既視の街を手にいれた。

先日、中野のまんだらけで金井美恵子、渡辺兼人の「既視の街」を買った。渡辺兼人はこの本の写真で木村伊兵衛賞を受賞しているから、彼の代表作とも言える。

写真集としては、印刷がそこまで綺麗でもなく、小説の挿絵にしては主張してくる写真群がこの本を特殊なものとしている。小説は、妙に暗く、それでいて重すぎない。むしろ、何気ない日常を撮っている写真のほうが重い感じすらする。

もし、これらの写真が、もう少し軽い印象を受ける作品群であったら、この本はここまで異彩を放っていないだろう。その一方で、また、この小説がもっとドラマチックなものであったら、これらの写真も生きてこないだろう。その絶妙なバランスで、この本は成り立っている。

写真と、小説に関連性がなく、かつ、両方の持つ世界観がこれほどまで当たり前に共生できているのも不思議だ。この本は、写真集でもなければ、小説でもない。まさに、写真と小説が合わさり一冊の本となって完成している。

なんだか、この本について、私が今書けるべきことが整理できていないので、続きはまたこんど。

1930年代のコンパクトカメラ

最近、写真が懐かしくなって、物置から古いカメラを出してきていじっている。

今日、暗室にしている物置から、1930年代のカメラを出してきた。1930年代当時の小型カメラ。

ガラス乾板を感光剤に使っていたのから、フィルムが出始めてきて、シートフィルムの時代があったらしい。らしいらしいで恐縮だが、1900年代の初めぐらいにロールフィルムというのが出てくるのだけれど、一般的になったのは1930年台をすぎたぐらいから。だんだんレンズの性能も上がってきて、小さなフィルムのフォーマットでも画質が安定するようになり、1935年ぐらいから一気にロールフィルムの時代がやってくる。

今日取り出してきたカメラも、もともとはガラス乾板もしくはシートフィルムで撮影するためにできたカメラだが、専用のロールバックをつけることにより、ロールフィルムでの撮影も可能となっている。

私が20代の頃、カメラマニアだった頃に、新宿のカメラ屋で購入した。レンズには、カールツァイスのテッサーが立派にも付いている。

すでに生産から90年が経っているので、外装はボロボロだが、まだまだ使えるカメラだ。さすがはテッサー、よく写る。

こんなカメラを出してきて、いつ使うのかもわからないけれど、とりあえず、写真とカメラが好きだった我が青春時代の遺品として、愛でている。

Viva 瀬戸正人

私は20代の頃写真が好きだった。好きで好きで、写真家になりたいとすら思っていた。3,000本以上のフィルムを消費し、自分のアパートの部屋に暗室を作り、日夜写真現像にうつつを抜かしていた。

その頃に、金村修さんという写真家のワークショップに出入りし、写真を習っていた。金村先生は難解な言葉を使うことなく、わかりやすく写真を言葉にしてくれた。その言葉を頼りに、バチバチ写真を撮り、ティッシュのように印画紙を消費していた。

それから15年ほど経ち、30代半ばに1年間ぐらいまた写真熱が再燃し、瀬戸正人さんの主宰する「夜の写真学校」に通っていた。瀬戸先生も、なんでも質問したらなんでも答えてくれた。写真は撮った写真を自分で選べるようになるしか上達の手段はない。写真が選べるようになると、自分でどのような写真をとるべきか、撮りたいのかがわかってくる。

上手い写真を撮るというのは、訓練であるが、良い写真を撮るというのは、なかなか訓練ではできない。訓練の上に、引きの強さと、執念がなければならない。ギャンブルに勝つためにはひたすら賭けまくるしかないように、良い写真を撮るためには、ひたすら撮りまくるしかあるまいと思い撮影していた。

近頃は、写真はiPhoneで撮れるようになり、誰もが並の写真家の数倍の量の写真を撮るようになった。だから、もう、写真家の時代は終わったものだと思っていた。それと同時に、私の撮影機材と暗室道具はカビが生えてしまい、ほとんど使われなくなってしまっていた。

そこに、舞い込んできたニュースがあった。東京都写真美術館で瀬戸正人の展覧会が開かれているとのことであった。それを知った翌日、私は瀬戸正人展を見に行った。

瀬戸正人展を見て、すぐに感じたことは、瀬戸正人ぐらいの強力な写真家にとってはiPhoneの脅威はなんのこともないのだと。今の時代、写真を撮り、発表し続けることの厳しさは私の青春時代の2000年代どころではないだろう。

あの頃は、誰もが今のように大量の写真を撮るということはできなかったし、そのような人もいなかった。今は写真を撮るという行為がなんら特別なことではない。だからこそ、写真で何を撮りたいのか、写真がどこに向かっているのかを強く意識して、強くプレゼンテーションしなくてはいけない。そして、強力な写真群を、一貫性を持って見せることができる写真家のみが生き残れる時代になっているのだと思う。

それを考えると、60年代の写真家、ウィノグランド、フリードランダーの写真はすごい。あの時代からそれをやってのけている。結局、写真の本質とはそこだったのだと、今になって思い知らされる。これは当たり前のことではあるけれど、今になって写真とはなんであったのかの定義が再び明らかになろうとしている。

そして、偉大な写真家達は、撮りながらその答えをそれぞれに持っていたのだろう。

私の好きなスデクの写真もそうである。静かでいて、写真に一貫性がある。力強い写真ではないけれど、力強いまとまりがある。そのまとまりがすこしぼんやりしているようにすら見えるのも不思議だ。スデクは、強力な写真家というのとは少しイメージが違う。どちらかというと静かな写真家だ。しかしながら、彼の作品群には、スデクの写真であるということを超えた、写真であることの必然性のようなものがある。

スデクは、写真でみたこの世界を写真というメディアを通して再構築した。当たり前のことをやっているようだけれど、それが、写真で写真を表現するというのはとても難しい。難しい上に根気がいる作業である。それを、生涯を通して、一貫して行なっている。その上、それらの写真群はどれも、陰鬱でありながら清々しい。

瀬戸正人という写真家も、スデクのように、写真というもので写真の世界を再構築しているとも考えることができる。それは、優れた写真家の多くがそうなんだけれど、写真で写真を表現するということの難しさは、私には到底知りえないぐらい途方もない作業だと思う。

きになる方は、ぜひ、瀬戸さんの写真を見てみてください。写真家であるということの途方もないパワーを感じますから。

Our little old C. BECHSTEIN V

今日は、体調がすぐれなく仕事を休んでしまった。

この季節は、どうも体調を崩しやすいので気をつけなければならない。体調を崩してしまわないように大事を取った。これで良かったのだろうか。良かったことにしよう。

それで、一日中家にいたのだが、退屈なのでリビングのピアノの写真を撮った。カメラは、雨漏りの中でなんとか生き残ったミノルタフレックス。私が学生時代に札幌で購入した6x6の二眼レフ。なかなか渋い写りのレンズが付いている。

本当なら、こんな写真を撮る暇があったらピアノを練習する方がいいのだが、今日はその気力もわかずに、写真のプリントだけして、休んでいた。

6x6は難しい、と色々な方に言われるのだけれど、それは、きちんとした写真を撮ろうとするから難しいということだろう。こうやって、パチリパチリと撮っている分には、構図とか何にも考えなくても取れるので楽なカメラである。

 

写真よりも言葉の方が強いんじゃないか

上海の星光撮影機材城にある写真書籍店で、上海の写真家と思われる路汀の「尋常」という写真集を買った。

名前も、写真集の題名も漢字変換で出てこなかったので、正しい題名はなんという漢字なのかはわからないけれども、店にあった上海の写真集で一番気に入ったので買った。

この、路汀という写真家は、詩人のような人なのかわからないけれども、写真のキャプションとして詩のようなのが書かれている。

こういう時に、中国語を勉強しておけば良かったと後悔するのだ。

良い写真集を見つけても、いったいこの写真家が誰なのか、書かれているキャプションが何を語っているのか、まったくわからない。わかるのは、掲載されている写真が好きかどうかだ。

この写真集に載っている写真はどれも、日常のスナップだ。そのスナップがさりげなくて良い。写真は言語化できないからこそ、中国語を介さずとも見ることができる。これは、とても便利なことなのだが、便利なだけではダメだということがこの写真集を買ってわかった。結局は、言葉が一番大事なんじゃないか。

60年代のスタイルの写真作品からの橋渡し Mitch Epstein「Recreation」

70年代に入ってから、写真家の多くはカラーの作品を発表するようになった。正確には1969年にWilliam Egglestonがジョン・シャーカフスキーに出会い、1976年にニューヨーク近代美術館で個展を開くまで、美術館でカラー写真をアート作品として取り上げられることはほとんどなかったと言える。

カラーフィルム自体は30年代にはすでに開発されていて、1941年にはコダックがカラーフィルムの現像サービスを開始している。そのあと、60年代に入って世間一般ではカラー写真を撮ることは普及していたのだが、アート作品としてカラー写真が取り扱われることはごく数例を除いてなかった。

1964年にGarry Winograndがグッゲンハイムの援助を受けアメリカ中を旅した際の写真がTrudy Wilner Stackによって「Winogrand 1964」という書籍になって2002年に発行されたのだが、その中にはカラーの写真がたくさん掲載されているから、ウィノグランドは60年代には既にカラー写真で作品を制作していたということだ。その書籍の表紙になっている写真もカラー写真である。それでも、60年代にはアート写真の分野でカラー作品は一般的ではなかった。

70年代のカラー写真作品が纏められて「The New Color Photography」という展示になり紹介されたのが1981年である。この展示によって、1970年代はカラー作品の勃興の時代(いわゆるニューカラーと呼ばれる時代)と定義されたと言えるだろう。「The New Color Photography」ではエグルストンを始めとする70年代を代表する多く(40人ぐらいか)の写真家の作品が紹介された。

カラー写真作品の歴史については、他にもっと詳しいサイトがあるので割愛するが、Mitch Epsteinも1981年の「The New Color Photography」で紹介された写真家の一人で、カラー写真の作品を70年代に制作していた。

Steidlから発行されているミッチ・エプスタインの「Recreation」という写真集には、彼の初期のカラー作品66点が纏められている。

この作品集がちょうど60年代の写真と70年代の写真をつなぐ写真で構成されていて面白いのだ。写真が撮影されているのは1973年から1988年ということだから、70年代と80年代に作成された写真なのだが、それらの写真には60年代の写真の潮流が残っている。そして、同時に確かにそこには70年代のニューカラーの時代性も見えてくるのだ。

彼はウィノグランドに師事したというし、この写真集からはウィノグランドの写真に影響を受けていることは見て取れる。ウィノグランドの60年代の作品のようなスナップショットの手法が用いられ、行楽に興じる人々が撮られているのだが、これらの写真はそれだけの枠に収まってはいない。

同じくニューカラーの時代の写真家Joel Sternfeldの写真のような傍観する視点も飛び出してくるのだ。スタンフェルドは大判カメラを用いて撮影していたので、いわゆるスナップショットではなく、画面の中で写真が構成され、整っている。写真の中で「何かが起きている」のだが、スタンフェルドはそれを淡々とカメラに収める。

エプスタインの写真には、ウィノグランドのスナップショットの要素とスタンフェルドのような淡々とした視線の両方の要素が織り混ざる。そして、そこにエプスタインの写真の持つ精緻さも加わる。

この写真集に掲載されている作品は35ミリカメラで撮影されたものと人から聞いたが、とても35ミリとは思えないぐらい緻密な写真も多い。6×9だという話も聞いたことはあるが、正確にはわからない。

私は、しばらくこれらの写真は5×7インチかそれ以上大きなフィルムで撮られた写真だと思っていた(スナップショットだからそれは無理なんだが)。それほどまでに、整頓されていて、どっしりした写真が多いのだ。もしかしたら、大判カメラで撮られた写真も混ざっているのではないかとも思う。

しかし、ここで重要なのは、使用されたカメラではなく、その作品のあり方だと思う。写真作品のあり方が確かに移り変わっていくその時代が、ここでは示されている。かすめ取られたようなスナップショットから、整頓された画面へと転換されているその間がこの写真集には収められているのだ。

出会いと別れの季節に 「Arrivals & Departures The airport pictures of Garry Winogrand」

もう桜の咲く季節になってしまった。

毎年この時期になるとなんだか知らんがウキウキした気分と同時に憂鬱になる。また、一年が過ぎてしまったのだ。桜が咲いてしまうと、一年が経ったことを確かに感じさせられる。また、春が来たのだ。

春のウキウキ感はなんら根拠のない高揚感である。ただ春だからムズムズ、ウキウキする。もしかしたらこれは季節に対する動物的な反応なのかもしれない。人間も動物だとしたらまあ、長い冬眠から覚めなければならない時期なのかもしれない。もし植物にも共通した感覚なのだとしたら新芽が芽生える時期なのかもしれない。まさか私の心身が植物にまで共通しているところがあるとは考えにくいが。

それに対して、春の憂鬱には根拠がある。

何もできなかった一年間。達成感のない一年間。ムダに歳をとってしまった一年間。そういったものを一気に思い起こさせられる。そういう、敗北に対する憂鬱なのだ。春は憂鬱で然るべきものなのだ。

これはどんなに充実した一年を過ごしたとしても感じてしまう敗北感なのかもしれない。私が社会人の1年目を終えた歳の春も、同じように憂鬱だった。花が咲いて、また訳も分からず一年が過ぎてしまったと思った覚えがある。ただガムシャラに過ごした一年を振り返って、サラリーマンという因果な身分になった自分を呪うと共に、自分を支配する仕事というものへの敗北感と、その仕事も満足に身についていない無力感があった。

まあ、あんまりネガティブなことばかり書くのはよそう。暗い気分になってしまう。

そういえば、春は、出会いと別れの季節ということになっている。世間一般では。

確かに、私も、最初に入った会社では4月1日に人事異動とか入社式とかがあって、「出会いと別れ」があった気がする。それより前に遡ると、学校に通っていたわけだが、3月は卒業式、4月になると新学期である。新学期はクラス替えやら、授業の履修登録、入学式なんかもあってまさに出会いと別れがあった。

あれはあれでよかった。なんとなく体系的に一年という期間を心や体が把握できた。

出会いと別れというのは、生きているにおいて必要な要素だと思う。出会いも別れもないような生活を1年ぐらい続けていると心が鈍ってしまう。

Garry Winograndの撮影した空港の写真を集めた「Arrivals & Departures」という写真集がある。この本は編集者のAlex Harrisと写真家のLee Friedlanderがウィノグランドの残した空港で撮影されたスナップ写真(ほとんどが未発表作品)を選び集めて本にしたものである。2004年、ウィノグランドの死後約20年後に出版された。

空港といえば、まさに「出会いと別れ」の場であるので、こういう季節に空港でのスナップ写真を見るのにはちょうどいいかなあなどと思い、本棚から出してきた。タイトルの「Arrivals & Departures」も、まさに「出会いと別れ」という感じがした。

写真集を開いてみて、掲載されている約90点の作品を見た。確かに出会いと別れの舞台は確かにそこでは展開されている。出会いは、多くの場合が笑顔で、別れは多くの場合寂しい顔をしている。

しかし、まあ、この本を見て印象に残ることはそういうものではない。むしろ、空港にいる人々の虚ろな表情、そして、空港という施設そのものの曖昧で雑多な空間の風景が心に残る。

空港っていうのは、出会いや別れだけでなく、待ったり、手続きしたり、移動したり様々なことが同じ空間で行われている。そこに集まる人々は皆大抵は虚ろな表情をしている。出迎える時と、見送りの時にはニコニコ、シクシクしたりするけれども、あとはただ機械的に移動しているか、列に並んだり、椅子に座ったりして待っている。そういういろいろなことが同時進行的に行われているのが空港という場所なのだ。

空港はそういう意味では街中よりも特殊な空間である。街中ではこれほどたくさんの出会いと別れはないし、待つということもこれほど多くはない。そのような特殊な環境での人々の様子が写真にどう写るのかがここでは示されている。

私の印象としては、街中で撮られたウィノグランドのスナップ写真に写る人たちのほうが表情に多様性がある。空港の人たちはみんな似たような顔をしている。ニコニコ、シクシクしている人たち以外は皆同じような虚ろで黄昏たような表情をしている。街中の路上はもっといろんな人が写っている。街頭には、怒りとか、侮蔑とか、苛立ちとかそう言った攻撃的な表情も登場する。この本における空港の写真ではそう言った表情はほとんど見られない。

これは、写真を選んだハリスとフリードランダーが意図したことなのかもしれない。ウィノグランドの写真の中ではかなりドライで、どちらかというと知的な写真群である。乱暴に分類してしまえば、感覚で捉えられるような写真ではなく、見て考える写真である。見てすぐに驚いたり、恐れたりする類の写真ではなく、観察してから感じる写真である。瞬間で感じるのではなく、見る側の心の中でドラマがある写真とも言える。

ウィノグランド自身が同じく100枚弱の空港の写真を選んで本にしていたら、一体どんな写真集になっていただろう。そこに写る人たちはどんな表情をしていて、空港はどんな空間として写っていただろう。もっと感情に訴える写真集になっただろうか。それとももっと冷たい印象の写真集になっただろうか。

おそらく、彼が作ったとしても、こんな空港のシーンが繰り広げられると思う。彼の死後20年が経過してセレクトされた写真であっても、空港というのはもとよりこういう場所だから、これがウィノグランドが見た空港の風景だったのではないだろうか。

ただ、写真集というのは二、三枚でも違う写真が入ってくるだけで印象が変わるものだから、是非ウィノグランド自身のセレクションの空港を見てみたい。

私の思っている東京の姿ではない 内堀晶夫「街  Tokyo 1976−2001」

東京に住むようになって17年になる。最初の6年間は国立市に住んでいた。23区内ではなかったけれど、私のような田舎者にとっては十分東京である。札幌に住んでいた頃は、茨城、群馬あたりまでは東京という認識だった。その認識は今でもあまり変わらない。

上京してきた頃と、この街の印象はあまり変わらない。新宿、渋谷、池袋、銀座、六本木どこもここ17年間でさほど変わったという印象は受けない。もちろん、東京スカイツリーや、六本木ヒルズを始めとする新しいランドマークは建ったけれども、そんなものは人波、繁華街、住宅街に埋め尽くされた東京という大きなイメージをほとんど変えることはない。

東京は大きな繁華街が数珠つなぎにいくつもあり、その周りにどこまでも果てることのない住宅街が連なっている。駅と駅の間で家並みは途絶えることなく、山手線、中央線、京王線、小田急線その他ほとんどの電車が、家並みの隙間を切り裂くように走っている。これほど電車・地下鉄網が発達した街も珍しいだろう。

そんな東京を写した写真集を紹介したい。

内堀晶夫の「街  Tokyo 1976−2001」という写真集を見た。

20cm角ぐらいの、比較的小ぶりな写真集だ。見開き両ページに1点ずつ掲載されているので、写真の点数は多い(70枚ぐらいか)。小さな写真集のわりに見ごたえのある本である。

東京の街角でのスナップ写真が載っている。街で人物を撮った写真である。一枚一枚の写真の説明はとくについていないので、いつどこで撮られた写真なのかは、写真から推し量るしかない。だいたいどのあたりで撮られたのかがわかる写真もあるのだが、どの写真も私の知っているような東京の姿ではない。

この本の「街  Tokyo 1976−2001」というタイトルから、写真はおそらく1976年から2001年の間に撮られたものだと思う。私が東京に来たのは2000年のことだから、ほとんどの写真は私の知らない時代の東京だ。そういう前提で見ても、ここに写っている街はどれも違和感がある。妙に古い感じがするうえに、どこか異国の街の日常を垣間見ているような気がする。私の住んできた東京はこんな風な違和感のある「生活感」はない。こんなではない、もっとなんでもない日常、一言で言うとつまらない街である。この写真集に登場する街も、あんまり楽しい街ではなさそうだけれど。

巻末に添えられている文章によると、この写真家は東京都国分寺市に住むサラリーマンとのことだ。そう言われると、立川の写真が何点か載っていた。

こういう写真を見ると、東京っていう街は人によってずいぶん見え方が違うんだと思う。ここに住む人にとって、それぞれ街の見え方は大きく変わるんだろう。私の東京の見え方は地方出身者の視点からのものなのかもしれない。泉谷しげるが

ものめずらしい見世物はすぐ飽きて、自分だけが珍しくなってく

と歌っていたけれど、確かに、東京に住むようになって17年目でも、未だに自分はこの街から浮いてしまっているのではないかと恐れることがよくある。自分だけが特別というのとも違う、自分が「遅れている」というような感覚か。

巻末に内堀晶夫さんは長野のご出身だと書かれているけれど、同じく東京の出身ではない自分に、東京はこんな風には見えない。

まあ、この写真集で提示されている東京は、この写真家に東京がどう映っているかではなくて、写真が東京をどう捉えたかであるということは言えるんだけれど。それでも、ここに写っている東京は異国の街のようだ。

良くできすぎているドキュメント 「エルスケン 巴里時代」

YouTubeでContemporary photography in the USAという80年代のドキュメンタリーを見ていた。10分弱のシリーズでいくつかあるようなのだが、Garry Winogrand、Mark Cohen、Joel Meyerowitzのストリートフォトグラフィーを解説しているすごく面白く、実際の撮影現場に密着していて何だか知らんが感心してしまった。まあ、偉大な写真家直々の言葉が聞けるんだから、感心したなんていうのもおこがましいのだが。

それで、インターネット上でWinograndやらMark Cohenの写真を何枚か見たりしていたのだが、どうもその写真の力強さに負けてしまい、本棚にある写真集までは見る気がしなかった。ウィノグランドとメイロウィッツの写真集はいくつか本棚に入っていて、結構好きで何度も開いているのだが、特にウィノグランドは写真に強いインパクトがあり、そういつでも見れない。

それで、もう少し親密な感じがする写真を見たくなり、たまたま本棚で目に付いたEd van del Elskenの「エルスケン 巴里時代」という写真集を手に取った。エルスケンが1949年にアムステルダムからヒッチハイクでパリに出てきた当初から「セーヌ左岸の恋」時代までの写真が収められている。そして、エルスケン自身によるものだろうと思われる(違うのかな)説明文がそれぞれの写真につけられている。エルスケンの写真家になっていく過程がこの説明文から窺い知れる。

初めの頃は路上で寝ている酔っ払いや浮浪者なんかを撮っているのだけれど、写真の距離感が近い。ただ傍観している写真ではなく写っている人たちに歩み寄ろうとしている。道行く人々や群衆を撮った写真の中でも、そういう親密さのようなものを感じさせるものがある。

ポスターを撮った写真がいくつか載っているのだが、ポスターを撮る時もエルスケンの眼差しはポスターの前を通る人、座る人たちに向けられている。本人は貧乏で大変だったらしいが、なんだか微笑ましいぐらい幸せそうな写真である。「セーヌ左岸の恋」が退廃的で仄暗い感じすら持っている中でも、この暖かい眼差しは変わらずにある。もし、この暖かい眼差しがなければ「セーヌ左岸の恋」はもっと悲惨な印象を受ける写真集になっていただろう。

この写真集の後半に「セーヌ左岸の恋」の写真も収められている。

それらの程よくドラマ仕立ての写真と説明文を読んでいると、印象的な構図も手伝ってエルスケンの視点に立っているかのような錯覚をおぼえる。というよりも、彼が作り出した「エルスケン」という登場人物の視点だ。写真だけでも十分ドラマチックであるとともに、説明文を読むとそれぞれの写真がつながる。写真一枚一枚が、写真家と写っている人物との親密さを感じさせる。そして、その一方で、こう言っては失礼だがちょっと良くできすぎている感がある。

その、ちょっと良くできすぎている感は、映画やテレビドラマのそれとも少し違って、歌謡曲のそれのような感じがする。

写真集の冒頭に戻り、酔っ払いや浮浪者の写真を見返しても、実際のエルスケンが何を感じ、何を見たのかについては、はっきりとはわからない。私が感じることは、この偉大な写真家が一貫して被写体との「近さ」を持っていたということと、日常でありながらも非日常的で非現実的な世界が垣間見られるということだ。

面白い写真集は数多あるけれど、古臭さも含めて、こういう写真集を作れるのはエルスケンだけなんじゃないか。

ファインプリントの大家には申し訳ないが The Aperture history of photography series 「Wynn Bullock」

こう言ってしまえばミもフタもないんだけれど、写真集というものでみる写真と、展示のプリントで見る写真は大きく異なる。当然、見た時の印象も異なる。写真集で見た時はいまいちピンとこなかった写真も、展示プリントで見てみるとなんだか結構インパクトのある写真だったなんていうこともある。逆のこともある。まあ、いい写真は写真集で見ても展示で見ても大抵はいいんだけれど。

これは、写真集というのが印刷で、プリントは印画紙に焼いているという違いもあるのかもしれないけれども、最近は展示プリントも印刷のことが多いし、写真集の印刷の質も上がってはきている。

だから、この印象の違いは、本というフォーマットで自宅や本屋で見るのと、ギャラリーや美術館での展示というシチュエーションの違いと、一枚のプリントにかかっている手間(クオリティーか)の違いからくるのかもしれない。

こんなことを考えたのは、今手元にApertureから出ている「The Aperture history of photography series」という写真誌に残る有名な写真家の作品を写真家ごとに一冊づつの本にまとめたシリーズの「Wynn Bullock」の刊があり、それをめくっていてふと思ったのだ。

Wynn Bullockはモノクロの美しいプリントを作ることで有名な人で、この写真集も、その美しいプリントを印刷で再現しようとしている。濃く引き締まった黒と、なめらかなグラデーションを再現するグレーと、スーっと浮き出るような白を再現するのに、結構頑張っている。そして、印刷にしてはなかなか善戦している。印刷のコントラストも高めで、本の値段の割によく再現されていると思う。

Wynn Bullockのオリジナルプリントを一度どこかの美術館で見たのだが、本物のプリントはやはりこの本の印刷とは次元の違う凄さがあった。黒の深さが思っていた以上で、写真はここまで豊かに黒を表現できるのかと驚いた。個人的にはアンセルアダムスのプリントよりもインパクトが強く、圧倒された。

かといって、この写真集「The Aperture history of photography series」ではWynn Bullockの写真を楽しめないかというと、そういうわけでもない。この本でも十分彼の写真を見て楽しむことはできる。この写真集のページをめくるだけで、いかに彼がこの世の質感や風景の中のコントラストにこだわったかが伝わってくる。それだけではない、彼の写真の世界は、まるでこの写真世界が本当は私たちの見ている世界と全く別の場所に存在しているのではないかというような感覚になる。写っているものそのものが何かという問題よりも、どう写っているかに目がいく。彼が写しているのは、確かに現実の世界なのだろうが、この世には存在しない架空の世界になっているのだ。

この写真集でも、そういう世界を感じることができる。一点一点のインパクトという意味ではオリジナルプリントの方が強いかもしれないけれど。むしろ写真集の方が、まとまった数点を繰り返し見ることができるという意味では、彼の写真世界に浸ることが容易にできるというメリットがあるとも言える。印刷で、プリントの凄さを見せつけられないが為に、写真のテーマの方に目が向くというか。いや、Wynn Bullockの作品は美しいプリントも含めて作品のテーマなんだろうけれど。

この際、一度、印刷のクオリティーの低い本で Wynn Bullockの作品をじっくり見てみたい。その時、今まで見えなかった Wynn  Bullockが見えてくるかもしれない。