ずっと知り合えなかった人たち

年明け早々から、ずいぶんくらい本を読んでしまい、折からの不調も続き、気分が沈みがちである。

今日読んでいた本に、31歳になった著者が二十歳の頃を回想したくだりがあり、大変暗い気持ちになってしまった。私の二十歳はそれほど破れかぶれではなかったが、やはりそれほど明るい時代でもなかった気がする。

気がすると書いたのは、実際は遊び呆けていて、なかなかそれで楽しい二十歳だったかもしれないという気もしなくはないのだが、いかんせんよく覚えていないのである。よく覚えていないのは、その頃の自分がかっこ悪かったので、それを忘れようとしているのか、はたまた、それが楽しすぎてすぐに過ぎて行ってしまったのか、それすらも覚えていないのである。

二十歳の春、私は国立の駅に降りた。大学に通うため、国立のアパートを親が借りてくれたのだ。今思えば、国立のアパートを借りてくれる親がいるのだからかなり恵まれた青春時代である。かなり恵まれていたことは確かである。

四月には意気揚々と歩いていたキャンパスも、五月の終わりには、すでに頭を垂れて歩くようになっていた。その時点で、ほぼ落第は覚悟していた。同級生とも遊んでいたりはしたのだが、周りは落第生候補者だらけだった。優等生たちはほとんど相手をしてくれなかった。

私も二十歳である。歳相応に憧れの女性もいた。

あれは恋愛というのとは違うけれど、キャンパスに時折美しい人を見かけるようになったのは、六月も過ぎた頃だろうか。その頃は、もうすでに私はほとんど大学に足を踏み入れることはなかったが、六月に三度ほどその人を見かけた。同級生ではないようだった。いつもラグビー部の男と歩いていたので、彼の恋人だったのかもしれない。詳細はわからなかったが、私が普段読むことのない雑誌に出てくるような美しい人だった。

私は、ついに彼女が何者かを知ることができなかった。

1年後、私は案の定落第してしまい、さらに大学から足は遠のいた。もう、あの美しい人を見かけることはそれ以来なかった。

今日、帰り道に、そんなことを思い出していた。

いつの日か、私の暗い青春時代について、短い文章を書こうと思った。

下手だろうが上手かろうがモズライト

昨日、Mosriteについての話を書いたら反応があったのでもう少し。

Mosriteというギターはやはり一般的には弾きやすいギターではないだろう。何よりも、ネックが極端に細く、薄く、フェンダーやギブソンのギターを弾き慣れている方ははじめは戸惑ってしまう。また、バスウッドボディの割にはサスティーンが短いこともあり、弾き手の腕がバレてしまう。ビブラミュートやモズレーユニットと呼ばれるトレモロユニットも決して使いやすいものでもない。

それでも私がモズライトに惹かれるのは、その楽器としての完成度の高さかもしれない。ここで、完成度と呼んだのは、楽器の造りの良さも含めてなのだが、むしろ、エレキギターとしての個性の強さである。

フェンダーやギブソンといったメジャーなメーカーの楽器はともかくとして、モズライトというカリフォルニアのローカルなギターメーカーのギターを、たくさんのメーカーがコピーしている。その多くはヴェンチャーズ人気にあやかり日本のメーカーがコピーしたものだが、本家のモズライトとは比べるべくもない。モズライトに比べると、どれも大概造りが悪いのである。中には、モズライトにかなり迫っているものもあるが。

一度、御茶ノ水の楽器屋で、70年代のモズライトのフルアコを弾かせてもらったことがある。値段は50万円ぐらいだったから、70年代のモズライトの中としては結構高価なモデルだ。そのフルアコについていたネックも、通常のモズライトのように細く薄く、独特のグリップだった。搭載されていたピックアップもソリッドボディの通常のモデルと同じもので、アンプに繋ぐと、まさにモズライトの音がした。これでは、フルアコの意味がないではないか、と思うぐらいだった。

1963年モデルが一番高価で、作りも良いとされている。セットネックでボディーバインディングもついて、ラッカー塗装で、ヴィブラミュートユニットが付いている。さすがに、1963年製のモズライトは弾いたことはないのだけれど(100万円ぐらいしてしまうから)見ているだけで惚れ惚れしてしまう。エレキギターの世界で息をのむほど美しく、個性的な楽器は他にあるまいと思わせるぐらいの迫力がある。

しかし、悲しいかな、モズライトのギターを使うミュージシャンは少ない。モズライト使いといえばヴェンチャーズぐらいしか名前が挙がってこないのではないだろうか。モズライトのモデルで定番なのはヴェンチャーズモデルで、他のモデルはほとんど人気がない。したがって、ヴェンチャーズ世代の方々にしかモズライトのニーズはなく、ヴィンテージギター市場でもかなり値段が下がってきているのは確かだ。

ヴェンチャーズ以前にはJoe Maphisというカントリーの超速弾きギタリストがモズライトを愛用していて、ヴェンチャーズモデルは彼のモデルが元になっている。私もJoe Maphisモデルの60年代後期のものは触ったことがあるが、少し大ぶりなボディーで、やはりネックは細く、薄く、かなり個性的なギターだった。

Joe Maphis本人は、ほとんど自分のシグネチャーモデルを使うことなく、ほぼ9割方ダブルネックのカスタムモデルを弾いていた。彼の演奏を聴いていると、サスティーンが短いギターの特徴で、速いフレーズがキビキビと速く聞こえる。モズライトであのぐらい音符が揃って聞こえるように弾くのは至難の技だろう。モズライトはちょっとでもリズム感が悪いと、それがバレてしまう。

私は、腕がバレるような楽器ほど良い楽器だと思う。腕がバレるというのは、逆に言うとピッキングのニュアンスや節回しがはっきりと出るからである。初めのうちは弾いていても決して気持ちの良い楽器ではないかもしれないが、上手い人が弾くと、その人の表現が素直に聴こえてくる。まあ、私は、モズライトを自由自在に操れるほどの腕はないのだが。

そういう難しい楽器ではあるが、Joe Maphisやヴェンチャーズの弾くモズライトの音を聴いていると、なんだかギターというものがいかにカッコイイ楽器であるかを再認識できる。モズライトはそういう音のする楽器なのだ。