妻がピアノを弾く写真をプリントした C. BECHSTEIN V

写真を撮るのと、モノクロプリントが趣味だったので、自宅の物置に水道を引っ張って暗室にしている。しかし、困ったものでここ数日の雨にやられて、暗室が雨漏りするようになってしまった。

暗室の床に置いてあった印画紙が全て水に浸かってしまい、かつてプリントしたプリントも全て水に浸かってしまい、私にはポートフォリオらしいポートフォリオが全くなくなってしまった。そもそも、たいしてポートフォリオらしいものはなかったのだけれど、これはこれで悲しいもんである。

水に浸かってベタベタにくっついてしまった古い写真を全て燃えるゴミに捨てた。手元に残っていたネガファイルも、いくつかは水害に遭いダメになってしまった。何よりもこれが寂しい。

カメラも何台かは水害に遭い、カビが生えた。

カメラというものは元来水に弱い。水害にあってしまうと、終わりである。ここ数年、全く使っていなかったカメラとはいえ、かつては欲しくて欲しくてたまらなかったカメラたちである。ものすごく悲しい。ほぼ、立ち直れないでいる。フイルムで撮影する写真というものは、現像やプリントに大量の水を必要とするのだが、同時に、水にとても弱いのだ。

仕方が無いので、それらの写真とカメラの供養に、妻がピアノを弾いている姿を写真に収めた。カメラは水害の中でかろうじて生き残った1920年代(40年代だったか?)のプラウベルマキナ。それと、同じく20年代の6x9の蛇腹カメラである。蛇腹カメラには100ミリのアナスティグマートがついている。この二台は、かなり古くてボロボロなのだけれど、修理してガンガン使っていた。だから、床よりも2〜3cm高い場所に置いてあって、カビの被害も少なかったので、なんとか使うことができた。

このカメラで、妻が私たちの家宝ベヒシュタインを弾いている写真を撮ってプリントした。雨漏りした暗室で。

プリントに使った印画紙は、箱にカビがびっしりついていたのだが、ビニール袋の中はなんとか無事だったのがあったので、それを使った。高い印画紙だったのだけれど、供養だと思い使った。

妻は、休みの日にちょこっとだけベヒシュタインを弾いている。私もすこし触るのだが、ピアノというのはどうやら難しい楽器のようで、ちっとも上達しない。誰かに習えば良さそうなものなのだけれど、私は元来ひとにものを習うことが苦手なので、楽譜とにらめっこしながら、一音一音拾うようにして鍵盤を押さえている。この調子では、10年かかっても童謡も弾けるようにならないだろう。今まで、努力というものから逃げていた自分への戒めだと思って、ピアノに向かっている。

私と、ピアノの対話ができるようになるのはいつになるのだろう。