Tangoはアルゼンチン人だからいいっていうわけでもないんだな。

最近は、ジャズやらクラシックやらばかり聴いていたら、ちょっと箸休めにタンゴを聴いてみたら、これがまた案外良かった。案外良かったというのも、なんだか演奏者に誠に失礼なのだが、タンゴというものを私はなんとなく誤解していた。

誤解していたのも仕方あるまい。世の中、タンゴのそれもアルゼンチンタンゴのCDが売っている店に行くと、CDの棚にはピアソラしか置いていないことがしばしばである。なにもピアソラが悪いと言っているわけではないのだけれど、ピアソラは確かにすごいんだけれど、あれはあれで、特別な形のタンゴであって、タンゴのスタンダードではない。

アルゼンチンタンゴはもっともっといろいろなスタイルがあるし、もともと、歌モノの曲が多い。

まあ、アルゼンチンタンゴっていう音楽の歴史はそんなに長い歴史があるわけでもないのだけれども、それでも、ピアソラが出てくるずっと前からタンゴは存在した。

有名どころでいうと、カルロス・ガルデルとか、いや、カルロス・ガルデルだってそんなに有名じゃないか。俺もいまガルデルの名前思い出すためにレコードラック見てしまったからな。まあ、そんなところの有名なタンゴ歌手がいる。ピアソラみたいに、うつむいてウンウン言いながら聴くような小難しいタンゴではなくて、もっとポピュラー音楽に、歌謡曲に近いようなタンゴ。

私も、そんなに詳しくはないのだけれど、そういう歌謡曲みたいなタンゴがかつて盛んに録音されていた。そこに、ピアソラみたいな「芸術」みたいな小難しそうな、賢そうなタンゴが出てきて、話がややこしくなった。

音楽というのは不思議なもので、話がややこしくならないほうが気楽に楽しめるのもあるだけでなく、長持ちする。いや、それはウソかな。現に、日本のレコード屋からはピアソラ以前のタンゴがほぼ死滅しているんだから。

それでも、複雑になったから、新しいものが出てきたからといって豊かになるというものではないのが音楽の常だ。あのマイルスデイヴィスだって、キャリアの中で、いろいろなスタイルの音楽をやったけれど、なんだかんだ言って、ハードバップをやっている頃の、それもモードジャズになる前のマイルスが一番とっつきやすいし、いつまでも聴くに耐えうる音楽だと思う。クオリティーの話を抜きにしておいたとしても。

私は、マイルスデイヴィスの音楽が好きなのだが、特に「My Funny Valentine」とか、あのあたりのアルバムが好きなのだが、一番聴いていてリラックスするのはマラソンセッションあたりのアルバムだ。あのあたりのアルバムは、結構やっつけ仕事で作っているという話を聞いたりするのだが、マイルスの、マイルストーンだと思う。

それで、タンゴ、今夜はウルグアイ出身のタンゴ奏者Hugo Diazのアルバムを聴いている。さしずめ「タンゴ名曲20選」といったような内容のアルバムなのだけれど、これがまたなんとも言えずいい。

ピアソラ以降のジャズを踏襲した音楽なんだけれども、それが、あまり面倒くさい話にならずに、古き良きタンゴの延長線上に位置付いていて、なかなか悪くない。古き良きタンゴと言っても、こもった音色でおじさんが歌を歌うというようなサウンドではないのだけれど、ピアソラのバンドのように締まっていて、シャープで、ちょっとオシャレで、その上でちょっと懐かしい。

こういう、タンゴなら、肩肘張らずに聞くことができる。

 

なんだか知らないが、メロディア盤を買ってしまう

しばらくブログを書くのをサボってしまった。

最近は仕事が忙しく、わけのわからないイベントばかりやっているので、困ったもんだ。これでは楽器屋なのかイベントやなのかがちっともわからなくなる。

それで、休みを取れる日にはじっくり休むことにしている。極力仕事はしない。パソコンを開いても、極力仕事のメールチェックはしない。

外に出歩く。散歩をする。できるだけ買い物はしまいしまいと思っているのだがつい買ってしまう。今日も御茶ノ水ディスクユニオンに行って、レコードを3枚買ってしまった。ジャズ2枚とクラシック1枚。

ジャズ2枚は、バーニーケッセルのアルバムと、レイブライアント。どちらも四百円ぐらいだった。

レコード針をユニオン針に替えてから、なんだかレコードを聴くのが楽しくなった。ユニオン針はなんだか感度が随分いいらしく、さかんにノイズを拾うのだが、やけに音に迫力が出る。これがいい。

今日買ったのはメロディア盤のサン・サーンスのピアノコンチェルト第5番。ピアノはリヒテル、指揮はキリルコンドラシン、オケはモスクワフィルハーモニー。うーん、間違いない組み合わせである。いかにも、フランス物をやるのに向いていなそうな取り合わせである。

最近まで、キリル・コンドラシンという指揮者の録音をほとんどまともに聴いたことはなかった。カバレフスキーやらハチャトリアンの管弦楽曲集は持っているのだが、その他は一枚もなかった。

ところが、このところなぜかこのコンドラシンのレコードを何枚か所有することになった。会社の偉い人が、何枚かSPレコードを譲ってくれたのだが、その中に確か、コンドラシンの指揮したやつがあった。いや、SPじゃなくてLPだったかな?よく覚えていない。まだよく聞いてもいない。

しかし、今日買ったサン・サーンスは良かった。続けて2回も聞いてしまった。

サンサーンスという作曲家自体、今までほとんど聴いてこなかったのだが、「序奏とロンド・カプリチョーソ」は好きで、ずっとレコードが欲しかったのだ。それも、オーケストラ伴奏盤ではなくて、ピアノ伴奏盤。これが探しても面白そうなやつはなかなかない。

それが、たまたま、会社の偉い人にもらったSPの中に、その「序奏とロンド・カプリチョーソ」のレコードが入っていたのだ。ミッシャエルマンがヴァイオリンを弾くレコード。

私は、この「序奏とロンド・カプリチョーソ」がルイ・マルの映画「さよなら子供たち」の映画鑑賞会のシーンでかかるのを聴いて、感動してしまい、それからピアノ伴奏盤をずっと探してきたのだが、思わぬところでそれと出会った。やっぱり会社勤めはするもんである。

ミッシャエルマンも多分ロシア人(ウクライナ人?)なんだろうけれども、このロシアの方々というのはみなさん個性が豊かでとてもよろしい。お手本のような演奏のクオリティーなのだが、その演奏の内容が凶暴であったり、落ち着きがなかったり、ダイナミックであったりして、健康で宜しい。ちょっと病気なんじゃないかというくらい、音楽がエンターテイメントに仕上がっていて宜しい。

音楽はこうでなくてはならん。

確かにいぶし銀の演奏も素晴らしい。ハイティンク、ロイヤルコンセルトヘボウなんかの演奏も確かに素晴らしい。

素晴らしいが、やはり、音楽には娯楽性があったほうが面白い。ロシアというお国柄なのか、まことにそのことがわかっているような気がする。アメリカ的エンターテーメントではないのも良い。

アメリカのエンターテーメントはただ単にワイワイガヤガヤ、と笑いである。そこにハイクオリティーな出し物が乗っかってくるという図式である。

それに対して、ロシアのエンターテーメントは、まずハイクオリティーな出し物だけで楽しませるかのようだ。まあ、レコード3枚聞いたぐらいなので、なんとも言えないのだが、ロシア盤のレコードを聴いていると、ロシア人がいかに音楽を楽しむことを渇望していたかがわかる。

それは、メロディア盤とかのレコードのジャケットを見るとよく分かる。

全く装飾がない。

レコードの盤面に記載されている情報がすべてである。

潔い。

この、無愛想なジャケットにやられてしまって、メロディア盤を愛聴している。レーベル名すら解読できない物ばかりであるのも良い。曲名すら判読不可能。レコード店で記載されている情報を信用するしかないのも良い。

わからないものはわからないで良い。演奏者もわかるようなわからないような名前なのが良い。コンドラシン、ムラヴィンスキー、ザンデルリングくらいしかわからない。あとは、何を書いてあるのか判読不可能。オケの名前すらわからない。ソリストの名前もわかるようなわからないような。

それだからこそ、音楽に集中できる。変な先入観なく、それが「ロシア盤」であるという先入観のみを頼りに音楽を聴く。

これが良い。

針を落とすと、やけにオケのクオリティーが高いのも好感が持てる。管楽器だけ、別に録音しているのではないかと思われるほど力強いのも良い。

良いことづくし、なように上記からは思われるだろうけれども、実際聴いてみると、これがまた癖があって、全然好きになれないと言う方も多いだろう。

それが一層好感が持てる。

誰もが好きな味付けではない。苦手な人は大っ嫌い。

それが良い。

メロディア盤が怖ければ、まずは、ムラヴィンスキーがレニングラードフィルとグラモフォンに吹き込んだチャイコフスキーを聴いていただくのが良いだろう。

ロシアオケ入門盤にして、最高傑作の一枚。

Chicagoのベスト盤を聴いて「いい演奏」とは何なのか考えてしまった。

いい演奏って、なんなんだろう。

楽器屋をやっていて、つくづく思う。いい演奏って一体なんなんだろう。

かつて、ギター屋で働いていた時は、いい演奏なんてことはちっとも考えなかった。そこにはただ、カッコイイか、カッコ悪いか、その二つだけだった。

カッコ悪いのが良い、というようなひねくれ者も存在した。それで、カッコ悪良い〜、とか言ってもてはやしていた。あれはあれでなんとなくわかる気がした。カッコ悪いのが良いとか、カッコイイのが良いとか、そういう価値判断なんて結局どうでも良いのだと、思っていた。

良いものは良い、という方もいるけれども、私はそう思わない。万人ウケするものが良いわけではないし、上手いから良いわけではない。ハードコアだから良いっていうわけでもない。自分にとってかけがいがないものかどうか、それだけがある気がする。

かけがいのないもの、って何なんだろうと考えるとキリがなくなってしまうけれども、私がカッコイイと思うものは憧れの対象である。私は、カッコイイのが好きなのである。カッコイイ贔屓。

かっこよく映るもの、その時その時に憧れるもの、その瞬間瞬間に反芻し、「うーん、イイ!」と思ってしまうもの、これがかけがえのないものだ。だから、かけがえのないもの、という表現がはたしてあっているのかどうかもわからないけれども、その時その時に、他に変え難いものである。それが、私にとってかけがえのないもの。

昨日、Chicagoのベスト盤を買った。

突然、シカゴが聴きたくなったのだ。私はすでに「ハートオブシカゴ」は持っていたのだけれども、あれには、「Saturday in the  park」が入っていない。私は無性にあの曲を聴きたくなったのだ。

じゃあ、あの「Saturday in the park」が入っているアルバムを火炎ば良いのだろうけれども、シカゴはアルバムの枚数が多すぎて、どのアルバムにあの曲が入っていたか覚えていなかった。

それに、せっかくなら、初期の名曲の数々も一緒に聴きたい。

それなら、まあ、2枚目だがベスト盤を買おうということにした。シカゴは、期待通りに良かった。難しいことを考えないで聴けるバンドだ。いつも間違えがない。

それで、「Saturday in the park」のイントロを聴いていてふと思ったのだ。

「なんて乱暴なピアノの演奏なんだ!!」

「ケシカラン!!」

 

私は、曲がりなりにもピアノ屋なのである。

まだ、ピアノ屋に勤めて日が浅いが、近頃ピアノの演奏にちとうるさい。

ピアノ屋になってから、突然「いい演奏」について考えるようになった。

「一音一音が、表現したい音を表現する演奏」

を、いい演奏とピアノ屋で刷り込まれている。たしかに、楽器屋としてはそのスタンスは間違っていないだろう。それもアリだと思う。確かに、一部のクラシック音楽、特にピアノ音楽を聴くと、一音ごとを大切にしている演奏は、それを感じる。逆に、勢いだけで弾いている演奏もある。いや、正確に言うと、ないこともない。

しかし、正直なところ、どっちがいいのか、という問題ではないと思う。

例えば、ジャズでは、グラントグリーンなんかは、一音一音を大事に弾いている時もあれば、もう、勢いだけで押すこともある。クラシックだって、ルービンシュタインなんかは、あれだけの大家だからちゃんと弾いているかのように思われるかもしれないが、まあ、何も考えないで弾いてるんだろうな、と思わせられるところもある。

じゃあ、何も考えないから悪いか、と言うと、そういうわけでもない。

「よく考え抜かれた演奏がいい」という考え方はある意味宗教のようなもんで、あれは一つの信仰だと思う。

なんにも考えないで弾いている奴でもカッコイイ奴はいる。いや、練習の時は、考えて、考えて、考え抜いて練習しているのかもしれないけれども、ステージの上ではただただトリップして弾いてしまうという演奏でもカッコイイやつはある。

例えば、ウイリーネルソンなんかは、ステージ上で何も考えていないんじゃないか。

そりゃ、いい音楽作りたいっていう気持ちは、ウイリーネルソンは誰にも負けないぐらいの努力と執念でやっていると思う。けれども、ステージの上のウイリーは、多分そんなこと忘れている。「ただただ、音楽のために生きる男!」とサンボマスターは叫んだけれどもウィリーこそ、そういう感じだろう。だから彼の音楽は良い。

すごい時のウィントンマルサリス、あれもきっと何も考えていない。ウィントンは、いつも考えすぎているとか言われているけれど、感覚だけで何でもできちゃう人だから、そう言われてしまうのだろう。普通の人は、感覚だけで大したものを作ることはできない。ウィントンは感覚だけでできちゃうところを、もちょっと頑張ってなんか、「それっぽい」ものを演奏しようとして吹くから、「つまらん」とか言われてしまうのだろう。彼の本当にすごい時は、そんな小難しいことを言っている聞き手の方が無粋だと思うぐらいカッコイイ。

本当に、感覚だけでやっている人、本当に、何も考えていないでやっているんだろうなと思えるのはチェットベーカー。彼は、本当はきっとステージの上では色々考えているのだろう。「どうやったらここをもっとダークに、吹けるか」とか、「どうやったら、もっと動きのないフレーズでバンドを引っ張れるか」とか駆け引きをやっているのだと思う。

それでも、チェットの演奏からはそんな感じはしない。さらりと、なんでもやってしまう。だから、私は彼の演奏が好きだ。カッコイイと思う。

 

はて、「いい演奏」って何なんだろうか。

この日本企画盤臭さはどこに由来するんだろう Dusko Goykovich Scott Hamilton 「Second Time Around」

良いアルバムなんだけれども、どうもはっきりと人に「良い」と言って勧められないアルバムというのがある。特に、ジャズのCDにある。

どういうアルバムかというと、「どうも胡散臭い」アルバムだ。

この「どうも胡散臭い」というのも様々なんだけれど、わたしが一番そう思うのは

「このアルバム、日本人向けに作ったんだろうな」

と思わせられるアルバムだ。

こういうアルバムは、結構多く存在している。まあ、世界の中で日本人が最もジャズが好きなんじゃないかと思うから(統計的な数字は知らないが)仕方がないのだけれど、プロデューサーが、日本市場を意識して作っているアルバムっていうのが結構たくさん存在する。

The great jazz trioとかChet Bakerの「Sings Again」なんていうのは、そもそも日本人がプロデュースしているからしょうがないけれど、そういう、もろ日本企画盤じゃないアルバムでも、この類のアルバムがある。

今日紹介するDusko Goykovich Scott Hamilton 「Second Time Around」もそういうアルバムの一枚だと思う。

Dusk Goykovichというトランペッターは、世界的にはどのくらい有名なのか、どのくらい評価されている人なのかは知らないけれども、日本人のジャズファン好みのトランペッターであることはまあまあ間違いないだろう。純粋に音楽的にどうなのこうなのという話を私がしても仕方がないけれども、まあ、平たく言うと「わかりやすい」ジャズを演奏してくれるトランペッターである。Tom Harrellとか、最近の若い売れっ子とは対極の、トランペッターである。

昔ながらの、間違いのないジャズを、かっちり演奏してくれるトランペッターと言える。

もう一人のScott Hamiltonだって、そういうサックス吹きだ。ハリーアレンと一緒にやっているテナーチームなんかのアルバムを聴いていてもそうだけれど、わかりやすい演奏を、昔ながらの古き良き”モダン”ジャズを間違えなく演奏してくれる。

こういうと、語弊があるかもしれないけれど、いかにも日本人のジャズファンが好きそうな演奏である。

それで、今日の「Second Time Around」である。

はっきり言って、アルバムとしては悪くないアルバムだ。有名なジャズのスタンダードばかり入っているし、ソロも、昔ながらのスタイルで、曲の解釈もこむづかしくない。聴いていて、全く疲れない演奏である。これはこれで良いもんだ。

しかし、なにかが物足りない。

私はこのアルバムのように完成されたパッケージよりも、どちらかというと、もう少し出来の悪い、完成度の低いアルバムを聴きたくなってしまう。プレスティッジの垂れ流しブローイングセッションとかそういうアルバムの方が聴いていて楽しい。決して名盤と呼ばれることのないアルバムでも、聴いていて刺激があって良い。

このブログのテーマは、都会の暮らしの中で疲れた時に聴ける音楽ということにしているから、この「Second Time  Around」なんてうってつけなんだろうけれども、だからと言って手放しで素晴らしいと人に紹介できない。

お勧めできない、というアルバムを紹介しても仕方がないのだけれど、あくまでも、私の好みから行くと、お勧めしない。

しかし一方で、完成度の高い、聴いていて疲れない、リラックスできるジャズを聴きたい方には、うってつけのアルバムであることも確かである。

現に、このブログを書きながら聴いてみたりしたんだけれど、なんというか、とても素敵なアルバムである。抑制の効いた演奏にしても、アレンジの上品さでも、よくできたアルバムである。

とくに良いのは3曲目の「You’re my everything」この曲の可愛らしいところをうまいこと表現していて、素敵だ。なんといっても、最後のターンアラウンドのところが、カウントベイシー風の味付けがされていて、良い。ジャズの基本を押さえた、なんとも言えない名演である。

けれども、まあ、このアルバム、そういうアルバムですから。

Chet Bakerというスタイルが紡ぎ出される

このブログではChet Bakerのことばかり書いているような気もするけれども、チェットが好きなのだから仕方がない。チェットベーカーというジャズミュージシャンの妖しさに惹かれてしまうのだ。

ジャズとしては、前衛ではないし、むしろ保守的で70年代に入っても、未だ50年代のスタイルを変えず、ひたすらトランペットを吹き続けていた。共演者が替わっても、そこにはチェットベーカーの音楽があった。

CTIでジムホールのサイドマンとして参加したアルバムでもそれは同じで、そこにはひたすらチェットベーカーの音楽が存在している。もちろん、ジムホールのリーダーだから、ジムホールの音楽なのだけれど、そのジムホールの世界の中で埋もれることなく、むしろかえってそこにはっきりとチェットベーカーの音楽がうき上がる。チェットベーカーが前に出てくるのではなく、かれの音楽がバンドのサウンドとして鳴るのだ。

同時期にチェットベーカーのリーダーで、ほぼ同じメンバー(とは言っても、ピアノは違うし、ジムホールも参加していないのだけれど)で録音したアルバム「She was too good to me」と聴き比べてみてもそこにある音楽がいかに変わらないかがわかる。これはCTIのサウンドというわけだはなく、紛れもなくチェットベーカーの音楽である。なぜなら、その曇った感じ、けだるい感じ、それでいてフレッシュで若々しい感じがチェットの音楽であることを主張しているからだ。

主観的な表現になってしまったが、チェットベーカーの音楽にはどうしても、主観が入ってしまう。それは、かれの音楽が主観を求めるからだ。あなたは、それをどう聴くか、がこの音楽の一番重要なところなのだ。彼の音楽は紛れもなく50年代のハードバップの焼き直しであるのに、聴いていると、それがジャズであるとかポピュラー音楽であるとか、そういったことはどうでもよくなる。ジャズが苦手な方には単なるジャズにしか聞こえないかもしれないけれど、私にとってそれは単なるジャズではない。それは、一つの音楽のスタイルだ。ジャズのスタイルではない、音楽のスタイルなのだ。

彼のマーチンのコミッティーから、コーンの38Bから、ブッシャーのアリストクラートから、ゲッツェンのカプリから、バックのストラディバリウスから紡ぎ出されるのは単なるジャズではない。それは、バンドの音楽そのものをチェットベーカーというスタイルに染め上げるうねりなのだ。その、少し頼りなく、太く曇ったうねりが、スタイルを作り上げている。

嘘だと思うなら、ぜひJim HallのConciertoを聴いてみてほしい。そこに見つかるのは、チェットベーカーの音楽だから。

ちなみに、このアルバムでチェットはConnのConnstellationを吹いているはずです。音は、その後にBuescherを吹いている時と、ほとんど変わりません。弘法筆を選ばずを地で行った人だったのでしょう。けれど、若い頃に使っていた Martin Committee Deluxeは自分でマーチンの工場に出向いて、10数本のなかから選定したそうです。

チェットベーカーは楽器にこだわりがないように思えて、実は結構こだわっていたのかもしれません。割と色合いがはっきりしない、よく言うと表現の幅が広い楽器を長く愛用していた人です。

自信満々のDoc Cheatham “Swinging down in New Orleans”

トラディショナルなジャズもなかなか良いと思えるようになるまで、ずいぶん時間がかかった。20代の頃は、ジャズっていうのは前衛がいいのだとか思っていた時もあったし、いや、それよりももっとバリバリのハードバップこそジャズだと思っていた時もあった。

ジャズという音楽も、100年も歴史のない音楽だから、前衛もトラディショナルもなにもないような気もするんだけれど、やっぱりそういう概念が存在することは確かだ。100年前のものは十分にトラディショナルなのだ。80年前の音楽もやっぱりトラディショナルなのだ。これは、ジャズだけじゃなくて、クラシックなんかもそうなのかもしれない。いや、ロックでさえトラディショナルなロックミュージックというものが存在するのではないか。

ジャズ、特に40年代前半までに流行っていたスタイルのジャズはトラディショナルなジャズと区分けされる。そして、いまでもそのスタイルで演奏し続けている方々がいる。ディキシーランドだったり、スイングスタイルだったり、それらが混ざったスタイル(シカゴスタイルとか)がある。

そういう古いジャズはどうも若い時分は素直に聴けなかった。こんなものを聴いていてはいけないのではないか、などと感じていた。ときどき背伸びして30年代の録音のレコードなんかを買って聴いていたりしたけれど、どこがいいのかちっともわからなかった。

30代に差し掛かったぐらいから、トラディショナルなスタイルを現代風にアレンジして演奏しているジャズ、大橋巨泉の呼ぶところの中間派のジャズなんかを聴くようになった。たまたま持っていたルビーブラフのレコードがとても良かったからだ。中間派、とても好きになった。

それで、いろいろと聴いて、どうやらボビーハケットが好きだということに落ち着いた。落ち着いたところで、やっと古いジャズを素直に聴けるようになった。

それで今夜はDoc Cheathamを聴いている。

これが、なかなか良い。オールドスクールなジャズである。なにせドクチータムの音が良い。自信がみなぎっていて、それでいてジェントルで、程よく枯れていてどれ以上の言葉が出てこないぐらい良い。トランペッターというのはこうあるべしという演奏だ。

クラリネットやら、バンジョーが入っているのも良い。古いスタイルのジャズにはバンジョーがよく登場するけれど、このバンジョーというのが、あんまり目立ちすぎても古臭くなってしまう。まあ、古臭くても良いのだけれど、バンジョーが控えめながらしっかり役割を果たしているレコードは魅力を感じる。

あの、馬鹿でかい音しか出ない、バンジョーという楽器がまたいい。まさに、ジャズのためにできたのではないかというくらい音の乱雑さが良い。

これだけ、充実した内容のアルバムができたら、リーダーのドクチータムもさぞ満足だろう。このジェケットの満足そうな顔が、それを物語っている。

誰か、ペダルスティールギターを堪能できるアルバムを教えて欲しい。

楽器は色々とあるけれど、演奏できたらかっこいいなと思う楽器はそんなに多くない。

トランペットとペダルスティールギターだ。どちらも持っているけれど、ほとんど弾けない。ペダルスティールギターに関しては、全く弾けない。

しかし、YouTubeなんかでペダルスティールギターのデモンストレーション映像なんかを見ると、なんてかっこいいんだ、と思う。あの、なんだか一見シンプルでで、ものすごく複雑なことを簡単にやってのけているのはかっこいい。ペダルスティールギターがリーダーのアルバムというものをあまり持っていないので、なんとも意見が言える立場ではないのだけれど、あの楽器を弾けるようになりたい。

レイプライスなんかのライブ映像で間奏部分をペダルスティールギターが担当しているのを見るたびにため息が出る。なんてかっこいいんだ。

是非、ペダルスティールギターをじっくり堪能できるアルバムを教えて欲しいのだけれど、今の所バディーエモンズのアルバムしか持っていない。もっと、沢山聴いてみたい。

あの楽器のサウンドに憧れるのだ。あのなんとも言えないトーン。なめらかな音階の移動。何をとっても良い。素晴らしい楽器だと思う。あの楽器が、カントリーと、カントリー系の一部のジャズにしか使われていないのが勿体無い。

誰か、ペダルスティールギターをじっくり堪能できるおすすめのアルバムがあったら教えていただきたい。

どうか、お願い致します。

Harry Edisonの良いところ取り

地味だけれど素晴らしいジャズアルバムというのがある。

ジャケ買いもしないような控えめなジャケット、特に目を引くようなメンバーでもない。レーベルもよく知らないレーベル。こういう中にも名盤はある。

私は、今ハリー”スイーツ”エディソンの「Can’t get out of this mind」を聴いている。ピアノがケニードリューベースドラムは、私の知らない方。

けれども、このアルバムが良い。落ち着いた中にも、程よいスイング感があり、ハリーエディソンのボーカルも堪能できる。何よりも、スタンダードばかりやっている。これが良い。

ハリーエディソンといえば、ミュートトランペットが有名だけれど、これがオープンでも弾いている、もちろん、音色は素晴らしい。

この、 Orange Blueというレーベルからは、ビバップ以前のスタイルのフロントマンがモダンなリズムセクションと組んでいるアルバムが多くて、オススメです。

 

時々聴きたくなるヘビメタの代替物 The Hellecasters

バカテクもたまには良い。

いつも聴いていると疲れてしまうけれど、たまに聴く分には良い。むしろ、いつもヘタウマを聴くよりも、いつもバカテクを聴いている方がマシだと思う。

私は、かつてヘビメタ専門のギターショップに勤めていた時があって、その店では常にヘビメタ、それもヴァンヘイレンとかそういったものすごく早弾き系のメタルをかけていた。いつもはバックオフィスにいてパソコンとにらめっこしているのだが、お客さんが来ると店頭に立たなければいけない。そうすると、1日の半分以上ヘビメタを聴かなくてはいけなかった。すごく疲れた。

これが、ヘビメタじゃなくてボブディランだったらどうだったろう?あるいは、もっと疲れていたかもしれない。

かつて私が所属していたバンドのリーダーは麻雀荘を経営していて、その店に遊びに行くと常にカントリーミュージックが流れていた。麻雀荘ならば、何をかけても良いというわけではないだろうけれども、カントリーならまあさして耳障りでもないと思う。まあ、それも好みによると思うけれど、常にクラシックが流れている喫茶店ぐらいの感覚で音楽を聞き流せると思う。

けれども、ヘビメタをいつも聴くというのは辛かった。

しかし、私が、そのギターショップを辞めた後、時々ヘビメタを聴きたくなったりする。どうも、からだにヘビメタが染み付いて、ときどきそれが疼くのだ。けれども、ほとんど聴かない。きくとやっぱり疲れてしまうからだ。

その代わりに、カントリー系のバカテクものを聴く。ブレントメイソン、スティーブワーリナー、ジョニーハイランドなんかだ。

それで、今夜はThe Hellecastersを聴いている。ジェリードナヒュー、ウィルレイ、ジョンジョージェンセンのヘルキャスターズだ。

私は、この3人のギタリストのうち、ジェリードナヒューが一番好きだ。彼が一番カントリー寄りのプレイをする。音も、一番保守的なフェンダーのテレキャスターのサウンドだ。

この方々は、一見ちょっとプログレ寄りのカントリーユニットのようなイメージなのだが、実際に音楽を聴くと、カントリーのテイストでヘビメタをやっているような、いや、ヘビメタのテイストでカントリーをやっているようなサウンドだ。実際、歪ませまくって早弾きなんかをやっている。もはや、テレキャスターのサウンドに留まっていない。

これは、ヘビメタの良い代替物になる。

実際に、ヘビメタが好きな人からしてみれば、これはカントリーに聞こえるだろうし、カントリー好きが聞いたら、これはヘビメタだ。基本的にインストのバンドなのでなんとも定義しづらいのだが、これは、ジェリードナヒューがカントリーくさいことをやっているからカントリーテイストが混ざっているのであって、もしこの人がいなくなってアイアンメイデンのギタリストなんかが入ったら、完全にヘビメタのサウンドに仕上がる。ような気がする。まあ、アイアンメイデンのギタリストが入ったら、どんなユニットだってヘビメタになるか。

この人たちのレコードやらライブ、いったいどんな人たちが聴いているのだろう?そこが気になる。

どうです?この悪そうなジャケ写。 The modern jazz Disciplesが案外良かった。 New Jazz悪くないかも。

ジャズのアルバムはどれもジャズという狭いくくりの中に存在していながら、その一方でレコードレーベルによって随分カラーが違っている。例えば、一番有名なブルーノート、特にブルーノートの1500番代と4000番代はそれぞれに、ハードバップというものを定義してきた名盤が揃っている。ブルーノートの看板を背負うにふさわしい、単なるジャムセッションにとどまることなく、作り上げられたアルバムが多い。

とは言っても、ブルーノートというレコードレーベルはもともとハードバップのレーベルではなくて、もっとトラディショナルなジャズを残そうということでつくられたレーベルだったと聞いたことがある。話によれば、シドニーベシェの録音を残したいがためにアルフレッドライオン作ったレーベルだとか。

しかしまあ、ブルーノートといえば、ハードバップである。

アートブレーキーを筆頭に、ジミースミス、リーモーガン、ホレスシルバーなんかが、ブルーノートの看板プレーヤーとしてハードバップの名盤を数多く残した。そういうファンキーなハードバップをよくできたパッケージに包まれているというのがブルーノートレーベルのイメージである。

ハードバップの名盤を残したということでブルーノートと双璧をなすのが、プレスティッジ。このレーベルは名盤は多いのだが、ただのジャムセッションをそのまま記録しただけの、いわゆるブローイングセッションみたいなアルバムが多い。これはこれで、いい。マイルスのマラソンセッションや、ジーンアモンズの一連のジャムセッションシリーズなんかは、このレーベルでなければ作れないような珠玉の名盤たち(とも、言い切れないのもあるけれど)である。(ちなみに、ブローイングセッションというタイトルのジョニーグリフィンのアルバムはブルーノート1500番代のアルバムタイトルです。紛らわしくてすみません。)

ヴァーブとなると、同じハードバップでももっとコンセプトが決まったアルバム、要するに「企画物」が得意です。あ、「企画物」って、AVの用語なのかな。

それで、私個人としては、断然プレスティッジが好きです。50年代中盤以降から60年代のジャズを聴くのであればプレスティッジばかり聴いてしまいます。

そのプレスティッジレーベルに「ニュージャズ」というシリーズがあります。このニュージャズというシリーズ、何がニューなのかはわかりませんが、ケニードーハムの名盤「Quiet Kenny」なんかがこのシリーズの名盤です。そういう、ハードバップを代表する大名盤もこのシリーズには何枚かあるのですが、中には、なんじゃそりゃ?と思うぐらいマイナーなレコードも沢山あります。

先般入手したのは、このニュージャズのアルバムThe modern jazz Disciplesの「Right down front」。正直言って、このThe modern jazz Disciplesっていうユニット名、CD屋でこのCDを買った時に初めて知りました。カーティスピーグラーというサックス吹きも、名前はどっかで聞いたことがあるような気もしましたが、きっとレコードでは持っていないと思います。もう一人のフロントマン、ウィリアムケリー、この人については、全く知りませんでした。すみません。

そして、このウィリアムケリーの担当楽器が「normaphone」と書いてあります。ノーマフォン、そりゃなんじゃ?まあ、いいか、ジャケがヤバイので買おうかということで買いました。

ノーマフォン、なるわけのわからない楽器がフロントだから、まあ、かなり危ういアルバムに仕上がっているんだろうな、と思って聴きましたら、案外これが良かったんですよ。ファンキーなハードバップでございます。

ファンキーなハードバップな上に、よく練られたアルバムで、楽曲のアレンジ、ソロ回しといいなんといい、素晴らしい。何より、このノーマフォンというやつが決してゲテモノではなく、普通にカーティスピーグラーにハーモニーを加えています。そして、バカテク系のプレーもなく、これといったハイライトもなく。落ち着いて一枚聴き込めるアルバムになっております。

ニュージャズ、案外いいかも。