危なげなく名作を連発するVince Gill

以前にも同じことを書いたかもしれないけれど、カントリーのシンガーソングライター、Vince Gillが好きだ。Vince Gillは、曲が良い、歌声が良い、ギターが上手いの三拍子揃っていて、今のカントリーの世界ではトップのミュージシャンだと思う。

ヴィンスギルの曲は、透き通った中にアメリカの田舎町のような素朴さと土埃が漂っていて、時々都会的なセンスが感じられ、それがカントリーというよりもAORのようで子供には到底わからない素晴らしさだ。カントリーミュージックが苦手だという人でも、彼のアルバムであれば一枚を通して聴けるかもしれない。

リリースするアルバムがどれも名盤で、作品は少なくはないのだけれど、当たり外れが少ない。そして、何よりも私が彼の音楽を好きな理由は、味付けが濃すぎないことだ。これは、カントリーミュージックで実現することはとても困難なことなのだ。

カントリーミュージックが苦手だという方の多くは、その味付けの濃さが苦手なんだと思う。シンプルなスリーコードの進行、いかにもというテレキャスターとスチールギターの絡み、鼻にかかった歌唱法。どれを取っても味付けが濃い要素ばかりだ。ヴィンスギルの音楽にも、その要素は多分に含まれているのだが、どれもが爽やかに楽曲の中に溶け込み、主張が強くない。それでいて、心に残る曲ばかりなのだ。

バックを固めるミュージシャンも、かっちりしすぎず、ちょっとレイドバックしていて、カントリー好きの心をとらえる。まさに良いことづくめのシンガーソングライターである。

朝一で聴こうという気分になるカントリーミュージックはあまりない。アメリカ人ならまだしも、東京の寒空の下で起きがけにオメデタイカントリーミュージックのサウンドを堪能するのはなかなか体力がいる。カントリーの世界観に浸るのはカントリー好きのわたしでも案外体力を使うのだ。朝から騒がしいジャズを聴く気が起きないのと同様、あまり朝からカントリーは聴かない。

そんな中で、Vince Gillだけは例外で、朝からガンガン聴いている。ステレオのボリュームを上げて聴いている。聴いているうちに家を出なくてはならない時間になる時は、仕方ないのでiPhoneで聴いたりしている。

彼は優れたギタープレーヤーでもある。50年代のテレキャスターを自在に操りカントリーリックをキメる。カントリーギタリストを志すものには憧れのギタリストの一人である。

今夜は彼の2016年のアルバム「Down to my last bad habit」を聴いている。このアルバムもブレずに良いアルバムに仕上がっている。ヴィンスギルが日本で大ブレイクしないのは(まあ、することはまずないとは思うけど)彼の音楽の危な気のなさなのかもしれない。

Richard Teeの Small StoneとRhodes Piano

近頃落ち着いて家のステレオで音楽を聴くような時間がない。時間がないのは仕事が忙しいせいとか、何か他に夢中になっていることがあるとか、そういったことではなく、自宅にいる時間の大半を寝ることに費やしているからだ。

そのために、家で音楽を聴くことや、楽器を練習したりすることがほとんどなくなった。休みの日などは、一日中予定もなく、言ってしまえば暇なのだが、暇な人間は大抵何もしない。暇な人間は体を動かそうとしない。暇な人間は生産的な活動をしない。何にもしないくせに、やけに「時間がもったいない」などと考えて、何かをしようとして、やはり無駄な時間を過ごしてしまう。

私は、暇なときはやはり何もせずに、ほとんどを昼寝の時間に費やしている。楽器を練習したり、音楽でも聞けば良いものなのだが、そういうこともしない。本を読んだりもしない。全くこれでは、なんのために生きているのかがわからない。楽器の練習もしない、音楽も聞かない、本も読まない。そういうことではろくな人間にはならない。

かつては、かなり熱心に音楽などを聴いていた頃があって、自宅には約3000枚のCDと1000枚近くのレコードがあるのだけれど、これも、最近はめっきり聴いていない。ちょっと前までは「愛聴盤」なるものがあって、毎日のように繰り返し繰り返し聴いていた。Bobby Darinの死後編集されたベスト盤「Darin」やら、 Frank Sinatraの「L.A. is My Lady」なんかは大好きで、それこそ盤が擦り切れるほど聴いた。ビリージョエルの古いアルバムも好きでややベタではあるが「Stranger」なんかも、腐るほど聴いた。

しかし、最近はそれらのレコードもほとんどターンテーブルに乗せることはない。CDも聴かない。音楽といえば、通勤の時にiPhoneで聴く程度か。

しかし、iPhoneで聴く音楽はどうも味気ない。家のオーディオセットで聴く音楽のような「音楽を聴いている感」に乏しい。iPhoneに音楽を入れてしまうと、どうも小さなイヤフォンで聴くように音質がなってしまうせいか、なんだかどれもこれも同じような音楽になってしまう。特に、ドラムやシンバル、ベースの音がほとんど聞こえなくなってしまい、歌やらギターやらうわものばかりが聞こえてきて、音楽を聴くというよりは、音楽を「確認する」作業になってしまう。私の好きなRhodesピアノの音なんかはCDやらレコードで聴くとくっきりと聞こえてくるのだけれど、iPhoneで聴くとなんだかジワジワ、モゴモゴ聴こえてきてしまい、喜びにかける。レコードやCDなどはミキシングの芸術のようなもんなんだから、iPhoneで聴いてもちっともそういう妙味は味わえない。

家のステレオも、そんなに立派なセットを組んでいるわけでもないけれども、最低限そういうミキシングの妙味が味わえるセットにしている。

そんななか、iPhoneでほとんどまともに聞こえなくて残念なのがRichard TeeのRhodesの音だ。先ほども書いたがRhodes pianoの音が好きな私は、ロックのレコードなんかに入っている彼のRhodesの音を聴くとなんだかウキウキしてくる。有名なところではビリージョエルの「Just the way you are」のイントロ、あれが彼の音だ。 Paul Simonの名曲「Still crazy after all these years」のイントロもRichard Teeが弾いている。私は、この2曲のイントロを弾きたいがためだけにRhodesを持っているようなもんなのだ(Still crazyの方は未だに弾けないが)。

彼は恐らくそれらのトラックではFender RhodesをフェイザーSmall Stoneに繋げて弾いているのだけれど、スピーカーはローズのスピーカーから鳴らしているのか、それとも外付けのアンプで鳴らしているのか、いまいちわからない。そもそも、フェンダーローズを殆ど触ったことがないので、果たしてSmall Stoneをつなぐだけでああいう音が出るようになるものなのかどうなのか確認したことはない。

自宅の機材も、Richard TeeにならってFender RhodesとSmall Stoneにすれば良いようなもんなのだが、たまたまRhodes MK1が安く手に入り、それの音が気に入ってしまったので、Rhodes MK1にMXRのPhase 90(これも70年代後期のもの)を繋げて使っている。Small StoneだとなんだかRichard Teeのあの音が出せそうな気もするのだけれど、エレハモのエフェクターはちょっとかかりが強いのが好みではないので、かかりが弱い70年代の MXRにした。

リチャードティーのローズサウンドは上に書いたようなポップスのレコードもさることながら、Stuffのアルバム、Gadd Gangのアルバムでも堪能できる。私は Stuffのファンでも、スティーヴガッドのドラムが好きなわけでもないのだけれど、リチャードティーのローズの音を聴きたいが為だけに何枚かアルバムを持っている。けれど、Stuffのアルバムを聴くとどうしてもRhodesの音ではなく彼のスタインウェイピアノのキリッとした音に耳を奪われてしまう。クラシックのピアニストはあんなに硬質な音を求めないだろうけれど、 Richard Teeの音楽にはどうしても、あのピアノの音が不可欠なような気がする。まあ、もっとも、スタッフの録音の時はなんのピアノを使っていたかは不確かだけど(ライブ盤ではCP−80をつかっていたりするから)。

80年代の名曲のイントロは殆どがRichard TeeのRhodesピアノから始まると言っても過言ではないぐらい、彼の音は印象的でRhodesという楽器の魅力を十分に引き出していると思う。

リチャードティー、一度で良いから、生で彼のRhodesを聴きたかったな。

Chaki P-100にDeArmond Rhythm Chief 1100

このところ楽器の話ばかりで恐縮だが、今日もギターの話である。

以前にこのブログでChakiのギターについて書いたが、実は、Chakiのギターは2台所有していて、一台はP-1、もう一台はP−100というモデルだ。以前、P-1について書いたので、それはこちらの方を読んでいただけると幸いです。今日はもう1台のP-100について。

Chakiというギターのブランドは、比較的マイナーで、大して高価なギターではないので(むしろ安物の部類に入るだろうか)名前もあまり知られていないかもしれない。日本製のギターで、京都のギター工房で細々と作られている(作られていた)。ウッドベースも作るメーカーだから、Chakiブランドのウッドベースはたまに見かけるのだけれど、そっちも高級ブランドではないから、プロがバリバリ使っているのを見かけたことはまだない。

ギターの方は、以前にも書いたけれど、憂歌団の内田勘太郎さんが長い間メインで使っていて、アルバムのジャケ写でも何度も登場しているので、そっちで見たことがあるという方も多いかもしれない。むしろChakiといえば内田勘太郎さんのおかげで有名だというだけで、他のプロの方がバリバリ使っているのを見たことはない。

手作りのギターで、70年台の個体をよく見かけるので、70年代にはそこそこたくさん作っていたのだろう。その頃のChakiの工房にはアーチトップギターで有名な辻四郎さんという製作家が在籍していて、何人体制で作っていたのかはわからないけれど、なかなかクオリティーが高い個体も多い。とは言っても、Chakiの作りが総じて良いかと言うと、必ずしもそうとも言えなくて、フレットがガタガタだったり、ナットがボロボロだったりするやつも見たことはあるから、全部が全部作りが良いというわけではないだろうから、購入される方はその辺を注意したほうが良いと思う。

私の持っているP-100もやはり70年代のもので、懐かしいタイプのグローバーペグが付いている。フレットは、前のオーナーがリフレットしたらしく、なかなか弾きやすい。P-1の方はやけに細いワンピースのメイプルネックなのに対し、P-100の方はスリーピースで太めのメイプルネック、エボニー指板である。

チャキの音はこのメイプルネックが寄与しているとこが大きく、少し硬めの音がする。P-100は指板のエボニーもなかなか良いエボニーが使われていて、タイトでガッツがある音がする。P-1とP-100のモデルの立ち位置はいまいちわからないのだけれど、おそらくP−100の方が上位モデルなんだろう。ボディートップは単板のスプルースが使われている。

Chakiのギターは個体差が大きく、全然鳴らない個体も多い。私は今まで中古市場で約10本、新品を2〜3本見たことがあるけれど、良く鳴る個体は私が持っている2台だけだった。良く鳴るといっても、50年代のギブソンのようなドスン、ポロンとしたなり方ではなく、どちらかと言うとボン、ガラガラと鳴る。特にP-100の方は、低音がすこし暴れる感じがしたので、それが気に入って買ったのだけれど、今はフラットワウンド弦を張って落ち着いた感じにしている。フラットワウンド弦に交換しても、音がこもるようなことがなく、わりと素直な音で鳴ってくれるので、弾いていて気持ちが良い。

フラットワウンド弦に交換したのは、もう一つの理由があって、このチャキにDeArmondのRhythm Chief 1100を取り付けたのだ。このディアルモンドは最近出た復刻版で音はヴィンテージのRhythm Chiefのようなクリアな感じではなく、もうすこし太いながらもツルンとした音が出るのだけれど、ヴィンテージは世の中じゃ10万円オーバーになってしまったので、復刻版にした。このピックアップはそれほどクセが強い音でもないので、これはこれで満足している。もう一つ、DeArmondからはRhythm Chief 1000というモデルも出ているのだけれど、ギター屋のオヤジに相談したら、1100の方が良いんじゃない?ということにして、こっちにした。値段は三千円ぐらいしか変わらないので、お好みで選べば良いかと思う。

このギターで、ジャズの真似事か、ジャンプブルースのような音楽を弾いてみたいと思い、購入したのだが、目下、ただのフォークギターとして使っている。アーチトップはずっとGibsonのL−50を手元に置いて愛用していたのだけれど、最近はもっぱらこのChakiを弾くことのほうが多い。Gibsonと違い、 Chakiはフェンダースケール(ロングスケール)、これが、最初はなんとなく違和感があったんだけれど、同じゲージの弦を張った場合、弦の張りが強い分だけギブソンよりもちょっと力強い音がするようなきがする。ボディーサイズが17インチと大きめながらも持ちやすいので、音量は十分に出るし、取り回しにも便利だ。

こうして、ただのフォークギターとして使っているのももったいないから、ジャズのコード進行でも覚えて、いつかジャムセッションにでも持っていきたいと思っている。まだまだ先は長いのだが。

 

クロアチアのフェンダー Q pickups

先日、別の記事にも書いたのだが、私はどうも70年代のフェンダーのギターが好きなのである。なんとか手がとどく価格帯の本物のFenderということもその理由の大きなところなんだけれど、そのこともあって70年代のものはケースにしまって後生大事に保管する類のものではないこと、ガンガン実戦投入できて使い倒せるところが良い。そして、この年代のフェンダーはどうもトレブリーで、音が暴れるところがあって、なんとも私のイメージするやんちゃなエレキギターの音がしてくれる。

レコーディングをしたり、バンドのバックでしっかりサポートするような方、ちゃんとギターを演奏されている方にはちょっと扱いづらいだろうことは、なんとなく想像に難くない。アンサンブルの中ではうまく乗ってくれないこともあるし、スタジオでバンドと練習するときに、音が尖りすぎていて、歌のバックで弾いていると、ちょっとうるさいと思ってしまうこともある。けれども、なんとも個性があって、面白みがある楽器であることは間違いない。それに、こいつに慣れてくると、なんとなく扱い方がわかってきて、フェンダーらしい音を作り出すことができる。あんまりベタな言葉で使うのは恥ずかしいのだけれど、「じゃじゃ馬」である。

いろいろ音作りが厄介なところもあるし、重い個体が多いので持ち歩きにも不便な上、弾いていて背中が痛くなってくることもあるぐらいなのだが、好きなのだからしょうがない。普段からメインで70年代のテレキャスターを使っている。

メインで使っているやつは実のところ同時代のテレキャスターの中でも決してアタリの個体でもないんだけれど、そういう風に「アタリ」だとか「ハズレ」だとかいうのもあまり好きでないのでなんの文句もない。楽器は個体差があるのは当然、ある程度のレベルさえクリアしていたら、それは良し悪しというよりも、個性である。人間と同じで、楽器もすこし扱いづらいぐらいが愛着がわく。そういう観点からみると、現行のフェンダー、とくに2000年代ぐらいからの製品はどれもよくできていてどうも可愛げがない。なんの苦労もなくフェンダーの美しいベルトーンが出るし、ノイズも少ない。新しいフェンダーも持っているし、実のところ便利で結構使っているのだけれど、一番のお気に入りはやはり70年代の終わりのテレキャスター。

ギターというものは、どうもネクタイと似たところがあって(首から下げるところとか)、お気に入りを一本だけ持っているだけでは用が足りない。それで、気付いたら手元に40本ぐらいあるというような事態に陥る。

私のかつての同僚は、ギターテックだったんだけれど、いつも仕事の後に工房で自分のギターの修理をしていた。会社に置いてある道具類は、だいたい全部個人所有の機材だったし、そうじゃないものは、とてもじゃないけれど個人で買えるような代物ではないから、会社の工房がギターいじりが出来る唯一の場所であり、勉強のためにもそういう時間と場所が彼には必要だったのだろう。彼は会うたびにいつも違うギターをいじっていたので、「一体何台ギターを持っているのですか?」と聞いてみたことがある。

彼はちょっと考えて、「ストラトのボディーだけでも100ぐらい持ってますかね」とさらりと答えた。

なるほど、私なんかは、まだマシな方なのである。それでも、最近はちょっとギターを所有しすぎなのではないかと思うようになってきたのだけれど。

そんな私の書斎には、自分で組んだパーツキャスターがある。バラバラの部品で組んだテレキャスターである。世の中に出回っているテレキャスターの交換用のねっくの中でも最も太い、 All Partsのネックをつけている。こいつは、 Fender Custon ShopのNocasterのネックよりも太く、かまぼこのようなやつなんだけれど、結構弾きやすくて気に入っている。このテレキャスに付けていたピックアップが、ありあわせのものを使っていたので、常日頃なにか良いピックアップに交換してやりたいと思っていた。

せっかく付け替えるなら、70年代のピックアップをどこかから見繕ってきてつけてやろうと思っていたのだが、そう思っているうちに70年代のピックアップも高価になってしまい(かつてはゴミみたいな値段だったのに)とてもじゃないけれど買える値段じゃなくなってしまった。

それでも、せっかくつけるなら70年代のあのサウンドが欲しい。

そこで、インターネットやら、Ebay、 Reverbを物色していたら、クロアチアで手巻きのピックアップを作っているQ Pickupsというブランドを発見した。ネットの情報によると、お兄さん独りで作っているらしい。これが、かなり安い。オーダーメイドできるのだけれど、市販の出来合いの製品の半額ぐらいで作ってくれる。なかなか評判も良い。願ったり叶ったりである。

それで、Reverbからコンタクトしてみて、

「70年代のフェンダー テレキャスターについているような、ブライトでウエットなピックアップのセットを作ってくれないか?」

とメッセージを送ったところ、とても感じの良い返信をくれた。時差もあるだろうに、日本時間の日中にメッセージを送ってもすぐに返信をくれ、10日足らずで出来上がったピックアップがクロアチアから、私の自宅に届いた。

 

付けてみて音を出してみた。

なかなか悪くない。ボディーやネックが70年代のものと異なるということもあり、私が愛用している70年代のテレキャスターに比べるとちょっとおとなしい音ではあるのだけれど、50年代でも、60年代でもない、確かに70年代っぽい音がする。そして、何より嬉しいことに、フェンダーっぽさがちゃんとあるのだ。最近のフェンダー ノイズレスピックアップのような作り物のフェンダーの音ではなく、70年代の悪どいながらもしっかりフェンダーしているようなあの音の香りがするのだ。なかなか良い仕事をするQ Pickups。

フェンダーの60年代のピックアップも、70年代のピックアップも、作りや部品にあまり違いはないのだろいうけれど、このピックアップはどうしてだかちゃんと70年代の音がする。Q PickupのTihoなかなか良い仕事をする。

欲を言えば、もっと扱いきれないぐらい70年代臭くっても良い。でも、そこまですると、実用向きではないと判断したのだろうか。それはわからない。

今度、こいつをバンドの練習に持って行って、弾いてみようと考えている。いつもよりも、すこしアンサンブルにのりがよさそうなきがする。

嗚呼、ラージヘッド、3点止め、Fender Stratocaster 1974!

フェンダーというギターメーカーは間違えなく世界を代表するエレキギターメーカーである。テレキャスター、ストラトキャスター、ムスタング、ジャズマスター、ジャガー、もう、考えただけでため息が出てくるぐらい魅力的なギターを世に送り出し続けている。エレキギターを弾く人で、フェンダーというブランドを知らない方はほぼいないだろう。

私は、Fenderのギターが大好きである。ギブソンも大好きであるけれど、フェンダーは素晴らしいと思う。なにより、フェンダーがすごいのは、時代ごとにサウンドキャラクターは若干異なるのだけれど、常にフェンダーらしい音がなる楽器を作り続けてきていること。様々なギターメーカーがフェンダーのギターを似せた商品を出しているけれど、それらのギターを弾いた後にフェンダーのギターを弾くと、「嗚呼、フェンダー!」という音がする。他社製品も素晴らしいサウンドが出るモデルはたくさんあるけれど、フェンダーのサウンドは真似しても真似できない。

50年代のフェンダーは高いので、ちゃんと弾いたことはないのだけれど(以前勤めていたお店にあったので、触ってみたことはある)、素朴なサウンドでありながら、やはり今日私たちが知っているフェンダーの音がする。60年代のフェンダーのサウンドが、私たちには一番馴染みがある音かもしれない。60年代も最近は100万円をゆうに超えてしまい、手が出せなくなってしまった。つい数年前までCBS以降なら60万円ぐらいだったのに。

70年代のフェンダー、かつてはゴミ同然の値段で店に並んでいた。新品のフェンダーが20万円代中盤ぐらいだった頃、70年代のフェンダーは10万円前後だった。特に76年以降の重いボディーのストラトなんかは、大抵10万円以下で、店の片隅に邪魔そうに何本も並んでいた。誰も見向きもしなかった。

私は、どうも、この70年代のフェンダーが好きである。今まで、何台も70年代のフェンダーを買ったり売ったりしてきた。その、トレブリーなサウンド、作りの良い加減さ、75・76年以降のやたらと重いボディー、どれを取っても好きである。3点止めのストラトも、嫌いではない。あれは正直フェンダーの設計ミスなんじゃないかと思わせられるところもあるけれど、10年弱あのデザインで作り続けたんだから、それなりに3点止めにしていたメリットもあるんだろう。

70年代のフェンダーは当たり外れが激しい。買っても、そのままでは使えない代物もたくさんある。かつて、ゴミ同然の扱いをされていたもんだから、改造されている個体も多い。パーフェクトな個体をほとんど見たことがない。

私の手元に1974年のストラトキャスターがある。こいつがかなりイケている。73年ぽいシリアルなのだけれど、74年なのかもしれないので、とりあえず74年ということにしている。私は、ギターといえばカントリー音楽しか弾かないので、基本的にフェンダーといえばテレキャスター党なのだけれど、このストラトはなぜかとても気に入っている。なんともストラトらしい音色がするし、ボディーは軽くて持ちやすいし。3点止め、ラージヘッドというところがなにより不遇の時代を乗り越えてきた感があって好きだ。

サウンド、ルックスともに70年代のフェンダーが好きなのだけれど、近年市場価格が上昇している。かつての倍以上、75年以前の個体はかつての3倍以上の値段になってしまっている。かつては、ただの中古ギターだったものが、あろうことかヴィンテージギターと呼ばれて売られていたりする。70年代はヴィンテージ(当たり年)でないところが好きなのだが。楽器として実用でガンガン使えるところが好きなのだが。

そのうち、状態の良い70年代前半のフェンダーも50万円とかになる日が来るのだろうか(いや、ならないか)。70年代のフェンダーは、ケースに大事に保管する類の楽器でないところが好きなのだが。

ちなみに、70年代のフェンダーを愛用しているというギタリストにほとんど会ったことがない。むしろ、70年代のはキャラが濃すぎて使いづらいとおっしゃる方が多い。こういう、みんなに好かれていないところも、妙な親近感が湧いてきてしまう。

オルガンの沼、numa organ

以前にも書いたかもしれないが、私はハモンドオルガンという楽器がどうも好きで、オルガンもののジャズのCDやらレコードを数多く持っている。近年は、ジャズを聴くと言ったらオルガンものばかり聴いている。

ハモンドオルガンという楽器は、もともとパイプオルガンを買えないまたは設置できない貧乏なアメリカの教会にパイプオルガンの代用品として置くために開発された楽器なのだが、そのこともあってか、ゴスペルなんかによく使われている。だから、ジャズで使われる場合も、ゴスペルのオルガンのサウンドを彷彿とさせ、どこかスピリチュアルで、ソウルフルな音楽が出来上がる。おそらく、オルガンもののジャズのそういうところが好きなんだろう。

ジャズのHammond organプレーヤーとして有名なのは、ジミー・スミスが間違えなくナンバーワンだろうが、それ以外にもジャズオルガンプレーヤーは数多くいる。そして、それぞれが独特の奏法や、スタイルを持っていて、個性豊かな世界である。私は、特にリチャード・グルーヴ・ホームズとジョーイ・デフランセスコが好きで、彼らのレコードを特によく聴いている。前者は、左手のベースラインがものすごくドライブしていて、グルーヴがあり(さすがグルーヴ・ホームズ)聴いているだけで、心が高まる。後者は、ものすごいテクニックを誇る当代きってのオルガンプレーヤーなのだけれど、テクニックがどうこうでなく、シンプルにキャッチーでいて、魅力的なサウンドが素晴らしい。それぞれに、出すアルバム出すアルバム全てが必聴の名盤!

それで、私も、いつかはオルガンが弾けるようになりたいと思い、昨年の今頃Nord Electro2というデジタルオルガンを買った。それで、しばらくは満足していたのだけれど、Nord Electro2のオルガンもなかなかよくできているのだけれど、どうも物足りなくなってきた。それは、Nord Electro2のオルガンの音がどうも作り物っぽく聞こえてきてしまったのだ。ろくに弾けないくせに、偉そうなことをいうのも憚られるけれど、このころのNordのキーボードの音源は、よくできてはいるのだけれど、どうも本物っぽくない。いじることのできるパラメーターも無限で、音だけ聞いていると、ほとんど本物のハモンドと区別はつかないのだけれど、レズリースピーカーのシミュレーションをかけると、どうも嘘くさくなる。キークリックのノイズが、どうも作り物っぽい。いや、普通に弾く分には誰も文句言わないだろうレベルなんだけれど、どうも「Hammond organ!!」という気分が出ないのだ。

それで、しばらくNord Electro2は弾かないままになっていた。

そして、ついに、買ってから1年も経たないぐらいなのだけれど、買い換えてしまったのだ。オルガンを。

新調したのは、nordと同じくデジタルのクローンウィールオルガンなのだけれど、Studiologicというイタリアのキーボードメーカーが出しているNuma Organというモデルだ。いやもう、こういう買い物ばかりしているから、私はいつも金がない。

このnuma organ、Joey DeFrancescoのシグネチャーもでるなのだ。このモデルにしたのは、なによりも、Joeyのファンであるという理由が一番なのだが、さすがオルガン専用機、オルガンの音が「それっぽい」。Joeyが本当にこのモデルを弾いていたことがあるのかどうかは怪しいのだが(おそらく、弾いていないと思う)、彼の演奏する Hammond  B3の音のあの感じがよく出るのである。本物のハモンドよりも、すこしおとなしいサウンドではあるんだけれど(それはおそらく、アンプが真空管でないからだろう)、いじっていて、Hammond organの気分が出てくるのだ。

キーボードは73鍵なのだけれど、Hammond B3同様、一番下の1オクターブ分の鍵盤はプリセットボタンとして割り当てられている。だから、実際に演奏できるのは61鍵。この61鍵というところが、ハモンドと同じで良い。一段鍵盤は、本気でオルガンを弾いている人はどうなのかわからないけれど、うちは、Rhodes MK1の上に積んで使っているから、丁度良い。2段鍵盤が必要になるようなシチュエーションでは使わない(そもそも、そんなに弾けないし)。

クローンウィールは、日進月歩なのだろうけれど、私にはこのnuma organが丁度良いサイズだし、音色も好みだし、直感的に操作できるコントロール、そしてなにより、このルックスが気に入っている。Hammond organはアメリカの楽器だけれど、オルガンといえばイタリア製(ファルフィッサ!、バイカウント!)。numa organもイタリアのメーカーの製品なのだが、随所にイタリア製ならではのチッチさがあり、北欧製の高級機Nordとは一線を画す。

Nordの今の商品は間違えなくデジタルクローンウィールの中では最もできの良いモデルだとは思うけれど、なんとなく可愛げがない。このnuma organはデジタル楽器でありながら、どこかこう楽器としての可愛らしさがある。本当にこれデジタルなのか?トランジスタで音源作っているんじゃないか、というような音から、オリジナルB3の行き過ぎたイミテーションまで、なんでもこなせてしまう、B3クローン。

でも、これ、今の時代はたしてどのぐらいニーズがあるんだろう?ハモンドオルガン専用機のデジタル楽器って、俺以外誰が欲しがるんだろう?などと、不安になるぐらい、ハードコア〜な楽器です。