時々聴きたくなるヘビメタの代替物 The Hellecasters

バカテクもたまには良い。

いつも聴いていると疲れてしまうけれど、たまに聴く分には良い。むしろ、いつもヘタウマを聴くよりも、いつもバカテクを聴いている方がマシだと思う。

私は、かつてヘビメタ専門のギターショップに勤めていた時があって、その店では常にヘビメタ、それもヴァンヘイレンとかそういったものすごく早弾き系のメタルをかけていた。いつもはバックオフィスにいてパソコンとにらめっこしているのだが、お客さんが来ると店頭に立たなければいけない。そうすると、1日の半分以上ヘビメタを聴かなくてはいけなかった。すごく疲れた。

これが、ヘビメタじゃなくてボブディランだったらどうだったろう?あるいは、もっと疲れていたかもしれない。

かつて私が所属していたバンドのリーダーは麻雀荘を経営していて、その店に遊びに行くと常にカントリーミュージックが流れていた。麻雀荘ならば、何をかけても良いというわけではないだろうけれども、カントリーならまあさして耳障りでもないと思う。まあ、それも好みによると思うけれど、常にクラシックが流れている喫茶店ぐらいの感覚で音楽を聞き流せると思う。

けれども、ヘビメタをいつも聴くというのは辛かった。

しかし、私が、そのギターショップを辞めた後、時々ヘビメタを聴きたくなったりする。どうも、からだにヘビメタが染み付いて、ときどきそれが疼くのだ。けれども、ほとんど聴かない。きくとやっぱり疲れてしまうからだ。

その代わりに、カントリー系のバカテクものを聴く。ブレントメイソン、スティーブワーリナー、ジョニーハイランドなんかだ。

それで、今夜はThe Hellecastersを聴いている。ジェリードナヒュー、ウィルレイ、ジョンジョージェンセンのヘルキャスターズだ。

私は、この3人のギタリストのうち、ジェリードナヒューが一番好きだ。彼が一番カントリー寄りのプレイをする。音も、一番保守的なフェンダーのテレキャスターのサウンドだ。

この方々は、一見ちょっとプログレ寄りのカントリーユニットのようなイメージなのだが、実際に音楽を聴くと、カントリーのテイストでヘビメタをやっているような、いや、ヘビメタのテイストでカントリーをやっているようなサウンドだ。実際、歪ませまくって早弾きなんかをやっている。もはや、テレキャスターのサウンドに留まっていない。

これは、ヘビメタの良い代替物になる。

実際に、ヘビメタが好きな人からしてみれば、これはカントリーに聞こえるだろうし、カントリー好きが聞いたら、これはヘビメタだ。基本的にインストのバンドなのでなんとも定義しづらいのだが、これは、ジェリードナヒューがカントリーくさいことをやっているからカントリーテイストが混ざっているのであって、もしこの人がいなくなってアイアンメイデンのギタリストなんかが入ったら、完全にヘビメタのサウンドに仕上がる。ような気がする。まあ、アイアンメイデンのギタリストが入ったら、どんなユニットだってヘビメタになるか。

この人たちのレコードやらライブ、いったいどんな人たちが聴いているのだろう?そこが気になる。

どうです?この悪そうなジャケ写。 The modern jazz Disciplesが案外良かった。 New Jazz悪くないかも。

ジャズのアルバムはどれもジャズという狭いくくりの中に存在していながら、その一方でレコードレーベルによって随分カラーが違っている。例えば、一番有名なブルーノート、特にブルーノートの1500番代と4000番代はそれぞれに、ハードバップというものを定義してきた名盤が揃っている。ブルーノートの看板を背負うにふさわしい、単なるジャムセッションにとどまることなく、作り上げられたアルバムが多い。

とは言っても、ブルーノートというレコードレーベルはもともとハードバップのレーベルではなくて、もっとトラディショナルなジャズを残そうということでつくられたレーベルだったと聞いたことがある。話によれば、シドニーベシェの録音を残したいがためにアルフレッドライオン作ったレーベルだとか。

しかしまあ、ブルーノートといえば、ハードバップである。

アートブレーキーを筆頭に、ジミースミス、リーモーガン、ホレスシルバーなんかが、ブルーノートの看板プレーヤーとしてハードバップの名盤を数多く残した。そういうファンキーなハードバップをよくできたパッケージに包まれているというのがブルーノートレーベルのイメージである。

ハードバップの名盤を残したということでブルーノートと双璧をなすのが、プレスティッジ。このレーベルは名盤は多いのだが、ただのジャムセッションをそのまま記録しただけの、いわゆるブローイングセッションみたいなアルバムが多い。これはこれで、いい。マイルスのマラソンセッションや、ジーンアモンズの一連のジャムセッションシリーズなんかは、このレーベルでなければ作れないような珠玉の名盤たち(とも、言い切れないのもあるけれど)である。(ちなみに、ブローイングセッションというタイトルのジョニーグリフィンのアルバムはブルーノート1500番代のアルバムタイトルです。紛らわしくてすみません。)

ヴァーブとなると、同じハードバップでももっとコンセプトが決まったアルバム、要するに「企画物」が得意です。あ、「企画物」って、AVの用語なのかな。

それで、私個人としては、断然プレスティッジが好きです。50年代中盤以降から60年代のジャズを聴くのであればプレスティッジばかり聴いてしまいます。

そのプレスティッジレーベルに「ニュージャズ」というシリーズがあります。このニュージャズというシリーズ、何がニューなのかはわかりませんが、ケニードーハムの名盤「Quiet Kenny」なんかがこのシリーズの名盤です。そういう、ハードバップを代表する大名盤もこのシリーズには何枚かあるのですが、中には、なんじゃそりゃ?と思うぐらいマイナーなレコードも沢山あります。

先般入手したのは、このニュージャズのアルバムThe modern jazz Disciplesの「Right down front」。正直言って、このThe modern jazz Disciplesっていうユニット名、CD屋でこのCDを買った時に初めて知りました。カーティスピーグラーというサックス吹きも、名前はどっかで聞いたことがあるような気もしましたが、きっとレコードでは持っていないと思います。もう一人のフロントマン、ウィリアムケリー、この人については、全く知りませんでした。すみません。

そして、このウィリアムケリーの担当楽器が「normaphone」と書いてあります。ノーマフォン、そりゃなんじゃ?まあ、いいか、ジャケがヤバイので買おうかということで買いました。

ノーマフォン、なるわけのわからない楽器がフロントだから、まあ、かなり危ういアルバムに仕上がっているんだろうな、と思って聴きましたら、案外これが良かったんですよ。ファンキーなハードバップでございます。

ファンキーなハードバップな上に、よく練られたアルバムで、楽曲のアレンジ、ソロ回しといいなんといい、素晴らしい。何より、このノーマフォンというやつが決してゲテモノではなく、普通にカーティスピーグラーにハーモニーを加えています。そして、バカテク系のプレーもなく、これといったハイライトもなく。落ち着いて一枚聴き込めるアルバムになっております。

ニュージャズ、案外いいかも。

音楽を通しての「表現」との出会いが日野皓正だった。

学生時代に日野皓正を生で聴いた時の衝撃はすごかった。上野恩賜公園の水上音楽堂で聴いた。その頃、あまりジャズなんて生で聴いたことなかったので、圧倒された。

日野皓正がちょうどアルバム「DNA」を発表したばかりの頃だったと思う。メンバーはよく覚えていないけれど、たしか石井彰がピアノだった気がする。

とにかくトランペットの音がすごかった。なんだかわからんが、圧倒された。音が太くて、でかくて、ドスが効いている。これだけでもうお腹いっぱいだった。

曲はRound midnightとかをやったんだと思う。ジャズに詳しくない私も聴いたことのある曲ばかりやっていた。入場料はタダだったと思う。なんで、あんなすごい演奏をタダで聞けたのか、覚えていない。

あれを聴いた時から、自分が楽器を弾くのは道楽にとどめておこうと思った。20そこそこの人間が、あんなのを聞かされちゃあたまらない。チビっちゃいそうになった。曲なんて、なんでもいい。とにかく、日野皓正がそこにいた。楽器を弾くっていうのはどういうもんなのかを思い知らされたような気がした。

その時、私はジャズ研に入っていて、トランペットをいじっていたが、もう、それから変な野望は起きなかった。もちろん、憧れはあった。日野皓正だけじゃなくて、すべての偉大なミュージシャンに対して。あんな風に、自由自在に、楽器を通して表現できたら何て素晴らしいんだろう、と思った。音楽という言葉を自由自在に使えるだけでなく、それを通して何かを表現出来るっていうのがすごくカッコよく思った。

だから、今でも楽器を弾くこと自体はやめていない。音楽という言葉は自由自在に使うことはできない。むしろ、ボキャブラリーはほとんどないし、間違えてばかりだ。それでも、つたない言葉を発することによって、何かを発散することができる。何かを考えたりすることができる。これが、むづかしくて、文法なんてちっともわからないのだけれど、それでも、何かを口に出せるというのは何も話さないこととは大きく異なる。

ギターでも、トランペットでも、ベースでも、ドラムでも、ピアノでも、ヴァイオリンでも、歌でも、なんでもいい。何かを音楽を通して発露できるというのはいかにすごいことなのか、を日野皓正の演奏を聴いて感じた。

今日、久しぶりに、日野皓正のCD「DNA」を聴いている。あれから15年以上が経過しても、日野皓正の音楽の素晴らしさは、全く色あせない。

音楽という言語を通して、ドスの利かせ方とか、叫びも含めて、何かを表現するということの素晴らしさがここには詰まっている。

有山じゅんじで戦前ブルース入門 ギャロッピングとそのルーツ、ラグタイムスタイル

カントリーやらロカビリーのリズムギターのスタイルでギャロッピングというのがある。ギャロッピングは、別名トラビスピッキングと言われていて、マールトラヴィスが完成させた奏法であるとされている。

確かに、カントリーの世界でギャロッピングを完成させたのはマールトラヴィスで間違えないと思う。しかし、マールトラヴィス本人も、トラビスピッキングはアイクエヴァリー(エヴァリーブラザーズの親父)のギタースタイルを基にしていると語っている。その辺のことは確か、マールトラヴィスとチェットアトキンスとの共演盤「The Atkins-Travis traveling show」を聴けば詳しい話を本人から聴ける。詳しい話を聞かなくたって、このアルバムは素晴らしく素敵で、楽しいレコードだからカントリーのファンじゃなくても一聴の価値がある。

その基となったアイクエヴァリーのギター奏法も、もともとは戦前ブルース、特にラグタイムのギタースタイルから来ている。

オルタネイトベース奏法とか言って、ベース音をド、ド(オクターブ上)、ソ、ド(オクターブ上)と弾きながらコードを鳴らしたりするスタイルだ。別にど、ど、そ、どににこだわらないで、表拍にベース音、裏拍に5度、とか3度とかの低音弦を弾く。

あー、私は音楽の専門知識がないから、どうやって言葉で説明すればいいかわからん。わからんが、そういう、低音弦でベースラインを交互に弾きながら、コードやリードメロディーを弾くのがギャロッピングの基本になる。

これの基はラグタイムのギタースタイルで聴くことができて、ブラインドブレイクやらブラインドボーイフラーなんかがやっている。厳密にはオルタネイトベース奏法のスタイルは違うのだが、マールトラビス、アイクエバリーの原型がここにある。

この、ラグタイムギターというスタイルは、どうも楽しく、自然と陽気にさせられる。マールトラビスのカントリーが陽気なのも、ここから来ているのだろう。私は、元気な時に、時々ラグタイムを聴く。

日本人でも、有名なフィンガーピッキングのラグタイムスタイルを弾くギタリストは数多いるけれど、古くは有山じゅんじなんかが得意としていた。いや、今でも上手いんだけれど。あと、高田渡なんかも、このスタイルで弾いたりしている。

気分が落ち込んでいるときは、白々しくてちょっと聴けないけれど、ちょっと元気が出てきたら、ラグタイムを聴くと元気が出る。

ギャロッピング、ラグタイムスタイルのギターが聴ける推薦盤は、先ほど挙げたマールトラヴィスとチェットアトキンスの「The Atkins-Travis traveling show」。あと、P−Vineから出ている「ラグタイム・ブルース・ギター名作選」これは陽気な戦前ブルースを堪能できる。それと、もう一つラグタイムだけじゃないけれど、上田正樹と有山淳司の「ぼちぼちいこか」。「梅田からナンバまで」こそ、まさにラグタイムスタイル!

特に、「ぼちぼちいこか」は、戦前の作品ではないけれど、戦前ブルースの入門盤として最高です。

Tower of Power, Tower of Power! “Diggin’ on James Brown”

高校時代に、友人がラジオの FM局のプレゼントでTower of Powerのライブのチケットを当てた。あいにく彼はそのコンサートに行けないというので、私がそのチケットをもらった。それが私のTower of Power(以下TOP)との出会いだった。

そのライブを聴いてすぐに私はTOPのファンになった。これほど魅力的なサウンドはそれまで聴いたことがなかった。ロッコのベースがポンポン弾みながらビートを刻み、ドラムのスネアの音は軽く、それに引き締まったホーン隊が煌びやかに飛び出してくる。ボーカルはブレントカーターの頃だったと思うけれど、エミリオたちがサックスを吹きながら入れるコーラスも素晴らしかった。

文句なく、素晴らしいバンドだった。当時は、それがなんというジャンルの音楽なのかすらも知らなかった。ただひたすらノリが良く、聴いているだけで自然に体がウキウキして動く。これほど気持ちの良いライブは初めてだった。

それが、世界最高のソウルバンドだとは知らなかった。知らないで、いきなり本物を聴いた。

ステージが始まる前に、ステージの前に並べられたアルト、テナー、バリトンサックス、トランペット、それらを見ただけで、なんてかっこいいんだってビビった。ビビってチビりそうになった。ステージの床にはセットリストがマスキングテープで貼り付けてあった。

ステージの袖から黒いスラックスに、ベストを着たエミリオが入ってきて、軽くサックスの音を確認したと思ったら、いきなりホーン隊が一斉に入ってきた。そのホーン隊のキリッと揃っていたことがずっと印象に残った。寸分のくるいもないタイミングで、トランペットとサックスが音をヒットする。その間を縫うようにドクのバリサクがブリッと鳴る。なんてクールなバンドなんだ。これはなんなんだ、って思った。

よく覚えているのはDiggin’ on James Brownだ。 “I still be diggin’ on James Brown”のフレーズには震え上がった。ああ、この人たちもやっぱりジェームスブラウンがアイドルなんだ。やっぱりジェームスブラウンってすごいんだ。って思った。

それと、Sexy Soulがかっこよかった。それにIt’s So Niceでエミリオを中心にホーン隊の全員がコーラスを入れるのがかっこよかった。ちゃんと振り付けもあって、これがキマっていた。

キャパ100人ぐらいのホールでオールスタンディング、フリードリンクだった。ああ、大人になったら、またTOPのライブを聴きたい。と思って、今までまだ聴いていない。ロッコが病気になってしまったりしてるから、もう聴けないかもしれない。それでも聴きたい。

そんなことで、今夜は TOPの”Soul Vaccination Live”というライブ盤のアルバムを聴いている。スタジオアルバム”Souled Out”がリリースされて間もなくの頃のライブ録音盤だ。ちょうど、私が高校時代に聴いたライブがこの頃だった。だから、このアルバムに入っている曲のほとんどを私はそのLiveで聴いた。だから、このアルバムを聴くたびにその時のTOPの姿が目に浮かんでくる。世界最高のバンド。

TOPこそ世界で最もシャープなホーンセクションを揃え、力強いグルーブを生み出すリズムセクションを持ったバンドだと思う。

普段は、カントリーばかり聴いている私も、Tower of Powerには目がない。

先日、上海のJz Clubでライブを聴いていたらDiggin’ on James Brownをバンドが演奏した。イントロから、まさにTOPサウンドで、ここ数年、音楽であれほど興奮したのは数回しかない。本物のTOPを聴きたくなった。

Jz Clubでのライブはまだまだ続くようだったが、私はDiggin’ on James Brownを聴き終わるとともに、ビールを飲み干し店を出た。

私はそこまで聴けばお腹いっぱいだった。20年以上前に聴いたTOPのライブの余韻に浸りたかった。それ以上は何もいらなかった。

もう上海には何も心残りがない気がした。

エド山口、モト冬樹兄弟はテレビで最も上手いギター兄弟である

兄弟でともにミュージシャンというのはよくいるけれども、その中でも兄弟でギタリストという組み合わせは結構多いと思う、私の好きなトミーエマニュエルも兄貴のフィルエマニュエルももの凄いギタリストだ。

私の主観からいくと、この世で最も好きなギタリスト兄弟はStevie Ray VaughanとJimmie Vaughanだ。SRVもジミーも独自のスタイルでブルースを奏でる。お互いに影響しあった、特にSRVは兄貴に随分影響を受けたと語っているけれども、二人ともお互いのスタイル・サウンドとは異なる。どちらも甲乙がつけがたいギタリストであるとともに、世界最高のギターヒーローの一人だと思う。

けれども、もう一組、忘れてはいけない兄弟がいる。バブル世代の方々はテレビでおなじみのモト冬樹とエド山口兄弟である。テレビの中の世界で世界一ギターが上手い兄弟といえば、エド山口とモト冬樹だろう。お茶の間で一番聞かれている兄弟である。

エド山口はヴィンテージのモズライトでベンチャーズをベースにしたギターインストの世界では独自の世界観を持っているし、オリジナルアルバムも出している。モト冬樹、はグッチ裕三とのコンビの中でギターを弾いているけれども、これもネッドスタインバーガー時代のスタインバーガーを自由自在にあやつり、どんなポピュラー音楽の伴奏も付けれる実力がある。恐るべし兄弟だ。

以前、YouTubeで兄弟対決を行っていたが、こだわりではエド山口に軍パイが上がり、総合点ではモト冬樹の方がうまかったかもしれない。けれど、私はエド山口の方が好きだ。

ここに、一枚のエド山口と東京ベンチャーズのCDがある。内容は一見するとベンチャーズやスプートニックスのような内容なのだけれど、エド山口のオリジナル曲も光る。そして彼のギタープレーが他の追随を許さないのだ。まさに彼のサウンドに完成されている。

特に、アルバム最後の曲「前科2犯のブルース」が素晴らしい。この曲を聞く為だけでもこのアルバムを買う価値はある。

東京ベンチャーズがなぜ「東京」ベンチャーズを名乗るかはこの曲にかかっている。ピッキングのタイム感覚が、いかにも一時期のギターインストバンドを思わせて素晴らしい。

聴いたことない方は、とりあえず「前科2犯のブルース」を聴いてみてほしい。

Jz Club 上海で素晴らしいマティーニを飲んだ

上海のJz Clubに行ってきた。

夜10時からテナーチームのライブがあって、それを聴いてきた。

何よりも、素晴らしかったのは、Jz Clubのマティーニが美味しかったこと。今まで飲んだマティーニのなかで一番素晴らしかった。マティーニ一杯で1600円ぐらいしたけれども、まあ、旅先での出費だから、お財布には痛いけれど、その価値はあった。素晴らしいバーテンダーがいる。黒いシャツに、黒のダブルのベストを着た、素晴らしいバーテンダー。

演奏も良かった。テナーサックス二人がリーダーで、特にピアノが良かった。上海のジャズシーンは六本木のジャズクラブぐらいレベルが高い。聴いているこっちが圧倒されてしまう。こんなに圧倒されたのは、いつか御茶ノ水  Naruで五十嵐一生のライブを聴いた以来か、そのあと、森田珠美のライブを聴いて以来か。

とにかく、Jz Clubは良かった。

明日から、マティーニの上手いバーテンは日本に行くというから、残念だけれど、また滞在中に行きたい、

私だけのお気に入り Blue Mitchell “Stablemates”

ジャズのアルバムを買うのは難しい。

全部試聴してから買えばいいのだろうけれど、そんな暇があったら、ジャケットを眺めたり、サイドマンやら、収録曲で適当にアタリをつけてとりあえず買ってみるほうが、好みのレコードにあたる可能性が高まる。そもそも、ジャズのアルバムは玉石混交で似たような内容のものが数多存在するので、その中でお気に入りの一枚を見つけるのは難しい。

いわゆる名盤とか呼ばれていない、一見地味なアルバムが、とっても自分に響いてくることもある。だから、そういうやつをいちいち試聴していたら、日が暮れてしまう。よく、DJの方々なんかが熱心に試聴してから購入していたりするけれど、あれは、それなりの知識があって、「どうもこれはすごく良いらしい」という情報をもとにアタリをつけてから試聴しているからできるんだと思う。詳しいことはわからんが。

そういう知識があんまりない私は、とりあえず「名盤100」とかのシリーズから数枚を買って聴いてみて、気に入った演奏があれば、それを演奏しているメンバーの名前を覚えたり、曲名を覚えたりして買ったり、ジャケットを見て良さそうだったら買ったりしている。予備知識があって買っているアルバム7割、残り3割はジャケ買いだ。

だから、良いアルバムに当たる打率は低い。演奏は素晴らしくても、ものすごく上手くても、自分の好みに合わないのが大半なのである。これは、一生懸命演奏していただいた方々には申し訳ないのだが、味覚みたいなもんで、こっちには好き嫌いがある。いくらおいしく調理していただいても、いくら高級食材や、その土地の名物を使ってくれても、好みに合わないものは仕方ない。

それでも、世の中良くできているもので「名盤100」とかのシリーズは、確かにどれもそこそこ味わい深く、聴ける。いい意味で万人受けするアルバムが多いのだ。ジャズ、というと、なんだかこだわったほうが良いのではないかと思いがちな私を、ジャズの名盤はリセットしてくれる。

ジャズは、こだわんないで、名盤だけ聴いていればあるいみ間違いない。間違いなく、楽しめる。そりゃ、名盤と呼ばれているジャズレコードの8割ぐらいはお好みに合わないものかもしれないけれども、それでも、半分くらいはお好みに合わなくても楽しめる。音楽とは不思議なもんだ。お好みに合わなくても楽しめちゃうことがある。けっこうな割合である。

だから、名盤だけ買っていれば安泰なのだけれど、そういうわけにもいかないのが人情である。「駄盤」と呼ぶと失礼だが、そういう、よく分からない評価が定まらないレコードの中に本当に自分の好みにぴったりのものが見つかることがある。これは、外出していてふらっと入った店を気に入ってしまうことがあるのと同じような感覚で、なんとなく、自分の好みに合いそうな聞いたこともないレコードを買ってみて、「やっぱり良かった」、「すごく良かった」ということが稀にあるのだ。この喜びは筆舌に尽くしがたい。

自分だけのお気に入りだと思っていたレコードについて、ジャズが好きな友人にこそり話すと、「あれ、良いよね」なんて言われることがある。「なんだ、こいつまで知っていたのか」と驚くのだが、そういうアルバムは「隠れ名盤」とか呼ばれている。その、自分だけの「隠れ名盤」を探すのがジャズレコード鑑賞の一つの楽しみなのだ。

だから、名盤だけを買っているだけでは、そういう裏の楽しみを味わえない。別に楽しめなくても一向に構わないし、幸せな人生は待っているのだけれども、それだけで終わる人生はなんだかつまらない。秘境に足を踏み入れてこそ、人生の醍醐味を味わえるかもしれない。ジャズレコードにはそういう罠が潜んでいる。

そういう罠をくぐり抜けて生きているのがジャズを回すDJだろう。彼らは、秘境の奥深くまで入り込み、徳川埋蔵金のようなレコードを発掘してくる。CD化されていないような「隠れ名盤」をしこたま発見してくる。

しかし、隠れ名盤は、多少贔屓目に評価していることも忘れてはいけない。自分だけのお気に入りだから、多少の粗は気にならなかったりする。それでも愛せるかどうか、が真の愛なんだと思う。

今夜はその、真の愛の中から、Blue Mitchellの「Stablemates」を聞いている。1977年になって、ジャズなんてとっくのとうに見切りをつけていたと思われていたBlue Mitchellがアルバム一枚、ストレートアヘッドなジャズを吹き込んだ名作である。

私のカントリーミュージックへの入り口 Garth Brooks ”the hits”

一番最初に買ったカントリーミュージックのCDはGarth Brooksのベスト盤だった。高校1年生か、中学3年生ぐらいの頃だったと思う。当時ガースブルックスが何者かはまったく知らなかったけれど、中古CD屋で見かけたテンガロンハットをかぶったジャケット写真から、これは確実にカントリーのCDだとわかった。そして、めちゃくちゃ安かった。きっと400円もしなかったと思う。

だから、試しに買って聴いてみた。

すぐに、そのサウンドが気に入った。フィドルやスチールギターの入った音楽はほぼ初めて聴いたのだけれど、すぐに心地よさを感じた。カントリー独特の歌いかたにはなんだか面食らったが、これは、このおじさん独特の歌いかたなんだろう、と思い、受け流した。歌い方から言ったら、戦前のブルースの方がずっとへんな歌いかただったので、このぐらいの違和感には免疫ができていたのだ。

カントリーのミュージシャンを他に知らなかったので、2年ぐらいはカントリーといえば、このアルバムばかりを聴いた。ベスト盤だったので、入門者の私にはちょうど良かった。当時は、グーグルもYouTubeもなかったから、タワレコのカントリーのコーナーに行くぐらいしか札幌でカントリーの音楽を調べる方法はなかったけれど、そもそも、当時のタワレコにカントリーのコーナーがあったかも覚えていない。そういうところには近づかないようにしていた。

なので、2年ぐらい、カントリーとはこういうもんだと思っていた。基本的には間違っていなかったのだけれど、ウィリーネルソンもハンクウィリアムズも知らなかったから、カントリーミュージックのほんの一面しか知らなかった。

けれども、それでラッキーだったとも言える。自分の中でカントリーの標準を2年間このベスト盤を聴き込むことによって形成できた。これが、今のような便利な時代だと、いろいろ聴けすぎてしまって、何が一体カントリーなのかよくわからずにいたと思う。

そんなこともあって、初めてウィリーネルソンを「発見」した時の衝撃はすごかった。なんて、表現の幅が豊かな音楽なんだろう、って思った。それまで、カントリーといえばガースブルックスのようなさらりとして、あんまり毒のない音楽だと思っていたのだけれど、ウィリーネルソンはなんだか生々しくて、インパクトのある音楽でびっくりした。

そのあと、何年も経ってジミーロジャーズとか、ハンクウイリアムスやらのさらに生々しく毒々しいカントリー音楽を知って、カントリーの深い淵を覗き見てしまった気がした。入り口がガースブルックスだったから、なおさらそういう生々しい音楽への体の反応がシャープだった。

シャープだったからこそカントリーという音楽を好きになれたんだと思う。これが、初めっからハンクウィリアムズから入っていたら、好きにならなかったかもしれない。ガースブルックスはそういう意味では、誰にとっても口当たりのいいテイストだったから良かった。

今ではあんまり聴かなくなってしまったが、そういう意味ではガースブルックスにとても感謝している。

今夜、数年ぶりにGarth Brooks “the hits”を聴いた。じっくり聴いたのは高校ぶりぐらいかもしれない。

20年の時を経て、彼の音楽は色褪せていなかった。

やっぱり、エンターテイメントの世界であれだけ完成された人は、20年ぐらいじゃ色褪せないんだな。

なんだかよく知らないけれど、Buddy Emmonsは知っている。

昨年の春にスチールギターを買って、練習しようと試みた。試みたが、ダメであった。普通のギターもろくに弾けないのに、スチールギターは私には複雑すぎた。

スチールギターというか、ペダルスチールをいきなり購入した。

これもいけなかった。

さらに複雑すぎた。

普通のギターもろくに弾けないのに、ペダルスチールはスチールギターのなかでもさらに複雑で全然理解できなかった。

しかし、楽器というのは、理解よりも先に、何か曲を練習したほうが習得には役に立つので、今後も、モチベーション次第で、ちょこちょこ練習して、簡単な曲で良いので一曲は弾けるようになりたい。とは思っている。

なりたいが、このままではいつまでたっても、弾けないであろう。なぜなら、複雑すぎるからである。

ペダルスチールギターが、家の大きな飾りとなってしまっている。こんなに存在感のあるオブジェは珍しい。

ペダルスチールギターといえば、なにはともあれとりあえずバディー・エモンズである。というか、ペダルスチールギタープレーヤーのリーダー作はバディーエモンズしか持っていない。というか、ペダルスチールプレーヤーの名前は、バディーエモンズぐらいしか知らない。

カントリーが好きだから、もちろん、他のプレーヤーの演奏も聴いているのだけれども、名前まで覚えている人は少ない。それなのに、ペダルスチールギターを買ってしまった。なんて、愚かなんだろう。

それで、とりあえずバディーエモンズを聴いている。この人は、カントリーと言うよりも、もっと幅広いジャンルで活躍しているので、ひとことでどんな演奏とは言えない。言えないのだが、あえて言葉に表現すると、ペダルスチールギターという楽器を駆使し、それまでギターでは鳴らせなかったようなコードを巧みに、自由自在に操り、まことに勢いよく音楽を奏でる人である。

全然、言葉にならなかった。

とりあえず、聴いていただけると、凄さがわかっていただけると思う。というよりも、バディーエモンズの名前を知らない方でも、60年代ぐらいのカントリーを聴いたことがある方は、知らず識らずのうちにこの人の演奏を耳にしているだろう。ペダルスチールギターという楽器を今の形にしたのは、この人である。Sho-BudもEmmonsもこの人が中心になってできたブランドだ。

今でこそ、ペダルスチールギターという楽器はカントリーじゃメジャーな楽器であるけれども、そういう風になったのは、ひとえにこの人のおかげだと思う。それまでは、ペダルなんて便利で複雑なものは付いていなかったから、いろんな和音を出すために、ネックが4つも付いているスチールギターなんかを使っていた方もいる。スチールギターっていう楽器そのものがもう、和音を前提にしている楽器だから、こういう複雑なことになる。

そういうもともと複雑な楽器を、さらに複雑にしたのが、このバディーエモンズという偉人である。巨人である。コロッサスである。スチールギター界の太陽のような人である。この太陽がまぶしすぎて、私のように、ペダルスチールギターに明るくない人間ですら名前を知っていて、CDも持っている。あまつさえ、ペダルスチールギターまでも買ってしまった。

そういう人のレコードを夜な夜な聴いている。