ピアノレスのワンホーンカルテット Art Farmer Quartet “Interaction”

ピアノレスのワンホーンカルテットというのもたまには悪くない。

私はもともとジャズのピアノというものをあまり一生懸命聴いてこなかった。ジャズの世界には凄腕のピアニストはたくさんいるのだけど、じゃあ凄腕だったらかっこいいかと言うと、必ずしもそうではない。ジャズのピアニストには、上手いのだがグッとこないという人が多い気がする。それは、ピアニストが悪いわけではなく、ピアノという楽器のせいであるような気もする。

ピアノという楽器は、両手の10本の指をフルに使って演奏できるもんだから、一気に弾ける音符の数も多い。そのせいもあってか、バンドはピアニストに多くのものを求めがちになる。和音やら、メロディーにとどまらず、メロディーラインに呼応するハーモニー、ベースライン、リズム(ノリ)、バンド全体のダイナミクス、その他多くのものをピアノという楽器に頼ってしまう。そのためもあってか、ピアノがしっかりしていると、他のメンバーがテキトーでも音楽は成り立ってしまったりする。それに乗じて、ピアニストはピアノ一台でいろいろなことをしようとしてしまいがちである。ピアノ一台で、ビッグバンドのようなサウンドを出したり、複雑なリズムを組み合わせて弾いたり、とにかく大忙しである。

私は、きっとそういう大忙しの音楽が好きではないのだろう。大忙しでも、良いものは良いのだけれど、そういう良いのは少ない。どうもテクニックや、実験的な野望のようなところばかりが目立ってしまい、肝心の音楽の面白さが伝わってこない。

そういう事情もあって、ピアノもののジャズはあまり積極的に聴いてこなかった。

今夜も、ピアノレスのワンホーンカルテットを聴いている。アート・ファーマー(フリューゲルホルン)カルテットの”Interaction”というアルバムだ。このころのArt farmer Quartetはジム・ホールがギターを担当していて、ピアノレス編成でやっていたようだ。ピアノが入っていない編成だと、やっぱりちょっとおとなしい音楽になってしまうのだけれど、その分アート・ファーマーの渋い(燻し銀の?)フリューゲルホルンが引き立つ。

ラッパ、ギター、ベース、ドラムスといった編成で録音されたアルバムはあんまり他に持っていないけれど、晩年のチェット・ベーカーも同じような編成で何枚かライブ盤を吹き込んでいる。あれはあれで暗くて好きなんだけれど、アート・ファーマーはもうすこしどっしりと構えていて、音楽が危なげない。音符の数は最小限に抑えられているんだけれど、そこでできることをとことん追求している。それでいて、音楽に無理がなく、面白い。小難しくなく、技巧的でもない。アート・ファーマーもうまいこと考えたもんだ。なかなか、こういう次元で音楽を作りこめる人は少ない。

カルテットのメンバーそれぞれが、「出過ぎない」ように気を使っている様がみてとれる。リーダーのアート・ファーマーに気を使っているのか。それにしては、アート・ファーマー本人も地味である。

決して派手な音楽ではないのだけれど、そこに、一応盛り上がりのようなものもないわけではなく、良いバランスを保っている。アルバム一枚を通してじっくり聴くのはちょっと辛いかもしれないけれど(時々、間延びしたような雰囲気にもなる)、何かやりながら聴くには悪くない。

アート・ファーマー、自分のリーダーアルバムはこういう地味なラッパ吹いているのが多いんだけど、サイドマンとなると、結構吹きまくっていることもあるんだよな。結構気苦労も多かっただろうな。

Jimmy Smithと言えばこれ。 “Root Down”

オルガンもののジャズが好きで、ジャズと言えばトランペットのワンホーンカルテットとオルガントリオばかり聴いております。

ジャズを好きな方々にはそれぞれの好みがありまして、まあ、これはどんなジャンルの音楽でもそうなんですが、ジャズの場合、ピアノトリオばっかり聴く方、二菅編成(テナーとトランペットなんかが定番ですかね)じゃないとジャズを聴いた気がしないという方、はたまたギタートリオ(これもギター・ベース・ドラムスのトリオに限らず色々ありますが)こそがジャズの醍醐味と語る方もいらっしゃるし、はたまたビッグバンドじゃないと物足りんという方も当然いる。どなたの意見も一理あるわけで、私にもその気持ちよくわかります。

確かに、ピアノトリオは奥深い。ピアノ、という一台で何でもできてしまう楽器を担うピアニストと、ベースという何とも不器用そうな楽器を自由自在に操るベーシスト、ただリズムを刻むだけの役割をなかなかやらせてもらえないドラマー。この3人の編成は、ジャズの編成としてはど定番なんですが、ピアノトリオこそ人それぞれにいろいろなスタイルがある。

有名どころでビルエヴァンストリオ、あれはピアノトリオの一つの完成形。今でも多くのピアノトリオがあれを下敷きにして、あれを越えようともがいている。そもそも、ビルエヴァンスのトリオは、各プレーヤーの担っている役割が高次元すぎて、真似しようとしたところで真似できない。キースジャレットのスタンダードトリオだって、その世界じゃ負けていないけれど、あれもそもそもはビルエヴァンスがああいうフォーマットを完成させなければ出てこなかったんじゃないか。

ビルエヴァンストリオのような複雑な音楽はどうも好きになれません。という御仁もおられよう。そういう方はウィントンケリートリオ、はたまたレッドガーランドトリオなんかがお好みか。私が一番好きなのはレッドガーランドのトリオ。レッドガーランドのピアノがダイナミックでありながらいつも収まるべきところに収まっていて安心して聴ける。だから、一番好き。ウィントンケリー、あの人も素晴らしい。複雑なことはやらない。実験的な音楽には手を出さない。だけど、いつもしっかりした、スイングしまくるジャズを提供してくれる。すごいテクニシャンっていうわけでもないし、派手なところはないけれど、音楽が素直で良い。ああいう人こそ名手と言えるんではないか。この系統の堅実・しっかり派のピアノトリオはたくさんいる。結局聴いていて一番疲れないのはこの系統。

もっとオールドスクールなピアノトリオだってたくさんいる。エロルガーナートリオなんて、どのレコード買っても、音質の差こそあれ、あのレイドバックしたメロディーラインが待っていてくれる。もっと古いスタイルで、名盤もたくさんあるのだけれど、私は専門外なのでエロルガーナー以外はほとんど聴いていない。

リーダーはピアニストではないけれど、シェリーマンのトリオも良い。アンドレ・プレヴィンがピアノを弾いている “My Fair Lady”も忘れちゃいけない。

じゃあ、Three soundsはどうなんだ?えぇ?どうなんだ?と言われたら、ぐうの音も出ない。あの方々は、ピアノトリオっていう世界の一つの極端な完成形。予定調和の美学。偉大なるマンネリズム(いい意味で)。地球がどのように回っていようと彼らの音楽はきっといつまでも変わらなかっただろう。

ピアノトリオだけとってみても、ここに書ききれないほどの名前がどんどん上がってくる。トミーフラナガン、バドパウエル、チックコリア、ハービーハンコック、アーマッドジャマル、ハンプトンホーズ、もう、語りだすとアラビアンナイト状態になってしまうので、今日はやめておこう。ピアノトリオについてはまた後日。

それで、話は戻ってオルガンもののジャズなんだけれど、正直な話、オルガンものはとにかくオルガントリオばかり聴いてきた。オルガン、ギター、ドラムス。この編成がやっぱりスタンダード。この編成で録音されているアルバムは、とにかく片っ端から聴いている。ジャケも確認せずに買って聴いている。ジャケ買い以前の問題だ。だからかどうか知らないけれど、オルガントリオのジャズのアルバムのジャケットって、あんまり凝ったデザインのものはない。きっと、流れ作業で作成されているんだろうな。

オルガントリオの名盤と言えば、まずはRichard Groove Holmesの”Living Soul”。オルガントリオの入門盤。

次の入門盤はやっぱりJimmy Smithになっちゃうかな。”Organ Grinder Swing”か、もしくは”Standards”。ハモンドオルガンの音色作りの基準って、きっとジミースミスの音なんだろうな。

オルガントリオの入門盤については、いくらでも紹介されているから、一気に飛ばすことにして、オルガンもので個人的に好きなアルバムについて。

まず、聴きやすいアルバムとして”Introducing the Fabulous Trudy Pitts”。これは、オルガントリオにコンガが加わった編成なんだけれど、とにかく、一気に通して聴いても暑苦しくならない。かといって、お洒落なだけにとどまらないアルバム。

新しめのアルバムでは(とは言っても、1993年発売だけど)Joey Defrancescoの “Live at the Five Spot”。これは、もう、トリオじゃなくて、オールスターメンバーでサックスやらトランペットやらが代わる代わる加わっての演奏なんだけれど(ハモンドオルガンの巨匠ジャックマクダフまでゲスト参加している!)、これはこれでかっこいい。何が良いって、ジョーイデフランセスコ、ソロもすごいんだけれど、バッキングの時、左手のベースラインがめちゃくちゃグルーヴする中で、右手でグワッとフィルインを入れてくる。これがたまらんくかっこいい。オルガンの名手って、ギタリストやらのフロントマンがソロをとっている時にいかにカッコよく伴奏できるかにかかっていると思う。そういう意味では、ジョーイは当代きっての名手(今でもそうだと思う)。

忘れてはいけないのがJimmy McGriff。この人は、やけにたくさんアルバムを出しているので、それぞれのクオリティーもまちまちなんだけれど、あえて一枚好きなアルバムを挙げるとすれば、”The Big Band: a Tribute to Basie”。これに入っている4曲目の “Cute”が良い。オルガンのかっこよさに目覚めたのはこの曲。とにかく、ハモンドオルガンの乱暴な音色にシビれる。

ハモンドオルガンのアルバムについては、これから一枚一枚紹介していきたいのだけれど、いつも、最終的に行き着くアルバムはJimmy Smithの”Root Down”これは、もう、ジャケットだけ鑑賞しても十分お釣りがくるぐらいオルガンの魅力を伝えるアルバム。このアルバムが苦手という方は、おそらく、ハモンドオルガンという楽器そのものがあまりお好みではないのかも。それぐらい、オルガンという楽器のいろいろな側面を見せてくれるアルバム。

結局、ジミースミスに行き着くっていうのも、なんだかつまらないのだけれどな。でも、これを抜かしてオルガンジャズは語れないからなぁ。

常にそこにいるという安心感Red Garland “The Nearness of You”

Red Garlandのまだ聴いていなかった名盤があった。”The Nearness of You”というタイトルのバラード集。

ジャズのアルバムで、ピアノトリオで、バラード集というのは結構たくさん出ていて、物によっては単なるラウンジミュージックになってしまっていたり、逆に難解な解釈になっていたりして聴きづらかったりするのだけれど、このレッド・ガーランドのアルバムは、シンプルでいてなかなか聴きごたえのあるアルバムに仕上がっている。とは言っても、聴いていて疲れるようなアルバムではなく、甘ったるくなりすぎないで、純粋にレッド・ガーランドのピアノトリオの無駄のないアンサンブルを堪能できる。

私は、あまりジャズのピアノトリオのアルバムを持っていない。普段あまりピアノトリオを聴こうと思わないからだ。だいたいいつもは、オルガントリオ(オルガン、ギター、ドラムス)編成のアルバムか、管楽器が入っているアルバム、それもワンホーンカルテットが好きで、よく聴いている。トランペット、テナーがフロントのクインテットのアルバムも結構沢山持っていて、とくにマイルスの50年代のクインテットやら、チェットベーカーの65年あたりのクインテットなんかは好きで時々聴くのだけれども、どちらかというとワンホーンの方が好きだ。

オルガントリオの魅力については、別のところに書くとしよう。

ワンホーンカルテット、特にトランペットがフロントのをよく聴いているんだけれど、何故好きかというと、トランペットの魅力というのを一番堪能できるからだ。トランペッターの力量、歌心が一番試されるのはそういう編成だと思っている。フロント楽器のハーモニーで聴かせるジャズよりも、歌モノに近い。ワンホーンカルテットでは、フロント楽器があまり暴れてしまうと、まとまりがつかなくなってしまう。だから、ワンホーンの編成では、テクニックをひけらかしたり、ハイノートをヒットしまくる音楽よりも、じっくり歌を聴かせるアルバムが多い。そいういうアルバムの方が聴いていて疲れないし、じっくり何度でも聞くに耐えうる。だから好きなんだろう。

ピアノトリオは、いろいろなスタイルを実験できうる編成であると思う。キース・ジャレットのスタンダードトリオのように、トリオでいかに自由に音楽を料理できるかを試す実験の現場にもできるし、ビル・エバンストリオのように、ピアノという楽器の表現の可能性を最大限に発揮することもできるし、はたまた上記のようにラウンジミュージックにもできる。だから、ちょっとした味付けの違いでいろいろな音楽に転んでしまうし、聴く方としては、それを楽しむことができる。

レッド・ガーランドトリオは、常に安定している。ベースやドラムスは色々と入れ替わったりすることはあるけれども。サウンドは常に変わらない。だから、彼のトリオのアルバムは、だいたいハズレはない。ハズレはないけれども、ものすごく実験的なことなんかは、絶対に期待できない。スイングしまくるし、ジャズという音楽のある意味完成形ではあるのだけれども、あまりにも安定しすぎていて、刺激がないのであまり好きになれないという方もいるだろう。この人は「時々アバンギャルドなことをやる」というようなタイプでもない。冷静沈着で、自分のスタイルを生涯貫いた。新しいスタイルを創り上げたパイオニアとも言えないだろう。むしろ、彼は彼のスタイルでの最高の名手だ。

ブロックコードを基調として、テーマもソロもとる。早弾きはほとんどない。だけれども、ものすごく、聴いていてウキウキするし、時にしっとりとまとめ上げる。彼のように弾けるというピアニストは、他にもいるだろう。オスカーピーターソンなんかは、彼のスタイルを踏襲し、もっとテクニックを駆使し、複雑なこともやってのける。だけど、彼は、あえて彼のスタイルを変えることなく、ピアノを弾き続けた。音楽の魅力って、いや、ミュージシャンの魅力っていうのはそこが重要なんだと思う。

これは、音楽に限ったことではないと思う。私個人の趣味といえばそれまでなんだろうけれど、表現とは「なにができるか」ではなく「なにをやらないか」が重要なんだと思う。そして、それは「なにしかできない」ということでも構わないと思う。その道である程度の水準(とは言ってもかなり高度なレベルにおいてだけれど)をクリアしていれば、このミュージシャン(作家でもいい)は「これができない」から劣っているということは基本的にはないと思う。むしろ、「この人はこれ以外できない」というのこそ、魅力になり得る。「〜節」という言葉があるけれど、それは、ちょっと狭い意味であって、もっとおおらかな次元において「これ以外できない」ということは、とても魅力的なことであると思う。

誤解がないように言っておくと「テクニックが劣っている方が素晴らしい」ということを言っているわけではない。むしろ、ディジーガレスピーやらパコ・デ・ルシアのようにテクニックが優れていようと、一つの道を極め、そればかり突き詰めるというタイプのミュージシャンにこそ魅力があるのだ。ディジーガレスピーはモーダルなジャズやフュージョンもやっているのかもしれないけれども、彼の音楽の魅力は最後まで50年代初頭までのスタイルのジャズを生涯貫いていいたからであり、そのためディジーは常に期待通りのことを軽々とやってのけるからである。

レッド・ガーランドのそういう魅力は、このバラード集でも存分に発揮されている。レッド・ガーランドのレコードに期待していることの総てがこの一枚に詰まっている。私は、彼のレコードを買って、そのバリエーションを楽しむことに喜びを憶える。そして、レッド・ガーランドはつねにそこにいてくれる。

アメリカの詩人Gil Scott-Heron Winter in America

どうも、アメリカの音楽はよくわからないところが多い。

わたしのレコードラックのほぼ9割以上はアメリカ人による音楽のレコードやらCDなのだけれど、それでもよくわからない。

ジャズやら、ロックやらばかり聴いていたらなんだか気づいたらアメリカものばかりになっていた。30年代以降のアメリカの音楽は、私の貧しい音楽史の知識から言っても、かなり特徴的なものだと思う。

ジャズやロックという音楽の出現は、アメリカという文化の中でしか考えられなかったと言っても過言ではないと思う。ヨーロッパの色々な文化の良いところを引き継ぎ、無理やり単純化し、黒人音楽やバプテスト協会なんかの影響を匂わせながら、また単純化し、大量生産する。それこそがアメリカの音楽文化だと思う。

最近読んだ、高木クラヴィアの社長さんの本でも紹介されていたけれど、ピアノの名器スタインウェイは、まさにアメリカの音楽文化から生まれた楽器だ。アメ車のようにパワフルで、ヨーロッパ音楽の流れも組みながら、アメリカの音楽文化に合わせて作られている。後になってハンブルクでもスタインウェイは作られるようになったけれど、やっぱりスタインウェイはアメリカが生んだピアノだと言えるだろう。

ギターの発展も然り。鉄弦のギターなんていうのはやっぱり音量追求。その、音量追求により出来上がった新しいサウンドもあるのだけれど、ヨーロッパ音楽の流れを断ち切る楽器の出現だっただろう。

そんな中でGil Scott Heronアメリカの生んだ偉大な詩人でありソウルミュージックの星。

ラップの起源は諸説あるけれど、一つは、バプテスト教会のお説教。これは、まあ、多分本当の起源と言えるだろう。ゴスペルの起源もそこだそうな。

もう一つは、カーティスメイフィールドのMC。あれは、まあ、ほぼラップだ。

そして、もう一つがGil Scott-Heron。

このWinter in Americaというアルバムは、わりと静かめの曲が入っているのだけれど、ジャズ好きの方々が彼の音楽を聴くのには一番良い入門版だと思う。

もちろんRhodesピアノの素敵な音色で聴かせてくれる。

Rhodes好きにも外せないアルバム。

Rhodes, Rhodes, Rhodes ローズピアノを聴きたかったらこれを聴け

私は近頃、ハモンドオルガンやらローズピアノといった、ピアノではない鍵盤もののジャズをよく聴いている。ハモンドオルガンはとくに大好きで、大学時代からよく聴いているのだけれど、あれは良い楽器だ。

わたしは、鍵盤楽器を全く弾けないのだけれど、弾けるようになるんだったらハモンドオルガンを弾けるようになりたい。Hammond organはとにかく気持ちがよさそうだ。あの、鍵盤を押さえたままにして音を延ばしながら、テンションノートを加えていく感じとか、ハモンドのパーカッションとか、レズリースピーカーだとか、もう、どれをとってもたまらない。

オルガンは独りで弾いていても楽しそうだ。ベースラインを左手でとりながら、右手で和音やらメロディーなんかを弾く。ウォー、最高だ。弾けないのに興奮してしまう。やっぱり鍵盤楽器の王様といえばピアノかもしれないけれど、鍵盤楽器の神様に一番近いところにいるのはハモンドオルガンだと思う。現に、ハモンドオルガンはアメリカの教会に設置するために作られたのだとか。さすが、神々しい楽器である。

それで、Nordのクローンホイールオルガンを購入した。購入して、いじっていたのだけれども、これがまた良くできている。キークリックノイズだとか、そういうところまでよく再現されている。

まあ、ハモンドオルガンの本物を触ったことがないので、なんとも言えないのだけれど、なんだかレコードで聴くハモンドオルガンの音に似ている。素人の私には、これで十分オルガンの練習はできる。

そのNordをいじっていたら、おまけにアコースティックピアノの音源、ウーリツァーの音源、クラヴィネットの音源、ローズピアノの音源が入っていた。

どれも良くできてはいるのだけれど、悲しいかな、Nord Electroはやっぱりオルガンの音を本気で再現するために作られていて、その他の音源はなんとなく本物っぽくない。そもそも鍵盤のタッチはオルガンそのものだし。アコースティックピアノなんて、なんとも頼りない音しか出ない。

まあ、これはこれで仕方がない。だって、デジピの良いやつなんて30万円ぐらい平気でするんだから、デジタルオルガンのおまけの音源がそんなに良かったら、みんなデジピを買わなくなってしまう。

それでも、入っているローズの音源はなかなか良くできているのだ。良くできていて、十分にローズ気分は味わえる。味わえるのだけれど、やっぱりNord Electroはオルガンの専門家であって、鍵盤の感触、音の出方がローズピアノっぽくない。決して、これは必ずしも悪いだけではなくて、一台のキーボードで色々な音が出せてしまうのだし、それぞれが同じタッチで弾けてしまうんだから、本気でステージで使う人にはこれほど有難いキーボードはないんだけれども、なんだか弾いているうちに、どうしても本物のローズを弾きたくなってしまう。

それで、最近ローズピアノもののジャズを聴いている。

ローズピアノで有名どころと言うと、マイルスバンドだったり、ハービーだったりチックコレアのリターントゥフォーエバーなんかなんだろうけれど、まずはボブジェームスから聴き始めた。

チェットベーカーの「枯葉」という邦題のアルバムで、ボブジェームスがローズを弾いているのだけれど、これがなかなかシミル演奏なのだ。ローズの魅力が十分に引き出されている。

それで、十分良いのだけれど、やっぱりせっかく聴くならローズのもっとコアなアルバムを聴きたい。ビルエヴァンスの「From Left to Right」が良いと評判なので聞いてみたりしたのだけれど、やっぱりビルエヴァンス、さすがに、良い。良すぎて、これは、べつにローズでなくても良いような気がしてくる。ローズってもっと雑な方が好きな気がする。

それで、いろいろGoogleやらなんやらで調べてみたところ、なんでも、Hampton Hawsの「Playin’ in the yard」というアルバムが良いと言うので、聴いてみた。

これが、なんだかジワジワとくる良さなのだ。ローズ好きを唸らせるローズ節。なんだか知らんが、ローズはこうでなくっちゃな、と思わせられる。ローズはこういう風にちょっと乱暴に弾いてもらいたい。

なんだか、本気でローズと挌闘している感じが良い。ローズは決して扱いやすい楽器ではないんだろうな、と思う。ハンプトンホーズもその辺で、結構頑張って弾いている。ビルエヴァンスが、チャラチャラと簡単にローズを鳴らしてしまっているのに対して、ハンプトンホーズは一生懸命ローズからかっこいい音を出そうとしているのが聞こえて来る。

オリジナルはレコード一枚なんだろうけれど、このCDは2枚のアルバムがCD一枚に収められている。「northan widows plus」というアルバムだ。

ローズ好きなら、絶対聴くべし。

この日本企画盤臭さはどこに由来するんだろう Dusko Goykovich Scott Hamilton 「Second Time Around」

良いアルバムなんだけれども、どうもはっきりと人に「良い」と言って勧められないアルバムというのがある。特に、ジャズのCDにある。

どういうアルバムかというと、「どうも胡散臭い」アルバムだ。

この「どうも胡散臭い」というのも様々なんだけれど、わたしが一番そう思うのは

「このアルバム、日本人向けに作ったんだろうな」

と思わせられるアルバムだ。

こういうアルバムは、結構多く存在している。まあ、世界の中で日本人が最もジャズが好きなんじゃないかと思うから(統計的な数字は知らないが)仕方がないのだけれど、プロデューサーが、日本市場を意識して作っているアルバムっていうのが結構たくさん存在する。

The great jazz trioとかChet Bakerの「Sings Again」なんていうのは、そもそも日本人がプロデュースしているからしょうがないけれど、そういう、もろ日本企画盤じゃないアルバムでも、この類のアルバムがある。

今日紹介するDusko Goykovich Scott Hamilton 「Second Time Around」もそういうアルバムの一枚だと思う。

Dusk Goykovichというトランペッターは、世界的にはどのくらい有名なのか、どのくらい評価されている人なのかは知らないけれども、日本人のジャズファン好みのトランペッターであることはまあまあ間違いないだろう。純粋に音楽的にどうなのこうなのという話を私がしても仕方がないけれども、まあ、平たく言うと「わかりやすい」ジャズを演奏してくれるトランペッターである。Tom Harrellとか、最近の若い売れっ子とは対極の、トランペッターである。

昔ながらの、間違いのないジャズを、かっちり演奏してくれるトランペッターと言える。

もう一人のScott Hamiltonだって、そういうサックス吹きだ。ハリーアレンと一緒にやっているテナーチームなんかのアルバムを聴いていてもそうだけれど、わかりやすい演奏を、昔ながらの古き良き”モダン”ジャズを間違えなく演奏してくれる。

こういうと、語弊があるかもしれないけれど、いかにも日本人のジャズファンが好きそうな演奏である。

それで、今日の「Second Time Around」である。

はっきり言って、アルバムとしては悪くないアルバムだ。有名なジャズのスタンダードばかり入っているし、ソロも、昔ながらのスタイルで、曲の解釈もこむづかしくない。聴いていて、全く疲れない演奏である。これはこれで良いもんだ。

しかし、なにかが物足りない。

私はこのアルバムのように完成されたパッケージよりも、どちらかというと、もう少し出来の悪い、完成度の低いアルバムを聴きたくなってしまう。プレスティッジの垂れ流しブローイングセッションとかそういうアルバムの方が聴いていて楽しい。決して名盤と呼ばれることのないアルバムでも、聴いていて刺激があって良い。

このブログのテーマは、都会の暮らしの中で疲れた時に聴ける音楽ということにしているから、この「Second Time  Around」なんてうってつけなんだろうけれども、だからと言って手放しで素晴らしいと人に紹介できない。

お勧めできない、というアルバムを紹介しても仕方がないのだけれど、あくまでも、私の好みから行くと、お勧めしない。

しかし一方で、完成度の高い、聴いていて疲れない、リラックスできるジャズを聴きたい方には、うってつけのアルバムであることも確かである。

現に、このブログを書きながら聴いてみたりしたんだけれど、なんというか、とても素敵なアルバムである。抑制の効いた演奏にしても、アレンジの上品さでも、よくできたアルバムである。

とくに良いのは3曲目の「You’re my everything」この曲の可愛らしいところをうまいこと表現していて、素敵だ。なんといっても、最後のターンアラウンドのところが、カウントベイシー風の味付けがされていて、良い。ジャズの基本を押さえた、なんとも言えない名演である。

けれども、まあ、このアルバム、そういうアルバムですから。

Chet Bakerというスタイルが紡ぎ出される

このブログではChet Bakerのことばかり書いているような気もするけれども、チェットが好きなのだから仕方がない。チェットベーカーというジャズミュージシャンの妖しさに惹かれてしまうのだ。

ジャズとしては、前衛ではないし、むしろ保守的で70年代に入っても、未だ50年代のスタイルを変えず、ひたすらトランペットを吹き続けていた。共演者が替わっても、そこにはチェットベーカーの音楽があった。

CTIでジムホールのサイドマンとして参加したアルバムでもそれは同じで、そこにはひたすらチェットベーカーの音楽が存在している。もちろん、ジムホールのリーダーだから、ジムホールの音楽なのだけれど、そのジムホールの世界の中で埋もれることなく、むしろかえってそこにはっきりとチェットベーカーの音楽がうき上がる。チェットベーカーが前に出てくるのではなく、かれの音楽がバンドのサウンドとして鳴るのだ。

同時期にチェットベーカーのリーダーで、ほぼ同じメンバー(とは言っても、ピアノは違うし、ジムホールも参加していないのだけれど)で録音したアルバム「She was too good to me」と聴き比べてみてもそこにある音楽がいかに変わらないかがわかる。これはCTIのサウンドというわけだはなく、紛れもなくチェットベーカーの音楽である。なぜなら、その曇った感じ、けだるい感じ、それでいてフレッシュで若々しい感じがチェットの音楽であることを主張しているからだ。

主観的な表現になってしまったが、チェットベーカーの音楽にはどうしても、主観が入ってしまう。それは、かれの音楽が主観を求めるからだ。あなたは、それをどう聴くか、がこの音楽の一番重要なところなのだ。彼の音楽は紛れもなく50年代のハードバップの焼き直しであるのに、聴いていると、それがジャズであるとかポピュラー音楽であるとか、そういったことはどうでもよくなる。ジャズが苦手な方には単なるジャズにしか聞こえないかもしれないけれど、私にとってそれは単なるジャズではない。それは、一つの音楽のスタイルだ。ジャズのスタイルではない、音楽のスタイルなのだ。

彼のマーチンのコミッティーから、コーンの38Bから、ブッシャーのアリストクラートから、ゲッツェンのカプリから、バックのストラディバリウスから紡ぎ出されるのは単なるジャズではない。それは、バンドの音楽そのものをチェットベーカーというスタイルに染め上げるうねりなのだ。その、少し頼りなく、太く曇ったうねりが、スタイルを作り上げている。

嘘だと思うなら、ぜひJim HallのConciertoを聴いてみてほしい。そこに見つかるのは、チェットベーカーの音楽だから。

ちなみに、このアルバムでチェットはConnのConnstellationを吹いているはずです。音は、その後にBuescherを吹いている時と、ほとんど変わりません。弘法筆を選ばずを地で行った人だったのでしょう。けれど、若い頃に使っていた Martin Committee Deluxeは自分でマーチンの工場に出向いて、10数本のなかから選定したそうです。

チェットベーカーは楽器にこだわりがないように思えて、実は結構こだわっていたのかもしれません。割と色合いがはっきりしない、よく言うと表現の幅が広い楽器を長く愛用していた人です。

自信満々のDoc Cheatham “Swinging down in New Orleans”

トラディショナルなジャズもなかなか良いと思えるようになるまで、ずいぶん時間がかかった。20代の頃は、ジャズっていうのは前衛がいいのだとか思っていた時もあったし、いや、それよりももっとバリバリのハードバップこそジャズだと思っていた時もあった。

ジャズという音楽も、100年も歴史のない音楽だから、前衛もトラディショナルもなにもないような気もするんだけれど、やっぱりそういう概念が存在することは確かだ。100年前のものは十分にトラディショナルなのだ。80年前の音楽もやっぱりトラディショナルなのだ。これは、ジャズだけじゃなくて、クラシックなんかもそうなのかもしれない。いや、ロックでさえトラディショナルなロックミュージックというものが存在するのではないか。

ジャズ、特に40年代前半までに流行っていたスタイルのジャズはトラディショナルなジャズと区分けされる。そして、いまでもそのスタイルで演奏し続けている方々がいる。ディキシーランドだったり、スイングスタイルだったり、それらが混ざったスタイル(シカゴスタイルとか)がある。

そういう古いジャズはどうも若い時分は素直に聴けなかった。こんなものを聴いていてはいけないのではないか、などと感じていた。ときどき背伸びして30年代の録音のレコードなんかを買って聴いていたりしたけれど、どこがいいのかちっともわからなかった。

30代に差し掛かったぐらいから、トラディショナルなスタイルを現代風にアレンジして演奏しているジャズ、大橋巨泉の呼ぶところの中間派のジャズなんかを聴くようになった。たまたま持っていたルビーブラフのレコードがとても良かったからだ。中間派、とても好きになった。

それで、いろいろと聴いて、どうやらボビーハケットが好きだということに落ち着いた。落ち着いたところで、やっと古いジャズを素直に聴けるようになった。

それで今夜はDoc Cheathamを聴いている。

これが、なかなか良い。オールドスクールなジャズである。なにせドクチータムの音が良い。自信がみなぎっていて、それでいてジェントルで、程よく枯れていてどれ以上の言葉が出てこないぐらい良い。トランペッターというのはこうあるべしという演奏だ。

クラリネットやら、バンジョーが入っているのも良い。古いスタイルのジャズにはバンジョーがよく登場するけれど、このバンジョーというのが、あんまり目立ちすぎても古臭くなってしまう。まあ、古臭くても良いのだけれど、バンジョーが控えめながらしっかり役割を果たしているレコードは魅力を感じる。

あの、馬鹿でかい音しか出ない、バンジョーという楽器がまたいい。まさに、ジャズのためにできたのではないかというくらい音の乱雑さが良い。

これだけ、充実した内容のアルバムができたら、リーダーのドクチータムもさぞ満足だろう。このジェケットの満足そうな顔が、それを物語っている。

誰か、ペダルスティールギターを堪能できるアルバムを教えて欲しい。

楽器は色々とあるけれど、演奏できたらかっこいいなと思う楽器はそんなに多くない。

トランペットとペダルスティールギターだ。どちらも持っているけれど、ほとんど弾けない。ペダルスティールギターに関しては、全く弾けない。

しかし、YouTubeなんかでペダルスティールギターのデモンストレーション映像なんかを見ると、なんてかっこいいんだ、と思う。あの、なんだか一見シンプルでで、ものすごく複雑なことを簡単にやってのけているのはかっこいい。ペダルスティールギターがリーダーのアルバムというものをあまり持っていないので、なんとも意見が言える立場ではないのだけれど、あの楽器を弾けるようになりたい。

レイプライスなんかのライブ映像で間奏部分をペダルスティールギターが担当しているのを見るたびにため息が出る。なんてかっこいいんだ。

是非、ペダルスティールギターをじっくり堪能できるアルバムを教えて欲しいのだけれど、今の所バディーエモンズのアルバムしか持っていない。もっと、沢山聴いてみたい。

あの楽器のサウンドに憧れるのだ。あのなんとも言えないトーン。なめらかな音階の移動。何をとっても良い。素晴らしい楽器だと思う。あの楽器が、カントリーと、カントリー系の一部のジャズにしか使われていないのが勿体無い。

誰か、ペダルスティールギターをじっくり堪能できるおすすめのアルバムがあったら教えていただきたい。

どうか、お願い致します。

Harry Edisonの良いところ取り

地味だけれど素晴らしいジャズアルバムというのがある。

ジャケ買いもしないような控えめなジャケット、特に目を引くようなメンバーでもない。レーベルもよく知らないレーベル。こういう中にも名盤はある。

私は、今ハリー”スイーツ”エディソンの「Can’t get out of this mind」を聴いている。ピアノがケニードリューベースドラムは、私の知らない方。

けれども、このアルバムが良い。落ち着いた中にも、程よいスイング感があり、ハリーエディソンのボーカルも堪能できる。何よりも、スタンダードばかりやっている。これが良い。

ハリーエディソンといえば、ミュートトランペットが有名だけれど、これがオープンでも弾いている、もちろん、音色は素晴らしい。

この、 Orange Blueというレーベルからは、ビバップ以前のスタイルのフロントマンがモダンなリズムセクションと組んでいるアルバムが多くて、オススメです。