フラメンコを少々 Tomatito

先日、従兄弟から電話があった。

従兄弟から電話がくることなど、滅多にないことなので、私は不謹慎にも誰か親戚が亡くなったのかと思ってしまった。だいたい、滅多に連絡がこない人からの電話は、よくない知らせのことの方が多い。今回も、またそのような知らせかと思い、焦るような、諦めるような気持ちになり、電話を取った。

すると、電話の向こうの従兄弟はそれほど緊迫した様子でもない。むしろ、急ぎの用ではないというようなことを言うではないか。久しぶりに電話をかけてきて、急ぎの用ではないということは、日常では滅多に起こらないことである。大抵、急ぎの用でないときは、手紙などを書く。しかしながら、手紙ではなく電話なのだから、ある程度は急いでいるのだろうとタカをくくっていたが、実のところ、本当に急ぎではないようだった。

どうも話によると、従兄弟の息子さんがこの度ギターを始めるという。それにあたり、どのようなギターを買い与えれば良いかの相談だった。私の得意分野である。実のところ、恋愛とか相続とかの相談とかでなく、楽器の相談で安心した。楽器の相談以外では、私はほとんど役に立たない。親戚の中でも、私ほど相談のしがいのない人間は珍しい。

それで、息子さんは何ギターが弾きたいのですか。エレキギターですか、クラシックギターですか。と尋ねてみるも、いや、それは息子に聞かないとわからないという。無理もない。ギターについてズブの素人に、何ギターですかと聞いてもわかるわけがない。

フラメンコギターです。

と答えが返ってきたら、どうしようかと思った。フラメンコギターは専門外である。コンデエルマノスぐらいしか知らない。

運良く、息子さんはクラシックギターを嗜むつもりらしい。

クラシックギターならば、19,800円ぐらいからありますよ。ありますけれど、大人が弾いて満足するようなギターはだいたい20万円ぐらいからでしょうね。子供の練習用だと、まあ5〜8万円ぐらいを考えておくといいかもしれません。と回答すると、

え、ギターってそんなにするのかい。それは、まいったなぁとのことである。まいるのはこちらである。19,800円のギターで満足されていては、私の生業は成り立たない。せめて、20万円ぐらいは覚悟してもらわないと。

一度、いいギターの音を聞いてもらって、その上で判断してもらった方が早そうだ。

それで、今夜はトマッティートを聴いている。当代きってのフラメンコギタリストである。パコデルシア亡き後、彼とヴィセンテアミーゴぐらいしか、私はギタリストを知らない。

トマッティートの音は、乾いていて、なんとも悩ましい音がする。この、カラッからに乾いているようでいて、ずっしりくる音圧は、なんなんだろう。ギタリストたるもの、このようなずっしりとした存在感をギター一本で出せなければいけない。

指が回るのは、それはフラメンコを志しているのであれば、もちろん必須の条件なのだけれど、トマッティートはそれに加え、このガラスを砕いたようなギラッとしたラスゲアードや、そもそも、何を弾かせても、ずっしりくる感じとか、彼のサウンドがある。指の力がよっぽど強いのだろう。クラシックギターの連中にはこうはできまい。

トマッティートには、今後もこのような凶暴でいて、さっぱりしていて、哀愁などとは無関係な音楽を続けて欲しいと思っている。