また秋が来た

盆が過ぎると秋というのはわかっていながらも、東京の8月は暑苦しく、秋が来ても体感的には気づかない。暑い暑いと汗をかきながら、8月を過ごすのが毎年の常というものである。

9月が半分以上過ぎて、ふと、涼しさを感じるようになった。洋服屋から夏物の半袖が消え、あまつさえカシミアのコートすら並び始めた。たしかに夏は過ぎていったのだ。

今年の夏のおとづれはどんなだったのかは覚えていない。ただ、やけに暑い夏であったことだけは覚えている。新型コロナウイルスのニュースもだんだん気にならなくなってきた頃、夏がおとずれた。ものすごい湿度の梅雨が続き、部屋中のものにカビが生えてしまい、カビキラーで拭き掃除をしていたと思ったら、知らぬうちに暑苦しい夏が来ていたような気がする。とにかく、今年の梅雨は本当にジメジメした嫌な梅雨だった。

梅雨が明けたのがいつだったかはよく覚えたはいないけれど、そのあとは何日も暑い日が続いた。とにかく暑い夏だった。

今日は4連休最後の日。散歩に出かけた。御茶ノ水まで電車で向かい、楽器屋を数件見て、レコード屋を見るというだけの散歩。4連休とは言っても、どこに行くわけでもなく家で過ごしたけれど、毎日家の近所に散歩には出かけた。昨日は西新井まで電車で行き、昼ごはんを食べて帰ってきた。

それでも、コロナの影響はまだ続いているのは事実だろう。私は、旅行にはあまりいかない方なんだけれど、4連休もあれば、妻の実家に帰省するなりなんなりが出来たはずだが、今回はどこにも行かなかった。

その代わりに、毎日少しづつ小さな外出はして過ごした。

今日、御茶ノ水から、上野まで歩いた道すがら、ふと、もう暑くなくなったということに気づいた。とくに、秋の花を見たわけでもなんでもなかったが、ふと秋の訪れを感じたのだ。

帰宅したら、一人だった。

私は、とりあえずステレオのスイッチを入れて、音楽を聴いた。Valery Afanassievの弾くFranz Schubertのソナタ。シューベルトのこの曲はこの季節にふさわしいような気がした。

秋の深まった森の中をどこまでも歩くような爽やかでいて、すこし肌寒さを感じる音楽。ピアノ一台で演奏されているのにもかかわらず、どこかティンパニーや、コントラバスの音が聞こえて来るような不思議なところがある。Afanassuevがどのようなピアニストか、私は詳しくは知らない。ただ、この演奏は格式が高いシューベルトというよりも、どこかアンビエントな雰囲気のある内省的な演奏だと感じる。特に1楽章は。

20分にも及ぶ1楽章だけを聴いたら、妻と娘が帰ってきたので、夕飯にした。夕飯が終わると、疲れてしまって、自室で少しだけ眠った。汗をかいたせいでよく眠れなかったのだが、疲れは少しとれた。

書斎に戻り、再びAfanassievのCDを聴きながら、パソコンに向かっている。私は、一生かかってもこのような大曲をピアノで演奏することは不可能だろうけれど、Schubertの曲は好きなので、何か一曲弾けるようになりたい。あの、映画「さよなら子供達」で主人公が弾く「楽興の時」の第2曲?だったか。あれを弾けるようになりたい。

森田さんのSunnyが素晴らしかった

今日は、帰宅し、夕飯を食べてからまゆたまのオンライン配信ライブ(https://www.youtube.com/channel/UCv-iOMuACyDl7-yXVjWa6pA)を観た。とは言っても、今日はピアニストの森田珠美さんのソロ。ピアノソロ。

リクエストに応えながら、森田さんがそれぞれの曲をピアノソロで弾いていく。My favorite thingsや、どらえもん。アドリブでアレンジして弾く。アドリブでアレンジするだけでも大変なのに、それをリクエストに応えながらやるのはやはり凄い。

私もリクエストをした。何曲もリクエストしてみた。

そしたら、最後に、私のリクエストのSunnyを弾いてくれた。嬉しかった。

奇をてらわないアレンジでSunny。素晴らしかった。

生きるって

我が家には金がない。

金がない一番の理由は、私がいつも無駄遣いをしてきたせいであるし、それは弁明のしようもない。今まで、社会人になってから月末にお金が残っていたことはない。当然貯金もない。

だからと言って、心まで貧しくなってしまってはいけないので、心までは貧しくならないように気をつけて入るけれど、心を豊かにできるのは唯一、金である。

思えば、今まで家庭のために何もしてこれなかった。稼ぎが少ない私は、妻の収入に頼り家計をつないできた。

その妻も仕事を辞めてしまった。今となっては本当に貧乏暮しになってしまった。

ある時、自宅でくつろいでいると、妻がおもむろに話を始めた。

今日は10日だけれど、我が家には今月あと8,000円しかないのだよと。あと八千円で25日の給料日までに何とか凌がなければならないのだよと。それで、あんたは昨日も酒を飲んできたじゃないかと。

私は、そんなしみったれた話が嫌になってしまい、妻の財布から三千円を抜いて酒を飲みに家を飛び出した。

安酒屋で酒をしこたま飲んで12時頃に帰宅すると、ぼんやりと家に明かりがついていた。

家の中は、裸電球で照らされ、ダイニングテーブルの椅子に妻が座っていた。初めは気付かなかったが、妻は造花作りの内職作業を続けていた。私は、すっかり酔いが覚めてしまい、とりあえず流し台に行き、コップに水を汲み勢いよく飲んだ。

妻は、小さな声で私に、

どうだった?お酒飲んで楽しかったかい?美味しいお酒は飲めたかい?

と聞いた。私はつまらなくなってしまい。

そんなの楽しくなんかはないやい。酒を飲んで気持ち悪くなっただけだよ。

と吐き捨てて、寝床に着いた。貧乏とは自家中毒ようなもので、一度そのスパイラルに入ると、どんどん悪化していくものなのだ。

たまには、アジの干物を夕ご飯に食べたい、今日この頃である。

部屋を片付けた、ハモンド入ると良いな

暑い日々が続きますが、皆様のご機嫌はいかがでしょうか。特にお変わりないでしょうか。

今年は、新型コロナとかで皆マスクをつけているおかげか、夏風邪などあまり流行っていないのか、はたまた流行っているのか、よくわかりませんが、私は元気にしております。だんだん、この新型コロナウイルスなんかにも慣れてきてしまっていて、会社は知らないうちにすっかり通常運転に戻っております。景気はどうなんでしょうかね、私の周りはすっかり景気の悪い話ばかりを聞きます。

週末なんかも、派手に出歩いたりはできないのでしょうが、昨日渋谷に散歩に行くと、以前通りの人出でした。世の中、だんだんコロナにも慣れてきたのか、これは良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが、そもそも、良い悪いで人は行動しないですからね。

それでも、私も外出は以前よりもすこし控えめ気味にしているつもりです。この、なんでも控えめ気味ぐらいが世の中丁度良いのかもしれません。なんでも一生懸命というのも、それはそれで良いのですが、人生長いので調子良いときも、調子が悪いときもあるのは仕方ありません。

かくいう、私も、ここ1年ぐらい(いやもうちょっとかな)仕事ではスランプに陥っているところです。どうも、毎日調子が上がらない。物事に集中して取り組めない。そのせいなのかなんなのか全然ポジティブなアウトプットがない、という状態が続いております。その一方で、物欲などは衰えていないので、これは仕事だけの問題なのか、または体調そのものが良くないのかはよくわかりませんが。あんまり調子が良いのも、いままで悪い兆候だったということもあるので用心しなければなりません。

自分で、ちょっと不調だなと思いながらやっているのはなかなか辛いことですが、これがなかなか人に説明するのは難しい。そもそも、そういう悩みはわかってくれる人がおりません。人間というのは孤独な生き物だということをこういう時こそつくづく感じます。

一方で、調子が良いと本人が思っているときはもっと要注意。私なぞは調子が良いのは長続きした試しがない。調子が良いと自分で思っていると、すぐに体調を崩してしまいかえって痛い目にあいます。だから、このいまのネガティブな気分さえなんとかなれば、少し不調なくらいで仕方ないのかもしれません。

このような、不調が続く毎日ですが、ちょっと日の光が見えてくるようなことがあります。人生捨てたもんではありません。捨てる神あれば拾う神あり。といえば言い過ぎでしょうか。

実は、ある知り合いからハモンドB3を貸してもらえるかもしれないのです。Hammond B3といえばジャズオルガンの名器、オルガンの世界の金字塔です。山でいう富士山。車でいうクラウン。相撲でいう朝青龍。時計でいうグランドセイコー。トランペットでいうバック。ピアノでいうスタインウェイ。スピーカーでいうJBL。オルガンでいう、、あ、オルガンではHammond B3でした。

なんだか、国産品やらなんやらしか思い浮かばないのは庶民の悪いところです。しかし、B3は庶民ではなかなか所有することはできません。まあ、わたしも別に所有できるわけではありませんが。それでも、B3が自宅に来るかもしれないのです!!

まず、困ったのは置き場所です。なんせB3は130cm四方ぐらいの場所をとる。自宅にそんなスペースはなかったのですが、なんとか片付けてスペースを作りました。次の問題は重量。これがゆうに200kgくらいあるのです。うちみたいなぼろ家の床が耐えられるのか。不安なところです。B3だけならなんとかいけるかと思いますが、問題はその上に座って弾くということ。これだけでも、床が耐えられるのか不安なところです。それでも、なんとか置きたいと思い場所を空けました。それもできるだけ窓際の床を。

最後の問題。これが一番の難関です。

果たして家に搬入できるのか。以前のアップライトピアノの経験から、玄関入れは絶対に無理ですので、窓入れになります。これが、掃き出し窓の一つでもあれば良いのですが、悲しいかな下町暮らし。そんなものはありません。なので、1階腰窓、ユニック入れです。果たして入れれるのか、心配です。

もし、入ったところで、ハモンドを演奏できるのか、という問題はありますが、演奏できるかどうかは二の次です。

それよりも、東京の50hz電源で使える仕様になっているのか(サイクルチェンジャーは付いているのか)、そもそも音はなるのか。などと、わからないことはたくさんあります。

心配してみたとことで、家に入らなければ始まりません。それ以外の問題は、少しづつ解決することとして、まずは家に入れることからです。まあ、音が出なければ、単なる場所をとる高価な粗大ゴミですが。それも仕方ありません。ハモンドを家に入れるという夢を叶えるためには、そのぐらいのリスクは背負わなければなりません。

ハモンドの修理って、いったいいくらぐらいになるんだろう。メンテナンスっていったいいくらぐらいになるんだろう。

不安なことばかりですが、とりあえず、まずは家に入るかがさしあたっての問題です。

ハモンド、家に入ったら良いな。

さよなら夏休み

今年の夏休みが終わった。今年は、コロナとかでどこにも行けず、家で寝転んだり、近所に散歩に行ったり、酒を飲んだりして過ごした。なんとも夏休みらしい良いお休みだった。

そもそも、私は旅行の類が得意ではない。だから、むしろ家にずっといる方が気楽で良いのだ。来年の夏休みも、もしコロナが終息していたとしても、また同じように家でゆっくり過ごしたい。

こういう、お休みの時こそ楽器を練習するチャンスなのだが、今年の夏休み中には、ちっとも楽器の練習をしなかった。そもそも、楽器すらほとんど触れなかった。今日は、休みが最後なので、ちょっとだけギターを練習できた。ほんとうに申し訳程度に練習できた。

心に残る、静かな夏休みだった。

いつかはBob Jamesの曲を

我が家にはRhodesピアノが2台ある。一台はRhodes Stageでもう一台は、Rhodes Suitcaseだ。なぜ、2台も持っているかというと、これはもう道楽の世界で、実際のところ本当に2台も必要なのかは怪しいところなのだけれど、トレモロを楽しむためにはどうしてもSuitcaseが必要になるし、書斎に置くにはStageが丁度良い。

それで、2台ある。

なぜ、シンセに入っているローズの音源ではダメなのかというと、これはもう、ローズを触ってみたことがある人にしかわからない世界である。生のローズにはそれにしかない感触がある。特に木製鍵盤のRhodesは格別である。

私はRhodesピアノの音が好きで、いつも、聴いていたいぐらいだ。とくに、Bob Jamesの弾くローズの音は良い。彼がどのモデルでレコーディングしているのかは知らないけれど、彼のローズの音には、彼にしか出せない何かがある。あの音はスーツケースでしか出せない。したがって、スーツケースはどうしても必要なのだ。

それでは、ローズで何かを弾けるのかと言われれば、何も弾けない。私は、鍵盤楽器はほとんど弾けないのだ。

いつかは、ボブジェームスの曲を一曲でも弾けるようになりたいものだ。

ゴミ同然で手に入れたGretsch 6117

約10年前に、1964年頃製造のGretsch 6117、いわゆるDouble Anniversaryを楽器屋で発見した。その時は、ボロボロで、ゴミ同然の状態だった。ネックはかろうじてボディーにくっついていたが、いつ取れてきてもおかしくないような状態だった。

楽器屋に値段を聞くと、まだ値段はつけていないという。

値段が付いていないのでは仕方がないので、そのまま帰ろうとしたのだが、なんとなく不憫に思い、もし値段が出たら教えてくださいと一言伝えて、連絡先をおいて店を出た。きっと15万〜20万ぐらいにはなってしまうだろうな、と思っていた。その頃比較的綺麗な60年代のグレッチのアニバーサーリーはだいたい25万円ぐらいだった。

数日が経って、仕事をしていると、携帯電話が鳴った。楽器屋からだった。電話口でそのグレッチの値段を言われた時、思ったよりも安かったので、驚いたのを覚えている。

「ただ、状態が酷いんです。もはや楽器として機能しません。その上での値段です。」と伝えられた。

その日、仕事帰りに楽器屋まで飛んで行った。楽器屋で改めて見てみると、その楽器は酷い状態だった。ピックアップは最近のフィルタートロンに交換してあったのだが、どちらも高さが合わなかったらしく、ブレーシングを削って、大きなキャビティーを開けてピックアップがマウントしてあった。そのため、ブレーシングは折れる寸前で、出てくる音もガラガラという酷い音だった。

それでも、楽器屋にお金を払って、ギターを梱包してもらい店を出てきた。

そのあと、10年間のうち、2回ほどネックを取り外してリセットした。60年代のグレッチのネックジョイントの工作精度はひどく、いくらリセットしても、所詮は素人仕事、何度やっても起きてきてしまう。

今も、いつ何時またネック起きが始まるかはわからないけれど、弦を張り、2日が経過した。その間に、ネックの反りを直し、フレットを磨き、なんとか音が出るようにまで回復した。

ブレーシングはスプルース材で埋木してキャビティーのようになっていた箇所は直したのだけれど、まだガラガラという音しか出ない。それでも、買ってきた当初よりはだいぶマシになって、一応ハコモノの音が出るようにまでなった。

ピックアップは10年ほど前にヴィンテージのハイロートロンとディアルモンドの安物に付け替えたままだが、かろうじて良い音が出ているので、そのままにしている。

これ以上、このギターにお金をかけるわけにもいかないので、今できる調整だけしているのだけれど、いまでも、いつ壊れてきてしまうかはわからない。

ライブに使えるわけでも、練習に持っていけるほど頼りになるわけでもないけれど、大切な私の相棒。Gretsch 6117.

出自不明のリゾネーターギター

色々なギターを今まで買ってまいりましたが、その中には、一体これなんだったっけ、というものも幾つかあります。それは、買ったことを覚えていないとか、そういうものではなくて、ボディーだけ買ったとか、ネックだけ買ったとか、そういったものが複雑に組み合わさって、気がついてみたら、これはもともとどこのなんというギターのボディーという触れ込みで買ったのか、などという代物が出来上がっていたりするのです。

今、私が押入れから取り出してきたギターもその一台で、ヘッドにはJohnsonと書かれているので、あの中国製のリゾネーターとかを量産しているJohnsonのギターのように見えます。しかしながら、私の記憶を辿ると、確か、このJohnsonのネックは、どこか楽器屋でジャンクで三千円ぐらいで買ったもので、ボディーは別のところから2万円だったかで(いや、もっと安かったかな)購入したものです。

Johnsonの方は、Johnsonと書かれている以上、確かにJohnsonのエレキギターのネックだったのでしょう。作りはチープで、木材もよく分からないクオリティーで、デザインも垢抜けないですが、グリップが太めで弾きやすいネックです。ギターのネックは、こうでなくちゃならん、とまでは言いませんが、私好みの太さです。

ボディーの方は、これがまた、どこにもなんとも記載されておらず、いったいこのボディーはなんだったのかと思い出せずにおります。

エレクトリックの、リゾネーターで、ピエゾとリップスティックピックアップが付いているので、そのミックスで使えるエレキドブロの定番の構成ですが、いかんせんボディーが軽いので、どうも、ネックとのバランスがイマイチです。イマイチなのですが、膝に当たる方のくぼみが、どちらかというとヘッド側に寄っている為、膝に乗せて弾いてもかろうじてヘッド落ちしないで弾けるか弾けないか、と言うような塩梅です。

いま、試しに膝に乗せてみましたが、やっぱり、ヘッドの方が重いようで、上手くバランスは取れませんでした。

しかし不思議なもんで、このニコイチのギターなのですが、ネックが思いの外ぴったりとネックポケットに収まっているのです。そして、リゾネーターギターの宿命、ネックのスケールがぴったりでないと、通常はオクターブチューニングを合わせることができなくなるのですが、不思議なことに、このネックとボディーはスケールがあっている為か(まあ、多分普通のフェンダースケールなのでしょうが)オクターブチューニングがかろうじて合っているのです。

このギターは、もしかしたら、ニコイチでなくてもともと、この状態で売っていたのかしら、と考えてみたのですが、よく見ると、ネックジョイントのあたりを削った跡があります。私の記憶が正しければ、確か、このネックのヒールの部分を、のこぎりでゴシゴシ切断した記憶もあります。

やっぱり、ニコイチだったよなぁと、しみじみ思いながら、久しぶりにこのギターを爪弾いておりますが、エレキとはいえ、リゾネーターが付いている為、生音がとても騒がしい。夜中に練習する為にはちょっとうるさ過ぎるようです。

また、しばらく、押入れに寝かせといて、次のバンド練の時にこっそりと持ち出してみようかなどと考えております。

もし、このギターのボディーがどこのメーカーのなんというモデルのボディーか、ご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただければ幸いです。

Lenny Breauという孤独

ピアニストは元来孤独な存在であるということを、先日まで働いていた職場で強く感じた。ピアニストは独りで完結するから、いつも孤独であると。

確かに、ピアノという楽器の特性上、一台の楽器でメロディー、コード、ベース総てのパートを受け持つことができる。私は、ピアニストではないから、詳しいことはわからないけれど、ピアニスト一人いれば、音楽は成り立つ。

それは、クラシックの世界だけでなく、ジャズにもピアノソロのアルバムは存在するし、ピアノソロのコンサートも開催されている。いわんやクラシックの世界でピアノは多くの場合ソロで演奏される。器楽の伴奏とか、室内楽、コンチェルトのソリストとしての演奏場面はあるけれど、クラシックでピアノの出番といえば、圧倒的にソロが多いのでは無いだろうか。

ピアノソロ、というものを鑑賞するのが私はあまり得意ではなかった。それは、クラシックもジャズも同じで、ピアノという楽器の音色だけでは、なんだか物足りないような、そんな気がしていたのだ。ピアノソロの弾き語り、というのであればその範疇では無いのだけれど、歌もなく、ただピアノのん音色だけで一つのコンサートを聴くというのは、これがまたなかなか疲れるのである。

ピアノソロの鑑賞には集中力が必要だ。

あの、「ピアノの音色」のなかに、歌をみいだして、そこに絡まる対旋律やハーモニーの妙味を聴き取るのはなかなか大変な作業である。そこには、オーケストラほどの多彩な音色は存在しないし、その一方で、ピアノの音色というのは思いの外多彩なのである。そこまで聴き込まなくては、ピアノの音楽というものは聞こえてこない。

ギターという楽器も、ピアノ同様に孤独な楽器である。こと、クラシックギターは多くの場合ソロで演奏されるという意味でもピアノと同様である。同様に、ソロで演奏される楽器でありながら、ギターはピアノほど多才な楽器ではない。できることに限りがある。音色のヴァリエーションも、ピアノほど様々ではない。

クラシックギターと一般に呼ばれる楽器は、フラメンコギターや、フォークギター、エレキギターと違い、ソロで聴かせることを想定して作られている。もちろん、エレキギターや、フォークギターでソロ演奏をする場合もあるのだけれど、クラシックギターの音色は、その他のギターに比べふくよかでいて、一音一音に芯があるようにできている。

Lenny Breauという、ギタリストがいる。彼は、チェット・アトキンスに見出されてデビューしているから、分類で言えば、もともとカントリーのギタリストなのかもしれないけれど、彼のキャリアのほとんどは、ソロのインプロヴァイゼーションを行っていたから、ジャズギタリストとも言えるし、既存の音楽のジャンルにとらわれない活動をしていたとも言える。

今夜は、その、レニーブローのCDを聴いている。

ギターソロで奏でられる、彼の音楽は、どこか暗く、乾いている。私は、彼のギターの音色が好きだし、彼が奏でる音楽も好きなのであるが、どうしても、それが心地よく感じられない。彼の演奏には、影があるし、その影は私を不安にさせ、暗い気持ちにさせる。

そんなCDを聴いいていると、落ち着きや、癒しというものとはまた違った自浄作用をもたらしてくれる。これは、クラシックギターの音色のもつ孤独さによるものかもしれない。

独りきりの世界に浸りたかったら、聴いてみてください。Lenny Breau。

 

 

フリオ・イグレシアス!

今日、明日と仕事のお休みをいただいた。

お休みは割とちゃんといただいているのだけれど、家にいても落ち着かないので、休みの日も仕事場につい行ってしまったりすることもここ最近あったのだけれど、今日ばかりはゆっくり家で休んだ。ちょっと御茶ノ水に1時間ほど行ってきたけれど、それ以外は特に外出らしい外出もせず、酒も飲まず、昼寝もせず、一日中音楽を聴いていた。

ここ最近、暑い日が続いたせいか、夜の寝つきが悪く、昨日は寝るために銭湯に行って汗を流したのだけれど、結局CDラックにあるAORを片っ端から聴いて夜1:30になってしまった。AORなんて、あんまり聴かないのに、職場の友人とAOR談義で盛り上がり、それで急に聴きたくなり、夜中まで聴いてしまったのだ。

AORの話は、さておいて、今日も日がな一日音楽を聴いていた。

今日は、朝から、妻のパソコンでジャズのYouTubeを聴いていたりしたら、止まらなくなってしまい、書斎にこもって爆音でオトナの香りがするビッグバンドもののジャズバラード、それも歌ものばかりを聴いて1日を過ごした。お仕事をされている方もいるというのに、誠に呑気な休日を過ごしてしまい、世間様に申し訳ない。

私は、普段あまりビッグバンドもののジャズは聴かない。暑苦しいからだ。この残暑の中ビッグバンドやラテンものは暑苦しくてつらいと感じてしまう。ところが今日だけは違って、ラテンものなんかも聴いた。フリオグ・イレシアスなんかも聴いてしまった。