心移りについての追想

もうかれこれ13年ほど前に私は、二十歳の春につきあい始めた女性と6年あまりの交際ののち結婚した。

二十歳。高校を1年留年したのち、大学を一年で中退し、東京の国立市にある大学に再入学したのがその歳だ。

2,000年の3月の末、私は弾けもしないヴァイオリンを一挺肩にかけ、国立の駅に降り立った。ヴァイオリン一挺の他はほとんど着の身着のまま上京した。国立駅前の大学通りは満開の桜に彩られ、春の香りに包まれながら私は父親が借りてくれた、国立音楽大学付属高校の近くにあった、比較的住みやすいオートロックのかかる6畳のワンルームマンションに向かった。音楽を志すわけでもない学生の私がなぜ、ヴァイオリンなんかを持ってきたのかはよく覚えてはいないけれど、手許にあった楽器を何か持っていこうと思い、札幌の家を出発したのは覚えている。

そのヴァイオリンはほぼ一度も演奏されることなく、今でも私の書斎に転がっているのだけれど、産まれてこのかたつい先日までヴァイオリンを演奏できるようになろうなどとは考えたことはない。先般、私は一台のエレクトリックヴァイオリンを格安で手に入れ、時折気まぐれにそのエレクトリックヴァイオリンでデタラメな音階を鳴らしたりしている。そのことに伴い、私が20年近く全く触れていなかった上京時に持参したヴァイオリンを、物珍しさに手に取ることも少なくはなくなった。

こう考えてみると、20年ほぼほったらかしにしてきたヴァイオリンとほぼ同じ時間を私の妻とともに過ごしてきたことになる。

ヴァイオリンと妻を引き合いに出して、何を語ろうというほど大それた考えはないけれど、二十歳の頃の記憶といえば、それぐらいしかないというところが実のところである。

私は現在、楽器屋の端くれであるけれど、楽器というものをとても好いている。自宅には約40台のエレキギターがところせしとひしめいているし、書斎には2台のエレクトリックピアノとオルガン、アップライトピアノを置いている。書斎の物置の中にはトランペットも7台入っている。そこに、つい先日一台のマンドリンも加わった。

楽器をそれほどまでにたくさん所有しているにもかかわらず、私は楽器の練習というものを好かぬ所為か、演奏の方はからきしダメである。いくつ楽器を手に入れたところで一向に楽器の腕は上がらないのである。それでも時折それらのうちの一台を取り出してきて、気まぐれにかき鳴らしたりしてお茶を濁している。

先ほどエレキギターを約40台持っていると書いたが、エレキギターというのは時折鳴らしたり、弦を交換しなくてはどんどん楽器のコンディションが落ちてしまうものなのである。仕方がないので、書斎の文机の横にギターが7本収まるラックを用意し、だいたい月替わりでそれらを交換するようにしている。そのことによって、40台のギターは数ヶ月ごとに一巡し楽器のコンディションをかろうじて保っているのである。

楽器というものは、真面目におつきあいをしようと思うと、メンテナンスにとても手間がかかるもので、本来40台以上所有することを前提には作られていない。一台一台を大切に演奏し続けることが前提で作られているのだ。

それにもかかわらず、私は約20年にわたり「楽器心移り」の持病を抱え、現在このような体たらくである。「楽器心移り」の病は、ここ数日は小康状態を保っているのだけれど、いつ何時また再燃するかはわかったものでない。わかったものでない、ことが萬の病の恐ろしいところである。それに加え、この「楽器心移り」の病は心の病であるにもかかわらず、特効薬がない。

現在、医療がとても進んだこともあり、心の病の多くにはそれぞれの症状に対しての薬が揃っており、持病があっても、薬さえ飲み続けていればほぼ日常生活に支障はない。私自身も、10年以上持病を抱えているのだけれど、社会生活にほぼ支障なく日常を過ごしている。何度かの入院も経て、薬は何度も変わりその度に手探りの治療が続いてはいるのだけれど、幸いにして命には別状ないし、サラリーマン生活に全く支障はないとまでは言えないが、世の中では平均ぐらいの社会人生活を送れている。

それにもかかわらず「楽器心移り」の病にはつける薬がない。この病は、特段命に関わることはないにしろ、多額の資金を要し、家計を圧迫し、居住空間の多くを奪い、家族の生活を脅かすという側面がある。まあ、悪い反面、愛おしい楽器たちに囲まれ幸せな暮らしができるという面もかなり大きいということは確かなのだけれど。

私が楽器屋でやっていく以上、この「楽器心移り」の病とは離れることはできないのかもしれない。まして「断捨離」ということは今までに一度も考えたことはない。

 

話は戻り、妻である。私の妻は私が産まれて以来初めて交際した女性である。私は初めて交際した女性と結婚したのだ。

世の中の人は、やれ「元カノ」だの「元カレ」だの、「今カノ」だの「今カレ」という言葉を使うが、私にはそのような方々は存在しない。いわゆる「今カノ」しか私の人生には存在しなかったし、これから先もそのようであることを祈っている。

その意味で、私はとても一途な人間である。世の中に稀に見る一途である。

それでは、今まで女性に心移りをしたことがないのか、と問われると、それは。そのことについては全く潔白というわけでもない。

人生というものは、人が思っているよりもずっと複雑なもので、世の中で通常流通している尺度が、ほとんどの場合用をなさないものなのである。また、世の中の線引きというものも、多くの場合全く用をなさない。

浮世には数多の美しい女性がおり、「心移り」してしまうのは人の常。

来し方を振り返ると、「心移り」の連続とも言えなくはない。それもまた、心の病といえるのかもしれない。それでまた、この病が発症したのも、約20年前に上京してからのものである。私は、発症が遅かった方なのかもしれない。

なぜ、今日ここでこのようなことを書いているかというと、最近お酒の席で、とある女性と対話をしている中で、この「心移り」の病について打ち明けたからである。

どうも、私は困った病を抱えているようだ。そしてこの病は、程度の差こそあれ継続的に発症するもののようである。と打ち明けた。

 

彼女は、少し考え、グラスに注がれた白ワインを口にし、また少し考え、ポツリポツリと言葉に換えていった。

心移りは人の常、誰しもが多かれ少なかれ持つ病である。しかし、今までに大事に至らなかったのであれば、それはそれでいいのではないか。

という、言葉を期待していたのだが、彼女の口から出てきた言葉はそれとは随分と異なったものであった。

私は、彼女の言葉をうまく飲み込めずに、ただただ飲めない酒を呷った。酒は一時答えを保留にはしてくれたが、未だに彼女の言わんとしたことを私の言葉にすることができていない。もしかすると、彼女の言葉こそ、この心移りの病への特効薬であるかもしれないのに、それが何なのか、わからずにここ半月を過ごしている。