我が青春のスピーカー Poor Man’s Tannoy

以前、ここにも書いたけれど、数年前にJBLの4312Aを買って書斎のメインスピーカーにしている。その、大雑把な音と、ジャズを聴いた時の迫力がなかなか気に入っていて、とても満足している。

それまでは TannoyのMercuryというペアで三万円ぐらいの安物のスピーカーを使っていた。安物と言っても、購入した当時は清水の舞台から飛び降りるつもりで買った。

それは、私が上京した年、2000年の春だった。丁度22年前の今頃だったか。私は大学進学のために、国立駅に降り立った。国立駅から歩いて20分ぐらいの場所に両親がアパートを借りてくれたのだ。

初めての一人暮らし、嬉しかった。引越しには、中学からの同級生が手伝いに来てくれた。サンスイのアンプとCDデッキ、MDデッキだけを実家から宅急便で送ってもらい、アパートには届いていた。

問題は、それらを鳴らすスピーカーがないことだった。実家では、友人に譲ってもらったパイオニアのフルレンジスピーカーを使っていたが、上京に合わせてそれまで送ってもらうのはすこし費用がかかりすぎたし、場所もとりすぎた。仕方なくパイオニアのスピーカーは諦めた。

それで、引越しの手伝いをしてくれていた友人が、

オマエ、スピーカーはどうするべ?

というのである。

すでに300枚をこえるCDを実家から送っていたので、それらを聴くためのスピーカーがない。困ったもんだ。

幸い、当時国立の駅前にはオーディオユニオンがあった。

すぐにその店に行った。店に入ってがっくりきてしまった。さすがは高級住宅街の国立駅前だけある。オーディオユニオンに置いてあるスピーカーやら、アンプはどれも高級品なのである。大学に入学したての私にはとてもじゃないけれど手が出ない。100万円を超える機種すら置いてあった。田舎から出てきた自分にはきいたこともない外国のメーカーのアンプやらスピーカーが、それも高級品が山ほど置いてあった。

私は、諦めて帰ろうとした時に、友人が

こんな値段でTannoyが売ってるよ。

というのである。よく見てみると、37,000円ぐらいだっただろうか。たしかそのぐらいであった。新製品のようだった。

オーディオユニオンの店員さんに音を聞かせてもらうと、それほど悪くない。むしろ、落ち着いた音がした。私は、迷わずそれを買うことにした。

1m2000円ぐらいのスピーカーケーブルをおまけにつけてもらって、そのまま駅前からアパートまで持って運んだ。

新しい自分の部屋に着き、家財道具を出す前にとりあえずステレオをつなぎ、CDをかけた。

スピーカーからは静かにチャイコフスキーが流れた。ゲルギエフの指揮するシンフォニーの5番だっただろうか。

それ以来、約15年強そのスピーカーを使い続けた。私の青春のスピーカーである。私のステレオセットは、 TannoyのMercuryから始まった。

私のメインキーボード CP−70B

私は、ピアノをまともに弾けない。ピアニストに憧れたこともない。きちんとピアノを練習したこともない。

弾けないけれど、鍵盤楽器は7台ぐらい持っていて、自宅にはグランドピアノすら置いてある。そのあたりのピアニストなんかよりも、鍵盤楽器に関して言えばずっと恵まれた環境で生きている。

なぜそんなにたくさん鍵盤楽器があるのかというと、かつてピアノメーカーに勤めていたこともその一因ではあるのだが、それよりもそもそも楽器というものが好きだからという方が正しいのかもしれない。鍵盤楽器は、ドを押せばドの音が出るし、ドミソと弾けばCメジャーコードが鳴ってくれる。これほどありがたい楽器はない。

そんなに、たくさんの鍵盤楽器に囲まれて、何をしているのかといえば、歌を歌う時の伴奏楽器として使っている。

伴奏と言っても、大層な伴奏を弾くこともできず、左手はもっぱらベース音(ルート音)を、右手はもっぱらコードを四つ打ちで弾いているだけなのだけれど、ピアノというのはよくできた楽器で、それだけで歌の伴奏としては、最低限の役目を果たしてくれる。そのためだけに、ピアノを持っているのは、すこしばかり贅沢なことなのだけれど、ピアノの音を鳴らしながら歌っていると、何か、自分がレイチャールズかビリージョエルにでもなったかのような気分にさせてくれる。

ピアノの良いところは、自分を一瞬ロックスターや、ソウルシンガーにしてくれる、それだけではない。私はギターも弾くのだけれど(こっちも腕の方はからっきしであるが)ギターではおよそ鳴らせないような難しいコードもピアノであれば押さえることができる。例えば複雑なテンションコード、ギターであればある程度コードのフォームに習熟していないと、どの指をテンションノートにあてがうか、などと考えながら押さえなければならないところを、ピアノであれば、ある程度曖昧にすることができる。

それと同時に、コード理論の基礎もピアノがあれば簡単に納得できてしまう(キーをCに置き換えると尚更わかりやすい)。

私は、楽譜も読めない。

全く読めないというわけではないのだけれど、ベートーベンの悲愴の2楽章の一小節目を読もうとして、15分で諦めたぐらい読めない。あの、オタマジャクシが上下に2つ以上出てくると、何が何だか分からなくなってしまう。

しかし、コード表は読めるので、コードとメロディーだけであればなんとか押さえることができる。なので、さしあたり独りで弾き語りをする分には特に問題はない。全く、コード表記を考えた人は偉大だっと思う。まさに、私のような楽譜音痴のためにあれは存在しているのかもしれない。

そのため、楽譜はろくに読めないくせに、たくさん楽譜を持っている。大抵、ポップスの楽譜には、ちゃんとした譜面の上に、メロディーラインと、コードが記されている。そのため、本物の楽譜の方は読めなくても、楽譜を持っていると、だいたいのメロディーと、和音がわかるので、自分で楽しむ分にはある程度用をなす。

もちろん、難しいキーの曲は伴奏ができない。例えば、#やら♭なんかがたくさんついている曲は、そのままでは弾けない。

それでも、ポップスの曲の多くは、ラウンドミッドナイトのような変なキーの曲はそれほど多くはないので、不自由はしない。

そんな私が普段一番よく使っているのが、ヤマハのCP−70Bという電気ピアノだ。これは、80年代にヤマハが作った楽器で、実際に弦が100本以上張ってあり、キーボードアクションもグランドピアノと同等のものが使われている。鍵盤は73鍵しかないが、私の使い方では十分である。持ち運びができるように、足をとって、2つに分かれるようにできており、合計120キログラムの楽器が、なんと、60キロの箱2つになる。電気ピアノなので、弦の振動をピックアップが拾ってくれ、出そうと思えばアコースティックピアノでは到底かなわないような、ものすごい爆音も鳴らせる。アンプの電源を切っておけば、サイレントピアノとして使える。まさに、夜でも練習できる小さなグランドピアノである。

私にとっては、夢のピアノである。

このCP−70Bという楽器は、すでに製造されてから40年近くが経ってしまっているので、いろいろな不具合も出てきてはいる。電源がうまく入らないことがあったり、イコライザーがうまく効かないことがあったり。それでも、普段使う分には特に不自由を感じたことはない。

鍵盤には一部割れが補修された跡があり、外装の皮も剥がれてはきている。なにより、このピアノの上に、楽譜やら、エフェクターやら、愛用のカメラやレンズやら、はたまた服用している薬の袋やらが無造作に、うず高く乗せられているので、決してきれいな外見を止めているわけではない。しかし、私はこの楽器が手元にあって本当に良かったと思っている。普段、いつでも弾けるように、パソコンの置いてある机から振り返れば、すぐに弾ける状態にしている。

そもそも、私はヤマハというメーカーの楽器はどうも魅力を感じないのだけれど、このCP−70Bだけは別物である。音そのものはそれほど良いわけではないけれど、その独特のサウンド、鍵盤のタッチ、無駄に大きな図体、何をとっても素晴らしい楽器だと思う。多くのポップスミュージシャンが、このCP−70という楽器をメインキーボードにしているのも頷ける。

購入した時は、本体価格より運送費の方が高くついてしまったぐらいだが、これからも、末長く大切にしていこうと思っている。

ゴスペル万歳!! Cory Henry

今日は素敵なオルガンアルバムを手にいれた。

Cory HenryのThe Revivalというアルバム。ゴスペルオルガンをじっくり堪能できるアルバムだ。

私は、オルガンもののジャズが好きなのだが、オルガンジャズといえば、ジミースミスも、ジャックマクダフも、やっぱりどこかにゴスペルの香りがする。いや、ハモンドB3のサウンドそのものがゴスペルの音といっても過言ではない。

オルガンのジャズを語る上で、このゴスペルフィーリングというものを抜きには語れない。ジャズとゴスペルは、近いようで遠くて、モダンジャズなんかになってしまうと、教会音楽からのレパートリーは少なくなってしまう。グラントグリーンなんかは率先してゴスペルナンバーをジャズに持ち出して弾いているけれど、彼なんかは珍しい方で、モダンジャズ奏者の多くはジャズの根底に流れているアーシーな要素をあまり表に見せない。

その点、オルガンもののジャズは、ゴスペル調なものが多い。その理由は、オルガンもののジャズを演奏するためには、オルガンが置いてあるジャズクラブか、オルガンを持ち込むかもしくはオルガンが置いてある教会に行かなければならない。

教会で録音された、ジャズアルバムは、ほとんど存在しないのだけれど、それでも、ジャズのオルガン奏者の多くは教会で演奏する機会も多いだろう。

この、Cory Henryのアルバムは、正確にはジャズのアルバムではなく、どちらかというとゴスペルアルバムなのだけれど、教会でライブ録音されている。それが、またなかなか臨場感があって、観客もノリノリで、ほぼトランス状態である。

とにかく、強力なので、オルガン好きな方は、聴いてみてください。お勧めです。

ずっと知り合えなかった人たち

年明け早々から、ずいぶんくらい本を読んでしまい、折からの不調も続き、気分が沈みがちである。

今日読んでいた本に、31歳になった著者が二十歳の頃を回想したくだりがあり、大変暗い気持ちになってしまった。私の二十歳はそれほど破れかぶれではなかったが、やはりそれほど明るい時代でもなかった気がする。

気がすると書いたのは、実際は遊び呆けていて、なかなかそれで楽しい二十歳だったかもしれないという気もしなくはないのだが、いかんせんよく覚えていないのである。よく覚えていないのは、その頃の自分がかっこ悪かったので、それを忘れようとしているのか、はたまた、それが楽しすぎてすぐに過ぎて行ってしまったのか、それすらも覚えていないのである。

二十歳の春、私は国立の駅に降りた。大学に通うため、国立のアパートを親が借りてくれたのだ。今思えば、国立のアパートを借りてくれる親がいるのだからかなり恵まれた青春時代である。かなり恵まれていたことは確かである。

四月には意気揚々と歩いていたキャンパスも、五月の終わりには、すでに頭を垂れて歩くようになっていた。その時点で、ほぼ落第は覚悟していた。同級生とも遊んでいたりはしたのだが、周りは落第生候補者だらけだった。優等生たちはほとんど相手をしてくれなかった。

私も二十歳である。歳相応に憧れの女性もいた。

あれは恋愛というのとは違うけれど、キャンパスに時折美しい人を見かけるようになったのは、六月も過ぎた頃だろうか。その頃は、もうすでに私はほとんど大学に足を踏み入れることはなかったが、六月に三度ほどその人を見かけた。同級生ではないようだった。いつもラグビー部の男と歩いていたので、彼の恋人だったのかもしれない。詳細はわからなかったが、私が普段読むことのない雑誌に出てくるような美しい人だった。

私は、ついに彼女が何者かを知ることができなかった。

1年後、私は案の定落第してしまい、さらに大学から足は遠のいた。もう、あの美しい人を見かけることはそれ以来なかった。

今日、帰り道に、そんなことを思い出していた。

いつの日か、私の暗い青春時代について、短い文章を書こうと思った。

明日は仕事納め

明日は仕事納めである。仕事納めがあるというのはサラリーマンのありがたいところで、自営の方の話などを聞くと、仕事納めどころか、とっくに今年の仕事はなくなってしまった方やら、正月も休んでいる場合ではないという方やら、いろいろいらっしゃるようだ。

今年やらなければならない仕事等、まだまだたくさんあるのだけれど、明日は無事に仕事を納められるのだろうか。不安である。

今年の春転職したわたしにとって初めての年の瀬である。この正月休みに、何かちゃんと頭を休めて、必要な本でも読んで、来年に備えたい。

思えば今年は何もできなかった。去年も何もできなかったけれど、今年も何もできなかった。このまま何もできない時間を過ごしてしまってはいけない。明日、1日で、来年の仕事につながる何かを築けるのが一番なのだが、なかなかそういうわけにもいくまい。

だから、少しでも、明日は前に進める1日を過ごしたい。焦っても仕方ないのだが、急がなければ何事も成し遂げられずに年月ばかりが過ぎていく。

また秋が来た

盆が過ぎると秋というのはわかっていながらも、東京の8月は暑苦しく、秋が来ても体感的には気づかない。暑い暑いと汗をかきながら、8月を過ごすのが毎年の常というものである。

9月が半分以上過ぎて、ふと、涼しさを感じるようになった。洋服屋から夏物の半袖が消え、あまつさえカシミアのコートすら並び始めた。たしかに夏は過ぎていったのだ。

今年の夏のおとづれはどんなだったのかは覚えていない。ただ、やけに暑い夏であったことだけは覚えている。新型コロナウイルスのニュースもだんだん気にならなくなってきた頃、夏がおとずれた。ものすごい湿度の梅雨が続き、部屋中のものにカビが生えてしまい、カビキラーで拭き掃除をしていたと思ったら、知らぬうちに暑苦しい夏が来ていたような気がする。とにかく、今年の梅雨は本当にジメジメした嫌な梅雨だった。

梅雨が明けたのがいつだったかはよく覚えたはいないけれど、そのあとは何日も暑い日が続いた。とにかく暑い夏だった。

今日は4連休最後の日。散歩に出かけた。御茶ノ水まで電車で向かい、楽器屋を数件見て、レコード屋を見るというだけの散歩。4連休とは言っても、どこに行くわけでもなく家で過ごしたけれど、毎日家の近所に散歩には出かけた。昨日は西新井まで電車で行き、昼ごはんを食べて帰ってきた。

それでも、コロナの影響はまだ続いているのは事実だろう。私は、旅行にはあまりいかない方なんだけれど、4連休もあれば、妻の実家に帰省するなりなんなりが出来たはずだが、今回はどこにも行かなかった。

その代わりに、毎日少しづつ小さな外出はして過ごした。

今日、御茶ノ水から、上野まで歩いた道すがら、ふと、もう暑くなくなったということに気づいた。とくに、秋の花を見たわけでもなんでもなかったが、ふと秋の訪れを感じたのだ。

帰宅したら、一人だった。

私は、とりあえずステレオのスイッチを入れて、音楽を聴いた。Valery Afanassievの弾くFranz Schubertのソナタ。シューベルトのこの曲はこの季節にふさわしいような気がした。

秋の深まった森の中をどこまでも歩くような爽やかでいて、すこし肌寒さを感じる音楽。ピアノ一台で演奏されているのにもかかわらず、どこかティンパニーや、コントラバスの音が聞こえて来るような不思議なところがある。Afanassuevがどのようなピアニストか、私は詳しくは知らない。ただ、この演奏は格式が高いシューベルトというよりも、どこかアンビエントな雰囲気のある内省的な演奏だと感じる。特に1楽章は。

20分にも及ぶ1楽章だけを聴いたら、妻と娘が帰ってきたので、夕飯にした。夕飯が終わると、疲れてしまって、自室で少しだけ眠った。汗をかいたせいでよく眠れなかったのだが、疲れは少しとれた。

書斎に戻り、再びAfanassievのCDを聴きながら、パソコンに向かっている。私は、一生かかってもこのような大曲をピアノで演奏することは不可能だろうけれど、Schubertの曲は好きなので、何か一曲弾けるようになりたい。あの、映画「さよなら子供達」で主人公が弾く「楽興の時」の第2曲?だったか。あれを弾けるようになりたい。

森田さんのSunnyが素晴らしかった

今日は、帰宅し、夕飯を食べてからまゆたまのオンライン配信ライブ(https://www.youtube.com/channel/UCv-iOMuACyDl7-yXVjWa6pA)を観た。とは言っても、今日はピアニストの森田珠美さんのソロ。ピアノソロ。

リクエストに応えながら、森田さんがそれぞれの曲をピアノソロで弾いていく。My favorite thingsや、どらえもん。アドリブでアレンジして弾く。アドリブでアレンジするだけでも大変なのに、それをリクエストに応えながらやるのはやはり凄い。

私もリクエストをした。何曲もリクエストしてみた。

そしたら、最後に、私のリクエストのSunnyを弾いてくれた。嬉しかった。

奇をてらわないアレンジでSunny。素晴らしかった。

生きるって

我が家には金がない。

金がない一番の理由は、私がいつも無駄遣いをしてきたせいであるし、それは弁明のしようもない。今まで、社会人になってから月末にお金が残っていたことはない。当然貯金もない。

だからと言って、心まで貧しくなってしまってはいけないので、心までは貧しくならないように気をつけて入るけれど、心を豊かにできるのは唯一、金である。

思えば、今まで家庭のために何もしてこれなかった。稼ぎが少ない私は、妻の収入に頼り家計をつないできた。

その妻も仕事を辞めてしまった。今となっては本当に貧乏暮しになってしまった。

ある時、自宅でくつろいでいると、妻がおもむろに話を始めた。

今日は10日だけれど、我が家には今月あと8,000円しかないのだよと。あと八千円で25日の給料日までに何とか凌がなければならないのだよと。それで、あんたは昨日も酒を飲んできたじゃないかと。

私は、そんなしみったれた話が嫌になってしまい、妻の財布から三千円を抜いて酒を飲みに家を飛び出した。

安酒屋で酒をしこたま飲んで12時頃に帰宅すると、ぼんやりと家に明かりがついていた。

家の中は、裸電球で照らされ、ダイニングテーブルの椅子に妻が座っていた。初めは気付かなかったが、妻は造花作りの内職作業を続けていた。私は、すっかり酔いが覚めてしまい、とりあえず流し台に行き、コップに水を汲み勢いよく飲んだ。

妻は、小さな声で私に、

どうだった?お酒飲んで楽しかったかい?美味しいお酒は飲めたかい?

と聞いた。私はつまらなくなってしまい。

そんなの楽しくなんかはないやい。酒を飲んで気持ち悪くなっただけだよ。

と吐き捨てて、寝床に着いた。貧乏とは自家中毒ようなもので、一度そのスパイラルに入ると、どんどん悪化していくものなのだ。

たまには、アジの干物を夕ご飯に食べたい、今日この頃である。

部屋を片付けた、ハモンド入ると良いな

暑い日々が続きますが、皆様のご機嫌はいかがでしょうか。特にお変わりないでしょうか。

今年は、新型コロナとかで皆マスクをつけているおかげか、夏風邪などあまり流行っていないのか、はたまた流行っているのか、よくわかりませんが、私は元気にしております。だんだん、この新型コロナウイルスなんかにも慣れてきてしまっていて、会社は知らないうちにすっかり通常運転に戻っております。景気はどうなんでしょうかね、私の周りはすっかり景気の悪い話ばかりを聞きます。

週末なんかも、派手に出歩いたりはできないのでしょうが、昨日渋谷に散歩に行くと、以前通りの人出でした。世の中、だんだんコロナにも慣れてきたのか、これは良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが、そもそも、良い悪いで人は行動しないですからね。

それでも、私も外出は以前よりもすこし控えめ気味にしているつもりです。この、なんでも控えめ気味ぐらいが世の中丁度良いのかもしれません。なんでも一生懸命というのも、それはそれで良いのですが、人生長いので調子良いときも、調子が悪いときもあるのは仕方ありません。

かくいう、私も、ここ1年ぐらい(いやもうちょっとかな)仕事ではスランプに陥っているところです。どうも、毎日調子が上がらない。物事に集中して取り組めない。そのせいなのかなんなのか全然ポジティブなアウトプットがない、という状態が続いております。その一方で、物欲などは衰えていないので、これは仕事だけの問題なのか、または体調そのものが良くないのかはよくわかりませんが。あんまり調子が良いのも、いままで悪い兆候だったということもあるので用心しなければなりません。

自分で、ちょっと不調だなと思いながらやっているのはなかなか辛いことですが、これがなかなか人に説明するのは難しい。そもそも、そういう悩みはわかってくれる人がおりません。人間というのは孤独な生き物だということをこういう時こそつくづく感じます。

一方で、調子が良いと本人が思っているときはもっと要注意。私なぞは調子が良いのは長続きした試しがない。調子が良いと自分で思っていると、すぐに体調を崩してしまいかえって痛い目にあいます。だから、このいまのネガティブな気分さえなんとかなれば、少し不調なくらいで仕方ないのかもしれません。

このような、不調が続く毎日ですが、ちょっと日の光が見えてくるようなことがあります。人生捨てたもんではありません。捨てる神あれば拾う神あり。といえば言い過ぎでしょうか。

実は、ある知り合いからハモンドB3を貸してもらえるかもしれないのです。Hammond B3といえばジャズオルガンの名器、オルガンの世界の金字塔です。山でいう富士山。車でいうクラウン。相撲でいう朝青龍。時計でいうグランドセイコー。トランペットでいうバック。ピアノでいうスタインウェイ。スピーカーでいうJBL。オルガンでいう、、あ、オルガンではHammond B3でした。

なんだか、国産品やらなんやらしか思い浮かばないのは庶民の悪いところです。しかし、B3は庶民ではなかなか所有することはできません。まあ、わたしも別に所有できるわけではありませんが。それでも、B3が自宅に来るかもしれないのです!!

まず、困ったのは置き場所です。なんせB3は130cm四方ぐらいの場所をとる。自宅にそんなスペースはなかったのですが、なんとか片付けてスペースを作りました。次の問題は重量。これがゆうに200kgくらいあるのです。うちみたいなぼろ家の床が耐えられるのか。不安なところです。B3だけならなんとかいけるかと思いますが、問題はその上に座って弾くということ。これだけでも、床が耐えられるのか不安なところです。それでも、なんとか置きたいと思い場所を空けました。それもできるだけ窓際の床を。

最後の問題。これが一番の難関です。

果たして家に搬入できるのか。以前のアップライトピアノの経験から、玄関入れは絶対に無理ですので、窓入れになります。これが、掃き出し窓の一つでもあれば良いのですが、悲しいかな下町暮らし。そんなものはありません。なので、1階腰窓、ユニック入れです。果たして入れれるのか、心配です。

もし、入ったところで、ハモンドを演奏できるのか、という問題はありますが、演奏できるかどうかは二の次です。

それよりも、東京の50hz電源で使える仕様になっているのか(サイクルチェンジャーは付いているのか)、そもそも音はなるのか。などと、わからないことはたくさんあります。

心配してみたとことで、家に入らなければ始まりません。それ以外の問題は、少しづつ解決することとして、まずは家に入れることからです。まあ、音が出なければ、単なる場所をとる高価な粗大ゴミですが。それも仕方ありません。ハモンドを家に入れるという夢を叶えるためには、そのぐらいのリスクは背負わなければなりません。

ハモンドの修理って、いったいいくらぐらいになるんだろう。メンテナンスっていったいいくらぐらいになるんだろう。

不安なことばかりですが、とりあえず、まずは家に入るかがさしあたっての問題です。

ハモンド、家に入ったら良いな。

さよなら夏休み

今年の夏休みが終わった。今年は、コロナとかでどこにも行けず、家で寝転んだり、近所に散歩に行ったり、酒を飲んだりして過ごした。なんとも夏休みらしい良いお休みだった。

そもそも、私は旅行の類が得意ではない。だから、むしろ家にずっといる方が気楽で良いのだ。来年の夏休みも、もしコロナが終息していたとしても、また同じように家でゆっくり過ごしたい。

こういう、お休みの時こそ楽器を練習するチャンスなのだが、今年の夏休み中には、ちっとも楽器の練習をしなかった。そもそも、楽器すらほとんど触れなかった。今日は、休みが最後なので、ちょっとだけギターを練習できた。ほんとうに申し訳程度に練習できた。

心に残る、静かな夏休みだった。