別れと出会い、Kanstul Committee

今日、1981年製のFender Telecasterを売却した。 Black and Gold Telecasterという、なんともゴージャスでデラックスなギターであった。バンドのライブでも何度か使い(私の持っているギターの中から、娘がライブで使うならこれが良いと言って選んでくれた)、苦楽を共にしたギターであった。

もう、コロナでライブもやらなくなってしまったことと、持っているテレキャスターの中でも一番登場頻度が低いので、売却した。楽器を売却するのはとても辛いのであるが、それをお店が高く評価してくれて、高く売れてくれると正直言って嬉しい。私のギターも高く評価してもらったので、嬉しかった。

別れ際に、「ありがとう」とギターに呟いたら、なんとなく感傷的になってしまった。本当にありがとう。良いギターでした。ありがとう。

それで、その足で別の楽器店に行って、トランペットを買った。

売却して手に入ったお金は、一文残らずトランペットに変わった。すこし、追加でお金を払い、トランペットを手にいれた。

Kanstulの1603というモデルである。ラージボアのMartin Committeeの忠実な復刻版といったところの楽器だ。オリジナルのラージボアのCommitteeは今いくらぐらいだろう?50万円以上になってしまうか。復刻版のCommitteeのラージボアでも35万円ぐらいはするだろうか。復刻版も、もう20年ぐらい前に絶版になってしまった。

今回手にいれたKanstulというメーカーも、今はもう無くなってしまった。とても真面目に楽器を作る会社で、1603モデルは、その中でも上級機種であった。つい5年前ぐらいまでは新品で手に入れることができたのに、惜しいことに無くなってしまった。

Kanstulの楽器を買うのは2本目か。一本目は学生時代に、コミッティーを手放して買った、フォンティーヌ・ベッソンの復刻モデルだった。なんであの時、コミッティーを手放してしまったのか、今でも後悔しているのだが(そのあと長いコミッティー探しの旅が続いている)フォンティーヌ・ベッソンは15年ぐらい所有していた。ピストンの調子がイマイチだったことを除けば、音は素晴らしい楽器だった。カンスタルらしい、丁寧な音がした。銀メッキが真っ黒に錆びて、ものすごく貫禄が出ている状態で手放した。

今回のカンスタルは、それよりもずいぶん最近作られたモデルだ。ラージボアなので、なかなか鳴らしきれないが、先日知人に貸してもらったSchilkeのように、どんどん息が入っていく感じで、シルキーのようにド派手ではない音色も気に入った。

オリジナルの、状態の良いコミッティーはもうなかなか手に入らなくなってしまった。私も一台、ボロボロなルックスだが状態は良い個体を持っているが、プロのトランペッターに貸している。とても素晴らしい楽器なのだが、音が素直に出すぎて、私には扱いきれないのだ。彼は、大切に使ってくれているようだが、楽器なのだから、もっとバリバリ使ってもらって構わない。

トランペットという楽器は、どこか消耗品のような側面があって、エレキギターほどは長持ちしない。けれども、その短い命の火花が散っているうちに大切に演奏してあげるのが、楽器に対するせめてものリスペクトだと思う。

カンスタルのコミッティー、これからどのように美しい音をならせるようにできるか模索中である。

Big Sound! Schilke B5!

Schilkeと書いてあるのを見て、すぐに「シルキー!」と読めてしまうのはトランペッターぐらいでしょうか。トランペットについての文献以外でSchilkeという名前に出会ったことがない。

Schilkeといえばトランペットの世界では「高級品」「一級品の1ランク上」というようなイメージがあるのは、私だけではないでしょう。この写真のシルキーは、私のものではないのですが、まさに一級品の上の「特級品」というような楽器です。

シルキーの何が凄いかって、

まず、値段。高いです。新品はもちろん高いですが、中古ですらおいそれとは手が出せません。高いです。

そして、勢いよく遠くへ飛んでいくようなビッグで遠鳴りするサウンド。これも凄まじいです。下手な私なんかが吹いたら、下手なままビッグなサウンドで前にぶっ飛んで行きます。優しく吹いても、それがどんな優しさなのかはっきりと出ます。嘘偽りのない優しさなのか、上辺だけの優しさなのか。そういうのがはっきりと出てしまいます。

つくりの良さ。これも、個体によるでしょうが、やけにちゃんとしてます。ヤマハのつくりの良さのような、あそこまでのアレではないですが、アレとはまた別の、細かいところまでのトータルプロデュースの力強さというようなものを感じます。ヤマハは細かく見て作りがよく、シルキーはパッと見た時の作りが良い。誠に上品な風格でありながら、どっしりとしている。

なんだか、凄い楽器を貸していただきました。

早速吹いてみました。「おお、音がでかい」「おお、音がスーッと出て行く」「おお、息がどんどん入っていく」。バックの楽器と吹き比べてみましたが、バックの方は、楽器が音をつくってくれる感じ。なんと言いますか、音楽の工場に素材を運び入れたら、それを職人さん達がちょっとづつ、しっかり良いものを作ってくれている感じ。それに比べて、シルキーは、工場に素材を運び入れるや否や、どんどん出荷してくる感じ。もう、素材の味をそのままに、それもとびっきり活きの良いやつをたくさん出荷してくる感じ。

なんだか、バックのトランペットの「抵抗感がある」っていう感覚を今までよくわからないでいたのですが、確かにバックの方が「抵抗感があって良い音が出やすい」。それに比べて、シルキーは抵抗感があまりなくて、息が効率よく音に変わってくれる感じ。

これは、何に近いのだろうか。

Martin Committeeも、息がそのまま音になる感じの楽器ですが(その分、扱いが難しい)Schilkeはそれよりも、息の効率が良い気がします。

兎にも角にも、これでうまくならなかったらもう楽器は言い訳にはできない。頑張って練習するのみです。せめて、この楽器を貸していただいている間に、もっと自分の音を聴いて、音を綺麗にしたいと強く感じております。

まあ、楽器本体はとてもじゃないけれどおいそれとは買えないから、まずはマウスピースだけでも試してみてください。

Jeff Beckが亡くなった

昨日、Jeff Beckが亡くなったとのニュースを知った。

私は、Jeff Beckファンではないけれど、彼のギタープレーは凄いと思う。まともに聴いたことがあるアルバムは、Blow by Blowぐらいだし、それすらもじっくりと聴いたことは数回しかない。

レコードラックには数枚のアルバムと、ライブ盤のCDぐらいしか持ってはいない。それらも、じっくりと聴いたわけでもない。

しかし、彼のギターを聴く時、その表現力の多様さに圧倒されてしまう。エレキギターという楽器をある意味完全な意味で自分の声にしているミュージシャンであることは間違いない。

なんという曲だかよく覚えていないけれど、Blow by BlowのB面の最後の曲は凄まじい。もちろん、B面の一曲目の「哀しみの恋人達」も素晴らしいのだけれど。エレキギターという楽器が吟遊詩人のごとく、朴訥であったり、雄弁であったり、叫んだり、わめいたり、なんでもできてしまう。数日前にこのブログで言及したウィントンマルサリスのトランペットのように、自由自在に楽器を歌わせる。

もう、新作を出さないのかと思うと、なんだか寂しい。

いままで、新作の類を買ってこなかったが、新作をいつの日かエレキギター音楽の古典にできる数少ないギタリストの一人であったと思う。

誠実で、ショッキングで、美しい音楽を作り続けてくれて、ありがとうございました。

つかみから素晴らしいアルバム Chet Baker Love Song

昨夜、Chet BakerのSings Againを聴いていた。今晩は同じく Chet BakerのLove Songを聴いている。Sings Againとおなじプロデューサーのアルバム。リズムセクションは全く違うメンバーだけれど、Sings Againと対になっているようなアルバムだ。

1986年の録音。Sings Againが来日前の1985年録音で、こちらは来日後にあたるのか、詳しいことはわからないけれど、ヨーロッパ同様に日本でもチェットベーカーは人気があったのだろう。

一曲目I’m a fool to want youから始まって、B面の最後まで一気に聴かせるアルバムに仕上がっている。

何よりも選曲が良い。チェット自身の選曲なのか、プロデューサーのリクエストなのかはわからないけれど、チェットの魅力が溢れ出ている。ラウンドミッドナイトなんかは、チェットの晩年のレパートリーでは定番だったのかもしれないが、日本のジャズファンにはウケが良いだろう。そういう計算もあっての選曲なのだと思うが、とても良い。

なによりも、チェットの暗いアンニュイなトランペットと、儚げな歌に似合った曲を選んでいる。どの曲も、イントロからチェットベーカーの世界に引き込まれてしまう。これは、美しいという言葉とも違う世界だな。どちらかといえば、喪失感に近い。なにか、もう戻らないものが恋しいというような感覚に近い。それがなんなのかはわからないのだけれど。そして、それも正しい表現なのかすらあやしいけれど。

Sings Againと異なるリズムセクションと書いたが、このアルバムのリズムセクションはものすごく豪華である。ピアノにハロルドダンコ。この人は晩年のチェットとよく共演している。アートペッパーにとってのジョージケイブルス、スタンゲッツにとってのケニーバロンのような組み合わせと言ってしまえば乱暴であるが(乱暴すぎる!!)息がぴったりである。

ビッチビチに詰まったアンサンブルではなくて、むしろ空間を上手く使うタイプの演奏なのだけれど、急ごしらえのメンバーにしては息が合っている。チェットがこの録音にどのくらい時間をかけたのかはわからないが(クレジットでは三日で録っている)、よくぞこのような名盤を残してくれた。

チェットの後期の録音では、ライブ盤のBroken Wingというアルバムがとても好きなのだけれど(学生時代に京都で買った)、それとは違った、もっと上手くつくりこまれているようにすら感じる録音である。Broken Wingは1978年録音だから、もっともっと前で、チェットが枯れた雰囲気でありながらまだまだ凛としている。 Love Songはもっとリラックスしている。

このころのチェットは楽器は何を使っていたのだろう。きっとバックのストラッドだと思うのだが、もしかするとまだブッシャーのアリストクラートを吹いているのかもしれない。わからないし、どちらでも良いのだけれど、すごいことにチェットはどの楽器を吹いても、自分の音を出してしまう。こういう録音を聞くと、楽器の違いによるファクターってどのくらいあるんだろうかと思ってしまう。まあ、バックの方が楽器としての信頼性は高いのだろうけれど、どちらが良いというわけでもない。Buescher Aristocratを吹いているだろう1978年録音も素晴らしい。まさにチェットのトランペットの音である。

そして、このアルバムの良いところは、聴いていて疲れない。聴き疲れしないのに凄い。素晴らしい。

どのくらい凄いかって、まあ、騙されたと思って聴いてみてください。本当に騙されるかもしれないけれども。

もう、歌いたいだけ歌っていただきたい。Chet Baker Sings Again

Chet Bakerが好きで、ここ15年ぐらいじっくりと聴いている。チェットのリーダーアルバムは100枚以上出ているらしいのだけれど、40枚ぐらいは持っていて、50年代のものよりも、後期のものを盛んに聴いている。

最近、ずっとペダルスティールのアルバムを聴きこんでいたのだけれど、ちょっと聴きすぎてしまい、ペダルスティールに疲れているということもあり、久々にまたチェットのアルバムを聴いている。

ペダルスティールギターをこっそり練習しているのだけれど、なかなか上達しない。楽器は十分すぎるほど揃っているのだけれど、楽器の腕前はちっとも上達しない。こればっかりは仕方ない。練習時間が足りないのもそうなのかもしれないけれど、ペダルスティールは奏法が難しい上に、分かりやすい教則本の類も少ない。教則本をはじめのページからゆっくり読んでいても、ちっともペダルスティールの美味しいところに到達できる気がしない。

それで、ちょっとしばらくペダルスティールのレコードから距離を置いている。

気晴らしにトランペットを吹いてみたりしたのだけれど、これがまた難しい。トランペットは絶対音感だろうが、相対音感だろうが、音感が重要な楽器なので、それが苦手な私にはとてもきつい。

まあ、それでも、トランペットについてもギターについても、とてつもなく上達したいという志からは程遠いところにいるので、心の平穏を保っていられる。トランペットはいままであまり真剣に練習したことはないのだけれど、手元にある簡単な教本の練習曲のさわりの部分ぐらいは吹けるので、それが日々少しづつ吹けるようになれば御の字といったところで、楽しんで練習できる。

対してペダルスティールは難しすぎて、曲というものを一曲もマスターできていない。人前で「ちょっと弾いてみてください」などと言われても、ちっとも弾けない。これはこれで結構ストレスフルだ。けれども、40歳をすぎて新しい楽器を習得するというのはなかなか頭の体操になって良い。

話を戻して、チェットベーカーである。

今夜は彼の後期の作品、オランダ録音のSings Againというアルバムを聴いている。

あのChet Baker Singsにかけて、Sings Againなんだろう。内容も、My funny Valentineを演奏していたりSings Againの名に恥じない名盤である。

私は名盤Chet Baker Singsよりも、はっきり言ってこのSings Againの方が好きである。チェットの歌もトランペットも枯れきっていて美しい。ソロも、たいしていっぱい吹かないし(それは Singsでもおなじなのだけれど)トランペットの音域もとても抑え気味で無理しない範囲で吹いている。それが、とにかく安心して聞いていられるし、肉と魂が詰まっているような気がして心を揺さぶられる。

歌の方は、チェットの晩年の作品の中ではかなり「しっかり」歌っている。それも好感が持てる。

実は私は20代の頃チェットの歌は好きではなかった。なんだかちょっとなよなよしていて、かっこいいチェットのイメージから離れている気がしていた。けれども、これも含めてチェットベーカーなのだと思えるようになってから一気に引き込まれた。今は、とても心にしみる。チェットベーカーの歌は、まるで聴いている自分のためだけに歌ってくれているような親密感がある。本人も「余興」のようなノリでやっていたのがいつの間にか本業になってしまったかのような戸惑いさえ感じているのかもしれない。けれども、そこが良い。

世界一上手い歌手でないところが良い。

スキャットのアドリブも、トランペットのアドリブも、どちらもチェットの紡ぎ出す陰鬱で、しっとりとした魅力がある。できることなら、チェットにはもっと長生きして欲しかったような、これ以上やつれたチェットの姿は見たくなかったような、複雑な気分にさせられるところも良い。

私は、チェットベーカーという音楽が好きなのだ。

Sings Againとかもったいつけないで、もうこのまま歌いたいだけ歌っていて欲しかった。