「ええ、トロンボーンを少々」と言ってみたい!

また、買い物をしてしまった。

またしても楽器である。楽器の中でも相当な大物である。つい2週間ちょっと前にトランペットを購入したのだけれど、今度はトロンボーンである。

もう、今年は大きな買い物はしないようにしなければならない。今年は、もう楽器を買わないようにしなければならない。そう、心に誓おう。もう、1年分としては十分な楽器を買った。

第一、人間というのはそうやすやすと楽器を買うものではない。まあ、私みたいな楽器や稼業だと、人間がやすやすと楽器を買ってくれなければ成り立たないのだけれど。それでも楽器を買うというのは、ある種の特別な儀式みたいなところがあるので、楽器の購入を日常茶飯事に行ってしまってはいけない。あれは特殊な行事なのである。

そういう特殊な行事を、ひと月のうちに2回も行ってしまった。こういうことを頻繁に行うと脳がおかしくなるのではないか。ちょうど、悪習が身についている人や、何かの中毒患者のようになってしまうのではないか。だから、クールダウンが重要である。楽器を購入して、躁状態のときは、うまくクールダウンしなければならない。気をつけなければ。

それで、トロンボーンである。

トロンボーンの中でも、ジャズミュージシャン御用達のKingの楽器である。Kingの2Bという、それはそれは大定番である。その大定番のブラックラッカーという、変わり種である。初心者はまず手を出してはいけないような高級機種である。いや、高級というよりも上級者向けの楽器である。

吹けるのか?

いや、それが吹けないのである。

吹けないけれど、音は出せた。ポジションもなんとかわからないわけではない。トランペットでも普段はC譜で読んでいるので、トロンボーンもC譜で行ける(そもそもトロンボーンはC譜で読むのである)。

しかしまた、これが難しいのである。低い音は出せるのだが、1オクターブと少ししか出せない。思ったよりも音は簡単に出るのだけれど、音域を広げるのは、トランペット同様、とても難しい。

まあ、購入して二日目である。吹ける方がおかしいのだ。これで良いのである。仕方あるまい。

なぜ、トロンボーンを購入したか。これが一番大事なところなのであるけれど。ただ、トロンボーンという楽器を吹けるようになりたいという夢があったというと、なんだか嘘くさい。

はっきり言って、ずっとトロンボーンには興味は無かった。なんだか、トロンボーン奏者はトランペット奏者に対して地味な印象があるし、トロンボーンはそもそも地味なのではないかと思っていたのだ。

しかし、2月ほど前に出会ってしまったのである。めちゃくちゃカッコイイ楽器に。

それが、このKing 2Bである。とにかく、めちゃくちゃカッコイイ。そして、いかにもカッコイイ音が出そうなのであるから、こりゃ放っておけない。そういえば、ジャズトロンボーンで唯一まともに聴いたことがあるJJ JohnsonもKingを使っていたっけ。ベニーグリーンが何を使っていたのかは存じ上げないが、ああいう、ベニーグリーンのような自由でのびのびとした音楽を奏でる楽器こそ、トロンボーンであり、Kingの楽器なのである。

トランペットすら、まともに吹けないのだけれど、トロンボーンをやると管楽器の基本的な体づくりができそうな気がしている。唇に無理をかけないで、息で音程をコントロールする感覚も身につきそうであるので、それも良い。

とにかく、せっせと練習して、人に尋ねられたら、

「ええ、まあ。嗜むというほどでもないですがトロンボーンを少々」

などと言ってみたいのである。

別れと出会い、Kanstul Committee

今日、1981年製のFender Telecasterを売却した。 Black and Gold Telecasterという、なんともゴージャスでデラックスなギターであった。バンドのライブでも何度か使い(私の持っているギターの中から、娘がライブで使うならこれが良いと言って選んでくれた)、苦楽を共にしたギターであった。

もう、コロナでライブもやらなくなってしまったことと、持っているテレキャスターの中でも一番登場頻度が低いので、売却した。楽器を売却するのはとても辛いのであるが、それをお店が高く評価してくれて、高く売れてくれると正直言って嬉しい。私のギターも高く評価してもらったので、嬉しかった。

別れ際に、「ありがとう」とギターに呟いたら、なんとなく感傷的になってしまった。本当にありがとう。良いギターでした。ありがとう。

それで、その足で別の楽器店に行って、トランペットを買った。

売却して手に入ったお金は、一文残らずトランペットに変わった。すこし、追加でお金を払い、トランペットを手にいれた。

Kanstulの1603というモデルである。ラージボアのMartin Committeeの忠実な復刻版といったところの楽器だ。オリジナルのラージボアのCommitteeは今いくらぐらいだろう?50万円以上になってしまうか。復刻版のCommitteeのラージボアでも35万円ぐらいはするだろうか。復刻版も、もう20年ぐらい前に絶版になってしまった。

今回手にいれたKanstulというメーカーも、今はもう無くなってしまった。とても真面目に楽器を作る会社で、1603モデルは、その中でも上級機種であった。つい5年前ぐらいまでは新品で手に入れることができたのに、惜しいことに無くなってしまった。

Kanstulの楽器を買うのは2本目か。一本目は学生時代に、コミッティーを手放して買った、フォンティーヌ・ベッソンの復刻モデルだった。なんであの時、コミッティーを手放してしまったのか、今でも後悔しているのだが(そのあと長いコミッティー探しの旅が続いている)フォンティーヌ・ベッソンは15年ぐらい所有していた。ピストンの調子がイマイチだったことを除けば、音は素晴らしい楽器だった。カンスタルらしい、丁寧な音がした。銀メッキが真っ黒に錆びて、ものすごく貫禄が出ている状態で手放した。

今回のカンスタルは、それよりもずいぶん最近作られたモデルだ。ラージボアなので、なかなか鳴らしきれないが、先日知人に貸してもらったSchilkeのように、どんどん息が入っていく感じで、シルキーのようにド派手ではない音色も気に入った。

オリジナルの、状態の良いコミッティーはもうなかなか手に入らなくなってしまった。私も一台、ボロボロなルックスだが状態は良い個体を持っているが、プロのトランペッターに貸している。とても素晴らしい楽器なのだが、音が素直に出すぎて、私には扱いきれないのだ。彼は、大切に使ってくれているようだが、楽器なのだから、もっとバリバリ使ってもらって構わない。

トランペットという楽器は、どこか消耗品のような側面があって、エレキギターほどは長持ちしない。けれども、その短い命の火花が散っているうちに大切に演奏してあげるのが、楽器に対するせめてものリスペクトだと思う。

カンスタルのコミッティー、これからどのように美しい音をならせるようにできるか模索中である。

ジャケ写が苦手で聴かなかったアルバムTed Curson

Ted CursonのPlenty of Hornというアルバムがあって、ハードバップのなかなか渋い名盤なのだけれど、ずっと聴いたことがなかった。最近やっと購入して改めて聴いている。

テナーサックスとの2管のクインテット編成なのだけれど、途中でエリックドルフィーがゲスト参加していてフルートを吹いている。エリックドルフィーをじっくり聴いたことは無いのだけれど、それを抜かしても、なかなか渋くキマっている。

エリックドルフィーなんかが参加しているからてっきりかなり前衛的なジャズを聴かせてくれるのかと思いきや、Ted Cursonはオーソドックスなハードバップ、ちょっと古臭いぐらいのスタイルで攻めてくる。

実はこのアルバム、私がずっと今まで聴いて来なかったのは、ジャケ写のせいなのである。とにかくレコードジャケットからただならぬジャズの雰囲気が醸し出されている。なんというか、フリージャズというか、いやそれともちょっと違うな。なんというか、前衛的な雰囲気だ。あの、 Ted Cursonが手にするピッコロトランペット(ポケットトランペットか)がなんとも怪しい。普通のハードバップのアルバムのそれでは無い。

それで、ずっと聴くのを避けてきた。

テッドカーソンは、ずっとミンガスのバンドにいたらしいので、そういうヤバイ雰囲気があるのは必然なのだろう。なんというか、やっぱり普通のアドリブの感覚とも違った、やぶれかぶれさというか、やけっぱちというか、そういう印象を時々受ける。

きっと、トランペットはものすごく上手いのだろうけれど、いや、実際上手いのだけど、粗雑さというか、乱暴さというか、勢いが良いというか、そういうものがある。田舎者の私が勝手に抱く江戸っ子のような印象だろうか。なんだか、こういうアルバムを聴いているのがバレると先生に怒られるきがする。なんの先生なのかはわからないけれど。よい子には聴いて欲しくないアルバム。

それもこれも、レコードジャケットを見ないで聴いたらかなり印象は違うのだろうけれど、このジャケットを見ると、なんだかジャズの開いてはいけない一ページを開いてしまうような気がする。

A面はそんなでも無いのだけれど、先に書いたようにオーソドックスなハードバップな内容なんだけれど、B面から漂うなんというかこの複雑な空気感、これがこのアルバムをさらに怪しくしている。それもレコードジャケットのせいなのだろうけれど。

ハードバップが好きであれば、ぜひレコードラックに一枚置いておきたいアルバムです。

Joe Newmanの唄

Joe Newmanが好きである。カウントベイシー楽団で吹いていたトランペッターの中でもかなり好きな方である。いちいち上手い上に、分かりやすい。小難しいことはあまりやらずに、ソロもコンパクトに収めてくる。こういうトランペッターが良い。

半年ばかりペダルスチールギターもののジャズを聴いてきたが、ペダルスチールの複雑なハーモニーにちょっと疲れてしまい、今はしばらくトランペットもののジャズを聴いている。トランペットは単旋律なので良い。難しいことをやっていても唄がある。

ペダルスチールのジャズもなかなかあれはあれで良い。普通の楽器ではなかなか再現できないサウンドとコードワーク(コードの構成要素から省略する音符が独特である)によって、あの楽器でしか創り出せない音楽がある。ペダルスチールのスタンダードなジャズも良いけれど、ノンペダルのスティールギターで演奏されるウエスタンスウィングも良い。長時間聴くに耐えうる音楽である。

しかし、四六時中ペダルスチールのことを考えていたら、ますますあの楽器がわからなくなってしまった。もっと、基礎的な練習をしなければならないのだけれど、初めっから基礎的なやつばかり聴いていては面白く無い。それで、思いっきり複雑なハーモニーのやつを聴いていたら、自分の楽器の練習とかけ離れてしまい、なんだか頭がこんがらがってきてしまった。

そこで、トランペットの小唄ものに切り替えた。

おりしも、自宅では妻と娘がトランペットを嗜んでいる。先般、先生に習い始めたのだ。私は人にものを習うのが苦手なので習ってはいないが、私も時々練習をはじめた。トランペットの練習は時間を選ぶのでペダルスティールギターよりも制約が多いのだが、ペダルスティールは10分も練習すると頭が疲れてしまうのだが、トランペットの練習は体がバテるまでは続けられる。(ご近所や家族には迷惑な話なのだけれど)

それで、トランペット機運が盛り上がってきていて、トランペットもののジャズを聴くことにしたのだ。なんせ、トランペットものといえば、チェットベイカーが好きなのであるけれど、あればかり聴いていては心が暗くなってしまう。理想のトランペットの音色はチェットのような柔らかな音色なのだが、せっかく聴くならああいうのと併せて、明るく元気なやつも聴きたい。

そんなこともあり、今日会社帰りにディスクユニオンに寄って、Joe NewmanのCDを購入してきた。Joe Newmanがどれほどリーダーアルバムを出しているのかは正直言って知らないのだけれど、彼のトランペットは明るく明瞭なので、アルバムもそういう気分で聞くのであれば、だいたいどれもハズレは少ないと思う。

今日聴いているのはSoft Swingin’ Jazzというアルバムなのだけれど、これも小気味良いジャズを初めっからどんどん繰り出してくる。私の大好きなハモンドオルガンのシャーリースコットとの共演版である。Joe Newmanはミュートでもオープンでも機嫌よくトランペットを吹いている。

ジャズは、こういう難しく無いアルバムが少ないと思う。とくに名盤の誉れ高いアルバムはどれも先駆的であったりして、どうもこう、純粋に楽しんでしまおうという気分になれないものの多い。スリリングさを求めるならばハービーハンコックの処女航海とかああいうようなアルバムの方が良いのかもしれないけれど、私が今聴きたいのはそういう難しいジャズではなくて、とにかくノリの良い、楽しく唄うジャズなのだ。

そして、このアルバムJoe Newmanが歌いまくっている。いや、文字通り唄っているのだから、ぜひ聴いてみてはいかがだろうか。

仕事人が作った名盤「The Warm Sound」

トランペットのワンホーンカルテットの名盤は案外少ない。大抵は、もう一人サックスやトロンボーンが入っていて、ソロを回している。

サックスのワンホーンものはそれに比べたら少しは多いかもしれない。これは、トランペット好きとしてはなんとなく寂しい。トランペット一本でも十分フロントは務まるのだけれど、どうも世の中はそれだけでは満足しないような気分になる。

ライブ盤のワンホーンカルテットは比較的多いのだけれど、スタジオ盤となると、少なくなる。マイルスデイヴィスなんかは、結局ワンホーンカルテットのアルバムを作らなかったんじゃないか?いや、もしあったらごめんなさい。私のレコードラックにはマイルスのワンホーンもののアルバムはなかった気がする。

マイルスの場合は、テナーサックスとのハーモニーを使ってまるでオーケストラのような世界観を出すこともできるということもあって、あえてワンホーンもののアルバムを作らなかったのかもしれない。マイルスとコルトレーンのクインテットは、その代表例だ。いつも素晴らしい。

何年も前に、雑誌の記事で読んだのだけれど、オールマンブラザーズがデュアンオールマンと、ディッキーベッツのツインリードギターにしたのは、マイルスとコルトレーンを意識したからだとのことだった。オールマンの場合は、マイルスとコルトレーンともまた違ったレイドバックしたギターの絡みが面白いんだけれど、まあいいか。今日はそのことについては書かないでおこう。

そんな、数少ないトランペットのワンホーンカルテットの名盤を一枚紹介したい。いまさら紹介するようなアルバムでもないけれど。

ジョニー・コールズのリーダー作「The Warm Sound」。これが、なかなか素晴らしい。ピアノのケニー・ドリューもいい味を出している。

ケニードリューは、サックスワンホーンものの、デックスとかのアルバムでいい仕事をしているから、トランペットのバックでも手馴れたもんである。ケニードリューのピアノは、とくに特別なことはしないのだけれど、安定しているからいいのだろう。この人はいつも安定していて、ピアノトリオでも、危なげがないので、どうもわざわざレコードを買ってじっくり聴く気になれなかったりするのだけれど、あらためて聴いてみるとこれが、まさに理想的なジャズピアノでないか!

アルバム「The Warm Sound」に戻って、ここでのジョニー・コールズのトランペットをじっくりと聴いてみたい。ジョニーコールズはほとんどヴィブラートをかけない。マイルスデイヴィスもほとんどかけないけれど、50~60年代の流行りなのだろうか。チェットベーカーもヴィブラートはあまりかけない。ヴィブラートをかけないでジャズを吹くと、どこかモダンな雰囲気がただよってくる。逆に、40年代からのスタイルは、ヴィブラートをかけまくるからだろう。

ハーフバルブを多用するところもマイルスのようだ。トランペットの音はマイルスの音に似ているのだけれど、意識的にそうしているのかな。

しかし、一方で、小気味よくスイングしている感じがちょっとマイルスよりも古めかしくて、好感が持てる。スイングの仕方が素直、と言えばいいのか、どんどん飛び出すソロのフレーズも、マイルスの感じとは随分違う。マイルスよりも、もっとケニードーハムのようなハードバップに仕上がっている。

それでは、ジョニーコールズに個性がないように聞こえるけれど、確かにこの人は個性が強い人ではない。危なげなく、しっかりきっちり正統派のジャズを奏でる仕事人である。仕事人であるからこそ、いいアルバムを作れるのだ。

サウンドは実験的であればいいというものではない。マイルスは、常に実験的なアルバムを作り続けていたけれど、ジョニーコールズはそういうタイプのトランペッターではなかったのだろう。だからこそ、頑固にハードバップの名盤を作ることができて、実際に、この「The Warm Sound」のような名盤がうまれた。

まさに、ウォームで、楽しげなアルバムに仕上がっている。ブルース良し、スタンダード良し、バラード良しの3拍子が揃っているワンホーンの名盤です。

BACHのトランペットのピストンボタンをターコイズにした

トランペットという楽器は、それだけで目立つ楽器なのだけれど、そのせいか、トランペッターの多くは目立ちたがり屋の人が多い気がする。

例えば、ディジーガレスピー。彼なんかは、アップベルの楽器を吹いている。ベルが上向きに曲がっていても、いなくても出てくる音そのものは変わらないのだろうけれど、目立つという理由だけでああいう楽器を吹いているのだろう。

もちろん、世の中には寡黙なトランペッターという方々も存在するのかもしれない。純粋に、トランペットの音が好きで、目立つ目立たないに関わらず吹いている人たちも、ひょっとしたら世の中に存在するのかもしれない。

しかしながら、私の数少ないサンプルの統計の結果、トランペッターは目立ちたがりと相場は決まっている。

私は、学生時代にモダンジャズ研究会という、サークルに所属していた。「研究会」と名がつくので、もっぱら研究に明け暮れている根暗な方々が多そうな印象を持たれるかもしれないけれど、ジャズ研の方々はそれはそれは個性的な方々が多かった。特に、ジャズ研に入部する管楽器の方々は、高校の吹奏楽上がりの方が多くて、吹奏楽部に入部すれば良いものを、ジャズ研に入部するわけだから、「目立ちたい」という想いを胸に来られた方が多かった。

例えば、吹奏楽部では、トランペットパートは何人かいるトランペットパートの中の一人であるのに対し、ジャズのコンボでは大抵トランペッターは一人いれば十分である。だから、目立つ。目立つのが嫌ならば、コンボで吹こうなどとは思わないだろう。吹奏楽上がりではない管楽器パートの方も多くいた。彼らは、大学に入学してから管楽器を習得しようという腹の方々である。私もそうだった。いわゆる「大学デビュー」組である。

吹奏楽上がりか、大学デビューかは楽器を見れば分かった。吹奏楽を経験してきたトランペッターは、大抵ヤマハのゼノか、バックのストラディバリウスを使っていた。それも必ず、決まって銀メッキの楽器を。ラッカーのバックを吹いている後輩も一人いたけれど、彼以外は皆、銀メッキの楽器だった。

それに対して、大学デビュー組はやけに目立つ楽器を使っていた。キングだの、コーンだの、そういった吹奏楽上がりはまず使わないであろう楽器だった。かくいう私も他聞にもれず、黒ラッカーのマーティンコミッティーを使っていた。その、黒ラッカーの楽器は持っているだけで目立った。持っているだけで上手そうに見えてしまった。

結局、目立ちたい気持ちだけが先走り、練習をちっともせずに学生時代は終わった。私は、下手なのに目立つのが嫌になってしまい、結局大学5年の春にその美しい楽器を手放してしまった。手放して、代わりに銀メッキのベッソンを買った。今でも、その美しい楽器を二束三文で手放してしまったことを後悔している。

大学を5年半かかりなんとか卒業させてもらい、そのあとしばらくトランペットを吹くことはなかった。楽器から離れてしまった。3年に一度ぐらい、思い出したかのように楽器を引っ張り出してきたり、新しい楽器を買ったりして、トランペットを再開しようとするが、挫折する。そんなことを何度か繰り返したりした。そんなのだから、トランペットはちっとも上達しないまま今日に至っている。

このコロナの騒ぎのおかげで、家にいる時間が多くなり、久しぶりにトランペットを手にしてみた。初めは、自宅の押入れにしまっているMartinの Committee Deluxeを吹いていたのだけれど、ちっとも上達しない。

そこで、基本に戻ろうということで、バックのストラディバリウスの中古を買ってきた。それも、シルバーメッキ、のような外見のニッケルメッキの1980年製のものを買ってきた。ニッケル鍍金というのは、一時期流行ったらしく、時々出てくるのだそうだけれど、もちろんバックのオリジナルではなく、後がけのメッキである。赤ベルのニッケル鍍金だから、かなり吹きづらそうに聞こえるけれど、さすがヴィンセント・バックの設計した楽器、吹きやすい。

40にして、初めて「普通の」トランペットを入手した。見た目は銀メッキの楽器と一緒だから、まるで吹奏楽上がりのトランペッターのようである。見た目だけは品行方正になった。

しかしながら、なんともその優等生な見た目は、心がウキウキしない。楽器は良い楽器だから、吹いている分には何の文句もないのだけれど、元々が目立ちたがり屋なのだろう。他の人と同じ楽器は嫌なのだ。

そこで、ピストンボタンをターコイズのものに交換した。

やれやれ、見た目ばっかり目立ちたがるのは、私の悪い癖なのだ。

交換してみたら、案外カッコよく、安心した。音色は全く変わらないのだけれど、ターコイズブルーのフィンガーボタンはなかなか美しく、銀色の楽器に映える。こういう、小さなところから練習のモチベーションを上げていくのだ。

かつて、ヴィンセント・バックのオリジナルパーツでターコイズのボタンというのが存在していたのだけれど、今はもう廃盤になってしまったらしい。どこを探してもなかった。仕方がないので、インターネットを探していたら、自分の好きな石を選んでボタンをつくってくれる店があったので、そこから購入した。バックは、いろいろなカスタムパーツが存在するから、嬉しい。

楽器の見た目はかっこよくなったわけだから、あとは練習をして、自分自身がかっこよくなるだけである。

ディキシーランド再訪 Doc Cheatham

近頃、トランペットの話ばかり書いているので、ご興味のない方には大変恐縮なのだけれど、こういう不景気な世の中だからこそ、トランペットの温かい音色で鬱憤を吹き飛ばしてしまおうと、今夜もトランペットもののアルバムを聴いているChet Bakerが好きで、ジャズといえばチェットのアルバムばかり聴いているのだけれど、たまには趣向を変えて、今日はディキシーランドジャズを聴いている。

ディキシーというと、どうも苦手な方は苦手なようで、特にモダンジャズを聴く方の多くはディキシーを聴かないという人が多いように思う。たしかに、最近のジャズが好きな人がディキシーランドを聴くと、どうもトンガっていないような気分になってしまうのは仕方ないだろう。ロバートグラスパーを好きだと言う人にバリバリのディキシーを一緒に聴こうと誘ってもおそらく断られるだろう。

しかしながら、偏見を捨てて聴いてみると、こういうオールドスクールなジャズは、案外トンガっていてカッコイイ。一度に2本も3本もの管楽器がアドリブの取っ組み合いをやるジャズのスタイルって、ディキシーぐらいじゃないだろうか。片方がリードを吹いて、片方がそれにオブリガードをつける時もあれば、一気に両方とも前に出てきて吹きまくる、時にはそれに歌やピアノソロも加わる。こういうのは聴いていてスリリングである。

オールドジャズの世界も名盤は沢山あるけれど、今夜聴いているのは、Doc Cheathamというディキシー時代の大御所が歳をとってから吹き込んだ一枚「Swinging down in New Orleans」1994年の作品。バリバリのオールドジャズを高音質で楽しめる。

ドクチータムの若い頃の音源は聴いたことないのだけれど、80歳を過ぎたあたりから、ニコラスペイトンと共演盤を出したりして、俄然元気が湧いてきた名人である。1905年生まれのはずだから、このアルバムを吹き込んだ時は88歳。それでも、全然歳を感じさせない演奏である。

若い頃はどんなトランペットを使っていたのかはわからないけれど、このアルバムではスタンダードなBACHのストラディバリウスを吹いている、それも、ジャズマンには珍しい、銀メッキ。バックの銀メッキって、なんだかジャズに向いていないんじゃないかなんて、ずっと思っていたけれど、この人の演奏を聴いてイメージが変わった。ダークでハスキーな音色から、パリッとした音まで、バックらしいハキハキとした音色で聴かせてくれる。

そういえば、ウィントンもニコラスペイトンも、あのロイハーグローブも、若い頃はみんなバックを吹いていたっけ。ニコラスペイトンはラッカーの楽器だったけれど、ロイハーはやっぱり銀メッキ。楽器なんてなんだってかんけいないんだなあ、と思っていたら、私の好きなチェットベイカーも晩年はセルマーが貸与したバックのストラディバリウスを吹いていた。

肝心の音楽の方は、これがまた素晴らしい。ディキシーらしく4弦バンジョーも登場する。聴いていて、暑苦しすぎず、楽しいアルバム。しかも、ジャズのスタンダード曲集なのも嬉しい。ニューオーリンズ系のミュージシャンに明るくないので、ドクチータム以外のメンバーは誰も知らないのだけれど、ノリノリのスイングもあれば、しっとりと歌を聴かせるバラードありのアルバム。

ドクチータムは、トランペットもピカイチなのだけれど、渋いボーカルも悪くない。こういうアルバムは、難しいこと考えずに、じっくり聴かないで、さらりと聴いていても十分楽しめる。しかめっ面して、うんうん唸りながら聴くようなジャズとは違うから、疲れていても聴いていられる。

ジャズ、聴いてみたいけれど、どれから聴けば分からんという方にも、ジョンコルトレーンを聴くほど元気じゃないと言う方にも、ジャズとはなんなのかわからなくなってしまったと言う方にも、オススメできるアルバムです。ジャズとはなんたるかを、もう一度叩き込んでくれる、そういうアルバムです。

 

あ。このアルバム紹介するの2度目だった。

今宵もまたSwing Jazzを Charlie ShaversとHarry Edison

世の中、新型コロナで大変ではあるけれど、こういう時こそ前を向いてこれから何をすべきかについてじっくり考えなくてはいけない。考えなくてはいけないとは思うのだけれど、こういう時に前向きに考えられるのは、ある意味普段からのトレーニングを要するのではないだろうか。

前向きに考えるトレーニングと言われても、そういうことは普通の学校なんかではなかなか教えてくれないし、スポーツでもやろうものなら別だろうけれど、完全に文科系の、私はそういうトレーニングを怠ってきたような気がする。

しかしながら、トレーニングを怠っていることはもはや言い訳にはできなくて、とにかくどんな時でも前に進まなければなるまい。時間ができた人は、この機会に本を読んだり、勉強したりでもいいだろうし、逆に、時間を取られてしまって忙しくて何も手がつかないという方は、この機会に普段とは違う経験をして、一回りでもふたまわりでも大物になれるチャンスなのではないだろうか。

そんな、無責任なことを書いているけれど、かくいう私は、特に普段と変わったことをしてはいない。もっと積極的になろうという気持ちはあって、毎朝、仕事に行く前に、今日こそ、昨日よりも積極的な態度で仕事をしようと思うのだが、いまいち不完全燃焼のまま数週間が経過してしまっている。

人間、何が辛いって、いやなことが降りかかるのも辛いけれど、不完全燃焼が続くのも辛い。

辛いのであれば、自分からもっともっと努力すればいいのだが、その努力すら不完全燃焼気味である。これは、よくない。とてもよくない。明日こそ、今日よりももっとしっかり仕事をして、汗だくにはならなくても、どっと疲れて帰って来るぐらいの態度で臨みたい。急に明日がそうならなくても、この騒ぎが収まる頃には、バリバリ働き、社会人としてもっと会社に貢献できる人間になっていたい。

そのためには、まず、気分のメリハリが必要だ。緊張している方は、いまいちなのであれば、少なくともリラックス方面は徹底してリラックスせねばなるまい。

リラックス、といえば、私は音楽を聴くことが一番リラックスかもしれない。もちろん、どんな音楽かによって、エキサイトしたりリラックスしたりは違うけれど、特に肩肘を張らずに、どんな音楽でも聴いていれば、リラックスのしかたを思い出すことが出来る気がする。

それで、今日もあいも変わらずチャーリーシェイヴァースのアルバムを聴いている。それも、先日紹介したガーシュウィン曲集ではなく、別のストリングスもの、所謂「ヒモ付き」のジャズスタンダード曲集「The Most Intimate」を聴いている。

このThe Most Intimateもなかなかの名盤である。Charlie Shaversに駄盤はないのか、と思わせられるくらい、この人のアルバムは良いものが多い。

甘ったるいから、ダメな人はダメなのかもしれないけれど、トランペット好きで、嫌いな人は、少ないのではないだろうか。かくいう私は、ずっとCharlie Shaversを聴いてこなかった。理由は、シンプル。巧すぎるからである。こういう、なんでもできちゃうトランペッターが苦手だった。なんでもできるから一流のプロで居られるのだけれど、この人の場合ズバ抜けてすごい。ハイノートは煌びやかだし、ハスキーな中音域もフレーズの歌い回しも、早いパッセージだってなんだっていとも簡単にこなしてしまう。

ビバップ以降のスタイルの凄腕もすごくて、尊敬してしまうけれど、それ以前のスタイルでも、すごいやつは凄い。代表的なところでいくと、Harry Jamesあの人も凄い。もう、トランペットと一緒に生まれてきたのではないかというくらいトランペットを自由自在に操り、めまぐるしく表情を変えながら音楽を奏でる。いくらトランペットが体の一部だって、あれだけ体の一部を操れるのは、オリンピック選手ぐらいではなかろうか。スポーティーな凄腕である。

しかし、スポーティーな凄腕というのも、いつも聴いていると飽きてきてしまうものでもあるのだ。チャーリーシェイヴァースは、スポーティーなところをあまり見せつけないアルバムがあるので、良い。疲れたらそれを聴けば良いのである。

それでもチャーリーシェイヴァースの音楽は、ちょっとよくできすぎている。彼のようなビシッとキマッた音楽に疲れたら、もう少しラフなジャズを聴きたくなるのもので、私も、Charlie Shaversの後には、なにかクールダウンする音楽を聴くことにしている。

それは、騒がしいハードバップでも良いのだけれど、トランペットで言えば、もうすこしリラックスして、Harry EdisonかBobby Hackettなんかが丁度良いと思っている。Harry Edisonは名盤が多いのだけれど、特に「Sweets for the Sweet」という、これもストリングスもののアルバムが良い。ストリングスものではなくもっとじっくりとジャズを堪能したいのであれば、「At the Haig」というワンホーンカルテットでの名盤もある。今日は、さらにもう少し、リラックスした音楽をと思い、Buddy Tateやら Frank Wessやらのスイング時代の大御所とのジャムセッション「Swing Summit」を聴こう。

Charlie Shaversでお腹いっぱいになった後は、Harry Edisonのアルバム、オススメです。

久しぶりにアルバム1枚通して聴いた Gershwin, Shavers and Strings

Charlie Shaversという名トランペッターについて、詳しいことはよく知らないけれど、とにかくトランペットが上手くて、音も煌びやかな音からしっとり聴かせる音色まで的確に使い分ける凄いやつだ。

私は、ずっとこのCharlie Shaversが苦手だった。どうも上手すぎるので、癪にさわるというか、なんというか。世の中にこんなに自在に楽器を弾けるやつがいるというのがどうも受け入れられなかった。

しかし、先日、ちょっとした気まぐれから、この「Gershwin, Shavers and Strings」というアルバムを買ってきて、聴いたところ、やっぱり良いものは良いのだという当たり前のことを再確認した。

どっぷりとジャズを聴こうと思うと、このアルバムは肩透かしを食う。なぜなら、ここにあるのはジャズというよりもムード音楽だからなのだ。ムード音楽、と聞くと多くの人は、「じゃあ、それならやめよう。時間の無駄だ」と思ってしまうかもしれないけれど、ここまで完成度の高いムード音楽を聴いてみると、心を奪われてしまう。

ガーシュウィンの曲集にちなんで、イントロが「ラプソディーインブルー」の引用だったりして(それも、何曲もそのパターン)どうもなんとなく胡散臭いのだけれど、その怪しさも含めて、遊び心があるムード音楽に仕上がっている。ジャズの要素が全くないかというと、そんなこともなくて、メロディーをフェイクしたり、アドリブソロがちょっとだけ入っていたりして、それはそれでCharlie Shaversのジャズ魂も確認できるのだけれど、そういう難しいことは抜きにして、ジャズが苦手な方にも楽しんでもらえそうな内容に仕上がっている。

トランペットもののムード音楽といえばニニ・ロッソなんかを連想してしまいそうな感じもするのだけれど、ああいうヨーロッパ系の(ニニ・ロッソがヨーロッパなのかどうかは知らないけれど)ムード音楽とは一線を画す、古き良きアメリカ音楽に仕上がっているのもこれはこれで貴重だ。

Charlie Shaversの他のアルバムと違うところは、彼がテクニックをこれでもかとひけらかさないところ。それでいて、完璧なコントロールのもと危なげなくトランペットを吹ききっていて、聞き惚れてしまった。

このところ、アルバム一枚をゆっくり聴いたことなど久しくなかったけれど、このアルバムは、最初から最後まで通して聴いてしまった。