こういうアルバム、好きだなぁ Chet Baker & Paul Bley “Diane”

私の最も好きなトランペッターはChet Bakerなのだけれど、このブログではあまり彼のアルバムについてとりあげてこなかった気がする。

Chet Bakerは語られていることが多すぎて、今更私がここで書くほどのこともないのだけれど、彼の生涯についてはいろいろと言われているが、彼の音楽についてはその陰に隠れてしまいがちなので、少しだけ書かせていただこうと思う。

今日はChet BakerがPaul Bleyとデュオで吹き込んだアルバム「Diane」について。

そもそも、ポール・ブレイというピアニストについて私は詳しいことは知らない。参加作もこのアルバムぐらいしか持っていないかもしれない。しかし、このアルバムを聴く限り、ポール・ブレイのピアノはとても静かで、美しい。寡黙でいて、無駄がない。それでいて、語りかけてくるような、暗さと温かさがある。

70年代にカムバックしてからのチェットは、50年代のマイルスデイヴィスよりもさらにスペースのあるジャズを奏でる。このアルバムでも、その姿勢は変わらず、フレーズとフレーズの間隔が広く空いているのもそうだし、奏でられる歌もとても言葉少ない。Chet Bakerのトランペットも歌もそのようだから、そこにPaul Bleyのピアノが重なると、トランペットと伴奏という役割を越して、無口な二人の中年男性がなんとか会話の糸口を探りながら、音楽を進めているかのような感覚で聞こえてくる。

その会話は、いつまでも平行線のようにも聞こえるし、その一方で二人が語りたいことは十分語り尽くしているかのようにも聞こえる。まるで、音楽という表現に、音の数は関係ないかのようだ。実際、この二人には、音の数の多さなんていうものは音楽を形成するためにはさして重要なことではないのかもしれない、もしくは、音を絞ることによってそこから紡ぎ出される会話の内容を大切にしているのかもしれない。

チェットベイカーは、あまり譜面に強いトランペッターではなかったと聞いたことがある。コード譜というものにもそれほど強くなく、すべては耳で感じた感覚でアドリブを繰り広げていたと聞いた。そのような音楽家だから、これだけ寡黙なピアニストと組むと、会話が成り立たなくなってしまうのではないかという不安もあるのだけれど、幸いにしてこのアルバムは、そのような不安は微塵も感じさせない演奏に仕上がっている。

それは、収録されている曲がほぼジャズのスタンダード曲、それもチェットベイカーの得意なレパートリーばかりだということも、良い方向に働いているのだろう。無駄のない音使いの中からは、リラックスした二人の音楽家の会話が聞こえ、その音と音の隙間からは、次にどんな音楽ができあがるのだろうかというスリルが感じられる。

音使いの少なさばかりについて、書いてしまったが、もちろんこのアルバムはそれだけでは語れない。この、アルバムの音楽を作り出しているのは、チェットの柔らかく、ダークで深く、それでいて華奢な音色と、ポールブレイのキリリとしたピアノの音色とも言える。

特に、ポールブレイのピアノは、空気の澄んだ日にどこか遠くから聞こえてくる汽笛のようなキリリと澄んだ音色である。チェットのトランペットに寄り添うように弾いてみたり、時には独白調になってみたりしながらも、その澄んだ音色は変わらずにそこにある。ジャズのピアノの名手は数多いれど、このような音色で聴かせるピアノを弾ける名手はなかなかいないのではないだろうか。

チェットのトランペットはこの時ブッシャーのアリストクラートモデルを吹いているはずだ。アルバムのジャケットに写っているのもそのモデル。彼が、質屋で手に入れたと言われている、スチューデントモデルのトランペットである。私も、同じモデルを持っているので吹いたことがあるけれど、特にキャラクターの強い楽器ではない。

ポールブレイのピアノは、ハンブルクスタインウェイだろうか。それともヤマハだろうか、はっきりとしたことはわからないけれど、楽器のキャラクターが前面に出てくるような感じではないが、どのような楽器であれ、このような澄んだ音色を作り出せるのは凄い事だと思う。

二人は、このアルバムをたったの1日で録音している。チェットとポールブレイはアルバムこそこの一枚しかないかもしれないが、何度も共演していたとどこかで読んだ。このアルバムを聴く限り、ポールブレイは、晩年のチェットベイカーの音楽を実現するために理想的な共演者だったのだろう。

このアルバムで奏でられる音楽は、力強くなく、本当に儚い。しかし、そのはかなさの中に、本来音楽を奏でるということのために求められる大切な要素と、音楽を鑑賞するということの不思議な喜びが詰まっていることは確からしい。

五十嵐一生と辛島文雄の共演盤「I wish I knew」に並ぶ、愛聴盤である。

Chet Bakerというスタイルが紡ぎ出される

このブログではChet Bakerのことばかり書いているような気もするけれども、チェットが好きなのだから仕方がない。チェットベーカーというジャズミュージシャンの妖しさに惹かれてしまうのだ。

ジャズとしては、前衛ではないし、むしろ保守的で70年代に入っても、未だ50年代のスタイルを変えず、ひたすらトランペットを吹き続けていた。共演者が替わっても、そこにはチェットベーカーの音楽があった。

CTIでジムホールのサイドマンとして参加したアルバムでもそれは同じで、そこにはひたすらチェットベーカーの音楽が存在している。もちろん、ジムホールのリーダーだから、ジムホールの音楽なのだけれど、そのジムホールの世界の中で埋もれることなく、むしろかえってそこにはっきりとチェットベーカーの音楽がうき上がる。チェットベーカーが前に出てくるのではなく、かれの音楽がバンドのサウンドとして鳴るのだ。

同時期にチェットベーカーのリーダーで、ほぼ同じメンバー(とは言っても、ピアノは違うし、ジムホールも参加していないのだけれど)で録音したアルバム「She was too good to me」と聴き比べてみてもそこにある音楽がいかに変わらないかがわかる。これはCTIのサウンドというわけだはなく、紛れもなくチェットベーカーの音楽である。なぜなら、その曇った感じ、けだるい感じ、それでいてフレッシュで若々しい感じがチェットの音楽であることを主張しているからだ。

主観的な表現になってしまったが、チェットベーカーの音楽にはどうしても、主観が入ってしまう。それは、かれの音楽が主観を求めるからだ。あなたは、それをどう聴くか、がこの音楽の一番重要なところなのだ。彼の音楽は紛れもなく50年代のハードバップの焼き直しであるのに、聴いていると、それがジャズであるとかポピュラー音楽であるとか、そういったことはどうでもよくなる。ジャズが苦手な方には単なるジャズにしか聞こえないかもしれないけれど、私にとってそれは単なるジャズではない。それは、一つの音楽のスタイルだ。ジャズのスタイルではない、音楽のスタイルなのだ。

彼のマーチンのコミッティーから、コーンの38Bから、ブッシャーのアリストクラートから、ゲッツェンのカプリから、バックのストラディバリウスから紡ぎ出されるのは単なるジャズではない。それは、バンドの音楽そのものをチェットベーカーというスタイルに染め上げるうねりなのだ。その、少し頼りなく、太く曇ったうねりが、スタイルを作り上げている。

嘘だと思うなら、ぜひJim HallのConciertoを聴いてみてほしい。そこに見つかるのは、チェットベーカーの音楽だから。

ちなみに、このアルバムでチェットはConnのConnstellationを吹いているはずです。音は、その後にBuescherを吹いている時と、ほとんど変わりません。弘法筆を選ばずを地で行った人だったのでしょう。けれど、若い頃に使っていた Martin Committee Deluxeは自分でマーチンの工場に出向いて、10数本のなかから選定したそうです。

チェットベーカーは楽器にこだわりがないように思えて、実は結構こだわっていたのかもしれません。割と色合いがはっきりしない、よく言うと表現の幅が広い楽器を長く愛用していた人です。

ジャズ初めての人に胸を張って勧められるアルバム Chet Baker 「It Could Happen to You ~ Chet Baker Sings」

チェット・ベーカーは若いころハンサムだったから、なんだか音楽の部分で割り引かれて見られているともう。私が勝手に言うのも失礼だが、損しているともう。若いころのチェットって、あらためて聴いてみると、とても心にしみる音楽をやっている。

人気があったことは確かだし、トランペッターとしての腕も確かだから、当時からそれはそれは高評価されていただろうけれども、これがもっとブサイクな顔をしていたら、聴衆にもっと純粋に音楽を聴いてもられたと思う。ブサイクだったら雑誌の人気投票では上位には入らないかもしれないけれど、それでもやっぱり高く評価されていると思う。

若いころのチェット・ベーカーはなんだか、「いい男」部分が強調されてしまい、アルバムのジャケットなんかがどうも安っぽくなってしまっているような気がする。まあ、中身もそんなに硬派な感じじゃないのだけれど、チェット・ベーカーは硬派じゃないからいいのだ。

歌も、歌えちゃったりするから、どうもそういう軟派なイメージがついてしまっている。音楽自体は40代にヨボヨボになってからの音楽と変わらないのだけれど、若いころはパッケージのせいか、どうもその軟派さに磨きがかかっている。磨きがかかっていて、一見つるつるピカピカしてしまっている。本当は若いころからいぶし銀系の音楽をやっているんだけれど。チェット・ベーカーの若いころのレコードがいぶし銀と評されることはほとんどないんじゃないか。

勿体ない。

例えば、「It could happen to you~Chet Baker Sings」なんて、歌もののレコードなのに、歌が、なんだかナヨナヨしているから、軟派なレコードだと思われがちだ。本職のはずのトランペットのソロもやけに短い。トランペットを吹いていない曲さえある。確かに、これは一聴して軟派なレコードである。

しかしながら、やっている音楽は案外渋い。リズムセクションはやけに豪華で、ノリノリだし、チェットの歌も(スキャットも)ノリノリである。ノリノリでいて、ノリだけで聞かせるのでは無く、ときにしっとり、ときにパリッと聴かせる。

もっと聴きたいと思わせるところまでで抑えられている。「チェットの音楽の魅力を余すところなく聴かせます」という、アルバムではなく、ちょっといいところを匂わせて、指の間から流れ落ちる砂のようにするすると消えて無くなってしまうような音楽だ。この、いいところを匂わせるセンスが素晴らしい。

一曲一曲の収録時間も短いし、聴きやすいのが尚更いい。こんな演奏は各曲10分も聴かせられるような類いの音楽では無く、短めにさらっと聴くのがちょうどいい。そして、収録曲が全曲スタンダードで、曲数も多いので、ジャズの初心者から楽しめる。こういう、ジャズがわたしにはちょうどいい。初めて聴くジャズがこのアルバムだっていう人は、とても羨ましい。それこそジャズの英才教育である。

いきなりローランド・カークから聴き始めても構わんのだが。