Richard Teeの Small StoneとRhodes Piano

近頃落ち着いて家のステレオで音楽を聴くような時間がない。時間がないのは仕事が忙しいせいとか、何か他に夢中になっていることがあるとか、そういったことではなく、自宅にいる時間の大半を寝ることに費やしているからだ。

そのために、家で音楽を聴くことや、楽器を練習したりすることがほとんどなくなった。休みの日などは、一日中予定もなく、言ってしまえば暇なのだが、暇な人間は大抵何もしない。暇な人間は体を動かそうとしない。暇な人間は生産的な活動をしない。何にもしないくせに、やけに「時間がもったいない」などと考えて、何かをしようとして、やはり無駄な時間を過ごしてしまう。

私は、暇なときはやはり何もせずに、ほとんどを昼寝の時間に費やしている。楽器を練習したり、音楽でも聞けば良いものなのだが、そういうこともしない。本を読んだりもしない。全くこれでは、なんのために生きているのかがわからない。楽器の練習もしない、音楽も聞かない、本も読まない。そういうことではろくな人間にはならない。

かつては、かなり熱心に音楽などを聴いていた頃があって、自宅には約3000枚のCDと1000枚近くのレコードがあるのだけれど、これも、最近はめっきり聴いていない。ちょっと前までは「愛聴盤」なるものがあって、毎日のように繰り返し繰り返し聴いていた。Bobby Darinの死後編集されたベスト盤「Darin」やら、 Frank Sinatraの「L.A. is My Lady」なんかは大好きで、それこそ盤が擦り切れるほど聴いた。ビリージョエルの古いアルバムも好きでややベタではあるが「Stranger」なんかも、腐るほど聴いた。

しかし、最近はそれらのレコードもほとんどターンテーブルに乗せることはない。CDも聴かない。音楽といえば、通勤の時にiPhoneで聴く程度か。

しかし、iPhoneで聴く音楽はどうも味気ない。家のオーディオセットで聴く音楽のような「音楽を聴いている感」に乏しい。iPhoneに音楽を入れてしまうと、どうも小さなイヤフォンで聴くように音質がなってしまうせいか、なんだかどれもこれも同じような音楽になってしまう。特に、ドラムやシンバル、ベースの音がほとんど聞こえなくなってしまい、歌やらギターやらうわものばかりが聞こえてきて、音楽を聴くというよりは、音楽を「確認する」作業になってしまう。私の好きなRhodesピアノの音なんかはCDやらレコードで聴くとくっきりと聞こえてくるのだけれど、iPhoneで聴くとなんだかジワジワ、モゴモゴ聴こえてきてしまい、喜びにかける。レコードやCDなどはミキシングの芸術のようなもんなんだから、iPhoneで聴いてもちっともそういう妙味は味わえない。

家のステレオも、そんなに立派なセットを組んでいるわけでもないけれども、最低限そういうミキシングの妙味が味わえるセットにしている。

そんななか、iPhoneでほとんどまともに聞こえなくて残念なのがRichard TeeのRhodesの音だ。先ほども書いたがRhodes pianoの音が好きな私は、ロックのレコードなんかに入っている彼のRhodesの音を聴くとなんだかウキウキしてくる。有名なところではビリージョエルの「Just the way you are」のイントロ、あれが彼の音だ。 Paul Simonの名曲「Still crazy after all these years」のイントロもRichard Teeが弾いている。私は、この2曲のイントロを弾きたいがためだけにRhodesを持っているようなもんなのだ(Still crazyの方は未だに弾けないが)。

彼は恐らくそれらのトラックではFender RhodesをフェイザーSmall Stoneに繋げて弾いているのだけれど、スピーカーはローズのスピーカーから鳴らしているのか、それとも外付けのアンプで鳴らしているのか、いまいちわからない。そもそも、フェンダーローズを殆ど触ったことがないので、果たしてSmall Stoneをつなぐだけでああいう音が出るようになるものなのかどうなのか確認したことはない。

自宅の機材も、Richard TeeにならってFender RhodesとSmall Stoneにすれば良いようなもんなのだが、たまたまRhodes MK1が安く手に入り、それの音が気に入ってしまったので、Rhodes MK1にMXRのPhase 90(これも70年代後期のもの)を繋げて使っている。Small StoneだとなんだかRichard Teeのあの音が出せそうな気もするのだけれど、エレハモのエフェクターはちょっとかかりが強いのが好みではないので、かかりが弱い70年代の MXRにした。

リチャードティーのローズサウンドは上に書いたようなポップスのレコードもさることながら、Stuffのアルバム、Gadd Gangのアルバムでも堪能できる。私は Stuffのファンでも、スティーヴガッドのドラムが好きなわけでもないのだけれど、リチャードティーのローズの音を聴きたいが為だけに何枚かアルバムを持っている。けれど、Stuffのアルバムを聴くとどうしてもRhodesの音ではなく彼のスタインウェイピアノのキリッとした音に耳を奪われてしまう。クラシックのピアニストはあんなに硬質な音を求めないだろうけれど、 Richard Teeの音楽にはどうしても、あのピアノの音が不可欠なような気がする。まあ、もっとも、スタッフの録音の時はなんのピアノを使っていたかは不確かだけど(ライブ盤ではCP−80をつかっていたりするから)。

80年代の名曲のイントロは殆どがRichard TeeのRhodesピアノから始まると言っても過言ではないぐらい、彼の音は印象的でRhodesという楽器の魅力を十分に引き出していると思う。

リチャードティー、一度で良いから、生で彼のRhodesを聴きたかったな。

Chaki P-100にDeArmond Rhythm Chief 1100

このところ楽器の話ばかりで恐縮だが、今日もギターの話である。

以前にこのブログでChakiのギターについて書いたが、実は、Chakiのギターは2台所有していて、一台はP-1、もう一台はP−100というモデルだ。以前、P-1について書いたので、それはこちらの方を読んでいただけると幸いです。今日はもう1台のP-100について。

Chakiというギターのブランドは、比較的マイナーで、大して高価なギターではないので(むしろ安物の部類に入るだろうか)名前もあまり知られていないかもしれない。日本製のギターで、京都のギター工房で細々と作られている(作られていた)。ウッドベースも作るメーカーだから、Chakiブランドのウッドベースはたまに見かけるのだけれど、そっちも高級ブランドではないから、プロがバリバリ使っているのを見かけたことはまだない。

ギターの方は、以前にも書いたけれど、憂歌団の内田勘太郎さんが長い間メインで使っていて、アルバムのジャケ写でも何度も登場しているので、そっちで見たことがあるという方も多いかもしれない。むしろChakiといえば内田勘太郎さんのおかげで有名だというだけで、他のプロの方がバリバリ使っているのを見たことはない。

手作りのギターで、70年台の個体をよく見かけるので、70年代にはそこそこたくさん作っていたのだろう。その頃のChakiの工房にはアーチトップギターで有名な辻四郎さんという製作家が在籍していて、何人体制で作っていたのかはわからないけれど、なかなかクオリティーが高い個体も多い。とは言っても、Chakiの作りが総じて良いかと言うと、必ずしもそうとも言えなくて、フレットがガタガタだったり、ナットがボロボロだったりするやつも見たことはあるから、全部が全部作りが良いというわけではないだろうから、購入される方はその辺を注意したほうが良いと思う。

私の持っているP-100もやはり70年代のもので、懐かしいタイプのグローバーペグが付いている。フレットは、前のオーナーがリフレットしたらしく、なかなか弾きやすい。P-1の方はやけに細いワンピースのメイプルネックなのに対し、P-100の方はスリーピースで太めのメイプルネック、エボニー指板である。

チャキの音はこのメイプルネックが寄与しているとこが大きく、少し硬めの音がする。P-100は指板のエボニーもなかなか良いエボニーが使われていて、タイトでガッツがある音がする。P-1とP-100のモデルの立ち位置はいまいちわからないのだけれど、おそらくP−100の方が上位モデルなんだろう。ボディートップは単板のスプルースが使われている。

Chakiのギターは個体差が大きく、全然鳴らない個体も多い。私は今まで中古市場で約10本、新品を2〜3本見たことがあるけれど、良く鳴る個体は私が持っている2台だけだった。良く鳴るといっても、50年代のギブソンのようなドスン、ポロンとしたなり方ではなく、どちらかと言うとボン、ガラガラと鳴る。特にP-100の方は、低音がすこし暴れる感じがしたので、それが気に入って買ったのだけれど、今はフラットワウンド弦を張って落ち着いた感じにしている。フラットワウンド弦に交換しても、音がこもるようなことがなく、わりと素直な音で鳴ってくれるので、弾いていて気持ちが良い。

フラットワウンド弦に交換したのは、もう一つの理由があって、このチャキにDeArmondのRhythm Chief 1100を取り付けたのだ。このディアルモンドは最近出た復刻版で音はヴィンテージのRhythm Chiefのようなクリアな感じではなく、もうすこし太いながらもツルンとした音が出るのだけれど、ヴィンテージは世の中じゃ10万円オーバーになってしまったので、復刻版にした。このピックアップはそれほどクセが強い音でもないので、これはこれで満足している。もう一つ、DeArmondからはRhythm Chief 1000というモデルも出ているのだけれど、ギター屋のオヤジに相談したら、1100の方が良いんじゃない?ということにして、こっちにした。値段は三千円ぐらいしか変わらないので、お好みで選べば良いかと思う。

このギターで、ジャズの真似事か、ジャンプブルースのような音楽を弾いてみたいと思い、購入したのだが、目下、ただのフォークギターとして使っている。アーチトップはずっとGibsonのL−50を手元に置いて愛用していたのだけれど、最近はもっぱらこのChakiを弾くことのほうが多い。Gibsonと違い、 Chakiはフェンダースケール(ロングスケール)、これが、最初はなんとなく違和感があったんだけれど、同じゲージの弦を張った場合、弦の張りが強い分だけギブソンよりもちょっと力強い音がするようなきがする。ボディーサイズが17インチと大きめながらも持ちやすいので、音量は十分に出るし、取り回しにも便利だ。

こうして、ただのフォークギターとして使っているのももったいないから、ジャズのコード進行でも覚えて、いつかジャムセッションにでも持っていきたいと思っている。まだまだ先は長いのだが。

 

クロアチアのフェンダー Q pickups

先日、別の記事にも書いたのだが、私はどうも70年代のフェンダーのギターが好きなのである。なんとか手がとどく価格帯の本物のFenderということもその理由の大きなところなんだけれど、そのこともあって70年代のものはケースにしまって後生大事に保管する類のものではないこと、ガンガン実戦投入できて使い倒せるところが良い。そして、この年代のフェンダーはどうもトレブリーで、音が暴れるところがあって、なんとも私のイメージするやんちゃなエレキギターの音がしてくれる。

レコーディングをしたり、バンドのバックでしっかりサポートするような方、ちゃんとギターを演奏されている方にはちょっと扱いづらいだろうことは、なんとなく想像に難くない。アンサンブルの中ではうまく乗ってくれないこともあるし、スタジオでバンドと練習するときに、音が尖りすぎていて、歌のバックで弾いていると、ちょっとうるさいと思ってしまうこともある。けれども、なんとも個性があって、面白みがある楽器であることは間違いない。それに、こいつに慣れてくると、なんとなく扱い方がわかってきて、フェンダーらしい音を作り出すことができる。あんまりベタな言葉で使うのは恥ずかしいのだけれど、「じゃじゃ馬」である。

いろいろ音作りが厄介なところもあるし、重い個体が多いので持ち歩きにも不便な上、弾いていて背中が痛くなってくることもあるぐらいなのだが、好きなのだからしょうがない。普段からメインで70年代のテレキャスターを使っている。

メインで使っているやつは実のところ同時代のテレキャスターの中でも決してアタリの個体でもないんだけれど、そういう風に「アタリ」だとか「ハズレ」だとかいうのもあまり好きでないのでなんの文句もない。楽器は個体差があるのは当然、ある程度のレベルさえクリアしていたら、それは良し悪しというよりも、個性である。人間と同じで、楽器もすこし扱いづらいぐらいが愛着がわく。そういう観点からみると、現行のフェンダー、とくに2000年代ぐらいからの製品はどれもよくできていてどうも可愛げがない。なんの苦労もなくフェンダーの美しいベルトーンが出るし、ノイズも少ない。新しいフェンダーも持っているし、実のところ便利で結構使っているのだけれど、一番のお気に入りはやはり70年代の終わりのテレキャスター。

ギターというものは、どうもネクタイと似たところがあって(首から下げるところとか)、お気に入りを一本だけ持っているだけでは用が足りない。それで、気付いたら手元に40本ぐらいあるというような事態に陥る。

私のかつての同僚は、ギターテックだったんだけれど、いつも仕事の後に工房で自分のギターの修理をしていた。会社に置いてある道具類は、だいたい全部個人所有の機材だったし、そうじゃないものは、とてもじゃないけれど個人で買えるような代物ではないから、会社の工房がギターいじりが出来る唯一の場所であり、勉強のためにもそういう時間と場所が彼には必要だったのだろう。彼は会うたびにいつも違うギターをいじっていたので、「一体何台ギターを持っているのですか?」と聞いてみたことがある。

彼はちょっと考えて、「ストラトのボディーだけでも100ぐらい持ってますかね」とさらりと答えた。

なるほど、私なんかは、まだマシな方なのである。それでも、最近はちょっとギターを所有しすぎなのではないかと思うようになってきたのだけれど。

そんな私の書斎には、自分で組んだパーツキャスターがある。バラバラの部品で組んだテレキャスターである。世の中に出回っているテレキャスターの交換用のねっくの中でも最も太い、 All Partsのネックをつけている。こいつは、 Fender Custon ShopのNocasterのネックよりも太く、かまぼこのようなやつなんだけれど、結構弾きやすくて気に入っている。このテレキャスに付けていたピックアップが、ありあわせのものを使っていたので、常日頃なにか良いピックアップに交換してやりたいと思っていた。

せっかく付け替えるなら、70年代のピックアップをどこかから見繕ってきてつけてやろうと思っていたのだが、そう思っているうちに70年代のピックアップも高価になってしまい(かつてはゴミみたいな値段だったのに)とてもじゃないけれど買える値段じゃなくなってしまった。

それでも、せっかくつけるなら70年代のあのサウンドが欲しい。

そこで、インターネットやら、Ebay、 Reverbを物色していたら、クロアチアで手巻きのピックアップを作っているQ Pickupsというブランドを発見した。ネットの情報によると、お兄さん独りで作っているらしい。これが、かなり安い。オーダーメイドできるのだけれど、市販の出来合いの製品の半額ぐらいで作ってくれる。なかなか評判も良い。願ったり叶ったりである。

それで、Reverbからコンタクトしてみて、

「70年代のフェンダー テレキャスターについているような、ブライトでウエットなピックアップのセットを作ってくれないか?」

とメッセージを送ったところ、とても感じの良い返信をくれた。時差もあるだろうに、日本時間の日中にメッセージを送ってもすぐに返信をくれ、10日足らずで出来上がったピックアップがクロアチアから、私の自宅に届いた。

 

付けてみて音を出してみた。

なかなか悪くない。ボディーやネックが70年代のものと異なるということもあり、私が愛用している70年代のテレキャスターに比べるとちょっとおとなしい音ではあるのだけれど、50年代でも、60年代でもない、確かに70年代っぽい音がする。そして、何より嬉しいことに、フェンダーっぽさがちゃんとあるのだ。最近のフェンダー ノイズレスピックアップのような作り物のフェンダーの音ではなく、70年代の悪どいながらもしっかりフェンダーしているようなあの音の香りがするのだ。なかなか良い仕事をするQ Pickups。

フェンダーの60年代のピックアップも、70年代のピックアップも、作りや部品にあまり違いはないのだろいうけれど、このピックアップはどうしてだかちゃんと70年代の音がする。Q PickupのTihoなかなか良い仕事をする。

欲を言えば、もっと扱いきれないぐらい70年代臭くっても良い。でも、そこまですると、実用向きではないと判断したのだろうか。それはわからない。

今度、こいつをバンドの練習に持って行って、弾いてみようと考えている。いつもよりも、すこしアンサンブルにのりがよさそうなきがする。

嗚呼、ラージヘッド、3点止め、Fender Stratocaster 1974!

フェンダーというギターメーカーは間違えなく世界を代表するエレキギターメーカーである。テレキャスター、ストラトキャスター、ムスタング、ジャズマスター、ジャガー、もう、考えただけでため息が出てくるぐらい魅力的なギターを世に送り出し続けている。エレキギターを弾く人で、フェンダーというブランドを知らない方はほぼいないだろう。

私は、Fenderのギターが大好きである。ギブソンも大好きであるけれど、フェンダーは素晴らしいと思う。なにより、フェンダーがすごいのは、時代ごとにサウンドキャラクターは若干異なるのだけれど、常にフェンダーらしい音がなる楽器を作り続けてきていること。様々なギターメーカーがフェンダーのギターを似せた商品を出しているけれど、それらのギターを弾いた後にフェンダーのギターを弾くと、「嗚呼、フェンダー!」という音がする。他社製品も素晴らしいサウンドが出るモデルはたくさんあるけれど、フェンダーのサウンドは真似しても真似できない。

50年代のフェンダーは高いので、ちゃんと弾いたことはないのだけれど(以前勤めていたお店にあったので、触ってみたことはある)、素朴なサウンドでありながら、やはり今日私たちが知っているフェンダーの音がする。60年代のフェンダーのサウンドが、私たちには一番馴染みがある音かもしれない。60年代も最近は100万円をゆうに超えてしまい、手が出せなくなってしまった。つい数年前までCBS以降なら60万円ぐらいだったのに。

70年代のフェンダー、かつてはゴミ同然の値段で店に並んでいた。新品のフェンダーが20万円代中盤ぐらいだった頃、70年代のフェンダーは10万円前後だった。特に76年以降の重いボディーのストラトなんかは、大抵10万円以下で、店の片隅に邪魔そうに何本も並んでいた。誰も見向きもしなかった。

私は、どうも、この70年代のフェンダーが好きである。今まで、何台も70年代のフェンダーを買ったり売ったりしてきた。その、トレブリーなサウンド、作りの良い加減さ、75・76年以降のやたらと重いボディー、どれを取っても好きである。3点止めのストラトも、嫌いではない。あれは正直フェンダーの設計ミスなんじゃないかと思わせられるところもあるけれど、10年弱あのデザインで作り続けたんだから、それなりに3点止めにしていたメリットもあるんだろう。

70年代のフェンダーは当たり外れが激しい。買っても、そのままでは使えない代物もたくさんある。かつて、ゴミ同然の扱いをされていたもんだから、改造されている個体も多い。パーフェクトな個体をほとんど見たことがない。

私の手元に1974年のストラトキャスターがある。こいつがかなりイケている。73年ぽいシリアルなのだけれど、74年なのかもしれないので、とりあえず74年ということにしている。私は、ギターといえばカントリー音楽しか弾かないので、基本的にフェンダーといえばテレキャスター党なのだけれど、このストラトはなぜかとても気に入っている。なんともストラトらしい音色がするし、ボディーは軽くて持ちやすいし。3点止め、ラージヘッドというところがなにより不遇の時代を乗り越えてきた感があって好きだ。

サウンド、ルックスともに70年代のフェンダーが好きなのだけれど、近年市場価格が上昇している。かつての倍以上、75年以前の個体はかつての3倍以上の値段になってしまっている。かつては、ただの中古ギターだったものが、あろうことかヴィンテージギターと呼ばれて売られていたりする。70年代はヴィンテージ(当たり年)でないところが好きなのだが。楽器として実用でガンガン使えるところが好きなのだが。

そのうち、状態の良い70年代前半のフェンダーも50万円とかになる日が来るのだろうか(いや、ならないか)。70年代のフェンダーは、ケースに大事に保管する類の楽器でないところが好きなのだが。

ちなみに、70年代のフェンダーを愛用しているというギタリストにほとんど会ったことがない。むしろ、70年代のはキャラが濃すぎて使いづらいとおっしゃる方が多い。こういう、みんなに好かれていないところも、妙な親近感が湧いてきてしまう。

オルガンの沼、numa organ

以前にも書いたかもしれないが、私はハモンドオルガンという楽器がどうも好きで、オルガンもののジャズのCDやらレコードを数多く持っている。近年は、ジャズを聴くと言ったらオルガンものばかり聴いている。

ハモンドオルガンという楽器は、もともとパイプオルガンを買えないまたは設置できない貧乏なアメリカの教会にパイプオルガンの代用品として置くために開発された楽器なのだが、そのこともあってか、ゴスペルなんかによく使われている。だから、ジャズで使われる場合も、ゴスペルのオルガンのサウンドを彷彿とさせ、どこかスピリチュアルで、ソウルフルな音楽が出来上がる。おそらく、オルガンもののジャズのそういうところが好きなんだろう。

ジャズのHammond organプレーヤーとして有名なのは、ジミー・スミスが間違えなくナンバーワンだろうが、それ以外にもジャズオルガンプレーヤーは数多くいる。そして、それぞれが独特の奏法や、スタイルを持っていて、個性豊かな世界である。私は、特にリチャード・グルーヴ・ホームズとジョーイ・デフランセスコが好きで、彼らのレコードを特によく聴いている。前者は、左手のベースラインがものすごくドライブしていて、グルーヴがあり(さすがグルーヴ・ホームズ)聴いているだけで、心が高まる。後者は、ものすごいテクニックを誇る当代きってのオルガンプレーヤーなのだけれど、テクニックがどうこうでなく、シンプルにキャッチーでいて、魅力的なサウンドが素晴らしい。それぞれに、出すアルバム出すアルバム全てが必聴の名盤!

それで、私も、いつかはオルガンが弾けるようになりたいと思い、昨年の今頃Nord Electro2というデジタルオルガンを買った。それで、しばらくは満足していたのだけれど、Nord Electro2のオルガンもなかなかよくできているのだけれど、どうも物足りなくなってきた。それは、Nord Electro2のオルガンの音がどうも作り物っぽく聞こえてきてしまったのだ。ろくに弾けないくせに、偉そうなことをいうのも憚られるけれど、このころのNordのキーボードの音源は、よくできてはいるのだけれど、どうも本物っぽくない。いじることのできるパラメーターも無限で、音だけ聞いていると、ほとんど本物のハモンドと区別はつかないのだけれど、レズリースピーカーのシミュレーションをかけると、どうも嘘くさくなる。キークリックのノイズが、どうも作り物っぽい。いや、普通に弾く分には誰も文句言わないだろうレベルなんだけれど、どうも「Hammond organ!!」という気分が出ないのだ。

それで、しばらくNord Electro2は弾かないままになっていた。

そして、ついに、買ってから1年も経たないぐらいなのだけれど、買い換えてしまったのだ。オルガンを。

新調したのは、nordと同じくデジタルのクローンウィールオルガンなのだけれど、Studiologicというイタリアのキーボードメーカーが出しているNuma Organというモデルだ。いやもう、こういう買い物ばかりしているから、私はいつも金がない。

このnuma organ、Joey DeFrancescoのシグネチャーもでるなのだ。このモデルにしたのは、なによりも、Joeyのファンであるという理由が一番なのだが、さすがオルガン専用機、オルガンの音が「それっぽい」。Joeyが本当にこのモデルを弾いていたことがあるのかどうかは怪しいのだが(おそらく、弾いていないと思う)、彼の演奏する Hammond  B3の音のあの感じがよく出るのである。本物のハモンドよりも、すこしおとなしいサウンドではあるんだけれど(それはおそらく、アンプが真空管でないからだろう)、いじっていて、Hammond organの気分が出てくるのだ。

キーボードは73鍵なのだけれど、Hammond B3同様、一番下の1オクターブ分の鍵盤はプリセットボタンとして割り当てられている。だから、実際に演奏できるのは61鍵。この61鍵というところが、ハモンドと同じで良い。一段鍵盤は、本気でオルガンを弾いている人はどうなのかわからないけれど、うちは、Rhodes MK1の上に積んで使っているから、丁度良い。2段鍵盤が必要になるようなシチュエーションでは使わない(そもそも、そんなに弾けないし)。

クローンウィールは、日進月歩なのだろうけれど、私にはこのnuma organが丁度良いサイズだし、音色も好みだし、直感的に操作できるコントロール、そしてなにより、このルックスが気に入っている。Hammond organはアメリカの楽器だけれど、オルガンといえばイタリア製(ファルフィッサ!、バイカウント!)。numa organもイタリアのメーカーの製品なのだが、随所にイタリア製ならではのチッチさがあり、北欧製の高級機Nordとは一線を画す。

Nordの今の商品は間違えなくデジタルクローンウィールの中では最もできの良いモデルだとは思うけれど、なんとなく可愛げがない。このnuma organはデジタル楽器でありながら、どこかこう楽器としての可愛らしさがある。本当にこれデジタルなのか?トランジスタで音源作っているんじゃないか、というような音から、オリジナルB3の行き過ぎたイミテーションまで、なんでもこなせてしまう、B3クローン。

でも、これ、今の時代はたしてどのぐらいニーズがあるんだろう?ハモンドオルガン専用機のデジタル楽器って、俺以外誰が欲しがるんだろう?などと、不安になるぐらい、ハードコア〜な楽器です。

またまた同じようなものが欲しくなる病 Schott 613

以前にも書いたが、私はついつい同じようなものが欲しくなってしまう。

黒のテレキャスターだけで3本、ブロンドのテレキャスターも2本持っている。どうもこう、同じようなものを手元に置いておきたい性分なのかもしれない。

今日は手元にショットのダブルライダースが届いた。長年愛用しているカドヤのダブルライダースも、どこも悪くはなっていないのだけれど、やはり革ジャンならショットが欲しくなる。同じ革ジャンなら、ダブルライダースではなくて、シングルライダースにするとか、もっと防寒性を重視したものを選ぶとか、いくらでも選択肢があるのだけれど、私は革ジャンといえば、ダブルライダースが一番好きなので、ほかのスタイルのものを着てみたいとは思わない。やっぱり革ジャンはダブルライダースに限る。

そもそも、革ジャンを着たいと思ったのは、かれこれ5〜6年前、突然バイクに乗りたくなって買ったのだ。そのころなぜバイクに乗りたくなったかというと、Danny Lyonという写真家の「Bikeriders」という写真集があって、そこに写っているバイク乗り達がとにかくカッコよかったからである。

「Bikeriders」に登場するバイク乗り達は、各々色々な格好をしているのだけれど、その中でも特にかっこいい写真があって、オハイオかどこかの橋を後ろを振り向きながらバイクにまたがり走り去る写真があって、それにやられてしまったのだ。たしか写真のタイトルは”Crossing the Ohio”だったと思う。その写真に収められた長髪のバイク乗りの髪が後ろになびくさま、それを見ただけで痺れてしまった。

とにかく、格好から入る私は、まずバイクではなくライダースジャケットを買った。カドヤのダブルライダースである。バイク乗り用のジャケットだから、皮がもう、ものすごく厚くて、硬くて、これだったらコケても大丈夫なんじゃないか(きっと大丈夫じゃないけど)というぐらいごついやつである。これを、しばらくは嬉しくて昼寝するときもいつも着て、半年もしないうちに体に馴染んでしまった。もう、嬉しくて嬉しくて、外出するときはいつも革ジャンをきて歩いていた。

ライダースは、みんなピチピチのサイズで着るんだけれど、私の場合、腹回りが太いので、ピチピチのサイズだとどうしてもジッパーが閉まらない。だから、サイズは大きめのを着ている。革ジャンというのは、そのまま着ていても、ぜんぜん暖かくない。だから、何枚も重ね着して着るのだ。

写真集に登場する写真で、革ジャンの上からデニムジャケットの袖を切り落としたベストを着ている写真があって、これも、どうしても真似したくなって、同じ頃デニムジャケットも買ってしまった。

なかなか、これを着こなすのは難しい。まだチャレンジしたことはないのだけれど、自宅で着てみたら、妻から「ダサいので絶対にやめろ」とお達しがあった。しかたないので、妻がいないときに独りで自宅の中だけで着てみようかと思っている。

ダブルライダースが2着揃って、満足満足。

Pedal Steel Guitar、ペダルスチールギター、PSG!

ペダルスチールギターという楽器をご存知の方は日本にどのぐらいいるだろう。

かつて日本で、ハワイアンとカントリーが流行ったことがあると聞いたことがある方、その世代の人たちはよくご存知だろう。その世代の人たちはもう60代ぐらいになるのか、いや、もっとわかいのか、よく分からない。私は、流行とは関係なくカントリーミュージックが好きだから、中学時代からなぜかカントリーばかり聴いている。学生の頃一時期ジャズばかり聴いていた頃もあったけれど、今はもうその頃ほどジャズは聴かない。そもそもそれほど音楽を聴かない。悲しいもんである。

それでも、カントリーは今でも聴く。疲れないで聴いていられるから、朝からカントリーを聴いて出勤する。通勤電車でもカントリーばかり聴いている。歌謡曲やら、演歌を聴いていることもあるけれど、カントリーを聴いていることの方が比率としては断然多い。

カントリーはどうも日本では誤解されている節がある。いや、正確に言うと誤解ではないんだけれど、世の中で今カントリー音楽として広く知られているのは、カントリーミュージックのごく一部で、本当はもっと幅広いジャンルだと思う。ウェスタンスイングからはじまって、最近のロック寄りのカントリー、ジョンデンバーのようなフォーク寄りのカントリー、マンドリンやフィドルが入るカントリー、色々とある。あの、バンジョーがテンテケテケテケのブルーグラスとも混同されがちであるが、厳密には別の音楽である。ブルーグラスについては、また別の機会に。

それで、カントリーミュージックといえば欠かせない楽器がペダルスチールギターである。カントリーミュージックあるところには常にペダルスチールギターがある。ペダルスチールギターがないところにはカントリーミュージックはないと言っても過言ではない。

ペダルスチールギターは50年代の終わり頃に登場したのだろうか。詳しいことはわからないけれど、50年代までのカントリーミュージックに登場するスチールギターはほとんどがラップスチール(コンソールタイプであることが多い)である。チューニングを変えることができるチェンジャーがついたペダルスチールギターが一般的になったのは60年代ではないだろうか。詳しいことはわからないけれど、とにかく歴史は浅い楽器であることは確かだ。しかし、カントリーミュージックには、今となっては欠かせないがっきである。

そんなペダルスチールギター、日本ではほとんど情報が手に入らない。ペダルスチールギターについての雑誌などは存在しないし、国内でペダルスチールギターのプレーヤーは何人ぐらいいるんだろう?アマチュアも入れて1,000人いないぐらいではないだろうか。ペダルスチールギターを所有しているという人は結構いるのかもしれないけれど、弾けるという人は身の回りには、自分のバンドのメンバーしか知らない。教えているところも、全然ないんじゃないか。

そんなペダルスチールギターを近頃練習している。なんとか教則本が手に入ったので、それを使って覚えている。つい最近8ペダル・4ニーレバーのダブルネックを手に入れたので、やっと本格的に練習ができるようになった。それまでは、エモンズのシングルネックを持っていたが、ペダルはきちんと3ペダルだったのだけれど、ニーレバーが1本しかなかったので、色々と出せないコードがたくさんあった。4ニーになると、ずいぶん弾けるコードの幅も広がる。目下、全然使いこなせていない。A,BぺだるとEニーレバーしか使っていない。

いかんせん競技人口が少ないがっきなので、もっと他のプレーヤーとのつながりがほしい。奏法の指南を受けたい。目下、月に一度のバンドの練習の時に、リーダーが弾くのを見てなんとなく覚えている。ときどき質問をしたりして、なんとなくわかったようなわからないような気分になっているだけである。

かと言って、どこかに習いに行けるほど時間がない。楽器の練習をする時間すらほとんどないのに、いわんや習う時間はない。かつて、リーダーが会社の近くにいた頃に、もっと習っていればよかった。今になって後悔している。

ファゼイという国内唯一のペダルスチールギターのメーカーがThe Japan Steel Guitar Associationというのをやっているので、それの会員になろうかと思っているのだけれど、はたして私のような初心者でも入会させてくれるのだろうか?会報が年5回出ているというけれど、一体どんな内容の会報なんだろう?

何かご存知の方がいらっしゃったら、教えて下さい。

懐かしのあの店から Barney Kessel “Live at Sometime”

学生の頃は時々ジャズのライブを聴きに行った。

今はビルボード東京だとかCotton Clubとか、いろいろと大物が出るジャズクラブがあるけれど、私が学生の頃はまだそういう店はなかったんじゃないか。いや、あったかもしれないけれど、行ったことがなかった。ブルーノート東京に何度か行ったことがあるくらい。それも、高いから、学生券で聴いたような気がする。

そもそも、学生時代を国立で過ごした私は、東京の西側(多摩地区)からほとんど出ることがなかった。いつも、国分寺のT’sという友人がマスターをやっていた店に行ったりしていた。新宿まで出て行くのも2月に一度くらい。普段なら足を伸ばしても吉祥寺ぐらいが関の山だった。

吉祥寺にサムタイムというジャズバーがあって、今もあるんだろうけれど、そこにはよく行った。月に一度ぐらいは行っていた。サムタイムで五十嵐一生のカルテットやらを聴きに行っていた。当時はジャズ研でトランペットを吹こうと思っていたので、ジャズのライブもトランペットものばかりを聴きに行っていた。五十嵐一生、日野皓正、高瀬龍一、松島啓二を何度か聴きに行った。トランペット以外のライブはあまり聴きに行かなかった。川嶋哲郎をなんどか聴いたけれど、それぐらいか。

サムタイムはいつもスケジュールをろくすっぽ確認しないでふらりと行った。チャージが1,500円と安かったことと、お酒も安かったことも手伝い、学生でも入りやすい店だった。今はいくらになっているのかわからないけれど、とにかく、安くライブが聴けてふらりと入れる貴重なジャズバーだった。

今日、御茶ノ水のディスクユニオンに行ってバーニーケッセルのCDを見ていたら、Barney Kessel “Live at Sometime”というCDがあった。そういうCDがあるということはジャズ研の後輩に聞いていたのだけれど、現物を見たのはこれが初めてだ。ジャケットを見ると、なんとも懐かしいサムタイムの店の壁の前のテーブルにバーニーケッセルが腰かけている写真で、ついつい買ってしまった。

家に帰ってCDプレーヤーでかけてみると、これが案外録音も悪くない。それに、バーニーケッセルだ。間違いない演奏である。あの、なつかしい吉祥寺の店で、バーニーケッセルがライブをやったと思うと、感慨深いものがある。

バーニーケッセルの演奏は、期待通りでリラックスしていて良い。コード弾きでメロディーラインをなぞっていく感じとか、単音で弾くソロも、なんとも渋くて良い。

バーニーケッセルのギターは、サムタイムぐらいの広さの店で聴くのが一番合っているような気分になる。スタジアムやら、野外会場で聴くよりもすこし小さめのハコで、ゆっくりウィスキーでも傾けながら、真剣にならずに聴いていると、この音楽の良さが体に染み渡ってくると思う。

また近いうちにサムタイムに行ってみようかな。

The Poll Winnersの”Straight Ahead”

ギター、ベース、ドラムスのギタートリオといえば、The Poll Winnersがその基本形であり完成形を作ったと言っても過言ではないのだけれど、どうも、ギタートリオについて語るとき、ポールウィナーズを持ち出すのはなんとなく気恥ずかしい。どうもポールウィナーズはど真ん中すぎて、ひねりがない。

しかし、やはりポールウィナーズは良いのだ。間違えなく良い。

なんと言っても、メンバーがすごい。ギターのバーニーケッセル。この人は、ジャズギターの生き字引。ギターでできるジャズの全てをやり尽くしたんじゃないかというほど、なんでもできてしまう。早いフレーズも、ダブルストップも、コードソロもなんだって完璧にこなしてしまう。それでいて、アドリブがとても歌心があり、何度も聴いているうちにくちずさめてしまうくらい心に残る。私は、器用なミュージシャンはあんまり好きじゃない方なのだが、バーニーケッセルは別格。大好きである。バーニーケッセルが嫌いだというギタリストがいたら会ってみたい。いったいそいつは、どんなギタリストが好きなのか。ジャズギターといえば、一も二もなくバーニーケッセルである。

ベースのレイブラウン、ドラムスのシェリーマンはなにもあらためて語るまでもない。常に、ジャズシーンのトップを走り続けていた名手である。それぞれがリーダーとして数々の傑作を出している巨匠である。もう、私が何か語れるような方々ではない。

近頃、暑い毎日が続き、夏バテになってしまい、自宅にいる時間の大半を寝て過ごしている。つねに、だるくて眠たいのだ。そのためかなんなのか、自宅でほとんど音楽を聴かない日々が続いた。音楽を聴く時間があったら、寝て過ごしていたいのである。そのぐらい眠たい。

しかし、昨日、すこし体力が出てきて、ジャズギターの雑誌をみたりしていたら、急にギタートリオを聴きたくなったのだ。それで、急いで御茶ノ水に行って、ハーブエリスのトリオ作を買って聴いてみたのだが、どうも、しっくりこない。ハーブエリスも好きなのだが(彼のシグネチャーモデルすら持っている)、どうも、こう音符が整然としていて、危なげないギタートリオでスリルがない。スリルがないのは、いまの私にはとても喜ばしいことなのだけれど、スリルがないだけでなく、ハーブエリスはちょっと小綺麗なところがある。それが、今の私にはちょっと物足りなかった。

仕方ないので、前から持っているThe Poll Winnersの”Straight Ahead”のCDを引っ張り出してきて聴いてみた。

これが、やっぱり、すごく良いのである。

何が良いかって、まず、トリオとしての安定感。この安定感は、各々が安定しているというのとも違って、各々は比較的自由にやっているのだけれど、トリオとしての全体の安定感がすごいのである。バーニーケッセルが前に出てきたら、あとの二人はそのバックをガッチリ固める。ケッセルがブルージーなフレーズを弾き始めると、あとの二人もピッタリそれに合わせる。ダイナミクスのつけ方も心得ていて、ギターが単音で弾いている横で、レイブラウンが前に出てきて、ビートをリードする。シェリーマンはいつも細かいフィルインをうまいこと混ぜながら、ギターとベースと対等に音楽を作り上げていく。ピアノトリオだと、ピアノの権力がもっと強くなってくるから、なかなかこういう風なバランスにはならない。どうしても、ベースやドラムスがもっとバリバリ頑張ってしまう。頑張って自己主張をしてこないと、ピアノと対等にはいかない。そのおかげで、ピアノトリオの方が音楽のメリハリは出てくるのだけれど、このリラックスした中でのスリリングなインタープレイという図式は出来上がらない。まあ、ギタートリオだって、こういうアンサンブルを実現できるのはポールウィナーズぐらいなんだけれど。

私は、ポールウィナーズのCDを全部で5作持っているのだけれど、この人たち、他にも出しているのかな。とにかく、その5枚とも全てパーフェクトで(曲選とかは、けっこう変なのもあるんだけれど)、ギタートリオって世の中もうThe Poll Winnersだけで十分なんではないかと思ってしまうぐらいだ。

夏バテしている中でも、十分に聴いて楽しめるアルバム。The Poll Winnersの”Straight Ahead”

 

ピアノレスのワンホーンカルテット Art Farmer Quartet “Interaction”

ピアノレスのワンホーンカルテットというのもたまには悪くない。

私はもともとジャズのピアノというものをあまり一生懸命聴いてこなかった。ジャズの世界には凄腕のピアニストはたくさんいるのだけど、じゃあ凄腕だったらかっこいいかと言うと、必ずしもそうではない。ジャズのピアニストには、上手いのだがグッとこないという人が多い気がする。それは、ピアニストが悪いわけではなく、ピアノという楽器のせいであるような気もする。

ピアノという楽器は、両手の10本の指をフルに使って演奏できるもんだから、一気に弾ける音符の数も多い。そのせいもあってか、バンドはピアニストに多くのものを求めがちになる。和音やら、メロディーにとどまらず、メロディーラインに呼応するハーモニー、ベースライン、リズム(ノリ)、バンド全体のダイナミクス、その他多くのものをピアノという楽器に頼ってしまう。そのためもあってか、ピアノがしっかりしていると、他のメンバーがテキトーでも音楽は成り立ってしまったりする。それに乗じて、ピアニストはピアノ一台でいろいろなことをしようとしてしまいがちである。ピアノ一台で、ビッグバンドのようなサウンドを出したり、複雑なリズムを組み合わせて弾いたり、とにかく大忙しである。

私は、きっとそういう大忙しの音楽が好きではないのだろう。大忙しでも、良いものは良いのだけれど、そういう良いのは少ない。どうもテクニックや、実験的な野望のようなところばかりが目立ってしまい、肝心の音楽の面白さが伝わってこない。

そういう事情もあって、ピアノもののジャズはあまり積極的に聴いてこなかった。

今夜も、ピアノレスのワンホーンカルテットを聴いている。アート・ファーマー(フリューゲルホルン)カルテットの”Interaction”というアルバムだ。このころのArt farmer Quartetはジム・ホールがギターを担当していて、ピアノレス編成でやっていたようだ。ピアノが入っていない編成だと、やっぱりちょっとおとなしい音楽になってしまうのだけれど、その分アート・ファーマーの渋い(燻し銀の?)フリューゲルホルンが引き立つ。

ラッパ、ギター、ベース、ドラムスといった編成で録音されたアルバムはあんまり他に持っていないけれど、晩年のチェット・ベーカーも同じような編成で何枚かライブ盤を吹き込んでいる。あれはあれで暗くて好きなんだけれど、アート・ファーマーはもうすこしどっしりと構えていて、音楽が危なげない。音符の数は最小限に抑えられているんだけれど、そこでできることをとことん追求している。それでいて、音楽に無理がなく、面白い。小難しくなく、技巧的でもない。アート・ファーマーもうまいこと考えたもんだ。なかなか、こういう次元で音楽を作りこめる人は少ない。

カルテットのメンバーそれぞれが、「出過ぎない」ように気を使っている様がみてとれる。リーダーのアート・ファーマーに気を使っているのか。それにしては、アート・ファーマー本人も地味である。

決して派手な音楽ではないのだけれど、そこに、一応盛り上がりのようなものもないわけではなく、良いバランスを保っている。アルバム一枚を通してじっくり聴くのはちょっと辛いかもしれないけれど(時々、間延びしたような雰囲気にもなる)、何かやりながら聴くには悪くない。

アート・ファーマー、自分のリーダーアルバムはこういう地味なラッパ吹いているのが多いんだけど、サイドマンとなると、結構吹きまくっていることもあるんだよな。結構気苦労も多かっただろうな。