せめて聴く音楽ぐらいは明るくなきゃ Leon McAuliffe

生きていると、いろいろなことがあり、気分が浮かれたり、気分が沈んだりするものだ。ましてや、昨今のこの伝染病の流行る流行らないの毎日だと、気分が滅入ってしまう。私なんぞ、ここ二ヶ月ぐらいずっと気分が滅入っている。

なんと言おうか、ずっと頭の中に暗い影が残るようなそんな気分だ。楽しいことがないわけでもない。美味しいものを食べていないわけでもない。むしろ、楽しいことがあったり、買い物をしたり、美味しいものを食べたりは積極的にしているのだけれど、不思議とこの頭の中の暗い靄はいつまでも消えない。

いっそのこと、お祓いにでも行こうかとすら思っている。お祓いが効くか効かないかはとくに気にしていないのだが、そういうようなことをすると、なんだか少し踏ん切りがついて、本来すべきことや、本来感じるべき感情とかがなんとなく掴めるきっかけになるのではないかと思っている。

しかしまあ、お祓いをしたところで、どのくらいの解決になるかはわからないし、それまで待っていて何もしないと、どんどんネガティブな気分になってしまう。それでは、毎日がおもしろくない。そこで、一時的なカンフル剤かもしれないけれど、いろいろな音楽を聴いている。

ときにしみったれた音楽を、ときに軽快な音楽を、ときに荘厳な音楽をと考えているのだけれど、なかなか体と気分が付いてこない。そこで、その時その時聴ける音楽を聴くことにしている。無理して、聴きたくない音楽を聴けるほど人間は暇ではない。

今日は、少し軽快な、ウェスタンスイングを聴いている。Leon McAuliffeのバンドLeon McAuliffe & his Cimarron boysだ。

レオン・マックリーフは元々Bob Willsのプレイボーイズの中心人物だったスティールギタープレーヤーだ。4本ネックの凄い奴を自在に操って、ジャズでもカントリーでも、なんでもこなしてしまう。巧みにポジションを移動しながら、スティールギター独特のサウンドを鳴らしまくる。これだけで、ウェスタンスイング好きにはたまらない。

ボブウィルスのバンドも豪華な編成だが、レオンのバンドも同様に、フィドルやホーンセクションが入っていて、スウィングビッグバンドである。常に陽気で、それがちょっと疲れる時もあるのだけれど、ウェスタンスイングに暗いムードは似合わないのかもしれない。これはこれで、こういう音楽として成り立っているのだからよしとしよう。

ウェスタンスイングはカントリーミュージックの一つのルーツとも言えるけれど、むしろ一つの派生系と言ったほうが正しいのかもしれない。悲しいかな、日本のレコード屋には滅多に売られていない。こういう音楽を今更聴こうという人は本国アメリカでも少ないのかもしれないけれど、もっともっと見直されても良いジャンルの音楽だと思う。

日本でヴァイオリンときたら、十中八九がクラシック音楽で、ごく稀にジャズをやっている人がいるぐらい。ウェスタンスイングをやったり、ブルーグラスをやろうなどという人たちはごく少数だ。アメリカでは、ヴァイオリンといえば、クラシックのお坊ちゃん、お嬢ちゃんたちだけの楽器ではなくて、カントリーやら、ロックやらでもヴァイオリン(フィドルとか呼ばれているけれど)を弾いている人もそこそこいるのではないだろうか。

大草原の小さい家の、お父さんもフィドルを弾いたりしているし。アメリカのテレビの音楽番組ではマークーオコナーというヴァイオリニストが長年ホストを務めていたりする。マークーオコナーは、ブルーグラスプレーヤーだけれど、引かせようと思ったら、ジャズだろうと、ロックだろうと、ウェスタンスイングだろうと、なんだって弾ける。

スチールギターも、日本ではあんまり競技人口は多くないけれど、本国アメリカではまだそこそこ作っているメーカーがあるぐらいだから、盛んなのではないだろうか。5年ぐらい前にナッシュビルに出張で行った際に、ライブハウスでスチールギターを弾きまくっているお兄さんが居たから、そうに違いないと思っているのだけれど、実際のところどうなんだろう。

まあ、とにかくウェスタンスイングが、いかに盛んでも、いかに衰退していても、このLeon McAuliffeのアルバムを聴いていれば、いかに素敵な音楽かをわかってもらえるだろう。

「せめて聴く音楽ぐらいは明るくなきゃ Leon McAuliffe」への1件のフィードバック

  1. 僕が介護事業所をやっていることは以前コメントさせていただきました。

    こちらは北九州市で、ここ何日かコロナ・ウイルスの感染者が増えているニュースが気になっています。近隣の事業所(施設)でクラスターが発生したことは、僕にとってもショックでした。
    別件ですが、およそ1ヶ月ほど前、先輩が経営している事業所にも、感染したゲストがいらしていたことがわかり、2週間の閉鎖を余儀なくされたことがありました。気をつけようにも、週1回だけご利用のゲストが、実は感染していたと後から知らされても、気をつけようがない。

    僕は、つとめて「いつもどおりやろう」としています。おかしいですね。「いつもどおりやろう」とか「普通にしていよう」って、そう思っていること自体が普通じゃないし、いつもどおりじゃない。

    ゲストやご家族が「社長、開けてくれていてたすかっています。ありがとう」と言ってくださったり、何もいわずに出てきてくれている職員に、僕は感謝するばかりです。

    仕事の後、音楽を聴いたり、ラッパを吹いたりするのは、以前からの習慣のようなものですが、このような時、そのように過ごせていることが特にありがたく感じられ、同時に、僕にとっては必要なことなのだろうと思えます。

    もう十数年も前、ちょうど40歳前後の頃、体調を崩して入院したことがあります。福祉の仕事一辺倒で、休みの日にも職場にいて、肩書きもいただいていたし、大きなプロジェクトを任せていただいて、ちょっと(いえ、実際にはかなり)天狗にっていた時期でした。
    なんだか体調がおかしくて、近所の、それこそ歩いてでも2~3分くらいのかかりつけ医で受診したのです。受診後、ちょうど自宅に戻り、職場へ向かおうとした時、そのかかりつけ医から電話で「中村さん、大丈夫? 倒れてない? そちらに看護師を行かせましょうか?」と。
    びっくりしました。何事かと? 確かに熱っぽいし、身体は重たいのですが、今から職場に行こうと思っていたくらいでしたから。更にかかりつけ医から「すぐ入院しないと。国立病院と九大病院とどちらにする? 紹介状を書くから!」。
    結局、国立病院を紹介していただきました。そこのお医者さんからも、「すぐに入院ですよ」と言われましたが、僕は「仕事の引継ぎもできていません。急には無理です」と応えました。
    すると担当医は「仕事と身体のどちらが大事なんだ!」と。僕は「そんなこと言ったって、職場や仲間に迷惑はかけられないし、仕事をして食べて、養っていかないといけないんだ」と言い返したことを覚えています。

    およそ一ヶ月の入院。ベッドの上で気が抜けたようになっていました。その途中、2週間くらいたったころ、一時帰宅が許可されて自宅に戻った日。
    テレビで、ビールのコマーシャルを観たとき、ジプシーキングスの歌がバックに流れていました。僕が「力強いいい歌、演奏だな。これ聴くとなんだか元気が出る」と何気に言うと、次の日、妻がそのCDを買ってきてくれていたのです。
    音楽に救われることがある、と言うこともですし、そして、妻の心遣いに感謝しました。

    退院後、職場に戻ると、職場はいつもどおりに機能していました。僕がいなくても何も変わっていませんでした。その様子を観たとき、僕の中で何かが変わったような気がしました。
    僕は、僕の思ったようにやっていこう。人の目を、必要以上に気にして生きてきたような気がしていたのです。

    と言っても、すぐにそれを実行できたわけではありませんでした。今のように過ごせるようになるまで、その後、何年かかかりました。そして、これからもそれは続くのでしょうね。

    “いい歳をして、趣味ってなんですか?” と言う生き方もあるようです。でも、僕は“趣味から学ぶこともある”、と考えている人間です。

    これからも、時々、あなたの文章を読ませてくださいね!
    自分の生き方の、基本的な部分、核、基盤、哲学、どういったらいいのか? 僕が、人として生きていく真理に関わり、それを考える基になってくれる文章のように思えるから。

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