東京に居心地の悪さを感じたので上海に来た

昨日から、上海に来ている。

数週間前から東京の街を歩いていると、なぜだか気まずい思いをするようになった。特に、いつも足を運ぶ、上野や銀座はにいると息苦しい。元気だった頃は上野、銀座にいると心地よかった。なぜ心地よかったのかはわからないけれども、なんだか自分の居場所があるような気がした。

体調を崩して、仕事も辞めてしまうと、そういう街を歩いていると、なんだか気分が落ち着かない。その街での、自分の役割を失ってしまったかのような気分がする。

それで、いっその事、役割も何もないような、あえて言うと「旅行者」との立場で街を歩くと少し気分が良いのではないかと思い、上海に来た。場所を上海にしたのは、航空券が22,000円と安く、移動時間も3時間半、時差も1時間だったからだ。

昨夜遅くに、宿について荷物を降ろした。宿は、Vintage Shanghai Lane Houseというところで、古いアパートの一室のような場所で、フロントもなく、エレベーターもなく、結構ゴチャゴチャしたところにあるのだけれども、宿泊費にそんなにお金をかけていられなかったので、これは仕方ない。ドミトリーというわけでもなく、個室だし、ダブルベッドもシャワーもついている。一泊7000円は少々高い気もするけれども、仕方ない。幸い、Wi-Fiがついているので、インターネットは出来る。

フィルム40本を持ってきて、予備のためコンパクトデジタルカメラも持ってきた。やることがないから、写真でも撮りながら、ゆっくり過ごそうかと思っている。

フィルムは、行き帰りの飛行機の荷物チェックでX線のチェックでかぶったりしないか心配だが、まあ、かぶった時はかぶったで仕方ない。なにより、長尺フィルムを詰め替えてもってきたから、税関で怪しまれないかが多少心配ではあるけれども、今までだって、長尺フィルムを持ってきている人はいるだろうから、まあ、大丈夫なんじゃないかと勝手に思っている。

上海は土地勘もないし、何より中国語はできない。

昨夜、飲み物と食べ物を買いに宿の近所の商店に行ったけれども、英語はまったく通じなかった。ミネラルウォーターだと思って買ったペットボトルは、サイダーだった。ビールを買ったら、栓抜きが必要だったので、仕方なく近所の別の酒屋に栓抜きを譲ってもらった。食べ物は、パック入りのホルモンの串焼きみたいのをかった。栓抜きも入れて20元だった。400円弱ぐらいか。まあ、悪くない。

とりあえず今日は、上海の街がどんなところなのか、歩いてみようと思う。

今更ながら、自分にとっての社会での自分の役割について考えている。 不毛である。

半年以上前から体調を崩してしまい、その後、少しずつは回復してきているのだが、まだ調子が悪い。幸いにして、命に関わる病ではないので、その点は恵まれているのだが、仕事は失ってしまった。これ以上会社に迷惑をかけるわけにもいかず職場復帰をあきらめてしまったのだ。

まったくだらしないもので、37歳にして住宅ローンも30年ほど残っているというのに無職である。これは、思いのほか、いや、思った通りつらい。金銭的につらいというのもあるけれど、働いていないと社会に属していないようでつらい。

仕事はなくても、家庭があるからいいではないか、家の中でやるべき役割を果たせばいいではないか、とおっしゃる方もいる。信じられないことに、そういうことを平気な顔をしていう。奥さんに働いてもらって、専業主婦になればいいではないか、などといわれたりする。

家庭の中で、専業主夫をするということがいかにストレスフルかを想像してみてほしい。専業主夫なんて私にできるわけがない。わたしは、仕事を通して社会と繋がっていたいのだ。そして、現金を稼ぎながら社会と繋がっていたい。現金を稼がない仕事に社会的役割を見出すことができない。

そういうわけで、はやく新しい仕事を探して働きたい。なまじっか前職に愛着がありプライドを持って働いていたので、次の仕事がどうなるか今後自分に何ができるのか不安である。何れにしても、前職ほどいい仕事に巡り会えるとは今は思えない。半ば失恋のあとのようなやぶれかぶれな気分である。

そうしているうちに、街を歩くことに臆病になった。街を歩いていると、自分がいかに自分にとって無意味な存在になってきているかを痛感させられるのだ。自分はなんの役にも立てないということを強く感じ、なんの役割を持たない自分の定義を自分自身ができなくなり、虚しくなるのだ。もはや、社会にとっての自分の存在意義なんてこの際どうでもいい。どうでもよくはないけれど、とりあえず置いておいて、自分にとって、社会での自分の存在意義を問えなくなってしまっているのだ。

とくに、東京のように住み慣れた街を歩いていると、その虚しさが身に染み渡ってくる。社会が様々な作用によって有機的に機能しているのを感じて、そこから外れてしまった自分を恥じてしまうのだ。これは、純粋な意味での恥の感覚だと思う。このような存在になってしまい恥ずかしい、消えてしまいたいと思うのだ。

だから、この際、自分の存在なんて元からない街に身を置きたい。かつて、役柄を与えられていた舞台に、役柄をなくして突っ立ているのはつらい。恥ずかしい自分が目立ってしまう。むしろ、よそ者としての役柄を演じれる場所に身を置くか、役割なんかに無頓着になれるところに突っ立っていたい。

この欲求が無責任で、わがままであることは承知している。そんなことを言う前に、はやく仕事を探して働け、と自分に言いたい。しかし、社会の中で、役柄を持たなくなってはじめて、社会での役割なんかについて考えたりしている。できることならもうすこし、このことについて考えていたい。ぐずぐずと考えていたい。あと二週間ぐらい考えていたい。

一旦働き始めてしまえば、そんなことはなんの意味も持たなくなるのかもしれないけれど。近頃は、そういう不毛なことで悩んでいる。

ラジオが流れてくるギターアンプをどうにかしたい一心で勉強 木村哲 「真空管アンプの素」

ここ数日、前職の元同僚の真空管アンプをいじっていた。Epiphoneの40年代のギターアンプである。

修理していたといえば聞こえがいいけれども、実際は、完全に修理できる知識がなく、テスターで、電圧や抵抗値等を測りながら、やっとのこと音が出るようになった程度だった。そもそも、インターネット上を探しまくったのだが、回路図が見つけられず、似た回路のアンプを元に、チェックしたので、かなり怪しいチェックとなってしまった。

そもそも、電圧増幅管に6C6という、使ったこともない真空管が使われている。76という聞きなれない真空管も使われている。もう、ワケがわからない。なんとなく、大雑把な回路はわかったのだが、そこに何ボルト流れてるのが妥当なのか、とか、何オームの抵抗が妥当なのか、全然わからない。わからないから、なるべくオリジナルのパーツを残しながら、やられているパーツだけ交換した。

真空管はどれもへたっていた。へたっていたが、予算が許す範囲だけ交換した。

幸い、オリジナルの状態からほとんどパーツは交換されておらず、助かった。入力から出力までを、ザーッと目視したが、回路の変更等もなかった。だから、助かった。

助かったは助かったのだが、音は出ても、盛大なノイズが載る。電源からのノイズのようなのだが、ジー、という音がとめどなく流れる。これにはマイッタ。真空管アンプの動作の正確な知識がなく、似たような回路のアンプの回路図とにらめっこしながら弄っているわけだから、正確にどこがノイズの原因かはわからない。

電源周りの平滑回路の電解コンデンサーの容量を上げてやれば、ある程度はマシになるのかもしれないけれど、ワケがわからなくならないようにできるだけオリジナルのパーツと同じ値のものをえらんで交換した。

それでも、ノイズは収まらない。どこかアース不良があるのかもしれないし、それすらよく分からない。そもそも、ハンダが古いせいか、いくら熱しても外せなそうなところもあった。パーツを熱でダメにしたくないので、外すのを諦めた箇所もある。

そんなんだから、とても中途半端な修理になってしまった。

そもそも、初めは音が全く出ていない状態から、音は出るようになって、ボリュームとトーンコントロールはできるようになったのだけれども、ノイズは除去できなかった。心残りである。

もう一つ、困ったことがある。

このアンプが、ラジオを拾うのである。

アンプの電源をいれて、真空管があったまると電源ノイズが聞こえ始め、アンプ側のボリュームを上げると、ラジオ番組がかかる。洋楽なんかが流れてきて、ギターを弾いて一緒にジャムセッションできてしまうのではないかというくらいの音量でラジオがなる。こりゃ、入力信号を増幅しすぎなんじゃないか、と思うくらいラジオが流れる。ワケがわからない。

そんなわけで、アンプのチェックの大半をハングル語講座を聞きながら行った。アンプの勉強というよりも、ハングルの勉強になった。

これじゃあ、一体、ギターアンプなのか、ラジオなのか、どちらともつかない。どちらにしても、できの悪い代物になってしまった。

大変心残りであるが、今の私の知識ではこれ以上修理はできない。悔しいので、真空管アンプの基礎から勉強しなおすことにした。

木村哲さんという方の、「真空管アンプの素」、基礎の基礎から解説されていて、とてもわかりやすくて良いです。

2020年に東京でオリンピックを開催するのをやめてほしい。

2020年に東京でオリンピックを開催するのをやめてほしい。

観光客が来てくれるのはありがたいが、オリンピックのおかげできてくれる人たちなんて限られていると思うし、むしろオリンピック開催を返上して、他の観光資源に予算を割けばいいと思う。

新しいものを増やすのでは無く、今あるものを残し、震災なんかでダメになってしまったものを修復したりしてほしい。そっちの方が長い目で見て、私には嬉しい。

オリンピックなんかやらなくても、新しいものは生まれるし、無理に新しいものが生まれる土台を作ったところでいいものが遺るとは限らない。それより、今あるものを大切にした方が、新しいよいものが生まれる土台が固まるのではないだろうか。

私は、急激な変化が嫌いだ。オリンピック開催のために急速に変化する東京を見たくない。新しい建物ができるのも嫌だ。そういったことで、一時的に地価が高騰したり、不動産価値が上がってみたところで、長い目で見るとたいして意味はないと思う。

新しい大規模な商業施設が出来たり、新しい公園ができるのは真っ平御免だ。そういうものができると、一時的に街は賑わい、公園は人であふれるかもしれない。そういうこと自体が嫌だ。

不景気がいやなのはわかるけれど、一過性の好景気は、躁鬱病の躁状態のようなもので、その後必ず深く沈む時が来る。

そういう、大きな波を呼び込むのでは無く、低く安定していても暮らしていける社会づくりをしていった方が結果として住みよい世界が生まれるのではないかと思っている。なんの根拠もないけれど。

私には、どうしても、戦争ができない代わりにオリンピックを開催しよう、と偉い人たちが考えているとしか思えない。

社会の潮流というのに逆らうのはなんと厳しいことなのだろうか。

社会の潮流というのに逆らうのはなんと厳しいことなのだろうか。今の時代を生きるということは、社会の潮流に逆らってはいけないことなのだろうか。社会の潮流こそが差別の源流なのに。

例えば、喫煙者。これは、現代社会で蔑まれすぎているのではないだろうか。タバコを吸っているけで入社できない企業なんかもあるという。それならまだ理解できる範疇なのだが、受動喫煙防止条例なんかはどんなもんなのかと思う。

タバコは確かに体に有害であると言われている。医学的根拠もあるらしい。そこまではわかる。

けれども、医学的根拠がどうだろうがそんなことは、いい口実なだけであってなんの意味もないと思う。例えば、近親相姦が遺伝的に良くなかったとしても、それは性愛の一つの形である以上、この世界には当然に存在する。当事者がいる。その存在を、医学的見地によって、社会から消滅させようとしても無駄だ。

それに、医学的見地から体に有害であるものは、タバコやら近親相姦よりももっと重大なものがあると思う。例えば、自動車。私は、あんなものは排気ガスを撒き散らしているだけだから、なくなればいいと思う。あんなものは、医学的見地だけではなく、自動車事故で犠牲になっている人たちのことを思えば、無くなった方がいいと思う。電車も、危ないからなくなってほしい。アメ車とかマツダのかっこいい車だけ残して、あとはなくなればいいと思う。

これは、時代の潮流で、仕方ないと言われ、なかば強制的に従わせられるいるかどうかの問題なんだと思う。ちょっと前までは電車の席に灰皿があったり、飛行機でもタバコが吸えた。そういう中で喫煙者は当然のごとく生まれ住んできた。自動車は、便利だからといって、日本の基幹産業だからといって、未だに無くならない。

昔っからタバコ嫌いな人はいただろうけれども、それは自動車が嫌いな人や、不細工な女性が嫌いな人や、同性愛者が嫌いな人と同じように存在した。今の時代に、同性愛者同士がキスをしているところを子供に見せるのが嫌だからって、あれはやめてほしいと叫んでも、そっちの方が差別だからといって嫌がられる。

これは、いじめの問題だって同じことで、社会としては良くないということになっているし、私も無くなった方がいいとは思うのだが、一方で絶対に無くならないと願いたい。いじめの問題がなくなった社会に住みたいとは思わない。そんなことまで無くしようとする、セセッコマしい社会は嫌だ。なんと住みづらい世の中なんだろう。

論理が矛盾しているといえば、そうだ。そんななかから、差別される側の実感を書きたいのである。

例えば、タバコを吸う権利なんてない。と思われている人に聞きたい。では、あなたは生きている権利はあるのか?法律上守られている権利はともかくとして、社会の中で生きている権利はあるのか。多くの人たちがこの権利については後ろめたさがあるのではないか。

あなたは、小児性愛者かもしれない。同性愛者かもしれない。自動車に乗っているかもしれない。犬猫を愛玩し、あまつさえ飼っているかもしれない。ロクデモナイ文章を SNSやブログで社会に拡散しているかもしれない。戦争を助長し、人殺しを勧奨しているかもしれない。人をいじめているかもしれない。タバコを吸っているかもしれない。

私は、そうゆう皆さんも、そうやって生きている権利を認める社会になってほしいと思う。さすがに、法律や条例で禁止されたら、社会ではいけないこととなるのは致し方ない。しかしながら、だからといって、そういう人たちを忌み嫌うのはまた別の問題だと思う。

差別ということが嫌いな人は、忌み嫌うことから差別が生まれることに思いを馳せてほしい。また、差別という言葉が嫌いな方は、相互理解により、それぞれの人たちが住みよい社会をつくるという考え自体が差別を助長しているということに気づいて欲しい。

私は、みんなに理解されて、社会によって形造られた私の器の範囲内だけで生きていきたいとは思わない。それこそが差別されているということだと思う。反社会的になりたいという意味では無くて、差別が私を社会から疎外していることが嫌なのだ。

それでも、タバコがなくなればいい、自動車に乗りたい、いじめがなくなればいい、と思っている方は、そういう社会を目指して生きていればいい。それこそが、この社会に生きていることなのだから否定まではしない。そういう連中だって生きている権利はあると言いたい。一方で、わたしは、時代の潮流による差別というものが無くならない世界を忌み嫌いながら生きている。

音楽への再入門 安全地帯 「I Love Youからはじめよう」

ここ三日ぐらい何も音楽を聴く気が起きなくて、ほとんど何も聞かなかった。

このままでは、ステレオ一式を処分してもいいのではないかなどと考えていた。きっとパワー切れになっていたんだろう。そうでなければ、音楽を聴かないで一日をすごすようなことは滅多にない。

楽器をいじろうという気分も起きなかった。音楽を聴く気も起きないとうことは、何か音楽を練習しようという気分も起こらない。音楽そのものから興味が失われたのだ。

しかし一方で、音楽のない日常はまことに味気ない。音楽というのが、この世界にいつから存在しているのかは知らないけれど、音楽がなかった時代はさぞつまらなかっただろう。私は、二、三日そういう時代を懐古し、戻ろうとしていたのかもしれない。

そんな中で、今朝方突然チョーヨンピルの「釜山港へ帰れ」を聴きたくなりYouTubeで検索し、聴いた。

ああ、音楽に戻ってきた。という感覚がわたしにおとずれた。チョーヨンピルは偉大だ。音楽へ再び誘っていただいた。

それで、今日は安全地帯のベストアルバムを聴いている。「I Love Youからはじめよう」というやつだ。安全地帯も偉大だ。音楽の入り口から、音楽のディープな世界にだんだん馴染ませてくれる。

器用にありふれた言葉で表現できないから、本を読む

本を読む体力が出てきて、最近少しづつ読んでいる。いきなり余りヘビーな文体の本も読めないので、とりあえず吉行淳之介のエッセイ「不作法の進め」と玉井幸助の「堤中納言物語精講」の現代語訳の部分と校注だけを読んでいる。

どちらも、今の私には毒にも薬にもならないような本である。「堤中納言物語精講」はタイトルや装丁から、一見とっつきにくそうなイメージがある本だが、それはこの原典が古文で書かれていることと、当時のインテリ層向けの読み物であるということによるものである。この本に書かれている現代語訳と校注は、できるだけ読みやすい表現で書かれており、実際は単なる読み物としても読むことができる。古文を解さなくても、インテリ層でなくても物語を楽しめるようにできている。

ただ読み物として面白い。字をただ追っていくだけで、頭に入ってくる。その感覚が面白いのだ。本を読むことの一番初歩的な楽しみ方だと思う。

本を読むことは、私にとっては本との取っ組み合いだと思う。体力や技術がないときに、その取っ組み合いの相手があまりにも強すぎると初めから相手にならない。逆に、体力や技術がついてきたら、いつも張り合いのない相手と取っ組み合っていても面白くない。だからと言って、強くなったからといっていつも強敵と戦っていては疲れてしまう。そういうわけで、元気な時も、どんな時でも相手になる本が8割、残りの2割を少々手強い本にするようにしている。

まあ、その8割、2割の比率もあまりあてにならない。体力がついてくるとどうしても強敵に立ち向かいたくなる。生きているうちに読める本は限られている。だから、どうしても強敵を倒しておきたいのだ。

その強敵は、イタロ・カルビーノの「見えない都市」のような難解な小説だったり(これは小説じゃないか)、簡単な哲学についての本だったりする。

だけれど、たいていの場合そういう本には到底敵わなくて、倒れてしまう。そして、しばらく本から遠ざかってしまう。とても勝てる相手ではないものを目の前にすると、つい臆することになってしまう。体力や技術がついていると思い込んでいるだけで、その実、体力も技術もそれらに敵うほどのものではないのだということを、思い知らされる。多くの場合、その事実にも気づかない。

それで、結果として、私の本棚の9割は、毒にも薬にもならないような軽いタッチの本ばかりになっている。自分の本棚を見てがっかりする。俺は、何も実のある本を読んでいないではないか。と思ってしまう。

「実のある本」という言葉も、適切ではないのだが、ここではとりあえずこの言葉を使う。

実のある本を読むことは必要だ。それは、自分の言葉の幅を広げるためだ。言葉を広げないと、私の場合、世の中のことがよくわからない。器用な人たちは、言葉に頼らなくてもこの世の中を渡っていけるのだろうが、そういう人たちはそれでいい。

言葉なんて豊かでなくても、思考は豊かでありうる。思考とは五感からくるものであり、いちいちそれを言語化する必要はないからだ。

「これっていいよね」、「ああいいよね」。

で通じるのであれば、それでいい。

「この、緻密で芳醇な口当たりが、望郷の念を抱かせる」

などと、ソムリエみたいな表現をいちいちしていると疲れるし、そういうことはこの世の中で求められる場面はほとんどない。

ほとんどの場合は

「これっていいよね」、「ああいいよね」

で伝わってしまう。

しかし、そういうありふれた表現が上手く口に出てこない人間には、言葉が必要なのである。そうでなければ、何でわかりあえるのかすら、わからないまま人とすれ違っていくこととなる。器用でない人間は、「これっていいよね」すら言えないのだ。

そこで、言葉が必要になる。

その、言葉というのも、できるだけ平易な表現でいて、誰とでも共有し得て、かつ豊かでなくてはいけない。豊かであるというのは、単に語彙が豊富であるとか、そういう問題でなく、その場で表現すべきものを、ある程度適切に表現できることを指している。

その言葉を探すために、本を読むことになる。平易な表現は、毒にも薬にもならない本にいくらでも載ってそうでいて、実のところそうではない。平易な表現こそ、ある程度手強い相手が教えてくれる。

ああ、この言葉はこういう時に使うのかという場面に出会うことはなかなかできない体験である。だから、手強い相手と戦えるように私もなりたい。

その体験のために、少しづつでも本を読めたらいいと思っている。

 

似合わないとわかっているロマンチズムに浸れる曲 Bill Withers「Hello like before」

Bill Withersの名前を初めて私に教えてくれたのは高校の同級生だった。彼は、従兄弟からビル・ウィザースのベスト盤を借りたと言って私に見せてくれた。その数日後、彼はそのCDを私に貸してくれた。

一曲目に「Just the two of us」が入っていて、私はCDプレーヤーをオールリピートにして、繰り返し何度も何度もそのCDを聴いた。その頃は「Just the two of us」、「Lovely day」、「Soul shadows」が好きで、それらの曲を繰り返し聴いたりもした。

大学に入り上京し、友人と二人で明け方にドライブをしていた時に、かけていたFMから「Lovely Day」がかかったことがあった。私は助手席でのんきに座りながら、この歌に耳を傾けた。この曲こそ、まさにこんな朝の幕開けにちょうどいい曲はないな、などと悦に入っていた。東京のFMは洗練されてるなあと感じたものだ。

あの頃はビル・ウィザースの歌に洗練を求めていたんだろうな。ラジオの「Lovely day」はフェイドアウトして道路交通情報が流れた。そんなところまで洒落ていた。男同士の暑苦しい真夏の朝のドライブ、軽自動車の車内に心地よい風が吹き抜けた。

今夜、改めてこのベスト盤を聴いてみると、「Hello like before」が特に心に響いた。おっさんになると、こういう夢想の世界のような曲が心にしみるのだ。

若い頃はお互いに解りあえなかった二人が再会する。二人はおそらくティーンエイジャー(もっと前か?)の頃に恋仲だったこともあるだろう。本当だったら気恥ずかしくて会おうとは思わなかったけれども、ふとしたきっかけで出会う。

きっとどこかで再会すると思っていたんだ。今だったら、お互いのことわかりあえるかもしれないね。

などと、独り心の中でつぶやくおっさんの気持ち。なんだかわかるような気がする。この曲をリリースした時、ビル・ウィザースは30代後半だと思う。そういう年代の人にぜひ聴いてほしい曲だ。

あの頃はお互い子供だったんだ。

気まずいからって、この場をつくろうために「ああ、あなたのこと覚えてるわ」なんて野暮な会話をするのはよそうか。

ちょっとロマンチストすぎる歌詞の内容も脂がのっていていい。人間、40代にさしかかるとあつかましくなって、似合わないとわかっているロマンチックな世界にも酔えるんだ。さだまさしもいいけれど、あれはちょっとリアリティがありすぎる。

この曲で、ビル・ウィザースは含みをもたせながら、全てを語らない。全てを語らないから、こっちは色々想像してしまう。まあ、この後の展開は大体想像つくんだけれども。

その、想像ついちゃうところがまたおっさんになった証拠だな。どんな想像してしまうかは、是非聴いて確かめてみてください。

出会いと別れの季節に 「Arrivals & Departures The airport pictures of Garry Winogrand」

もう桜の咲く季節になってしまった。

毎年この時期になるとなんだか知らんがウキウキした気分と同時に憂鬱になる。また、一年が過ぎてしまったのだ。桜が咲いてしまうと、一年が経ったことを確かに感じさせられる。また、春が来たのだ。

春のウキウキ感はなんら根拠のない高揚感である。ただ春だからムズムズ、ウキウキする。もしかしたらこれは季節に対する動物的な反応なのかもしれない。人間も動物だとしたらまあ、長い冬眠から覚めなければならない時期なのかもしれない。もし植物にも共通した感覚なのだとしたら新芽が芽生える時期なのかもしれない。まさか私の心身が植物にまで共通しているところがあるとは考えにくいが。

それに対して、春の憂鬱には根拠がある。

何もできなかった一年間。達成感のない一年間。ムダに歳をとってしまった一年間。そういったものを一気に思い起こさせられる。そういう、敗北に対する憂鬱なのだ。春は憂鬱で然るべきものなのだ。

これはどんなに充実した一年を過ごしたとしても感じてしまう敗北感なのかもしれない。私が社会人の1年目を終えた歳の春も、同じように憂鬱だった。花が咲いて、また訳も分からず一年が過ぎてしまったと思った覚えがある。ただガムシャラに過ごした一年を振り返って、サラリーマンという因果な身分になった自分を呪うと共に、自分を支配する仕事というものへの敗北感と、その仕事も満足に身についていない無力感があった。

まあ、あんまりネガティブなことばかり書くのはよそう。暗い気分になってしまう。

そういえば、春は、出会いと別れの季節ということになっている。世間一般では。

確かに、私も、最初に入った会社では4月1日に人事異動とか入社式とかがあって、「出会いと別れ」があった気がする。それより前に遡ると、学校に通っていたわけだが、3月は卒業式、4月になると新学期である。新学期はクラス替えやら、授業の履修登録、入学式なんかもあってまさに出会いと別れがあった。

あれはあれでよかった。なんとなく体系的に一年という期間を心や体が把握できた。

出会いと別れというのは、生きているにおいて必要な要素だと思う。出会いも別れもないような生活を1年ぐらい続けていると心が鈍ってしまう。

Garry Winograndの撮影した空港の写真を集めた「Arrivals & Departures」という写真集がある。この本は編集者のAlex Harrisと写真家のLee Friedlanderがウィノグランドの残した空港で撮影されたスナップ写真(ほとんどが未発表作品)を選び集めて本にしたものである。2004年、ウィノグランドの死後約20年後に出版された。

空港といえば、まさに「出会いと別れ」の場であるので、こういう季節に空港でのスナップ写真を見るのにはちょうどいいかなあなどと思い、本棚から出してきた。タイトルの「Arrivals & Departures」も、まさに「出会いと別れ」という感じがした。

写真集を開いてみて、掲載されている約90点の作品を見た。確かに出会いと別れの舞台は確かにそこでは展開されている。出会いは、多くの場合が笑顔で、別れは多くの場合寂しい顔をしている。

しかし、まあ、この本を見て印象に残ることはそういうものではない。むしろ、空港にいる人々の虚ろな表情、そして、空港という施設そのものの曖昧で雑多な空間の風景が心に残る。

空港っていうのは、出会いや別れだけでなく、待ったり、手続きしたり、移動したり様々なことが同じ空間で行われている。そこに集まる人々は皆大抵は虚ろな表情をしている。出迎える時と、見送りの時にはニコニコ、シクシクしたりするけれども、あとはただ機械的に移動しているか、列に並んだり、椅子に座ったりして待っている。そういういろいろなことが同時進行的に行われているのが空港という場所なのだ。

空港はそういう意味では街中よりも特殊な空間である。街中ではこれほどたくさんの出会いと別れはないし、待つということもこれほど多くはない。そのような特殊な環境での人々の様子が写真にどう写るのかがここでは示されている。

私の印象としては、街中で撮られたウィノグランドのスナップ写真に写る人たちのほうが表情に多様性がある。空港の人たちはみんな似たような顔をしている。ニコニコ、シクシクしている人たち以外は皆同じような虚ろで黄昏たような表情をしている。街中の路上はもっといろんな人が写っている。街頭には、怒りとか、侮蔑とか、苛立ちとかそう言った攻撃的な表情も登場する。この本における空港の写真ではそう言った表情はほとんど見られない。

これは、写真を選んだハリスとフリードランダーが意図したことなのかもしれない。ウィノグランドの写真の中ではかなりドライで、どちらかというと知的な写真群である。乱暴に分類してしまえば、感覚で捉えられるような写真ではなく、見て考える写真である。見てすぐに驚いたり、恐れたりする類の写真ではなく、観察してから感じる写真である。瞬間で感じるのではなく、見る側の心の中でドラマがある写真とも言える。

ウィノグランド自身が同じく100枚弱の空港の写真を選んで本にしていたら、一体どんな写真集になっていただろう。そこに写る人たちはどんな表情をしていて、空港はどんな空間として写っていただろう。もっと感情に訴える写真集になっただろうか。それとももっと冷たい印象の写真集になっただろうか。

おそらく、彼が作ったとしても、こんな空港のシーンが繰り広げられると思う。彼の死後20年が経過してセレクトされた写真であっても、空港というのはもとよりこういう場所だから、これがウィノグランドが見た空港の風景だったのではないだろうか。

ただ、写真集というのは二、三枚でも違う写真が入ってくるだけで印象が変わるものだから、是非ウィノグランド自身のセレクションの空港を見てみたい。

安定してまとまっているGibson L-50 と 暴れん坊な Chaki P-1

ピックアップの付いていないアーチトップギターが好きで、今までに何台か所有してきた。いわゆるピックギターと呼ばれるギターだ。

ピックギターは、フラットトップのアコースティックギターと違って、ちょっと詰まったような鳴りがする。詰まったところからパーンと音が弾け出るような感覚だ。

この弾け出る感覚が気持ちよくて、GibsonのL−50という、1950年代に作られた廉価版のギターをいつも手元に置いてある。これを爪弾くと、ピッキングの強さによって丸い音になったり、ジャキジャキした音になったりするので、その感触に魅せられる。ネックグリップが程よく太くて弾きやすいのも良い。

L−50は年代によって色々と仕様が違って、一度30年代製のものを触ったことがあるけれど、バックがフラットなせいもあってか、まっすぐ前に出てくるような音がしてとても良かった。値段も20万円しないくらいだったので、もしもお金があったらきっと買っていた。ネックグリップも、もっと太いかと思っていたのだが、50年代のものとさほど変わらず、ネックヒールに近い部分が若干太めかというぐらいだった。本当にいいギターだった。Gibsonは廉価モデルでもあれだけいいギターを作れるんだからすごいと思う。

40年代製のシルクスクリーンのスクリプトロゴのやつを弾かせてもらったこともあるけれど、あれも良かった。値段は30万円近くしたらしいけれど、音に個性があって魅力的な楽器だった。音がジャキジャキしてくるまでのキャパシティーが広い楽器で、単音で普通にピッキングすると丸い音がするのだが、強くストロークするとジャキジャキ鳴った。トラスロッドは入っていたが、ネックは50年代よりもちょっと太めで、握りごたえがあった。

50年代のモデルは、今の所どれもハズレがない個体に当たっている。その中で一番気に入った一台を買った。私が持っているのは確か58年製だったと思うが、シリアルが消えかかっていてよく分からない。トップが単板プレス成形のモデルだ。

もう一台ピックギターでよく使っているのが ChakiのP-1という日本(京都)製のギターだ。ギブソンのコピーのヘッドシェイプなのだが、ボディーサイズは17インチでL−50よりも大きめだ。

私が持っているChakiにはどこにも品番らしいものは記載されておらず、仕様からおそらくP−1だと推定している。

総ラミネイトボディー、つまりベニヤ板で作られているギターだ。ネックはメイプルでエボニー指板。この、P−1というギターは憂歌団の内田勘太郎さんが使っていたから有名になった。決して高級なギターではないし、値段もそんなに高価ではないのだが、少量生産のため、あまり市場に出回らない。

Chakiは人気があるらしくて、ヤフオクなんかでもそこそこいい値段が付いているけれど、当たりハズレが多いのは確かだ。いや、ピックギターそのものがかなり当たりハズレがあっていいのを見つけるのは難しい。実際に買ってしばらく弾いてみないと判らない箇所もあるけれども、実際に一度手にとってみれば良し悪しは大体わかる。

今まで7〜8台のChakiを試奏してきたけれど、どれも全然鳴らなかった。ならないうえに、ジャキジャキだけはしているので、どうも低音が物足りなかった。それか、音がこもりすぎの個体が多かった。

私が持っている個体も、ちょっと個性が強くて、うまく鳴らすにはコツがいる。弱いピッキングで鳴らすのが難しい。強くピッキングするとバーンと鳴るのだが、音がものすごく暴れる。ギブソンのような上品なまとまりはない。

けれども、この暴れる感じと、弱いピッキングでチープになる感じが好きで、手元に置いている。きっと、メイプルネックにエボニー指板という組み合わせと、総ベニヤ板のボディーがこの音の大きなファクターなんだと思う。こう言うギターはテキトーに作ってもなかなか作れない。チャキの老舗ながらのノウハウが詰まっているんだろう。

プロとして現場で使うわけでなく、自宅で爪弾く程度なので、こう言うギターはとても良い。持っていて本当に良かったと感じる。できることならいつまでも手元に置いておきたいギターだ。これだけ、自分の好みにあった暴れ方のするギターは見つからない。

あと、 チャキは製造の年代によって造りやパーツのクオリティーがまちまちで、70年代ぐらいのチープなやつが好きだというファンが多いらしいのだが、私個人としてはもっと新しいグローバーペグが付いて、エボニー指板の仕様のモデルが好きだ。フレットの仕上げが全然違うので、70年代のモデルはリフレットしたほうがいいかもしれない。