何かと便利なヴァイオリンスタンド

最近購入したZetaのヴァイオリンの置き場所に困っていたので、ヴァイオリンスタンドを買った。アマゾンで1,400円ぐらいだった。

このスタンドの便利なところは弓を一緒に立てかけられること、ヴァイオリンはポンとそこらに置いておくことはできるけれど、弓を置いておく場所がない。ましてや、あまり扱い慣れていない楽器であるから、ポンと置いておいて大丈夫なもんなのかどうなのかもよく分からない。

そういうこともあり、それでは、スタンドがあると便利だろうと思い購入した。

このスタンド、ヴァイオリンだけでなくウクレレやマンドリンも立てられるそうである。ウクレレも、ずいぶん高価なヴィンテージのやつを一台持っているのだけれども、これも、どこに置いて良いかわからなくて、困っていた。仕方がないからいつもハードケースに入れているのだけれども、ちょっと出してきて弾いている時に立てるところがない。こういう便利なものがあるということは知らなかったので、今度、たまに使ってみようかと思っている。

スタンドも、そこそこ場所は取るのだけれど、部屋の角地に置いておく分には、まあまあ収納性は良い。

とりあえず、しばらく使ってみないと実のところ使い勝手が良いのかはわからないけれど。寝る前に練習して、弓を置いておくところがなかったので、枕元に置いておけば、安心だ。

まあ、そんなに熱心にヴァイオリンを練習しているというわけでもないけれど。

ああ、それより、ピアノとギターの練習しなきゃ。ピアノは、なかなかまとまった時間がないと、練習ができないから、明日の休みにでも練習しよう。

おとなしくギターだけ練習していればいいのに、Zeta Violin

私は、どうも楽器というものが好きである。

弾けもしないのに、ペダルスチールギターを持っている。これは、せっかく買ったので、練習しなければなるまいと最近切に思うようになってきて、休みの日にこっそりと練習している。こっそりと練習しているもんだから一向に上手くならない。そもそもがペダルスチールギターは難しい楽器なのである。

ペダルスチールギターも結構まとまったお金が必要なお値段がする。新品で購入したら40〜50万円はするような品物である。当然、新品では買えないから中古で買ったのだが、まだまだ全然弾けていないので、元は取れていない。ペダルスチールギターをバリバリ弾けるようになって、方々のカントリーのバンドから引っ張りだこというのを夢見て買ったのだが、このままでは引っ張りだこはおろか、絶対にバンドから声はかからない。

悲しいもんである。

かつては盛んにトランペットを吹こうと考えていたこともあった。トランペットだけで今まで10本は買った。そのうち7本ぐらいを今でも所有している。所有しているだけで全然吹いていないもんだから、知り合いのジャズトランペッターに長期で貸している。彼は、バリバリステージで私の楽器を吹いてくれている。私のコレクションの中でも最もいい楽器を使ってもらっているから、楽器としても幸せな部類だろう。

ギターも、何本も所有している。これは、弾かなければギターはダメになってしまうので、ローテーションで引っ張り出してきては弦を交換して、それぞれの楽器で練習している。それでも、ギターを練習する時間は平日では殆ど取ることができないので、休みの日にちょこっとだけ練習しているような体たらくである。これでは、ギターを出し入れしているだけのような気分がしてくるのである。

その他にも、グランドピアノのとびきり良いやつを持っている。アップライトピアノも、一般家庭にあるものの2倍ぐらいの値段がするそこそこ良いやつを持っている。ローズピアノも2台持っている。これらも、弾かなければダメになるので、こまめに練習するようにしている。

上記のように、いろいろな楽器を持って入るのだけれども、どれもろくに弾けないのが実情である。練習する時間が取れないので弾く時間がない、と言う意味でろくに弾けないと言うのではなく、ぜんぜん弾けるだけの腕がないのである。要するに、どの楽器もド下手なのである。

そこに来て、また楽器を買ってしまった。

ヴァイオリンである。

ヴァイオリン? あの、 子供が習い事でやるあのヴァイオリンである。

ヴァイオリンって、子供の頃からやらないと弾けるようにならないんじゃないのか?とか、もしかして子供の頃に習っていたの?とか聞かれそうだが、ヴァイオリンの経験ゼロ、全く弾けないのである。

しかし、私は中学時代よりブルーグラスが好きで、人一倍フィドルの音楽は聴いてきたのである。

聴いていれば弾けるのか?

当然、弾けない。弾けないのだが、人一倍フィドルへの憧れはあるのである。そのフィドル界でも最も有名な巨匠、マーク・オコナーのシグネチャーモデルのエレクトリックヴァイオリンを購入したのだ。マーク・オコナーなんて言っても知らない方も多いかもしれない。日本では、ブルーグラスがあまり流行っていないから、彼の名前もそこまで知られていないのだが、ブルーグラスフィドルの世界では、世界一のプレーヤーである。

Zeta Violinというエレキヴァイオリンではトップメーカーのマーク・オコナーモデルである。30年以上前の楽器なのでけれど、新品定価は一体いくらだったのだろう?いまZetaの新品が30〜40万円なので、当時もそこそこしただろう。そのエレキヴァイオリンが、二束三文の値札を付けられてギター屋で売られていたのだ。まあ、二束三文といえども、万の桁だったけれど。

ギター屋曰く、

これ、うちに置いておいても全然売れないんですよ。そもそも、マーク・オコナーを知っているお客さん少ないですし。

ということだった。

購入したらKunの肩当と、立派なケースが付いてきた。純正ケースである。さすがは、ツアーに持って歩く為の楽器である。お家に大事に置いておく類の楽器ではない。だから、ケースもずいぶん持ち歩きのしやすいケースである。

それで、お会計を済ませて帰ろうとしたら、

お客さん、弓、持って帰らないと。

と言うことで、中古の弓もつけてくれた。それも、一度はその辺にあったドウデモイイ弓をつけてくれそうになったのだが、

おい、奥にもっと良い弓あっただろう!!それつけてあげれ、

と言うことで、「もっと良い弓」というのをつけてくれた。

目下、練習中である。練習中であるが、さすがはヴァイオリン、ものすごく難しい。

革紐を買ってきて、四つ編みにして楽器のストラップを自作した

先日、御茶ノ水の楽器屋に行って、ギターのストラップを買おうと物色していた。ブルーグラスやフォークミュージックをやるのに雰囲気が良さそうなストラップを付けようと思っていたので、そういう楽器専門店に出向いてストラップを見ていたのだ。

あのー、バンジョーとかマンドリン用のブルーグラスっぽいストラップってありますか?

と、お店の人に聴いたところ、

ああいう人たちは、あんまり既製のストラップ使っていないんだよね。それも、プロになればなるほど、そこらにある麻ヒモとか革紐とかを使って楽器を持っている。だから、ストラップは商売あがったりなんですよ。

などと、ずいぶん商売っ気がないことを言われた。

それならこれですよ、これですこれです。

と言われていたら、素直にそれを買っていただろうに、そういうことも言われなかった。なんだか少し、残念だった。残念だったが、そのおかげで余計な買い物をしなくて済んだので、良かった。

それで、その楽器屋さんが言うように、ストラップにするための革紐を買ってきて、四つ編みにして、自作の楽器ストラップを作った。日暮里で5ミリの革紐を一本三百円で4本買ってきた。税込み1,296円であった。皮でできた既製のストラップを買っていたらゆうに一万円はしただろうから、いい買い物をした。

目下、どの楽器にこのストラップを付けようか迷っている。とりあえず、しばらくは眺めてみて、どういう風に使おうか考えてみようかと思っている。思い切って、秘蔵のライオンアンドヒーリーのウクレレにでもつけてやろうか。などと考えている。いや、ウクレレに傷がついたら大事だ。やめておこうか、

とりあえず、気分だけはブルーグラス、フォークの世界に浸っている。

Hamiltonの腕時計を手に入れた

1940年代だろうか、ずいぶん古いハミルトンの腕時計を手に入れた。丸一日つけてみたが、どうやら時間は正確に刻んでいるようだ。ひとまず安心。

古いものだから、どこがどうダメになっているかもわからないし、大切にせねばならない。去年の今頃、Lord Elginの同じような腕時計を買って、壊れていた。それで、それはすぐに捨ててしまった。同じようなスモールセカンドで、1940年代だったような気がする。すぐに止まってしまう時計だった。

私は、腕時計には特にこだわりはないのだが、過去数年で、いくつも所有して、いくつも壊してきた。古い腕時計はほんとうに大切にしないと、すぐに壊れてしまうのだ。70年以上も時を刻んできているのに、私が乱暴に扱うせいで壊してしまうのはとても時計に申し訳ない。申し訳ないのだが、時計はコレクションではなく実用のものとして使っているので、普段から付けて歩くし、時にはポケットに入れて作業もする。

そもそも、70年以上前は腕時計も今よりも高価だったかもしれない。その辺はよく分からない。おそらく、そこそこいい値段がしたのだと思う。だから、かなり大事に使われる前提で作られていたのではないだろうか。そのせいか、乱暴に扱うとすぐに壊れてしまう。すくなくとも、乱暴に扱われる前提では作られていないのだろう。

私の手元にComplete Price Guide to WATCHESという洋書があって、そこに古い機械時計の相場が載っているのだが、見てみると、このハミルトンなんかはかなり安い。たくさん作られていたからだろうか。ぜんぜん価値がない。ひょっとすると、これが作られてころにも、たいして高くなかったんじゃないだろうかというような値段である。

けれども、古いフィルムカメラと違って、時計は時を刻めば用をなすから、多少日差があっても動いていれば時計としての価値はある。少なくとも価値はあると私は考えている。高価なものではなくても、70年以上前のものがこうしてまだ現役でいるということが奇跡なのではないかと思う。

明日から早速仕事につけていこうかと思っている。

ピアノのT Shirtを作った

ベヒシュタインのピアノが自宅に来たことがあまりにも嬉しくて、C. BECHSTEINのT Shirtを作った。つまのと、じぶんのを一着ずつ作った。オリジナルTシャツって、案外簡単に一着から作れるようなのだが、これが結構良い値段する。一着4,500円ぐらいかかってしまった。一応、生地もそこそこ良いのを選んで作ったのだけれど、サンプルも何も見ずにいきなり出来上がりだから、いろいろと反省すべき点もある。もっとプリントを上に入れたほうがよかったのではないかとか、写真も左右でもうすこし調整すればよかったのではないかとか。

しかしながら、出来てしまったものは仕方ない。

うれしくて、早速着てみた。こういうT Shirtは本当はメーカーの人が作るべきなのだろうけれど、ピアノメーカーのお客さんはあまりT Shirtを着る人がいないのか(クラシックのピアノの先生がT Shirtを着ているところをあまり想像できない)、メーカーは作っていないようだ。

そういえば、日本だけなのかもしれないけれど、ピアノってどうしてもお稽古事として嗜まれる方が多いようで、なんだかT Shirtというスタイルが似合わないのかもしれない。これがエレキギターの皆さんは、T Shirtというとしっくり来る。

けれど、私はそういう「先生」がいるような世界ははっきり言って苦手だし。そういう堅っ苦しいことを抜きにしてピアノという楽器を楽しんでも良いのではないかと思う。なにも、みんながコンクールに出たり、ベートーヴェンを弾けたりする必要はないと思う。特に私個人に限って言えば、人にモノを習うということがものすごく苦手で、自動車の教習所でもダブりまくって、ひとの3倍ぐらい時間をかけて大型二輪の免許を取ったりしている。誰か先生に習ったほうが上達できて嬉しい、楽しいという方がいるのはもちろんわかるけれど、楽器というものは元来、そういう「お稽古」でやらなくても結構楽しめるものなのだ。

自慢ではないが(いや、自己満足という側面では自慢だが)私はエレキギターも、ピアノもほぼ我流で楽しんでいる。厳密に言えば、ピアノは幼少の時習っていたこともあり、「プライマリー」とかいうのが家にあったけれど、「バイエル」とかいうのは全く弾いた覚えはない。一つ覚えているのはピアノの先生に顔をあわせるのが嫌で嫌で仕方なかった。何か曲を弾いたという記憶が全くない。ただ、ドミソ、だとかそういうのを弾かされた覚えはある。とにかく、そういうのがあったせいで、ピアノという楽器が大っ嫌いだった。

エレキギターも、厳密に言えば、先生に習ったことがある。オーストラリアの高校で月に何度かギターのレッスンを受けることができて、私はそれを受けていた。先生はローカルのロックバンドのギタリストで、ギターショップのオーナーだった。良い先生だったが、先生からギターの弾き方を教わった記憶はほとんどない。毎回先生とギターについて語り合っていた記憶だけしか残っていない。あとは、ひたすらジャムセッションをしていた。

そういうこともあり、楽器を人に習うということにはあまり肯定的ではない。そりゃあ音楽家を目指そうとか、ピアノを弾いて金を稼ごうと思っている方は、そういうのを我慢して大いに先生に習えば良い!どんどん盛んにやってくれ!

けれど、私はこれまでも、これから先も人前でピアノの演奏をするようなことはないだろうし、そういうことを望んでもいない。純粋に、ピアノを触っていて面白いと思うのだ。ちょっと弾きたい曲のさわりの部分だけ弾けるようになって嬉しい。歌のコードを拾うのにピアノがあって嬉しい。演歌やら、カントリーの名曲を弾き語りできて嬉しい。そういう為にピアノがあればそれで良い。

世の中には、そういう気軽にピアノと向き合うという関係があって良いと思う。先生について、上達するだけがピアノの楽しみではないのだ。みんなと同じ「ツェルニー」だとか「ソナチネ」だとかを一生懸命やる、高校の勉強みたいな楽しみ方しかない世の中には生きていたくない。そんなもの一生弾けなくても、ピアノでブルースの弾き語りはできるわけだし、練習すればロックのリフを弾けるようにもなるだろう。

そういう、カジュアルなピアノとの付き合い方への第一歩として、ピアノT Shirtを作ってみた。

そのシャツを着て今日は、友人を家に迎えた。彼女は私の学生時代のサークル仲間のピアノ弾き。相変わらず、パワフルにピアノを弾いていた。マッコイタイナーなんじゃないかというほど、ドスが効いたピアノだった。東京の下町の夕刻にピアノの音色が響き渡った。

彼女のように、ピアノを自由自在に弾けるようになれると楽しそうだなぁ、と思いながら、私は隣で、ギターをかき鳴らした。思えば、今日は昼からカントリーのバンドの練習もあって、久しぶりにギターを弾いた気がした。

楽器と、もっとゆっくりリラックスしてお付き合いできる時間ができれば、良いのになあ。。

黒は美しい Gibson Les Paul Custom 1974

私はレスポールについてはとくにこだわりはなかったのだけれど、スタンダードより、カスタムのルックスの方が好きである。どうも、あの赤いサンバーストというのが好きになれなくて、ヘリテージチェリーサンバーストのレスポールは一台ももっていない。そもそも、レスポールは黒のデラックスと、黒のカスタムしか持っていない。

黒のカスタムは、1974年製の1台で、パンケーキボディー、3ピースマホガニーネック仕様である。なかなか重いボディーでこれで1時間も立って弾こうもんなら、かなり疲れる。そのため、あまり外に持ち出してはいない。

しかし、ギブソンの黒はカッコ良いので、好きである。あのBBキングのルシールの黒と同じ黒だと思うと、どうも心が熱くなる。使い込まれたレスポールの黒は、見ていて飽きないし、弾いていても、なんだかしっくり来る。私にとっては、あの赤いサンバーストよりもモノとしての魅力は高いのではないかと思われる。

黒のフィニッシュは、塗装の腕前がばれる。商売柄、黒いピアノはしょっちゅう見るのだけれど、近年のピアノの黒ぬりつぶしはどうも高級感がない。塗装が厚塗りすぎるのだ。特に、黒の上に吹いているクリアが分厚いとカッコ悪い。ヤマハの黒塗りは、まあ、高級品ではないから仕方ないとして、スタインウェイですら、今の仕上げはどうもイマイチ高級感がない。同じことは木目のピアノにも言えるのだけれど、クリアの吹き方が分厚いと、安物に見えてしまう。

数ヶ月前に、1920年代の黒のセラック塗りのピアノを見たのだが、美しかった。ヘタな木目のピアノよりも木の感じが出ていて、素晴らしかった。黒の塗装は薄く、かつ、丈夫でなければなるまい。と、そう感じた。

ピアノだって、真面目に塗装すれば、ああいう風に美しい黒を出せるのに、今のピアノはどうも安っぽくてダメだ。ギブソンの70年台前半までのあの黒の塗装を是非見習ってほしい。

とくに繋がりはないけれど、Diana KrallとDr. John

今日はほぼ1日ゴロゴロしていたのだけれど、秋葉原のヨドバシカメラまで行ってタワーレコードで Diana  KrallのCDを買ってきた。

Diana Krallはいままで全然興味がなかったのだけれど、カーメン・マクレエのCDを買おうかと思っていたら、どれにも決めかねて、仕方ないので帰ろうと思っていたところで、ふと目に入って買ってしまった。新品の輸入盤だから、2,500円ぐらいした。高い買い物をしてしまった。私は、普段CDは中古ばかり買うので、1,000円ぐらいで収まるのだけれど、今日はどうも中古屋まで歩くのが億劫になったことと、中古屋まで行ったところで、このCDがちょうどよくあるかどうかもわからなかったので、タワーレコードで買った。

カーメン・マクレエを買おうと思っていたのは、彼女が日本のライブハウスでやっているライブ盤が案外良いと聞いたので、ひょっとしてそれがあるだろうかと思ったからである。結局それはなかった。それはなかったので、Dr. Johnの棚も見た。Goin’ back to New Oreansというアルバムがあって、これが、名曲ばかり入っているので、買おうかと思ったのだけれど、どうもこのCDの背帯には見覚えがある。見覚えがあるなあ、などと考えていたら、ひょっとしてこれうちにあるんじゃないかしら、と思い買わずに帰ってきた。

帰ってきて、CDラックを見たら、案の定持っていた。持っている割に全然聴いていないから、忘れていたのだ。危うく二重に買うところだった。クワバラクワバラ。

Diana Krallを聴いていたら、これが案外それほど悪くない。今まで食わず嫌いだったことを悔いて、3度ぐらい繰り返し聴いている。明日からの出張に退屈しないようにiTunesに入れておこうか。

Dr. Johnの方は、まだ少ししか聴いていない。これは、ゆっくりじっくり聴きたいアルバムである。なんといっても、名曲揃い。Dr. Johnの独特の世界観で、名曲が聴けるんだから、買って損はない。

Our little old C. BECHSTEIN V

今日は、体調がすぐれなく仕事を休んでしまった。

この季節は、どうも体調を崩しやすいので気をつけなければならない。体調を崩してしまわないように大事を取った。これで良かったのだろうか。良かったことにしよう。

それで、一日中家にいたのだが、退屈なのでリビングのピアノの写真を撮った。カメラは、雨漏りの中でなんとか生き残ったミノルタフレックス。私が学生時代に札幌で購入した6x6の二眼レフ。なかなか渋い写りのレンズが付いている。

本当なら、こんな写真を撮る暇があったらピアノを練習する方がいいのだが、今日はその気力もわかずに、写真のプリントだけして、休んでいた。

6x6は難しい、と色々な方に言われるのだけれど、それは、きちんとした写真を撮ろうとするから難しいということだろう。こうやって、パチリパチリと撮っている分には、構図とか何にも考えなくても取れるので楽なカメラである。

 

ボロ家に鎮座する hof-lieferant sr maj des kaisers und königs

私の自宅のリビングにはhof-lieferant sr maj des kaisers und königsと書かれたグランドピアノが鎮座している。

hof-lieferant sr maj des kaisers und königs、外国語はよくわからないけれど、王室や、皇帝、皇族への納入業者です、とでも訳そうか、そんな意味合いであるだろう。

このhof-lieferant sr maj des kaisers und königs、と書かれたピアノはカール・ベヒシュタインが創業したピアノメーカーのC. BECHSTEIN社のピアノなのだけれど、ベヒシュタインと言っても、ピアノを弾いている人も名前を聞いたことがあるような、無いような感じだろう。王室御用達のピアノというのも、なんだかありがたい響きだけれど、この「王室御用達」というフレーズはピアノメーカーが好き好んで使っていて、なにもベヒシュタイン社に限ったことでは無い。だから、実のところそんなにありがたくは無いのかもしれない。

ドイツのピアノメーカーでも、シンメル社だって王室御用達を謳っているし、私は触ったことは無いけれどレーニッシュ社(王族ではないから触ったことなくてもしょがないか)もそうだと聞いたことがある。

よく考えてみれば、キッコーマン醤油だって、TOTOの便器だって、トンボ鉛筆だって皇居で使われていれば「皇族御用達」と謳えるのだし、なにも騒ぐことでは無い。けれども、ピアノメーカーはなぜこんなにそれを強調するのだろう。

近年のベヒシュタイン社のピアノにはhof-lieferant sr maj des kaisers und königsと記載されている代わりに王冠のマークが付いていて、それが「王室御用達」という謳い文句の代わりなのかもしれないけれど、もしかしたら、今は王室への「公式納入業社」ではなくなってしまったから、仕方なくそうしているのかもしれない、などと余計な勘繰りをしてしまう。

それでも、ピアノという楽器はなぜかそういう「ありがたみ」みたいなことが大切なのかもしれない。これが、エレキギターやら、ドラム、シンセサイザーであったら、王室で使われているとなんだか、ちょっと「ヒップでない」とおもわれてしまいマイナスイメージになってしまいそうなもんだが、ピアノは未だにそうでは無いようだ。そういう、ちょっとカッコよくないセールスポイントを背負った楽器であるのだが、このベヒシュタインという楽器はそれでいてなかなか味わい深い楽器なのである。

楽器は、誰が使っていようと音が良ければいいのであって、弾きやすければ良い。ただそれだけで充分である。欲を言えば見た目がカッコ良ければなお素晴らしい。私なんかは、もう、ほとんどその3つだけで楽器を選んできた。これは、当たり前のことのようだけれど、なかなか難しい。

音が良い、というのは絶対的な感覚ではなくて、人により千差万別であるから、何をもってして音が良いとするかははっきりとしていない。私にとって、良い音のピアノという尺度はぜんぜんはっきりしていなくて、正直どんな音が良い音なのか、自分の好きな音なのかわからないでいる。あえて言うと、「嫌いな音のピアノ」というものだけははっきりしている。「嫌いな音のピアノ」は冷たい音のするピアノである。

はじめて自宅にピアノを買おうと思ったとき、最初はヤマハのグランドピアノを買おうと思って店に行った。何台か小さいのやら、中位のやつを見たけれど、それらはなんだか業務用の機械のような見た目で、まさにピアノの先生たちのための「仕事の道具」にしか見えなかった。「仕事の道具」というのは、ライカのカメラやらアクアスキュータムのトレンチコート、モンブランの万年筆など、元来カッコ良いものなのだが、ヤマハのグランドピアノにはそういう魅力を感じなかった。ヤマハのあれは、もっと真面目な世界のものなのだろう。例えば、トンボ鉛筆とか、キャノンのカメラみたいにデザインに遊びがなくて、本当に実用一辺倒の道具なんだろう。それで、私はこれからピアノに真剣に取り組もうというわけではなかったので、そういうのは買うのをやめて、シンメルのアップライトピアノを買った。

ヤマハのグランドピアノを買わなかったもう一つの理由は、音に魅力を感じなかったからだ。まっすぐ真面目な、よく聴いたことのあるような「冷たいピアノの音」がした。ほんと、グランドピアノにしなかった一番の理由かもしれないけれど、あの音のピアノがあっても、きっと練習しないだろうな、と思った。弾いてて、なんだかニヤニヤするような音が出てくれなかったのだ。

じゃあ、シンメル社のアップライトピアノが、弾いていてニヤニヤするような音が出たのか、といえば、それはよく覚えていないのだけれど、ヤマハのグランドピアノより少し不器用で、素朴な音がしたのを覚えている、暖かい音がした。「なんだかピアノって可愛い楽器だな」と思わせられる、見た目と音に惚れた。

私は、これまでも、これから先も、人前でピアノを演奏するようなことは無いだろう。もう、純粋に、自分の家で楽しみのために弾く楽器である。だからこそ、どこにでもあるようなものではなく、ちょっと特別なものが欲しかったのだ。

私の自宅の”hof-lieferant sr maj des kaisers und königs”もそういった楽器だ。音は、大げさすぎることなく、ちょっと素朴でいて、可憐で、上品。これ以上の何を望むのか、というほど私はその音色を気に入っている。そして、なんとも存在感のあるルックスも素晴らしい。ほかの楽器に比べて弾きやすいのか、弾きづらいのか、その辺りは詳しくはわからないのだけれど、

そういうものが、私の自宅のような、下町のボロ家にあっても良いものなのか、と今でも思っているのだけれど、こういうものだからこそ、「仕事の道具」としてではなく、私のような楽器愛好家の手元にあったほうが良いのかもしれない。

「王室御用達」というちょっと田舎くさい肩書きを持った、この愛おしい楽器を傍らにおいて、王室や皇族の手元にあるよりももっと大切にしてやらねば、と日々思っているのである。

My Baby Grand’s been good to me.

憧れのピアニストがやってきた! C. BECHSTEIN Vを弾きに。

10日ほど前に、我が家にベヒシュタインのグランドピアノを迎え入れた話は数日前に書いた。とても愛おしいピアノである。1896年製だから、モダンピアノではあるのだけれど、もはや古楽器の領域にありそうな年代ものである。今までとても大切にされてはきているのだが、当然、いろいろなところにガタがきている。もう数十年前(ひょっとすると50年以上前)にオーバーホールされた形跡があって、そのとき弦も交換されているようだが、それからすでに長い月日が経っている。これからはそうとういたわってあげないと、すぐにでも壊れてしまいそうだ。

早速、書斎で使っていた除湿機をピアノのあるリビングに持って行った。これでなんとか湿度は50%〜60%に落ち着いた。湿度がおちついたとしても、なにせ古いものである。すでにピン板の表面にも、響板にもいくつものクラックがある。あまつさえ、フレームにも小さなヒビが入っている。本当に、心配である。家族のうちの誰かが体が弱く病気がちであるのと同じぐらいか、そのくらい心配である。

それでも、楽器である。演奏しないことには、コンディションが保てない。弾いていないと、ちょっとした楽器のコンディションの変化に気づくことができない。だから、できるだけ毎日弾けばいいのだけれど、仕事から帰ると疲れ果てて、ピアノを練習する気力が湧かない。

そもそも、我が家にはピアノを弾けると胸を張って言える人は一人もいない。娘は全く音楽に興味がないのかもしれないし、妻も、結婚してからピアノに向かっている姿は2度ほどしか見たことがない。これでは宝の持ち腐れである。

それで、とても困ったもんだと思っていたのだけれど、私の好きなジャズピアニストの方に、うちに古いベヒシュタインのグランドピアノが来たと自慢したところ、自宅まで来てくれた。

憧れのピアニストである。

もう、5年ほど前だろうか、それとももっと前だろうか。私は学生時代の友人、佐野大介さんのライブを聴きに行った。そのときは彼と会うのも、10数年ぶりである。ジャズのドラマーになったという話を別の友人から聞きつけ、それではライブを聴いてみようと思い恵比寿のライブスペースに行った。

彼のバンドでピアノを弾いていたのが、彼女だった。小柄で可愛らしいのに、ピアノはパワフルで、ダイナミック、それでいて、まだ少し不器用さが残るジャズピアノを聴かせてくれた。不器用さというのは、正しい表現ではないかもしれない。ものすごく上手いのだが、どこかジャズになりきっていないというか、ジャズに染まっていないスタイルだった。

それから2年ほど、彼女のライブにはほとんど足を運んだ。幸い、妻もよく理解をしてくれていたのか、呆れていたのかわからないけれど、月に5回ぐらいはライブを聴きに行った。

一度、佐野さんと彼女が代官山のレストランでライブをやったときに、妻を連れて行った。ライブの後、佐野さんと彼女に妻を紹介した。妻とは学生時代からの仲なので佐野さんは妻をよく知っているのだけれど、ピアノの彼女とは初対面であった。

娘が生まれたとき、彼女のような素敵な表現者になってほしいと思い、彼女の名前を拝借した。

その、ピアニストが私の自宅で、ピアノを弾いてくれた。彼女がピアノを弾いている間、娘はひたすらお土産でもらった紙相撲に白熱していた。きっと、うちの娘は大物になるだろう。

佐野さんのライブで彼女のピアノを初めて聴いたときから、彼女の演奏スタイルはどんどん進化しているのだろうけれど、はじめに聴いたときにすでにスタイルは出来上がりつつあったし、この5〜6年でメキメキと頭角を現してきている実力派のアーティストになった。パワフルさやダイナミックから、もっと洗練されたタッチになったと感じ、いや待てよ、もともと彼女はこういうタッチだったかもしれんなどとも思った。

横浜モーションブルーでの自身のバンドのワンマンライブ、たくさんのライブハウスでのサックスとのデュオでのライブ、ミュージカルのバンドでの国内外での演奏、など多岐にわたる活動で彼女の音楽の幅は確実に広がったのだろうが、初めに聴いた頃も、ジャズのスタンダードならどんな曲でもサラリと弾いてしまう多彩さはあった。そうだった、初め聴いたときから凄かったのだ。

書斎のRhodesも弾いてもらった。このいつもいじっているRhodesから、こんなにもそれっぽい音が出るんだということを知って、驚いた。私のローズで素敵な曲を弾いてくれた。「素敵な曲ですね。誰の曲です?」と私がたずねると、「今テキトウに弾いてみただけです」と彼女は答えた。

最後に、一曲ベヒシュタインで、私の好きな曲My Foolish Heartを弾いてもらった。間近で演奏を聴けるのはもちろん、わたしにとって特別な体験だけれど、それにも増して、My Foolish Heartって素敵な曲だな、としみじみと感じた。

このピアノが、さらに特別な楽器になったような気がした。彼女のように自在にこの楽器を弾きこなせなくても、せめて、My Foolish Heartのさわりの部分だけでも弾けるようになりたい。そう思っている。