何も聴くにが起きなくても、なんとか聴いてみた大貫妙子 「はるかなHOME TOWN」

音楽というものを何も聴く気が起きなくなった。

半年ほど前から体調を崩してしまい、それ以来音楽を聴くのすら辛いことがある。まあ、そんな命に関わるような病気じゃないからいいのだけれど。

ちょっとカントリーのアルバムでも聴こうと思ったのだが、CDプレーヤーのトレイを開けただけで聴く気が失せてしまった。

しかし、何も音楽を聴かないでいると何となく落ち着かない。こういう時はあまり刺激のない音楽を聴きたい。いや、本当は何も聞かないほうがいいのかもしれないけれど。

No Music, No Lifeとタワーレコードが叫んでいたけれども、実際のところ音楽を聞かなくてもなんとか生きていくことはできる。ただ、退屈なだけである。退屈とは、私にとってとてもストレスであることは確かなようだ。入院していた時など、持ち込める音楽のプレーヤーなんかに制限があって、結局ひと月ぐらい何も聞かないで過ごした。退屈であった。自分でも思っていたよりもストレスが溜まっていたようだ。外泊で自宅に戻った際に音楽を聴こうとCDラックに飛びつくように聴きたい音楽を探し、聴いたが、結局疲れてしまい、あんなに聴きたかった音楽もろくに聴けなかった。

退院してみて、少し気分に余裕が出てきて、まあ、そんなに焦って音楽を聴かなくたっていいと思えるようになった。それで、力が少し抜けて、音楽を聴いていても疲れなくなってきた。

しかし、今夜は音楽が聴きたいのに、聴く気力が起きないという事態にまた陥ってしまった。何か聴きたいのだが、どれもいざ聴こうと思うと聴く前から疲れてしまうのだ。

そうしているうちに、何となくCDラックの一番上に平積みになっていた大貫妙子のベスト盤が目に入ったのだ。

これなら、何となく聴けそうだ

そう思い、CDプレーヤーに入れてかけてみた。思った通り、音楽がすんなり耳に流れ込んできた。こういう気力が湧かない最低な時に大貫妙子さんの音楽はよく合うな。まるでミミを切り落とした食パンにハムとマヨネーズがよく合うかのように合うな、なんておかしなことまで考えてしまった。
きっと彼女の声がいいんだろうな。少女のようで母のような歌声。まあ、私の母ちゃんはこんな声じゃないけれど。

彼女の2枚組のベスト盤「大貫妙子 ライブラリー」の2枚目を聴いているのだが、どの曲も独特の爽やかさと、凛とした感じ、ちょっと儚さを感じさせる優しさがいいな。彼女の音楽を言葉で表せるような語彙を私は持っていないんだな。だからいいのかもしれない。言葉にしてしまったら、こういう気分の時にその言葉が壁になってしまい音楽を受け止めるのにパワーが必要になってしまう。彼女の音楽と私の間にはそういう壁がないんだな。

メロディーもそうだけど、歌い方がとっても素朴で、純粋な感じがするから、簡単なんじゃないかと思って、自分でも弾き語りできるんじゃないかと、ちょっとコード譜を見て歌おうとしたことあったけれど、すごくコードが難しくて歌えなかった。

中でも、京成スカイライナーのCMソングになった「はるかな HOME TOWN」っていう曲が好きだ。八木伸郎のハーモニカがとても心地いい。ハーモニカってこんなに澄んだ音色が出るんだな。まるでパイプの先から静かに立ち昇る煙のような音色だな。

一度、八木のぶおさんのハーモニカを生で聴いたことがある。池袋のジャズフェスティバルに出演していたビッグバンドのゲスト奏者として2曲吹いていた。池袋の駅前の公園に設置された野外ステージでの演奏だった。

日が沈んできて、ちょうど夕焼けが綺麗に赤く焼け始めた時に、八木のぶおさんはクロマチックハーモニカからブルースハープに持ち替えてソロを吹いた。その時、池袋駅前の空気がパーっと夕空の色と一緒になったような気がした。ブルースハープの音の響きが、一度も訪れたことのない童謡の中の「故郷」に私たちを連れて行ってくれたような感覚すら憶えた。20代の頃、高校時代からの友人と二人で聴いたのだった。とても心地のいい音楽だった。

アメリカが好きじゃなくても心にしみるアルバム Ray Charles “Sings for America”

私はアメリカ贔屓ではない。確かにアメリカは豊かな国だし、素晴らしいアートやエンターテイメントを生み出し続けているとは思うけれど、だからってアメリカが好きというわけではない。

アメリカ合衆国という国が、実際のところどんな国なのかははかり知れない。あれだけ大きな国土で、あれだけ人口がいて、いろいろな文化圏から移住してきた人たちのいる国である。わからないのも当然だ。世界の経済を動かす大きな企業や、投資家もいるし、世界の治安を握っている軍事力もあれば、政治力もある。ああいう国は好きか嫌いかよりもむしろ恐れのようなものを感じる。得体の知れない大きなものへの恐れである。

その一方で、アメリカの生み出した素晴らしいものもたくさんある。歴史は十分深い国とは言えないかもしれないけれども、そんなことは問題にならないくらいすごいものを生み出している。それは、音楽やら、アートなんかだけではなく、アメ車だったり、ファッションだったり、文化、工業製品、サービス、システム何においてもすごいものを生みだしてきていることは確かだ。そして、私は望むと望まぬとに関わらず、それらの恩恵を受け、それらにインスパイアされて日々の生活を送っている。

アメリカを賛美するような商品(パッケージと言ったほうが良いか)は多い。その中でもとりわけ、音楽、アート、ファッションなんかに関わる商品は、その「胡散臭さ」も含めて私の目を惹く。星条旗が大きくあしらわれたTシャツ、アメリカ讃歌なんかに接する時、その愛国心への違和感によるなんだか背筋がぞっとするような感覚と、愛国心への羨ましさによるほっこりとした気持ちが同時に湧く。

今日紹介するRay Charlesのアルバム「Sings for America」も、そういった商品の一つだ。

レイ・チャールズのレパートリーからアメリカについて歌った曲を集めたコンピレーションアルバムだ。手元にあるCDを見ると2002年に発売されたアルバムのようだから、ニューヨークでの同時多発テロの後、愛国心が改めて高まっていく気運の中で企画されたアルバムだろう。あまつさえ「New York’s my home」という曲まで入っているのだから。

のっけから「 America The Beautiful 」という曲で始まり、もう、一気に愛国心をぶっつけられる。それも、レイ・チャールズがものすごく堂々と歌い上げるので、ちょっと気後れしてしまうぐらい、ちょっと赤面してしまうぐらいのインパクトである。友人から恋人との関係について赤裸々に語られているような感覚と言ったらいいか。そんな感じだ。

このアルバムは、こういう歌が何曲か入っている。まあタイトルが「Sings for  Amarica」だから仕方ない。ジャケットの写真にも星条旗が写っているぐらいだから。

しかし、どちらかというとアメリカそのものを歌った曲というよりも、アメリカを元気付ける曲、アメリカのあり方を問う曲も収められていて、単純にアメリカ讃歌に止まっていない。

例えば、18曲目の「 Sail Away」はランディー・ニューマンのカバーでアメリカへ奴隷を連れてきた際の物語を揶揄した内容の歌詞だ。アメリカはすごくいいところでみんな幸せで自由なんだと言って、人々を騙してアメリカへ奴隷を連れてきたんだよという内容の曲である。

それ以外にも、ビートルズの「Let it be」や「Over the rainbow」なんかも入っている。

「アメリカ万歳!」というだけのアルバムではない。

そういうこともあって、このアルバムは、アメリカのことが好きとか嫌いとかそういう問題と違うところで聴くことができる。聴いていて少し元気づけられるような選曲であるらしいし、そうでなくても歌詞の内容は関係なくレイチャールズの歌を心地よく楽しむことができる。彼のオリジナルアルバムは勢いがあるのだが騒がしいものや、ちょっと味付けが濃くてクドイものもあるので、アルバム一枚をきちんと聴くと結構疲れるのだが、このアルバムはいい具合にそれが分散されている。

意外なところでは「Take me home, country roads」が入っていて、彼のレパートリーの幅広さにあらためて感嘆する。

ちなみに、10トラック目はRay Charlesのアメリカに対するメッセージを兼ねたアルバムの解説が入っている。これは、わざわざ入れなくても良かったんじゃないかと思うけれど、まあ、仕方ないか。

結構難しそうなことをやっているけれども、すんなり聴けるアルバム。Johnny A “sometime tuesday morning”

Johnny Aという人については詳しく知らない。スティーブヴァイに見出されてメジャーなアーティストになったということは聞いたことがあるけれど、こういうわりと畑違いというかブルース、カントリー、ロカビリーの匂いをさせるようなギタリストを見つけ出せるのもすごいな。スティーブヴァイと共演もしているらしいけれど、その音源は聴いたことがないのでわからない。きっとすごいんだろうな。

よく知らないけれども、このアルバムが素晴らしいアルバムであることは確かだ。どのように素晴らしいかというと、聴いていて疲れない。ちょっとジャズの香りがするサウンドに、ブルースやカントリーの要素が混ざり合って、気怠く、落ち着いた音楽に仕上がっている。

相当なテクニックを誇るギタリストなんだろうけれども、そのテクニックをこれ見よがしに披露するのではなく、あくまでもアルバムとして「大人な」感じに仕上げてあるのがいい。ギターのサウンドも、まるでアンプに直接プラグインしているかのように生々しく、どこか小さなクラブでギタートリオを聴いているような感じがする。

アルバムはJohnny Aのオリジナル曲が大半を占めるのだが、グレン・キャンベルが歌った名曲「Wichta lineman」や、ビートルズの「Yes it is」などの名曲のカバーが数曲収録されている。

カバー曲の選曲もそうだし、アレンジがこのアルバムに合っている。オリジナル曲とカバー曲のバランスが良く、アルバムをかけっぱなしにして一枚を通して聴ける。

ブライアン・セッツァーとダニー・ガットンとベンチャーズに、ちょっとジミヘンみたいなロックの要素を加えて、そこにジャズのいいところを加えたような音楽と言ってしまうとJohnny Aに失礼なのだが、どんな音楽なのかをざっくり言ってしまうとそんな感じだ。

しかし、このアルバムでのJohnny Aが上にあげたミュージシャンと少し異なるのは、スタイルがちょっとお洒落で、アレンジがジャズ寄りなところだろう。コードの鳴らし方も、ロックなサウンドの中でアクセントとしてテンションを鳴らすというよりも、全体の流れの中にジャズっぽいテンションコードが駆使され、アクセントとしてロックな味付けをしているといった感じだ。

そして、その音楽が嫌味でなく、大げさでなく、むしろどこか親しみやすいのが不思議なことだ。決して難解でない。純粋に音楽として楽しめる。じっくり聴かなくても、小さな音でかけて聴き流す事も出来る。

ギタリストのリーダーアルバムで、インストのアルバムだから、ギターに興味がないっていう人にはちょっと敷居が高いと思われるかもしれませんが、ロカビリーやカントリーのテイストの入ったロックがお好きな方にはオススメです。

ちょっと引いた視線から、1920年代の「日常」 le passé composé Les 6×13 de Jacques-Henri Lartigue

いわゆるアート写真集は、本自体が大判で値段もはるものも多くそうおいそれとは買えない。高くて重くてかさ張るものをどんどん買っていると、破産するか家の床が抜ける。そういうことは世の中では贅沢とか、道楽とか呼ばれている。

ずいぶん前に何かの雑誌で、小津安二郎が、浪費と贅沢は違うよ、贅沢は心のためになるよ、浪費っていうのは何の役にもたたないものに金を使ったりすることだよ、みたいなことを言っていたと読んだが、写真集を買うのは小津のいう「贅沢」としていいもんなのかどうなのか。どうも写真集を買っても「心のたし」になるのだろうかどうなのだろうか。

それでも、私は時々写真集を買う。大抵は写真家の作品集のような写真集を買う。時々「ジャズミュージシャンの写真集」とかも買うけれども、ほとんどは写真家の作品集、いわゆるアート写真集を買う。なぜ買うかというと、何かあった時のためにそういう本を手元に置いておきたいがためだ。

「何かあった時」というのは、どうしてもその写真が見たくなった時である。気分が滅入った時とか、妙に気分がいい時とか、腹がいっぱいになってちょっとくつろぎたい時とかにふと妙に写真集をめくりたい時が来るかもしれない。そういう時は永遠にこないかもしれないのだが、それでもこれはと思うものがあった時は買う。大抵は買ったら安心してあまり見ないのだが、写真集は写真だけ見ると15分もあればパラパラと一冊見ることができるので、ある意味手軽に一遍のドラマを、異国の光景を、日常の気づかなかった瞬間を、ある程度まとまった形で堪能できる。

話が長くなってしまうので、とりあえず手元にある一冊を紹介する。

Jacques-Henri Lartigueの作品集「le passé composé」。ラルティーグがパノラマカメラで撮った作品を纏めた本である。

ラルティーグは幼少の頃(20世紀の初めの頃)からかなりの量の写真を撮っていて、本人は自身を写真作家という認識じゃなく「写真愛好家」ぐらいに思っていたのかもしれないけれども、そういうことはこの人の写真にプラスに働いていると思う。

この本に掲載されている写真からも、技巧的なことを極めようとか、誰にも撮れないものを撮ろうとか、自身の内面を写真で再構築しようとかそういう強い意図は感じられない。

まあ、結構裕福な家庭の生まれの方だから、結果としてちょっと浮世離れしているところはあるんだけれども。例えば写っている車(おそらく自家用車)がやけに高級車だったり、自家用飛行機が写っていたり、家族(恋人?)の格好がずいぶん立派だったりする。

けれども、写真自体はすごく普通の動機から撮影されている。記念写真、カーレースを観戦している時に撮られたもの、旅先でのスナップ、スポーツをしている時の写真なんかだ。全てが1920年代に撮られている。

レルティーグのカメラは壊れていたのか、収められている多くの写真の左側が暗くなっている。フィルムの一部が感光してしまい写真の一部が白く飛んでしまっているものもある。そういうところも含めて「プロフェッショナル」な写真じゃなくて良い。むしろそういうところがこの写真集の親しみのわくところだ。

彼の日常、いや日常の中でも「ちょっとお洒落をして出かけている時」の光景が、6X13というちょっと非日常を想起させるフォーマットに収まっている。そういう光景を約90年後に垣間見ることにより、その世界に感情移入はできないのだが、そこに強く惹きつけられる。すごく楽しそうでなんだか幸せそうありながら、ふとしたところで陰鬱でもあるなんだか不思議な日常に魅せられるのだ。

「いやー、いい時代だったんだよ」

とか、一見そういう写真なのかと思うと、それだけでもない。「いい時代の写真」ということだけではまとめられない。それはパノラマというフォーマットのせいもあるのだが、そういう問題だけでもない気がする。実際ラルティーグはかなり巧妙にこのパノラマというフォーマットを使いこなしている。技巧的な問題で収まりが悪いということはあまり感じない。むしろ、ラルティーグのカメラの視線の定まり方がちょっとその場面を引いて眺めていてそれがこの写真集のある種独特の世界観を作っているのだ。ちょっと冷静な視線というか、他人に見せることを前提にしているのかどうかはわからないけれど、写真が傍観している。それが、ふとしたところで感じる陰鬱さにつながっているのだろう。

この写真集に入っている写真はとても静かで、パンチが強くないものばかりなので、ちょっと疲れた時なんかに時々めくってみている。

大きさはだいたい25cm×25cmぐらいで、写真点数は40点。5〜10分ぐらいでパラパラと全ての写真を見ることができる。ボリュームが多すぎないこともこの写真集の良いところだと思う。

適度に騒がしくないアレンジメント Milt Jackson Orchestra “BIG BAGS”

気分をスカッとさせたい時にビッグバンドのジャズを聴くという方もいると思う。私もカウントベイシーなんかを聴くときは、なんだかバッティングセンターに行くような気持ちで、「よし、こりゃいっちょやってやろう!」なんていう訳のわからないテンションで聴いたりする。

カウントベイシーの音楽は、元気があるときのストレス解消なんかには丁度いい。たまにバラードなんかが入っていて、それもいい箸休めになって、自分が演奏しているわけでもないのにいい汗がかける。

まあ、一言にビッグバンドとは言ったって、ボブミンツァーみたいなものもあるし、なんとも言えないのだが。かくいう私はさほどビッグバンドジャズに詳しくはない。友人で学生時代にビッグバンドでベースを弾いていた奴がいるので、彼に色々教わって聴いたりもしたのだが、ちゃんとアルバム一枚通して聴いたのはあまりない。何故なら、疲れてしまうのだ。

このブログでは、できるだけそういう疲れてしまうような音楽は取り上げない。もっと、カウチに座ったり、座布団に寝そべったりして聴いて、じっくり集中しなくても聴けるようなものを紹介したい。何故なら自分自身、疲れて気力が湧かない時、仕事から帰ってリラックスしたい時、ただ単に音楽を聞き流したい時に丁度いい音楽を求めているからだ。いつもがいつも音楽と全力で格闘できるわけではない。時には、音楽が流れるのに任せておいて、自分はゆっくりしたい。だからといってどうでもいいような音楽じゃ物足りない。

そこで、第一弾として紹介するのが、Milt JacksonのBig Bagsというアルバムだ。

できるだけ騒がしくない音楽から紹介したかったのだが、いきなりビッグバンドジャズとなってしまった。しかも、Milt Jacksonはヴィブラフォン奏者でもかなり音数が多めのビバップとかそういう系の人だから、一見、騒がしいジャズを期待するアルバム。Roy Ayersとかそういう人のアルバムならもっと、都会の洗練とベルベットのようなサウンドを手に入れることができそうなのだが。

しかしながら、このアルバムは少々くたびれている時でも聴ける。7曲目までなら特に。

確かにアレンジメントをしているTadd Dameronと Erie Wilkinsは結構ビシビシバシバシ系のアレンジを書いている。このアルバムだって「Star Eyes」のアレンジなんかは、カウントベイシーオーケストラを彷彿とさせる音楽で、ドラムのConnie Kayもどんどん攻めてくる。8曲目の「Star Eyes」以降は結構うるさい。この辺からエキサイトしてきて、ちょっと騒がしいジャズになってくる。

けれどもアルバムとしては、何かしながら、例えば本を読みながらでも聴いていられる音楽に仕上がっている。それは、Milt Jacksonのリードが程よく抑えられているからだろう。抑えられていると言っても、手を抜いているというわけではない。むしろフレーズは澱みなく出てきているし、すごくスリリングなヴィブラフォンを聴かせている。

けれども、そこをやりすぎないで、ちょうどいいところで音楽を作っている。泥臭くなりすぎないし、バリバリしすぎない。けしてサラリとした音楽ではないのだが、音楽をごり押ししてこない。どちらかといえば、バックのビッグバンドがちょっと前に出てきていて、ミルトジャクソンは、控えめな印象を受ける。この人、そんなに控えめな演奏する人でもなかったと思うけれど。

一言文句があるとしたら、私の手元にあるCDでこのアルバムを聴いていると、ボーナストラックとして「Round Midnight」と「Star Eyes」の別テイクが入っているのだが、それがそれぞれの曲の後に続けて入っている。同じ曲を2回続けて聴かされるのだ。これは、ちょっともったいない。

私は、  CDにボーナストラックとかは要らないと思うのだ。アーティスト(アーティストとは奏者なのか、プロデューサーなのかはその時その時で変わるが)が意図した通りにアルバムが聞ければそれでいいではないか。

まあ、そういう問題は置いておいて、都会の喧騒に疲れた大人のための ビッグバンドジャズとして、「Big Bags」は悪くない。