久しぶりに10-46の弦を張った

エレキギターには11-49のゲージの弦を張ることにしている。もうかれこれ20年近くダダリオの11−49のゲージを買って張っているだろうか。

今までに何度か、気まぐれに違うゲージやブランドの弦を張ってみたことはあるが、どうもしっくりこなくて結局このダダリオの11−49に落ち着いている。25セット入りのバルク弦を買ってつかっている。

25セットのバルク弦も2年もしないで使い切ってしまう。それほど練習するわけでもないのだけれど、ギターをしまいこんでおくと弦の状態が悪くなってしまうから、しかたなく交換しているうちに25セットをあっという間に使ってしまう。

この度、気まぐれにロトサウンドの弦を買って張ってみた。それも、普段は使わない10−46というひじょうに細いゲージの弦を張ってみた。10−46が細いかというとそんなことはなく、むしろ11−49というゲージは太めなのだけれど、普段サムピックを使って、指弾きをしているので、あまり細いとかえって弾きづらい。それで、11−49というのがスタンダード担っていた。11−52という弦を試したこともあったけれど、ちっと私には太すぎる気がして、それだけでなくギターのネックにかかる負担も考えて、少しだけ細い11−49といゲージに落ち着いていた。

ロトサウンドという弦は、いい意味で普通の弦である。派手な感じでも荒い感じでもない、かといってダダリオのように優等生すぎるというわけでもなく十分にロックンロールな弦である。ブリティッシュロックの方々がよくロトサウンドの弦をつかっていると聞くけれど、とくにブリティッシュロックだからどうのということもない。ニッケルワウンドらしい、元気でハキハキとした音である。

先日、同じロトサウンドのフラットワウンド弦を張った。12−52かなんかのジャズ弦の中では細めのゲージである。これが、また個性的な弦で、フラットワウンドなのにツルツルしていなく、ザラザラしている。おとも、ぼんやりとはしていなく、ハキハキとしている。オールドスタイルのハードバップなんかをやる人には合わないかもしれないけれど、ロックでリズムギターを刻んでいるひとにはオススメできる弦だった。ああいう力強い音がなるフラットワウンドは珍しい。

何れにしても、ギターは張っている弦によって随分音が変わるもんであるなあ、と感心してしまった。

10−46の弦にこれからどれだけお世話になるかはわからないけれど、ギターによって使い分けようかと思っている。

アンプグルのアンプを手にいれた

エレキギターの音色を決めるのは7割がアンプだと思っている。

もちろん、優れたギター本体から紡ぎ出される音は、それぞれのキャラクターを持っている。時に荒々しく、時に枯れていて、はたまたカプチーノのようにクリーミーな音色のものや、凛とした音色の楽器もある。それでも、一旦アンプに繋いでしまえば、そのアンプの音の中に染まってしまう。

アンプ7割と書いたのは昨今のデジタルアンプのことではない。デジタルアンプも、それぞれの音は持っていて、かつ、ギター本体の持つオリジナリティーを再現できるものは存在するであろう。むしろデジタルの方が忠実なのかもしれない。それでも、やはりアンプはチューブアンプ(真空管アンプ)のほうが私は好きである。最高のチューブアンプは、どんなに優れたデジタルアンプにも勝る音と、レスポンス、弾き心地がある。

チューブアンプは、その重量やら、コンディションを保つ難しさ等で、今のプレーヤーは敬遠してしまうかもしれない。消費電力も半端じゃない。そのあたりについては、デジタルアンプには遠く及ばない。デジタルアンプは、電源さえ間違わなければ、めったなことでは壊れない(壊れたらユニット交換以外の修理はほぼ不可能だが)。酷使してもそう簡単には壊れない。それに比べて、チューブアンプは、簡単に壊れてしまう。

ソリッドステートのアンプも幾つかは持っているけれど、あれはあれで悪くはないのだけれど、チューブアンプの持つコンプレッション感や、弾き心地を味わえるようなものは少ない。少なくとも、私の持っているアンプで、ソリッドステートのもので、チューブアンプのようにふくよかでいて、個性豊かなクランチトーンを鳴らせるものはない。

それで、やっぱり真空管のアンプに行き着いてしまう。

行き着いた結果、何台か、チューブアンプを自作したりした。どれも、音が出るところまでは行くのだが、なかなか満足のいく音色にはならなかった。中には、フェンダーのヴィンテージアンプの回路をそのまま使って、パーツも手に入る限り良いものを使って作ったアンプもある。キットで買って、コンデンサやら抵抗やらを全て交換して、自分の納得のいくところまでチューンアップしたものもある。けれども、なかなかハムノイズが治らなかったり、特定の音で共振してしまうなど、なかなか満足のいく出来上がりになるものはできなかった。

私が、アンプ作りの教科書にしていた本があって、ジェラルド・ウェバーという人の書いたものである。100ぐらいの機種の回路図やら、レイアウトが掲載されていて、それをほとんど穴が開くぐらい読み込んだ。私にとってのアンプ・グルである。

この度、そのアンプグルの作ったメーカー Kendrickのギターアンプを中古で手にいれた。何箇所か改造箇所があるものの(勿体ない!!)ほぼオリジナルコンディションである。フェンダーのヴィンテージアンプのクローンなのだが、私は、かつてそのオリジナルのヴィンテージアンプを弾いたことがあり、素晴らしい夢のようなアンプだった。

Kendrickのアンプも、そのオリジナルのヴィンテージアンプとほぼ同じ音が出る。もちろん、ヴィンテージアンプよりも味付けは少し現代的で、ノイズも少なく、優等生なところがあるのだが、それも、嫌味ではない。ヴィンテージアンプは、いつどこがおかしくなるかはわからないので、なかなか面倒を見るのが大変である。その点、アンプグルのアンプは、新しいパーツで作られているので、安心である。

実は、アンプグルの本を読んで、Kendrickと全く同じ回路のアンプを自作して持っている。それはそれで、私が自作したアンプの中では良い音がするのであるが、この度、その2台を弾き比べて愕然とした。さすがアンプグル、たとえ生まれ変わったとしてもこの歴然とした違いは追いつくことすら不可能なレベルなのである。

いったい何が違うのか?つかっているパーツは、ほぼ同じものであるはずなのだ。

恐るべし、アンプグル。

もう、2度と自作アンプは作るまい。

何、今日はレコーディングするの?

私は、レスポールというギタリストが好きで、アルバムも何枚か持っている。レスポールとは、あのギブソンのレスポールのレスポール氏である。

レスポール・レコーディングというモデルがあって、復刻版のそれを一台持っている。本当は70年代のやつが良いのかもしれないけれど、いかんせん70年代のレスポール・レコーディングに状態の良いやつは少ない。だから、復刻版を持っている。

復刻版の良いところは、通常のギターとして全ての音が使えるところだ。もちろんローインピーダンスのアウトプットも付いているのだけれど、そっちは使わない。もっぱらレギュラーのアウトプットを使っている。

一度、このギターをバンドの練習に持って行ったことがある。スタジオのJCにつなげたのだが、なかなか思うような音作りができなくて苦戦した。まあ、それまでテレキャスターばかり使っていたから、仕方あるまい。音の太さが全然違うのだから。

レスポール・レコーディングは音は太いのだが、なんとなくボワっとしていて、締まりがない音になりがちなギターである。あのレスポールさんの出すような、艶やかな音は、どうやって作っているのだろう。あの音が欲しくてこのギターを持っているのだけれど、なかなかああはいかない。

そもそも、この復刻版のピックアップはオリジナルのそれとは大きく異なっている。と、聞いたことがある。オリジナルを解体したことがないからわからないのだけれど、ギブソンが復刻版を作った際にまさかピックアップまで復刻したとは思えない。それでも、見た目が似ていて、このやたらと多いコントロールが好きで、持っている。

それと、このモデルは、通常のレスポールに比べてボディーが少し大きめなのも良い。サスティーンが長く、弾きやすい。

バンドの練習に持って行った際に、メンバーから、

何?今日はレコーディングするの?

と聞かれ、ああ、この人はギターのことよくわかってらっしゃる方なんだなぁと妙に感心したのを覚えている。ギター好きが一目おく機材。レスポール・レコーディング。

Mosrite The Nokie

私は、実をいうとVenturesが好きでCDもたくさん持っている。

Venturesも色々とメンバーが入れ替わっているので、どの時代が好きかと言われると、ちょっと迷うのだけれど、やはりノーキーエドワーズがいた頃が好きかもしれない。

Venturesといえば、モズライトというイメージがあるのだけれど、60年代にモズライトを実際に使っていた期間はそれほど長くはない。後になって、モズライトを使っている頃もあるのだろうけれど、そのあたりはあまり詳しくない。

けれど、やっぱりモズライトを使っているベンチャーズが一番かっこいいと思う。何と言ってもあの、鋭いエレキらしい音色が良い。フェンダーのジャズマスターとかを使っている時期も長いようなのだけれど、やはりあのモズライト独特のデケデケした音にはしびれてしまう。

それで、モズライトを持っている。65年代のマークVと、66年のマークI通称ヴェンチャーズモデル。それと、ノーキーエドワーズモデルのThe Nokieである。このノーキーエドワーズモデルは、日本製もたくさん出ているのだけれど、私のはどうやらアメリカ製のモデルらしい。ヘッド裏にセミーモズレーのサインが入っている。

そもそも、セミーモズレーは何年頃までギターを作っていたのかは知らないが、このThe Nokieがまたド派手ながら、弾きやすくて良いギターである。弾いているといつまででも弾いていたくなるような、弾き心地である。

さすがはノーキーモデルというギターである。

指板がメイプルなのだけれど、ネック材と指板材の間にローズウッドが挟まっている、珍しい造りだ。これは、ノーキーエドワーズの好みなのか、はたまたただ奇をてらっただけなのかはわからないけれど、その辺も凝った造りでなかなか、物欲をくすぐる出来上がりになっている。

何事にもスピード勝負なSpeedy West

Speedy Westというとんでもないスティールギター弾きがいるというのは、20代の初めぐらいから知っていた。知っていたが、実際に彼の演奏を聴いたのは30代に入ってからだと思う。Jimmy Bryantとのデュエットアルバムを聴いて、やはりとんでもないオヤジだと感心したものだ。

スピーディーウェスト、なんとも速そうな名前である。彼は、おそらくペダルスティールギターの開祖の一人だし、彼の奏法自体がペダルをあまり多用せずに、ほぼスライドバーだけでメロディーやコードを作り上げている。YouTubeで彼の演奏を観ることができるが、両足ともリズムを刻んでいて、ほとんどペダルを踏んだりしていない。

それでも、レコードで聴く限りはかなり複雑なコードを鳴らしているから、随所にペダルを使っているのだろう。なにせトリプルネックやダブルネックのスティールギターのネックを自由に使い分けるのだから、ペダルなんて付いていなくても、なんでもできてしまうのだろう。

何よりも、すごいのは、高速テンポでのソロプレイである。テンポ300以上のような曲も、難なくこなしてしまう。世の中には、凄い連中がいるものだ。

凄い人は、だいたいテクニックに終始してしまい、音楽の深みのようなものはおろそかになりがちなのだが、この人の場合は、根っからのエンターテーナーのような演奏で、いろいろな形で聴くものを楽しませてくれる。カントリーミュージックではあるのだけれど、古いスタイルのカントリーだから、ジャズの影響を強く受けている。だから、コードも複雑なテンションを多用するし、ソロフレーズもなかなか洒落ている。

スピーディーウェストのアルバムは、若い頃の録音しか聴いたことがない。こういうオヤジが、歳をとってから、本気でウエスタンスウィングなんてやろうもんなら、相当面白い音楽をやってのけるだろう。

私も、彼に憧れて、何度もスティールギターの前に座ったが、一向に弾けるようになる気はしなかった。

そもそも、スピーディーウェストの使っているチューニングがわからない。

こんど、もっと時間をかけてじっくりと研究してみよう。

去年ライブをやってからもう一年が経ってしまった。

月日が経つのは疾いもので、もう年末である。

昨年の12月7日に高田馬場のローンスターでバンドのライブをやってから、もう一年が経ってしまった。今年はほとんど何もバンドの練習ができない一年だった。私は春に転職し、そのせいで慣れない毎日だったということもあるけれど、それにしてもバンドの練習ができなかったのは残念だった。

ライブで使った黒のテレキャスターも、もう一年弾いていないということになる。そもそも、この一年間カントリーの曲を一曲通して弾いていないのではないか。それどころか、誰かと一緒にジャムセッションのようなこともしていない気もする。どんどん、楽器離れしてしまっている。

一方で、手元にある楽器は増えたといえば増えたのだが、、、、

楽器というものは、練習して上手くならないと面白くないし、誰かと一緒に弾いたり、誰かに聴いてもらわないとそれはそれで退屈である。だから、上手い下手を抜きにしても、ライブというのは時々はやらなければならないのだ。ライブがないと練習する意欲もわかないのだから。

コロナでライブができなくなってから、バンドの練習曲もないから、練習をしない代わりに楽器の手入れをする時間ができた。このすきに手入れしたい楽器はたくさんあるのだが、手入れをするとなるとお金がかかるので、うーんと重症なギターを優先しなくてはいけない。愛用の白のテレキャスターももうそろそろリフレットが必要な頃なのだが、もう少し様子をみておこう。

この、1980年製の白のテレキャスターも随分と弾かないで押し入れにしまったままにしてしまった。久しぶりに弾いてみようかな。

来年こそは、またライブができるようになりますように。

書斎にスティールギターを置いた。

楽器は日々の練習が重要である。それは。楽器というものがこの世界に生まれた時からの常識である。

この世に初めて生まれた楽器は何かしらないが、きっと練習が重要であったであろう。さすがに、初めて生まれた楽器だから、お師匠さんのような人はいなかったかもしれないけれど、当時の楽器奏者は、日がな一日楽器を練習していただろう。メトロノームとかを使って、インテンポで難しいフレーズを練習したりして、うまくできたら、ちょっと人前で弾いてみたりしていたのだろう。

私も、何か楽器を練習したほうが良いかと思い、書斎にスティールギターを持ってきた。Fender Deluxe 8という、これまた60年代のスティールギターである。とても難しい楽器である。ギターとチューニングが違うので、慣れないと何も弾けない。なかなか厄介な楽器である。

教則本の類を幾つか持っているので、それを参考にチューニングをし、弾いてみているのであるが、なかなか上手くならない。教則本の著者 小林潔先生にいろいろと活字で教えていただいているのだが、DVDを併用してもこれがまたなかなか難しいので苦戦している。

小林先生、どうか、この私にスティールギターのモジョハンドを授けてください。

ロックなPSG!

さて、またペダルスティールギターである。

今日は、 The Flying Burrito Brothersを聴いている。

フライング・ブリトー・ブラザーズなかなか奥深いロックの世界である。ロックの沼である。私は、初めて彼らの演奏を聴いた時、ああ、バーズだな、と思った。バーズそっくりだと思った。その時から、私は少しも変わっておらず、未だに彼らのアルバムを聴いてもフライング・ブリトー・ブラザーズなのか、バーズなのかの判別はつかないだろう。

バーズは、何枚かアルバムを持っている。ロデオの恋人だとか、いろいろと良いアルバムがあるのは知っているが、ほとんど聴かない。べつにきらいでも好きでもない。ただ、ああいうサウンドを聴いてもそれほどエキサイトしないのである。フライング・ブリトー・ブラザーズもそうである。それほどエキサイトしない。

ただ、彼らの曲にはペダルスティールギターが多用されている。それが、どうも悪くないのである。これで、ペダルスティールが入っていなかったら、特になんとも思わないかもしれない。Do Right Womanとか良い曲もあるのだけれど、それほど記憶に刷り込まれることのない彼らの曲も、ペダルスティールの音色をポップスに持ち込んだという意味では評価されても良いだろう。いや、世の中ではもっと高く評価されているのだろうけれど。

彼らの音楽を聴いていると、アレンジが案外凝っていて、かっこいい。そのアレンジの要を担っているのがペダルスティールギターなのである。マンドリンが入っている曲もあって、それも良い。

ペダルスティール、マンドリン、うーむ、カントリーなのである。カントリーテイストがありながら、古きよきロックに落ち着いているのが心地よい。彼らの音楽を聴いていると、べつにエキサイティングでなくても音楽は成立するんだと再確認させられる。

なーんだ、それで良いのか。

もっと、肩の力を抜いて音楽と向き合おう。

バディーエモンズはやっぱり

このブログをもうかれこれ二ヶ月近くサボってしまっていた。

特に何があったというわけでもないのだが、何もないからこそ、何も書くべきことがなかったのだ。とは言ったものの、世の中には書くべきことが山ほどあるということはなんとなく理解はしている。だからつまりは、サボっていただけなのだ。

それでは、今日、何かあったのかと言われると、特に何もなかったのだけれど、何もないという日々というのが案外大切なものである。何もない、と言えるような日々は平穏な人生をおくるうえでとても重要で、毎日がエキサイティングであっても、それはそれで良いのかもしれないけれど、安定しない毎日をおくると命がいくつあっても足りなくなってしまう。

そういえば、ひと月ほど前から、自宅に隣接している建物の取り壊しが行なわれている。建物が壊されるというのは、ちょっと非日常で、それだけでも私はストレスを感じてしまう。建物が壊されるということは、そこに次に何かができるか、はたまた道路の再開発に充てられるのか、何れにしても私の生活になんらかの変化が来るのである。その変化というのが、私にとって良い変化なのか、悪い変化なのか、私はその変化に馴染むことができるのか、いろいろと不安に感じてしまうのである。

やはり、安定が好ましいと感じてしまうのだ。

安定といえば、今夜はバディーエモンズのアルバムを聴いている。バディーエモンズはペダルスティールギターの名手。誰がなんと言おうと、ペダルスティールギターの奏法を完成させたのはこの人だし、完成にとどまらず、常にその表現の幅を広げ続けていた偉人である。

今更、バディーエモンズについて、私が語るようなこともないのだけれど、彼のスティールギターを聴いていると、その安定感が心地よい。決して、無難な演奏を繰り広げているからではない。彼は常に挑戦的であり、クリエイターであり続けている。けれども、その技術に裏打ちされた演奏は、聴いている私たちを不安にさせない。むしろ、その超絶技巧の中にも安心のようなものさえ感じてしまうのだ。

バディーエモンズのようなスーパースターを引き合いに出してしまい、とても恐縮なのだけれど、もし、私が彼のスティールギターの演奏のような安定を手に入れることができたら、世の中はどのように見えるのだろうか。

私の向上心は、時として私の安定を邪魔してくるのだ。それは向上心というよりも背伸びであるからなのだろうけれど、人は背伸びをすると安定感を失ってしまう。もっと着実に成長していかなければ、成長のために常にトレーニングしなければ、向上とは裏腹にバランスを崩してしまう。バランスを常に保つためには、全身のトレーニングが必要である。付け焼き刃ではダメなのだ。

バディーエモンズのスティールギターを聴いて、日々トレーニングをサボってしまっている自分を強く意識した。

せめて、ブログだけでもこまめに書こう。

見た目の派手さとは裏腹、堅実なJames Burton

James Burtonのキャリアのハイライトはやはりエルヴィスのバンドのバンマスだった時だろうか。ピンクペイズリーのド派手なテレキャスターをステージでメインに使い、ゴージャスなサウンドを奏でていた。

ジェームスバートンについて、実は私はそれ以上のことを知らない。エルヴィスのバンドの凄腕テレキャスおじさんということぐらいしか知らない。けれど、あのバンドで聴けるジェームスバートンのサウンドだけで、十分彼の魅力は伝わって来る。

現に、私は、彼の出した2枚のソロアルバムは持っている。持っていて、何度か聞いたこともあるけれど、特に感銘を受けるようなアルバムではなかった。やはり、ジェームスバートンはあのエルヴィスのバンドのあの音でなくてはいけない。

彼について、詳しくはないけれど、私は長らくジェームスバートンのファンであった。今もファンである。彼のように自由自在にカントリーリックを奏でられたらどんなに素晴らしいだろうとなんども思った。

ジェームスバートンを始めとするカントリーの大御所ギタリストに憧れて、フェンダーのテレキャスターをかれこれ4台ぐらい持っている。そこに、ジェームスバートンモデルのテレキャスターも加わった。

この楽器をテレキャスターと呼んで良いのかどうなのかはわからないけれど、間違いなくテレキャスシェイプのギターではある。ヘッドもテレキャスターの形をしているから、テレキャスターと呼んで良いだろう。

オリジナルではフェンダー製のピックアップが付いているのだが、私が買った時にはすでにこの楽器には3基のレースセンサーが搭載されていた。オリジナルのピックアップもレースセンサーを元にフェンダーが開発したピックアップであるので、どちらでも同じなのだが、ホワイトカバーのレースセンサーが載せられているせいで、ただでさえ派手なのにさらに派手に見えてしまう。

レースセンサーは嫌いだという人が多いけれど、これはこれで、完成されたピックアップである。フェンダーのようなエロティックな音は出ないし、暴れもしないので、面白みには欠けるけれど、出来の良いハムバッカーの角を落としたような音、というか、シングルの大きさなのに不思議な音がする。

間違っても、このギターにテレキャスターの音を期待してはいけない。テレキャスターの音が欲しければ、普通のテレキャスターを使えば良い。エルヴィスの時代のジェームスバートンは、オーソドックスなテレキャスターのサウンドを鳴らしていた。このギターは、もっと仕事人風の音色がする。

レースセンサーはヴィンテージトーンというよりも、もっとヴァーサタイルなバッキングにも、リードにも使える音を目指しているのだろう。よく言えば使いやすい、悪く言えば色気のない音がする。ジェームスバートンモデルは、通常のテレキャスターと違いアッシュボディーではなくバスウッドボディーを採用している。

アッシュではないことで、ジャキッとした音ではなく、太い音がする。パコーンとなる感じだ。ストラトキャスターとも違う、テレキャスターとも違う、良く鳴るのだが、個性が出過ぎない音に仕上がっている。なんだか擬声語が多苦なってしまったが、一見面白くないギターのように聞こえるのだが、これはこれで実用的で良いギターである。

見た目の派手さには裏腹、堅実なギターなのである。

ジェームスバートンはエルヴィスのバンドで派手な格好をして、派手な楽器を弾いていたが、その実堅実なギタリストであった。そんな彼のキャラクターを良く表したギターに仕上げてあるのかもしれない。

メインのギターとして使いたいと思っている。