頼むから良くなってくれよKramer 250G, Aluminum Neck

私は1990年代に青春時代を過ごした。ギターが大好きだったので、「ヤングギター」やら「ギターマガジン」やらを毎月心待ちにして読んでいた。あの頃はヘミメタマンセーの時代だったので、ギター雑誌の表紙は必ずと言って良いほど早弾き系のヘビメタギタリストが飾っていた。

当時は、そういうヘビメタギタリストにはほとんど興味がなかった。ヴァンヘイレンさえもあまり興味がなかった。当時は、流行っているというだけでその音楽を聞かなかったような気がする。そういう天の邪鬼な少年だった。ヘビメタを聴かずにカントリーブルースやらアーバンブルースばかりを聴いていた。当時流行っていたロックを聴くにしても、レニークラビッツやらのオールドスクールなロックを聴いていた。おかげで友達は少なかった。

なぜ、あの頃もっとヘビメタを聴かなかったのだろう。ヘビメタもなかなか奥が深いのに。あの頃聴かなかったこともあって、私は今になってもヘビメタはあまり好きになれない。耳がああいう音楽に慣れていないのだ。

20代の後半にギターショップで勤めていた。そこは、ヘビメタもののギターばかり扱うギター屋だったので、日夜ヘビメタギタリストのシグネチャーモデルやら、Jackson、 Charvel、Kramer、Hamerなどのギターを買い付けたり売ったりしていた。その店に入った頃は、ヘビメタについては何も知らなかったけれど、ひと月もすればヘビメタギタリストについて詳しくなっていた。それでも、店にあるギターを欲しいとは思わなかった。ヘビメタのギターはネックが薄くてフロイドローズのトレモロユニットが付いているので、それだけで弾き辛そうで食指が伸びなかった。

あれから、10年ほど経ち、ここにきてあの頃売っていたようなヘビメタもののギターになんとなく惹かれている自分に気づく。それも、あの店にあったような王道のものではなくて、ヘビメタ時代のギターメーカーの黎明期の作品たちだ。

とは言っても、Jackson、Charvelはどちらも初めからかなりヘビメタよりのギターを作っていて、なかなかハードルが高い。HamerとKramerはあの時代を代表するギターだけれど、ギターそのものの作りが凝っていて面白い。Hamerはビンテージのギブソンのようなサウンドが出る上に、ギブソンよりも弾きやすい気がするし、Kramerはアルミネックという独特のスペックだ。

先日、お世話になっているギター屋に行くと、Kramerのアルミネックギターが入荷していた。壊れていて、ひどい改造が施されているということで、ギター屋もさじを投げているようだった。ペグはボロボロに壊れているし、アルミネックのためネジ穴が合わないペグは使えない。ピックガードがひどく改造されており、オリジナルのピックアップは外されている。ジャンクとして、そのギターを引き取ってきた。

Kramerのアルミネックにはもちろんトラスロッドは仕込まれていないのだが、ネックがひどく反っている。そのまま弦を張ると原稿が5ミリでも音がビビってしまう。トラスロッドが入っていれば、ロッドを回していくらでも調整ができるのだが、そういったものは入っていないので、仕方がないので、時間をかけて万力で修正している。かれこれひと月ほど万力をかけているが、なかなか矯正されない。誰か、このネックの修正の方法で良いやり方をご存知の方がいたら教えて欲しい。

ヘッドは、トラビスビーン時代のヘッドの流れをくむバルタンヘッド。

これが、また、なかなか凶暴で良い。

このギターをなおすには半年以上かかりそうなきがする。治ったところで、どこで使うんだ?という疑問もあるけれど、歴史の片隅で忘れ去られている名作ギターであることは確かだ。私は、どうもこのような不当に低い評価を受けているギターに弱い。

ヘビメタ専門のギターを作る前の独自路線だった頃のKramer。まったく、美しいギターだ。このギターを振り回して世界を変えてやろうとか、そういう気分にならないのもこのギターの損なところだ。ギターというのは多かれ少なかれそういう側面がないとむかし少年だったおじさんの心を熱くさせない。もしKramerのネックがうまいこと治ったらこいつの悪どい改造を活かして、悪どいギターに仕上げてやろうと思っている。

 

少年の頃の夢を叶えるために今も生きている。Stevie Ray Vaughan and Double Trouble. Stevie Ray Vaughan!

少年の頃の夢はStevie Ray Vaughanになることだった。そのために、ダボダボのシャツやらブルーのスーツ、ウエスタンブーツ、テンガロンハットが必要だった。それより何より、サンバーストのボロボロの60年代のストラトが必要だった。

当時中学生の自分には、どれも手に入らないものだった。ただ一つ、ソンブレロみたいな帽子は、札幌の島村楽器に5,000円ぐらいで売っていたので、買おうと思えば半年分のお小遣いを貯めたら買えなくもなかったが、やっぱり買わなかった。それでも、スティーヴィーレイヴォーンに憧れていたので、とりあえずタワーレコードに行った。札幌のタワーレコードのラックには、Stevie Ray Vaughanのコーナーがあった。あるにはあったのだが、そこにはCDが一枚しか入っていなかった。それは「Live Alive」というタイトルのライブ盤だった。

Stevie Ray Vaughan and Double Trouble. Stevie Ray Vaughan!

というアナウンスと同時に爆音でワウのかかったギターが鳴り響くライブ盤だった。私は、飽きもせず、そのCDを何度も聴いた。その頃は、彼がやっている音楽がちっともわからなかった。特に、ブルースという音楽がわからなかった。どこが良いのかちっともわからなかった。それでも、ジャケ写がカッコ良かったので、何度も何度も聴いた。

あの、ワウがかかったギターのインストも、よくわからなかった。それでも、彼のギターがどうしてあのように力強くなるのかは不思議だったし。あのようなストラトの音も憧れだった。ジミヘンも同時期に聴いていたけれど、ジミヘンはまあ、想定内の音楽だったので、がっかりした。スティーヴィーレイヴォーンはもう、何が何だかわからない大きな波のようなものがあった。その波の中でギターが鳴りまくる。それだけで私には十分かっこよかった。だから、その当時から彼のギターをコピーしようとは思わなかった。コピーできるわけがなかった。あれは、ギターとは別の楽器だった。

35歳を過ぎて、30代もかなり後半になって、私はフェンダーの彼のシグネチャーモデルを手に入れた。中古で、ケースなし、傷だらけの不恰好なギターだった。トラスロッドをいっぱいに回しても、若干順反りという、いかにもスティーヴィーレイヴォーンという一台だった。さすがフェンダー、トラスロッドいっぱい回して順反りというところまで再現しているのか!となんとなく興奮した。やっぱり本物のフェンダーは違う。再現しようという心意気が違う。

その頃メインで使っていた64年製のフェンダートレモラックスにぶち込んで鳴らしてみた。なんと、いとも簡単にあのスティーヴィーのような音が出るではないか。フロントとセンターのハーフポジションにセレクターを固定して、ボリュームとトーンをいっぱいにあげて、0.11のゲージの弦を張って、思いっきりピッキングしたら、あの頃「Live Alive」から聞こえてきていたあのストラトの音がする。私はチューブスクリーマーを使わないのでわからないけれど、アンプのボリュームを上げれば上げるほど、あの音に近づく。

そのギターを手に入れてから数年経つが、いつも私はそのギターを部屋の片隅に立てかけている。チューニングは半音下げにして、いつでも彼のフレーズを弾けるように。

そして、今日、古本屋に行くと、一冊の楽譜 ギタースコアが売っていたので手に取ってみた。「Super Guitarist スティーヴィーレイヴォーン」この本こそ、私が初めてStevie Ray Vaughanというギタリストを知った本だった。2,200円と、すこし高いので、迷ったが、結局買ってきた。このスコアを見て、またスティーヴィーレイヴォーンのギターフレーズのコピーをしようと思う。また、挫折するだろうが、なんて言ったって私のギター小僧人生はこの一冊の本から始まっている。

Mosriteの中でもなかなか人気の出ないMark V

今回もギターの話になってしまい恐縮だが、Mosriteの Mark Vについて少々。

モズライト マークVと聞いて、「ああ、あれね」とすぐにピンとこられる方はかなりのギター通、もしくはモズライト通だと思います。そこまで言わなくても、モズライト マークVなんていうギターは、有名人が使っているわけでもなく、みんなが知っているべきようなモデルではないですから、わざわざ調べないと知らないモデルと言えるでしょう。

モズライトといえば、オフセットボディー、ジャーマンカーブのVenturesモデルが有名ですが、あのモデルの派生モデルも色々と作っているのです。ホローボディーのコンボなんていうモデルもありますが、ソリッドボディーのモデルもMark IIとかMark Vとかを作っています。

私はどうも、あまり日の目を浴びることのなさそうなギターというのが好きな性分らしく、どうもそういうギターばかり欲しくなってしまいます。そういう、不人気ギターは人気モデルよりも少しだけ割安というのもありますが、実際買うとなると、やはりそれなりの値段はしますから、かなりの覚悟がいります。しかし、不人気モデルは市場流通量が少ない。少ないから、見つけたら、もう2度と再会することができないかもしれないと思ってしまいます。まあ、大抵の場合、中古ギター屋に長年ぶら下がっているようなものが多いので、べつに急いで買わなくてもいいのでしょうが、なぜか「欲しい」と思ってしまいます。

「不当」に低い評価を受けているモデルが好き、と言うか、そういうモデルをなんとか悪の手から救ってあげたいと思いギターを買ってしまうことがしばしばあります。

このMosrite Mark Vも言ってしまえばそういう一台と言えるのかもしれません。モズライトが欲しいとおっしゃっている方に何度かお会いしたことはありますが、そういう人たちは普通のベンチャーズモデルが欲しいと言っているわけで、決してMark IIやらMark Vをほしいと言っているわけではない(いや、そうとも言い切れないか)。普通のベンチャーズモデルは、見た目もかっこいいし、何よりあのベンチャーズが使っているあのモデルだ。そこにきて、Mark II、Mark Vに関して言えば、ベンチャーズが持っているところはほとんど見たことがない(いや、アルバムの裏ジャケとかで持っているんだけれど)。だから、みんなあんまり欲しがらない。

しかしですね、 Mark V、これが実物を見てみると、なかなかいいギターなんです。まず、作りがチープ。これは、エレキのロールスロイスと呼ばれているモズライトですが、Mark Vやら Mark IIに関して言えば、これはエレキのトラバントか、というほどチープ。ネックバインディングもなければ、ネック材の取り方も、木材を最小限使って作ってます、と言う感じで好感が持てる。そして、モズライトの看板とも言えるヘッドが妙に小さい。

この、チープさが良い。エレキのロールスロイスは恐れ多くてなかなかライブなんかに持ち出すのに気が引けますが(じっさい練習にも持って行ったことはないな)、このMark Vであれば、もう、キャンプにでも持っていけそう。

チープな作りなのですが、プレイアビリティーはまさにモズライトそのもの。ネックグリップの細さ、フレットの低さなんかは、モズライトの上級機種と同じです。この辺はさすが、量産モデルのくせに丁寧に作っております。ペグもクルーソンを使っているし、ブリッジも、ローラーブリッジでこそないけれど、モズレーユニットが付いている。えらい、手抜きをしながらも、ちゃんとしたものを作っている。

それじゃあ、このギターに不満な点はないか、と聞かれると、それはないわけではないわけで。色々あります。

まず、ネックジョイント、17フレットジョイントなのは良いけれど、ボディーのデザイン上、17フレット以上はもう、「弾くな」と言われているのかと思うほど弾きづらい。クラシックギターでももっとハイポジションは弾きやすいだろうかと思われる。まあ、このギターでバリバリソロをとってやろうとか考えていないから、それは別に良いんだけれど、17フレット以上が弾きづらかったら、

ベンチャーズが弾けないだろ!!

仕方がないので、コードカッティング専門に使っています。

それと、このピックアップ。ハムバッカーなのかなんなのか分解したことないのでわからないんだけれど、音には不満ありませんが、ハムにしてはどうもノイズが大きい気がします。モズライトのピックアップってそもそもノイズは大きめなのでけれど、それを解決しようとしてわざわざハムバッカーにしたのだったら、もう少しノイズが小さくなってくれても良かったのではないか。

まあ、私はプロのミュージシャンじゃないから多少のノイズはどうでも良いのだけれど、今日のノイズが少ないピックアップに比べたら、なかなかのものです。

そういうわけで、全く不満がないかといえば、なくはないのだけれど、1965年という時代を考えれば、世の中のギターがロクでもない方向に傾きつつあった時代に(これは、私の個人的な見解ですが)モズライトはよく頑張っていたな。

何よりも、このギター見た目が良い!と、いつも結局見た目が良いで落ち着いてしまうのだけれど、ギターなんてある程度のクオリティーを保っていたら、あとは見た目が重要です。この、控えめなジャーマンカーブが美しい。高級感が出ない範囲ギリギリのラインのジャーマンカーブ。不恰好とも言えるデザインも良い。こういう不恰好なデザイン、現代人はなかなか作れません。セミーモズレー、よくこれでOKしたなというぐらい洗練されていないデザイン。これが、良い。

モズライトといえば、とりあえず、ベンチャーズなんだろうけれど、モズライトギターの元祖Joe Maphisがこれを弾きまくっていたらさぞかっこいいだろうな。いっちょ、このギターでカントリー旋風を吹かせてやりたいと思わせられる一台です。

Nationalって言ったって、電気屋じゃないよ。ギターだよ。バタヤンのギターだよ。

このところ楽器の、とくにギターの話ばかりで恐縮だが、今日もギターについての話。

Nationalというギターブランドをご存知でしょうか。ギターメーカーとしてのNationalはかなりの老舗で、1920年代からあるようです。ドブロ社の創業者として有名なジョン・ドピエラという方が創業したナショナル社はリゾネーターギターをジョージ・ビーチャムと開発し、一躍有名になったようです。

なので、Nationalのギターといえば、ご存知の方はまずリゾネーターギターを思い浮かべるかと思いますが、私の手元にあるナショナルのギターはリゾネーターではなくて、エレキギターです。ナショナルブランドののエレキギターとして有名なのは、ファイバーグラス製のニューポートという60年代に発売されたギターが有名で、ビザールなギターの代名詞とも言える品物です。このニューポートというエレキは、デザイン以外特に特筆すべきこともないギターなのですが、ホワイトストライプスのギタリスト、ジャックホワイトが弾いていたことで一躍知られるようになりました。

ニューポートは、当時は安物のギターだったのでしょうが、今となってはヴィンテージ市場でかなりの価格になっているかと思います。そういった、高価なギターはなかなか手が出せないので、私は所有しておりませんが、なかなか気になるギターではあります。

私の持っているナショナル製のエレキは、Val Trolという名前で、おそらく1958年製のものです。バタヤン(田端義夫)が同じく1950年代のナショナルのギターを愛用しておりましたが、ネックジョイントの仕様などにているところがあります。

なんと、ネックジョイントがネジ一本でついている。よくもまあこれで強度が出せているなと感心するもんです。フェンダーなんかの4点止めのボルトオンネックに慣れている私たちには、このボルト一本止めというのは、なんとも不安なものですが、バラしてみると納得します。

このギター、ネックにトラスロッドは入っておらず、その代わり、ちょうどのこヤスリのような、かなりごっつい金属の補強構造がネックに仕込まれています。この補強構造がそのままネックジョイントまで伸びていて、ボディーにがっちりはまるようになっています。そのがっちりはまった金属板をボルト一本で締め上げてネックを固定しているのです。そのため、糊を使わずに、ボルトオンでネックが固定されています。

とは言っても、やはり、ネジ一本で止まっているだけあって、ネックのジョイント角なんかは、なかなか不安定なところがあります。一度、ヘッドのところにストラップを通して使っておりましたが、なんともチューニングが安定しないと思っていたら、ストラップがネックを引っ張ることで、ジョイント角がずれていました。

そういうこともあって、弦のテンションはかなり緩めにセッティングされております。スケールが56センチの超ショートスケールということもあり、かなり太いゲージを張っていても弦のテンションは緩めです。

肝心の音の方はどうかと申しますと、これがまた曲者。

まず、このギター ピックアップはネック側についたハム一発のように見えますが、実のところ、ネック側のピックアップはシングルピックアップで、ブリッジ下にピエゾピックアップが仕込まれております。これが、オリジナルの仕様です。

ネック側のピックアップは、そのまま単品じゃ使えないほど、モコモコ。ブリッジのピエゾピックアップは、ピエゾというせいもあって、出力が極端に小さく、サウンドは驚くほどジャリジャリ。こちらもそのままでは使えません。

仕方なく、セレクターをセンターの位置に合わせ、ネックピックアップ、ピエゾピックアップをミックスで使います。そうすると、なんとなく使えるような、使えないようなサウンドになります。一体、このギターの発売当初はどういうシュチュエーションでこいつを使っていたのでしょう。

そういう、結構な問題児ですが、なんともデザインがいい。木製ボディーにはジャーマンカーブが入っており、なんとも美しい。ショートスケールのネックに、馬鹿でかいヘッドがなんともお洒落。

ヘッドのナショナルのロゴがまた、目立って素敵です。

ペグは、おそらくこのギターのために特注で作られたであろう、クルーソン製。結構良く出来ています。

ものすごい、B級ギターで、外で使う機会はまずなかろうかと思いますが、寝る前に寝室で爪弾いていると、なんとも侘しい気分に浸れます。この儚い生音が、私をセンチメンタルな気分にさせます。何度も手放そうかと思いましたが、どうしても惜しくて手放せなかったギター。National Val Trol。

また、寝床で、じっくり爪弾いてやろうかと思って、部屋の隅のギタースタンドにいつも立ててあります。

落ち着いて、安心して聴けるJames Taylor

James Taylorこそ、いつ聴いても疲れない音楽を提供し続けているソングライターの一人だと思う。疲れないというだけでなく、癒しのようなものを提供してくれる。

作品が多いので、全てを聴いたわけではないけれど、私のレコードラックには入っている彼の作品は、どんな時でも安心して聴ける。時として、すこし刺激が少ない気がするから物足りなくも思うのだけれど、疲れている時や疲れが取れない日々に聴くのにはちょうど良い。

音楽はある程度の刺激があったほうが面白い。モダンジャズはスリリングなアドリブによる対話がなければ面白くないし、クラシックだって緊張と緩和のバランスの中でドラマチックに変わりゆく音楽の世界を楽しめたほうが面白いと思う。ロックなんかは、これは刺激を求めて聴いているようなもんだし、私の好きなカントリーミュージックなんかは比較的刺激が少ない音楽だとは思うけれど、ロック同様の刺激的な側面がある。

ジェームステイラーの音楽は、そういう側面から聴くと、ちょっと物足りないと感じる。彼はギター弾き語りで淡々と歌う。バックを固めるミュージシャンもそれを意識して比較的おとなしいアレンジの中、危なげなく曲を盛り上げる。彼の作品はセルフプロデュースが多かったかどうだったかは忘れたけれど、どの作品もそういった落ち着いてまとまっている。我々リスナーもそれを期待して聴いているわけだし、レコードもそれを裏切らない。そのバランス感覚の上に、ジェームステイラーの音楽は常にあると言って良い。

だから、どの一枚でも良い。疲れた時にレコードショップで彼のアルバムを手にしたらまず問題なく、そういう、落ち着いてまとまった作品を聴くことができる。

思えば、私が初めてジェームステイラーの音楽に出会ったのは、中学1年の時だった。担任の先生が朝のホームルームの際に、彼の学生時代のお気に入りの曲として「You’ve got a friend」をかけてくれた。私は、一度聴いた時からそのサウンドが好きになった。その頃から、私は疲れていたのだろうか。

そして、それから25年以上が経った今でも、彼のCDをかけたりレコードに針を落とすとあの時と同じサウンドを聴くことができる。彼の音楽は、私が歳をとっても、印象が変わらない。それだけ、どこか強く芯が通った音楽なんだろう。

危なげなく名作を連発するVince Gill

以前にも同じことを書いたかもしれないけれど、カントリーのシンガーソングライター、Vince Gillが好きだ。Vince Gillは、曲が良い、歌声が良い、ギターが上手いの三拍子揃っていて、今のカントリーの世界ではトップのミュージシャンだと思う。

ヴィンスギルの曲は、透き通った中にアメリカの田舎町のような素朴さと土埃が漂っていて、時々都会的なセンスが感じられ、それがカントリーというよりもAORのようで子供には到底わからない素晴らしさだ。カントリーミュージックが苦手だという人でも、彼のアルバムであれば一枚を通して聴けるかもしれない。

リリースするアルバムがどれも名盤で、作品は少なくはないのだけれど、当たり外れが少ない。そして、何よりも私が彼の音楽を好きな理由は、味付けが濃すぎないことだ。これは、カントリーミュージックで実現することはとても困難なことなのだ。

カントリーミュージックが苦手だという方の多くは、その味付けの濃さが苦手なんだと思う。シンプルなスリーコードの進行、いかにもというテレキャスターとスチールギターの絡み、鼻にかかった歌唱法。どれを取っても味付けが濃い要素ばかりだ。ヴィンスギルの音楽にも、その要素は多分に含まれているのだが、どれもが爽やかに楽曲の中に溶け込み、主張が強くない。それでいて、心に残る曲ばかりなのだ。

バックを固めるミュージシャンも、かっちりしすぎず、ちょっとレイドバックしていて、カントリー好きの心をとらえる。まさに良いことづくめのシンガーソングライターである。

朝一で聴こうという気分になるカントリーミュージックはあまりない。アメリカ人ならまだしも、東京の寒空の下で起きがけにオメデタイカントリーミュージックのサウンドを堪能するのはなかなか体力がいる。カントリーの世界観に浸るのはカントリー好きのわたしでも案外体力を使うのだ。朝から騒がしいジャズを聴く気が起きないのと同様、あまり朝からカントリーは聴かない。

そんな中で、Vince Gillだけは例外で、朝からガンガン聴いている。ステレオのボリュームを上げて聴いている。聴いているうちに家を出なくてはならない時間になる時は、仕方ないのでiPhoneで聴いたりしている。

彼は優れたギタープレーヤーでもある。50年代のテレキャスターを自在に操りカントリーリックをキメる。カントリーギタリストを志すものには憧れのギタリストの一人である。

今夜は彼の2016年のアルバム「Down to my last bad habit」を聴いている。このアルバムもブレずに良いアルバムに仕上がっている。ヴィンスギルが日本で大ブレイクしないのは(まあ、することはまずないとは思うけど)彼の音楽の危な気のなさなのかもしれない。

Richard Teeの Small StoneとRhodes Piano

近頃落ち着いて家のステレオで音楽を聴くような時間がない。時間がないのは仕事が忙しいせいとか、何か他に夢中になっていることがあるとか、そういったことではなく、自宅にいる時間の大半を寝ることに費やしているからだ。

そのために、家で音楽を聴くことや、楽器を練習したりすることがほとんどなくなった。休みの日などは、一日中予定もなく、言ってしまえば暇なのだが、暇な人間は大抵何もしない。暇な人間は体を動かそうとしない。暇な人間は生産的な活動をしない。何にもしないくせに、やけに「時間がもったいない」などと考えて、何かをしようとして、やはり無駄な時間を過ごしてしまう。

私は、暇なときはやはり何もせずに、ほとんどを昼寝の時間に費やしている。楽器を練習したり、音楽でも聞けば良いものなのだが、そういうこともしない。本を読んだりもしない。全くこれでは、なんのために生きているのかがわからない。楽器の練習もしない、音楽も聞かない、本も読まない。そういうことではろくな人間にはならない。

かつては、かなり熱心に音楽などを聴いていた頃があって、自宅には約3000枚のCDと1000枚近くのレコードがあるのだけれど、これも、最近はめっきり聴いていない。ちょっと前までは「愛聴盤」なるものがあって、毎日のように繰り返し繰り返し聴いていた。Bobby Darinの死後編集されたベスト盤「Darin」やら、 Frank Sinatraの「L.A. is My Lady」なんかは大好きで、それこそ盤が擦り切れるほど聴いた。ビリージョエルの古いアルバムも好きでややベタではあるが「Stranger」なんかも、腐るほど聴いた。

しかし、最近はそれらのレコードもほとんどターンテーブルに乗せることはない。CDも聴かない。音楽といえば、通勤の時にiPhoneで聴く程度か。

しかし、iPhoneで聴く音楽はどうも味気ない。家のオーディオセットで聴く音楽のような「音楽を聴いている感」に乏しい。iPhoneに音楽を入れてしまうと、どうも小さなイヤフォンで聴くように音質がなってしまうせいか、なんだかどれもこれも同じような音楽になってしまう。特に、ドラムやシンバル、ベースの音がほとんど聞こえなくなってしまい、歌やらギターやらうわものばかりが聞こえてきて、音楽を聴くというよりは、音楽を「確認する」作業になってしまう。私の好きなRhodesピアノの音なんかはCDやらレコードで聴くとくっきりと聞こえてくるのだけれど、iPhoneで聴くとなんだかジワジワ、モゴモゴ聴こえてきてしまい、喜びにかける。レコードやCDなどはミキシングの芸術のようなもんなんだから、iPhoneで聴いてもちっともそういう妙味は味わえない。

家のステレオも、そんなに立派なセットを組んでいるわけでもないけれども、最低限そういうミキシングの妙味が味わえるセットにしている。

そんななか、iPhoneでほとんどまともに聞こえなくて残念なのがRichard TeeのRhodesの音だ。先ほども書いたがRhodes pianoの音が好きな私は、ロックのレコードなんかに入っている彼のRhodesの音を聴くとなんだかウキウキしてくる。有名なところではビリージョエルの「Just the way you are」のイントロ、あれが彼の音だ。 Paul Simonの名曲「Still crazy after all these years」のイントロもRichard Teeが弾いている。私は、この2曲のイントロを弾きたいがためだけにRhodesを持っているようなもんなのだ(Still crazyの方は未だに弾けないが)。

彼は恐らくそれらのトラックではFender RhodesをフェイザーSmall Stoneに繋げて弾いているのだけれど、スピーカーはローズのスピーカーから鳴らしているのか、それとも外付けのアンプで鳴らしているのか、いまいちわからない。そもそも、フェンダーローズを殆ど触ったことがないので、果たしてSmall Stoneをつなぐだけでああいう音が出るようになるものなのかどうなのか確認したことはない。

自宅の機材も、Richard TeeにならってFender RhodesとSmall Stoneにすれば良いようなもんなのだが、たまたまRhodes MK1が安く手に入り、それの音が気に入ってしまったので、Rhodes MK1にMXRのPhase 90(これも70年代後期のもの)を繋げて使っている。Small StoneだとなんだかRichard Teeのあの音が出せそうな気もするのだけれど、エレハモのエフェクターはちょっとかかりが強いのが好みではないので、かかりが弱い70年代の MXRにした。

リチャードティーのローズサウンドは上に書いたようなポップスのレコードもさることながら、Stuffのアルバム、Gadd Gangのアルバムでも堪能できる。私は Stuffのファンでも、スティーヴガッドのドラムが好きなわけでもないのだけれど、リチャードティーのローズの音を聴きたいが為だけに何枚かアルバムを持っている。けれど、Stuffのアルバムを聴くとどうしてもRhodesの音ではなく彼のスタインウェイピアノのキリッとした音に耳を奪われてしまう。クラシックのピアニストはあんなに硬質な音を求めないだろうけれど、 Richard Teeの音楽にはどうしても、あのピアノの音が不可欠なような気がする。まあ、もっとも、スタッフの録音の時はなんのピアノを使っていたかは不確かだけど(ライブ盤ではCP−80をつかっていたりするから)。

80年代の名曲のイントロは殆どがRichard TeeのRhodesピアノから始まると言っても過言ではないぐらい、彼の音は印象的でRhodesという楽器の魅力を十分に引き出していると思う。

リチャードティー、一度で良いから、生で彼のRhodesを聴きたかったな。

Chaki P-100にDeArmond Rhythm Chief 1100

このところ楽器の話ばかりで恐縮だが、今日もギターの話である。

以前にこのブログでChakiのギターについて書いたが、実は、Chakiのギターは2台所有していて、一台はP-1、もう一台はP−100というモデルだ。以前、P-1について書いたので、それはこちらの方を読んでいただけると幸いです。今日はもう1台のP-100について。

Chakiというギターのブランドは、比較的マイナーで、大して高価なギターではないので(むしろ安物の部類に入るだろうか)名前もあまり知られていないかもしれない。日本製のギターで、京都のギター工房で細々と作られている(作られていた)。ウッドベースも作るメーカーだから、Chakiブランドのウッドベースはたまに見かけるのだけれど、そっちも高級ブランドではないから、プロがバリバリ使っているのを見かけたことはまだない。

ギターの方は、以前にも書いたけれど、憂歌団の内田勘太郎さんが長い間メインで使っていて、アルバムのジャケ写でも何度も登場しているので、そっちで見たことがあるという方も多いかもしれない。むしろChakiといえば内田勘太郎さんのおかげで有名だというだけで、他のプロの方がバリバリ使っているのを見たことはない。

手作りのギターで、70年台の個体をよく見かけるので、70年代にはそこそこたくさん作っていたのだろう。その頃のChakiの工房にはアーチトップギターで有名な辻四郎さんという製作家が在籍していて、何人体制で作っていたのかはわからないけれど、なかなかクオリティーが高い個体も多い。とは言っても、Chakiの作りが総じて良いかと言うと、必ずしもそうとも言えなくて、フレットがガタガタだったり、ナットがボロボロだったりするやつも見たことはあるから、全部が全部作りが良いというわけではないだろうから、購入される方はその辺を注意したほうが良いと思う。

私の持っているP-100もやはり70年代のもので、懐かしいタイプのグローバーペグが付いている。フレットは、前のオーナーがリフレットしたらしく、なかなか弾きやすい。P-1の方はやけに細いワンピースのメイプルネックなのに対し、P-100の方はスリーピースで太めのメイプルネック、エボニー指板である。

チャキの音はこのメイプルネックが寄与しているとこが大きく、少し硬めの音がする。P-100は指板のエボニーもなかなか良いエボニーが使われていて、タイトでガッツがある音がする。P-1とP-100のモデルの立ち位置はいまいちわからないのだけれど、おそらくP−100の方が上位モデルなんだろう。ボディートップは単板のスプルースが使われている。

Chakiのギターは個体差が大きく、全然鳴らない個体も多い。私は今まで中古市場で約10本、新品を2〜3本見たことがあるけれど、良く鳴る個体は私が持っている2台だけだった。良く鳴るといっても、50年代のギブソンのようなドスン、ポロンとしたなり方ではなく、どちらかと言うとボン、ガラガラと鳴る。特にP-100の方は、低音がすこし暴れる感じがしたので、それが気に入って買ったのだけれど、今はフラットワウンド弦を張って落ち着いた感じにしている。フラットワウンド弦に交換しても、音がこもるようなことがなく、わりと素直な音で鳴ってくれるので、弾いていて気持ちが良い。

フラットワウンド弦に交換したのは、もう一つの理由があって、このチャキにDeArmondのRhythm Chief 1100を取り付けたのだ。このディアルモンドは最近出た復刻版で音はヴィンテージのRhythm Chiefのようなクリアな感じではなく、もうすこし太いながらもツルンとした音が出るのだけれど、ヴィンテージは世の中じゃ10万円オーバーになってしまったので、復刻版にした。このピックアップはそれほどクセが強い音でもないので、これはこれで満足している。もう一つ、DeArmondからはRhythm Chief 1000というモデルも出ているのだけれど、ギター屋のオヤジに相談したら、1100の方が良いんじゃない?ということにして、こっちにした。値段は三千円ぐらいしか変わらないので、お好みで選べば良いかと思う。

このギターで、ジャズの真似事か、ジャンプブルースのような音楽を弾いてみたいと思い、購入したのだが、目下、ただのフォークギターとして使っている。アーチトップはずっとGibsonのL−50を手元に置いて愛用していたのだけれど、最近はもっぱらこのChakiを弾くことのほうが多い。Gibsonと違い、 Chakiはフェンダースケール(ロングスケール)、これが、最初はなんとなく違和感があったんだけれど、同じゲージの弦を張った場合、弦の張りが強い分だけギブソンよりもちょっと力強い音がするようなきがする。ボディーサイズが17インチと大きめながらも持ちやすいので、音量は十分に出るし、取り回しにも便利だ。

こうして、ただのフォークギターとして使っているのももったいないから、ジャズのコード進行でも覚えて、いつかジャムセッションにでも持っていきたいと思っている。まだまだ先は長いのだが。

 

クロアチアのフェンダー Q pickups

先日、別の記事にも書いたのだが、私はどうも70年代のフェンダーのギターが好きなのである。なんとか手がとどく価格帯の本物のFenderということもその理由の大きなところなんだけれど、そのこともあって70年代のものはケースにしまって後生大事に保管する類のものではないこと、ガンガン実戦投入できて使い倒せるところが良い。そして、この年代のフェンダーはどうもトレブリーで、音が暴れるところがあって、なんとも私のイメージするやんちゃなエレキギターの音がしてくれる。

レコーディングをしたり、バンドのバックでしっかりサポートするような方、ちゃんとギターを演奏されている方にはちょっと扱いづらいだろうことは、なんとなく想像に難くない。アンサンブルの中ではうまく乗ってくれないこともあるし、スタジオでバンドと練習するときに、音が尖りすぎていて、歌のバックで弾いていると、ちょっとうるさいと思ってしまうこともある。けれども、なんとも個性があって、面白みがある楽器であることは間違いない。それに、こいつに慣れてくると、なんとなく扱い方がわかってきて、フェンダーらしい音を作り出すことができる。あんまりベタな言葉で使うのは恥ずかしいのだけれど、「じゃじゃ馬」である。

いろいろ音作りが厄介なところもあるし、重い個体が多いので持ち歩きにも不便な上、弾いていて背中が痛くなってくることもあるぐらいなのだが、好きなのだからしょうがない。普段からメインで70年代のテレキャスターを使っている。

メインで使っているやつは実のところ同時代のテレキャスターの中でも決してアタリの個体でもないんだけれど、そういう風に「アタリ」だとか「ハズレ」だとかいうのもあまり好きでないのでなんの文句もない。楽器は個体差があるのは当然、ある程度のレベルさえクリアしていたら、それは良し悪しというよりも、個性である。人間と同じで、楽器もすこし扱いづらいぐらいが愛着がわく。そういう観点からみると、現行のフェンダー、とくに2000年代ぐらいからの製品はどれもよくできていてどうも可愛げがない。なんの苦労もなくフェンダーの美しいベルトーンが出るし、ノイズも少ない。新しいフェンダーも持っているし、実のところ便利で結構使っているのだけれど、一番のお気に入りはやはり70年代の終わりのテレキャスター。

ギターというものは、どうもネクタイと似たところがあって(首から下げるところとか)、お気に入りを一本だけ持っているだけでは用が足りない。それで、気付いたら手元に40本ぐらいあるというような事態に陥る。

私のかつての同僚は、ギターテックだったんだけれど、いつも仕事の後に工房で自分のギターの修理をしていた。会社に置いてある道具類は、だいたい全部個人所有の機材だったし、そうじゃないものは、とてもじゃないけれど個人で買えるような代物ではないから、会社の工房がギターいじりが出来る唯一の場所であり、勉強のためにもそういう時間と場所が彼には必要だったのだろう。彼は会うたびにいつも違うギターをいじっていたので、「一体何台ギターを持っているのですか?」と聞いてみたことがある。

彼はちょっと考えて、「ストラトのボディーだけでも100ぐらい持ってますかね」とさらりと答えた。

なるほど、私なんかは、まだマシな方なのである。それでも、最近はちょっとギターを所有しすぎなのではないかと思うようになってきたのだけれど。

そんな私の書斎には、自分で組んだパーツキャスターがある。バラバラの部品で組んだテレキャスターである。世の中に出回っているテレキャスターの交換用のねっくの中でも最も太い、 All Partsのネックをつけている。こいつは、 Fender Custon ShopのNocasterのネックよりも太く、かまぼこのようなやつなんだけれど、結構弾きやすくて気に入っている。このテレキャスに付けていたピックアップが、ありあわせのものを使っていたので、常日頃なにか良いピックアップに交換してやりたいと思っていた。

せっかく付け替えるなら、70年代のピックアップをどこかから見繕ってきてつけてやろうと思っていたのだが、そう思っているうちに70年代のピックアップも高価になってしまい(かつてはゴミみたいな値段だったのに)とてもじゃないけれど買える値段じゃなくなってしまった。

それでも、せっかくつけるなら70年代のあのサウンドが欲しい。

そこで、インターネットやら、Ebay、 Reverbを物色していたら、クロアチアで手巻きのピックアップを作っているQ Pickupsというブランドを発見した。ネットの情報によると、お兄さん独りで作っているらしい。これが、かなり安い。オーダーメイドできるのだけれど、市販の出来合いの製品の半額ぐらいで作ってくれる。なかなか評判も良い。願ったり叶ったりである。

それで、Reverbからコンタクトしてみて、

「70年代のフェンダー テレキャスターについているような、ブライトでウエットなピックアップのセットを作ってくれないか?」

とメッセージを送ったところ、とても感じの良い返信をくれた。時差もあるだろうに、日本時間の日中にメッセージを送ってもすぐに返信をくれ、10日足らずで出来上がったピックアップがクロアチアから、私の自宅に届いた。

 

付けてみて音を出してみた。

なかなか悪くない。ボディーやネックが70年代のものと異なるということもあり、私が愛用している70年代のテレキャスターに比べるとちょっとおとなしい音ではあるのだけれど、50年代でも、60年代でもない、確かに70年代っぽい音がする。そして、何より嬉しいことに、フェンダーっぽさがちゃんとあるのだ。最近のフェンダー ノイズレスピックアップのような作り物のフェンダーの音ではなく、70年代の悪どいながらもしっかりフェンダーしているようなあの音の香りがするのだ。なかなか良い仕事をするQ Pickups。

フェンダーの60年代のピックアップも、70年代のピックアップも、作りや部品にあまり違いはないのだろいうけれど、このピックアップはどうしてだかちゃんと70年代の音がする。Q PickupのTihoなかなか良い仕事をする。

欲を言えば、もっと扱いきれないぐらい70年代臭くっても良い。でも、そこまですると、実用向きではないと判断したのだろうか。それはわからない。

今度、こいつをバンドの練習に持って行って、弾いてみようと考えている。いつもよりも、すこしアンサンブルにのりがよさそうなきがする。

またまた同じようなものが欲しくなる病 Schott 613

以前にも書いたが、私はついつい同じようなものが欲しくなってしまう。

黒のテレキャスターだけで3本、ブロンドのテレキャスターも2本持っている。どうもこう、同じようなものを手元に置いておきたい性分なのかもしれない。

今日は手元にショットのダブルライダースが届いた。長年愛用しているカドヤのダブルライダースも、どこも悪くはなっていないのだけれど、やはり革ジャンならショットが欲しくなる。同じ革ジャンなら、ダブルライダースではなくて、シングルライダースにするとか、もっと防寒性を重視したものを選ぶとか、いくらでも選択肢があるのだけれど、私は革ジャンといえば、ダブルライダースが一番好きなので、ほかのスタイルのものを着てみたいとは思わない。やっぱり革ジャンはダブルライダースに限る。

そもそも、革ジャンを着たいと思ったのは、かれこれ5〜6年前、突然バイクに乗りたくなって買ったのだ。そのころなぜバイクに乗りたくなったかというと、Danny Lyonという写真家の「Bikeriders」という写真集があって、そこに写っているバイク乗り達がとにかくカッコよかったからである。

「Bikeriders」に登場するバイク乗り達は、各々色々な格好をしているのだけれど、その中でも特にかっこいい写真があって、オハイオかどこかの橋を後ろを振り向きながらバイクにまたがり走り去る写真があって、それにやられてしまったのだ。たしか写真のタイトルは”Crossing the Ohio”だったと思う。その写真に収められた長髪のバイク乗りの髪が後ろになびくさま、それを見ただけで痺れてしまった。

とにかく、格好から入る私は、まずバイクではなくライダースジャケットを買った。カドヤのダブルライダースである。バイク乗り用のジャケットだから、皮がもう、ものすごく厚くて、硬くて、これだったらコケても大丈夫なんじゃないか(きっと大丈夫じゃないけど)というぐらいごついやつである。これを、しばらくは嬉しくて昼寝するときもいつも着て、半年もしないうちに体に馴染んでしまった。もう、嬉しくて嬉しくて、外出するときはいつも革ジャンをきて歩いていた。

ライダースは、みんなピチピチのサイズで着るんだけれど、私の場合、腹回りが太いので、ピチピチのサイズだとどうしてもジッパーが閉まらない。だから、サイズは大きめのを着ている。革ジャンというのは、そのまま着ていても、ぜんぜん暖かくない。だから、何枚も重ね着して着るのだ。

写真集に登場する写真で、革ジャンの上からデニムジャケットの袖を切り落としたベストを着ている写真があって、これも、どうしても真似したくなって、同じ頃デニムジャケットも買ってしまった。

なかなか、これを着こなすのは難しい。まだチャレンジしたことはないのだけれど、自宅で着てみたら、妻から「ダサいので絶対にやめろ」とお達しがあった。しかたないので、妻がいないときに独りで自宅の中だけで着てみようかと思っている。

ダブルライダースが2着揃って、満足満足。