ほんとうに秋になった日

朝からの曇り空は、すぐに雨に変わり、雨の後には蒸し暑さが残った。その蒸し暑さもすぐに引き、あとはなんということのない涼しい1日だった。

私は、東京の夏が苦手である。夏の到来は、人のこころを上気させるし、それに簡単に乗っかってしまう自分もなんとも情けなく嫌なもんだ。短いような長いような梅雨が明けた日は、一時なんとも清々しい気持ちにはなるけれど、その気持ちもそれほど長く持つことはない。すぐに、いやに蒸し暑い夏がやってくる。

北海道に生まれ育った私には、この梅雨の後にほんの少しだけの清々しさが運んでくる、短くて蒸し暑い本当の夏が身体にこたえる。北海道ではこんなことはなかった。まず、梅雨というものはないし、その後にくる蒸し暑いだけの夏もない。あそこでは、長い春が終わったと思うと、ほんとうに少しだけ暑い夏がやってくる。ほんとうに1週間にも満たない夏は、暑いけれども、その暑さはどこか心地よく、べったりしていない。

こんなことを書いているけれど、もうすでに東京に暮らすようになりかれこれ20年を迎えようとしている。私の今までの生きてきた半分近くは東京での暮らしだというのに、こんなことを今更書いている。

いや、本当は、東京のこの蒸し暑くて、暮らしづらい夏も嫌いではないのかもしれない。ほんとうに夏を楽しめるようになったのは、東京に来て、大人になってからだとすら思っている。一時だけ気分を盛り上げて、その後直ぐにメラメラと燃焼していくというこの東京の夏のスタイルも悪くないとすら思っているのかもしれない。

その証拠に、今年の短かった夏も悪くなかった。

梅雨明けとともに過ぎていったメラメラとそしてじっとりと暑い夜。私たちは、暑い夜の中をどこまでも歩いたり、時々涼しいバーで呑んだり、タクシーに乗ったり、ピアノバーで酒を交わしたりして、それなりに楽しく過ごした。

それが、既に終わったかのような、秋空と、少しだけ蒸し暑さを残した秋の日がほんとうにやってきた。昨日、私たちは夏の最後の日をすごしたの。短かった夏を。

もう、完全燃焼するような歳ではなくなったことに気がつき、そのことにハッとして涙すら溢れてきた。東京に来て、もしかしたら初めて「夏が恋しい」と思ったぐらいかもしれない。

もし、今年の夏をもう一度やり直せるとしても、まあやり直すことはしないかもしれないけれど、去年のまでのいやな感じの夏の終わりとは違った、ゆっくりと、そして突然訪れる秋を感じることができた。こんなことは、生まれてこのかた初めてだったかもしれない。

なぜだかわからないけれど、30代最後の夏を過ごして、ここに来ていまさら、本当の意味で一つ大人になった夏だったと思う。

秋が静かで、厳しすぎない残暑を連れてきてくれることを願って。

アーメン。

 

30代の終焉によせて

昨年の夏の初めに、私は体と心を壊してしまい、3週間ばかり入院をした。

その引き金になったものが何なのかはよく分からない。仕事に打ち込みすぎたせいか、酒を飲みすぎたせいか、女性にうつつをぬかしすぎてしまったせいか、とにかく何もかもがストレスで、生きていくのが嫌になった。たった数日前までは、情熱をもってやっていたことが、突然つまらなくなり、死のうとすら考えた。

死のうとすら考えた。

という言葉を使うような人間は本当に信用できないやつだと常日頃考えていたのだけれど、その言葉をまさか自分が使うときが来るとは思ってもいなかった。

けれども、正確な話をすると、私はその前年の冬にも同じような状態になり入院をしてしまったわけだし、本当のところ何がどうなっているのか、自分でもわからないでいる。自分のことは自分が一番わかっているのだし、一番わからないとも言えるかもしれない。

とにかく、その長く暗いトンネルから抜け出すために約一月の休みをもらった。会社の方々や、家族には多大な迷惑をかけてしまった。そして、自分を深く傷つけてしまった。2年も連続で同じ過ちを繰り返している私は、そこから何を学んだのかというと、全く何も学んでいないのかもしれない。

砂漠をさまよう人間が、ただただ水を求めるように私は周りが見えない中で、ただ何かを追い求めていたのかもしれない。30代の終わりが到来し、焦りもあったのかもしれない。焦ったところで仕方がないのに。

30代の終わりは、感情の死なのかもしれない。もし、感情の死であるならば、私はこれからどのような人間になれるのだろうか。感情が死んでしまっても、私たちは生きることを求め、ただ前を向いて生きていくしかない。そのことを認めるのが嫌で体と心を壊してしまったのだろうか。

もうすぐ40代を迎える私は、幸せに生きることの辛さを、これから少しずつ受け入れて、鈍く、図太く生きていくしかないのかもしれない。

やめてしまいたいことだらけ

このブログには、ずっと正直な言葉を書いてこなかった気がする。

誰に遠慮しているのか。私の近親者もこのブログを読んでいるからなのか、はたまた、このブログにテーマのようなものを作ってしまったためなのか。もしくは、そもそもこのブログにはテーマがないためなのか。

どうも、綺麗事ばかりを並べてしまい、全く自由に書けなくなってしまった。それは、自分に娘ができたためなのか。綺麗事以外のことをさらけ出したところに、やっとものを書くことの意味があるような気がする。

私は、美しいことを書きたいわけではなく、真実を書きたい。それが、誰かを傷つけているとしても、実感を書きたい。本当に生きている自分を書きたい。誰にとっても心地よい文章なんてもんは書きたいとは思わない。

そう思って、10年ほど前に別のブログを書いていたのだけれども、こっちのブログでは綺麗事ばかりをばかりを書いてきた。だから、自分で読んでいても全くつまらないことばかりを書いてきた。ラジオ体操のように健全で、だれにも刺さらない文章ばかりを書いてきた。

もう、そんなことは終わりにしたい。これからは自分の書きたいことを書いていきたい

と、言ってみたものの、書くべきことがないのだ。

昨年の夏を過ぎたあたりからか、いや、もうずっと前からだろうか、私の心には何も残らなくなってしまった。

本を読む習慣をやめてしまったせいかもしれない。酒を飲む習慣をやめたせいかもしれない。薬が変わったせいかもしれない。なぜなのかはわからないが、とにかく私の心に穴があいてしまって、もう何も蓄積されなくなってしまった。

かつて私は、もっとおおらかに人を愛することができる人間だった気もする。気のせいだけかもしれないけれど、このところ数年間、私にはほとんど感情というものがない。何かに打ち込んだり、何かに心を奪われたり、そういう感情をどこかに捨ててしまっていたのかもしれない。

自信を失い、情熱を失い、好きだった仕事も失った。

今の生活も決して嫌なわけではないけれど、黙っているだけでは何も生きている実感がない。駄文を書くことにも面白さを感じなくなってしまった。かつてはあんなに本を読んだり、文章を書くことが好きだったのに。

今の仕事はそこそこ情熱をもってやっている。少なくともそのつもりではあるけれども、ここにいるべきなのかと常に自問自答をする毎日。

ひとまず、一度立ち止まり、

本を読み、

酒を飲み、

今の薬を飲むのをやめてしまいたい。

 

心移りについての追想

もうかれこれ13年ほど前に私は、二十歳の春につきあい始めた女性と6年あまりの交際ののち結婚した。

二十歳。高校を1年留年したのち、大学を一年で中退し、東京の国立市にある大学に再入学したのがその歳だ。

2,000年の3月の末、私は弾けもしないヴァイオリンを一挺肩にかけ、国立の駅に降り立った。ヴァイオリン一挺の他はほとんど着の身着のまま上京した。国立駅前の大学通りは満開の桜に彩られ、春の香りに包まれながら私は父親が借りてくれた、国立音楽大学付属高校の近くにあった、比較的住みやすいオートロックのかかる6畳のワンルームマンションに向かった。音楽を志すわけでもない学生の私がなぜ、ヴァイオリンなんかを持ってきたのかはよく覚えてはいないけれど、手許にあった楽器を何か持っていこうと思い、札幌の家を出発したのは覚えている。

そのヴァイオリンはほぼ一度も演奏されることなく、今でも私の書斎に転がっているのだけれど、産まれてこのかたつい先日までヴァイオリンを演奏できるようになろうなどとは考えたことはない。先般、私は一台のエレクトリックヴァイオリンを格安で手に入れ、時折気まぐれにそのエレクトリックヴァイオリンでデタラメな音階を鳴らしたりしている。そのことに伴い、私が20年近く全く触れていなかった上京時に持参したヴァイオリンを、物珍しさに手に取ることも少なくはなくなった。

こう考えてみると、20年ほぼほったらかしにしてきたヴァイオリンとほぼ同じ時間を私の妻とともに過ごしてきたことになる。

ヴァイオリンと妻を引き合いに出して、何を語ろうというほど大それた考えはないけれど、二十歳の頃の記憶といえば、それぐらいしかないというところが実のところである。

私は現在、楽器屋の端くれであるけれど、楽器というものをとても好いている。自宅には約40台のエレキギターがところせしとひしめいているし、書斎には2台のエレクトリックピアノとオルガン、アップライトピアノを置いている。書斎の物置の中にはトランペットも7台入っている。そこに、つい先日一台のマンドリンも加わった。

楽器をそれほどまでにたくさん所有しているにもかかわらず、私は楽器の練習というものを好かぬ所為か、演奏の方はからきしダメである。いくつ楽器を手に入れたところで一向に楽器の腕は上がらないのである。それでも時折それらのうちの一台を取り出してきて、気まぐれにかき鳴らしたりしてお茶を濁している。

先ほどエレキギターを約40台持っていると書いたが、エレキギターというのは時折鳴らしたり、弦を交換しなくてはどんどん楽器のコンディションが落ちてしまうものなのである。仕方がないので、書斎の文机の横にギターが7本収まるラックを用意し、だいたい月替わりでそれらを交換するようにしている。そのことによって、40台のギターは数ヶ月ごとに一巡し楽器のコンディションをかろうじて保っているのである。

楽器というものは、真面目におつきあいをしようと思うと、メンテナンスにとても手間がかかるもので、本来40台以上所有することを前提には作られていない。一台一台を大切に演奏し続けることが前提で作られているのだ。

それにもかかわらず、私は約20年にわたり「楽器心移り」の持病を抱え、現在このような体たらくである。「楽器心移り」の病は、ここ数日は小康状態を保っているのだけれど、いつ何時また再燃するかはわかったものでない。わかったものでない、ことが萬の病の恐ろしいところである。それに加え、この「楽器心移り」の病は心の病であるにもかかわらず、特効薬がない。

現在、医療がとても進んだこともあり、心の病の多くにはそれぞれの症状に対しての薬が揃っており、持病があっても、薬さえ飲み続けていればほぼ日常生活に支障はない。私自身も、10年以上持病を抱えているのだけれど、社会生活にほぼ支障なく日常を過ごしている。何度かの入院も経て、薬は何度も変わりその度に手探りの治療が続いてはいるのだけれど、幸いにして命には別状ないし、サラリーマン生活に全く支障はないとまでは言えないが、世の中では平均ぐらいの社会人生活を送れている。

それにもかかわらず「楽器心移り」の病にはつける薬がない。この病は、特段命に関わることはないにしろ、多額の資金を要し、家計を圧迫し、居住空間の多くを奪い、家族の生活を脅かすという側面がある。まあ、悪い反面、愛おしい楽器たちに囲まれ幸せな暮らしができるという面もかなり大きいということは確かなのだけれど。

私が楽器屋でやっていく以上、この「楽器心移り」の病とは離れることはできないのかもしれない。まして「断捨離」ということは今までに一度も考えたことはない。

 

話は戻り、妻である。私の妻は私が産まれて以来初めて交際した女性である。私は初めて交際した女性と結婚したのだ。

世の中の人は、やれ「元カノ」だの「元カレ」だの、「今カノ」だの「今カレ」という言葉を使うが、私にはそのような方々は存在しない。いわゆる「今カノ」しか私の人生には存在しなかったし、これから先もそのようであることを祈っている。

その意味で、私はとても一途な人間である。世の中に稀に見る一途である。

それでは、今まで女性に心移りをしたことがないのか、と問われると、それは。そのことについては全く潔白というわけでもない。

人生というものは、人が思っているよりもずっと複雑なもので、世の中で通常流通している尺度が、ほとんどの場合用をなさないものなのである。また、世の中の線引きというものも、多くの場合全く用をなさない。

浮世には数多の美しい女性がおり、「心移り」してしまうのは人の常。

来し方を振り返ると、「心移り」の連続とも言えなくはない。それもまた、心の病といえるのかもしれない。それでまた、この病が発症したのも、約20年前に上京してからのものである。私は、発症が遅かった方なのかもしれない。

なぜ、今日ここでこのようなことを書いているかというと、最近お酒の席で、とある女性と対話をしている中で、この「心移り」の病について打ち明けたからである。

どうも、私は困った病を抱えているようだ。そしてこの病は、程度の差こそあれ継続的に発症するもののようである。と打ち明けた。

 

彼女は、少し考え、グラスに注がれた白ワインを口にし、また少し考え、ポツリポツリと言葉に換えていった。

心移りは人の常、誰しもが多かれ少なかれ持つ病である。しかし、今までに大事に至らなかったのであれば、それはそれでいいのではないか。

という、言葉を期待していたのだが、彼女の口から出てきた言葉はそれとは随分と異なったものであった。

私は、彼女の言葉をうまく飲み込めずに、ただただ飲めない酒を呷った。酒は一時答えを保留にはしてくれたが、未だに彼女の言わんとしたことを私の言葉にすることができていない。もしかすると、彼女の言葉こそ、この心移りの病への特効薬であるかもしれないのに、それが何なのか、わからずにここ半月を過ごしている。

いつもオシャレで粋なTerry Gibbs

テリーギブスが好きだ。あの、せわしなくコロコロと転がるようなヴィブラフォン。衒いなく、と言うのも違う、どちらかというとひけらかし系の演奏なのだが、それが気持ち良いぐらいの見事さ。

テリーギブスは、人気プレーヤーだったので、ビッグバンドの編成のレコードが多いけれど、じつのところ少人数編成のコンボでの演奏の方が好きだ。もちろん、テリーギブスのビッグバンドは大物ぞろいのオールスタービッグバンドなのだから、聴いていても痛快なのだけれど、そういう豪華絢爛なバックを従えての演奏よりも、コンボでの演奏の方が彼の本領が発揮されると思う。

すこし短めのマレットで叩きまくる彼の演奏を見ているのも好きだ。シャツの大きな襟をジャケットの襟の外に出す彼のステージ衣装も、いつも洗練されているようで、粋でかっこいい。

テリーギブスのようにオシャレにヴィブラフォンを演奏できる奏者は他にいないのではないだろうか。

久しぶりにCDラックから取り出して聴いている「My Buddy」というアルバム。このアルバムには彼の魅力が詰まっている。こむづかしいジャズではなくて、聴いていて素直に楽しめるジャズといえば、この一枚。

帰ってきたブルーグラス野郎 ギター、フィドルとマンドリン

このところマンドリンを練習している。

マンドリンはヴァイオリンとチューニングが一緒のソレラミの5度チューニングなので、ヴァイオリンと一緒に練習すると楽だ。楽ではあるが、一向に上達はしないのだけれど、指に運指を覚えさせて、ヴァイオリンの練習も兼ねることができる。

おかげで、ギターはちっとも上達しない。ピアノも全然上達しない。トランペットに至っては、すでに上達をあきらめている。一生のうちに練習できる楽器は限られているのだけれど、私の目的は演奏できるようになって人前で発表することではなく、家でつま弾いて楽しむことなので、これはこれである程度満足している。

満足はしているのだが、欲を言えば、もうすこしギターが上手くなりたい。ギター一台で一曲頭から終わりまで演奏できるようになりたい。できればソロギターでジャズを弾けるようになりたい。ピアノも、ソロで弾けなくても良いから色々なジャンルの音楽を弾き語りできるようになりたい。

そういう目標はとりあえず掲げているのだが、とりあえず、フィドルとマンドリンを練習している。なぜならば、私はここのところひと月ほどブルーグラスにはまっているからだ。ブルーグラスは奥が深い。元来シンプルな音楽でありながら、ブルーグラスのフォーマットでジャズのようなことも、カントリーもクラシックのようなこともできる。それも、メンバー3人もいれば立派なバンドとして活動できるのも良い。

私は、バンジョーが苦手なので、いつか、バンジョーなしでブルーグラスのユニットを組みたいと思ったりもしている。なんなら、ギターとマンドリンと歌だけでも良いと思っている。

ブルーグラスを語れるほど、詳しいことは知らないけれど、とりあえず、ブルーグラスって何?という方には、ビルモンローとモリータトルだけでも聞いてみると良い。

何かと便利なヴァイオリンスタンド

最近購入したZetaのヴァイオリンの置き場所に困っていたので、ヴァイオリンスタンドを買った。アマゾンで1,400円ぐらいだった。

このスタンドの便利なところは弓を一緒に立てかけられること、ヴァイオリンはポンとそこらに置いておくことはできるけれど、弓を置いておく場所がない。ましてや、あまり扱い慣れていない楽器であるから、ポンと置いておいて大丈夫なもんなのかどうなのかもよく分からない。

そういうこともあり、それでは、スタンドがあると便利だろうと思い購入した。

このスタンド、ヴァイオリンだけでなくウクレレやマンドリンも立てられるそうである。ウクレレも、ずいぶん高価なヴィンテージのやつを一台持っているのだけれども、これも、どこに置いて良いかわからなくて、困っていた。仕方がないからいつもハードケースに入れているのだけれども、ちょっと出してきて弾いている時に立てるところがない。こういう便利なものがあるということは知らなかったので、今度、たまに使ってみようかと思っている。

スタンドも、そこそこ場所は取るのだけれど、部屋の角地に置いておく分には、まあまあ収納性は良い。

とりあえず、しばらく使ってみないと実のところ使い勝手が良いのかはわからないけれど。寝る前に練習して、弓を置いておくところがなかったので、枕元に置いておけば、安心だ。

まあ、そんなに熱心にヴァイオリンを練習しているというわけでもないけれど。

ああ、それより、ピアノとギターの練習しなきゃ。ピアノは、なかなかまとまった時間がないと、練習ができないから、明日の休みにでも練習しよう。

おとなしくギターだけ練習していればいいのに、Zeta Violin

私は、どうも楽器というものが好きである。

弾けもしないのに、ペダルスチールギターを持っている。これは、せっかく買ったので、練習しなければなるまいと最近切に思うようになってきて、休みの日にこっそりと練習している。こっそりと練習しているもんだから一向に上手くならない。そもそもがペダルスチールギターは難しい楽器なのである。

ペダルスチールギターも結構まとまったお金が必要なお値段がする。新品で購入したら40〜50万円はするような品物である。当然、新品では買えないから中古で買ったのだが、まだまだ全然弾けていないので、元は取れていない。ペダルスチールギターをバリバリ弾けるようになって、方々のカントリーのバンドから引っ張りだこというのを夢見て買ったのだが、このままでは引っ張りだこはおろか、絶対にバンドから声はかからない。

悲しいもんである。

かつては盛んにトランペットを吹こうと考えていたこともあった。トランペットだけで今まで10本は買った。そのうち7本ぐらいを今でも所有している。所有しているだけで全然吹いていないもんだから、知り合いのジャズトランペッターに長期で貸している。彼は、バリバリステージで私の楽器を吹いてくれている。私のコレクションの中でも最もいい楽器を使ってもらっているから、楽器としても幸せな部類だろう。

ギターも、何本も所有している。これは、弾かなければギターはダメになってしまうので、ローテーションで引っ張り出してきては弦を交換して、それぞれの楽器で練習している。それでも、ギターを練習する時間は平日では殆ど取ることができないので、休みの日にちょこっとだけ練習しているような体たらくである。これでは、ギターを出し入れしているだけのような気分がしてくるのである。

その他にも、グランドピアノのとびきり良いやつを持っている。アップライトピアノも、一般家庭にあるものの2倍ぐらいの値段がするそこそこ良いやつを持っている。ローズピアノも2台持っている。これらも、弾かなければダメになるので、こまめに練習するようにしている。

上記のように、いろいろな楽器を持って入るのだけれども、どれもろくに弾けないのが実情である。練習する時間が取れないので弾く時間がない、と言う意味でろくに弾けないと言うのではなく、ぜんぜん弾けるだけの腕がないのである。要するに、どの楽器もド下手なのである。

そこに来て、また楽器を買ってしまった。

ヴァイオリンである。

ヴァイオリン? あの、 子供が習い事でやるあのヴァイオリンである。

ヴァイオリンって、子供の頃からやらないと弾けるようにならないんじゃないのか?とか、もしかして子供の頃に習っていたの?とか聞かれそうだが、ヴァイオリンの経験ゼロ、全く弾けないのである。

しかし、私は中学時代よりブルーグラスが好きで、人一倍フィドルの音楽は聴いてきたのである。

聴いていれば弾けるのか?

当然、弾けない。弾けないのだが、人一倍フィドルへの憧れはあるのである。そのフィドル界でも最も有名な巨匠、マーク・オコナーのシグネチャーモデルのエレクトリックヴァイオリンを購入したのだ。マーク・オコナーなんて言っても知らない方も多いかもしれない。日本では、ブルーグラスがあまり流行っていないから、彼の名前もそこまで知られていないのだが、ブルーグラスフィドルの世界では、世界一のプレーヤーである。

Zeta Violinというエレキヴァイオリンではトップメーカーのマーク・オコナーモデルである。30年以上前の楽器なのでけれど、新品定価は一体いくらだったのだろう?いまZetaの新品が30〜40万円なので、当時もそこそこしただろう。そのエレキヴァイオリンが、二束三文の値札を付けられてギター屋で売られていたのだ。まあ、二束三文といえども、万の桁だったけれど。

ギター屋曰く、

これ、うちに置いておいても全然売れないんですよ。そもそも、マーク・オコナーを知っているお客さん少ないですし。

ということだった。

購入したらKunの肩当と、立派なケースが付いてきた。純正ケースである。さすがは、ツアーに持って歩く為の楽器である。お家に大事に置いておく類の楽器ではない。だから、ケースもずいぶん持ち歩きのしやすいケースである。

それで、お会計を済ませて帰ろうとしたら、

お客さん、弓、持って帰らないと。

と言うことで、中古の弓もつけてくれた。それも、一度はその辺にあったドウデモイイ弓をつけてくれそうになったのだが、

おい、奥にもっと良い弓あっただろう!!それつけてあげれ、

と言うことで、「もっと良い弓」というのをつけてくれた。

目下、練習中である。練習中であるが、さすがはヴァイオリン、ものすごく難しい。

革紐を買ってきて、四つ編みにして楽器のストラップを自作した

先日、御茶ノ水の楽器屋に行って、ギターのストラップを買おうと物色していた。ブルーグラスやフォークミュージックをやるのに雰囲気が良さそうなストラップを付けようと思っていたので、そういう楽器専門店に出向いてストラップを見ていたのだ。

あのー、バンジョーとかマンドリン用のブルーグラスっぽいストラップってありますか?

と、お店の人に聴いたところ、

ああいう人たちは、あんまり既製のストラップ使っていないんだよね。それも、プロになればなるほど、そこらにある麻ヒモとか革紐とかを使って楽器を持っている。だから、ストラップは商売あがったりなんですよ。

などと、ずいぶん商売っ気がないことを言われた。

それならこれですよ、これですこれです。

と言われていたら、素直にそれを買っていただろうに、そういうことも言われなかった。なんだか少し、残念だった。残念だったが、そのおかげで余計な買い物をしなくて済んだので、良かった。

それで、その楽器屋さんが言うように、ストラップにするための革紐を買ってきて、四つ編みにして、自作の楽器ストラップを作った。日暮里で5ミリの革紐を一本三百円で4本買ってきた。税込み1,296円であった。皮でできた既製のストラップを買っていたらゆうに一万円はしただろうから、いい買い物をした。

目下、どの楽器にこのストラップを付けようか迷っている。とりあえず、しばらくは眺めてみて、どういう風に使おうか考えてみようかと思っている。思い切って、秘蔵のライオンアンドヒーリーのウクレレにでもつけてやろうか。などと考えている。いや、ウクレレに傷がついたら大事だ。やめておこうか、

とりあえず、気分だけはブルーグラス、フォークの世界に浸っている。

Hamiltonの腕時計を手に入れた

1940年代だろうか、ずいぶん古いハミルトンの腕時計を手に入れた。丸一日つけてみたが、どうやら時間は正確に刻んでいるようだ。ひとまず安心。

古いものだから、どこがどうダメになっているかもわからないし、大切にせねばならない。去年の今頃、Lord Elginの同じような腕時計を買って、壊れていた。それで、それはすぐに捨ててしまった。同じようなスモールセカンドで、1940年代だったような気がする。すぐに止まってしまう時計だった。

私は、腕時計には特にこだわりはないのだが、過去数年で、いくつも所有して、いくつも壊してきた。古い腕時計はほんとうに大切にしないと、すぐに壊れてしまうのだ。70年以上も時を刻んできているのに、私が乱暴に扱うせいで壊してしまうのはとても時計に申し訳ない。申し訳ないのだが、時計はコレクションではなく実用のものとして使っているので、普段から付けて歩くし、時にはポケットに入れて作業もする。

そもそも、70年以上前は腕時計も今よりも高価だったかもしれない。その辺はよく分からない。おそらく、そこそこいい値段がしたのだと思う。だから、かなり大事に使われる前提で作られていたのではないだろうか。そのせいか、乱暴に扱うとすぐに壊れてしまう。すくなくとも、乱暴に扱われる前提では作られていないのだろう。

私の手元にComplete Price Guide to WATCHESという洋書があって、そこに古い機械時計の相場が載っているのだが、見てみると、このハミルトンなんかはかなり安い。たくさん作られていたからだろうか。ぜんぜん価値がない。ひょっとすると、これが作られてころにも、たいして高くなかったんじゃないだろうかというような値段である。

けれども、古いフィルムカメラと違って、時計は時を刻めば用をなすから、多少日差があっても動いていれば時計としての価値はある。少なくとも価値はあると私は考えている。高価なものではなくても、70年以上前のものがこうしてまだ現役でいるということが奇跡なのではないかと思う。

明日から早速仕事につけていこうかと思っている。