Good time Charlie’s Got the Blues

もう、1年ほど前の日のことだろうか。
朝から大雨でどうしょうもない天気だった。
私はその日、友人に60年代のボロボロのギターを貸す約束をしていた。B-15という、ギブソンで一番廉価なギターで、その上、とにかく塗装が半分以上剥がれていて、もはや骨董の域に達しているB−15にはセカンドスタンプが押されているカラマズーブランドのギターだ。家では誰も弾く人がいなくなり、ギターハンガーにかけっぱなしになっているギターだった。
友人と書いたが、私はその女の子に恋心に似たようなものを持っていた。既に2年以上前に、彼女からはフラれてしまっていたのだけれど。それでも、彼女を嫌いになる理由はどこにもないということと、彼女が相変わらず彼女自身であり続けているのだから、彼女を好きな気持ちに変わりがなかった。
恋心と書くと、35を過ぎた妻帯者の親父には、不相応な表現だけれども、事実だからしょうがない。
彼女に会うのは、もう半年ぶりぐらいだろうか。前日の夜に彼女に会う約束を取り付けた時に、既に私の気分は高揚していた。まるで、クリスマスと誕生日を明日に控えている子供のような気持ちだった。
11時前に自宅を出て、御茶ノ水の街をふらつき、雨の中B-15を安全に運ぶセミハードケースを探し当てた時は、1時を回っていた。
 
彼女との待ち合わせは7時だった。彼女の仕事の兼ね合いで、渋谷で会うことにしていた。私は6時前には現場入りして、渋谷の楽器街をふらついていた。
8時を回ったあたりで、彼女は渋谷に現れた。
 
仕事が遅くなってしまい、すみません。
 
と彼女は仰々しいお詫びの言葉を私につぶやいた。
そのまま二人で坂を登り、ギターの引き渡し場所として、坂の上の創作和食居酒屋を選んだ。どんな料理が出てきたかは覚えてはいないが、二人で日本酒を4合ほど飲んだ。
 
彼女の口からは、最近夢中になっている男性の、嬉しそうな報告がどんどん溢れ出てきた。彼女は幸せそうだった。
 
正直な話、私は、彼女が幸せであるということに理由はわからないが、喜びに似たものを感じていた。それと同時にわけのわからない悲しさを感じていた。
 
彼女の口からは、夢中になっている男性との「関係」の話すらスルスルと出てきた。私は、それにどのように相槌を打てば良いか迷いながら、精一杯の笑顔を作りながら、ふと彼女と会うのはこれが最後になるだろうということを薄々感じていた。
 
店を出て、コンビニで買った缶チューハイを飲みながら、駅までの道を歩いた。彼女がもう一本缶チューハイをコンビニで買っている間、私はギターケースからB-15を取り出した。
彼女がコンビニから出てきた時に、Good time Charlie’s got the Bluesをさわりの部分口ずさんだ。そして、おもむろにGのオープンコードのアルペジオを2小節弾き始めから終わりまでGood time Charlie’s got the bluesを始めから終わりまで歌った。
「みんなこの街を去っていった。この何もない田舎町を。みんな口を揃えてこの街にいるのは、時間の無駄だって言うんだ。そして、この街に僕の知り合いはいなくなってしまった。
成功したやつもいれば、失敗していったやつもいたさ。
いつでもお気楽な俺だって、時には寂しくなるんだ。」
という、歌詞をなぜか彼女に聴いてもらいたいと思ったのだろう。なぜ、その歌を歌ったのかは覚えていないけれど、なぜだか、その夜はその歌がぴったりなような気がした。彼女に対してラブソングを歌うような気分にはなれなかったし、それはふさわしくないような気持ちがした。
「いつでもお気楽な俺だって、時には寂しくなるんだ」
という言葉を、伝えたかったのかもしれないし、格段何も理由はなかったのかもしれない。
駅について、彼女にギターを手渡し、ろくすっぽ挨拶もしないで、独り駅の階段を降りた。降りながら、イヤフォンを装着し、音楽をかけた。ウィリーネルソンの古いアルバムだ。
私は、もう彼女と2度と会うことはないのかと思い、少しだけ寂しい気分に襲われた。
電車の席に座ったとたん、涙が溢れ出てきた。35を過ぎた大の男が泣いているのだからほかの乗客は訝しげな顔をしていたかもしれないが、そんなことはお構いなく泣いた。ウィリーネルソンの歌うGood time Charlie’s got the bluesを聴きながら、ただただわけもわからず号泣した。
アルバムの最後の Until it’s time for you to goが流れ出した時には、私は何か幸せな気持ちでいた。彼女が幸せそうだったことが、じわじわと嬉しく感じていたのかもしれない。いや、そんな理由でなく、彼女に会えたことそれ自体が嬉しかったのかもしれない。
号泣と、わけのわからない幸福感に満たされた私は、一体世界をどのように受け入ればいいのかがちっともわからなくなってしまっていた。
ふとしたことで、昨夜数人の友人達とともに彼女と会った。
彼らはうちに泊まり、朝が来て、ジャンキーの溜まり場と化した私の部屋で、私はなんとなしにそのウィリーネルソンのアルバムをかけていた。
そのアルバムを聴いている時、彼女がポツリと「この曲、いい曲ですね」とつぶやいた。Until it’s time for you to go。
私は、また、そのわけのわからない気持ちに包まれた。