キリストのミサの夜

明日はクリスマスイブである。クリスマスイブとは「キリストのミサの夜」という意味であると幼少のころ、教会で聞いた。教会で聞いたのだからおそらく本当であろう。教会の神父さんが嘘をつくとは思えない。

私の両親はクリスチャンだったから、クリスマスイブぐらいは教会に一緒に行った。両親とも仕事熱心で、土日も仕事に行っていたからなかなか家族で一緒に時間を過ごすことはなかったけれど、クリスマスイブは特別だった。

クリスマスイブの日、母はいつもより早く保育園に迎えに来て、姉たちと私は母のカローラに乗せられて帰宅する。姉はいつもよりも上機嫌で、普段なら私をからかったりしていじめるのだが、クリスマスイブの日は特別だった。

あんた、今日が何の日か知ってる?クリスマスイブって何の日か知ってる?イエスキリスト様が生まれた日よ。今日を境に、世の中は変わったのよ。もう、もとには戻らないの。

なんて話を姉と車の中で話しながら家に帰って、いつもよりも少しだけ暖かい服に着替えて、また母の車に乗り込む。父を職場に迎えに行き、その足で教会に行くのだ。

教会の駐車場は教会の裏にあり、駐車場から教会の正面に入るためにはチャペルの横を通らなくてはいけない。雪深く、チャペルの高い屋根からは大きなつららが垂れ下がっている。その雪の中をゴム長靴を履いて歩いている時、僕は確かにクリスマスイブの時間を過ごしているんだと感じていた。そして、このクリスマスイブがいつまでも続けばいいのにと思っていた。クリスマスの朝なんて来なくてもいいのだ。

そして、教会の正面玄関を入ると、シスターにろうそくを渡される。ろうそくに灯を灯して礼拝堂に入るのだ。礼拝堂には、オルガン演奏で聖しこの夜が流れていて、私たちは混んでいる礼拝堂の2階席に上がり、隅っこの方でミサを聞く。私たち家族は、めったに教会に来ないから、つつましく端っこの方で静かにミサに参加するのだ。

ミサは永遠のように長く、神父さんはよくわからないキリストの生まれた夜の話をする。そして、時々賛美歌を唄い、アーメンを唱え、ミサは粛々と進む。私は、集中力がない方だったから、この長いミサが苦手ではあったが、決して嫌ではなかった。家族皆で賛美歌を口ずさみ、わけのわからないパンはパスして、ひたすら祈る。それだけで何となくいい気持ちになれた。

ミサが終われば、ささやかなパーティーが教会のホールで開かれている。私たち家族は、教会の常連ではないから、少し挨拶をするだけで、そそくさとまた母のカローラに乗る。母は教会に知り合いが多いから、少し挨拶をするだけで20分ぐらい掛かってしまうのだが、父も私たちきょうだいもとくに知り合いはいないから、早く帰宅したいのだ。

そして、教会から家への帰り道にあるファミリーレストランに入り、ささやかな宴を開催する。

それで、私たち家族のクリスマスイブはしめやかに終わるのだ。

私の、クリスマスイブの思いではそこまでである。

その、思い出がいつまでも保育園時代のままなのは、何故なのか自分でもわからない。まだ、家族が一緒だった頃のちいさな思い出である。