Pedal Steel Guitar、ペダルスチールギター、PSG!

ペダルスチールギターという楽器をご存知の方は日本にどのぐらいいるだろう。

かつて日本で、ハワイアンとカントリーが流行ったことがあると聞いたことがある方、その世代の人たちはよくご存知だろう。その世代の人たちはもう60代ぐらいになるのか、いや、もっとわかいのか、よく分からない。私は、流行とは関係なくカントリーミュージックが好きだから、中学時代からなぜかカントリーばかり聴いている。学生の頃一時期ジャズばかり聴いていた頃もあったけれど、今はもうその頃ほどジャズは聴かない。そもそもそれほど音楽を聴かない。悲しいもんである。

それでも、カントリーは今でも聴く。疲れないで聴いていられるから、朝からカントリーを聴いて出勤する。通勤電車でもカントリーばかり聴いている。歌謡曲やら、演歌を聴いていることもあるけれど、カントリーを聴いていることの方が比率としては断然多い。

カントリーはどうも日本では誤解されている節がある。いや、正確に言うと誤解ではないんだけれど、世の中で今カントリー音楽として広く知られているのは、カントリーミュージックのごく一部で、本当はもっと幅広いジャンルだと思う。ウェスタンスイングからはじまって、最近のロック寄りのカントリー、ジョンデンバーのようなフォーク寄りのカントリー、マンドリンやフィドルが入るカントリー、色々とある。あの、バンジョーがテンテケテケテケのブルーグラスとも混同されがちであるが、厳密には別の音楽である。ブルーグラスについては、また別の機会に。

それで、カントリーミュージックといえば欠かせない楽器がペダルスチールギターである。カントリーミュージックあるところには常にペダルスチールギターがある。ペダルスチールギターがないところにはカントリーミュージックはないと言っても過言ではない。

ペダルスチールギターは50年代の終わり頃に登場したのだろうか。詳しいことはわからないけれど、50年代までのカントリーミュージックに登場するスチールギターはほとんどがラップスチール(コンソールタイプであることが多い)である。チューニングを変えることができるチェンジャーがついたペダルスチールギターが一般的になったのは60年代ではないだろうか。詳しいことはわからないけれど、とにかく歴史は浅い楽器であることは確かだ。しかし、カントリーミュージックには、今となっては欠かせないがっきである。

そんなペダルスチールギター、日本ではほとんど情報が手に入らない。ペダルスチールギターについての雑誌などは存在しないし、国内でペダルスチールギターのプレーヤーは何人ぐらいいるんだろう?アマチュアも入れて1,000人いないぐらいではないだろうか。ペダルスチールギターを所有しているという人は結構いるのかもしれないけれど、弾けるという人は身の回りには、自分のバンドのメンバーしか知らない。教えているところも、全然ないんじゃないか。

そんなペダルスチールギターを近頃練習している。なんとか教則本が手に入ったので、それを使って覚えている。つい最近8ペダル・4ニーレバーのダブルネックを手に入れたので、やっと本格的に練習ができるようになった。それまでは、エモンズのシングルネックを持っていたが、ペダルはきちんと3ペダルだったのだけれど、ニーレバーが1本しかなかったので、色々と出せないコードがたくさんあった。4ニーになると、ずいぶん弾けるコードの幅も広がる。目下、全然使いこなせていない。A,BぺだるとEニーレバーしか使っていない。

いかんせん競技人口が少ないがっきなので、もっと他のプレーヤーとのつながりがほしい。奏法の指南を受けたい。目下、月に一度のバンドの練習の時に、リーダーが弾くのを見てなんとなく覚えている。ときどき質問をしたりして、なんとなくわかったようなわからないような気分になっているだけである。

かと言って、どこかに習いに行けるほど時間がない。楽器の練習をする時間すらほとんどないのに、いわんや習う時間はない。かつて、リーダーが会社の近くにいた頃に、もっと習っていればよかった。今になって後悔している。

ファゼイという国内唯一のペダルスチールギターのメーカーがThe Japan Steel Guitar Associationというのをやっているので、それの会員になろうかと思っているのだけれど、はたして私のような初心者でも入会させてくれるのだろうか?会報が年5回出ているというけれど、一体どんな内容の会報なんだろう?

何かご存知の方がいらっしゃったら、教えて下さい。

懐かしのあの店から Barney Kessel “Live at Sometime”

学生の頃は時々ジャズのライブを聴きに行った。

今はビルボード東京だとかCotton Clubとか、いろいろと大物が出るジャズクラブがあるけれど、私が学生の頃はまだそういう店はなかったんじゃないか。いや、あったかもしれないけれど、行ったことがなかった。ブルーノート東京に何度か行ったことがあるくらい。それも、高いから、学生券で聴いたような気がする。

そもそも、学生時代を国立で過ごした私は、東京の西側(多摩地区)からほとんど出ることがなかった。いつも、国分寺のT’sという友人がマスターをやっていた店に行ったりしていた。新宿まで出て行くのも2月に一度くらい。普段なら足を伸ばしても吉祥寺ぐらいが関の山だった。

吉祥寺にサムタイムというジャズバーがあって、今もあるんだろうけれど、そこにはよく行った。月に一度ぐらいは行っていた。サムタイムで五十嵐一生のカルテットやらを聴きに行っていた。当時はジャズ研でトランペットを吹こうと思っていたので、ジャズのライブもトランペットものばかりを聴きに行っていた。五十嵐一生、日野皓正、高瀬龍一、松島啓二を何度か聴きに行った。トランペット以外のライブはあまり聴きに行かなかった。川嶋哲郎をなんどか聴いたけれど、それぐらいか。

サムタイムはいつもスケジュールをろくすっぽ確認しないでふらりと行った。チャージが1,500円と安かったことと、お酒も安かったことも手伝い、学生でも入りやすい店だった。今はいくらになっているのかわからないけれど、とにかく、安くライブが聴けてふらりと入れる貴重なジャズバーだった。

今日、御茶ノ水のディスクユニオンに行ってバーニーケッセルのCDを見ていたら、Barney Kessel “Live at Sometime”というCDがあった。そういうCDがあるということはジャズ研の後輩に聞いていたのだけれど、現物を見たのはこれが初めてだ。ジャケットを見ると、なんとも懐かしいサムタイムの店の壁の前のテーブルにバーニーケッセルが腰かけている写真で、ついつい買ってしまった。

家に帰ってCDプレーヤーでかけてみると、これが案外録音も悪くない。それに、バーニーケッセルだ。間違いない演奏である。あの、なつかしい吉祥寺の店で、バーニーケッセルがライブをやったと思うと、感慨深いものがある。

バーニーケッセルの演奏は、期待通りでリラックスしていて良い。コード弾きでメロディーラインをなぞっていく感じとか、単音で弾くソロも、なんとも渋くて良い。

バーニーケッセルのギターは、サムタイムぐらいの広さの店で聴くのが一番合っているような気分になる。スタジアムやら、野外会場で聴くよりもすこし小さめのハコで、ゆっくりウィスキーでも傾けながら、真剣にならずに聴いていると、この音楽の良さが体に染み渡ってくると思う。

また近いうちにサムタイムに行ってみようかな。

The Poll Winnersの”Straight Ahead”

ギター、ベース、ドラムスのギタートリオといえば、The Poll Winnersがその基本形であり完成形を作ったと言っても過言ではないのだけれど、どうも、ギタートリオについて語るとき、ポールウィナーズを持ち出すのはなんとなく気恥ずかしい。どうもポールウィナーズはど真ん中すぎて、ひねりがない。

しかし、やはりポールウィナーズは良いのだ。間違えなく良い。

なんと言っても、メンバーがすごい。ギターのバーニーケッセル。この人は、ジャズギターの生き字引。ギターでできるジャズの全てをやり尽くしたんじゃないかというほど、なんでもできてしまう。早いフレーズも、ダブルストップも、コードソロもなんだって完璧にこなしてしまう。それでいて、アドリブがとても歌心があり、何度も聴いているうちにくちずさめてしまうくらい心に残る。私は、器用なミュージシャンはあんまり好きじゃない方なのだが、バーニーケッセルは別格。大好きである。バーニーケッセルが嫌いだというギタリストがいたら会ってみたい。いったいそいつは、どんなギタリストが好きなのか。ジャズギターといえば、一も二もなくバーニーケッセルである。

ベースのレイブラウン、ドラムスのシェリーマンはなにもあらためて語るまでもない。常に、ジャズシーンのトップを走り続けていた名手である。それぞれがリーダーとして数々の傑作を出している巨匠である。もう、私が何か語れるような方々ではない。

近頃、暑い毎日が続き、夏バテになってしまい、自宅にいる時間の大半を寝て過ごしている。つねに、だるくて眠たいのだ。そのためかなんなのか、自宅でほとんど音楽を聴かない日々が続いた。音楽を聴く時間があったら、寝て過ごしていたいのである。そのぐらい眠たい。

しかし、昨日、すこし体力が出てきて、ジャズギターの雑誌をみたりしていたら、急にギタートリオを聴きたくなったのだ。それで、急いで御茶ノ水に行って、ハーブエリスのトリオ作を買って聴いてみたのだが、どうも、しっくりこない。ハーブエリスも好きなのだが(彼のシグネチャーモデルすら持っている)、どうも、こう音符が整然としていて、危なげないギタートリオでスリルがない。スリルがないのは、いまの私にはとても喜ばしいことなのだけれど、スリルがないだけでなく、ハーブエリスはちょっと小綺麗なところがある。それが、今の私にはちょっと物足りなかった。

仕方ないので、前から持っているThe Poll Winnersの”Straight Ahead”のCDを引っ張り出してきて聴いてみた。

これが、やっぱり、すごく良いのである。

何が良いかって、まず、トリオとしての安定感。この安定感は、各々が安定しているというのとも違って、各々は比較的自由にやっているのだけれど、トリオとしての全体の安定感がすごいのである。バーニーケッセルが前に出てきたら、あとの二人はそのバックをガッチリ固める。ケッセルがブルージーなフレーズを弾き始めると、あとの二人もピッタリそれに合わせる。ダイナミクスのつけ方も心得ていて、ギターが単音で弾いている横で、レイブラウンが前に出てきて、ビートをリードする。シェリーマンはいつも細かいフィルインをうまいこと混ぜながら、ギターとベースと対等に音楽を作り上げていく。ピアノトリオだと、ピアノの権力がもっと強くなってくるから、なかなかこういう風なバランスにはならない。どうしても、ベースやドラムスがもっとバリバリ頑張ってしまう。頑張って自己主張をしてこないと、ピアノと対等にはいかない。そのおかげで、ピアノトリオの方が音楽のメリハリは出てくるのだけれど、このリラックスした中でのスリリングなインタープレイという図式は出来上がらない。まあ、ギタートリオだって、こういうアンサンブルを実現できるのはポールウィナーズぐらいなんだけれど。

私は、ポールウィナーズのCDを全部で5作持っているのだけれど、この人たち、他にも出しているのかな。とにかく、その5枚とも全てパーフェクトで(曲選とかは、けっこう変なのもあるんだけれど)、ギタートリオって世の中もうThe Poll Winnersだけで十分なんではないかと思ってしまうぐらいだ。

夏バテしている中でも、十分に聴いて楽しめるアルバム。The Poll Winnersの”Straight Ahead”

 

ピアノレスのワンホーンカルテット Art Farmer Quartet “Interaction”

ピアノレスのワンホーンカルテットというのもたまには悪くない。

私はもともとジャズのピアノというものをあまり一生懸命聴いてこなかった。ジャズの世界には凄腕のピアニストはたくさんいるのだけど、じゃあ凄腕だったらかっこいいかと言うと、必ずしもそうではない。ジャズのピアニストには、上手いのだがグッとこないという人が多い気がする。それは、ピアニストが悪いわけではなく、ピアノという楽器のせいであるような気もする。

ピアノという楽器は、両手の10本の指をフルに使って演奏できるもんだから、一気に弾ける音符の数も多い。そのせいもあってか、バンドはピアニストに多くのものを求めがちになる。和音やら、メロディーにとどまらず、メロディーラインに呼応するハーモニー、ベースライン、リズム(ノリ)、バンド全体のダイナミクス、その他多くのものをピアノという楽器に頼ってしまう。そのためもあってか、ピアノがしっかりしていると、他のメンバーがテキトーでも音楽は成り立ってしまったりする。それに乗じて、ピアニストはピアノ一台でいろいろなことをしようとしてしまいがちである。ピアノ一台で、ビッグバンドのようなサウンドを出したり、複雑なリズムを組み合わせて弾いたり、とにかく大忙しである。

私は、きっとそういう大忙しの音楽が好きではないのだろう。大忙しでも、良いものは良いのだけれど、そういう良いのは少ない。どうもテクニックや、実験的な野望のようなところばかりが目立ってしまい、肝心の音楽の面白さが伝わってこない。

そういう事情もあって、ピアノもののジャズはあまり積極的に聴いてこなかった。

今夜も、ピアノレスのワンホーンカルテットを聴いている。アート・ファーマー(フリューゲルホルン)カルテットの”Interaction”というアルバムだ。このころのArt farmer Quartetはジム・ホールがギターを担当していて、ピアノレス編成でやっていたようだ。ピアノが入っていない編成だと、やっぱりちょっとおとなしい音楽になってしまうのだけれど、その分アート・ファーマーの渋い(燻し銀の?)フリューゲルホルンが引き立つ。

ラッパ、ギター、ベース、ドラムスといった編成で録音されたアルバムはあんまり他に持っていないけれど、晩年のチェット・ベーカーも同じような編成で何枚かライブ盤を吹き込んでいる。あれはあれで暗くて好きなんだけれど、アート・ファーマーはもうすこしどっしりと構えていて、音楽が危なげない。音符の数は最小限に抑えられているんだけれど、そこでできることをとことん追求している。それでいて、音楽に無理がなく、面白い。小難しくなく、技巧的でもない。アート・ファーマーもうまいこと考えたもんだ。なかなか、こういう次元で音楽を作りこめる人は少ない。

カルテットのメンバーそれぞれが、「出過ぎない」ように気を使っている様がみてとれる。リーダーのアート・ファーマーに気を使っているのか。それにしては、アート・ファーマー本人も地味である。

決して派手な音楽ではないのだけれど、そこに、一応盛り上がりのようなものもないわけではなく、良いバランスを保っている。アルバム一枚を通してじっくり聴くのはちょっと辛いかもしれないけれど(時々、間延びしたような雰囲気にもなる)、何かやりながら聴くには悪くない。

アート・ファーマー、自分のリーダーアルバムはこういう地味なラッパ吹いているのが多いんだけど、サイドマンとなると、結構吹きまくっていることもあるんだよな。結構気苦労も多かっただろうな。

2000年代に生き残ったYamaha CP-70

Yamaha CP-70という楽器をご存知でしょうか。70年代の終わり頃に発売された鍵盤楽器です。いわゆるエレクトリックピアノ(エレピ)です。RhodesピアノやWurlitzerピアノと違い、このエレピは本当にピアノと同じく、弦をハンマーで叩いて音が出ます。Rhodesはタイン(トーンジェネレーター)という棒を叩いて、それをピックアップで拾い音を出すのに対して、このYamaha CP-70はグランドピアノの小さいの見たいな構造になっていて、そのピアノの弦のブリッジ部分にピエゾピックアップが付いていて、そのピックアップから拾った音をプリアンプで増幅して音が出ます。

今は、ステージや練習スタジオで使う鍵盤楽器と言えば、本物のアコースティックピアノを使える現場をのぞいては、デジタルピアノやらデジタルシンセサイザーでいくらでも事足りますが、70年代後期にはそういった便利なものはほぼ皆無で(無くはなかったですが大変高価で)エレクトリックピアノを用いておりました。

エレクトリックピアノの歴史は結構古く、ベヒシュタイン社が1920年代の終わりにネオ・ベヒシュタインというエレクトリックピアノを作っておりますが、この楽器は、大きさがグランドピアノと同じぐらいで、到底持ち歩きのできるような代物ではありませんでした。そのあと、50年代になって、Wurlitzerがエレクトリックピアノ110型を出し、エレクトリックピアノははじめて持ち運びが可能なサイズになります。60年代にハロルド・ローズがフェンダー社と共同開発したFender Rhodesピアノを出します。このローズピアノが先に挙げたウーリツァーと並びエレクトリックピアノの定番となりますが、ウーリツァーもローズもアコースティックピアノの音とはかけ離れた音色です。まあ、その音色はその音色で私は好きなのですが。

そんな中、アコースティックピアノの音に限りなく近い(とは言っても別物なんですが)音色が出せるエレクトリックピアノとして、ヤマハは70年代の中盤にCP-70を発売します。これが、結構良く出来ていて、鍵盤部分のアクションはグランドピアノと同じもの(ダブルエスケープメントアクション)が使われております。実際に弦が張られてますから、場所もとるのですが(小型のグランドピアノの2/3ぐらい)まあ、アコースティックピアノに比べると小型と言えます。

70年代から80年代にかけてはステージ上のピアノと言えば、このCP−70が定番で、ジャズのピアノトリオでさえCPシリーズ(73鍵のCP−70もしくは88鍵のCP−80)を使ったりしていました。コンサート調律師さんたちも、このころはステージの調律と言えばCPばかりだったという話も聞きました。まあ、本物のグランドピアノをステージに上げるのは大事ですが、このCPは本体が鍵盤部分と弦が張られている部分の2つに分かれて、持ち運びが楽です。とは言っても、各部60キロぐらいありますが。

最近は、デジタルピアノが安くなったので、このCPは全然ニーズがなくなってしまい、新品はもちろんとっくに廃番になりましたが、CP−70の中古に至ってはネットオークションで5万円ぐらいで手に入ります。もはや楽器と言うよりも、粗大ごみぐらいの扱いです。

それで、このCP−70を一台購入してみました。

グランドピアノと同じアクションを使っているだけあって、鍵盤を押さえた感触はピアノそのものです。ハンマーがゴムでできているので、アタック感はアコースティックピアノとは違いますが、それでも、まるでグランドピアノを弾いているかのような感覚で弾けます(73鍵ですが)。

この、CP−70を今でも演奏しているミュージシャンは少ないのですが、イギリスのKeaneというバンドのピアニスト、ティム・ライス・オクスリーは今でも頑固にCP−70を弾いております。Keaneというバンドは、ボーカル、ピアノ、ベース、ドラムの編成で、ロックバンドとしては、ギタリストが入っていない珍しいバンドなのですが、サウンドはいかにも2000年代のUKロックというサウンドです。私は、あまりこういうサウンドは好みではないのですが、現存するCP-70(CP−80か?)を使っている貴重なピアニストなので、聴いております。アコースティックピアノと似ているけれど、微妙に異なるCPのサウンドが聴けてそこそこ満足です。

Keaneのデビューアルバムとセカンドアルバムを持っておりますが、同じようなサウンドで落ち着いていて、なかなか聴いていて悪い気はしません。時々、こういう音楽も悪くないな、と思って聴いております。いわゆるアメリカンロックとも違った、ちょっとスタイリッシュなサウンドで、2000年代に青春時代を送った方々には、こういうサウンドが懐かしいのではないでしょうか。私もその世代に近いのですが、こういうサウンドは、あの時代良く聴きました。懐かしいです。

エレピサウンドの、一つの定番として、聴いてみることをお勧めします。

夏が過ぎ行く The Randy Newman Songbook Vol.1

このところ暑い毎日が続いたせいか、思考能力がずいぶん低下しており、何かを書こうと思っても、何も思いつかない。思考能力については、もともとそんなに高くはないのかもしれないけれど、それでも、以前なら、パソコンの前に座ると、何かしら書くことを思いついて、いろいろくだらないことを書けたもんだが。

仕方がないので、とにかく、ダラダラとキーボードに向かって、思いついたことをつらつらと書いているのだけれど、書きながら何もアイディアが浮かんでこない。これはきっと暑さのせいだということにしている。北海道で生まれ育った私は暑いのが得意ではないのだ。まあ、寒いのも得意ではないけれど。

今日は、隅田川花火大会の日だったようだ。花火大会の雰囲気は昼頃から街にあふれていた。

昨夜の台風が過ぎ、蒼く晴れわたった街には浴衣を着た浮かれた若い男女が歩いていた。暑さなど彼等にはどうでもよいのだと言わんばかりに涼しげに、からりとした笑顔で談笑している。
私は、その姿を横目に、玄関先に腰掛けエコーに火をつけ、暑いアチいと呻いていた。おろしたてのアロハシャツが汗だくになるのを、胸をはだけて、シャツをバタバタとフイゴのようにして風を取り込み、なんとか灼熱に耐えていた。側から見たら本当に暑苦しいだろう。

私だって、あの涼しげな若者の仲間に入ってはしゃいでいれば、それなりに気分もすっとするだろうけれど、どうも今はそんな気力もない。夏だから、海だ、山だ、やれサッカー、やれ野球、ハイキング、おおブレネリ、なんていうのもまっぴらだ。そういうことをやるほど元気が出ないのだ。全ては、この暑さのせいだということを言い訳にして。本当は、ただ、もうそういうことが似合わなくなってしまっただけなのかもしれない。若者に交じってはしゃぐようなのは、とっくに卒業せにゃならん年頃である。

こうして、だんだんおじさんになっていくのを、なんとなく受け入れながら、夏が過ぎ行くのにただ任せている。季節が巡るのに抗うことは出来ない。

仕方がないから、できるだけ涼しげな音楽でも聴こうと思い立ち、御茶ノ水に行き、ランディニューマンのセルフカバーアルバムを買ってきた。 The Randy Newman Songbook Vol.1というアルバム。リリースされたのは2003年とのことだから、かなり古いアルバムの類になってしまった。2003年などというと、そんなに昔でもないような気もするけれど、よく考えたら、もう15年も前の作品だ。古い。
ランディニューマンのピアノ弾き語りをかけながら、少しずつ歳をとりひねくれていく自分を憂いている。ここに収められている曲は、どれもが、ランディーニューマンがデビューして数年間の間にリリースした曲ばかり。彼のディスコグラフィについては、なにも知識がないのだけれど、このアルバムに入っている曲のオリジナルアルバムは、だいたい持っている(そんなに好きだっていうわけではないのだけれど)。2003年にセルフカバーアルバムで歌う彼は、既に還暦を過ぎていただろうか。訥々としたピアノの音は変わらないけれど(このアルバムではスタインウェイを弾いている)声はすこししゃがれていて、若い頃もこんな声なのだけれど、それでも齢を感じさせられる。

このアルバムを聴いていて、感じるのはそんなことだけではないのだけど。ここには彼のフレッシュな感性が再現されているし、ちょっと皮肉めいた彼独特の歌詞を(英語は聞き取れなくても)なんとなく楽しむことができる。インストナンバーも収められているが、本当に控えめで、シンプルで聴いていて暑苦しくない。もし、ピアノ弾き語りで彼の曲を一曲弾けるようになれるなら、このアルバムに収められているような雰囲気でSail Awayを歌えるようになりたい。オリジナルのオルガンのイントロから入るバージョンも良いけれど、ピアノ弾き語りというシンプルなアレンジがこの曲には良くあっている。こういうアルバムこそ、今の私には必要だったのかもしれない。モノクロームな中にトロピカルな雰囲気のジャケットも涼しげだ。

陽が傾き、薄暗くなっていく書斎で独り聴くNonesuchのCDのカバーは、日に焼けて、黴と埃の匂いがする。

もう返らない青春という言い回しがあるが、青春なんてところに戻りたくはないから、この蒸し暑くて陰鬱な休日の夕暮れをとりあえずなんとかして欲しいなどと考え、私は横になった。

Shut Up ‘n Play Yer Guitar

マルチなタレントに憧れることは憧れるのだけれど、それよりも、何か一つのことに秀でている人に強く惹かれる。例えば、ギタリストだと、ダニー・ガットンが好きなのだけれど、彼はギターを弾くことと、ホットロッド(改造車)をいじることに一生を費やしているように見えてかっこいい。

よく、ロックのミュージシャンなんかが、ステージで政治的な発言をしたりとか、最近では SNSなんかでそういう発信をする人たちがいるが、ミュージシャンはそういうことは言葉じゃなくて音楽で表現していればそれで良いと思う。これは、なにも政治に限ったことではなくて、美学・宗教・思想、なんでもそうだと思う。ギタリストはギターで表現できることで勝負している人の方が面白い。たとえ上手くても、いろいろな慈善活動とかに一生懸命だったりすると、その人の音楽にまでバイアスのかかった視線で見えてきてしまうのはとても残念だ。美学・思想・宗教も含めた総合的な表現として成立しているのであれば、それはそれで魅力的なのだろうけれど、残念ながらそこの域まで達している表現者を私はほとんど知らない。

私の無知も手伝い、こういうことを考えているのだけれども、音楽家はとにかくまず音楽に集中していればそれで良いと思う。いくらスケールの大きな音楽ができるとしても、そこに、政治や社会情勢、思想が存在するかどうかは別問題であるし、私は政治や社会情勢、思想なんていうものがにじみ出てこないような音楽の方が好みである。なにも、そういったいろいろなバックグラウンドがにじみ出てくる音楽が小難しくて嫌だというわけでもない。ただ、多くの場合、そういったものが提示される場合、それらがあまりにも陳腐で興ざめだということを何度か味わっているのでこう考えるに至ったのだ。

例えば、昔のジャズ喫茶でジョン・コルトレーンを聴いていた人たちなんかがジョン・コルトレーンを語るとき、ファラオ・サンダースの音楽を語るとき、政治や差別の話を持ち出してこられたことがあった。この人たちは、あの素晴らしい(あんまり好きじゃないけれど)ジョン・コルトレーンの音楽をそんなつまらない側面から「解釈」しちゃっているのかと思い、なんだか気の毒になってしまった。ジョン・コルトレーンにも、その熱く語っていたおじさんにも。

音楽そのものが面白くないところに、たとえどんなに深い思想や美学があったところで、私の興味は惹かない。もちろん、そういうものも音楽やら表現には必要なときがあるということは頭では理解しているつもりだ。政治的メッセージのないボブディランやギル・スコット・ヘロンは想像できないし、思想のないレナード・コーエンもどうも思いつかない。けれども、私は彼らが何について歌っていても、音楽としてつまんなければ、聞くに堪えないと思うし、その意味で実際問題ボブディランの多くの作品に私はほとんど興味がない。レナード・コーエンも詩は立派だが(大した好きではないけれど)好きなアルバムは少ししかない。

これは、音楽に限ったことでなく、絵画やら文学やらにすら同じことを感じる。文学なんかは、特に思想とか、社会情勢の塊のように思われる節もあるけれど、それらは文学として成立する必須要件ではない。むしろ、おまけだと思う。私は、インド系移民ではないから、ジュンパ・ラヒリの境遇について何も知らなければ、昨今のインドの情勢について全くフォローはしていないし、アメリカで流行っている社会思想についても明るくはない。けれど、彼女の作品は私の心に響いてくるし、そのちょっと安普請な部分も好きだ。社会は、作品にとってあらかじめ与えられたものなのかもしれないけれど、作品を鑑賞する私たちにとって作品の向こうの社会は作品から推し量れる程度のものでしかない。同時代の作品であるならばともかくとして、そんな頼りない手探りの、知ったかぶりの世界を前提に作品を鑑賞するという面倒な手続きを踏まなくてもこちらに届いてくるものを私は選びとってきた。

絵画なんかについては、私は絵画そのものの歴史すら知らない。けれども、好きな作品はいくつかある。確かに、これは欲しいなと思わせるものが、一応ある。好きなカントリー音楽も、その歴史やら流派やらについてはよく知らないのだけれど、そんなことお構いなく盛んに聞いている。

フランクザッパの作品に「Shut Up ‘n Play Yer Guitar」というアルバムがある。私の言いたいことは、まさにそれで、風刺やら、ちょっと賢そうなギミックを多用する暇があるなら、とにかくまず黙ってギターを弾いていて欲しいのだ。そういうことをストイックにやっているミュージシャンが私のお気に入りには多い。

なにも、ジョン・レノンの悪口言っているつもりではないのだけど。

Leon Russell “Roll Over Beethoven”

ちょっと、地元のラジオに手紙を書くんだ、

ロックンロールナンバーをかけて欲しくて、

ベートーヴェンなんて糞食らえ。今日もロックを聴かなきゃ。

 

という歌い出しのロックンロールナンバー、この曲のオリジナルはチャックベリーなんだけれど、ビートルズがカヴァーしているので有名だ。私も、この曲を初めてきいたのはビートルズ。そのあと、オリジナルのチャックベリーを聴いて、ジェリー・リー・ルイスのを聴いた。

最近YouTubeを見ていて、レオン・ラッセルが歌うこの曲に再会した。ロックのレジェンド、レオン・ラッセルである。

レオン・ラッセルと言えば、ジョー・コッカー等とバンドを組んで、ライブアルバム、Mad dogs & Englishmenのプロデューサー兼アレンジャーをやっていたり、カーペンターズの数多くのヒット曲を書いたりして有名なのだけれど、それだけでなくて、フィル・スペクターやらバーズ、クラプトンなんかの曲でピアノを弾いている。そして、なんといっても、名曲「 A Song for You」のヒットで知られている。

私は、高校の頃、彼のベスト盤を買ってから、そのCDを何度も何度も聞いてきた。ギターものばかり聴いてきた私のレコードラックには珍しいピアノもののロックである。

彼のピアノは、テクニック的には特になんというものでもないけれど、独特の怠いノリで、それがなんとも心地よい。上記のロックンロールナンバーでも、彼独特のレイドバックしたピアノを聞かせてくれるんだけれど、そのノリをギターで再現しようとしたのだけれど、どうもできない。

YouTubeの動画ではエレピを弾いているんだけれど、彼のピアノの音はエレピの登場以前から、こういうチープでギラギラとした音がしていた。ホンキートンクというのか、それともちょっと違うような気もするのだが、生涯この音で通していたような気がする。

ロックといえば、ギターというイメージがあるのか、ピアノもののロックはあまり語られることがなくて、かくいう私もピアノもののロックは、彼か、ジェリー・リーか、はたまはベン・フォールズぐらいしか持っていないから確かに語れることも少ない。それでも、レオン・ラッセルのピアノを聴くと、そこに確かにロックンロールというもののかっこよさが宿っていて、一朝一夕には真似できないものがある。まあ、どんな楽器でも一朝一夕には真似できないのだろうけれど、一見大したことはやっていないからこそ、真似するのは至難の技だと思う。

先に挙げたMad dogs & Englishmenのピアノもすごく、かったるそうに弾いていて、好感が持てる。レオン・ラッセルはいつ聴いてもこの調子だから良い。Mad dogs & Englishmenの中では、特に、リタ・クーリッジが歌う「Superstar」のバッキングのピアノがレオン・ラッセルらしさがよく出ている。

冒頭に引用したRoll Over Beethovenについて、レオン・ラッセルは10代の頃この曲のレコードをヒットさせている。その頃の彼は、もっとバリバリのロックンローラーなのだけれど、まだちょっとかたっ苦しさがある。デヴィッドレターマンのトークショーにゲスト出演した時、この曲を歌うレオン・ラッセルは、もっとずっと力が抜けていて、いかにもアメリカの南部のロックサウンドで、それがなんとも言えず良い。こういうサウンドは、暑苦しいから好き嫌いが分かれるだろうけれど、私はめっぽう好きな方である。

彼の演奏を聴いていると、ロックンローラーに求められる資質、スリーコードのロックサウンドを壊さないで自分流に味付けをすること、の重要さを感じさせられる。

レオン・ラッセル、暇なとき、聴いてみてください。

Danny Boy, Ray Price

私はあまり映画を見ないのだけれども、時々気まぐれに見ることがある。

コーエン兄弟のMiller’s Crossingは好きで、3回ほど見た。見たと言っても  DVDかなにかでみたのであって、劇場で見たような気はしない。映画館で見ない映画鑑賞というのも、どうも味気ないもので、自宅の小さな画面で映画を見たところで、なんだか見たんだか見ていないんだかという気分がする。かといって、1,500円ぐらいを払ってまでして、見ようなんていう映画も少ない。

アマゾンでタダ同然に映画を見れるというのに、映画館に映画を見に行っている方々はどのくらいいるのであろうか。私は、先日しばらくぶりに映画館に行ったけれども、ガラガラでぜんぜん人が入っていなかった。前回、娘がドラえもんを見たいというので連れて行ったのがまだ冬だったから、かれこれ半年ぶりぐらいだろうか。その時、映画館に行ったのが約1年ぶりぐらいだから、1年に1・2度しか映画館にはいかない。自宅で映画のビデオを見るのも、一年に1・2度ぐらいだ。

そんな中、Miller’s Crossingは3回も見たのだから、結構よく見た方だと思う。あの映画は、ストーリー等はよく覚えていないのだけれど、途中で、マフィアのボスのレオが自宅にいるところをマシンガンを持った男二人に襲撃されるシーンがある。

そのシーンでは、ずっとダニーボーイがかかっているのだけれど、そのダニーボーイが好きで、そのシーンを見たくて繰り返し見たのだ。

映画の中では、Frank Pattersonが歌うダニーボーイが使われているのだけれど、私は、そのレコードを持っていないので、その代わりにRay Priceの歌うダニーボーイをよく聴いている。レイ・プライス若かりし頃の録音であるけれども、貫禄がたっぷりで、説得力がある。ちょっと凝ったアレンジになっているのだけれども、レイ・プライスの歌はオーソドックスで、ダニーボーイはこうじゃなきゃいかんとすら思う。

レイ・プライス(故人)はカントリーの大御所だったけれど、こういうトラディショナルな歌も十分歌いこなせていて、好感が持てる。カントリーシンガーは、フォークの香りも出せないとやっぱり本物ではないと思ってしまうのは、私だけだろうか。フォークやトラディショナルなものを堂々と歌いこなすのは難しいだろう。そういった曲は歌唱力が求められる。ボブディランみたいに、自分流(ウディガスリー調なのか?)に歌いこなすのも大変だと思うけれど、それよりも、オーソドックスでありながら、人の心をつかむように歌うのは至難の技だと思う。レイ・プライスはそれをやってのける。

センチメンタルな気分になった時、まあ、一度聞いてみてください。レイ・プライスの Danny Boy。

Jimmy Smithと言えばこれ。 “Root Down”

オルガンもののジャズが好きで、ジャズと言えばトランペットのワンホーンカルテットとオルガントリオばかり聴いております。

ジャズを好きな方々にはそれぞれの好みがありまして、まあ、これはどんなジャンルの音楽でもそうなんですが、ジャズの場合、ピアノトリオばっかり聴く方、二菅編成(テナーとトランペットなんかが定番ですかね)じゃないとジャズを聴いた気がしないという方、はたまたギタートリオ(これもギター・ベース・ドラムスのトリオに限らず色々ありますが)こそがジャズの醍醐味と語る方もいらっしゃるし、はたまたビッグバンドじゃないと物足りんという方も当然いる。どなたの意見も一理あるわけで、私にもその気持ちよくわかります。

確かに、ピアノトリオは奥深い。ピアノ、という一台で何でもできてしまう楽器を担うピアニストと、ベースという何とも不器用そうな楽器を自由自在に操るベーシスト、ただリズムを刻むだけの役割をなかなかやらせてもらえないドラマー。この3人の編成は、ジャズの編成としてはど定番なんですが、ピアノトリオこそ人それぞれにいろいろなスタイルがある。

有名どころでビルエヴァンストリオ、あれはピアノトリオの一つの完成形。今でも多くのピアノトリオがあれを下敷きにして、あれを越えようともがいている。そもそも、ビルエヴァンスのトリオは、各プレーヤーの担っている役割が高次元すぎて、真似しようとしたところで真似できない。キースジャレットのスタンダードトリオだって、その世界じゃ負けていないけれど、あれもそもそもはビルエヴァンスがああいうフォーマットを完成させなければ出てこなかったんじゃないか。

ビルエヴァンストリオのような複雑な音楽はどうも好きになれません。という御仁もおられよう。そういう方はウィントンケリートリオ、はたまたレッドガーランドトリオなんかがお好みか。私が一番好きなのはレッドガーランドのトリオ。レッドガーランドのピアノがダイナミックでありながらいつも収まるべきところに収まっていて安心して聴ける。だから、一番好き。ウィントンケリー、あの人も素晴らしい。複雑なことはやらない。実験的な音楽には手を出さない。だけど、いつもしっかりした、スイングしまくるジャズを提供してくれる。すごいテクニシャンっていうわけでもないし、派手なところはないけれど、音楽が素直で良い。ああいう人こそ名手と言えるんではないか。この系統の堅実・しっかり派のピアノトリオはたくさんいる。結局聴いていて一番疲れないのはこの系統。

もっとオールドスクールなピアノトリオだってたくさんいる。エロルガーナートリオなんて、どのレコード買っても、音質の差こそあれ、あのレイドバックしたメロディーラインが待っていてくれる。もっと古いスタイルで、名盤もたくさんあるのだけれど、私は専門外なのでエロルガーナー以外はほとんど聴いていない。

リーダーはピアニストではないけれど、シェリーマンのトリオも良い。アンドレ・プレヴィンがピアノを弾いている “My Fair Lady”も忘れちゃいけない。

じゃあ、Three soundsはどうなんだ?えぇ?どうなんだ?と言われたら、ぐうの音も出ない。あの方々は、ピアノトリオっていう世界の一つの極端な完成形。予定調和の美学。偉大なるマンネリズム(いい意味で)。地球がどのように回っていようと彼らの音楽はきっといつまでも変わらなかっただろう。

ピアノトリオだけとってみても、ここに書ききれないほどの名前がどんどん上がってくる。トミーフラナガン、バドパウエル、チックコリア、ハービーハンコック、アーマッドジャマル、ハンプトンホーズ、もう、語りだすとアラビアンナイト状態になってしまうので、今日はやめておこう。ピアノトリオについてはまた後日。

それで、話は戻ってオルガンもののジャズなんだけれど、正直な話、オルガンものはとにかくオルガントリオばかり聴いてきた。オルガン、ギター、ドラムス。この編成がやっぱりスタンダード。この編成で録音されているアルバムは、とにかく片っ端から聴いている。ジャケも確認せずに買って聴いている。ジャケ買い以前の問題だ。だからかどうか知らないけれど、オルガントリオのジャズのアルバムのジャケットって、あんまり凝ったデザインのものはない。きっと、流れ作業で作成されているんだろうな。

オルガントリオの名盤と言えば、まずはRichard Groove Holmesの”Living Soul”。オルガントリオの入門盤。

次の入門盤はやっぱりJimmy Smithになっちゃうかな。”Organ Grinder Swing”か、もしくは”Standards”。ハモンドオルガンの音色作りの基準って、きっとジミースミスの音なんだろうな。

オルガントリオの入門盤については、いくらでも紹介されているから、一気に飛ばすことにして、オルガンもので個人的に好きなアルバムについて。

まず、聴きやすいアルバムとして”Introducing the Fabulous Trudy Pitts”。これは、オルガントリオにコンガが加わった編成なんだけれど、とにかく、一気に通して聴いても暑苦しくならない。かといって、お洒落なだけにとどまらないアルバム。

新しめのアルバムでは(とは言っても、1993年発売だけど)Joey Defrancescoの “Live at the Five Spot”。これは、もう、トリオじゃなくて、オールスターメンバーでサックスやらトランペットやらが代わる代わる加わっての演奏なんだけれど(ハモンドオルガンの巨匠ジャックマクダフまでゲスト参加している!)、これはこれでかっこいい。何が良いって、ジョーイデフランセスコ、ソロもすごいんだけれど、バッキングの時、左手のベースラインがめちゃくちゃグルーヴする中で、右手でグワッとフィルインを入れてくる。これがたまらんくかっこいい。オルガンの名手って、ギタリストやらのフロントマンがソロをとっている時にいかにカッコよく伴奏できるかにかかっていると思う。そういう意味では、ジョーイは当代きっての名手(今でもそうだと思う)。

忘れてはいけないのがJimmy McGriff。この人は、やけにたくさんアルバムを出しているので、それぞれのクオリティーもまちまちなんだけれど、あえて一枚好きなアルバムを挙げるとすれば、”The Big Band: a Tribute to Basie”。これに入っている4曲目の “Cute”が良い。オルガンのかっこよさに目覚めたのはこの曲。とにかく、ハモンドオルガンの乱暴な音色にシビれる。

ハモンドオルガンのアルバムについては、これから一枚一枚紹介していきたいのだけれど、いつも、最終的に行き着くアルバムはJimmy Smithの”Root Down”これは、もう、ジャケットだけ鑑賞しても十分お釣りがくるぐらいオルガンの魅力を伝えるアルバム。このアルバムが苦手という方は、おそらく、ハモンドオルガンという楽器そのものがあまりお好みではないのかも。それぐらい、オルガンという楽器のいろいろな側面を見せてくれるアルバム。

結局、ジミースミスに行き着くっていうのも、なんだかつまらないのだけれどな。でも、これを抜かしてオルガンジャズは語れないからなぁ。