ずっと調子の悪かったLeslieがなんとなくなおった

ハモンドB3オルガンというのは、オルガン本体だけでは全く音が出なく、必ずLeslieスピーカーがセットでなければいけない。そもそもLeslieにつなぐ以外の音を出す方法がない。

厄介なもので、古いB3はその型式によって外部につなぐソケットも違い、現行機種のLeslieにつなぐためには専用のケーブルを繋がなければならないらしい。これは、人に聞いた話なので本当かどうかはわからない。なんせ、今まで本物のB3をじっくり見たのは、自宅にある一台だけなのだから。

私のB3は、ひとから借りているのだけれど、まあ、馬鹿でかくて重い。ろくに演奏できないのにこれを自宅に置いておこうというのは、我ながら酔狂というか、ちょっと困ったもんである。その上、内部の構造もよく知らないので、壊れてしまったら直しようがない。だから、時々オイルを注したりして、気遣ってはいる。

しかしながら、やっぱり年代物なので、いろいろなところが調子悪くなってくる。なんせ、倉庫に10年以上放って置かれていた楽器なので、いろいろな不具合が出てきても仕方ない。

私の家に初めて入れたときには、果たして音がきちんと出るのか、はたまた巨大なゴミを預かってしまったかもわからないでいた。ためしにスタートモーターを回してみると、なんとか回るには回ったのだが、内部の歯車がキシキシいって、モーターの音がグワングワンいってしまい、楽器というよりも耕運機のようなおとが出ていた。鍵盤の接触も悪かったらしく、ところどころに音の出ない鍵盤すらあった。

しかし、私は運が良かったのか、オイルを一通り注して、鍵盤を何度も押しているうちに、きちんと440Hzで音が出るようになった。冬場には調子が悪くなったりはするが、なんとなくこの楽器との付き合い方もわかってきた。どの鍵盤もドローバーもなんとなくきちんと音が出るように、機能するようになった。

それでも、いままでずうっと気になっていることがあった。

それはLeslieスピーカーの上の方のスピーカーホーンの高速回転が回らないことであった。手元のスイッチでTremoloにしても、上だけ止まってしまう。ゆっくり回転は回るのだが早くすると回らない。これには困った。

それはそれで仕方ないのかとずっと思っていたのだけれど、今回Leslieの裏蓋を開けて、ゴミを取り除いたら、なんとなく高速回転も回るようになった。おそらく、完全に治ったわけではないので回転速度の切り替えにタイムラグがあるのだが、それでもずいぶんマシになった。回らなかったときは精神衛生上とても良くなかったのだが、ひとまず回るようになって、安心した。

良かった、良かった。あとは練習するのみである。

いつかは、この楽器で一曲ぐらいまともに弾けるようになりたいもんだな。

もう一つのハモンド Hammond 44 Hyper PRO-44HP

先日、仕事の関係で行った会社で、鍵盤ハーモニカのプロの演奏のビデオが流れていて、つい見入ってしまった。鍵盤ハーモニカのプロというのがいるということは、どこかで耳にしたことはあったけれども、実際に映像でその姿を見たのは初めてであった。

まず、その超絶技巧(循環呼吸とか)にも驚いたが、何よりも鍵盤ハーモニカの聴き慣れた音色であるにもかかわらず、その音色がカッコイイというのが驚きであった。

私は、鍵盤ハーモニカは小学校で触ったきり、ほとんど手にしたことはなかった。なんだかフニャフニャした音色があまり得意ではなかったし(むしろ苦手であったし)、鍵盤ハーモニカよりもカッコ良い楽器はこの世の中にたくさんあるので、そういう楽器にしか興味はなかった。そういえば、小学校の頃も鍵盤ハーモニカは苦手であった。なんだかカッコ悪い楽器だと思っていたのと、鍵盤に弱かったため敬遠していた。同級生に鍵盤楽器が上手いやつがいて、鍵盤楽器はそいつの得意分野として私はかかわらないでいたと言ったほうが正しいかもしれない。

また、小学校の学芸会で必ず劇ではなく器楽の方に回されて(私は小心者であったので劇は苦手であった)、吹きたくもない音楽を縦笛や、鍵盤ハーモニカで弾かされるのが嫌であった。たしか小学校六年生の時だったか、劇の最中に鍵盤ハーモニカを持って、ステップのようなものを踏みながら「茶色の小瓶」を吹かされた。あれなんぞは恥ずかしかった。鍵盤ハーモニカというクールでない楽器を持たされて、その下手な演奏を人前で得意になってやるというのが嫌であった。

そんなことだから、小学校を卒業してからはなるべく鍵盤ハーモニカに触れないようにしていた。学生時代に所属していたモダンジャズ研究会でピアノの友人が鍵盤ハーモニカを持ち出して吹いたりしていたが、なんだか間抜けなその音色が好きでなかった。

それで、40歳を超えた今、いきなり鍵盤ハーモニカに再会したのである。それも、今回は鍵盤ハーモニカがカッコイイのである。これには参った。鈴木のメロディオンである。しまいにはなんだか、メロディオンという響きもカッコよく聴こえてきた。それほどに、鍵盤ハーモニカのプロの演奏がカッコよかったのである。

それで、いてもたってもいられなくなり、早速購入した。

私は、弾けもしない楽器でも、カッコイイと思うとすぐに影響され欲しくなってしまうという悪い癖がある。一応自制心も働いていて、どうしても演奏できなさそうなものと、長続きしなそうなもの、とても高価なもの(グランドピアノは持っているが)については極力買わないようにはしている。それでも、今回の鍵盤ハーモニカはやはり抑えきれなかった。買ってしまった。

それも、Hammond 44 Hyper PRO-44HPという、ずいぶん高級機種を買ってしまった。このハモンドの鍵盤ハーモニカは、エレアコ鍵盤ハーモニカで、アンプにつなぐことができ、かつ44鍵というデラックス仕様である。すでに、生産終了となっており、今はHammond PRO-44HPv2という後継機種が出ているのだが、私は御茶ノ水のハーモニカのメッカ谷口楽器で展示品の最後の一台を購入した。現行機種のほうが、色々とアップデートはあるのだろうが、その辺はよく分からない。もしかすると、マイクのフィードバック等が抑えられたり、音色も変わっているのかもしれないが、そういうのはさしあたって必要なく、私は、44鍵の鍵盤ハーモニカというのが欲しかったのだ。

このハモンドの鍵盤ハーモニカは、鈴木楽器のメロディオンの工場で作られている。さすが、国産鍵盤ハーモニカの始祖 鈴木楽器、良いものを作る。

試しに、「思い出の夏」の楽譜を引っ張ってきて、拙いながらも両手を駆使し、音符を辿ってみた。息継ぎが大変で、全然曲としては成り立たないぐらいに下手ではあるが、なんとかメロディーを吹くことはできた。この「思い出の夏」がこの楽器の音色によく似合うのである。なんだか、切なく哀愁漂うメロディーが向いているらしい。

なんとも言えぬ楽しさがある!

これで、借り物のHammond B3と並べて、うちには2台目のハモンドがおさまった。

Chakiはやっぱりいいなぁ

これで、3台目のChakiになるけれど、Chakiってやっぱり良いなあ。

1967年製の Chaki P-1、0フレットなし、ハカランダ指板。からっからに乾いている音色が良いなあ。このころのロッドカバーは2点止めのベルシェイプだということを初めて知った。塗装のヤラレ具合も含めて、年季が入っていて迫力がある。

これといって何か強いキャラクターがあるギターというわけではないけれど、造りもきちんとしているし、ペグはしっかりしたクルーソンタイプが付いている。単なるギブソンコピーであるということを超えて、どこか頼りなく、それでいて貫禄があり、よくできている。

ギターって、不思議なもんで、こういう決して高級でないギターがどこか価値があるきがする。

末長く大事に使おう。

久しぶりにChaki P-100を弾いてみた

ピックギターという種類のギターをご存知でしょうか。アーチトップのアコースティックギターです。一般的にはピックアップが付いていないものを指すことが多いです。

このピックギターというのが私は好きで、Gibson L-50だとか、Chaki P-1、 Chaki P-100、Harmonyだとか、いろいろ手元にあるのですが、どれもそれほど高価ではないギターばかりです。そもそもあまり高いギターは、扱いが恐ろしくておいそれと持ち出せない。そういうギターはあまり買わないようにしております。弾けないギターを持っていても仕方ない。

昨夜、所有しているピックギターのうちでも、まあまあ高い方であるChaki P-100を久しぶりに引っ張り出してきて弾いてみました。このギターは、中古で13万何某かで購入し、そのあと5万円ぐらいかけてディアルモンドのピックアップを載せたものだから、結構高くついてしまいました。

それでも、音色はそれほど高級品の音色ではありません。見た目はそこそこ立派なのですが、やはりGibsonやらGuildの高級品に比べると、そういうツーンとした音色は出ません。むしろ、ドスン、ガラガラ、というような音色です。その音色のアラを取るために、ダダリオのフラットワウンドを張っているのですが、ダダリオのフラットワウンドはどうしてもボン線で音がくっきりしない。そこで、いっその事、ロトサウンドのフラットワウンドあたりに張り直そうかと考えております。

やすい音色だから悪いかというと、そういうわけでもなく、これはこれで使える音色です。ジャズなんかをやるにしても、上品なやつではなく、すこしイナタイ音楽に合っている、ブルースもよし、カントリーもまあまあよしといったところです。

なぜか、私はこのチャキというギターメーカーの楽器が好きで、見つけたら必ず弾いてみます。これはとても危険なことで、チャキのギターは10本中7本ぐらいはイマイチで、残りの3本のうちこれぞチャキというような個体が1本ぐらいの割合であります。これを見つけると、ついつい欲しくなってしまう。

世の中にChakiのギターがあまり流通していないからまだ助かっているものの、そうでなかったら、大変です。それほど、私は音の威力があるChakiに弱いのです。

チャキの値段は、有ってないようなもので、ある時は20万円以上したり、ある時は10万円ちょっとだったりでまちまちなのですが、だいたいが音色とか、機種のグレードとかではなくて個体の状態によって値段が付いています。だから綺麗なものは割高で、あまり状態が良くないのはそれほど高くない。

私の持っているP−100は中級機種ぐらいかですが、比較的綺麗な個体だったので本当はもっと良い値段になりそうなものですが、あんまりお店としても長く在庫したくなかったのでしょう。比較的安く買えました。

チャキのギターの造りはまちまちで、時として酷い造りのものもあるのは事実です。フレットの打ち方がガタガタなもの、ペグがひどく安物が付いているものも何度か見たことがあります。きっと、時代によってピックギターが流行ったり流行らなかったりして(いや、今までに流行ったことなんかないかな)その都度の景気によってパーツやつくり込みを変えていたのでしょう。指板材も、ハカランダのものがあったり、良いエボニーのものがあったりしますが、概ね中ぐらいのグレードから、もう少しやすいグレードの材料が使われております。

こう書くと、あまり良くなさそうに聞こえるかもしれませんが、どこか魅力のあるギターであることは確かです。

レコードのカートリッジを替えた

レコードを何枚も持っていて、時間を見つけて聴いているのだが、なかなかじっくりと聴く時間が作れないでいる。私のような歳の人間がレコードをじっくりと聴くほど時間が有り余っているというのも問題なのだろうが(私は今40代前半なので)、趣味は専ら音楽なのでできればゆっくりと音楽を聴きたいという気持ちはある。

家族には申し訳ないのだが、休みの日には一人ゆっくりと時間を過ごしていることが多いのだが、そういうときに限って音楽をかけようという気持ちがあまり沸いてこない。不思議なものである。むしろ、人が家に来ているときなど、無性にレコードを聴きたくなるのだ。

まあ、それはそれとして、レコードである。

私が学生の頃、清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちでステレオのセットを買ったのだ。それから20年間で少しずつアンプやスピーカーをアップデイトしてきて、今は身分不相応かもしれないが、真空管アンプをJBLにつないで音楽を聴ける環境を手にいれた。それほど高いセットではないけれど、カントリー、ジャズ、ロック、クラシック少々を聴く分にはこれで十分である。

特に、Jazzを聴く人にはオーディオにお金をかける人が多くて、何百万円、ときには何千万円と音響設備にかけていたりする。そういう方々も羨ましくは思うけれど、私はどちらかというと音楽を気分良く聴ければそれで良いので、そこまでお金をかけようとは思っていない。むしろ、気軽に扱えて、そこそこ良い音質で聴けるいまのステレオセットに勝るものはないとすら思っている。

レコードのカートリッジは学生時代からずっとシュアーのM44Gを使っていたのだが、気がついたら生産終了になってしまっていた。生産終了になってしまってからは、ディスクユニオンオリジナルの、通称「ユニオン針」とか「赤針」というのに針だけ交換して使っていたのだが、先日ディスクユニオンに行ったところ、その赤針もなくなっていた。

それで、仕方なく、レコードのカートリッジを新調した。

極力お金はかけたくなかったのだが、せっかくだからそこそこの音質で聴きたいと思い、御茶ノ水のオーディオユニオンに行ってきた。その中で、丁度良い値段帯で、出力が大きく(音に迫力があって)、そこそこ音質も良いという評判のChudenのカートリッジを買ってきた。MG-3675というモデルである。

オーディオユニオンの人によると、丸針の方が元気な音はするらしいが、楕円針の方がきめ細さも持ち合わせているとのことであったので、一応クラシックも聴いたりする手前楕円針のMG-3675の方にした。

結果、今の所何の不満もない。音圧/迫力はM44Gと同じぐらいあるし、サ行が歪んだりしないので、むしろこっちの方がはじめっから普通に使えて良い気もする。

早速、先日購入したビルエバンスのワルツフォーデビーなんかを聴いてみたが、シンバルの音もきれいに出てくれるし、うちのステレオセットのパフォーマンス的には十分すぎるぐらいであった。

今はこのカートリッジで、バーニーケッセルのモントルーでのライブ盤を聴いているが、ギターの音が前に出てくる感じがして、ベースもしっかり鳴るし、悪くない。これで2万円しないぐらいで買えるので、レコード針としてはリーズナブルな方である。

ひとまず大満足である。

Waltz for DebbyをLPで

このアルバムは、いままで何枚買っただろうか。CDで少なくとも3枚は買ってきた。いや、それ以上かもしれない。LPで買うのは初めて。

Bill Evansは普段それほど聴かないけれど、Waltz for Debbyほどの名盤となるとさすがに今まで随分と聴いてきた気がする。ジャズだとか何だとかは関係なしに、これほど完成されたアルバムは他にないと思う。それほど、何度でも繰り返し聴ける作品だ。私が今更言うようなことではないけれど。

一昨日、自宅のピアノを調律してもらい、調律師さんが帰った後にMy foolish heartのコードをなぞった、Bbで。このアルバムでビルエバンスは同曲をAで演奏している。一曲目でミ、ミと入ってくる。

私は、このMy foolish heartという曲が好きだ。と言っても、ビルエバンスのこのアルバムぐらいしか聴いたことはないかもしれない。いや、たしかチェットベーカーが歌うレコードも持っていたかもしれない。よく覚えていない。まあ、仕方ないか。それぐらいこのレコードでの印象が強いから。

今日、帰宅し、早速このレコードに針をおとしてみた。美しい、My foolish heartが流れてきた。それだけで、私は満足だった。

でも、このレコード、オリジナルと曲順が違うのよ。そこさえ、何とかしてくれたら完璧なのだけれど。やっぱり、曲順きになる方は、下記のが良いでしょう。

ピアノの神様から預かっているベヒシュタイン

恥ずかしい話なのだが、私は鍵盤楽器をたくさん手元に置いているのだが、ほとんど鍵盤楽器が弾けない。このブログでも何度もピアノやエレピ、オルガンなんかについて書いているので、時々バンドのキーボード募集のお誘いを頂いたりするのだが、そういうことは全くできない。自分が歌を歌うときに、和音を鳴らして伴奏することぐらいしかできない。

できないできないばかりで恥ずかしいのだが、それが事実なのだから仕方ない。

しかしながら、ピアノという楽器が好きだ。この楽器さえあれば、世界中の音楽を奏でることができるだけでなく(演奏の腕前の問題はあるが)、音楽を教えてくれさえする。そして私は、あまたあるピアノの中でも、自宅にあるベヒシュタインの古いグランドピアノが特に気に入っている。この楽器は、私が拙い腕で鍵盤に触れても、優しく鳴ってくれる。

このベヒシュタインは、今より遥か120年前に作られたものである。前のオーナーから1896年製と聞いている。鉄骨の構造や、ロゴマーク、製造番号その他色々のディテールから見ても、それは本当で、たしかに120年前に造られたものである。もちろん、新品のピアノとは違い、いろいろなところにガタはきている。弦はおそらく一度は張り替えられており、下から2オクターブ目のミの弦は、そのあともう一度切れたらしく、急ごしらえで巻いたゲージがちぐはぐの弦が張ってある。そのため、このミはどのように調律してもうなってしまう。また、低音弦も何本かはもう既に寿命がきており、うまく取り扱わなければジンジンとなってしまう。ピアノの脚は、もう随分前に交換されている。

もう一つ、これは決定的な致命傷であるが、フレーム(鉄骨)に小さなクラックが入ってしまっている。この時代のベヒシュタインに特有の、フレームのクラックだ。おそらく、最後に弦を張り替えた際にこのヒビが入ってしまったのだろう。

けれども、そのような箇所を考慮しても、この楽器が奏でる美しく儚い音色を聴くと、そんなことはどうでもよくなる。私はピアニストではないから、それらの古傷をいたわりながら演奏すれば良いのである。ピアノに寄り添い、無理をさせなければ、まだまだこのピアノは美しい音を奏でてくれる。

昨日、この楽器を調律してもらった。

440でお願いします。というと、調律師さんは「わかったよ、確かにこの楽器の時代を考えると442は高すぎるかもね」とつぶやいた。

たしか、この時代は436とかでチューニングしたりしてたはずです。などと、知ったようなことを私はつい調律師さんに言ってしまった。インターナショナルピッチが440になったのは1939年頃のことだから、おそらく本当にこのピアノができた時代は436ぐらいで調律していただろう。もしかすると、もっと低かったかもしれない。たった2ヘルツだけれど、私はこのピアノに負担をかけたくないのだ。私の家で、ゆっくりとすれば良い。

私が、ピアニストではないことが、はたしてこのピアノにとって幸運なことなのか、不運なことなのかはわからないけれど、楽器なのだからしっかり鳴らせる人が手元に置いていた方が良いに決まっている。けれども、たまたま私の手元にあるからこそ、このピアノは延命しているのだとも言える。そして、私の家族でピアノを演奏する人は他にいない。私が歌を歌うとき以外には、時々思い出したかのように、娘や妻が鍵盤に触れるぐらいで、しっかりとした音楽を奏でられる人はうちにはいない。時々、ピアノを演奏できる友人が遊びに来た際に、弾くぐらい。

調律が終わって、試しに少し鳴らしてみたら、調律前より音色がキリリとしていた。キラキラしましたね、このベヒシュタイン。と私が言うと、調律師さんは懐かしそうにベヒシュタインをさらりと奏で、「ああ、佐々木さんとこのベヒシュタインにまた会えたなあ」とつぶやいて、世間話を(ピアノについてなのだが)して帰った。

帰られた後に、ピアノと二人きりになった私はMy foolish heartのコードを追いかけた。ゆっくりと日が暮れていき、妻と娘が帰ってきて

調律師さん帰ったの?どうだった?

聞くので、「うん。とても良い音になったよ」と答えた。