ミニマリストになれる日は来るのだろうか

身の回りが物で溢れている。CD、レコード、もう読まないであろう本、大して弾かない楽器、使っていないカメラなんかだ。

ミニマリストというのにちょっと憧れる。必要最低限のものを持つ生活。それ以外のものは持たない生活。そういうのが一時期流行ったことがある。家もシンプルな内装で、家具も少なく暮らす。

そういえば、高校で習った漢文の教科書にミニマリストの話が出てきた。誰のなんていう話だったかは忘れたが、あるおじさんが川辺で生活していて、ほとんど持ち物がない。ミニマリストを追求していてもう本当に何にも持たないって決めていて、いらないものはことごとく捨てる。いりそうなものすら持たない。そういう生活を送っていた。ある時、そのおじさんが水を柄杓で汲もうとして、ああ、いかん、ワシは断捨離できとらん、この柄杓をまだ持っていたではないか!水なんて手で汲めばいいじゃないか、と言って柄杓も捨ててしまうという話であったと記憶する。だからそのおじさん、結局スマホと予備のガラケーと電気シェーバーだけ持って荒川の河川敷で生活していた。

こういう生活、なんだかしがらみがなさそうで気持ち良さそうだ。そういうのも良さそうだ。

どうせ死んでしまえば、この世界から何も持って出ることはできないのだから、今のうちにも余計な財産は処分しておく方がいいのかもしれない。私が死んでしまった後残された家族が、遺品を整理するときに処分に困るのも気の毒だ。あの世へ行く時には、すべてを捨てていくのだ。

私の祖父は北海道の名寄という町に住んでいたのだが、身の回りじゅう物で溢れかえりながら暮らしていた。家の敷地もある程度広かったのだが、そこには壊れた自動車が数台と、無数の壊れたテレビ、壊れたステレオやラジオが転がっていた。家の中にも壊れた機械関係のものがたくさん置いてあって、元々商店をやっていたスペースいっぱいにガラクタがぶちまけられていた。

祖父が80代に差し掛かった時、祖父の痴呆も進んでいたので、うちの父が祖父母を札幌の家に呼び寄せた。もう心配だから、札幌で一緒に暮らそうというわけである。

ほんの1月だけという嘘をついて、祖父を名寄から札幌の家に来させた。祖母は、これから一生名寄には戻らないとわかっていたが、何も知らない祖父は着の身着のままと言っても過言ではないくらい少ない荷物で札幌に越してきた。財産の全てを残してである。

結局、祖父母が名寄に戻ることは二度となかった。二人とも死を迎えるまで札幌で過ごした。祖父は札幌に引っ越してきてからすぐに、痴呆老人を面倒見てくれる病院に入院したので、身の回りにガラクタを集めることもできなくなった。名寄を出た日から究極のミニマリスト生活にシフトチェンジしたのだ。

ある意味、祖父は札幌に引っ越してきた時点で既に「死んだ」のかもしれない。すべての持ち物を捨てて、痴呆でわけのわからなくなりかけた体だけを持って移住してきたのだ。ほとんど死ぬためだけに。

そういう祖父を見ているので、ミニマリストにシフトチェンジすることがなんだか怖い。そもそも、捨てることができない。自分が薄っぺらいから、捨ててしまうことによって何も無くなってしまうのではないかとも思う。そして、おそらく本当にそうなるだろう。持ち物を失うと何もできなくなってしまいそうだ。

しかし、その一方で、今持っているものは、火事や津波なんかに見舞われればひとたまりもないわけで、一気に全てを失う。生きているうちに、そういうこともないとは言い切れないので、やはりいつもどこかで身の回りにあるガラクタに依存しないで生きていく方法を考えていなくてはいけない。

今は幸い、クラウドサービスなんかが便利なので、写真なんかはすべてクラウドストレージに突っ込んどけばいいわけなんだが、どうもこう、現物がないと安心できない私は、フィルムで写真を撮影し保管したりしている。

私はいつになったら物から自由になれるんだろう。

不謹慎の許されない世界が見えてきて怖い After 9/11 Nathan Lyons

よく、社会を賑わすような事件や、災害があると、必ずそのことをネタにした不謹慎な発言をされる方がおります。
そうすると、今の時代だとインターネットやなんかで「コイツ不謹慎な発言しやがって」とのように広がったりします。それで、その元の発言をした人が有名人だったりすると釈明会見をしたり、ブログやSNSだと、そこが荒れたりします。

これはまあ、被害者とかの気持ちになってみると弾劾されるのはある意味仕方ないことで、だいたい社会を揺るがす事件の場合、マスコミや社会の大多数は被害者・被災者の味方をするもんです。それは全然異常なことではないと思います。

しかしながら、時間が経って見返したとき、それらの「不謹慎な発言」の一部が事件や災害への人々の反応の異常さや、事件の本質をついた発言だということがあります。そのときは不謹慎だったけれども、後で考えてみるとあいつなかなか深いことを言っていたんだな。なんて思ったりします。

これが、小さな事件だと不謹慎で済みますが、戦争とか革命とか国家を巻き込んだ事態だと「反逆」だとか言われてしまって、最悪国によっては投獄されたりします。

堀田善衛の「若き日の詩人たちの肖像」なんかは、二二六事件から開戦までに行われた左翼狩りについてシニカルに書かれておりますが、あれ、時間をおいて書かれているからいいものの、本当に「若き日」当時にあんなことを大っぴらに言っていたら留置所に置かれるだけでは済まなかったでしょう。けれども、ちょっと不謹慎な視点があの小説ではとても重要な構成要素なのです。不謹慎も、時間をおくととても重要性を持ってくる一つの例と言えましょう。

ニューヨークの同時多発テロ(9/11)、あれは21世紀の恐ろしい幕開けとして私の記憶に残っています。あの後に続く世界中で勃発した戦争も恐ろしいですが、すべての引き金になった9/11は、私個人にも、社会的にも暗い影を落としました。あの時は、一体これからどんな戦争に巻き込まれるんだろう、世界大戦が始まるな、と思いました。そして、ある意味それは本当になり、戦争の舞台となっている地域は限られていても、世界中が巻き込まれる戦争につながりました。

あの9/11の後の、アメリカのメディア、メディアに映されるアメリカ人、身の回りのアメリカ人の知り合いの反応は皆一緒でした。

「アメリカは倒れない!」

「アメリカには神がついている!」

「アメリカを愛している!」

皆、そう叫んでいました。文字通り叫んでいる人も何人も見ました。テレビでアメリカのメディアが取り上げられる時、そこには必ず星条旗が掲げられてました。

戦後教育のせいか、愛国心というものにちょっと気恥ずかしさがある私には、どうもその9/11の後の「星条旗」に違和感を覚えました。同じことが日本に起きて、みんな自宅の前に日の丸を掲げたりしたら、違和感を憶えるだろうな。なんだかずいぶん暮らしにくい世の中になった気がするだろうな。ちょっと「はしたない」って思ってしまうかもしれないな。と、正直思いました。

それから10年が経ち、日本で東日本大震災(3/11)が起きました。「福島の復興」の力の入れようには9/11の「星条旗」と似たものを感じましたが、家の周りに日の丸が並ぶことはありませんでした。やっぱり、私の感覚だとこうだよな、家のベランダに日の丸は掲げないし。福島を利用して一旗上げることは何度か考えたけれども、「I love 福島!」みたいなリアクションはしませんでした。周りの目が怖かったので、あんまり東北地方について不謹慎な発言はしまいとは思っておりましたが、福島で困っている人たちよりも、自分の家が停電になったら嫌だな、とか、駅が暗くて嫌だなと思ってました。

東京の地下鉄の駅の照明が間引かれた時も、どうせこれは「義理」でやっているのであって、実際のところ照明を間引かなくたって電力は足りるんじゃないかって思ってました。家の電気も節約しようとはちっとも思わず、普通に使ってました。震災の夜、私は消費電力70Wぐらいの真空管アンプのテストをしました。アンプのノイズが止まらなくなっていて、私にとっては地震よりもアンプのほうが重要だったのです。

けれども、そういうことをあまり人前では言わないようにしました。不謹慎だと言われるのが嫌だったからです。インターネットの掲示板やら、ヤフーニュースの掲示板なんかでは、やっぱり不謹慎な発言をしたと言われ弾劾されている方々がいました。

今日、本棚を見ていたらNathan Lyonsの「 After 9/11」という写真集が目に入りました。9/11の後にニューヨークを始めとする大都市や、地方都市の街角でショーウィンドーや看板に掲げられた星条旗や、ハクトウワシ、アメリカへのメッセージ、テロの被害者へのメッセージを撮影した写真集です。まさに、9/11の後にテレビやメディアで見たアメリカ人のリアクションが写っていました。

私自身、なぜこの写真集を買ったかを覚えていないのですが、写真自体はとってもかっこいい写真が多数収められております。Nathan Lyons、さすが「社会的風景に向かって」のディレクターです。60年代のそういった時代の写真につながる、ちょっとシニカルな視線を感じます。写真集の印刷も、ちょっとコントラストが高めで、それも60年代の「社会的風景」な写真を思わせます。

ただ、星条旗というモチーフはとても強いイメージを持たせるので、ここに収められた写真は、あの9/11の後のアメリカ人の強いリアクションを私に思い出させます。そして、その強烈な印象で一色に染まったアメリカの社会の窮屈さがとても心に引っかかります。

だって、窮屈でしょう。こんなに愛国心一色に街が染まっていたら、不謹慎なことは言えない。そして、不謹慎なジョークで笑えない。みんなキオツケをして同じ方を向いているような感覚です。

きっと、このNathan Lyonsの世界はフィクションなんだろうけれど、いや、フィクションであって欲しいんだけれど、そう思う一方で、やっぱり現実にこうなっていそうだから怖い。フセインさんのいた頃のイラクが何考えているかわからないイメージで怖かったのと同じぐらい、この、みんなキオツケをして同じ方を向いていそうなアメリカの社会イメージが怖い。

そういう、怖くて窮屈なイメージのものを見てしまうと、不謹慎なことがある程度許容される世の中の方が、バリエーション豊かなものが出てきていいと思います。

スローに写真を撮れるって今の時代だからこそ見直されてもいいよな Leica Standard

写真集を見るようになったのは、写真への興味っていうのもあるけれど、元々カメラとかそういう写真撮影に用いる道具みたいのがどうも妙にかっこいいなあということになって、じゃあ、そういう色々なカメラで撮られた写真っていうのは一体どういう風に見えるのかっていう興味もあった。平たく言えばカメラ小僧ということになるか。カメラってSLとかと似ていて、なんだか黒くて機械が組み合わさってできていて、少年の心をくすぐるもんだ。

とは言っても、初めて自分で買ったカメラはデジカメだった。買ったのは2002年ぐらいだったと思う。確かオリンパスの CAMEDIAっていう210万画素ぐらいのカメラで、しばらくはそれで満足していたから、カメラへの興味という意味では機械というよりも、写るっていう方に重点があったのかもしれない。そのデジカメは、気付いたらどこかに無くなっていた。結構いい値段したんだけれど。

そのデジカメを買ってから、写真を撮ったりすることが面白いと思うようになり、半年後くらいには中古でニコンの安いマニュアルフォーカスの一眼レフを買って、なんだかわけのわからないレンズをつけて、アマチュアカメラマンの定番で花とかを撮っていた。その頃は写真愛好家の多くはカラースライドフィルム(カラーポジ)で撮影していたから、私も多分にもれず35ミリのカラーポジで撮影していた。フィルム代が1本1000円ぐらいして、現像も1本700円ぐらいしていたから、コスト的には今のカラーポジと変わらない。

写真愛好家の多くがカラーポジで撮っていたし、アサヒカメラとかを立ち読みすると、「一番偉い」のはカラーポジみたいな風潮があったので、私も「一番偉い」部類に入りたかったからカラーポジで撮影していた。

そのあと、大学の写真部に所属する友達(先輩か)ができて、その人が「お前、馬鹿野郎、初めはモノクロフィルムで修行しなさい!」と仰ったので素直にモノクロフィルムに切り替えた。富士フィルムのNeopan Presto 400というフィルムを使った。本当はコダックのトライエックスが使いたかったが、一本あたり100円ぐらい違ったから富士にした。長巻も当時一缶で富士が2700円ぐらいのところコダックは3700円ぐらいだった。どうも変なところをケチってしまう自分は富士にした。

社会人になってしばらく写真撮影の趣味から遠ざかったりして、携帯電話のカメラすらほとんど使わなかった。何年かに一度写真熱が再燃するのだが、ごく短期間で燃え尽きてしまう。暗室作業をするだけの気力が続かないのだ。

それで、一昨年また写真熱が再燃した際に、思い切って一台コンパクトデジカメを買って、それで撮ることにした。

コンパクトデジカメにすると、撮れる撮れる、1日に300枚ぐらいシャッターを押してしまう時もあった。フィルムで撮ってた頃は多くても1日150カットぐらいしか撮らなかったから、一気に倍である。それも、現像しなくてもいいものだから、撮る頻度も増え、写真がパソコンの中でいっぱいになった。

その写真熱も2ヶ月ぐらいで収まってしまい、半年を置いて、また2ヶ月再燃するというのを繰り返した。

合計で半年も撮っていないのだが、わけのわからない写真のデータでパソコンがいっぱいになった。デジカメで撮れる時は同時進行でモノクロフィルムでも撮っていたのだが、あまりにもたくさん撮ってしまい現像が追いつかない。それでパソコンが写真だらけになり、未現像フィルムがたまり、嫌になってしまうのだ。

そういうことが続き、写真を撮ること自体がストレスになった。誰に頼まれたわけでもなく、道楽で写真を撮っているわけなのだが、負担になるのである。情けない。

そこで、写真を撮る枚数を減らすことにした。

デジカメでは、取ろうと思えばほぼ無限に撮影できてしまうのだが、どうせ無限に撮っても自分が気にいる写真はその中のほんの数枚だけだから、欲張らないのである。

プロのカメラマンや、写真家の方だとこういうわけにはいかないのかもしれないが、こちらは写真愛好家なんだから別に撮影枚数を減らしたところで誰が困るわけじゃない。

コンパクトデジカメも使っているが、それで撮影する回数を減らした。そして、普段持ち歩くカメラはLeica Standardというなんともシンプルな、「カメラ原理主義」みたいなカメラにした。これにカラーネガを入れて撮影するのだ。カラーネガにしたのは、現像が外注できるのと、フィルム代が高いので「ケチる」本能を働かせるためだ。そして、カラーネガはラチュードが広いので多少の(結構ヤバくても)露出ミスもカバーしてくれる。そして、何より、カラーネガこそ私にとって「一番普通」なフィルムなのだ。私は「写ルンです」の世代だから。

Leica Standardにはピント合わせの指標となるものが付いていないので、レンズの付け根に書いてある距離表示を元に目測でピントを合わせる。露出計も付いていないので、フィルムの箱に書いてある(今使っているフィルムには書いてなかったけど)露出の基準を使う。フィルムの巻き上げも、ノブ式だからやけに手間がかかる。巻き戻しも同じくノブだからやけに時間がかかる。いや、これでもLeica Standard発売当時はすごくスピーディーに写真撮影できる画期的なカメラだったんだろうけれども、今の時代にしては時間がかかる。コンパクトデジカメの5~6倍時間がかかる。

撮る枚数を減らすことにしてみても、まだ慣れないので、つい撮ってしまう。しかし、「撮らない撮影」もだいぶ上達したようで、最近は外に出歩いて36枚撮り1本で満足して帰ってこれる。この調子だと、週に1日だけカメラを持ち出すようにしたら、一週間に1本で済んでしまう。写真道楽のミニマリストである。

素晴らしい写真を撮る写真家が何カット撮っているかは知らない。話によると一月に50〜100本撮るなんていうのも普通らしい。デジカメだときっと5000コマ以上撮っていたりするんだろうか。とにかくたくさん撮れと、かつてなんかのカメラ雑誌で読んだ。そういう風に、たくさん撮るのは大いに結構なことだと思う。けれども、私はそのペースでは撮影できない。写真の整理や現像が追いつかないし、時間的にも経済的にもキツイからだ。

そういう風にしてでも、写真道楽は続けられるかどうか、それが目下私の研究テーマである。

何も聴くにが起きなくても、なんとか聴いてみた大貫妙子 「はるかなHOME TOWN」

音楽というものを何も聴く気が起きなくなった。

半年ほど前から体調を崩してしまい、それ以来音楽を聴くのすら辛いことがある。まあ、そんな命に関わるような病気じゃないからいいのだけれど。

ちょっとカントリーのアルバムでも聴こうと思ったのだが、CDプレーヤーのトレイを開けただけで聴く気が失せてしまった。

しかし、何も音楽を聴かないでいると何となく落ち着かない。こういう時はあまり刺激のない音楽を聴きたい。いや、本当は何も聞かないほうがいいのかもしれないけれど。

No Music, No Lifeとタワーレコードが叫んでいたけれども、実際のところ音楽を聞かなくてもなんとか生きていくことはできる。ただ、退屈なだけである。退屈とは、私にとってとてもストレスであることは確かなようだ。入院していた時など、持ち込める音楽のプレーヤーなんかに制限があって、結局ひと月ぐらい何も聞かないで過ごした。退屈であった。自分でも思っていたよりもストレスが溜まっていたようだ。外泊で自宅に戻った際に音楽を聴こうとCDラックに飛びつくように聴きたい音楽を探し、聴いたが、結局疲れてしまい、あんなに聴きたかった音楽もろくに聴けなかった。

退院してみて、少し気分に余裕が出てきて、まあ、そんなに焦って音楽を聴かなくたっていいと思えるようになった。それで、力が少し抜けて、音楽を聴いていても疲れなくなってきた。

しかし、今夜は音楽が聴きたいのに、聴く気力が起きないという事態にまた陥ってしまった。何か聴きたいのだが、どれもいざ聴こうと思うと聴く前から疲れてしまうのだ。

そうしているうちに、何となくCDラックの一番上に平積みになっていた大貫妙子のベスト盤が目に入ったのだ。

これなら、何となく聴けそうだ

そう思い、CDプレーヤーに入れてかけてみた。思った通り、音楽がすんなり耳に流れ込んできた。こういう気力が湧かない最低な時に大貫妙子さんの音楽はよく合うな。まるでミミを切り落とした食パンにハムとマヨネーズがよく合うかのように合うな、なんておかしなことまで考えてしまった。
きっと彼女の声がいいんだろうな。少女のようで母のような歌声。まあ、私の母ちゃんはこんな声じゃないけれど。

彼女の2枚組のベスト盤「大貫妙子 ライブラリー」の2枚目を聴いているのだが、どの曲も独特の爽やかさと、凛とした感じ、ちょっと儚さを感じさせる優しさがいいな。彼女の音楽を言葉で表せるような語彙を私は持っていないんだな。だからいいのかもしれない。言葉にしてしまったら、こういう気分の時にその言葉が壁になってしまい音楽を受け止めるのにパワーが必要になってしまう。彼女の音楽と私の間にはそういう壁がないんだな。

メロディーもそうだけど、歌い方がとっても素朴で、純粋な感じがするから、簡単なんじゃないかと思って、自分でも弾き語りできるんじゃないかと、ちょっとコード譜を見て歌おうとしたことあったけれど、すごくコードが難しくて歌えなかった。

中でも、京成スカイライナーのCMソングになった「はるかな HOME TOWN」っていう曲が好きだ。八木伸郎のハーモニカがとても心地いい。ハーモニカってこんなに澄んだ音色が出るんだな。まるでパイプの先から静かに立ち昇る煙のような音色だな。

一度、八木のぶおさんのハーモニカを生で聴いたことがある。池袋のジャズフェスティバルに出演していたビッグバンドのゲスト奏者として2曲吹いていた。池袋の駅前の公園に設置された野外ステージでの演奏だった。

日が沈んできて、ちょうど夕焼けが綺麗に赤く焼け始めた時に、八木のぶおさんはクロマチックハーモニカからブルースハープに持ち替えてソロを吹いた。その時、池袋駅前の空気がパーっと夕空の色と一緒になったような気がした。ブルースハープの音の響きが、一度も訪れたことのない童謡の中の「故郷」に私たちを連れて行ってくれたような感覚すら憶えた。20代の頃、高校時代からの友人と二人で聴いたのだった。とても心地のいい音楽だった。

アメリカが好きじゃなくても心にしみるアルバム Ray Charles “Sings for America”

私はアメリカ贔屓ではない。確かにアメリカは豊かな国だし、素晴らしいアートやエンターテイメントを生み出し続けているとは思うけれど、だからってアメリカが好きというわけではない。

アメリカ合衆国という国が、実際のところどんな国なのかははかり知れない。あれだけ大きな国土で、あれだけ人口がいて、いろいろな文化圏から移住してきた人たちのいる国である。わからないのも当然だ。世界の経済を動かす大きな企業や、投資家もいるし、世界の治安を握っている軍事力もあれば、政治力もある。ああいう国は好きか嫌いかよりもむしろ恐れのようなものを感じる。得体の知れない大きなものへの恐れである。

その一方で、アメリカの生み出した素晴らしいものもたくさんある。歴史は十分深い国とは言えないかもしれないけれども、そんなことは問題にならないくらいすごいものを生み出している。それは、音楽やら、アートなんかだけではなく、アメ車だったり、ファッションだったり、文化、工業製品、サービス、システム何においてもすごいものを生みだしてきていることは確かだ。そして、私は望むと望まぬとに関わらず、それらの恩恵を受け、それらにインスパイアされて日々の生活を送っている。

アメリカを賛美するような商品(パッケージと言ったほうが良いか)は多い。その中でもとりわけ、音楽、アート、ファッションなんかに関わる商品は、その「胡散臭さ」も含めて私の目を惹く。星条旗が大きくあしらわれたTシャツ、アメリカ讃歌なんかに接する時、その愛国心への違和感によるなんだか背筋がぞっとするような感覚と、愛国心への羨ましさによるほっこりとした気持ちが同時に湧く。

今日紹介するRay Charlesのアルバム「Sings for America」も、そういった商品の一つだ。

レイ・チャールズのレパートリーからアメリカについて歌った曲を集めたコンピレーションアルバムだ。手元にあるCDを見ると2002年に発売されたアルバムのようだから、ニューヨークでの同時多発テロの後、愛国心が改めて高まっていく気運の中で企画されたアルバムだろう。あまつさえ「New York’s my home」という曲まで入っているのだから。

のっけから「 America The Beautiful 」という曲で始まり、もう、一気に愛国心をぶっつけられる。それも、レイ・チャールズがものすごく堂々と歌い上げるので、ちょっと気後れしてしまうぐらい、ちょっと赤面してしまうぐらいのインパクトである。友人から恋人との関係について赤裸々に語られているような感覚と言ったらいいか。そんな感じだ。

このアルバムは、こういう歌が何曲か入っている。まあタイトルが「Sings for  Amarica」だから仕方ない。ジャケットの写真にも星条旗が写っているぐらいだから。

しかし、どちらかというとアメリカそのものを歌った曲というよりも、アメリカを元気付ける曲、アメリカのあり方を問う曲も収められていて、単純にアメリカ讃歌に止まっていない。

例えば、18曲目の「 Sail Away」はランディー・ニューマンのカバーでアメリカへ奴隷を連れてきた際の物語を揶揄した内容の歌詞だ。アメリカはすごくいいところでみんな幸せで自由なんだと言って、人々を騙してアメリカへ奴隷を連れてきたんだよという内容の曲である。

それ以外にも、ビートルズの「Let it be」や「Over the rainbow」なんかも入っている。

「アメリカ万歳!」というだけのアルバムではない。

そういうこともあって、このアルバムは、アメリカのことが好きとか嫌いとかそういう問題と違うところで聴くことができる。聴いていて少し元気づけられるような選曲であるらしいし、そうでなくても歌詞の内容は関係なくレイチャールズの歌を心地よく楽しむことができる。彼のオリジナルアルバムは勢いがあるのだが騒がしいものや、ちょっと味付けが濃くてクドイものもあるので、アルバム一枚をきちんと聴くと結構疲れるのだが、このアルバムはいい具合にそれが分散されている。

意外なところでは「Take me home, country roads」が入っていて、彼のレパートリーの幅広さにあらためて感嘆する。

ちなみに、10トラック目はRay Charlesのアメリカに対するメッセージを兼ねたアルバムの解説が入っている。これは、わざわざ入れなくても良かったんじゃないかと思うけれど、まあ、仕方ないか。

結構難しそうなことをやっているけれども、すんなり聴けるアルバム。Johnny A “sometime tuesday morning”

Johnny Aという人については詳しく知らない。スティーブヴァイに見出されてメジャーなアーティストになったということは聞いたことがあるけれど、こういうわりと畑違いというかブルース、カントリー、ロカビリーの匂いをさせるようなギタリストを見つけ出せるのもすごいな。スティーブヴァイと共演もしているらしいけれど、その音源は聴いたことがないのでわからない。きっとすごいんだろうな。

よく知らないけれども、このアルバムが素晴らしいアルバムであることは確かだ。どのように素晴らしいかというと、聴いていて疲れない。ちょっとジャズの香りがするサウンドに、ブルースやカントリーの要素が混ざり合って、気怠く、落ち着いた音楽に仕上がっている。

相当なテクニックを誇るギタリストなんだろうけれども、そのテクニックをこれ見よがしに披露するのではなく、あくまでもアルバムとして「大人な」感じに仕上げてあるのがいい。ギターのサウンドも、まるでアンプに直接プラグインしているかのように生々しく、どこか小さなクラブでギタートリオを聴いているような感じがする。

アルバムはJohnny Aのオリジナル曲が大半を占めるのだが、グレン・キャンベルが歌った名曲「Wichta lineman」や、ビートルズの「Yes it is」などの名曲のカバーが数曲収録されている。

カバー曲の選曲もそうだし、アレンジがこのアルバムに合っている。オリジナル曲とカバー曲のバランスが良く、アルバムをかけっぱなしにして一枚を通して聴ける。

ブライアン・セッツァーとダニー・ガットンとベンチャーズに、ちょっとジミヘンみたいなロックの要素を加えて、そこにジャズのいいところを加えたような音楽と言ってしまうとJohnny Aに失礼なのだが、どんな音楽なのかをざっくり言ってしまうとそんな感じだ。

しかし、このアルバムでのJohnny Aが上にあげたミュージシャンと少し異なるのは、スタイルがちょっとお洒落で、アレンジがジャズ寄りなところだろう。コードの鳴らし方も、ロックなサウンドの中でアクセントとしてテンションを鳴らすというよりも、全体の流れの中にジャズっぽいテンションコードが駆使され、アクセントとしてロックな味付けをしているといった感じだ。

そして、その音楽が嫌味でなく、大げさでなく、むしろどこか親しみやすいのが不思議なことだ。決して難解でない。純粋に音楽として楽しめる。じっくり聴かなくても、小さな音でかけて聴き流す事も出来る。

ギタリストのリーダーアルバムで、インストのアルバムだから、ギターに興味がないっていう人にはちょっと敷居が高いと思われるかもしれませんが、ロカビリーやカントリーのテイストの入ったロックがお好きな方にはオススメです。

ちょっと引いた視線から、1920年代の「日常」 le passé composé Les 6×13 de Jacques-Henri Lartigue

いわゆるアート写真集は、本自体が大判で値段もはるものも多くそうおいそれとは買えない。高くて重くてかさ張るものをどんどん買っていると、破産するか家の床が抜ける。そういうことは世の中では贅沢とか、道楽とか呼ばれている。

ずいぶん前に何かの雑誌で、小津安二郎が、浪費と贅沢は違うよ、贅沢は心のためになるよ、浪費っていうのは何の役にもたたないものに金を使ったりすることだよ、みたいなことを言っていたと読んだが、写真集を買うのは小津のいう「贅沢」としていいもんなのかどうなのか。どうも写真集を買っても「心のたし」になるのだろうかどうなのだろうか。

それでも、私は時々写真集を買う。大抵は写真家の作品集のような写真集を買う。時々「ジャズミュージシャンの写真集」とかも買うけれども、ほとんどは写真家の作品集、いわゆるアート写真集を買う。なぜ買うかというと、何かあった時のためにそういう本を手元に置いておきたいがためだ。

「何かあった時」というのは、どうしてもその写真が見たくなった時である。気分が滅入った時とか、妙に気分がいい時とか、腹がいっぱいになってちょっとくつろぎたい時とかにふと妙に写真集をめくりたい時が来るかもしれない。そういう時は永遠にこないかもしれないのだが、それでもこれはと思うものがあった時は買う。大抵は買ったら安心してあまり見ないのだが、写真集は写真だけ見ると15分もあればパラパラと一冊見ることができるので、ある意味手軽に一遍のドラマを、異国の光景を、日常の気づかなかった瞬間を、ある程度まとまった形で堪能できる。

話が長くなってしまうので、とりあえず手元にある一冊を紹介する。

Jacques-Henri Lartigueの作品集「le passé composé」。ラルティーグがパノラマカメラで撮った作品を纏めた本である。

ラルティーグは幼少の頃(20世紀の初めの頃)からかなりの量の写真を撮っていて、本人は自身を写真作家という認識じゃなく「写真愛好家」ぐらいに思っていたのかもしれないけれども、そういうことはこの人の写真にプラスに働いていると思う。

この本に掲載されている写真からも、技巧的なことを極めようとか、誰にも撮れないものを撮ろうとか、自身の内面を写真で再構築しようとかそういう強い意図は感じられない。

まあ、結構裕福な家庭の生まれの方だから、結果としてちょっと浮世離れしているところはあるんだけれども。例えば写っている車(おそらく自家用車)がやけに高級車だったり、自家用飛行機が写っていたり、家族(恋人?)の格好がずいぶん立派だったりする。

けれども、写真自体はすごく普通の動機から撮影されている。記念写真、カーレースを観戦している時に撮られたもの、旅先でのスナップ、スポーツをしている時の写真なんかだ。全てが1920年代に撮られている。

レルティーグのカメラは壊れていたのか、収められている多くの写真の左側が暗くなっている。フィルムの一部が感光してしまい写真の一部が白く飛んでしまっているものもある。そういうところも含めて「プロフェッショナル」な写真じゃなくて良い。むしろそういうところがこの写真集の親しみのわくところだ。

彼の日常、いや日常の中でも「ちょっとお洒落をして出かけている時」の光景が、6X13というちょっと非日常を想起させるフォーマットに収まっている。そういう光景を約90年後に垣間見ることにより、その世界に感情移入はできないのだが、そこに強く惹きつけられる。すごく楽しそうでなんだか幸せそうありながら、ふとしたところで陰鬱でもあるなんだか不思議な日常に魅せられるのだ。

「いやー、いい時代だったんだよ」

とか、一見そういう写真なのかと思うと、それだけでもない。「いい時代の写真」ということだけではまとめられない。それはパノラマというフォーマットのせいもあるのだが、そういう問題だけでもない気がする。実際ラルティーグはかなり巧妙にこのパノラマというフォーマットを使いこなしている。技巧的な問題で収まりが悪いということはあまり感じない。むしろ、ラルティーグのカメラの視線の定まり方がちょっとその場面を引いて眺めていてそれがこの写真集のある種独特の世界観を作っているのだ。ちょっと冷静な視線というか、他人に見せることを前提にしているのかどうかはわからないけれど、写真が傍観している。それが、ふとしたところで感じる陰鬱さにつながっているのだろう。

この写真集に入っている写真はとても静かで、パンチが強くないものばかりなので、ちょっと疲れた時なんかに時々めくってみている。

大きさはだいたい25cm×25cmぐらいで、写真点数は40点。5〜10分ぐらいでパラパラと全ての写真を見ることができる。ボリュームが多すぎないこともこの写真集の良いところだと思う。

適度に騒がしくないアレンジメント Milt Jackson Orchestra “BIG BAGS”

気分をスカッとさせたい時にビッグバンドのジャズを聴くという方もいると思う。私もカウントベイシーなんかを聴くときは、なんだかバッティングセンターに行くような気持ちで、「よし、こりゃいっちょやってやろう!」なんていう訳のわからないテンションで聴いたりする。

カウントベイシーの音楽は、元気があるときのストレス解消なんかには丁度いい。たまにバラードなんかが入っていて、それもいい箸休めになって、自分が演奏しているわけでもないのにいい汗がかける。

まあ、一言にビッグバンドとは言ったって、ボブミンツァーみたいなものもあるし、なんとも言えないのだが。かくいう私はさほどビッグバンドジャズに詳しくはない。友人で学生時代にビッグバンドでベースを弾いていた奴がいるので、彼に色々教わって聴いたりもしたのだが、ちゃんとアルバム一枚通して聴いたのはあまりない。何故なら、疲れてしまうのだ。

このブログでは、できるだけそういう疲れてしまうような音楽は取り上げない。もっと、カウチに座ったり、座布団に寝そべったりして聴いて、じっくり集中しなくても聴けるようなものを紹介したい。何故なら自分自身、疲れて気力が湧かない時、仕事から帰ってリラックスしたい時、ただ単に音楽を聞き流したい時に丁度いい音楽を求めているからだ。いつもがいつも音楽と全力で格闘できるわけではない。時には、音楽が流れるのに任せておいて、自分はゆっくりしたい。だからといってどうでもいいような音楽じゃ物足りない。

そこで、第一弾として紹介するのが、Milt JacksonのBig Bagsというアルバムだ。

できるだけ騒がしくない音楽から紹介したかったのだが、いきなりビッグバンドジャズとなってしまった。しかも、Milt Jacksonはヴィブラフォン奏者でもかなり音数が多めのビバップとかそういう系の人だから、一見、騒がしいジャズを期待するアルバム。Roy Ayersとかそういう人のアルバムならもっと、都会の洗練とベルベットのようなサウンドを手に入れることができそうなのだが。

しかしながら、このアルバムは少々くたびれている時でも聴ける。7曲目までなら特に。

確かにアレンジメントをしているTadd Dameronと Erie Wilkinsは結構ビシビシバシバシ系のアレンジを書いている。このアルバムだって「Star Eyes」のアレンジなんかは、カウントベイシーオーケストラを彷彿とさせる音楽で、ドラムのConnie Kayもどんどん攻めてくる。8曲目の「Star Eyes」以降は結構うるさい。この辺からエキサイトしてきて、ちょっと騒がしいジャズになってくる。

けれどもアルバムとしては、何かしながら、例えば本を読みながらでも聴いていられる音楽に仕上がっている。それは、Milt Jacksonのリードが程よく抑えられているからだろう。抑えられていると言っても、手を抜いているというわけではない。むしろフレーズは澱みなく出てきているし、すごくスリリングなヴィブラフォンを聴かせている。

けれども、そこをやりすぎないで、ちょうどいいところで音楽を作っている。泥臭くなりすぎないし、バリバリしすぎない。けしてサラリとした音楽ではないのだが、音楽をごり押ししてこない。どちらかといえば、バックのビッグバンドがちょっと前に出てきていて、ミルトジャクソンは、控えめな印象を受ける。この人、そんなに控えめな演奏する人でもなかったと思うけれど。

一言文句があるとしたら、私の手元にあるCDでこのアルバムを聴いていると、ボーナストラックとして「Round Midnight」と「Star Eyes」の別テイクが入っているのだが、それがそれぞれの曲の後に続けて入っている。同じ曲を2回続けて聴かされるのだ。これは、ちょっともったいない。

私は、  CDにボーナストラックとかは要らないと思うのだ。アーティスト(アーティストとは奏者なのか、プロデューサーなのかはその時その時で変わるが)が意図した通りにアルバムが聞ければそれでいいではないか。

まあ、そういう問題は置いておいて、都会の喧騒に疲れた大人のための ビッグバンドジャズとして、「Big Bags」は悪くない。