのが存在して、珍しい楽器で演奏されているということを忘れさせられるほどの音楽を奏でる。ジャズでフロントを務めるためには、音が太くて、はっきりしていて、かつある程度速いフレーズを弾くことができる楽器でなくてはいけない。フレンチホルンなどは、そういう意味で不利である。音がほんわかしていて、トランペットやサックスのようなはっきりした音に比べると、前に出てこない。

ハーモニカ、という楽器も、そういう意味だと、どうもバリバリ吹く楽器ではなさそうなのだけれど、これが案外ジャズに合う。とは言っても、私はToots Thielemans以外のジャズハーモニカ奏者は知らないけれど。それでも彼の音楽は一度聴くと忘れられない。

Toots Thielemansについて調べてみたら、彼はベルギー出身のようだ。なぜかずっとオランダ人だと思っていた。彼は、もともとジーン・シールマンスという名前で通っているギタリストだった。たしか、ジョージシアリングのバンドでリッケンバッカーを弾いていた。そんな彼が、ツアーバスの中でハーモニカを口笛のように吹いていたところ、そのハーモニカの才能が認められ、ハーモニカ奏者としても有名になった。Tootsというのは、彼のハーモニカのサウンドから取られたニックネームだ。

私は、彼のハーモニカが好きで、時々レコードやCDを引っ張り出してきて聴いている。特に、ライブ盤で「おもいでの夏」をやっているレコードが好きで、月に一度ぐらいの頻度で聴く。「おもいでの夏 the summer knows」の演奏の中で、彼のバージョンが一番好きだ。ハーモニカの独特の浮遊感と、翳りがとてもこの曲に合っている。

私が、社会人になった時、初任給をもらい、すぐに楽器屋に行った。そこで、クロマチックハーモニカを買ったのだ。それも、HohnerというドイツのメーカーのHard bopperというモデルを。なぜ、このモデルにしたかというと、まさに、これがToots Thielemansが吹いていたモデルだったからだ。それぐらい彼のハーモニカが好きだった。

嬉しくなって、家に持って帰り、ふたを開けると紙が入っていた。説明書かと思って開いてみたら(説明書が要るほど複雑な楽器ではないのだけれど)なんとそこには、Toots Thielemansからの手紙が入っていた

Dear Harmonica Friend

から始まるその短い手紙には、「自分自身とお前らのために、一生懸命この楽器を開発したから、せいぜい一生懸命練習しなさい」と書かれていた。気がする。

音は簡単に出た。

しかし、この楽器が難しいのである。五線譜を読める方々にはなんの苦労もないのかもしれないけれど、音符を読めない私にはCメジャースケールは簡単に吹けるのであるが、それ以外のスケールを吹こうと思うと、非常に難しい。

結局、まともに吹くことすらできずに、その楽器は私の部屋の片隅に追いやられてしまった。シールマンス先生、申し訳ございません。

こんなに難しい楽器だと思っていなかったので、改めてシールマンス先生を尊敬した。

そして、今でも時々、この楽器を出してきては、でたらめに吹いてみて、また挫折するのである。

Toots Thielemans数多くの名盤があるので、ぜひ、聴いてみてください。懐かしいハーモニカの音の中に、哀愁があり、ドラマがあります。

Pee Wee Russellの Ask Me Now!

Jazzに於いてクラリネットとは長い間中心的な楽器であった。1940年代までのことである。

ディキシーランドジャズでも、スイングのビッグバンドジャズでもクラリネットは花形楽器だった。特にディキシーランドジャズでは、コルネットやトロンボーンとクラリネットの掛け合いというのは定番で、音楽にスリルとエキサイトメントを加えていた。らしい。

私は、このところ何年も1950年代以降のジャズばかり聴いているので、クラリネットが出てくるジャズをほとんど聴いていない。クラリネットもののジャズで持っているのは、アートペッパーがアルトサックスの持ち代えで吹いているアルバムぐらいだろうか。

数日前に、YouTubeを見ていたら、北村英治が師の村井祐児と二人でメンデルスゾーンを吹いたりジャズを吹いたりしている面白おかしい動画があった。村井祐児はクラシックのクラリネット奏者である。その二人がお互いの専門分野を解説しながらクラリネットを吹く。

話によるとあのジャズクラリネットの大御所北村英治は、10歳ほど若い村井祐児にクラシックのクラリネット奏法を25年以上も習っているのだという。二人の師弟対決が、面白い。クラリネットという楽器を自由自在に扱う村井祐児に対して、ジャズの奏法の妙味を伝える北村英治。それを、ぎこちなくもすぐに自分のものにしてしまう勢いの村井祐児もすごい。

それで、クラリネットのジャズを改めて聴いてみようと考え、CDラックを見たところ、ほとんど持っていない。

探しに探してみたところ、Pee Wee Russellの「 Ask Me Now!」が出てきた。ピーウィーラッセルといえば、ビルクロウの名著「さよならバードランド」に何度か出てくるスイング時代のクラリネットの大御所、らしい。

このアルバムは1965年の作だから、時代はすでにスイングを過去の遺産としていたはずだ。その影響なのか、このアルバムを聴いているとそこにはスイングの香りがほとんどしない。むしろ、もっとモダンなサウンドである。それは、ハードバップのようなモダンさではないけれど、明らかにスイングジャズとは異なる肌触りの音楽である。

どちらかといえば、ウェストコーストジャズに近いか。ただピアノレスだからそう感じただけかもしれないけれど、そんな雰囲気を感じる。ここにルビーブラフが参加していても、ちっとも不思議ではない、そんな雰囲気だ。

詳しいことはわからないけれど、バリバリのハードバップに疲れた時、たまにこういう音楽を聴いてみてはいかがでしょうか。ここには、なんだかちょっと洒落ていて、少し懐かしいジャズがあります。

Michael BubleのMe and Mrs. Jones

今日はMichael Bubleを聴いている。

ブーブレなんて、今となっては時代遅れ感すらあるかもしれないけれど、聴いてみるとやっぱり上手い。音楽のサウンドには流行り廃りはあるのかもしれないけれど、歌の上手い下手はある程度絶対的な尺度なのかもしれない。上手い歌は聴いていて気分がいい。

Michael Bubleは昨年の夏頃に聴き始めた。それまでは、銀座の山野楽器でかかっていたのを聴いたことはあったけれど、自分でCDを買って聴くというほどのことはしなかった。何となく、山野楽器でかかっている音楽はヒップじゃないから意図的に避けていたのかもしれない。

昨年の夏に、ブーブレの歌うMe and Mrs. JonesをYouTubeで聴いたのがきっかけだった。Me and Mrs. Jonesは私が最も好きなバラードの一つだ。あの曲は淡々としている中にドラマがあるのがいい。オリジナルはBilly Paul。フィリーソウルの大御所だ。

曲のタイトル通り、Meと Mrs. Jonesの物語だ。毎日同じカフェで6:30pmに逢う二人。まさにソウルミュージックにぴったりの世界観である。Billy Paulの熱すぎない歌が良い。ソウルシンガーはパワフルに歌い切る人が多いけれど、この曲で彼は、少しナイーブに、ちょっと抑え気味に唄う。

私が初めてこの曲を聴いたのはTOKUという、ジャズトランペッターでボーカリストのCDだった。私が学生時代、テレビで彼が歌うのを聴いて、新譜で買った。TOKUのけだるいボーカルが、この曲にぴったりと合っていた。何とも豪華なことにRoy Ayersのヴィブラフォン、Grady Tateのドラムがバックを務めていた。このRoy Ayersのヴィブラフォンが良い。ベルベットのように曲の合間をすり抜けていくような音色。TOKUのBewitchingというアルバムだった。

ブーブレのこの曲も素晴らしい。ビッグバンドアレンジなのだけれど、ミュートトランペットが、この曲に可愛らしさを加えている。プロデューサー、デヴィッドフォスターの転がるようなピアノもさりげなくて良い。クライマックスでのビッグバンドのトゥッティのところでブーブレはぐっと抑えて唄いきる、そこがまたかっこいい。

Michael BubleのCall me irresponsibleというアルバム。まさに彼のボーカルの魅力が詰まった傑作だと思う。さすがはデヴィッドフォスタープロデュース、甘く、切なく、けれども甘ったるすぎることなく。オトナのアルバムに仕上がっている。エリッククラプトンのWonderful Tonightも含めて、スタンダードナンバー揃いの選曲も良い。

Me and Mrs. Jonesを聴いた、とても暑かった夏はすぐに過ぎ去り、秋になった。そして、早くもまた今年も夏になる。このアルバムは暑い夏の夜に程よく合っている。東京は明日から梅雨入りと聞いているけれど、また今年も、死なない程度に暑い夏がやってくることを心待ちにして。

今更私が言うことでもないけれど。

もう収束したのかもしれないけれど、アメリカでは、どうも大変なことになっているらしい。

なんでも、人種差別の問題をまた持ち出してデモをやっているようだ。たしかに、差別される側にとってみれば、一大事なわけだし、長い間差別を受けてきたことに対する怒りがあるだろう。話を聞いている限り、その怒りも真っ当な怒りだ。

私は、ジャズやらブルースやらのいわゆる黒人音楽などと呼ばれる音楽が好きなのだけれど、ふと考えてみると、ジャズやらブルースやらは、今でも黒人は黒人同士、白人は白人同士でグループを組んでいる方が多い。まあ、例外はたくさんあるけれど。

本当に凄いミュージシャンは、どんな人種だろうと凄くて、どんな連中と組んでもすごい音楽ができる。例えば、マイルスデイヴィスのバンドの歴代のピアニストには黒人も、白人も同程度いたし、アジア人(日本人)だっていた。それでも、すごい音楽を作り続けてきたことは間違いない。

今更、黒人だの白人だのまだ言い続けなくてはいけない世の中に住んでいるのはさぞかし住みづらいだろう。本当なら、インド人だって、中国人だって、日本人だって南米系の人だってたくさん住んでいるのだから、白人と黒人の二元論で話ができる世の中でもないのに、いまだに「Black lives matter」とかいうスローガンが出てくるのだから、恐れ入る。本来なら「Lives matter」というのが筋だろう。

それなのに、今更そこに「Black」という単語を入れて話をしなくてはいけない世の中であるというのは、何と嘆かわしいことか。

この議論は、なにもアメリカに限ったことではなく、ここ日本でも似たようなことは規模さえ違えども行われている。被差別者と、差別する人という図式が成り立たない世界は悲しいかな、まだ存在しない。日本人と外人、関東人と関西人なんて、とくにいがみ合っているわけでなくても、お互いに目には見えなくても差別はあるし、差別とまでは言えなくても目に見えない優越感、侮蔑、嫌がらせははびこっている。もっとわかりづらいのは、若者と老人、男性と女性、障害者と健常者、そういう世界の差別もある。

しかし、今になって「Old lives matter」とか「Woman lives matter」とか言ったりしてみると、なんとも浅はかな響きがしてくるではないか。人間生きていれば、若者だって老人だっているわけだし、男だって女だっている。精神障害を持っている人もいれば、そういう障害という名前をつけられることなくのさばっているアホ野郎もたくさんいる。それに、今更ラベルをつけて、「俺は本来は偉いんだ」とか「あのかわいそうな方々にお恵みを」とか言ってみたところで、それは、差別をアプリオリなものとして受け入れているだけに過ぎないのではないだろうか。

私は、黒人だろうと、白人だろうと、日本人であろうと潰されていく人たちは潰されていくし、生き続ける方々は生き続けると思っている。ただ、社会はみんなに平等ではないことはわかっているから、運悪く、生まれつき潰されがちな立場に立っている方々も多いだろうということは推して測れる。そんなことを、いまさらわかりやすくしてやらなくてもいいのに。

わかりづらいので例を挙げると、私なんかは高校の頃、オーストラリアに留学していた。オーストラリアの高校で日本人は人間以下だ。白人、赤毛、アボリジニー、近隣諸国のネイティブの人、そのあとずーっと降って日本人である。一部の先生方からの差別も含め、ほとんど人間扱いされなかった。そして、その代償なのか何なのかわからないけれど、被差別者の我々は、ことあるごとに表彰された。まるで、その表彰が我々被差別者へのラベル貼りの作業のように。

今更、そんなこと言ってみたところで時代遅れなのはわかるけれど、人間はそうやって差別する側か差別される側に回りたがる癖があるらしい。私も、オーストラリアで日本人であるということを捨てて、現地人づらをしていれば、あんな目に合わなかったのかもしれない。現地人のように汚い言葉を使って、現地人並みに学校の成績が悪く、現地人並みに浅はかで、表彰の数々をはねのけていたら、あんなに差別されなくても良かっただろう。

しかし、私は、そんなアホな真似をするぐらいであれば、好んで差別され続ける道を選んだのだとも言える。現地人のように体はでかくなかったし、英語も下手だったが、そんなことよりも、自分が日本人であることにこだわった。自分自身に「私は日本人です」という看板を背負わせて歩いていた。そんなに日本人であることにこだわる必要はなかったし、そんなに嫌ならオーストラリアなんかにいなければ済んだ話だったのに。

アメリカの人種差別の場合は、もっと根が深く、今更アメリカを出て行くわけにもいかず、すでにコミュニティの中で居場所も見つけている方々に対する差別だから、こういう面倒なことになってしまうのだろう。

こういう時だからこそ、もう一度ラベルを貼ろうとしている自分たちに気がついて、ラベルそのものよりもラベルを貼ろうとする浅はかな自分たちのアホらしさと愛おしさに気づき、もう、そんなこと言ってる場合ではないだろう、こんな世の中なんだから、としらばっくれてみてもいいのではないかと思う。差別することの罪よりも、差別しやすくすることの罪をもう一度考えてみてはいかがかと思う今日この頃である。

BACHのトランペットのピストンボタンをターコイズにした

トランペットという楽器は、それだけで目立つ楽器なのだけれど、そのせいか、トランペッターの多くは目立ちたがり屋の人が多い気がする。

例えば、ディジーガレスピー。彼なんかは、アップベルの楽器を吹いている。ベルが上向きに曲がっていても、いなくても出てくる音そのものは変わらないのだろうけれど、目立つという理由だけでああいう楽器を吹いているのだろう。

もちろん、世の中には寡黙なトランペッターという方々も存在するのかもしれない。純粋に、トランペットの音が好きで、目立つ目立たないに関わらず吹いている人たちも、ひょっとしたら世の中に存在するのかもしれない。

しかしながら、私の数少ないサンプルの統計の結果、トランペッターは目立ちたがりと相場は決まっている。

私は、学生時代にモダンジャズ研究会という、サークルに所属していた。「研究会」と名がつくので、もっぱら研究に明け暮れている根暗な方々が多そうな印象を持たれるかもしれないけれど、ジャズ研の方々はそれはそれは個性的な方々が多かった。特に、ジャズ研に入部する管楽器の方々は、高校の吹奏楽上がりの方が多くて、吹奏楽部に入部すれば良いものを、ジャズ研に入部するわけだから、「目立ちたい」という想いを胸に来られた方が多かった。

例えば、吹奏楽部では、トランペットパートは何人かいるトランペットパートの中の一人であるのに対し、ジャズのコンボでは大抵トランペッターは一人いれば十分である。だから、目立つ。目立つのが嫌ならば、コンボで吹こうなどとは思わないだろう。吹奏楽上がりではない管楽器パートの方も多くいた。彼らは、大学に入学してから管楽器を習得しようという腹の方々である。私もそうだった。いわゆる「大学デビュー」組である。

吹奏楽上がりか、大学デビューかは楽器を見れば分かった。吹奏楽を経験してきたトランペッターは、大抵ヤマハのゼノか、バックのストラディバリウスを使っていた。それも必ず、決まって銀メッキの楽器を。ラッカーのバックを吹いている後輩も一人いたけれど、彼以外は皆、銀メッキの楽器だった。

それに対して、大学デビュー組はやけに目立つ楽器を使っていた。キングだの、コーンだの、そういった吹奏楽上がりはまず使わないであろう楽器だった。かくいう私も他聞にもれず、黒ラッカーのマーティンコミッティーを使っていた。その、黒ラッカーの楽器は持っているだけで目立った。持っているだけで上手そうに見えてしまった。

結局、目立ちたい気持ちだけが先走り、練習をちっともせずに学生時代は終わった。私は、下手なのに目立つのが嫌になってしまい、結局大学5年の春にその美しい楽器を手放してしまった。手放して、代わりに銀メッキのベッソンを買った。今でも、その美しい楽器を二束三文で手放してしまったことを後悔している。

大学を5年半かかりなんとか卒業させてもらい、そのあとしばらくトランペットを吹くことはなかった。楽器から離れてしまった。3年に一度ぐらい、思い出したかのように楽器を引っ張り出してきたり、新しい楽器を買ったりして、トランペットを再開しようとするが、挫折する。そんなことを何度か繰り返したりした。そんなのだから、トランペットはちっとも上達しないまま今日に至っている。

このコロナの騒ぎのおかげで、家にいる時間が多くなり、久しぶりにトランペットを手にしてみた。初めは、自宅の押入れにしまっているMartinの Committee Deluxeを吹いていたのだけれど、ちっとも上達しない。

そこで、基本に戻ろうということで、バックのストラディバリウスの中古を買ってきた。それも、シルバーメッキ、のような外見のニッケルメッキの1980年製のものを買ってきた。ニッケル鍍金というのは、一時期流行ったらしく、時々出てくるのだそうだけれど、もちろんバックのオリジナルではなく、後がけのメッキである。赤ベルのニッケル鍍金だから、かなり吹きづらそうに聞こえるけれど、さすがヴィンセント・バックの設計した楽器、吹きやすい。

40にして、初めて「普通の」トランペットを入手した。見た目は銀メッキの楽器と一緒だから、まるで吹奏楽上がりのトランペッターのようである。見た目だけは品行方正になった。

しかしながら、なんともその優等生な見た目は、心がウキウキしない。楽器は良い楽器だから、吹いている分には何の文句もないのだけれど、元々が目立ちたがり屋なのだろう。他の人と同じ楽器は嫌なのだ。

そこで、ピストンボタンをターコイズのものに交換した。

やれやれ、見た目ばっかり目立ちたがるのは、私の悪い癖なのだ。

交換してみたら、案外カッコよく、安心した。音色は全く変わらないのだけれど、ターコイズブルーのフィンガーボタンはなかなか美しく、銀色の楽器に映える。こういう、小さなところから練習のモチベーションを上げていくのだ。

かつて、ヴィンセント・バックのオリジナルパーツでターコイズのボタンというのが存在していたのだけれど、今はもう廃盤になってしまったらしい。どこを探してもなかった。仕方がないので、インターネットを探していたら、自分の好きな石を選んでボタンをつくってくれる店があったので、そこから購入した。バックは、いろいろなカスタムパーツが存在するから、嬉しい。

楽器の見た目はかっこよくなったわけだから、あとは練習をして、自分自身がかっこよくなるだけである。

せめて聴く音楽ぐらいは明るくなきゃ Leon McAuliffe

生きていると、いろいろなことがあり、気分が浮かれたり、気分が沈んだりするものだ。ましてや、昨今のこの伝染病の流行る流行らないの毎日だと、気分が滅入ってしまう。私なんぞ、ここ二ヶ月ぐらいずっと気分が滅入っている。

なんと言おうか、ずっと頭の中に暗い影が残るようなそんな気分だ。楽しいことがないわけでもない。美味しいものを食べていないわけでもない。むしろ、楽しいことがあったり、買い物をしたり、美味しいものを食べたりは積極的にしているのだけれど、不思議とこの頭の中の暗い靄はいつまでも消えない。

いっそのこと、お祓いにでも行こうかとすら思っている。お祓いが効くか効かないかはとくに気にしていないのだが、そういうようなことをすると、なんだか少し踏ん切りがついて、本来すべきことや、本来感じるべき感情とかがなんとなく掴めるきっかけになるのではないかと思っている。

しかしまあ、お祓いをしたところで、どのくらいの解決になるかはわからないし、それまで待っていて何もしないと、どんどんネガティブな気分になってしまう。それでは、毎日がおもしろくない。そこで、一時的なカンフル剤かもしれないけれど、いろいろな音楽を聴いている。

ときにしみったれた音楽を、ときに軽快な音楽を、ときに荘厳な音楽をと考えているのだけれど、なかなか体と気分が付いてこない。そこで、その時その時聴ける音楽を聴くことにしている。無理して、聴きたくない音楽を聴けるほど人間は暇ではない。

今日は、少し軽快な、ウェスタンスイングを聴いている。Leon McAuliffeのバンドLeon McAuliffe & his Cimarron boysだ。

レオン・マックリーフは元々Bob Willsのプレイボーイズの中心人物だったスティールギタープレーヤーだ。4本ネックの凄い奴を自在に操って、ジャズでもカントリーでも、なんでもこなしてしまう。巧みにポジションを移動しながら、スティールギター独特のサウンドを鳴らしまくる。これだけで、ウェスタンスイング好きにはたまらない。

ボブウィルスのバンドも豪華な編成だが、レオンのバンドも同様に、フィドルやホーンセクションが入っていて、スウィングビッグバンドである。常に陽気で、それがちょっと疲れる時もあるのだけれど、ウェスタンスイングに暗いムードは似合わないのかもしれない。これはこれで、こういう音楽として成り立っているのだからよしとしよう。

ウェスタンスイングはカントリーミュージックの一つのルーツとも言えるけれど、むしろ一つの派生系と言ったほうが正しいのかもしれない。悲しいかな、日本のレコード屋には滅多に売られていない。こういう音楽を今更聴こうという人は本国アメリカでも少ないのかもしれないけれど、もっともっと見直されても良いジャンルの音楽だと思う。

日本でヴァイオリンときたら、十中八九がクラシック音楽で、ごく稀にジャズをやっている人がいるぐらい。ウェスタンスイングをやったり、ブルーグラスをやろうなどという人たちはごく少数だ。アメリカでは、ヴァイオリンといえば、クラシックのお坊ちゃん、お嬢ちゃんたちだけの楽器ではなくて、カントリーやら、ロックやらでもヴァイオリン(フィドルとか呼ばれているけれど)を弾いている人もそこそこいるのではないだろうか。

大草原の小さい家の、お父さんもフィドルを弾いたりしているし。アメリカのテレビの音楽番組ではマークーオコナーというヴァイオリニストが長年ホストを務めていたりする。マークーオコナーは、ブルーグラスプレーヤーだけれど、引かせようと思ったら、ジャズだろうと、ロックだろうと、ウェスタンスイングだろうと、なんだって弾ける。

スチールギターも、日本ではあんまり競技人口は多くないけれど、本国アメリカではまだそこそこ作っているメーカーがあるぐらいだから、盛んなのではないだろうか。5年ぐらい前にナッシュビルに出張で行った際に、ライブハウスでスチールギターを弾きまくっているお兄さんが居たから、そうに違いないと思っているのだけれど、実際のところどうなんだろう。

まあ、とにかくウェスタンスイングが、いかに盛んでも、いかに衰退していても、このLeon McAuliffeのアルバムを聴いていれば、いかに素敵な音楽かをわかってもらえるだろう。

Ray Charlesのピアノ弾き語りをじっくり聴きたい

レイチャールズが亡くなってしまってから、もう随分経つけれど、本当はもっと沢山録音を残して欲しかった。

レイチャールズの若い頃のアルバムは、どうも元気が良すぎてあんまりじっくり聴いていない。ピアノ一台でのバラードとブルースの弾き語りアルバムでも出してくれたら、一生愛聴盤にするのだろうけれど、それはもう叶わない。

そういうアルバム、探せばあるのかもしれないけれど、まだ聴いたことはない。

レイチャールズは、ピアノの弾き語りの一つのスタイルを作った人だと思う。彼のようにビートを感じられる歌手はなかなかいないし、彼のピアノもああいう風に弾ける人は多くはない。その二つが合わさって、そこにあのアドリブ感覚が加わって、あの音楽はできている。

レイチャールズのまだ聴いたことのない「理想のアルバム」について考えていても、実際にその音楽は聴けないから、今日は彼のデュエット集を聴いている。「Genius loves company」というアルバム。錚々たるメンバーとのデュエットの中でも、特にエルトンジョンとデュエットしている「Sorry seems to be the hardest word」が気に入っていて、時々聴いている。

それ以外の曲も、どれも素晴らしいのだけれど、このElton Johnとのデュエットは、二人のピアノ弾き語りの名人が、それぞれのスタイルをぶつけ合いながらも、一つのバラードを作り上げていて、聴いていてとても心地いい。Sorry seems to be the hardest wordはエルトンジョンの曲だけれど、巨匠レイチャールズは、あたかもこの曲を自分で書いたかのように歌いこなしている。

欲をいえば、これらのデュエットしている曲を、レイチャールズのピアノ一台で聴きたい。

何年も前に、会社の偉い人からチャックベリーのDVDを借りたことがあった。チャックベリーは、言わずと知れたロックンロールとブルースの偉人である。その彼が、DVDの最後で、エレキギター一台の弾き語りで、古いジャズのスタンダードを歌う。曲はなんだったのか覚えていないけれど、I’m through with loveだったような気がする。探せばCDがどこかにあったと思うけれど、もうずっと聴いていない。さすが、チャックベリー、それがすごく上手いのである。

きっと、レイチャールズが独りでピアノ弾き語りをやってもあれぐらい上手いだろう。どうせなら、アコースティックピアノの弾き語りアルバムと、ローズピアノの弾き語りを両方聴きたい。

世の中には、きっと私と同じことを考えている人がいるだろうから、探せばそういうアルバムがあるのだろうけれど、どうなんだろう。

レイチャールズはスーパースターだったから常に、凄いアレンジャーが付いていて、素晴らしいバックバンドが付いている。レイチャールズ本人もきっとそういう大編成が好きだったのだろう。このアルバムのタイトルの通り、Genius loves companyだったのかもしれない。

Ray Charlesが好きな方にもう一人オススメなのは、Charles Brown。R&Bのピアノ弾き語りを得意としている歌手である。名曲Please Come Home for Christmasを是非聴いてみてください。

バディーエモンズの脅威

ペダルスチールギターについて、過去に何度かこのブログでも書いたけれど、チャレンジしては挫折してを繰り返し、ちっとも上達しない。私の書斎の一等地にこのペダルスチールギターという楽器が鎮座しており、いつでも練習できるのだけれど、なかなか練習しようという気持ちが湧いてこない。難しすぎるのだ。

今夜は帰宅してから、このペダルスチールギターという楽器の弦を交換した。今年の私の誕生日に妻に買ってもらったFender 400というスチールギター。

弦が錆びていたわけではないのだけれど、どうも今までのチューニングではどうしても弾けないフレーズがあり、E9thチューニングにチューニングし直したのだ。同時にペダルのセッティングも変更した。

これで、弾けるフレーズは増えたはずなのだけれど、どうもまた複雑になってしまった。E9thチューニングはペダルスチールギターの開祖、バディーエモンズが開発したチューニングで、まさに万能チューニングなのだが、慣れないとこれほど難しいチューニングはない。特に1弦と2弦のチューニングが3弦よりも低いことに初めは戸惑う。これらの弦はどのように使えばいいのか、と戸惑うのだ。

しかし、練習しているうちに、この2本の弦のありがたさがじわじわとわかってくる。メロディーを弾くときにどうしても必要な弦なのだ。

楽器の方は、目下練習中なので、詳しい話はまた今度にする。

今夜は、スチールギターの巨匠、バディーエモンズのCDを聴いている。

複雑なハーモニーをこの複雑な楽器でプレイするのは並大抵のことではないだろう。しかし、バディーエモンズは、それをいとも簡単に行ってしまう。スチールギターという楽器でどこまで表現できるかの究極をこの人は追い求めていたのだろう。

アップテンポの曲でのスピードピッキングも凄いのだけれど、バラードを演奏する時の和音の使い方が凄まじい。6弦のギターでは再現不可能な和音を駆使して、ジャジーに鳴らしたり、カントリー調にしたり、聴いている私たちを楽しませてくれる。

ペダルスチールギターを聴いたことがない方は、まず、このバディーエモンズから聞いてみてください。スチールギターのイメージが変わります。