バディーエモンズはやっぱり

このブログをもうかれこれ二ヶ月近くサボってしまっていた。

特に何があったというわけでもないのだが、何もないからこそ、何も書くべきことがなかったのだ。とは言ったものの、世の中には書くべきことが山ほどあるということはなんとなく理解はしている。だからつまりは、サボっていただけなのだ。

それでは、今日、何かあったのかと言われると、特に何もなかったのだけれど、何もないという日々というのが案外大切なものである。何もない、と言えるような日々は平穏な人生をおくるうえでとても重要で、毎日がエキサイティングであっても、それはそれで良いのかもしれないけれど、安定しない毎日をおくると命がいくつあっても足りなくなってしまう。

そういえば、ひと月ほど前から、自宅に隣接している建物の取り壊しが行なわれている。建物が壊されるというのは、ちょっと非日常で、それだけでも私はストレスを感じてしまう。建物が壊されるということは、そこに次に何かができるか、はたまた道路の再開発に充てられるのか、何れにしても私の生活になんらかの変化が来るのである。その変化というのが、私にとって良い変化なのか、悪い変化なのか、私はその変化に馴染むことができるのか、いろいろと不安に感じてしまうのである。

やはり、安定が好ましいと感じてしまうのだ。

安定といえば、今夜はバディーエモンズのアルバムを聴いている。バディーエモンズはペダルスティールギターの名手。誰がなんと言おうと、ペダルスティールギターの奏法を完成させたのはこの人だし、完成にとどまらず、常にその表現の幅を広げ続けていた偉人である。

今更、バディーエモンズについて、私が語るようなこともないのだけれど、彼のスティールギターを聴いていると、その安定感が心地よい。決して、無難な演奏を繰り広げているからではない。彼は常に挑戦的であり、クリエイターであり続けている。けれども、その技術に裏打ちされた演奏は、聴いている私たちを不安にさせない。むしろ、その超絶技巧の中にも安心のようなものさえ感じてしまうのだ。

バディーエモンズのようなスーパースターを引き合いに出してしまい、とても恐縮なのだけれど、もし、私が彼のスティールギターの演奏のような安定を手に入れることができたら、世の中はどのように見えるのだろうか。

私の向上心は、時として私の安定を邪魔してくるのだ。それは向上心というよりも背伸びであるからなのだろうけれど、人は背伸びをすると安定感を失ってしまう。もっと着実に成長していかなければ、成長のために常にトレーニングしなければ、向上とは裏腹にバランスを崩してしまう。バランスを常に保つためには、全身のトレーニングが必要である。付け焼き刃ではダメなのだ。

バディーエモンズのスティールギターを聴いて、日々トレーニングをサボってしまっている自分を強く意識した。

せめて、ブログだけでもこまめに書こう。

「バディーエモンズはやっぱり」への1件のフィードバック

  1. トランペットの雑誌に近藤等則さん(亡くなってしまわれました)の記事が載っていて、
    いわく「アフター・コロナではなくてビヨンド・コロナである」と。
    さすが、いいことをおっしゃるな、と思いながら読んだ次第です。
    コロナの後ではなくて、向こう側だと、なるほどなと。
    ボクもそうでありたいと思いながら、いつもどおりに過ごしています。

    自分がやっている介護事業所の売上は激減しているのに、
    また例によって緊張感が足りないのかな?
    備えあれば、って備えらしいものなんか大してないのにな。
    職員にも給料払わせてもらわないといけないのにな。

    銀行の人と話をして、借りられるだけお金を借りたけど、
    でも、ほんとに大変になったら、借りたお金は、あっという間になくなってしまうだろうに。
    それでも、夜、眠れている自分に驚いたり、そんなことにも慣れてしまっていたり。

    ジタバタしたってしょうがない、と開き直っているのか? いや開き直っているつもりはないけれど。
    ただ優柔不断なのか、それとも、どぉ~んと構えているつもりなのか。
    どちらでもあるような、そうでもないような。

    革新、非日常などと言えばかっこいいのかな。
    ボクは当たり前のことを当たり前にやっていきたいと思うことは時々あります。
    でも、それってとてもむずかしい。
    いままで実現できたことがないように思う。
    それでも、今日はまた来る。
    目の前の仕事に集中しよう。

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