Danny Boy, Ray Price

私はあまり映画を見ないのだけれども、時々気まぐれに見ることがある。

コーエン兄弟のMiller’s Crossingは好きで、3回ほど見た。見たと言っても  DVDかなにかでみたのであって、劇場で見たような気はしない。映画館で見ない映画鑑賞というのも、どうも味気ないもので、自宅の小さな画面で映画を見たところで、なんだか見たんだか見ていないんだかという気分がする。かといって、1,500円ぐらいを払ってまでして、見ようなんていう映画も少ない。

アマゾンでタダ同然に映画を見れるというのに、映画館に映画を見に行っている方々はどのくらいいるのであろうか。私は、先日しばらくぶりに映画館に行ったけれども、ガラガラでぜんぜん人が入っていなかった。前回、娘がドラえもんを見たいというので連れて行ったのがまだ冬だったから、かれこれ半年ぶりぐらいだろうか。その時、映画館に行ったのが約1年ぶりぐらいだから、1年に1・2度しか映画館にはいかない。自宅で映画のビデオを見るのも、一年に1・2度ぐらいだ。

そんな中、Miller’s Crossingは3回も見たのだから、結構よく見た方だと思う。あの映画は、ストーリー等はよく覚えていないのだけれど、途中で、マフィアのボスのレオが自宅にいるところをマシンガンを持った男二人に襲撃されるシーンがある。

そのシーンでは、ずっとダニーボーイがかかっているのだけれど、そのダニーボーイが好きで、そのシーンを見たくて繰り返し見たのだ。

映画の中では、Frank Pattersonが歌うダニーボーイが使われているのだけれど、私は、そのレコードを持っていないので、その代わりにRay Priceの歌うダニーボーイをよく聴いている。レイ・プライス若かりし頃の録音であるけれども、貫禄がたっぷりで、説得力がある。ちょっと凝ったアレンジになっているのだけれども、レイ・プライスの歌はオーソドックスで、ダニーボーイはこうじゃなきゃいかんとすら思う。

レイ・プライス(故人)はカントリーの大御所だったけれど、こういうトラディショナルな歌も十分歌いこなせていて、好感が持てる。カントリーシンガーは、フォークの香りも出せないとやっぱり本物ではないと思ってしまうのは、私だけだろうか。フォークやトラディショナルなものを堂々と歌いこなすのは難しいだろう。そういった曲は歌唱力が求められる。ボブディランみたいに、自分流(ウディガスリー調なのか?)に歌いこなすのも大変だと思うけれど、それよりも、オーソドックスでありながら、人の心をつかむように歌うのは至難の技だと思う。レイ・プライスはそれをやってのける。

センチメンタルな気分になった時、まあ、一度聞いてみてください。レイ・プライスの Danny Boy。

Jimmy Smithと言えばこれ。 “Root Down”

オルガンもののジャズが好きで、ジャズと言えばトランペットのワンホーンカルテットとオルガントリオばかり聴いております。

ジャズを好きな方々にはそれぞれの好みがありまして、まあ、これはどんなジャンルの音楽でもそうなんですが、ジャズの場合、ピアノトリオばっかり聴く方、二菅編成(テナーとトランペットなんかが定番ですかね)じゃないとジャズを聴いた気がしないという方、はたまたギタートリオ(これもギター・ベース・ドラムスのトリオに限らず色々ありますが)こそがジャズの醍醐味と語る方もいらっしゃるし、はたまたビッグバンドじゃないと物足りんという方も当然いる。どなたの意見も一理あるわけで、私にもその気持ちよくわかります。

確かに、ピアノトリオは奥深い。ピアノ、という一台で何でもできてしまう楽器を担うピアニストと、ベースという何とも不器用そうな楽器を自由自在に操るベーシスト、ただリズムを刻むだけの役割をなかなかやらせてもらえないドラマー。この3人の編成は、ジャズの編成としてはど定番なんですが、ピアノトリオこそ人それぞれにいろいろなスタイルがある。

有名どころでビルエヴァンストリオ、あれはピアノトリオの一つの完成形。今でも多くのピアノトリオがあれを下敷きにして、あれを越えようともがいている。そもそも、ビルエヴァンスのトリオは、各プレーヤーの担っている役割が高次元すぎて、真似しようとしたところで真似できない。キースジャレットのスタンダードトリオだって、その世界じゃ負けていないけれど、あれもそもそもはビルエヴァンスがああいうフォーマットを完成させなければ出てこなかったんじゃないか。

ビルエヴァンストリオのような複雑な音楽はどうも好きになれません。という御仁もおられよう。そういう方はウィントンケリートリオ、はたまたレッドガーランドトリオなんかがお好みか。私が一番好きなのはレッドガーランドのトリオ。レッドガーランドのピアノがダイナミックでありながらいつも収まるべきところに収まっていて安心して聴ける。だから、一番好き。ウィントンケリー、あの人も素晴らしい。複雑なことはやらない。実験的な音楽には手を出さない。だけど、いつもしっかりした、スイングしまくるジャズを提供してくれる。すごいテクニシャンっていうわけでもないし、派手なところはないけれど、音楽が素直で良い。ああいう人こそ名手と言えるんではないか。この系統の堅実・しっかり派のピアノトリオはたくさんいる。結局聴いていて一番疲れないのはこの系統。

もっとオールドスクールなピアノトリオだってたくさんいる。エロルガーナートリオなんて、どのレコード買っても、音質の差こそあれ、あのレイドバックしたメロディーラインが待っていてくれる。もっと古いスタイルで、名盤もたくさんあるのだけれど、私は専門外なのでエロルガーナー以外はほとんど聴いていない。

リーダーはピアニストではないけれど、シェリーマンのトリオも良い。アンドレ・プレヴィンがピアノを弾いている “My Fair Lady”も忘れちゃいけない。

じゃあ、Three soundsはどうなんだ?えぇ?どうなんだ?と言われたら、ぐうの音も出ない。あの方々は、ピアノトリオっていう世界の一つの極端な完成形。予定調和の美学。偉大なるマンネリズム(いい意味で)。地球がどのように回っていようと彼らの音楽はきっといつまでも変わらなかっただろう。

ピアノトリオだけとってみても、ここに書ききれないほどの名前がどんどん上がってくる。トミーフラナガン、バドパウエル、チックコリア、ハービーハンコック、アーマッドジャマル、ハンプトンホーズ、もう、語りだすとアラビアンナイト状態になってしまうので、今日はやめておこう。ピアノトリオについてはまた後日。

それで、話は戻ってオルガンもののジャズなんだけれど、正直な話、オルガンものはとにかくオルガントリオばかり聴いてきた。オルガン、ギター、ドラムス。この編成がやっぱりスタンダード。この編成で録音されているアルバムは、とにかく片っ端から聴いている。ジャケも確認せずに買って聴いている。ジャケ買い以前の問題だ。だからかどうか知らないけれど、オルガントリオのジャズのアルバムのジャケットって、あんまり凝ったデザインのものはない。きっと、流れ作業で作成されているんだろうな。

オルガントリオの名盤と言えば、まずはRichard Groove Holmesの”Living Soul”。オルガントリオの入門盤。

次の入門盤はやっぱりJimmy Smithになっちゃうかな。”Organ Grinder Swing”か、もしくは”Standards”。ハモンドオルガンの音色作りの基準って、きっとジミースミスの音なんだろうな。

オルガントリオの入門盤については、いくらでも紹介されているから、一気に飛ばすことにして、オルガンもので個人的に好きなアルバムについて。

まず、聴きやすいアルバムとして”Introducing the Fabulous Trudy Pitts”。これは、オルガントリオにコンガが加わった編成なんだけれど、とにかく、一気に通して聴いても暑苦しくならない。かといって、お洒落なだけにとどまらないアルバム。

新しめのアルバムでは(とは言っても、1993年発売だけど)Joey Defrancescoの “Live at the Five Spot”。これは、もう、トリオじゃなくて、オールスターメンバーでサックスやらトランペットやらが代わる代わる加わっての演奏なんだけれど(ハモンドオルガンの巨匠ジャックマクダフまでゲスト参加している!)、これはこれでかっこいい。何が良いって、ジョーイデフランセスコ、ソロもすごいんだけれど、バッキングの時、左手のベースラインがめちゃくちゃグルーヴする中で、右手でグワッとフィルインを入れてくる。これがたまらんくかっこいい。オルガンの名手って、ギタリストやらのフロントマンがソロをとっている時にいかにカッコよく伴奏できるかにかかっていると思う。そういう意味では、ジョーイは当代きっての名手(今でもそうだと思う)。

忘れてはいけないのがJimmy McGriff。この人は、やけにたくさんアルバムを出しているので、それぞれのクオリティーもまちまちなんだけれど、あえて一枚好きなアルバムを挙げるとすれば、”The Big Band: a Tribute to Basie”。これに入っている4曲目の “Cute”が良い。オルガンのかっこよさに目覚めたのはこの曲。とにかく、ハモンドオルガンの乱暴な音色にシビれる。

ハモンドオルガンのアルバムについては、これから一枚一枚紹介していきたいのだけれど、いつも、最終的に行き着くアルバムはJimmy Smithの”Root Down”これは、もう、ジャケットだけ鑑賞しても十分お釣りがくるぐらいオルガンの魅力を伝えるアルバム。このアルバムが苦手という方は、おそらく、ハモンドオルガンという楽器そのものがあまりお好みではないのかも。それぐらい、オルガンという楽器のいろいろな側面を見せてくれるアルバム。

結局、ジミースミスに行き着くっていうのも、なんだかつまらないのだけれどな。でも、これを抜かしてオルガンジャズは語れないからなぁ。

Hound Dog Taylor “Release the hound” この猟犬スライドに憑き

このブログの趣旨は、聴いていて疲れないCD、読んでいて疲れない本やら写真集を紹介するのであるけれど、今日はちょっとその趣旨から外れて、暑苦しいCDを紹介いたします。

私は中学時代ブルースのCDばかり聴いていた。BB Kingから始まって、バディーガイやら、ロバジョンやらの有名どころを聴いて育った。当時どんなCDに夢中になっていたか残念ながらあんまり覚えていないのだけれど、ジョニーウインターやらスティーヴィーレイヴォーンなんかの白人のブルースマンのCDを盛んに聞いていたように思う。もう25年ぐらい前の話だから、すっかり忘れてしまった。

私の暮らしていた札幌では、そもそも大きなCD屋がタワーレコードぐらいしかなかったので、手に入るブルースのCDもあんまりたくさんはなかった。白人のブルースマンのCDはロックのコーナーに置いてあったから比較的たくさん置いてあった。ブルースのレコードについての詳しい解説本のようなものもあまりでていなかったから、「ロック」に分類されているブルースのレコードの方が情報が出回っていたので必然的にそういうCDのセレクションになった。

当時、どのCDを買えばどんな音楽が聴けるかは、買ってみないとわからなかったから、所謂ジャケ買いばかりしていた。ジャケ買いと言っても、当時中学生の少ないお小遣いから買うわけだから、そうおいそれとCDは買えない。だから、ジャケットを見る目も真剣だった。今は、そんなに一生懸命ジャケットは見ない。なんとなく好きなミュージシャンが参加しているアルバムやら、好きな曲が入っているCDを盲滅法に買って聴いている。

ハウンド・ドッグ・テイラーの「この猟犬スライドに憑き」のジェケットもそれほど見栄えのするものではないから、中学の頃だったら買わなかった類のもんだろう。しかし、これはブギーの神様ハウンド・ドッグ・テイラーの数少ないライブ盤のCDだし、AlligatorレーベルのCDだから、まあ間違えない選択だろうということで買うに至った。情報化社会の賜物である(まあ、購入したのは10年ぐらい前だけれど)。

このCDはハウンド・ドッグ・テイラーの没後まとめられCDとなったものなのだけれど、音質もさほど悪くはない(よくはないのだけれど)。何よりも、1トラック目の初めのMCが良い。

もし、ブギーについて知りたいと思ってここに来たんだったら、それは正しい選択でした。ハウンド・ドッグ・テイラーとハウスロッカーズです。

という店の人なのか司会者なのかわからないけれど、MCからはじまる。まさに、この言葉に表現されている通りのブギーがこのライブ盤には詰まっている。全曲シンプルなブルース進行、コード進行だけで考えると、全曲一緒。

だけど、まあ、がんばればなんとか一枚通して聴ける。それは、ハウンド・ドッグ・テイラーのギターが凶暴だからである。歪んだサウンドでスライドしまくるという、なんともシンプルなスタイル。この芸風でブルースやっている人は結構たくさんいるのだろうけれど、この人が本家本元。だからなのか何なのかわからないけれど、妙に説得力がある。

しかし、このCDについて、これ以上語るべきこともないので、今日はここまで。

常にそこにいるという安心感Red Garland “The Nearness of You”

Red Garlandのまだ聴いていなかった名盤があった。”The Nearness of You”というタイトルのバラード集。

ジャズのアルバムで、ピアノトリオで、バラード集というのは結構たくさん出ていて、物によっては単なるラウンジミュージックになってしまっていたり、逆に難解な解釈になっていたりして聴きづらかったりするのだけれど、このレッド・ガーランドのアルバムは、シンプルでいてなかなか聴きごたえのあるアルバムに仕上がっている。とは言っても、聴いていて疲れるようなアルバムではなく、甘ったるくなりすぎないで、純粋にレッド・ガーランドのピアノトリオの無駄のないアンサンブルを堪能できる。

私は、あまりジャズのピアノトリオのアルバムを持っていない。普段あまりピアノトリオを聴こうと思わないからだ。だいたいいつもは、オルガントリオ(オルガン、ギター、ドラムス)編成のアルバムか、管楽器が入っているアルバム、それもワンホーンカルテットが好きで、よく聴いている。トランペット、テナーがフロントのクインテットのアルバムも結構沢山持っていて、とくにマイルスの50年代のクインテットやら、チェットベーカーの65年あたりのクインテットなんかは好きで時々聴くのだけれども、どちらかというとワンホーンの方が好きだ。

オルガントリオの魅力については、別のところに書くとしよう。

ワンホーンカルテット、特にトランペットがフロントのをよく聴いているんだけれど、何故好きかというと、トランペットの魅力というのを一番堪能できるからだ。トランペッターの力量、歌心が一番試されるのはそういう編成だと思っている。フロント楽器のハーモニーで聴かせるジャズよりも、歌モノに近い。ワンホーンカルテットでは、フロント楽器があまり暴れてしまうと、まとまりがつかなくなってしまう。だから、ワンホーンの編成では、テクニックをひけらかしたり、ハイノートをヒットしまくる音楽よりも、じっくり歌を聴かせるアルバムが多い。そいういうアルバムの方が聴いていて疲れないし、じっくり何度でも聞くに耐えうる。だから好きなんだろう。

ピアノトリオは、いろいろなスタイルを実験できうる編成であると思う。キース・ジャレットのスタンダードトリオのように、トリオでいかに自由に音楽を料理できるかを試す実験の現場にもできるし、ビル・エバンストリオのように、ピアノという楽器の表現の可能性を最大限に発揮することもできるし、はたまた上記のようにラウンジミュージックにもできる。だから、ちょっとした味付けの違いでいろいろな音楽に転んでしまうし、聴く方としては、それを楽しむことができる。

レッド・ガーランドトリオは、常に安定している。ベースやドラムスは色々と入れ替わったりすることはあるけれども。サウンドは常に変わらない。だから、彼のトリオのアルバムは、だいたいハズレはない。ハズレはないけれども、ものすごく実験的なことなんかは、絶対に期待できない。スイングしまくるし、ジャズという音楽のある意味完成形ではあるのだけれども、あまりにも安定しすぎていて、刺激がないのであまり好きになれないという方もいるだろう。この人は「時々アバンギャルドなことをやる」というようなタイプでもない。冷静沈着で、自分のスタイルを生涯貫いた。新しいスタイルを創り上げたパイオニアとも言えないだろう。むしろ、彼は彼のスタイルでの最高の名手だ。

ブロックコードを基調として、テーマもソロもとる。早弾きはほとんどない。だけれども、ものすごく、聴いていてウキウキするし、時にしっとりとまとめ上げる。彼のように弾けるというピアニストは、他にもいるだろう。オスカーピーターソンなんかは、彼のスタイルを踏襲し、もっとテクニックを駆使し、複雑なこともやってのける。だけど、彼は、あえて彼のスタイルを変えることなく、ピアノを弾き続けた。音楽の魅力って、いや、ミュージシャンの魅力っていうのはそこが重要なんだと思う。

これは、音楽に限ったことではないと思う。私個人の趣味といえばそれまでなんだろうけれど、表現とは「なにができるか」ではなく「なにをやらないか」が重要なんだと思う。そして、それは「なにしかできない」ということでも構わないと思う。その道である程度の水準(とは言ってもかなり高度なレベルにおいてだけれど)をクリアしていれば、このミュージシャン(作家でもいい)は「これができない」から劣っているということは基本的にはないと思う。むしろ、「この人はこれ以外できない」というのこそ、魅力になり得る。「〜節」という言葉があるけれど、それは、ちょっと狭い意味であって、もっとおおらかな次元において「これ以外できない」ということは、とても魅力的なことであると思う。

誤解がないように言っておくと「テクニックが劣っている方が素晴らしい」ということを言っているわけではない。むしろ、ディジーガレスピーやらパコ・デ・ルシアのようにテクニックが優れていようと、一つの道を極め、そればかり突き詰めるというタイプのミュージシャンにこそ魅力があるのだ。ディジーガレスピーはモーダルなジャズやフュージョンもやっているのかもしれないけれども、彼の音楽の魅力は最後まで50年代初頭までのスタイルのジャズを生涯貫いていいたからであり、そのためディジーは常に期待通りのことを軽々とやってのけるからである。

レッド・ガーランドのそういう魅力は、このバラード集でも存分に発揮されている。レッド・ガーランドのレコードに期待していることの総てがこの一枚に詰まっている。私は、彼のレコードを買って、そのバリエーションを楽しむことに喜びを憶える。そして、レッド・ガーランドはつねにそこにいてくれる。

The Police「見つめていたい」ムカデへの手紙

先日、夜中に玄関の前でタバコを吸っていたら、足元にムカデがいた。
本物のムカデを見たのは初めてだったので、恐ろしさや気持ち悪さの前に、よく見ておきたいという衝動にかられ、ムカデをガン見してしまった。

「ガン見」という普段使わないボキャブラリーを動員しなくてはいけないほど、よく見てみたいという衝動は強かった。
ムカデは、そこそこ一生懸命に玄関の前を這いずり回り、私はその姿をどうするともなくただ見つめていた。

The Policeの「見つめていたい」という歌を思い出した。まさに、スティングが歌っているように、一挙一動を見つめていたいという衝動は、こういう時に訪れるものなのかと、なんだか他人事のように感じながら、私は自分のキュリオシティーに半ば感心しながら、もう片方では、だんだんムカデが気色悪いものだという認識がじわじわとこみ上げてきた。

The Police、「警察」に「見つめていたい」と思われるのも嫌なもんだが、私に見つめられるのも、ムカデにとっては嫌なもんだろう。いわんや、気色悪いと思うとは。

ああ、いかんいかん、これでは見られているムカデに申し訳が立たんではないか。私は、勝手に彼(彼女か?)の前に現れただけであるし、彼だってまさかこんなところで私に遭遇するとも思わずにいたのだから。その出会い頭に、いきなり見つめられた上に、「気色悪い」などと思われてしまうというのは、誠に不本意極まりないだろうと思い、彼を見つめるのをやめてしまった。

そうすると、なんだかムカデに対して愛おしさのような感情すら湧いてきた。「ムカデ、ああ、すまん。ムカデ、どうぞご自由に私の自宅前を這いずり回るがいい」という寛容な気持ちと、断りもなしに「見つめていたい」という感情をダイレクトに彼に向けてしまったことを恥じた。

なんだか、私自身の居場所がなくなり(まあ、私の自宅の前なんだから、本来は私の方が堂々としていれば良いのだが)仕方なく、ムカデから少し離れたところに移り、タバコを燻らせた。

吸い終わり、うちの中に入ると、なんだかこのままではどうもいかんと思い、このままではどうもこうも心の整理がつかんと思い、とりあえず

「なんか、家の前にムカデいたよ」

と妻に報告した。

妻は

「キャー、気持ち悪い! 殺した?」

と返してきた。
いくら気持ち悪くても、なにも殺生に至ることはないではないか、これだから現代人は短絡的でいかん、けしからん。と思いながら、私はなんとなく自宅にすら居心地の悪さを感じ、書斎に引きこもった。

「ムカデ、すまん。確かに俺はお前を気持ち悪いと感じたぜ。確かに半ば興味本位でお前を観察したぜ。でも、殺そうとなんてちっとも思えなかったんだ。それだけは確かに言える。」

などと、独り言ちて、自分は何を言っているんだ、たかがムカデごときに馬鹿らしいなどと考え、寝た。

横になっていると、不思議な念にかられた。もし、あのムカデが、玄関の外ではなく、部屋の中にいたらどうだっただろうと。あるいは殺していたかもしれない。このような、慈しみの念にも駆られることなく。私は、自分の身勝手さを恥じた。

それから、数日が経った今日の昼ごろ、会社の隣の席に座っている社長が、何やら電話に向かって叫んでいた。

「俺は、そんなことは言っていないぞ!絶対に言ってない。神に誓って言ってないよ!」

そんな、簡単に神に誓えるようなぐらい、人間は誠実なものなのだろうか、と、また私は独り言ちた。

セルフカヴァーの名作「The Austin Sessions」

Willie Nelsonの唄うHave you ever seen the rainを聴いたのはいつのことだったろうか。それとも、まだ聴いたことがなかっただろうか。

いや、いつかどこかで聴いたきがする。なぜならば、心のどこかでウィリーネルソンの唄うあの歌の歌声が聞こえるからだ。そこには、ちゃんとしたバッキングも付いている。

Willie NelsonのHave you ever seen the rainを聴いたことありますか。と聞かれて、たしかにあると答えてしまったが、本当はなんと答えるべきだったのだろうか。いやー、聴いたことあったかどうか、すっかり忘れちゃったと答えればよかったのだろうか。なんとなく、ウィリーネルソンは全て聴いたような気がしているので、やっぱりあれでよかったのか。

そんなことを考えながら、Kris Kristoffersonの「The Austin Sessions」を聴いている。クリストファーソンのセルフカヴァーアルバムだ。

私はセルフカヴァーアルバムというジャンルが好きなのか、この類のCDは幾つかもっている。Jimmy Webbのセルフカヴァーベスト盤とか、あと、なにを持っているかは忘れたが、この類のアルバムがきっと好きなんだろう。時を経て、自分の作品に再び向き合う。これほど素晴らしいことはない、とまでは言わないけれども、そういうのもたまには悪くない。

「The Austin Sessions」に入っている曲はどれもがカントリーミュージックの名曲であり、彼のヒット作ばかりである。そして、彼のヒット作のほとんどは、彼のデビューアルバムに入っている。

だから、「The Austin Sessions」は彼のデビューアルバム再訪といった趣すらある。

クリストファーソンのファーストアルバムに、彼の代表作の多くが入っているのにはちゃんとした理由がある。ただの一発屋というわけではない。クリストファーソンは、セカンドアルバム以降も素晴らしい曲をある程度のクオリティーで書き続けているし、セカンドアルバム以降のヒット作の中にも私の好きな曲が数多くある。

彼は、デビュー作を作るまで、色々と職を転々としていたと聞いたような気がする。ベトナム帰還兵であったと聞いたような気もする。

詳しいことはわからない。

わからないけれども、彼がデビューしたのは、彼の才能を見出したジョニーキャッシュによるところが大きい。ジョニーキャッシュはクリストファーソンの敬愛するミュージシャンであることは間違いないし、クリストファーソンもまた、ジョニーキャッシュが敬愛するミュージシャンであることも間違いない。彼らは、ウィリーネルソン、ウェイロンジェニングスと4人でハイウェイメンというユニットを組んでいたし、ジョニーキャッシュはしばしばクリストファーソンの曲をカヴァーし唄う。

二人が出会った時クリストファーソンはジョニーキャッシュのヘリの操縦士だった。クリストファーソンはジョニーキャッシュのヘリを操縦しながら自作のデモテープを聞いていた。大御所のヘリを操縦しながら、自分のデモテープを聞くぐらいだから、自作に相当の自信があったのだろう。そのデモテープを漏れ聞いて、キャッシュはクリストファーソンに聞いたという。

「このテープで歌っているのは誰だ?」

クリストファーソンは、それは自分だと答え、自分がただのヘリのパイロットではないことを証明した。

そこで、キャッシュは彼にデビューアルバムを録音するように勧めた。だから、クリストファーソンのファーストアルバムには、彼の代表作の多くが収録されている。彼は、既に素晴らしいソングライターだったから、デビューアルバムが出来上がった時点で、既にベテランの歌手だった。

その経緯を反芻しながら、このアルバムを聞くと、彼のスタイルがそこに変わらずに貫かれていることがわかる。

クリストファーソンは、私の最も好きなソングライターの一人だ。

フェニックスに着く頃には。Ovation 1627 Glen Campbell

今まで、あまりオベーションのギターというのに興味がなかった。あの、樹脂製のボディーがまず怪しい。いかにもいい音がならなそうな気がしていた。

にもかかわらず、一台買ってしまった。Ovation 1627 Glen Campbellを。

カントリーのバンドをやっているのだが、そのバンドリーダーでPSGの方がOvationを一台もっている。5ピースネックのやつをだ。

私も、興味がなかったとは書いたけれど、Ovationを一台買うなら5ピースネックのやつが欲しいと思っていた。ワンピースよりも強度がありそうで、ネックがいかにも安定してそうだからである。Ovationはネックのジョイントがどうなっているのかよくわからないので、きっとネックリセットをするとなると大事だろう。だから、ネックは安定性がいいやつが欲しいと思っていた。

ちゃんとしたカーマン製で、ボディーはリラコードのやつがいいと思っていた。わけのわからないプラスチックでできているやつや、日本製のやつは嫌だと思っていた。

たいして興味がなかったのに、「もし買うなら」と考えているあたりが、よくわからないのだが、「もし買うなら」80年代にカーマン(アメリカ)で作ったリラコードボディーの、5ピースネックの、レジェンドが欲しいと思っていた。

Adamasが欲しいとは一度も思ったことがない。Adamasがいいギターなのは頭では理解しているつもりだが、そこまで欲しいとは思わなかった。アダマスぐらい高級ギターになると、気軽に持ち歩けない。気軽に持ち歩けないようなギターは何本も要らない。ましては量産ギターであるOvationに高級路線は求めていない。

むしろ、ちゃんとしたアメリカ製で、耐久性の強いリラコードボディーなら、音もそこそこ良いだろうし、ラフに使っても平気そうなので、「欲しい」と思っていた。

思えば、私がギターを欲しいとはじめて思った中学1年生の冬、札幌のギター屋「玉光堂」へ行って初めてもらってきたギターのカタログはOvationのカタログだった。グレコとか、イバニーズとかじゃなくて、オベーション。

生まれて初めて買ったギター弦はカーマンの弦だった。

カーマンが何故ギターの弦を出していたのかはわからないけれど、当時はカーマンブランドの弦というものが存在したんだろう。09のセットだった。

私は、そのカタログと弦を毎晩のように見て、いつの日か買うギターに夢を馳せていた。ギターといえば、エレキではなく、アコースティックギターが良いだろうと思っていた。オベーションのカタログばかり見ていたからだろう。

何故、今回1627 Glen Campbellを買ったか、それは、私がGlen Campbellのファンだからである。彼の歌声は正直甘ったるくてあまり好きではない。しかし、彼の歌のセレクションは常に素晴らしく、ギターがものすごく上手い。ギターが上手いのはあたりまえだ、彼はビーチボーイズのバックでレコーディングミュージシャンをやっていたのだから。

グレンキャンベルこそ、ギター小僧の憧れの人だと思う。何より、ギターを持つ姿がかっこいい。ギターが似合っている。センスが良いとは言い難いファッションに、どんなギターでもうまいこと合わせるのだけれど、このオベーションを持つ彼は特に良い。

グレンキャンベルモデルは特に高級じゃないところも好感が持てる。装飾が少なく、コントロールもシンプル。音もひねったところがない、オベーションらしい音がする。

オリジナルの茶色の馬鹿でかいケースもかっこいい。オベーションを持っている、という満足感に浸れる。ケースの方がギター本体よりも高いんじゃないかと思わせられるケースだ。

カーマン、よくやった。

The Weight「幸せで満たされない」気持ち

肩の荷をおろせ、肩の荷を降ろすんだ。荷物を降ろして楽にすれよ。

the bandのこの名曲を、Marty Stuartが歌っているのを聴きながら、私の心は少しだけ救われる。この街で住むということはなにかとストレスがかかるもんなのである。

何かとストレスがかかる。ひとりでは抱えきれないほどの荷物を背負いこみ、朝の満員電車に乗り込む。乗り込むというよりも押し込まれるように。

会社の最寄駅についたら、レッドブルとペットボトルの紅茶を買い、一気に飲み干しオフィスへ向かう。そのまま、いちにち働き通しだ。

昼休みもろくに取れない。狭いオフィスのボロボロのデスクに座り、コンビニで買った昼ごはんを食べる。昼を食べながらも、視線はパソコンのモニターを見ている。キーボードから手を外さずに、昼飯をほうばる。

夕闇が降りてくる。夕闇が降りた途端に、私の手元には仕事が舞い込む。なぜだかわからないが、毎日物事はそのように進む。大抵はトラブル。トラブルでなくても、夕方に舞い込む仕事は大抵は面倒ごと。

面倒ごとも片付かぬまま時計は9時を回る。

これ以上、仕事を続けても効率が下がるだけである。

10時を回る前に、私はオフィスを後にする。時には11時をすぎることもある。それでも、給料が一円でも多くもらえるわけではないし、会社の景気も良くならない。

名刺に書かれた肩書きばかりがどんどん立派になっていっても、私の給料は一円も上がらない。世の中の30代後半のサラリーマンの平均の6割ぐらいの給料で、こうして楽器屋の毎日は過ぎていく。

達成感も、社会への貢献も、自己実現も何もない職場である。

しかし、私は楽器屋という商売以外にやりたい仕事もないのでそこで働き続けている。

楽器屋は悪い商売ではない。なによりお客様を含め、楽器が好きな人たちに広く夢を与える仕事だし、夢を売っている仕事だからだ。

私は、楽器がうまい人に楽器を買って欲しいとか、良い楽器だからたくさん練習して欲しいとか、全く考えない。ただ、楽器を買って、生活の片隅(時として生活のど真ん中)に楽器を置いて、その幸せを甘受して欲しいとだけ思う。もしも、楽器が買えなくても、楽器が欲しいという気持ちを温めることによって幸せを感じて欲しい。それが我々楽器屋のできる精一杯のことだから。

楽器を練習するとか、上手いとか、得意だとかはそれとは全く別の話だ。いい楽器を買う人たちには、楽器の良さを何かしら感じてもらい、それに喜びを感じてもらえればそれでいい。楽器の良さは、性能ではない。良い楽器とは、所有する人の夢を叶えてあげれる楽器だと思う。「高いから欲しい」「高級だから欲しい」「なんとか手に入る範疇だからほしい」「練習したくなるから欲しい」「持っているだけで満足できるから欲しい」「いい音がするから欲しい」等、理由などなんでもいい。

楽器屋の中には、いい楽器は上手い人に使って欲しいと考えているアホな輩がいるみたいで、私自身が楽器屋に楽器を見に行く際も、楽器屋の店員が私の楽器の腕前を計りにかけて私に「ふさわしい」商品を勧めてきたりすることがあるが、あれはとても不快である。だいたい、楽器屋に私の楽器の腕前についてとやかく言われたくない。私は、ただ、いい楽器が欲しくて楽器屋に行くのだ。黙って、俺に良い楽器を安く売って欲しいのだ。時には、ロクデモナイ楽器を高く売りつけて欲しいのだ。

楽器なんてたいした弾けなくたって、楽器の良し悪しはだいたいわかる。わからない場合でも、「値段」という分かりやすい計りの針が楽器にはついている。

だいたい。楽器が欲しくなった時に、2〜3店舗見て回ると、何が「良い楽器」で何がそうでないかは誰にでもわかるもんだ。わからないのではないかと考えるのは、楽器屋の勝手な思い上がりで、そんなことはない。誰にだって、自分のニーズに合っている楽器ぐらい5〜6台の楽器を触っているうちにわかる。

この感覚は、美術品を買ってみるとよくわかるだろう。美術品なんて、よく分からない、と思っている方も多いのかもしれないけれど、いざ身銭を切って絵を買おうと考えてみると、自分の予算、それに見合った価値のもの、自分の好みがはっきりしてくるのだ。

私が仕事で扱っている楽器は安い楽器ではない。安い楽器なら「性能」で差別化して売ることもできるかもしれないけれど、「性能」は安物の説明にしか通用しない。高価な品はいかに「夢」を提供できるかにかかっているのだと思う。だいたい、ランボルギーニを買う時に、取説のスペック表を見ながら比較検討する奴なんてほとんどいないだろ。ランボルギーニはランボルギーニだから欲しいんであって、フェラーリよりもスペックが良いフェラーリの代替品として買うことなんてほとんどないのだ。

私は、ギター屋に行って、「さて、ギブソンにしようか、それともフェンダーにしようか」なんて考えたことは一度もない。「どっちも欲しい」ということはある。どっちも欲しい時は、「どっちかより欲しくなった方」を買う。2者択一ではない。ギブソンとフェンダーは、ペットに猫を飼うか、鳥を飼うかぐらいの違いなのだ。

私の仕事は因果なことに、ピアノ屋である。今まで一度も興味がなかったピアノを売っている。ピアノはギターと違って滅多やたらに「ギブソンもフェンダーも」買うということができない。お金の方はそれを許しても(大抵お金の問題はなんとかなるもんだ)置き場所の方がそれを許さない。

ピアノ屋という商売の嫌なところは、実際は2者択一であるはずもない、かけがいのないブランドを、他のブランドと比較させて選んでもらわなければいけないことだ。そして、フェラーリやらランボルギーニと違って、一度買ってしまうと30年以上壊れることなく、存在し続けることだ。

本当はあれもこれも欲しい。けれども、どれかを選ばなくてはいけない。これが、ピアノ購入の悲劇である。よっぽど広い家に住んでいるわけでないのであれば、この、どうしょうもない、不毛な2者択一(もしくは3者択一)を迫られる。

楽器選びの一番面白いところは、この「欲しいけど、どうしようかな」と考えることだと思う。「欲しい、欲しい、ほしい。けど、どうしようかな」これが一番幸せな瞬間である。ギターの場合、一生のうちに100回ぐらいはこの気分を味わえるのだが、ピアノの場合多くても一生のうちに3回が関の山である。

私自身、セールスマンではないから売るのは専門ではないのだけれど、自分が人一倍楽器屋に足繁く通うので、楽器が欲しい時の「幸せで満たされない」気持ちがそこらの楽器屋よりもわかる。

その「幸せで満たされない」気持ちをくすぐられながら、だまされる楽しさが楽器購入の楽しみだと思っている。

そんなサービスを提供できるのは、ソープランドか、外車のディーラーか楽器屋ぐらいしかないのだと思い、私は今日も楽器屋の店員として働いている。

Good time Charlie’s Got the Blues

もう、1年ほど前の日のことだろうか。
朝から大雨でどうしょうもない天気だった。
私はその日、友人に60年代のボロボロのギターを貸す約束をしていた。B-15という、ギブソンで一番廉価なギターで、その上、とにかく塗装が半分以上剥がれていて、もはや骨董の域に達しているB−15にはセカンドスタンプが押されているカラマズーブランドのギターだ。家では誰も弾く人がいなくなり、ギターハンガーにかけっぱなしになっているギターだった。
友人と書いたが、私はその女の子に恋心に似たようなものを持っていた。既に2年以上前に、彼女からはフラれてしまっていたのだけれど。それでも、彼女を嫌いになる理由はどこにもないということと、彼女が相変わらず彼女自身であり続けているのだから、彼女を好きな気持ちに変わりがなかった。
恋心と書くと、35を過ぎた妻帯者の親父には、不相応な表現だけれども、事実だからしょうがない。
彼女に会うのは、もう半年ぶりぐらいだろうか。前日の夜に彼女に会う約束を取り付けた時に、既に私の気分は高揚していた。まるで、クリスマスと誕生日を明日に控えている子供のような気持ちだった。
11時前に自宅を出て、御茶ノ水の街をふらつき、雨の中B-15を安全に運ぶセミハードケースを探し当てた時は、1時を回っていた。
 
彼女との待ち合わせは7時だった。彼女の仕事の兼ね合いで、渋谷で会うことにしていた。私は6時前には現場入りして、渋谷の楽器街をふらついていた。
8時を回ったあたりで、彼女は渋谷に現れた。
 
仕事が遅くなってしまい、すみません。
 
と彼女は仰々しいお詫びの言葉を私につぶやいた。
そのまま二人で坂を登り、ギターの引き渡し場所として、坂の上の創作和食居酒屋を選んだ。どんな料理が出てきたかは覚えてはいないが、二人で日本酒を4合ほど飲んだ。
 
彼女の口からは、最近夢中になっている男性の、嬉しそうな報告がどんどん溢れ出てきた。彼女は幸せそうだった。
 
正直な話、私は、彼女が幸せであるということに理由はわからないが、喜びに似たものを感じていた。それと同時にわけのわからない悲しさを感じていた。
 
彼女の口からは、夢中になっている男性との「関係」の話すらスルスルと出てきた。私は、それにどのように相槌を打てば良いか迷いながら、精一杯の笑顔を作りながら、ふと彼女と会うのはこれが最後になるだろうということを薄々感じていた。
 
店を出て、コンビニで買った缶チューハイを飲みながら、駅までの道を歩いた。彼女がもう一本缶チューハイをコンビニで買っている間、私はギターケースからB-15を取り出した。
彼女がコンビニから出てきた時に、Good time Charlie’s got the Bluesをさわりの部分口ずさんだ。そして、おもむろにGのオープンコードのアルペジオを2小節弾き、Good time Charlie’s got the bluesを始めから終わりまで歌った。
「みんなこの街を去っていった。この何もない田舎町を。みんな口を揃えてこの街にいるのは、時間の無駄だって言うんだ。そして、この街に僕の知り合いはいなくなってしまった。
成功したやつもいれば、失敗していったやつもいたさ。
いつでもお気楽な俺だって、時には寂しくなるんだ。」
という、歌詞をなぜか彼女に聴いてもらいたいと思ったのだろう。なぜ、その歌を歌ったのかは覚えていないけれど、なぜだか、その夜はその歌がぴったりなような気がした。彼女に対してラブソングを歌うような気分にはなれなかったし、それはふさわしくないような気持ちがした。
「いつでもお気楽な俺だって、時には寂しくなるんだ」
という言葉を、伝えたかったのかもしれないし、格段何も理由はなかったのかもしれない。
駅について、彼女にギターを手渡し、ろくすっぽ挨拶もしないで、独り駅の階段を降りた。降りながら、イヤフォンを装着し、音楽をかけた。ウィリーネルソンの古いアルバムだ。
私は、もう彼女と2度と会うことはないのかと思い、少しだけ寂しい気分に襲われた。
電車の席に座ったとたん、涙が溢れ出てきた。35を過ぎた大の男が泣いているのだからほかの乗客は訝しげな顔をしていたかもしれないが、そんなことはお構いなく泣いた。ウィリーネルソンの歌うGood time Charlie’s got the bluesを聴きながら、ただただわけもわからず号泣した。
アルバムの最後の Until it’s time for you to goが流れ出した時には、私は何か幸せな気持ちでいた。彼女が幸せそうだったことが、じわじわと嬉しく感じていたのかもしれない。いや、そんな理由でなく、彼女に会えたことそれ自体が嬉しかったのかもしれない。
号泣と、わけのわからない幸福感に満たされた私は、一体世界をどのように受け入ればいいのかがちっともわからなくなってしまっていた。
ふとしたことで、昨夜数人の友人達とともに彼女と会った。
彼らはうちに泊まり、朝が来て、ジャンキーの溜まり場と化した私の部屋で、私はなんとなしにそのウィリーネルソンのアルバムをかけていた。
そのアルバムを聴いている時、彼女がポツリと「この曲、いい曲ですね」とつぶやいた。Until it’s time for you to go。
私は、また、そのわけのわからない気持ちに包まれた。

アメリカの詩人Gil Scott-Heron Winter in America

どうも、アメリカの音楽はよくわからないところが多い。

わたしのレコードラックのほぼ9割以上はアメリカ人による音楽のレコードやらCDなのだけれど、それでもよくわからない。

ジャズやら、ロックやらばかり聴いていたらなんだか気づいたらアメリカものばかりになっていた。30年代以降のアメリカの音楽は、私の貧しい音楽史の知識から言っても、かなり特徴的なものだと思う。

ジャズやロックという音楽の出現は、アメリカという文化の中でしか考えられなかったと言っても過言ではないと思う。ヨーロッパの色々な文化の良いところを引き継ぎ、無理やり単純化し、黒人音楽やバプテスト協会なんかの影響を匂わせながら、また単純化し、大量生産する。それこそがアメリカの音楽文化だと思う。

最近読んだ、高木クラヴィアの社長さんの本でも紹介されていたけれど、ピアノの名器スタインウェイは、まさにアメリカの音楽文化から生まれた楽器だ。アメ車のようにパワフルで、ヨーロッパ音楽の流れも組みながら、アメリカの音楽文化に合わせて作られている。後になってハンブルクでもスタインウェイは作られるようになったけれど、やっぱりスタインウェイはアメリカが生んだピアノだと言えるだろう。

ギターの発展も然り。鉄弦のギターなんていうのはやっぱり音量追求。その、音量追求により出来上がった新しいサウンドもあるのだけれど、ヨーロッパ音楽の流れを断ち切る楽器の出現だっただろう。

そんな中でGil Scott Heronアメリカの生んだ偉大な詩人でありソウルミュージックの星。

ラップの起源は諸説あるけれど、一つは、バプテスト教会のお説教。これは、まあ、多分本当の起源と言えるだろう。ゴスペルの起源もそこだそうな。

もう一つは、カーティスメイフィールドのMC。あれは、まあ、ほぼラップだ。

そして、もう一つがGil Scott-Heron。

このWinter in Americaというアルバムは、わりと静かめの曲が入っているのだけれど、ジャズ好きの方々が彼の音楽を聴くのには一番良い入門版だと思う。

もちろんRhodesピアノの素敵な音色で聴かせてくれる。

Rhodes好きにも外せないアルバム。