久しぶりにアルバム1枚通して聴いた Gershwin, Shavers and Strings

Charlie Shaversという名トランペッターについて、詳しいことはよく知らないけれど、とにかくトランペットが上手くて、音も煌びやかな音からしっとり聴かせる音色まで的確に使い分ける凄いやつだ。

私は、ずっとこのCharlie Shaversが苦手だった。どうも上手すぎるので、癪にさわるというか、なんというか。世の中にこんなに自在に楽器を弾けるやつがいるというのがどうも受け入れられなかった。

しかし、先日、ちょっとした気まぐれから、この「Gershwin, Shavers and Strings」というアルバムを買ってきて、聴いたところ、やっぱり良いものは良いのだという当たり前のことを再確認した。

どっぷりとジャズを聴こうと思うと、このアルバムは肩透かしを食う。なぜなら、ここにあるのはジャズというよりもムード音楽だからなのだ。ムード音楽、と聞くと多くの人は、「じゃあ、それならやめよう。時間の無駄だ」と思ってしまうかもしれないけれど、ここまで完成度の高いムード音楽を聴いてみると、心を奪われてしまう。

ガーシュウィンの曲集にちなんで、イントロが「ラプソディーインブルー」の引用だったりして(それも、何曲もそのパターン)どうもなんとなく胡散臭いのだけれど、その怪しさも含めて、遊び心があるムード音楽に仕上がっている。ジャズの要素が全くないかというと、そんなこともなくて、メロディーをフェイクしたり、アドリブソロがちょっとだけ入っていたりして、それはそれでCharlie Shaversのジャズ魂も確認できるのだけれど、そういう難しいことは抜きにして、ジャズが苦手な方にも楽しんでもらえそうな内容に仕上がっている。

トランペットもののムード音楽といえばニニ・ロッソなんかを連想してしまいそうな感じもするのだけれど、ああいうヨーロッパ系の(ニニ・ロッソがヨーロッパなのかどうかは知らないけれど)ムード音楽とは一線を画す、古き良きアメリカ音楽に仕上がっているのもこれはこれで貴重だ。

Charlie Shaversの他のアルバムと違うところは、彼がテクニックをこれでもかとひけらかさないところ。それでいて、完璧なコントロールのもと危なげなくトランペットを吹ききっていて、聞き惚れてしまった。

このところ、アルバム一枚をゆっくり聴いたことなど久しくなかったけれど、このアルバムは、最初から最後まで通して聴いてしまった。

黒と白で 1973Telecaster

私は、どうも黒いギターに弱いらしく、黒いギターばかり持っている。

中学の頃ギターを始めて手にした頃は、ずっとスリートーンサンバーストに憧れがあって、フェンダーのストラトはサンバーストが一番良いだろうと思っていた。

しかし、いつの間にか、手元には黒塗りつぶしのギターばかりが残っていた。

確かにサンバーストはエレキギターらしいし、あれはあれで美しいのだけれど、どうもものとしての存在感が強すぎて、つい眺めてばかりになってしまい、あまりじっくり弾きこむということをできなくなってしまうような気もする。まあ、気のせいなのだろうけれど。

その点、黒の塗りつぶしはシンプルでいて、飽きなくて、良い。食材の世界でも、黒酢、黒豚、黒にんにく、と黒は重宝されているけれど、ギターについても同じぐらい黒は重宝されても良いのではないか。

塗装の良し悪しが一番顕著に出るのも黒の塗りつぶしだと思う。サンバーストは、サンバーストであればなんとなくカッコがつくし、木目が透けている塗装はどうも、ごまかしがあるように感じる。黒は、いちばん簡単そうでいて、綺麗な黒の塗装というのはこれがまたなかなか奥深いものがある。

例えば、黒いピアノ、あれはあれでいて一般的だけれど、近年作られた黒塗りのピアノで、「ああ美しいな」と思わせるような黒を見たことがない。一部の高級ピアノを除いて、どれもつまらない黒である。

それが、ちょっと古い60年代ぐらいまでの黒いピアノは黒に引き締まった感じがするものがある。塗装が厚ぼったくなくて、黒に透明感があり(艶消しでも)、カブトムシのような黒でかっこいい。ああいうのが黒の理想形である。

それで、黒いギターに話を戻すと、これがなかなか美しい黒のギターは少ない。

そもそも、ギブソンはレスポールカスタム以外に黒のフィニッシュのギターを近年までほとんど作っていなかったし、フェンダーも70年代中盤まで黒はカスタムカラーだった。

最近になって、エボニーフィニッシュのレスポールスタンダードなんかもあるけれど、70年代まではレアカラーの部類である。

私の手元に1973年のFender Telecasterがある。ブラックフィニッシュで、ホワイトガードである。

70年代のテレキャスター、というか70年代のフェンダーもギブソンも、私が学生の頃ぐらいには新品の半値ぐらいか、もっと安く売っていた。ところが、ここに来て、少しづつ値段が上がっているのだ。

私が、始めて1979年のテレキャスターを20代の終わりに買った時は、12万円だった。もっとも、リフィニッシュで、改造箇所もいくつかあって、フレットは減りまくっていたけれど、それでも、今買うと倍ぐらいするようになってしまった。

70年代のテレキャスターは75年ぐらいを境にボディーがノーザンアッシュのものすごく重いやつになるので、サウンドも引き締まるというか、ちょっとバリバリという感じに変わるのだけれど、あれはあれで他のギターには出せない魅力がある。だから、75年から79年ぐらいのテレキャスターが好きだ。

ただ、あれだけでテレキャスターの音というものは語れなく、どうしても、テレキャスターといえば50年代のヴィンテージというところに回帰していく。けれど、50年代のヴィンテージは今や数百万円の値段が付いていて買うことができない。60年代の個体でも100万円はゆうに越してしまう。

そこに来て、71年から74年ぐらいまでのテレキャスターは、古き良きテレキャスターのテイストを残しつつ、バリバリと暴れる感じもあり、テレキャスターを語るには十分素晴らしいギターだと思う。

できれば、これからも、あまり値段が高騰しないで、誰にでも手がとどく値段帯でいてほしい70年代のテレキャスター。まだ、派生モデルが少なく、モデル名がシンプルに「Telecaster」だった時代の楽器を、ギターおじさん達のためにも買占めとかしないでおいてやってほしい。

73年のテレキャスター、

とても不器用ですが、素晴らしい楽器です。そして、ブラックフィニッシュです。

家のベヒシュタインを調律してもらった

昨年の5月にベヒシュタインの古いグランドピアノを家に迎え入れた。それで、うちの貯金は全て使い果たしてしまった。そういうわけで、我が家には住宅ローンやら、楽器のローンやらだけが残った。

確かにお金は無くなったが、心は満たされた。

しかし、ピアノというものはメンテナンスをしなくては、どんどん劣化するものである。逆に、メンテナンスさえ怠らなければ、うちのピアノのように120年後にも楽器としての役目を果たせるのである。

しかし、悲しいかなピアノを買ってお金に窮してしまい、1年ほど調律ができなかった。北の国から運ばれてきた私のピアノは、東京の湿度にやられピッチがどんどん上がってきてしまい、ついには447Hzぐらいに狂ってきてしまっていた。これでは、ピアノを常に痛みつけているような状態だ。

これではピアノが壊れるのが時間の問題なので、清水の舞台から飛び降りる気持ちでピアノを調律してもらった。

ピアノをずっと調律できないでいたのには、お金以外にもう一つ理由があった。うちのピアノは1896年製ということもあり、すでにボロボロでいつ壊れてもおかしくない。そのようなピアノを調律したりすると、壊れてしまうのではないかと心配だったのだ。

響板には幾つもの割れがあり、アクションは元気なのだが、フレームにヒビが入っている。このフレームのヒビが気になってしまい、このピアノを調律すると、このヒビがさらにひどいことになるのではないかと危惧していて、ずっと触らずにいたのだ。また、そのようなピアノを快く調律してくれるような調律師がいるのか、ということも心配だった。

しかし、一方ではピッチが5ヘルツも上がっている。このままではピアノに負担がかかりすぎて、ピアノがダメになってしまう。

困った挙句、餅は餅屋だろうということでベヒシュタイン・ジャパンに電話をかけ、調律師さんにとりあえず来て診てもらうことにした。

こうこうこういう状態なのですが、ピアノ、調律していただけますかね?もし、来てみて、これはもうダメだということであれば、何もしないで帰っていただいても構いません。と、ダメ元でお願いしたら、調律師さんは

大丈夫です。ピアノは、持ち主が諦めない限り、いつまででも寿命を延ばすことはできます。お金がかかる場合もありますが、諦めなければ、ピアノはゴミにはなりません。ましてや、ベヒシュタインという名器をお持ちであれば、諦めずにコツコツメンテナンスすれば、必ず、良い状態を保てます。

と言ってくれるではないか。

それでは、ということで、調律に来てもらった。

午後の1時半から何時間もかけて、じっくり調律してもらった。調律だけでなく整音もしてもらった。440Hzにしてもらったから、7Hz下げである。調律を3回したという。

ピアノは、また蘇り、元気を取り戻した。もちろん、120年前の楽器である。色々とガタはきている。御老体である。新品同様とはいかない。けれど、雑音していたところも、できるだけ雑音を消してもらい、音色のバランスも整えてもらった。以前よりも、鍵盤の押さえ方に対して敏感に反応するようになった。

このピアノは、元ピアノ屋稼業の私にとって特別な一台なのだ。そして、我が家の大切な宝物なのだ。

これから、時々は練習して、いつかErroll GarnerのMistyを弾けるようになりたい。そこまでいかなくても、弾いてみたい曲は幾つかある。

この、外出自粛の中、私の心を癒してくれるのは一台のBaby Grandなのだ。

ド派手な音色の70’s DiMarzio

今日、ギターのピックアップを交換した。

もともと、買った時には前のオーナーがDiMarzioの Super Distortionに交換したようで、Super Distortionが2つ付いていたのだけれど、どうも、音が硬すぎて好きではなかった。せっかく作りの良いギターなのだからもっと色彩があるピックアップにしたかったのだけれど、なかなかそれが何なのかわからずにいた。

それで、どうしようかと考えていたのだけれど、たまたまヤフオクで3,000円弱でオリジナルで付いていたものに限りなく近い品物と、手持ちのピックアップで最初期のDimarzioのPAFがあったので、二つとも交換してしまった。

結果、大暴れするギターに仕上がった。

DiMarzioのPAFはこれがまた、下品なピックアップの代表のようで、なかなかこれがつけてみると大暴れして面白い。Super Distortionも出力の高いピックアップだったけれど、Super Distortionが図太くて硬質なサウンドだとすると、最初期のPAFは出力の高さもさることながら、刺々しくもなり、ピッキングをソフトにすると表情が変わる(ジャズのようにとまではいかないけれど)面白い音がする。

リアには、2,600円で手に入れた80年代のHamerのオリジナルピックアップをつけた。このころのHamer USAのピックアップはたしかDiMarzioで作っており、ほぼ70年代のDiMarzio PAFと同じ作りだったと思う。

DiMarzio  PAFって、たしかGibson  PAFのレプリカのつもりで作っていたはずじゃなかったっけ?というような野暮な疑問は置いておいて、 DiMarzio PAFはやっぱりディマジオの音なのです。セイモア・ダンカン悔しかったら、こういう大暴れするピックアップを作ってみろ!!まあ、ダンカンも、使いやすくて悪いピックアップじゃないとは思うけれど。

ちなみに、最近リイシューで出ているDiMarzioのPAFは使ったことないので何とも言えませんが、おそらく、同じスペックで作っているでしょうから、こういう大暴れ、ド派手系の音がするはずです。コントロールするのは難しいかもしれませんが、ギターとしては爪弾いていて非常に楽しいピックアップです。

Lenny Breauという孤独

ピアニストは元来孤独な存在であるということを、先日まで働いていた職場で強く感じた。ピアニストは独りで完結するから、いつも孤独であると。

確かに、ピアノという楽器の特性上、一台の楽器でメロディー、コード、ベース総てのパートを受け持つことができる。私は、ピアニストではないから、詳しいことはわからないけれど、ピアニスト一人いれば、音楽は成り立つ。

それは、クラシックの世界だけでなく、ジャズにもピアノソロのアルバムは存在するし、ピアノソロのコンサートも開催されている。いわんやクラシックの世界でピアノは多くの場合ソロで演奏される。器楽の伴奏とか、室内楽、コンチェルトのソリストとしての演奏場面はあるけれど、クラシックでピアノの出番といえば、圧倒的にソロが多いのでは無いだろうか。

ピアノソロ、というものを鑑賞するのが私はあまり得意ではなかった。それは、クラシックもジャズも同じで、ピアノという楽器の音色だけでは、なんだか物足りないような、そんな気がしていたのだ。ピアノソロの弾き語り、というのであればその範疇では無いのだけれど、歌もなく、ただピアノのん音色だけで一つのコンサートを聴くというのは、これがまたなかなか疲れるのである。

ピアノソロの鑑賞には集中力が必要だ。

あの、「ピアノの音色」のなかに、歌をみいだして、そこに絡まる対旋律やハーモニーの妙味を聴き取るのはなかなか大変な作業である。そこには、オーケストラほどの多彩な音色は存在しないし、その一方で、ピアノの音色というのは思いの外多彩なのである。そこまで聴き込まなくては、ピアノの音楽というものは聞こえてこない。

ギターという楽器も、ピアノ同様に孤独な楽器である。こと、クラシックギターは多くの場合ソロで演奏されるという意味でもピアノと同様である。同様に、ソロで演奏される楽器でありながら、ギターはピアノほど多才な楽器ではない。できることに限りがある。音色のヴァリエーションも、ピアノほど様々ではない。

クラシックギターと一般に呼ばれる楽器は、フラメンコギターや、フォークギター、エレキギターと違い、ソロで聴かせることを想定して作られている。もちろん、エレキギターや、フォークギターでソロ演奏をする場合もあるのだけれど、クラシックギターの音色は、その他のギターに比べふくよかでいて、一音一音に芯があるようにできている。

Lenny Breauという、ギタリストがいる。彼は、チェット・アトキンスに見出されてデビューしているから、分類で言えば、もともとカントリーのギタリストなのかもしれないけれど、彼のキャリアのほとんどは、ソロのインプロヴァイゼーションを行っていたから、ジャズギタリストとも言えるし、既存の音楽のジャンルにとらわれない活動をしていたとも言える。

今夜は、その、レニーブローのCDを聴いている。

ギターソロで奏でられる、彼の音楽は、どこか暗く、乾いている。私は、彼のギターの音色が好きだし、彼が奏でる音楽も好きなのであるが、どうしても、それが心地よく感じられない。彼の演奏には、影があるし、その影は私を不安にさせ、暗い気持ちにさせる。

そんなCDを聴いいていると、落ち着きや、癒しというものとはまた違った自浄作用をもたらしてくれる。これは、クラシックギターの音色のもつ孤独さによるものかもしれない。

独りきりの世界に浸りたかったら、聴いてみてください。Lenny Breau。

 

 

Poor man’s Fender Twin! Peavey Vintage

もうかれこれ2年ぐらい、自宅のメインのアンプとしてPeaveyのVintageというのを使っている。その前までは、 60年台前半のフェンダーのTremoluxというマイナーなアンプを使っていたのだけれど、どうも調子が悪くなってきて、直しても直しても、ボソボソとノイズが出るだけになってしまった。真空管を交換しなければならないのかと思うと、また三万円コースだから、二の足を踏んでいる。

Peavey VintageはTremoluxが壊れる前から持ってはいたのだけれど、主にスチールギター用のアンプとして使っていた。100ワットアンプなので、歪ませないで大きな音が出せるのがスチールギターには魅力的だ。

このアンプの本当の魅力に気が付いたのはFenderのStevie Ray Vaughanを繋いだときだった。Fenderのアンプで鳴らすよりも、それっぽい音が出てきたので、嬉しくなって、それから通常のギター用アンプとして使っている。

Peavey Vintageというアンプも、かなりマイナーなアンプである。PeaveyのツイードアンプといえばClassicシリーズが有名で、私も産まれてはじめて親に買ってもらったアンプはPeavey Classic 20だったのだけれど、使いやすくて、それっぽい音がすぐに出せるアンプだった。今それは、妻の実家に置いてある。ぱっと見、Peavey VintageもPeavey Classicのように見えるので混同されるのだけれど、Vintageの方が10年以上古いアンプで、シンプルなアンプである。1チャンネルで、不器用なアンプである。

昨今のハイテクアンプは、一台で色々な音が出せるようにできているけれど、このアンプは、得意分野には長けているけれど、それ一辺倒で、色々な音は出せない。

見た目や使い勝手はFenderのツインに似ているのだけれど、プリアンプはソリッドステートで、ツインほどコンプレッション感は無い。そこが、なんともPeaveyらしくて潔い!!Fenderのような、高級アンプとは一線を画している。

私は、リバーブを常用するので、アンプにビルトインでリバーブが付いているのもありがたい。軽くリバーブをかけると、これがまたフェンダーのようなエロスの漂うリバーブとは異なり、ドライで素っ気ないところも使いやすくて良い。本物のスプリングリバーブなのだけれど、もう、ここまでこればデジタルでも良いのでは無いかと思うくらい素っ気ないリバーブである。(もっとも、この時代にデジタルのリバーブをギターアンプに搭載したものはないとは思うけれど)

これだけ、読むと、Peavey Vintageはなんだかただの安物アンプのような感じがするかもしれないけれど、そこが、実のところただの安物アンプには無い要素がある。そして、それがこのアンプを魅力的にしているのだ。

それは、音が暴れること。ブリティッシュアンプのように育ちの良いアンプには絶対に出せない、アメリカ製の、しかもPeaveyにしか出せない粗さがある。これは、昨今の高級ブティックアンプではなかなか出せない味なのだ。昨今のフェンダーのアンプにもこういうテイストのアンプは無い。無骨で、荒っぽい。これこそ、このアンプの魅力なのだ。

その、荒っぽさが、扱いきれないほどひどくはなく、かといって、ちょうど良くまとまりすぎてもおらず、時々手をやくぐらいなのが、所有している満足感につながっている。

おそらく、現行のフェンダーのツインを使っていたら、買ってすぐに飽きていたかもしれないけれど、このアンプに関して言えば、まだまだこれからガンガン使っていきたいと思っている。

Fuzzy Pedal Steel Productsでスチールギターをメンテしてもらった

全然まだ弾けていないのだけれど、Fuzzyという立川の砂川町にある日本で唯一のペダルスチールギターメーカーのPedal  Steel Guitarを一台持っている。 E9thとC6thのダブルネックなのだけれど、E9thの方はなんとなくペダルの使い方を理解しつつあるが、C6thのほうはちっともわからない。

ちっともわからなくて困っていて、仕方がないから、そのまま殆ど弾かずに書斎の一等地に置いてあった。それが、この度、もう少し練習してやろうと思い、キッチンの真ん中にアンプと一緒に置いた。これで、練習はしやすくなった。

折よく、カントリーのバンドの師匠から日本スチールギター協会の会報のバックナンバーを大量に譲ってもらった。

この会報に、いろいろなTAB譜が掲載されていて、毎号、E9th、C6th、C67thラップスチールギター各1曲ずつ課題曲が載っているのだけれど、これがなかなか勉強になる。早速、それらのTAB譜を頼りに練習をしている。

しかし、困ったことに、私はC6th側のパーツを流用しE9thのRKRのレバーのセッティングを変えて使っていたので、C6thのセッティングが通常のセッティングと違っていた。これでは、C6thのTAB譜通りに弾けない。

困った挙句、仕方がないのでFuzzyの藤井さんのところに楽器を持って行って、パーツを加えてもらった。

Fuzzyは立川からさらにモノレールと西武線を乗り継いで行ったところにあるのだけれど、キャリーカートも入れて30kgの楽器を持って行くのだから一苦労だった。それでも、自分の楽器を製造した場所に行くのだから、聖地巡礼のような気持ちになる。私の楽器には製造番号のようなものは書いていないので、いつ作られたものなのかはわからないけれど(中古で手に入れたわけだし)そんなに古いものではない。

私のカントリーのバンドのリーダーの楽器もFuzzyの楽器だ。リーダーが使っているんだから楽器の良さはわかっていた。だから、インターネット上で売りに出ていたのを発見し次第、すぐに購入した。

Fuzzyからパーツの取り付けが終わった楽器を引き取りに行き、自宅で組み上げてみたら、なんだかまた、この楽器で世界を変えてやろうというような、勇ましい気持ちになった。

どのようなチューニングにすべきなのか、Fenderの8弦

先日、40歳の誕生日を迎えた。

その、40歳の誕生日の前日、妻と御茶ノ水に散歩に行くと、1960年代のフェンダーのペダルスチールギターが店に置かれていた。妻は、私への誕生日プレゼントとして、その楽器を購入してくれた。

フェンダーのスチールギターの歴史は古く、Fenderという会社はもともとスチールギターを盛んに製作していた。50年代にテレキャスターを発売してからというものスパニッシュスタイルのエレキギターがフェンダーのラインナップの中心を担ってきて入るけれど、70年代の中頃まで、スチールギターもレギュラーラインナップに入っていた。

今回、妻にもらったのはFender 400という8弦、4ペダルのペダルスチールギター。ペダルスチールギターとしては4ペダルはちょっと少なくて不便なような気がするけれど、もともとノンペダルのスチールギターがベースになっている楽器なので、バーをスラントさせてコードを鳴らす前提で使えば、様々なコードが鳴らせる、その上で、基本的なコードについてはペダルを使えるという優れものである。

もともと、40年代ぐらいまではみんな6弦のスチールギターで弾いていたわけだし、もっと色々なコードに対応するために8弦にしたり、ペダルをつけたりしたという歴史もある。多くのスチールギターの名手が、6弦の不便な楽器やら8弦のシングルネックで多くの名演を残している。だから、ペダルが少ないとか、弦が少ないからといって表現の幅が狭まるというわけでは必ずしもない。

もちろん、ジャズで使うような、テンションコードを鳴らすためには8弦だと、少し不便ではある。バディーエモンズのC6ネックのような美しく複雑で完璧な響きは出せないかもしれない。けれども、スピーディーウェストはこのシングルネック、4ペダルの Fender 400で多くの名演を残しているわけだし、頑張ればやってできないことはないし、シンプルな分だけ楽器として扱いやすい。

しかしながら、一つだけ問題があって、果たしてこの楽器のチューニングをどうしようかというのが悩ましいところだ。

目下私は、10弦のE9thチューニングの1、2弦を省略した、変形E9thチューニングで使っているのだけれど、これでは、デフォルトで7thコードを鳴らすことができない。

そこで、3番ペダルでB7thを鳴らせるようにセッティングした。

1番、2番ペダルは通常の10弦のE9thペダルスチールギターと同じセッティングにしてある。これで、普通のE9thネックと同じ感覚(D#, F#はないが)で弾ける。

これが果たして正解なのかは、使いながら考えることにしていこうと思っている。4番ペダルはディミニッシュを鳴らせるようにセッティングしているのだけれど、ディミニッシュはサブドミナントから続いて鳴らすことが多いから、本当は3番ペダルに振り分けたほうがいいのかもしれないけれど、そうするともっと使用頻度が高いドミナント7thを鳴らすのが面倒になる。

どうも、こうも、正解が見えないのだ。

仕方がないので、手探りで日々セッティングを変えながら使っている。この楽器を開発した方は、一体、どんなチューニングで、どんなペダルセッティングで演奏することを想定していたんだろう。おそらくC6thかA6thで弾く前提で作っていたのだろうけれど、残念ながら6th系のチューニングは私はちっともわからない。インターネット上でFender 400のユーザーズマニュアルを見つけたのだけれど、8ペダルのセッティングで、難しいチューニングが載っていたので、それはパスすることにして、自分の使いやすいようにして使っている。

目下、スチールギターラグしか弾けないのだけれど、こつこつ練習して1日でも早くこの楽器を使いこなせるようになりたい。

生まれて初めて花を贈られた日

私事ではあるけれど、月に一度集まってバンドをやっており、今時めずらしいカントリーミュージックを少々嗜んでいる。

メンバーは老若男女様々で、私はカントリー歴が一番短く、一番下っ端である。一番下っ端なのにもかかわらず、ボーカルとギターをやっている。キャバレーのハコバンのようにボーカルは持ち回りで、3名で代わる代わるリードボーカルをとっている。ギターも、どっちがリードとかそういうのもなく、歌っているときはリズムギター、歌っていない時もリズムギターだったりなのだが、時々リードギターも弾く。

このブログにはよく自分の所有しているギターことについて書いたりはしているけれど、実はギターは下手っぴで、コードを押さえて伴奏をするのがやっとであるから、ギターソロなんていうものをとることは滅多にない。滅多にないのだけれど、メンバーが優しいので、時々ソロをまわしてくれる。

それで、実は今日は自分のカントリーのバンドのライブを開催した。会場は高田馬場のローンスターカフェ。カントリーの老舗である。

前回は、東村山だったかどこだったかのカフェでやったので、今回は都心!随分出世したもんである。ローンスターカフェは会場費が安いので助かる。広くて良いお店だった。

それで、ライブはなんとか滞りなく終わったのだから良かったのだけれど(ライブが滞ると、それはそれは大事件だからさ)、なんだか終わってしまったというちょっとした寂しさもある。もっとコンを詰めて練習すれば良かったとか、いろいろあるのだけれど、とりあえずは楽しめたからそれでよし!!

それで、嬉しいことに、会場に行ったら私宛にお花が届いていた。職場の方が贈ってくれたのである。私は、生まれてこのかたひとに花を贈ってもらったことがない気がする。何かよからぬことをやるとき(まあ、大抵はバンドのライブなのだけれど)、会場に入って自分宛の花があるという、この嬉しさは、何なんだろうか!!

嬉しくて、ライブの前から、どのようにお礼を言ったもんかを考えていた。

ライブのセットリストには、インストロメンタル、カントリーダンスナンバーや、カントリーワルツ、アップテンポの曲からバラード、クリスマスソング(R&Bナンバーだけど)もありだったのだけれど、何だか自分のバンドが祝福されているような気分になって、

全然緊張しなかった!!

緊張しない、というと何となく嘘のような気もするのだけれど(確かに、初めは脚が震えていたような気がする)、リラックスしてできた。花を贈ってくれた職場の方々、ありがとうございました。

それで、今回の相棒はフェンダーのBlack & Gold Telecaster!!機材だけは立派なのである。

これは、もう、楽器の腕とかではなく、いかにカッコイイ楽器を現場に持っていけるか。これにかかっている。カントリーといえば、テレキャスである。それも、普通のテレキャスターだと、いかにもギター弾きのようで芸がない。こっちはギターだけでなく、下手な歌も歌うわけだから、目立つギターでなくてはいけない。そういうときに、便利なギターである。

先日ギルドのアーティストアワードを買った際に、下取りに出そうかとも思ったのだけれど、出さなくて良かった。妻よありがとう!!

今回のライブで使うギターをどれにしようかとテレキャスター3本のうちから迷っていたら、娘が「お父さんには、これが良いよ」と言って、このブラックゴールドテレキャスターを推してくれたのである。娘の推しメンである。ますます売らなくて良かった。

そういうわけで、バンドメンバー、職場の愛すべき方々、妻、娘に支えられて、今日のライブを迎えることができたことを、感謝しております!!

また、ライブをやりたいな。

Guildの最高傑作! Artist Award

植木等はジョニースミスを最も敬愛するジャズギタリストに挙げている。日本を代表するジャズギタリスト(代表しないか)の植木等がである。

ジョニースミスという名前を聞いても、いまいちピンとこない方もいるかもしれない。いるかもしれないから、ここに記しておくが、実は私もそれほどピンとこない。詳しい話は、冒頭に記載した植木等に話を聞いてみるといいかもしれない。彼なら、愛用のGibson ES-175を手にジャズギターのなんたるかを熱く語ってくれそうな気がする。

ああ、その植木等も今は亡き人か。

あの方は、単なるコメディアンを超えて、日本のお茶の間に音楽を届け続けてくれた。私事ではあるけれど、中学までカラオケに行っても、植木等のスーダラ節しかレパートリーが無かった。植木等しか流行歌の類を知らなかったのである。まあ、スーダラ節が流行歌なのかどうかはともかくとして。そのくらい、スーダラ節は耳について、日本のサラリーマンの哀愁を、中学生の私にまで伝えてくれたのである。将来、大きくなったら、植木等のようなサラリーマンにだけはなりたくないと思っていたら、本当に植木等のようなダメサラリーマンになってしまった。人間の人生とはわからないものだ。

それで、ジョニースミスである。

「ヴァーモントの月」というジャズギターの名盤がある。まあ、私も昨日初めて買って聴いてみたのであるが、間違えなく名盤である。ジョニースミスという人の艶艶していて色っぽいジャズギターが堪能できる。スタンゲッツというこれまた、サックスを吹かせたら、これ以上の名人はいないと断言できるぐらい力強い大御所が参加しているアルバムなのであるけれど、主役はやはりジョニースミスである。

ビバップの香りが残るクールスタイルのジャズである。スタンゲッツのアルバムを聴いているような、勢いが良く、洗練されていて、アップテンポの曲からバラードまで、どれもいいアルバムなのだけれど、その中で、ジョニースミスのギターの音が素晴らしい。

ジョニースミスといえば、ギターに詳しい方は、Gibsonのジョニースミスモデルを思い出すかもしれないけれど、本家本元のジョニースミスのシグネチャーモデルは何と言ってもギルドのこのギター、Johnny Smith Award(後のArtist Award)である。ギルドというメーカーはギターブランドの中では中堅メーカーと思われがちだけれど、個人的にはフェンダーなんかよりもずっと各が上のメーカーだと思っている。フェンダーは所詮ラジオ屋である。

私の中で三大ギターブランドはGibson, Epiphone, Guildである。

そこに、あえてもう一社加えるのであれば、MartinかGretsch。異論はあるかと思うけれど、ギター屋という意味であれば筆頭はギブソンとマーチンであろう。でも、マーチンはエレキギターに弱いし、グレッチは造りがいまいち。そんな中で、Gibson, Epiphone(50年代までね), Guildは文武両道、エレキもアコも両方すごい!

Gibson, Epiphoneのエレキギターはある程度自前でピックアップを作成しているのだが、ギルドは自前では作らずにほぼ100%DeArmondに依存している。そこが良い。無理はせずに、良いパーツは良いパーツとして使う。その代わりギター作りには妥協しない。そういうところがギルドの潔いところである。

その点、フェンダーも自前でピックアップを開発したりしていて、エレキギター屋としては、妥協してなくてよろしいのだけれど、いかんせんフェンダーはエレキギター屋である。エレキギターの専門家である。そういうところに三大メーカーの看板を掲げさせるわけにはいかない。

自分でも書いていることが支離滅裂で、説明しきれないけれど、、とにかく私はギルド贔屓なのである。

デザインはGibsonのギターが一番美しい。曲線のラインや、バランス、どれを取ってもギブソンの一人勝ちである。ギブソンのギターはとにかくその美しさでは群を抜いている。それに比べて、エピフォン、ギルドのギターはどこか垢抜けないと言うか、ぼてっとしたデザインである。そこがまた、田舎もんの私にとってみれば、共感が持てて良い。

ギブソンのギターが銀座のクラブのママだとしたら、ギルドのギターは精一杯おしゃれして上野のスナックが似合う感じである。上野だって立派な東京だぞー!と怒られそうなのを承知で言うと、銀座のクラブにはある程度東京で成功した大人が行くところなのに対して、上野のスナックは、上京してきてなかなか結果が見えてこない地方出身者が夢を見ながら酒を酌み交わす場所である。ギルドには、そういう温かみがある。

ギルドのボディーの腰のくびれが、ちょっと太めなところも好きである。色っぽい中年女性のようで、美しい。ギブソンの腰のくびれは何か、雑誌のモデルさんのようで、どうも温かみに欠ける。ギブソンは美しすぎるのだ。

いかんいかん、ボディーの話ばかりになってしまった。

肝心のギルドの音色なのだが、艶やかで、ツンとしていて良い。

これはデザインと反対で、ギブソンの音がどちらかというと野太い音なのに対して、ギルドの音色はスリムでいて、都会的に洗練されていて前に出てくる音である。

ギターの音色というものは、どうも、見た目とは必ずしも一致しないものなのだろう。

どこかでも、聞いたような話だ。