もう、歌いたいだけ歌っていただきたい。Chet Baker Sings Again

Chet Bakerが好きで、ここ15年ぐらいじっくりと聴いている。チェットのリーダーアルバムは100枚以上出ているらしいのだけれど、40枚ぐらいは持っていて、50年代のものよりも、後期のものを盛んに聴いている。

最近、ずっとペダルスティールのアルバムを聴きこんでいたのだけれど、ちょっと聴きすぎてしまい、ペダルスティールに疲れているということもあり、久々にまたチェットのアルバムを聴いている。

ペダルスティールギターをこっそり練習しているのだけれど、なかなか上達しない。楽器は十分すぎるほど揃っているのだけれど、楽器の腕前はちっとも上達しない。こればっかりは仕方ない。練習時間が足りないのもそうなのかもしれないけれど、ペダルスティールは奏法が難しい上に、分かりやすい教則本の類も少ない。教則本をはじめのページからゆっくり読んでいても、ちっともペダルスティールの美味しいところに到達できる気がしない。

それで、ちょっとしばらくペダルスティールのレコードから距離を置いている。

気晴らしにトランペットを吹いてみたりしたのだけれど、これがまた難しい。トランペットは絶対音感だろうが、相対音感だろうが、音感が重要な楽器なので、それが苦手な私にはとてもきつい。

まあ、それでも、トランペットについてもギターについても、とてつもなく上達したいという志からは程遠いところにいるので、心の平穏を保っていられる。トランペットはいままであまり真剣に練習したことはないのだけれど、手元にある簡単な教本の練習曲のさわりの部分ぐらいは吹けるので、それが日々少しづつ吹けるようになれば御の字といったところで、楽しんで練習できる。

対してペダルスティールは難しすぎて、曲というものを一曲もマスターできていない。人前で「ちょっと弾いてみてください」などと言われても、ちっとも弾けない。これはこれで結構ストレスフルだ。けれども、40歳をすぎて新しい楽器を習得するというのはなかなか頭の体操になって良い。

話を戻して、チェットベーカーである。

今夜は彼の後期の作品、オランダ録音のSings Againというアルバムを聴いている。

あのChet Baker Singsにかけて、Sings Againなんだろう。内容も、My funny Valentineを演奏していたりSings Againの名に恥じない名盤である。

私は名盤Chet Baker Singsよりも、はっきり言ってこのSings Againの方が好きである。チェットの歌もトランペットも枯れきっていて美しい。ソロも、たいしていっぱい吹かないし(それは Singsでもおなじなのだけれど)トランペットの音域もとても抑え気味で無理しない範囲で吹いている。それが、とにかく安心して聞いていられるし、肉と魂が詰まっているような気がして心を揺さぶられる。

歌の方は、チェットの晩年の作品の中ではかなり「しっかり」歌っている。それも好感が持てる。

実は私は20代の頃チェットの歌は好きではなかった。なんだかちょっとなよなよしていて、かっこいいチェットのイメージから離れている気がしていた。けれども、これも含めてチェットベーカーなのだと思えるようになってから一気に引き込まれた。今は、とても心にしみる。チェットベーカーの歌は、まるで聴いている自分のためだけに歌ってくれているような親密感がある。本人も「余興」のようなノリでやっていたのがいつの間にか本業になってしまったかのような戸惑いさえ感じているのかもしれない。けれども、そこが良い。

世界一上手い歌手でないところが良い。

スキャットのアドリブも、トランペットのアドリブも、どちらもチェットの紡ぎ出す陰鬱で、しっとりとした魅力がある。できることなら、チェットにはもっと長生きして欲しかったような、これ以上やつれたチェットの姿は見たくなかったような、複雑な気分にさせられるところも良い。

私は、チェットベーカーという音楽が好きなのだ。

Sings Againとかもったいつけないで、もうこのまま歌いたいだけ歌っていて欲しかった。

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