名曲を残すという偉業  Jimmy Webb 「Ten Easy Pieces」

世の中に名曲をかける人というのが確かに存在していて、シューベルト、松任谷由実、バートバカラック、武満徹、コールポーター、山口隆などと枚挙にいとまがない。彼らは一体どういう感覚であんな名曲を作っているのだろう。全くわからない。

名曲を残せる能力というのは、本当に素晴らしいと思う。羨ましい。エジソンみたいに目に見える形で社会に貢献しているわけではないかもしれないけれど、だからこそ羨ましい。

電球なんかを発明されると、こりゃもう万人の認める偉業で、一部の未開の地を除く地球全体の人類がその恩恵にあずかっている(いた)。ベルが発明した電話なんかもみんな恩恵にあずかっている(いた)。その一方で、それらの発明は今の社会では発光ダイオードやら、iPhoneに取って代わられていて今の子供にエジソンの発明したものの凄さを説明してもイマイチピンとこないかもしれない。

目に見える形で社会に貢献すると、時代という波に押し流されるのが早い。貢献自体の息の長さは長くても、消えゆくのも早い。新しい時代がやってくるのだ。

その点、名曲の社会的貢献の息は長い。ユーミンの「 Hello My Friend」はおそらく、4万年後にも歌い継がれているだろう。彼女の曲は4万年は通用する名曲だからだ。何の根拠もないが。

けれども、名曲というのは「新しいものに取って代わられる」ということがあまりない。スカルラッティよりも新しい音楽理論で作曲された名曲は数多あるけれど、それだからって彼の名曲が新しい名曲に「取って代わられる」ことはない。何度も引き合いに出して恐縮だが、ユーミンの曲だって、多少歌詞が時代遅れになった所で、名曲であることに変わりはない。

同じことは文学にも言えるし、美術作品にも、工芸品、一部の工業製品にすら言える。1965年式フォードマスタングの素晴らしさは、4万年後も語り継がれているかもしれない(いや、そんなことはないか)。

Jimmy Webbも名曲をたくさん残している。カントリーのシンガーGlen Campbellが歌った「By the time I get to Phoenix」「Wichita Lineman」などは、過去百年に書かれた名曲5000選の一曲に数えられるだろう。それぐらい、彼の書いた曲は素晴らしい。

「Ten Easy Pieces」はそんな彼のヒット曲(10曲)を彼自身がピアノ弾き語りで歌ったセルフカバー集である。

自身も何枚かアルバムを発表していて、バリトンボイスを聞かせる優れたシンガーでもあるのだが、このアルバムを聴いてみると、改めて彼の歌の良さが伝わってくる。

JD Southerのセルフカバー集「Natural History」を聴いた時も感じたが、人に曲を提供しているソングライターのセルフカバーを聴くと、曲の原型を見たような気分になる。「Ten Easy Pieces」も「Natural History」もアレンジがシンプルなので、そういう面が際立つ。

彼の代表曲の多くが1960年代から70年代に書かれたものであるけれど、今このアルバムを聴いていても、その曲の素晴らしさは少しも損なわれてはいない。むしろ、時を経て曲の良さが際立ってくるかのような勢いすらある。彼のような、澄んだ楽曲をかける人はどの時代にも多くはない。

100年後に、エジソンとジミー・ウェッブの偉業のどちらがこの世界に残っているか、負けを覚悟でかけてもいい。ジミー・ウェッブだろう。