今宵もまたSwing Jazzを Charlie ShaversとHarry Edison

世の中、新型コロナで大変ではあるけれど、こういう時こそ前を向いてこれから何をすべきかについてじっくり考えなくてはいけない。考えなくてはいけないとは思うのだけれど、こういう時に前向きに考えられるのは、ある意味普段からのトレーニングを要するのではないだろうか。

前向きに考えるトレーニングと言われても、そういうことは普通の学校なんかではなかなか教えてくれないし、スポーツでもやろうものなら別だろうけれど、完全に文科系の、私はそういうトレーニングを怠ってきたような気がする。

しかしながら、トレーニングを怠っていることはもはや言い訳にはできなくて、とにかくどんな時でも前に進まなければなるまい。時間ができた人は、この機会に本を読んだり、勉強したりでもいいだろうし、逆に、時間を取られてしまって忙しくて何も手がつかないという方は、この機会に普段とは違う経験をして、一回りでもふたまわりでも大物になれるチャンスなのではないだろうか。

そんな、無責任なことを書いているけれど、かくいう私は、特に普段と変わったことをしてはいない。もっと積極的になろうという気持ちはあって、毎朝、仕事に行く前に、今日こそ、昨日よりも積極的な態度で仕事をしようと思うのだが、いまいち不完全燃焼のまま数週間が経過してしまっている。

人間、何が辛いって、いやなことが降りかかるのも辛いけれど、不完全燃焼が続くのも辛い。

辛いのであれば、自分からもっともっと努力すればいいのだが、その努力すら不完全燃焼気味である。これは、よくない。とてもよくない。明日こそ、今日よりももっとしっかり仕事をして、汗だくにはならなくても、どっと疲れて帰って来るぐらいの態度で臨みたい。急に明日がそうならなくても、この騒ぎが収まる頃には、バリバリ働き、社会人としてもっと会社に貢献できる人間になっていたい。

そのためには、まず、気分のメリハリが必要だ。緊張している方は、いまいちなのであれば、少なくともリラックス方面は徹底してリラックスせねばなるまい。

リラックス、といえば、私は音楽を聴くことが一番リラックスかもしれない。もちろん、どんな音楽かによって、エキサイトしたりリラックスしたりは違うけれど、特に肩肘を張らずに、どんな音楽でも聴いていれば、リラックスのしかたを思い出すことが出来る気がする。

それで、今日もあいも変わらずチャーリーシェイヴァースのアルバムを聴いている。それも、先日紹介したガーシュウィン曲集ではなく、別のストリングスもの、所謂「ヒモ付き」のジャズスタンダード曲集「The Most Intimate」を聴いている。

このThe Most Intimateもなかなかの名盤である。Charlie Shaversに駄盤はないのか、と思わせられるくらい、この人のアルバムは良いものが多い。

甘ったるいから、ダメな人はダメなのかもしれないけれど、トランペット好きで、嫌いな人は、少ないのではないだろうか。かくいう私は、ずっとCharlie Shaversを聴いてこなかった。理由は、シンプル。巧すぎるからである。こういう、なんでもできちゃうトランペッターが苦手だった。なんでもできるから一流のプロで居られるのだけれど、この人の場合ズバ抜けてすごい。ハイノートは煌びやかだし、ハスキーな中音域もフレーズの歌い回しも、早いパッセージだってなんだっていとも簡単にこなしてしまう。

ビバップ以降のスタイルの凄腕もすごくて、尊敬してしまうけれど、それ以前のスタイルでも、すごいやつは凄い。代表的なところでいくと、Harry Jamesあの人も凄い。もう、トランペットと一緒に生まれてきたのではないかというくらいトランペットを自由自在に操り、めまぐるしく表情を変えながら音楽を奏でる。いくらトランペットが体の一部だって、あれだけ体の一部を操れるのは、オリンピック選手ぐらいではなかろうか。スポーティーな凄腕である。

しかし、スポーティーな凄腕というのも、いつも聴いていると飽きてきてしまうものでもあるのだ。チャーリーシェイヴァースは、スポーティーなところをあまり見せつけないアルバムがあるので、良い。疲れたらそれを聴けば良いのである。

それでもチャーリーシェイヴァースの音楽は、ちょっとよくできすぎている。彼のようなビシッとキマッた音楽に疲れたら、もう少しラフなジャズを聴きたくなるのもので、私も、Charlie Shaversの後には、なにかクールダウンする音楽を聴くことにしている。

それは、騒がしいハードバップでも良いのだけれど、トランペットで言えば、もうすこしリラックスして、Harry EdisonかBobby Hackettなんかが丁度良いと思っている。Harry Edisonは名盤が多いのだけれど、特に「Sweets for the Sweet」という、これもストリングスもののアルバムが良い。ストリングスものではなくもっとじっくりとジャズを堪能したいのであれば、「At the Haig」というワンホーンカルテットでの名盤もある。今日は、さらにもう少し、リラックスした音楽をと思い、Buddy Tateやら Frank Wessやらのスイング時代の大御所とのジャムセッション「Swing Summit」を聴こう。

Charlie Shaversでお腹いっぱいになった後は、Harry Edisonのアルバム、オススメです。

姉の仇のように聴いていた「Hot House Flowers」

姉が中学の時にブラスバンド部でトロンボーンを吹いていた。いや、正確にはトロンボーンを吹こうとしていた、といったほうが良いかもしれない。私は、姉がトロンボーンを吹いているところを一度も見たことがない。

「教育熱心」だった両親は、姉が勉学ではなく部活動に精を出すのが気に入らなかったようで、ブラスバンド部にも反対していた。今考えてみると、なんの取り柄もない、勉強だけできる人間を育てたところで、なんの良いこともないのに、両親は、姉の学校の成績のことばかりに文句をつけ、しまいにはブラスバンド部をやめさせてしまった。

姉だって、もしかしたら少しは悪いところはあったかもしれない。私の姉は、聖人ではないし、その頃どんな人間だったかなんてすっかり忘れてしまった。

姉が、トロンボーンのマウスピースでバジングをしているところを2度ほど見たことがある。中学のブラスバンド部に入部したての頃だ。姉は、ジャズを吹きたいと言っていた。吹奏楽の退屈なCDを何枚か持っていたのも覚えている。私も、姉がいない時にこっそり聴いたからだ。

4歳ぐらい離れた弟の私は、高校に入る頃、ジャズばかり聴いていた。それも、トランペットもののジャズを。

きっと、ジャズを吹きたかった姉の憧れていたものが、どんなものなのか知りたかったということもその理由にあったのだろうけれど、ちっとも良さがわからないジャズのCDを4枚ほど持っていて、それを何度も繰り返し聴いていた。結局、ジャズの魅力なんて、ちっともわからなかった。ジャズのレコードから流れてくるトランペットの音は、私のイメージするトランペットの音とはかけ離れていた。私の中では、ニニロッソのような甘ったるい音色がトランペットだと思っていたからだ。

それでも、トランペットには憧れがあって、高校の同級生がどうやらトランペットを持っていて、使っていないというので、借りてきて、吹いてみようとしたりもした。

マウスピースは、街の楽器屋で2,500円で売っていたDoc Severinsenと書かれた箱に入っていた7Cを使っていた。その頃はDoc Severinsenが誰なのかも知らなかった。彼の世界最高の音色については、何も知らなかったけれど、とにかく、安かったので、そのマウスピースを買った。

両親は、私の学校の勉強のことにしか興味がなく、私も、ずいぶん前にヤマハ音楽教室を嫌で嫌で辞めたこともあり、誰にもトランペットを習うこともせずに、時々、借りた楽器を口に当てて、ひどいアンブシュアだけが身についた。のちのち、そのアンブシュアを治すのにずいぶん大変な思いをした。

高校時代に、家が嫌になってしまい、日本の学校も嫌になってしまい。オーストラリアの高校に通った。そこでも、人種差別で大変な目にあい、ろくに友達はできなかった。それで、仕方なく、また、音楽を聴いてばかりの生活になった。

そのころも、まだジャズと、トランペットへの憧れは変わらずに、わかりもしないジャズを何度も繰り返し聴いていた。今考えてみると、当時私が聴いていたジャズは複雑すぎた。だから、それだけ何度聞いてもちっとも体に入ってこなかったのかもしれない。ただ、音楽のセンスがなかっただけかもしれないけれど。

それでも、何度も何度もウィントンマルサリスの「Hot House Flowers」というアルバムを繰り返し聴いた。なぜか、そのわからない音楽のこのCDが好きだった。ウィントンの音楽は、今聴いても、どうもインテリ的で、テクニカルで複雑なのだけれど、さすがはトランペットの天才、音色は素晴らしい。その、音色の素晴らしさだけでも、感じるところはあったのかもしれない。

オーケストラアレンジなので、どうも、ストレートアヘッドなジャズとも違うのだけれど、これはこれで、今聴いてみるとなかなか良い。ウイントンのトランペットは、どうも味気ないという先入観があったけれど、味気ない中にも、なにか説得力のようなものがある。味気なさは、巧すぎるところからきているのかもしれない。実際、ソロも、優等生的なだけにおさまらないで、自由に吹きまくっている。この自由さは、若い頃のウィントンマルサリスのアルバムでは存分に発揮されているのだけれど、その自由さがどうも気に食わなかったのだけれど、このアルバムの自由さは私が聞き慣れているせいもあるけれど、どこか心地よい。

この頃のウィントンはBACHのヴィンドボナを吹いていたと思う。どう考えてもクラシック野郎の吹くようなこのおぼっちゃま楽器から、ダークでリリカルなジャズを紡ぎ出していたんだから、さすがウィントンである。

特に、個人的には5曲目の Djangoが好きで、何度も聴いた。

お勉強ばっかりやっていても、ロクな人間にならないだろうと冒頭に書いたけれど、楽器の練習と音楽のお勉強ばかりやっていたであろうウィントンであるが、19歳にしてこのような素晴らしい演奏ができるのだから、天才はやっぱり違う。

ウィントンは、これからどうやって枯れていくんだろう。それが、本当のかれの音楽的勝負だと思いながら「Hot House Flowers」をあらためて聴いている。