気分はJohnny Winter

レアなエレキギターといえば、ほとんどはアメリカ製のギターであって、アジア製のギターやら日本製のギターの多くは量産品なのであまりありがたみがないというのが私の今まで思っていたことであった。

Hondo(本土?本渡?)というメーカーがあり、韓国のメーカーだと思っていたのだが、日本のメーカーかもしれない、よく分からない。例によって作りの悪いエレキギターを作っている。

ErlewineのLazerもHondoで作られている。アールワイン本人が作ったやつは3000ドル近くする高級品だが、HondoのLazerは450ドルぐらいで売られていた安物のギターである。高級品メーカーのErlewineが韓国でボディーを作らせて、アメリカで組み込みを行ったErlewineのLazerという厄介な商品がある。高級な安物ギターである。使われているパーツ(可変抵抗やスイッチ)は安物である。木工もいいかげんである。しかし、ブランドは高級ブランドのErlewineが付いている。

このギターは、HondoのLazer同様にかなりレアな(希少な)ギターである。 Johnny Winterが晩年までメインで愛用していたギターであるが、よくもまあこういう安物のギターをあれだけハードにツアーで使っていたものだと感心してしまう。

もともとはトラベルギターで(アールワインはトラベルギターを色々と作っている)あるから、ツアーで使うのは本来の使い方なのだろうけれど、Johnny Winterほど大物になるとツアーバスでの移動だろうから、わざわざトラベルギターを使う必要はない。むしろ、バックアップの機材とか、もう一台のメインのGibson Firebirdとかもっともっとかさばるギターを持って歩いているわけだから、こんな安物のトラベルギターをメインで使う必要はない。

しかし、実物を触ってみると、これがまたなかなか悪くない。音も、本格的なギターの音がする。

ネックシェイプはかなり薄めで、ネックの幅がかなり太いので慣れるまで戸惑うかもしれない。スケールは25.5インチのフェンダースケール、24フレット仕様。持った感じはものすごくバランスが良い。この辺りが巷のトラベルギターと一線を画す。ここまで持った感じのバランスが良いトラベルギターは、TravelerのUltra Light EDGEぐらいかもしれない。あれはピエゾピックアップで、こちらはマグネチックピックアップだから、エレキでバリバリ弾きたい人にはHondoかErlewineのLazerをお勧めする。

ストラップをつけて立って弾いても、座って弾いてもバランスが良いようにボディーがデザインされているのはさすが Erlewineのデザインだからか。ジョニーウィンターはいつも座って弾いていたから、そういうボディーのバランスも重要だったのだろう。私も、書斎で座って弾くことが多いので座ったときにバランスが良いギターがありがたい。

このギター、Johnny Winter以外に弾いている人を見たことがないけれど、一体何台ぐらい生産されたのだろう。ブリッジは専用のシャーラー製Wine-O-Maticが使われているから、このパーツの金型代を消却するためには少なくとも1000台ぐらい作らなければいけないだろうけれど、そんなにたくさん市場に出ているところを見たことがない。きっと良いところ500台ぐらいしか現存しないのだろう。

ネックの幅(指板の幅)が広いと書いたが、これは慣れるのに時間はかかるが、慣れてくるとチョーキングがしやすかったりして重宝する。スルーネックだからこそできる仕様だろう。

近頃の私のメインギターである。

Myクーバツのパツラ

最近はステーホームやらなんやらで、運動不足になることが多い。

私は、スポーツを嗜まないので、もっぱら散歩か、腹筋をするぐらいしか体を動かしていないのだけれど、インナーマッスルを鍛えるのも必要なのではないかと思い、最近気まぐれにトランペットを吹いている。

もっとも、吹いている、と言っても一昨日から始めたのだが。トランペットというのは体のあらゆるところを使って吹くので、結構体力を消耗する。まあ、肺活量を中心にして、口の周りの筋肉を使うくらいなのだけれど、それでも、久しぶりに吹いてみると体力を使う。

トランペットは健康に良い。

健康に良いものが正義というわけでもないのだろうけれど、これがなかなか運動の代わりになってくれるので、帰宅してからこっそりと吹いている。こっそりと吹いても、かなり大きな音がしてしまうのがトランペットという楽器の悲しいところなのだけれど、できるだけ、近所迷惑にならない程度に、控えめに吹いていては、唇に負担がかかってすぐにばててしまう。だからと言って、大きな音で吹いていては、近所からすぐに苦情が来てしまうであろう。

困ったもんだ。

トランペットの困ったことのもう一つは、スランプが多いことである。トランペットを練習していると、すぐにスランプが来てしまう。これは、きっと体のどこかにアンバランスが生じ、そこばかりに負担がかかっているからであろうが、三日練習したら、必ずと言って良いほどスランプが訪れる。

スランプを解消する方法は色々とあるのだろうが、トランペットを吹く人は、なぜかその原因は楽器なのではないだろうかと考えてしまいがちだ。俺の体は健康なのに、思うように音が出ないのは、楽器がいけないからだ。という思考回路である。

これは、ラッパ吹き全てが全てそういうわけではないのだとは思うが、バンドやら、ジャムセッションやらでトランペット吹きが3人集まると、必ず楽器の話で盛り上がる。やれ、ここをこう変えたら吹きやすくなった、バテづらくなった。やれこの楽器を試したら、ハイノートが出るようになっただのと演奏も忘れて話し込んでしまう。

これは、サックス吹きもそうなのかと思っていたが、どうやらラッパ吹きの方がそういう傾向が大いにあるようだ。(統計をとったわけではないが)

そこで、私も1年ほど前にトランペット本体を買い替えたという実績がある。

1年ほど前に、久しぶりに楽器を吹いてみたら、ちっとも音が出なかったのだ。困った。困ったので、すぐに楽器を買いに行った。ヴィンセント・バックの楽器である。

帰ってきて、吹いてみたら、するすると音が出た。

これだから、楽器というものは、困るのである。これで、買ってきてやっぱり音が出なかった、というのであれば、やっぱり悪いのは自分かということで落ち着く。ところがトランペットについては、バックにしてみたところ、音がきちんと鳴るようになったのだ。

今考えてみると。これは、まったく楽器の影響ではないというわけでなく、確かにバックの楽器は吹いた際の独特の抵抗感のおかげで吹きやすいのだけれど、まあ、気分の方が大きい。気分9割9分といったところだ。

けれど、さすがはトランペットの名器、ヴィンセント・バックである。これさえ吹いていたら間違いない。音も、悪いわけがないし(もし悪いのであれば、吹いている自分が悪い)、音程も良い(もし悪ければ、吹いている自分が悪い)。

ああ、どうして私は始めっからバックのトランペットを買わなかったのだろう。

今年も晴れてJapan Steel Guitar Association会員で居られる

日本国内では唯一のペダルスチールギターのメーカー、ファゼイ・ペダルスチールギター・プロダクツ。私も一台ファゼイのペダルスチールギターを所有しており、メインで練習しているのはファゼイの楽器だ。メインとはいっても、ろくに弾けないのだけれど。

ファゼイは藤井三雄さんというペダルスチールギター奏者が経営し、ご自身で設計製作を行っている。日本で唯一のペダルスチールギター製作者だ。私も、何度か工場兼オフィスにお邪魔して、ペダルスチールギターを修理・調整してもらった。藤井さんの楽器は壊れずらくて、弾きやすくて良い楽器だ。

舶来品の楽器も持ってはいるのだけれど、どうしてもアメリカの人は足が長いから、そのままでは楽器の脚も長すぎて、靴やスリッパを履かないと練習ができない。その点、ファゼイの楽器は日本人の足の長さに合わせて約1インチぐらい脚が短いので素足でも練習ができる。

もっとも、もしスタジオに持ち出して練習したり、万が一ステージで弾くようなことになったらそれは素足ではなく靴を履いて演奏するわけだから必ずしも脚が短い必要はないのかもしれないけれど、自宅で練習する分にはファゼイが一番ちょうど良い。そういうわけで、主にファゼイで練習している。

以前にも書いたかもしれないが、ペダルスチールギターというのは、ものすごく難しい楽器で、所有して5年以上が経つが、ほとんど上達していない。そして、ものすごく競技人口が少ないので、教則本の類も国内ではほぼ流通していない。仕方がないので洋書を買って練習するしかない。

E9チューニングであれば、まあ、それほど複雑なことさえしなければある程度は弾けるようになるのだけれど、C6チューニングに至っては、私はチンプンカンプンだ。けれども、なぜかE9とC6のダブルネックの楽器を持っている。いざという時は、ダブルネックの方が都合が良い(らしい)。

そんな私たち、ペダルスチールギターを志す者たちの強い味方がいる。Japan Steel Guitar Associationだ。

ここに入れば、年に数回会報が送られてくる。その会報に、スチールギターの楽譜が載っているのだ。しかも、TAB譜つき(年度末にCDも送られてくる)。

このTAB譜を頼りに、スチールギターをせっせと練習していれば、そのうち弾けるようになるはず。今までわからなかったカントリーのスタンダードも弾けるようになるはず。なのだが、なかなか練習できていない。

しかし、ここで挫折しないためにも、なんとか苦しい中で年会費を納め、今年も晴れてJapan Steel Guitar Associationの会員になった。そして、本日、会員証が届いた。

このJapan Steel Guitar Association、一体何人ぐらい会員いるんだろう。若手のペダルスチールギター奏者も会員なのだろうか?などと、いろいろな疑問はあるが、とにかくなんでも良いからこの会は続けて欲しい。

藤井さん。Japan Steel Guitar Associationの皆様。いつも大変御世話になっております。日本から、ペダルスチールギターの文化の火を絶やさないように、なんとか練習して弾けるようになります!!

今年こそ、なにか一曲、しっかりと弾けるようになるぞ。

なかなかできぬダイエット

コロナ禍で、運動不足気味になっており、体重は上昇の一途をたどっている。私としては不本意なのだが、体は言うことを聞かず、どんどん太っていく。すでに不惑を過ぎ、痩せた体型をキープすることは、とても困難になりつつある。どれぐらい困難かというと、 Gee Bee Racerの操縦桿を握るよりも難しい。

それでも、痩せたい。いや、痩せなければいけない理由がある。

その理由とは、着れる服がどんどんなくなっていくのである。夏の初めに、大きめのサイズのズボンを購入し、履いているのだが、来る秋冬のシーズンのクローゼットを開けたところ、時すでに遅し、ウエストが入らないのである。

これは、困った。緊急事態である。まさか、このまま秋に突入して、着ることのできる服(ズボン)がなく、下半身裸で会社に行くわけにはいかない。そんなことしてしまったら、ヘンタイである。それはいかん。それだけはいかん。

そうは言ったものの、食べる量を控えるとか、そういうことが簡単にできないのが人間の体の恐ろしさ。いくら痩せようとしても、お腹は勝手に空くのである。常に小腹は減り続け、とくに就寝前は腹が減り、常にパクパク食べていたいくらいである。

こういう時は、チアシードとか、こんにゃくなんかを食べてお腹を紛らわせれば良いのかもしれないが、そう簡単にいかないのが人間というものである。お腹は一杯になったとしても、頭(脳)が腹をすかすのである。

致し方ない。もうしょうがない。だから、一昨日から腹筋を始めた。

普通、腹筋といえば最低30回、多い人は100回とかやるらしいのであるが、そんなに簡単に腹筋30回できるような体であれば、今こんなことは言っていない。腹筋はできてせいぜい、15回。精一杯頑張って20回が関の山である。

それでも、やる。

やるとやらないのでは違うのである。今腹筋をしなければ、10月の衣替え以降、着て行く服がない。

世紀の名シンガー、Michael Bubleだってかつては太めだったけれど、痩せたではないか。痩せて、ブリオーニをカッコ良く着れるようになったではないか。彼は、歌うたいだから、太っているのも仕事の一部のようなところなのに、痩せたではないか。

いわんや、私などは、太っているのは仕事ではない。いや、むしろ太っていない方が裸で職場に行く羽目にならないので、痩せているのが仕事の一部のようなもんだ。

痩せなきゃ。

気分はDuane Eddy Guild X160

私は、ギルドというギターメーカーのエレキギターが好きだ。

好きな理由は、私の敬愛するギタリストMerle TravisもDuane EddyもかつてGuildのエレキギターをテレビで弾きまくっていたからだ。とにかく、この二人のかき鳴らすGuildのギター(スーパージャンボボディー)はド派手でかっこよかった。

この二人に憧れて、私もギルドのアーティストアワード(かつてのJohnny Smithモデル)とX160というギターを所有している。Artist Awardの方は、ボディーが馬鹿でかくて、日本人の私が持つとなんだか二人羽織のような、ギターにもたれているかのような状態になるが、音はものすごく良い。生で鳴らしていても、ものすごく気持ちが良い。すっきりとしたまさに高級ギターの音がする。

X160は、マイナーなモデルで90年代の一時期だけアメリカで作られていたモデルなのだけれど、これがまた、存在感があって良いギターである。ギルドの中では比較的廉価モデルなのだろうけれど、Dearmond製のピックアップが2発搭載されていてゴロリとしたごつい音がする。フロントピックアップの音も、甘すぎず、どちらかというと無骨で頼もしい。

カラーがオレンジで、ビグスビーお付いているので、ぱっと見グレッチのような見た目も良い。この楽器を楽器屋で見た時、初めは日本製のグレッチかと思った。ダイナソニックが搭載された6120かと思った。

あれ、へんな仕様の6120があるな、と思ったらギルドだった。

あんまり期待しないで鳴らしてみると、これがまたグレッチよりも箱鳴りがして、爆音で鳴らすとすぐにハウってしまいそうで、実際店のツインリバーブのボリュームを上げるとハウった。しかしながら、ルックスがいかつくて、なおかつグレッチではなく、ギルドのテイストを色濃く残していて、これこそが私の求めていたロカビリー/カントリーギターであると強く感じた。

アーティストアワードを買った時、もうギルドは上がりだと思ったが、アーティストアワードがあまりにも良いギターなので、ギルドというギターメーカーがさらに好きになった。このX160もまるで、さっきまでデュアンエディーが抱えていたかのような存在感があってすぐに気に入った。

家の、メインのアンプであるケンドリックのツイードアンプに繋いだら、気分は50’sのロカビリーマンセーの時代にタイムスリップしてしまった。

目下、ロカビリーを練習しているのだが、ロカビリーというのは奥が深くて、なかなか思うように弾くことができない。しかし、サウンドはロカビリーであるから、弾けなくてもデュアンエディーやらエディーコクランやらの気分に浸ることができる。

ギブソンやら、フェンダーやら、世に言うギターの最高峰はいろいろあるけれど、ギブソンやフェンダーは良い音がするのが当たり前すぎて、こういうギルドみたいなギターが一台あればなんだか自分だけ特別なサウンドを手に入れたかのような気がしてくる。楽器というのは、弾きやすさとか、音色とかもとても重要なのだけれど、私のようなアマチュアにとっては、楽器は気分が一番重要なのだ。気分が乗ってくる楽器があれば、弾けないフレーズだって何度も練習できてしまう。それに、あんな曲、こんなフレーズ、いろいろと弾いてみたくなる。

アメリカ製のグレッチなんかよりも作りが良くて、安心して練習に持っていけそうなところも気にっている。愛用のヘイマーとともに、私のメインギターとして、書斎に置いている。

久しぶりに10-46の弦を張った

エレキギターには11-49のゲージの弦を張ることにしている。もうかれこれ20年近くダダリオの11−49のゲージを買って張っているだろうか。

今までに何度か、気まぐれに違うゲージやブランドの弦を張ってみたことはあるが、どうもしっくりこなくて結局このダダリオの11−49に落ち着いている。25セット入りのバルク弦を買ってつかっている。

25セットのバルク弦も2年もしないで使い切ってしまう。それほど練習するわけでもないのだけれど、ギターをしまいこんでおくと弦の状態が悪くなってしまうから、しかたなく交換しているうちに25セットをあっという間に使ってしまう。

この度、気まぐれにロトサウンドの弦を買って張ってみた。それも、普段は使わない10−46というひじょうに細いゲージの弦を張ってみた。10−46が細いかというとそんなことはなく、むしろ11−49というゲージは太めなのだけれど、普段サムピックを使って、指弾きをしているので、あまり細いとかえって弾きづらい。それで、11−49というのがスタンダード担っていた。11−52という弦を試したこともあったけれど、ちっと私には太すぎる気がして、それだけでなくギターのネックにかかる負担も考えて、少しだけ細い11−49といゲージに落ち着いていた。

ロトサウンドという弦は、いい意味で普通の弦である。派手な感じでも荒い感じでもない、かといってダダリオのように優等生すぎるというわけでもなく十分にロックンロールな弦である。ブリティッシュロックの方々がよくロトサウンドの弦をつかっていると聞くけれど、とくにブリティッシュロックだからどうのということもない。ニッケルワウンドらしい、元気でハキハキとした音である。

先日、同じロトサウンドのフラットワウンド弦を張った。12−52かなんかのジャズ弦の中では細めのゲージである。これが、また個性的な弦で、フラットワウンドなのにツルツルしていなく、ザラザラしている。おとも、ぼんやりとはしていなく、ハキハキとしている。オールドスタイルのハードバップなんかをやる人には合わないかもしれないけれど、ロックでリズムギターを刻んでいるひとにはオススメできる弦だった。ああいう力強い音がなるフラットワウンドは珍しい。

何れにしても、ギターは張っている弦によって随分音が変わるもんであるなあ、と感心してしまった。

10−46の弦にこれからどれだけお世話になるかはわからないけれど、ギターによって使い分けようかと思っている。

アンプグルのアンプを手にいれた

エレキギターの音色を決めるのは7割がアンプだと思っている。

もちろん、優れたギター本体から紡ぎ出される音は、それぞれのキャラクターを持っている。時に荒々しく、時に枯れていて、はたまたカプチーノのようにクリーミーな音色のものや、凛とした音色の楽器もある。それでも、一旦アンプに繋いでしまえば、そのアンプの音の中に染まってしまう。

アンプ7割と書いたのは昨今のデジタルアンプのことではない。デジタルアンプも、それぞれの音は持っていて、かつ、ギター本体の持つオリジナリティーを再現できるものは存在するであろう。むしろデジタルの方が忠実なのかもしれない。それでも、やはりアンプはチューブアンプ(真空管アンプ)のほうが私は好きである。最高のチューブアンプは、どんなに優れたデジタルアンプにも勝る音と、レスポンス、弾き心地がある。

チューブアンプは、その重量やら、コンディションを保つ難しさ等で、今のプレーヤーは敬遠してしまうかもしれない。消費電力も半端じゃない。そのあたりについては、デジタルアンプには遠く及ばない。デジタルアンプは、電源さえ間違わなければ、めったなことでは壊れない(壊れたらユニット交換以外の修理はほぼ不可能だが)。酷使してもそう簡単には壊れない。それに比べて、チューブアンプは、簡単に壊れてしまう。

ソリッドステートのアンプも幾つかは持っているけれど、あれはあれで悪くはないのだけれど、チューブアンプの持つコンプレッション感や、弾き心地を味わえるようなものは少ない。少なくとも、私の持っているアンプで、ソリッドステートのもので、チューブアンプのようにふくよかでいて、個性豊かなクランチトーンを鳴らせるものはない。

それで、やっぱり真空管のアンプに行き着いてしまう。

行き着いた結果、何台か、チューブアンプを自作したりした。どれも、音が出るところまでは行くのだが、なかなか満足のいく音色にはならなかった。中には、フェンダーのヴィンテージアンプの回路をそのまま使って、パーツも手に入る限り良いものを使って作ったアンプもある。キットで買って、コンデンサやら抵抗やらを全て交換して、自分の納得のいくところまでチューンアップしたものもある。けれども、なかなかハムノイズが治らなかったり、特定の音で共振してしまうなど、なかなか満足のいく出来上がりになるものはできなかった。

私が、アンプ作りの教科書にしていた本があって、ジェラルド・ウェバーという人の書いたものである。100ぐらいの機種の回路図やら、レイアウトが掲載されていて、それをほとんど穴が開くぐらい読み込んだ。私にとってのアンプ・グルである。

この度、そのアンプグルの作ったメーカー Kendrickのギターアンプを中古で手にいれた。何箇所か改造箇所があるものの(勿体ない!!)ほぼオリジナルコンディションである。フェンダーのヴィンテージアンプのクローンなのだが、私は、かつてそのオリジナルのヴィンテージアンプを弾いたことがあり、素晴らしい夢のようなアンプだった。

Kendrickのアンプも、そのオリジナルのヴィンテージアンプとほぼ同じ音が出る。もちろん、ヴィンテージアンプよりも味付けは少し現代的で、ノイズも少なく、優等生なところがあるのだが、それも、嫌味ではない。ヴィンテージアンプは、いつどこがおかしくなるかはわからないので、なかなか面倒を見るのが大変である。その点、アンプグルのアンプは、新しいパーツで作られているので、安心である。

実は、アンプグルの本を読んで、Kendrickと全く同じ回路のアンプを自作して持っている。それはそれで、私が自作したアンプの中では良い音がするのであるが、この度、その2台を弾き比べて愕然とした。さすがアンプグル、たとえ生まれ変わったとしてもこの歴然とした違いは追いつくことすら不可能なレベルなのである。

いったい何が違うのか?つかっているパーツは、ほぼ同じものであるはずなのだ。

恐るべし、アンプグル。

もう、2度と自作アンプは作るまい。

私のメインキーボード CP−70B

私は、ピアノをまともに弾けない。ピアニストに憧れたこともない。きちんとピアノを練習したこともない。

弾けないけれど、鍵盤楽器は7台ぐらい持っていて、自宅にはグランドピアノすら置いてある。そのあたりのピアニストなんかよりも、鍵盤楽器に関して言えばずっと恵まれた環境で生きている。

なぜそんなにたくさん鍵盤楽器があるのかというと、かつてピアノメーカーに勤めていたこともその一因ではあるのだが、それよりもそもそも楽器というものが好きだからという方が正しいのかもしれない。鍵盤楽器は、ドを押せばドの音が出るし、ドミソと弾けばCメジャーコードが鳴ってくれる。これほどありがたい楽器はない。

そんなに、たくさんの鍵盤楽器に囲まれて、何をしているのかといえば、歌を歌う時の伴奏楽器として使っている。

伴奏と言っても、大層な伴奏を弾くこともできず、左手はもっぱらベース音(ルート音)を、右手はもっぱらコードを四つ打ちで弾いているだけなのだけれど、ピアノというのはよくできた楽器で、それだけで歌の伴奏としては、最低限の役目を果たしてくれる。そのためだけに、ピアノを持っているのは、すこしばかり贅沢なことなのだけれど、ピアノの音を鳴らしながら歌っていると、何か、自分がレイチャールズかビリージョエルにでもなったかのような気分にさせてくれる。

ピアノの良いところは、自分を一瞬ロックスターや、ソウルシンガーにしてくれる、それだけではない。私はギターも弾くのだけれど(こっちも腕の方はからっきしであるが)ギターではおよそ鳴らせないような難しいコードもピアノであれば押さえることができる。例えば複雑なテンションコード、ギターであればある程度コードのフォームに習熟していないと、どの指をテンションノートにあてがうか、などと考えながら押さえなければならないところを、ピアノであれば、ある程度曖昧にすることができる。

それと同時に、コード理論の基礎もピアノがあれば簡単に納得できてしまう(キーをCに置き換えると尚更わかりやすい)。

私は、楽譜も読めない。

全く読めないというわけではないのだけれど、ベートーベンの悲愴の2楽章の一小節目を読もうとして、15分で諦めたぐらい読めない。あの、オタマジャクシが上下に2つ以上出てくると、何が何だか分からなくなってしまう。

しかし、コード表は読めるので、コードとメロディーだけであればなんとか押さえることができる。なので、さしあたり独りで弾き語りをする分には特に問題はない。全く、コード表記を考えた人は偉大だっと思う。まさに、私のような楽譜音痴のためにあれは存在しているのかもしれない。

そのため、楽譜はろくに読めないくせに、たくさん楽譜を持っている。大抵、ポップスの楽譜には、ちゃんとした譜面の上に、メロディーラインと、コードが記されている。そのため、本物の楽譜の方は読めなくても、楽譜を持っていると、だいたいのメロディーと、和音がわかるので、自分で楽しむ分にはある程度用をなす。

もちろん、難しいキーの曲は伴奏ができない。例えば、#やら♭なんかがたくさんついている曲は、そのままでは弾けない。

それでも、ポップスの曲の多くは、ラウンドミッドナイトのような変なキーの曲はそれほど多くはないので、不自由はしない。

そんな私が普段一番よく使っているのが、ヤマハのCP−70Bという電気ピアノだ。これは、80年代にヤマハが作った楽器で、実際に弦が100本以上張ってあり、キーボードアクションもグランドピアノと同等のものが使われている。鍵盤は73鍵しかないが、私の使い方では十分である。持ち運びができるように、足をとって、2つに分かれるようにできており、合計120キログラムの楽器が、なんと、60キロの箱2つになる。電気ピアノなので、弦の振動をピックアップが拾ってくれ、出そうと思えばアコースティックピアノでは到底かなわないような、ものすごい爆音も鳴らせる。アンプの電源を切っておけば、サイレントピアノとして使える。まさに、夜でも練習できる小さなグランドピアノである。

私にとっては、夢のピアノである。

このCP−70Bという楽器は、すでに製造されてから40年近くが経ってしまっているので、いろいろな不具合も出てきてはいる。電源がうまく入らないことがあったり、イコライザーがうまく効かないことがあったり。それでも、普段使う分には特に不自由を感じたことはない。

鍵盤には一部割れが補修された跡があり、外装の皮も剥がれてはきている。なにより、このピアノの上に、楽譜やら、エフェクターやら、愛用のカメラやレンズやら、はたまた服用している薬の袋やらが無造作に、うず高く乗せられているので、決してきれいな外見を止めているわけではない。しかし、私はこの楽器が手元にあって本当に良かったと思っている。普段、いつでも弾けるように、パソコンの置いてある机から振り返れば、すぐに弾ける状態にしている。

そもそも、私はヤマハというメーカーの楽器はどうも魅力を感じないのだけれど、このCP−70Bだけは別物である。音そのものはそれほど良いわけではないけれど、その独特のサウンド、鍵盤のタッチ、無駄に大きな図体、何をとっても素晴らしい楽器だと思う。多くのポップスミュージシャンが、このCP−70という楽器をメインキーボードにしているのも頷ける。

購入した時は、本体価格より運送費の方が高くついてしまったぐらいだが、これからも、末長く大切にしていこうと思っている。

ゴスペル万歳!! Cory Henry

今日は素敵なオルガンアルバムを手にいれた。

Cory HenryのThe Revivalというアルバム。ゴスペルオルガンをじっくり堪能できるアルバムだ。

私は、オルガンもののジャズが好きなのだが、オルガンジャズといえば、ジミースミスも、ジャックマクダフも、やっぱりどこかにゴスペルの香りがする。いや、ハモンドB3のサウンドそのものがゴスペルの音といっても過言ではない。

オルガンのジャズを語る上で、このゴスペルフィーリングというものを抜きには語れない。ジャズとゴスペルは、近いようで遠くて、モダンジャズなんかになってしまうと、教会音楽からのレパートリーは少なくなってしまう。グラントグリーンなんかは率先してゴスペルナンバーをジャズに持ち出して弾いているけれど、彼なんかは珍しい方で、モダンジャズ奏者の多くはジャズの根底に流れているアーシーな要素をあまり表に見せない。

その点、オルガンもののジャズは、ゴスペル調なものが多い。その理由は、オルガンもののジャズを演奏するためには、オルガンが置いてあるジャズクラブか、オルガンを持ち込むかもしくはオルガンが置いてある教会に行かなければならない。

教会で録音された、ジャズアルバムは、ほとんど存在しないのだけれど、それでも、ジャズのオルガン奏者の多くは教会で演奏する機会も多いだろう。

この、Cory Henryのアルバムは、正確にはジャズのアルバムではなく、どちらかというとゴスペルアルバムなのだけれど、教会でライブ録音されている。それが、またなかなか臨場感があって、観客もノリノリで、ほぼトランス状態である。

とにかく、強力なので、オルガン好きな方は、聴いてみてください。お勧めです。

既視の街を手にいれた。

先日、中野のまんだらけで金井美恵子、渡辺兼人の「既視の街」を買った。渡辺兼人はこの本の写真で木村伊兵衛賞を受賞しているから、彼の代表作とも言える。

写真集としては、印刷がそこまで綺麗でもなく、小説の挿絵にしては主張してくる写真群がこの本を特殊なものとしている。小説は、妙に暗く、それでいて重すぎない。むしろ、何気ない日常を撮っている写真のほうが重い感じすらする。

もし、これらの写真が、もう少し軽い印象を受ける作品群であったら、この本はここまで異彩を放っていないだろう。その一方で、また、この小説がもっとドラマチックなものであったら、これらの写真も生きてこないだろう。その絶妙なバランスで、この本は成り立っている。

写真と、小説に関連性がなく、かつ、両方の持つ世界観がこれほどまで当たり前に共生できているのも不思議だ。この本は、写真集でもなければ、小説でもない。まさに、写真と小説が合わさり一冊の本となって完成している。

なんだか、この本について、私が今書けるべきことが整理できていないので、続きはまたこんど。