ちょっと引いた視線から、1920年代の「日常」 le passé composé Les 6×13 de Jacques-Henri Lartigue

いわゆるアート写真集は、本自体が大判で値段もはるものも多くそうおいそれとは買えない。高くて重くてかさ張るものをどんどん買っていると、破産するか家の床が抜ける。そういうことは世の中では贅沢とか、道楽とか呼ばれている。

ずいぶん前に何かの雑誌で、小津安二郎が、浪費と贅沢は違うよ、贅沢は心のためになるよ、浪費っていうのは何の役にもたたないものに金を使ったりすることだよ、みたいなことを言っていたと読んだが、写真集を買うのは小津のいう「贅沢」としていいもんなのかどうなのか。どうも写真集を買っても「心のたし」になるのだろうかどうなのだろうか。

それでも、私は時々写真集を買う。大抵は写真家の作品集のような写真集を買う。時々「ジャズミュージシャンの写真集」とかも買うけれども、ほとんどは写真家の作品集、いわゆるアート写真集を買う。なぜ買うかというと、何かあった時のためにそういう本を手元に置いておきたいがためだ。

「何かあった時」というのは、どうしてもその写真が見たくなった時である。気分が滅入った時とか、妙に気分がいい時とか、腹がいっぱいになってちょっとくつろぎたい時とかにふと妙に写真集をめくりたい時が来るかもしれない。そういう時は永遠にこないかもしれないのだが、それでもこれはと思うものがあった時は買う。大抵は買ったら安心してあまり見ないのだが、写真集は写真だけ見ると15分もあればパラパラと一冊見ることができるので、ある意味手軽に一遍のドラマを、異国の光景を、日常の気づかなかった瞬間を、ある程度まとまった形で堪能できる。

話が長くなってしまうので、とりあえず手元にある一冊を紹介する。

Jacques-Henri Lartigueの作品集「le passé composé」。ラルティーグがパノラマカメラで撮った作品を纏めた本である。

ラルティーグは幼少の頃(20世紀の初めの頃)からかなりの量の写真を撮っていて、本人は自身を写真作家という認識じゃなく「写真愛好家」ぐらいに思っていたのかもしれないけれども、そういうことはこの人の写真にプラスに働いていると思う。

この本に掲載されている写真からも、技巧的なことを極めようとか、誰にも撮れないものを撮ろうとか、自身の内面を写真で再構築しようとかそういう強い意図は感じられない。

まあ、結構裕福な家庭の生まれの方だから、結果としてちょっと浮世離れしているところはあるんだけれども。例えば写っている車(おそらく自家用車)がやけに高級車だったり、自家用飛行機が写っていたり、家族(恋人?)の格好がずいぶん立派だったりする。

けれども、写真自体はすごく普通の動機から撮影されている。記念写真、カーレースを観戦している時に撮られたもの、旅先でのスナップ、スポーツをしている時の写真なんかだ。全てが1920年代に撮られている。

レルティーグのカメラは壊れていたのか、収められている多くの写真の左側が暗くなっている。フィルムの一部が感光してしまい写真の一部が白く飛んでしまっているものもある。そういうところも含めて「プロフェッショナル」な写真じゃなくて良い。むしろそういうところがこの写真集の親しみのわくところだ。

彼の日常、いや日常の中でも「ちょっとお洒落をして出かけている時」の光景が、6X13というちょっと非日常を想起させるフォーマットに収まっている。そういう光景を約90年後に垣間見ることにより、その世界に感情移入はできないのだが、そこに強く惹きつけられる。すごく楽しそうでなんだか幸せそうありながら、ふとしたところで陰鬱でもあるなんだか不思議な日常に魅せられるのだ。

「いやー、いい時代だったんだよ」

とか、一見そういう写真なのかと思うと、それだけでもない。「いい時代の写真」ということだけではまとめられない。それはパノラマというフォーマットのせいもあるのだが、そういう問題だけでもない気がする。実際ラルティーグはかなり巧妙にこのパノラマというフォーマットを使いこなしている。技巧的な問題で収まりが悪いということはあまり感じない。むしろ、ラルティーグのカメラの視線の定まり方がちょっとその場面を引いて眺めていてそれがこの写真集のある種独特の世界観を作っているのだ。ちょっと冷静な視線というか、他人に見せることを前提にしているのかどうかはわからないけれど、写真が傍観している。それが、ふとしたところで感じる陰鬱さにつながっているのだろう。

この写真集に入っている写真はとても静かで、パンチが強くないものばかりなので、ちょっと疲れた時なんかに時々めくってみている。

大きさはだいたい25cm×25cmぐらいで、写真点数は40点。5〜10分ぐらいでパラパラと全ての写真を見ることができる。ボリュームが多すぎないこともこの写真集の良いところだと思う。

適度に騒がしくないアレンジメント Milt Jackson Orchestra “BIG BAGS”

気分をスカッとさせたい時にビッグバンドのジャズを聴くという方もいると思う。私もカウントベイシーなんかを聴くときは、なんだかバッティングセンターに行くような気持ちで、「よし、こりゃいっちょやってやろう!」なんていう訳のわからないテンションで聴いたりする。

カウントベイシーの音楽は、元気があるときのストレス解消なんかには丁度いい。たまにバラードなんかが入っていて、それもいい箸休めになって、自分が演奏しているわけでもないのにいい汗がかける。

まあ、一言にビッグバンドとは言ったって、ボブミンツァーみたいなものもあるし、なんとも言えないのだが。かくいう私はさほどビッグバンドジャズに詳しくはない。友人で学生時代にビッグバンドでベースを弾いていた奴がいるので、彼に色々教わって聴いたりもしたのだが、ちゃんとアルバム一枚通して聴いたのはあまりない。何故なら、疲れてしまうのだ。

このブログでは、できるだけそういう疲れてしまうような音楽は取り上げない。もっと、カウチに座ったり、座布団に寝そべったりして聴いて、じっくり集中しなくても聴けるようなものを紹介したい。何故なら自分自身、疲れて気力が湧かない時、仕事から帰ってリラックスしたい時、ただ単に音楽を聞き流したい時に丁度いい音楽を求めているからだ。いつもがいつも音楽と全力で格闘できるわけではない。時には、音楽が流れるのに任せておいて、自分はゆっくりしたい。だからといってどうでもいいような音楽じゃ物足りない。

そこで、第一弾として紹介するのが、Milt JacksonのBig Bagsというアルバムだ。

できるだけ騒がしくない音楽から紹介したかったのだが、いきなりビッグバンドジャズとなってしまった。しかも、Milt Jacksonはヴィブラフォン奏者でもかなり音数が多めのビバップとかそういう系の人だから、一見、騒がしいジャズを期待するアルバム。Roy Ayersとかそういう人のアルバムならもっと、都会の洗練とベルベットのようなサウンドを手に入れることができそうなのだが。

しかしながら、このアルバムは少々くたびれている時でも聴ける。7曲目までなら特に。

確かにアレンジメントをしているTadd Dameronと Erie Wilkinsは結構ビシビシバシバシ系のアレンジを書いている。このアルバムだって「Star Eyes」のアレンジなんかは、カウントベイシーオーケストラを彷彿とさせる音楽で、ドラムのConnie Kayもどんどん攻めてくる。8曲目の「Star Eyes」以降は結構うるさい。この辺からエキサイトしてきて、ちょっと騒がしいジャズになってくる。

けれどもアルバムとしては、何かしながら、例えば本を読みながらでも聴いていられる音楽に仕上がっている。それは、Milt Jacksonのリードが程よく抑えられているからだろう。抑えられていると言っても、手を抜いているというわけではない。むしろフレーズは澱みなく出てきているし、すごくスリリングなヴィブラフォンを聴かせている。

けれども、そこをやりすぎないで、ちょうどいいところで音楽を作っている。泥臭くなりすぎないし、バリバリしすぎない。けしてサラリとした音楽ではないのだが、音楽をごり押ししてこない。どちらかといえば、バックのビッグバンドがちょっと前に出てきていて、ミルトジャクソンは、控えめな印象を受ける。この人、そんなに控えめな演奏する人でもなかったと思うけれど。

一言文句があるとしたら、私の手元にあるCDでこのアルバムを聴いていると、ボーナストラックとして「Round Midnight」と「Star Eyes」の別テイクが入っているのだが、それがそれぞれの曲の後に続けて入っている。同じ曲を2回続けて聴かされるのだ。これは、ちょっともったいない。

私は、  CDにボーナストラックとかは要らないと思うのだ。アーティスト(アーティストとは奏者なのか、プロデューサーなのかはその時その時で変わるが)が意図した通りにアルバムが聞ければそれでいいではないか。

まあ、そういう問題は置いておいて、都会の喧騒に疲れた大人のための ビッグバンドジャズとして、「Big Bags」は悪くない。