シャルル・アズナブールとクレイトン・ハミルトン

シャルル・アズナブールを初めて聴いたのは、大学一年生のときだったような気がする。しっかりと覚えていないので、どうだったかは忘れたが、大学一年生でフランス語を選択していて、とても成績が悪かった。あまりにも成績が悪くて、フランス語の時間はほとんど顔を出していなかった。

それでも、フランス語ぐらいできた方が便利だとは思っていたので、いつかはしっかり勉強しなければいけないだろうと思っていた。その、いつか、はいつまでも来ることがなく、今でもフランス語はちっともわからない。わからないけれど、シャンソンをたまに聴いたりしている。もちろん、歌詞の内容はちっともわからない。わからないけれど、なんとなく、良いことを歌っているのだろうと思って聴いている。

そもそも、日本語の歌だって、歌詞カードなんていう便利なものがなければ、何を歌っているのかは、わかるようなわからないような感じである。それでも、ようは足りている。歌詞はわからなくても、良い曲は良い。それで十分だ。

それで、アズナブールである。

大学時代に買った彼のレコードには「ジャムセッションのために」という曲が入っていて、私は、その歌が大好きで、何度も繰り返し聴いた。タララララ、ターッタッタ、タララララ、というスキャットから始まるこの曲は、詳しい歌詞はわからないけれど、街で行なわれているジャムセッションを聴きに行くのが好きだとか、なんだとか、そういう歌だと思って聴いている。

ジャムセッションって、私も何度か参加したことはあるけれど、ジャズのジャムセッションの場合、結構弾けるような人で無いとおいそれと参加できない。私は、ちっとも弾けないから、行くたびに惨敗であった。アズナブールは、この歌の中で、「私はミュージシャンじゃないから」と歌っている。アズナブールほどの名手でもジャムセッションに参加しないのか、いわんや私のようなヘッタッピなぞ、なぜ参加してしまったのだろう。

しかし、ジャムセッションは楽しい。ジャムセッションに参加すると、演奏者の真っ只中で音楽を聴くことができる。一番リアルに音楽を聴くことができるのが、素晴らしく楽しい。

今日、御茶ノ水のディスクユニオンで買ってきた、アズナブールとクレイトン・ハミルトンオーケストラの共演作でもこの「ジャムセッションのために」が入っている。ビッグバンドでこの曲を聴けるのは嬉しい。裏ジャケに、フェンダーローズが写っているので、それも気になって買ってきた。

アズナブールとフェンダーローズ、合わなそうで、案外合っている。とは言っても、一曲でしか使っていなそうだけれど、アズナブールは歌うときに突っ立ってマイクを持って歌うイメージだけれど、若い頃はピアノ弾き語りもしていたようだ。彼のピアノ弾き語りも聴いてみたい。きっと、ピアノもそつなくこなすのだろう。アズナブールがローズで弾き語りをやったりしたらさぞカッコ良いだろうな。

先日、仕事でお会いしたピアニストの方が、自分の師匠はもともとアズナブールの専属ピアニストをしていたという話をされていた。後日、その方は丁寧にも「師匠」がミシェル・ルグランを演奏したCDを送ってくれた。

それが、なかなか美しい曲集で、雨傘のピアノソロ版が入っていた。

アズナブールもルグランも私は大好きなので、嬉しくなってたくさん話をさせていただいた。とても気さくで素敵なピアニストだった。いつか、その「師匠」がアズナブールの伴奏をしているレコードも聴いてみたい。

今夜聴いているCDでは、別の方がピアノを弾いているようだけれど、ゲストでジャッキーテラソンがピアノも弾いてアレンジもしており、専属の伴奏ピアニストよりも、ジャッキーテラソンのほうが目立っている。ローズを弾いているのは専属のピアニストの方みたいだけれど、ジャッキーテラソンも、わるくない。

アズナブールには、生前に全曲ローズで弾き語りのアルバムを作って欲しかった。あ、いや、まてよ、そしたらギル・スコット・ヘロンみたいになってしまってアズナブールらしさがなくなってしまうかも。

憧れのピアニストがやってきた! C. BECHSTEIN Vを弾きに。

10日ほど前に、我が家にベヒシュタインのグランドピアノを迎え入れた話は数日前に書いた。とても愛おしいピアノである。1896年製だから、モダンピアノではあるのだけれど、もはや古楽器の領域にありそうな年代ものである。今までとても大切にされてはきているのだが、当然、いろいろなところにガタがきている。もう数十年前(ひょっとすると50年以上前)にオーバーホールされた形跡があって、そのとき弦も交換されているようだが、それからすでに長い月日が経っている。これからはそうとういたわってあげないと、すぐにでも壊れてしまいそうだ。

早速、書斎で使っていた除湿機をピアノのあるリビングに持って行った。これでなんとか湿度は50%〜60%に落ち着いた。湿度がおちついたとしても、なにせ古いものである。すでにピン板の表面にも、響板にもいくつものクラックがある。あまつさえ、フレームにも小さなヒビが入っている。本当に、心配である。家族のうちの誰かが体が弱く病気がちであるのと同じぐらいか、そのくらい心配である。

それでも、楽器である。演奏しないことには、コンディションが保てない。弾いていないと、ちょっとした楽器のコンディションの変化に気づくことができない。だから、できるだけ毎日弾けばいいのだけれど、仕事から帰ると疲れ果てて、ピアノを練習する気力が湧かない。

そもそも、我が家にはピアノを弾けると胸を張って言える人は一人もいない。娘は全く音楽に興味がないのかもしれないし、妻も、結婚してからピアノに向かっている姿は2度ほどしか見たことがない。これでは宝の持ち腐れである。

それで、とても困ったもんだと思っていたのだけれど、私の好きなジャズピアニストの方に、うちに古いベヒシュタインのグランドピアノが来たと自慢したところ、自宅まで来てくれた。

憧れのピアニストである。

もう、5年ほど前だろうか、それとももっと前だろうか。私は学生時代の友人、佐野大介さんのライブを聴きに行った。そのときは彼と会うのも、10数年ぶりである。ジャズのドラマーになったという話を別の友人から聞きつけ、それではライブを聴いてみようと思い恵比寿のライブスペースに行った。

彼のバンドでピアノを弾いていたのが、彼女だった。小柄で可愛らしいのに、ピアノはパワフルで、ダイナミック、それでいて、まだ少し不器用さが残るジャズピアノを聴かせてくれた。不器用さというのは、正しい表現ではないかもしれない。ものすごく上手いのだが、どこかジャズになりきっていないというか、ジャズに染まっていないスタイルだった。

それから2年ほど、彼女のライブにはほとんど足を運んだ。幸い、妻もよく理解をしてくれていたのか、呆れていたのかわからないけれど、月に5回ぐらいはライブを聴きに行った。

一度、佐野さんと彼女が代官山のレストランでライブをやったときに、妻を連れて行った。ライブの後、佐野さんと彼女に妻を紹介した。妻とは学生時代からの仲なので佐野さんは妻をよく知っているのだけれど、ピアノの彼女とは初対面であった。

娘が生まれたとき、彼女のような素敵な表現者になってほしいと思い、彼女の名前を拝借した。

その、ピアニストが私の自宅で、ピアノを弾いてくれた。彼女がピアノを弾いている間、娘はひたすらお土産でもらった紙相撲に白熱していた。きっと、うちの娘は大物になるだろう。

佐野さんのライブで彼女のピアノを初めて聴いたときから、彼女の演奏スタイルはどんどん進化しているのだろうけれど、はじめに聴いたときにすでにスタイルは出来上がりつつあったし、この5〜6年でメキメキと頭角を現してきている実力派のアーティストになった。パワフルさやダイナミックから、もっと洗練されたタッチになったと感じ、いや待てよ、もともと彼女はこういうタッチだったかもしれんなどとも思った。

横浜モーションブルーでの自身のバンドのワンマンライブ、たくさんのライブハウスでのサックスとのデュオでのライブ、ミュージカルのバンドでの国内外での演奏、など多岐にわたる活動で彼女の音楽の幅は確実に広がったのだろうが、初めに聴いた頃も、ジャズのスタンダードならどんな曲でもサラリと弾いてしまう多彩さはあった。そうだった、初め聴いたときから凄かったのだ。

書斎のRhodesも弾いてもらった。このいつもいじっているRhodesから、こんなにもそれっぽい音が出るんだということを知って、驚いた。私のローズで素敵な曲を弾いてくれた。「素敵な曲ですね。誰の曲です?」と私がたずねると、「今テキトウに弾いてみただけです」と彼女は答えた。

最後に、一曲ベヒシュタインで、私の好きな曲My Foolish Heartを弾いてもらった。間近で演奏を聴けるのはもちろん、わたしにとって特別な体験だけれど、それにも増して、My Foolish Heartって素敵な曲だな、としみじみと感じた。

このピアノが、さらに特別な楽器になったような気がした。彼女のように自在にこの楽器を弾きこなせなくても、せめて、My Foolish Heartのさわりの部分だけでも弾けるようになりたい。そう思っている。

妻がピアノを練習しているところ、初めて見た

我が家には、楽器が沢山ありまして、そのわりに誰も大して楽器の演奏は得意ではない。

我が家にはと書いたが、まあ、ほぼすべての楽器は私が購入したものなので、楽器を弾かねばならないのは私自身なのだけれど、私自身あまり楽器を一生懸命弾いたりはしていない。

ここ10年ぐらい、楽器関係の仕事をしているもんで、商売柄日々素晴らしい楽器に出会うことが多い。仕事だけでなく、実はアマチュアのバンドにも所属しており、そこでカントリーミュージックを演奏している。これだけ聞くと、さぞ何か音楽を盛んに演奏してそうなのだけれど、私自身何か得意な楽器があるかというと、特にこれといって盛んに演奏できるよな楽器はない。

中学2年の頃に、エレキギターというものを初めて手にして、それ以来ギターは爪弾いたりはしているのだけれど、ここ10年以上ちっとも上達していない。むしろ、ギターの腕は落ちている気がする。とても、人前で披露できるようなレベルではない。よく、いろいろな方に会うと、「楽器、音楽の方はからきしダメで」とか言っている人に限って、ちょっとギターを持たせると「神田川」なんかをそこそこ上手いこと弾けたりするもんだが、私は「神田川」すら上手いこと弾けない。それこそ、「神田川」ぐらいいざという時のために練習しておけば良いのだけれど、それが悲しいかな練習しとけば良いような曲はちっとも練習できない。なんとなく、やる気が続かないのだ。

けれども、音楽というものは人一倍好きで、実家の両親なんかはちっとも理解してくれないのだけれど、高校の頃から演歌でもオペラでも何でも好きで聴いていた。高校時代は街に良いコンサートホールが出来たばかりで、高校の先生から演奏会の招待券なんかをもらったり、時々はお小遣いを工面して自分でチケットを買ったりして、そのホールに足繁く通っていた。ジャズのライブにも何度か行ったりして、ジャズの詳しいことはわからないながらも、ジャズというのはどうも心を震わせる音楽であるなぁなどと感じていた。

大学生になり、迷わずモダンジャズ研究会に入り、本格的に楽器を演奏してやろうかとも考えたことがあったが、選んだ楽器がよくなかった。トランペットを選んだのだが、トランペットっていう楽器はそれ自体とても難しい楽器で、ちっとも思うように音は出ないし、音程を取るのも、指使いも難しい。それで、すぐ挫折して、ギターに専念すればよかったのだろうが、結局幽霊部員になってしまい、楽器の練習からは遠のいてしまった。

今考えてみれば、大学時代にきちんとギターを練習していれば、それなりの腕前になったかもしれないのだが、あの頃はギターを練習するということが、一体どのようなことをすれば良いのかがわからずに、結局ちっとも練習せずじまいで長い大学生活は終わりを告げた。

それから、サラリーマンになって、にわかにギターを買い集めるようになった。初めは、つまらない社会人生活のはけ口と言えば良いのだろうか、ストレスの解消の一環として、B級ヴィンテージギター(グレッチとか)を買い集めていたのだけれど、新卒の安月給ではギターなんか買っているとすぐに破産してしまうので、何度も危ないところだった。

新卒では結構堅い会社に入って働いていたのだが、結局5年も務めるまえにやめてしまい、楽器に関わる仕事に就いた。楽器屋というところは、とにかく給料が少なくて、新卒の安月給をさらに下回る、超安月給、東京都の決められた最低賃金よりも数段低い条件で働いていたのだが、それ以来、本当に安い月給、ボーナスなしの職場で今まで働き続けている。今考えてみれば、新卒で入社した時が一番年収は高かったかもしれない。

今の職場でも、サラリーマンをやっているのだけれど、何でこんな給料でここまで働かされているんだと思うような仕事である。今の倍もらったところで、高校の同級生たちの年収には遠く及ばない。それでも、自分の好きな楽器業界で勤めているのだから、仕方がないと半分諦めに似た気持ちで働いている。

そんな、私の生活を支えてくれているのが、妻だ。

彼女は、これといって音楽が好きというわけでもなく、楽器も嗜むわけでもないのだけれども、私が音楽やら楽器が好きだということは人一倍理解してくれていて、世界の誰よりも、そんな私を応援してくれている。私が楽器屋で働くようになって以来、パートに出て働いて我が家の生活を支えてくれている。我が娘も、そんな母親の姿を見て、私の楽器道楽をどうもよく理解してくれているようだ。

今回、古びた、壊れかけた120年もののベヒシュタインのグランドピアノを家に受け入れることを快く了解してくれた妻に感謝しなくてはいけない。彼女がピアノを弾いているところを見たことはほとんどないのだが、全く弾いたことがないわけでもないらしく、ハ長調、イ短調の曲であれば、臨時記号が少なければ初見である程度弾ける。というぐらいの腕前を持っているということが本日判明した。とはいっても、腕前はバイエルぐらいで止まっているようなのだが、バイエルもなにもやったことがない私にとっては、師匠のようなレベルである。

この、古いピアノを買うにあたって、家の貯金をすべて使ってしまったということもあり、私だけでなく、家族みんなにとって、このピアノは家宝である。妻も、大変気に入っているようで、とても珍しく、今日は妻がこのピアノで、練習をしていた。

我が家では珍しい、楽器を練習する風景である。

楽器道楽の私でさえ、滅多に人に見せない楽器を練習する姿である。

楽器とは、生活に潤いを与えてくれるものであることを、ひしひしと感じている。良い楽器は、人の心を豊かにするのである。だから、楽器とは上手い下手だけで語れるものではないのだと思う。

美しい時間を授けてくれたベヒシュタインと、妻に感謝。

 

誰もがBill Evansになれるわけじゃないから

ジャズを聴くかたであれば、誰もがよくご存知のピアニスト、Bill Evans。

私は、実はビルエヴァンスはそれほど得意な方ではなかった。彼のピアノは、なんだかちょっと冷たい感じがするので、聴いていると憂鬱になる。アルバムの一曲目を聴く分にはぜんぜん問題はないのだが、2曲、3曲と続けて聴いているうちになんだか疲れてきてしまうのだ。

だからと言って、弾きまくる明るいピアニストもそれほど好きではない。例えばオスカーピーターソンなんかは、ぜんぜん聴かない。CDやらレコードは何枚か持っていたような気がするけれど、結局買っただけで、殆ど聴いていない。オスカーピーターソンの中では、唯一、一時期好きで聴いていたアルバムがある。Motions & Emotionsというアルバムで、これは何回も聴いた。

ビルエヴァンスはあまり得意ではなかったと書いたが、ローズピアノを買った頃から、たまに聴くようになった。そもそもRhodesピアノで吹き込まれたジャズ(フュージョンとかでなくてね)のアルバムは少ない。ローズピアノで吹き込まれているだけで、ジャズというよりもフュージョンの香りがしてしまうのだけれど、ビルエヴァンスのFrom Left to Rightなんかは、わりとちゃんとしたジャズのアルバムだ。やっぱり少し暗いテイストのアルバムなので、聴いていると陰鬱な気持ちになってしまうのだけれど、それでも良いアルバムであることに変わりはない。

このアルバムと、同じくローズで吹き込まれたハンプトンホーズのアルバムが好きなので、結構な頻度で聴いている。それらのアルバムで聴けるサウンドにかぶれてしまい、ローズピアノを書斎に置いて、時々弾いてみようとはするのだけれど、どうすればああいう音楽が弾けるようになるのか、全くわからない。そういえば、ギターも長年やっているけれど、ジャズギターのアルバム、例えばバーニーケッセルなんかを聴いていても、なにをやっているのかはちっともわからない。当然のことながらジャズギターも弾けない。ジャズで使うギターのコードの押さえ方はいくつか知っているのだけれど、それらを鳴らしてみたところで、ジャズのような響きにはならない。

自宅に、ベヒシュタインのグランドピアノが来てから、ピアノが弾けるようになりたくなり、まあいきなりジャズというわけにはいかないのはわかっていながらも、片手だけでもペンタトニックスケールやら、ツーファイブの昔覚えたフレーズなんかを弾いてみては、いつかは、ビルエヴァンスの曲を一曲でも、テーマ部分だけでもいいから弾けるようになりたいと思うのである。

特に、My Foolish Heartが弾きたい。ビルエヴァンスのレパートリーの中でも最もみなさんが聴いたことありそうな曲、アルバムWaltz for Debbyの一曲目なのだが、この曲のピアニッシモで始まるところがとても美しくて、自宅のC. BECHSTEINの寿命が来るまでには弾けるようになりたい。ビルエヴァンスは、生できいたら、どんな音色だったのだろうか。タッチはどんな感じだったんだろう。音量はどのぐらいで弾いていたんだろう。長年スタインウェイを愛用していたようだが、ビルエヴァンスのレコードを聴くと、このスタインウェイという楽器の器の大きさを感じることができる。キリッとしていながら、音の余韻が濃厚でいて、ちょっと大味なところもあり、耳に残る。ピアノの名器とはこうじゃなきゃならん。

最近の愛聴盤で、John Hicksのエロルガーナー曲集があるのだけれど、それなんかは、演奏はとてもいいのだけれど、ピアノの音が何だか味気なくて、色気がなくて好きになれない。あれは、演奏している楽器のせいなのか、録音のせいなのかはわからないけれど、エロルガーナーのレコードから聞こえてくるような、あの怪しげな凛としたピアノの音ではない。エロルガーナーのライブレコードのうちいくつかはC. BECHSTEINで録音されていて、またこれがクラシックのレコードで聴くベヒシュタインとは一味違っているのだが、あの、調律があっているのか狂っているのかわからないような感じもいい(たぶん、ある程度はわざと調律が狂った状態で録音しているのだが)。

ビルエヴァンスやらエロルガーナーになりきろうというわけではないのだが、ああいう風に88つの鍵盤を自由自在に操り、独自の世界観でスタンダード曲を弾けるように、なれるものならなりたい。あんなに上手くなくていいから。

まずは、少しづつでも、時間を見つけて、ピアノに向かうことのできる生活を送りたい。もう少し、体調もよければいいのだが。

ピアノも弾けないのに鍵盤楽器だらけになった書斎

先日リビングにグランドピアノを入れたため、そこにあったアップライトピアノを一階の書斎に持ってきた。書斎にピアノがあるというと、ずいぶんピアノを嗜んでいる風に思われるかもしれないけれど、私はほとんどピアノが弾けない。弾けるようにはなりたいのだけれど、それが、ピアノという楽器はどうもこう難しい楽器なのである。

もう、ちゃんとしたクラシックのショパンだとかバッハだとかモーツァルトなんかは弾けなくても全く構わないのだが、せめて自分の好きなスタンダード曲の一曲でもまともに弾けるようになりたいと日夜思っている。もちろん、クラシックの曲も何か弾ける方が良いのだとは思うけれど、あの世界はどうもお稽古事の世界のような気がして、気が引けて練習する気が起きない。

私は人にものを習うというのが苦手で、本当に幼少の頃姉がピアノを習っていたので、私もヤマハ音楽教室に通っていたことはあるにはあるのだが、恥ずかしいことにその時代に何をその教室で習ったのかはわからないが、全くと言って良いほど楽譜が読めない。楽譜を読むのはあれは一つの技術であろうから、真面目に取り組んだら読めるようになるのかもしれないのだが、サラリーマンにそういう地道なことをやっている余裕はない。

幸いなことにギターを長年爪弾いてきたせいで、コードについてはなんとなくわかる。わかると言っても、複雑なコードはわからないのだけれど、なんちゃらマイナーセブンだとか、なんちゃらメジャーセブンだとか、アドナインスなんかは音としてわかっているので、弾けと言われれば、ピアノでも大体の場所はわかる。それを元手に、左手でそれらのコードを押さえて、右手でメロディーを弾ければ、ピアノは弾けるようになるのかもしれないが、そのように口で言うのは簡単なのだが、手でやろうとすると、これができない。やはり、人間というのはうまいことできていて、頭で考えることと手が行うことがそれほど密接にはつながっていないのだ。

楽譜が読めない原因は、五線の下とか上とかの音が一体何なのか、読めないのも関係している。ト音記号ならラより下の音になるととたんに分からなくなる。同じく、高いラより上もよく分からなくなる。

ヘ音記号は、基本的に読めない。

かつて、学生時代にトランペットをやろうとして、結局全然吹けるようにはならなかったのだけれど、その時とった杵柄でト音記号をC譜でBb管を吹けるようになったのだ。まあ、簡単な楽譜に限るのだが。

それもあって、右手の楽譜であれば、一音づつならなんとか読める。和音になるととたんに分からなくなる。左手の楽譜はほとんどわからない。

そんな私でも、ピアノがなければそもそも始まらない。

とにかく楽器を持たずして、楽器を演奏できるようにはならない。昨今はデジタルピアノなどという代物があるらしくて、多くの家庭ではそれでお茶を濁していると聞くが、私はそういったデジタルなものは信用しないことにしている。

アップライトピアノはれっきとしたピアノであることに間違いはなく、ハンマーが弦を叩いて音を作っているので、あれは立派なピアノである。デジタルで何ができるかは知らないけれど、ああいうノブを回したりボタンを押したりしたら、全然違う音が出てくるようなものは楽器としては別物である。

私も、デジタルオルガンを使っているのだけれど、あれはあれで良いもんだということは知っている。しかし、本物のハモンドの鍵盤を触ったことがある方はご存知なように、ハモンドのあの音と、デジタルオルガンのあの音とは全く別物である。とてもよくできて入るけれど、所詮は真似した音である。

かつては、NORDのシンセサイザーを持っていて、その中にRhodesの音が入っていて、使っているうちに楽しくなってしまい、本物のローズを買ってしまった。その時から、楽器はやはり本物と、デジタルの間には埋め難い溝があるということに気がついてしまった。NORDのRhodesの音源がたとえどれほど素晴らしかろうと、本物のRhodesは日によって違う音を出してくれる。気分が乗る時と乗らない時ではでてくる音が違う。

ピアノをほとんど弾けない私がこう言っても全く理解してはくれないだろうけれど、本当にそうなのだから、仕方がない。それで、Rhodesは結局ステージとスーツケースの二台を買ってしまった。

世の中っていうのは、そんなに楽器を必要とはしていないのかもしれないけれど、私の部屋に限っては、これだけ必要だったのだ。私の書斎で唯一の88鍵の鍵盤楽器ということもあり、アップライトピアノはなかなか重宝している。

まあ、真ん中のあたりのオクターブしか弾いたことはないけれど。

C. BECHSTEINの澄んだ儚い音色

今日、一台のグランドピアノを自宅に招きいれた。

1896年のC. BECHSTEIN V型というドイツ製のピアノである。もう120年以上前に製造されたこのピアノは、はるばる海を越えて私の自宅に収まった。このピアノの寿命から言っても、おそらく私が最後のオーナーになるだろう。このピアノは大切にしなければならない。

このピアノのオリジナルオーナーが誰かは知らない。39000番代なので、調べようと思えば大体の出荷日等はわかるのだけれど、わかっていることは、このピアノは1896年にベルリンからロンドンに出荷されたということ。そして、その後何年もして遠く海を渡り日本に入ってきたこと、その後何年もある街で大切にされていたこと。そして、あるピアノ工房で大切に保管されたのち、ピアノ工房の方が手放され、今は私の自宅のリビングに収まっていることだ。

120年以上前のものであることと、この時代のベヒシュタインにはよくあることなのだが、鉄骨に小さなひびが入っている。このことからも、このピアノの寿命はもうそれほど長くはないのかもしれない。ひび割れがこれ以上侵攻しないためにも、はやいうちに何か手を打たなければならないのだけれども、幸いなことに、調律はまずまず安定しているようだし、今でも美しい音色を奏でている。極端にピッチをかえたりしなければ、しばらくは落ち着いていてくれると思う。なにせ、このピアノはこの状態でいままで長い年月を耐えてきたのだから。

巻線の感じから見ても、バス弦はオリジナル。ハンマーもおそらくオリジナルだろう。アクションはシュワンダーのアブストラクトアクション。響板には多数ヒビが入っているが、雑音は出ていない。コマも、酷い割れはあまり見当たらない(細かい割れはある)

ピアノ工房の方が、この楽器をとても大切にしていらしたんだろう。経年による傷みはところどころにあるけれど、音色は翳りの付けやすい低音と、甘い中音域、透き通った高音がする。コンサートピアニストがバリバリ弾自宅練習できるような楽器ではないけれど、落ち着いて爪弾くには丁度良い楽器であることに間違いはない。

戦前ではベヒシュタインが最も多くの台数を作っていたのが19世紀の終わりから20世紀の初頭だろうか。当時この楽器はベヒシュタイン社の製造するグランドピアノの中では最小のサイズだったようだ。そのため、生産台数も多い。生産台数が多いとは言っても、今日の国産メーカーほどは製造できなかっただろう。たとえ、当時のベヒシュタインの3つの製造拠点をフル稼働しても。

数多いベヒシュタインのV型でも、私にとってこの一台は特別な一台だ。それは、このピアノは私の故郷の町にもう数十年もあったものだからである。そして、私の故郷の街の調律師さんの何人かはこのピアノについてご存知かもしれない。

このピアノと出会ったのは2年ほど前になるだろうか。

私は、その日あるピアノ工房を訪ねた。その前日に入った楽器店で、この楽器についての話をきいていた。この街でベヒシュタインといえば、あるチェペルに古いベヒシュタインがずっと置いてあった。そのピアノはチェペルがなくなるとともに行方が分からなくなってしまったとの話だった。あるピアノ工房でお茶を飲んでいる時「ベヒシュタイン、見ますか」と言われ、このピアノに出会った。ピアノのケース全体に絵が描かれていて、ローズウッド外装で、お揃いの椅子まで付いていた。「弾いてみて良いですよ」と言われた。右手の3本の指で、ドミソ、と弾いてみた。

私は全くピアノが弾けなかった。ピアノと言う楽器を最後に弾いたのは小学校低学年のときだったかもしれない。それ以来、ピアノという楽器に興味もなかったし、ただの黒い箱であるという認識しかなかった。

学生の頃にジャズ研に入っていた頃、私はピアノには全く興味がなかったが、演奏する時にはピアノの横に立つのが好きだった。ピアノの横に立つと、ベースも近くに立っているので、コード進行がよく聞き取れるしピアニストが投げかける和音の数々が聴こえてきて心地よかった。けれども、自分でピアノを弾こうとは全く思わなかった。ピアノは、もっと音楽がわかっている奴の為の楽器であった。

そんな私を見かねてか、ピアノ工房の方が幾つかの和音を弾いてくれた。即興のメロディーをつけて。

そこから聞こえてきたベヒシュタインの音色に私は一気に引き込まれた。それは、私の知っていたぶっきらぼうな黒い箱からでてきていた音色とは一線を画すものだった。甘く、翳りがあるのに、透き通った音色。それらの一音一音がぶら下り合うように繋がり、左手は幾つかの和音を奏でていた、そして右手はブルージーな旋律を奏でていた。華奢な高音が、今の私たちの聞き慣れている冷たいピアノの音色ではなかった。優しさすら感じるような、ハリがありながらも儚い音色だった。

私は、そのベヒシュタインという楽器が好きになった。

それから、2年ほど

の年月が経ち、私の自宅にその楽器がある。

これから、大切にして、きちんと手をかけてこの楽器の余命を少しでも伸ばしていきたいと思う。そして、私もこの楽器からもう一度音楽の美しさを教えてもらおうかと思っている。

今夜は、この楽器でレコーディングされたアルバムを聴いているが、これが終わったら、ベヒシュタインでレコーディングされた名盤、Eroll GarnerのNightconcert を聴こうと思っている。

Richard Teeの Small StoneとRhodes Piano

近頃落ち着いて家のステレオで音楽を聴くような時間がない。時間がないのは仕事が忙しいせいとか、何か他に夢中になっていることがあるとか、そういったことではなく、自宅にいる時間の大半を寝ることに費やしているからだ。

そのために、家で音楽を聴くことや、楽器を練習したりすることがほとんどなくなった。休みの日などは、一日中予定もなく、言ってしまえば暇なのだが、暇な人間は大抵何もしない。暇な人間は体を動かそうとしない。暇な人間は生産的な活動をしない。何にもしないくせに、やけに「時間がもったいない」などと考えて、何かをしようとして、やはり無駄な時間を過ごしてしまう。

私は、暇なときはやはり何もせずに、ほとんどを昼寝の時間に費やしている。楽器を練習したり、音楽でも聞けば良いものなのだが、そういうこともしない。本を読んだりもしない。全くこれでは、なんのために生きているのかがわからない。楽器の練習もしない、音楽も聞かない、本も読まない。そういうことではろくな人間にはならない。

かつては、かなり熱心に音楽などを聴いていた頃があって、自宅には約3000枚のCDと1000枚近くのレコードがあるのだけれど、これも、最近はめっきり聴いていない。ちょっと前までは「愛聴盤」なるものがあって、毎日のように繰り返し繰り返し聴いていた。Bobby Darinの死後編集されたベスト盤「Darin」やら、 Frank Sinatraの「L.A. is My Lady」なんかは大好きで、それこそ盤が擦り切れるほど聴いた。ビリージョエルの古いアルバムも好きでややベタではあるが「Stranger」なんかも、腐るほど聴いた。

しかし、最近はそれらのレコードもほとんどターンテーブルに乗せることはない。CDも聴かない。音楽といえば、通勤の時にiPhoneで聴く程度か。

しかし、iPhoneで聴く音楽はどうも味気ない。家のオーディオセットで聴く音楽のような「音楽を聴いている感」に乏しい。iPhoneに音楽を入れてしまうと、どうも小さなイヤフォンで聴くように音質がなってしまうせいか、なんだかどれもこれも同じような音楽になってしまう。特に、ドラムやシンバル、ベースの音がほとんど聞こえなくなってしまい、歌やらギターやらうわものばかりが聞こえてきて、音楽を聴くというよりは、音楽を「確認する」作業になってしまう。私の好きなRhodesピアノの音なんかはCDやらレコードで聴くとくっきりと聞こえてくるのだけれど、iPhoneで聴くとなんだかジワジワ、モゴモゴ聴こえてきてしまい、喜びにかける。レコードやCDなどはミキシングの芸術のようなもんなんだから、iPhoneで聴いてもちっともそういう妙味は味わえない。

家のステレオも、そんなに立派なセットを組んでいるわけでもないけれども、最低限そういうミキシングの妙味が味わえるセットにしている。

そんななか、iPhoneでほとんどまともに聞こえなくて残念なのがRichard TeeのRhodesの音だ。先ほども書いたがRhodes pianoの音が好きな私は、ロックのレコードなんかに入っている彼のRhodesの音を聴くとなんだかウキウキしてくる。有名なところではビリージョエルの「Just the way you are」のイントロ、あれが彼の音だ。 Paul Simonの名曲「Still crazy after all these years」のイントロもRichard Teeが弾いている。私は、この2曲のイントロを弾きたいがためだけにRhodesを持っているようなもんなのだ(Still crazyの方は未だに弾けないが)。

彼は恐らくそれらのトラックではFender RhodesをフェイザーSmall Stoneに繋げて弾いているのだけれど、スピーカーはローズのスピーカーから鳴らしているのか、それとも外付けのアンプで鳴らしているのか、いまいちわからない。そもそも、フェンダーローズを殆ど触ったことがないので、果たしてSmall Stoneをつなぐだけでああいう音が出るようになるものなのかどうなのか確認したことはない。

自宅の機材も、Richard TeeにならってFender RhodesとSmall Stoneにすれば良いようなもんなのだが、たまたまRhodes MK1が安く手に入り、それの音が気に入ってしまったので、Rhodes MK1にMXRのPhase 90(これも70年代後期のもの)を繋げて使っている。Small StoneだとなんだかRichard Teeのあの音が出せそうな気もするのだけれど、エレハモのエフェクターはちょっとかかりが強いのが好みではないので、かかりが弱い70年代の MXRにした。

リチャードティーのローズサウンドは上に書いたようなポップスのレコードもさることながら、Stuffのアルバム、Gadd Gangのアルバムでも堪能できる。私は Stuffのファンでも、スティーヴガッドのドラムが好きなわけでもないのだけれど、リチャードティーのローズの音を聴きたいが為だけに何枚かアルバムを持っている。けれど、Stuffのアルバムを聴くとどうしてもRhodesの音ではなく彼のスタインウェイピアノのキリッとした音に耳を奪われてしまう。クラシックのピアニストはあんなに硬質な音を求めないだろうけれど、 Richard Teeの音楽にはどうしても、あのピアノの音が不可欠なような気がする。まあ、もっとも、スタッフの録音の時はなんのピアノを使っていたかは不確かだけど(ライブ盤ではCP−80をつかっていたりするから)。

80年代の名曲のイントロは殆どがRichard TeeのRhodesピアノから始まると言っても過言ではないぐらい、彼の音は印象的でRhodesという楽器の魅力を十分に引き出していると思う。

リチャードティー、一度で良いから、生で彼のRhodesを聴きたかったな。

Chaki P-100にDeArmond Rhythm Chief 1100

このところ楽器の話ばかりで恐縮だが、今日もギターの話である。

以前にこのブログでChakiのギターについて書いたが、実は、Chakiのギターは2台所有していて、一台はP-1、もう一台はP−100というモデルだ。以前、P-1について書いたので、それはこちらの方を読んでいただけると幸いです。今日はもう1台のP-100について。

Chakiというギターのブランドは、比較的マイナーで、大して高価なギターではないので(むしろ安物の部類に入るだろうか)名前もあまり知られていないかもしれない。日本製のギターで、京都のギター工房で細々と作られている(作られていた)。ウッドベースも作るメーカーだから、Chakiブランドのウッドベースはたまに見かけるのだけれど、そっちも高級ブランドではないから、プロがバリバリ使っているのを見かけたことはまだない。

ギターの方は、以前にも書いたけれど、憂歌団の内田勘太郎さんが長い間メインで使っていて、アルバムのジャケ写でも何度も登場しているので、そっちで見たことがあるという方も多いかもしれない。むしろChakiといえば内田勘太郎さんのおかげで有名だというだけで、他のプロの方がバリバリ使っているのを見たことはない。

手作りのギターで、70年台の個体をよく見かけるので、70年代にはそこそこたくさん作っていたのだろう。その頃のChakiの工房にはアーチトップギターで有名な辻四郎さんという製作家が在籍していて、何人体制で作っていたのかはわからないけれど、なかなかクオリティーが高い個体も多い。とは言っても、Chakiの作りが総じて良いかと言うと、必ずしもそうとも言えなくて、フレットがガタガタだったり、ナットがボロボロだったりするやつも見たことはあるから、全部が全部作りが良いというわけではないだろうから、購入される方はその辺を注意したほうが良いと思う。

私の持っているP-100もやはり70年代のもので、懐かしいタイプのグローバーペグが付いている。フレットは、前のオーナーがリフレットしたらしく、なかなか弾きやすい。P-1の方はやけに細いワンピースのメイプルネックなのに対し、P-100の方はスリーピースで太めのメイプルネック、エボニー指板である。

チャキの音はこのメイプルネックが寄与しているとこが大きく、少し硬めの音がする。P-100は指板のエボニーもなかなか良いエボニーが使われていて、タイトでガッツがある音がする。P-1とP-100のモデルの立ち位置はいまいちわからないのだけれど、おそらくP−100の方が上位モデルなんだろう。ボディートップは単板のスプルースが使われている。

Chakiのギターは個体差が大きく、全然鳴らない個体も多い。私は今まで中古市場で約10本、新品を2〜3本見たことがあるけれど、良く鳴る個体は私が持っている2台だけだった。良く鳴るといっても、50年代のギブソンのようなドスン、ポロンとしたなり方ではなく、どちらかと言うとボン、ガラガラと鳴る。特にP-100の方は、低音がすこし暴れる感じがしたので、それが気に入って買ったのだけれど、今はフラットワウンド弦を張って落ち着いた感じにしている。フラットワウンド弦に交換しても、音がこもるようなことがなく、わりと素直な音で鳴ってくれるので、弾いていて気持ちが良い。

フラットワウンド弦に交換したのは、もう一つの理由があって、このチャキにDeArmondのRhythm Chief 1100を取り付けたのだ。このディアルモンドは最近出た復刻版で音はヴィンテージのRhythm Chiefのようなクリアな感じではなく、もうすこし太いながらもツルンとした音が出るのだけれど、ヴィンテージは世の中じゃ10万円オーバーになってしまったので、復刻版にした。このピックアップはそれほどクセが強い音でもないので、これはこれで満足している。もう一つ、DeArmondからはRhythm Chief 1000というモデルも出ているのだけれど、ギター屋のオヤジに相談したら、1100の方が良いんじゃない?ということにして、こっちにした。値段は三千円ぐらいしか変わらないので、お好みで選べば良いかと思う。

このギターで、ジャズの真似事か、ジャンプブルースのような音楽を弾いてみたいと思い、購入したのだが、目下、ただのフォークギターとして使っている。アーチトップはずっとGibsonのL−50を手元に置いて愛用していたのだけれど、最近はもっぱらこのChakiを弾くことのほうが多い。Gibsonと違い、 Chakiはフェンダースケール(ロングスケール)、これが、最初はなんとなく違和感があったんだけれど、同じゲージの弦を張った場合、弦の張りが強い分だけギブソンよりもちょっと力強い音がするようなきがする。ボディーサイズが17インチと大きめながらも持ちやすいので、音量は十分に出るし、取り回しにも便利だ。

こうして、ただのフォークギターとして使っているのももったいないから、ジャズのコード進行でも覚えて、いつかジャムセッションにでも持っていきたいと思っている。まだまだ先は長いのだが。

 

懐かしのあの店から Barney Kessel “Live at Sometime”

学生の頃は時々ジャズのライブを聴きに行った。

今はビルボード東京だとかCotton Clubとか、いろいろと大物が出るジャズクラブがあるけれど、私が学生の頃はまだそういう店はなかったんじゃないか。いや、あったかもしれないけれど、行ったことがなかった。ブルーノート東京に何度か行ったことがあるくらい。それも、高いから、学生券で聴いたような気がする。

そもそも、学生時代を国立で過ごした私は、東京の西側(多摩地区)からほとんど出ることがなかった。いつも、国分寺のT’sという友人がマスターをやっていた店に行ったりしていた。新宿まで出て行くのも2月に一度くらい。普段なら足を伸ばしても吉祥寺ぐらいが関の山だった。

吉祥寺にサムタイムというジャズバーがあって、今もあるんだろうけれど、そこにはよく行った。月に一度ぐらいは行っていた。サムタイムで五十嵐一生のカルテットやらを聴きに行っていた。当時はジャズ研でトランペットを吹こうと思っていたので、ジャズのライブもトランペットものばかりを聴きに行っていた。五十嵐一生、日野皓正、高瀬龍一、松島啓二を何度か聴きに行った。トランペット以外のライブはあまり聴きに行かなかった。川嶋哲郎をなんどか聴いたけれど、それぐらいか。

サムタイムはいつもスケジュールをろくすっぽ確認しないでふらりと行った。チャージが1,500円と安かったことと、お酒も安かったことも手伝い、学生でも入りやすい店だった。今はいくらになっているのかわからないけれど、とにかく、安くライブが聴けてふらりと入れる貴重なジャズバーだった。

今日、御茶ノ水のディスクユニオンに行ってバーニーケッセルのCDを見ていたら、Barney Kessel “Live at Sometime”というCDがあった。そういうCDがあるということはジャズ研の後輩に聞いていたのだけれど、現物を見たのはこれが初めてだ。ジャケットを見ると、なんとも懐かしいサムタイムの店の壁の前のテーブルにバーニーケッセルが腰かけている写真で、ついつい買ってしまった。

家に帰ってCDプレーヤーでかけてみると、これが案外録音も悪くない。それに、バーニーケッセルだ。間違いない演奏である。あの、なつかしい吉祥寺の店で、バーニーケッセルがライブをやったと思うと、感慨深いものがある。

バーニーケッセルの演奏は、期待通りでリラックスしていて良い。コード弾きでメロディーラインをなぞっていく感じとか、単音で弾くソロも、なんとも渋くて良い。

バーニーケッセルのギターは、サムタイムぐらいの広さの店で聴くのが一番合っているような気分になる。スタジアムやら、野外会場で聴くよりもすこし小さめのハコで、ゆっくりウィスキーでも傾けながら、真剣にならずに聴いていると、この音楽の良さが体に染み渡ってくると思う。

また近いうちにサムタイムに行ってみようかな。

The Poll Winnersの”Straight Ahead”

ギター、ベース、ドラムスのギタートリオといえば、The Poll Winnersがその基本形であり完成形を作ったと言っても過言ではないのだけれど、どうも、ギタートリオについて語るとき、ポールウィナーズを持ち出すのはなんとなく気恥ずかしい。どうもポールウィナーズはど真ん中すぎて、ひねりがない。

しかし、やはりポールウィナーズは良いのだ。間違えなく良い。

なんと言っても、メンバーがすごい。ギターのバーニーケッセル。この人は、ジャズギターの生き字引。ギターでできるジャズの全てをやり尽くしたんじゃないかというほど、なんでもできてしまう。早いフレーズも、ダブルストップも、コードソロもなんだって完璧にこなしてしまう。それでいて、アドリブがとても歌心があり、何度も聴いているうちにくちずさめてしまうくらい心に残る。私は、器用なミュージシャンはあんまり好きじゃない方なのだが、バーニーケッセルは別格。大好きである。バーニーケッセルが嫌いだというギタリストがいたら会ってみたい。いったいそいつは、どんなギタリストが好きなのか。ジャズギターといえば、一も二もなくバーニーケッセルである。

ベースのレイブラウン、ドラムスのシェリーマンはなにもあらためて語るまでもない。常に、ジャズシーンのトップを走り続けていた名手である。それぞれがリーダーとして数々の傑作を出している巨匠である。もう、私が何か語れるような方々ではない。

近頃、暑い毎日が続き、夏バテになってしまい、自宅にいる時間の大半を寝て過ごしている。つねに、だるくて眠たいのだ。そのためかなんなのか、自宅でほとんど音楽を聴かない日々が続いた。音楽を聴く時間があったら、寝て過ごしていたいのである。そのぐらい眠たい。

しかし、昨日、すこし体力が出てきて、ジャズギターの雑誌をみたりしていたら、急にギタートリオを聴きたくなったのだ。それで、急いで御茶ノ水に行って、ハーブエリスのトリオ作を買って聴いてみたのだが、どうも、しっくりこない。ハーブエリスも好きなのだが(彼のシグネチャーモデルすら持っている)、どうも、こう音符が整然としていて、危なげないギタートリオでスリルがない。スリルがないのは、いまの私にはとても喜ばしいことなのだけれど、スリルがないだけでなく、ハーブエリスはちょっと小綺麗なところがある。それが、今の私にはちょっと物足りなかった。

仕方ないので、前から持っているThe Poll Winnersの”Straight Ahead”のCDを引っ張り出してきて聴いてみた。

これが、やっぱり、すごく良いのである。

何が良いかって、まず、トリオとしての安定感。この安定感は、各々が安定しているというのとも違って、各々は比較的自由にやっているのだけれど、トリオとしての全体の安定感がすごいのである。バーニーケッセルが前に出てきたら、あとの二人はそのバックをガッチリ固める。ケッセルがブルージーなフレーズを弾き始めると、あとの二人もピッタリそれに合わせる。ダイナミクスのつけ方も心得ていて、ギターが単音で弾いている横で、レイブラウンが前に出てきて、ビートをリードする。シェリーマンはいつも細かいフィルインをうまいこと混ぜながら、ギターとベースと対等に音楽を作り上げていく。ピアノトリオだと、ピアノの権力がもっと強くなってくるから、なかなかこういう風なバランスにはならない。どうしても、ベースやドラムスがもっとバリバリ頑張ってしまう。頑張って自己主張をしてこないと、ピアノと対等にはいかない。そのおかげで、ピアノトリオの方が音楽のメリハリは出てくるのだけれど、このリラックスした中でのスリリングなインタープレイという図式は出来上がらない。まあ、ギタートリオだって、こういうアンサンブルを実現できるのはポールウィナーズぐらいなんだけれど。

私は、ポールウィナーズのCDを全部で5作持っているのだけれど、この人たち、他にも出しているのかな。とにかく、その5枚とも全てパーフェクトで(曲選とかは、けっこう変なのもあるんだけれど)、ギタートリオって世の中もうThe Poll Winnersだけで十分なんではないかと思ってしまうぐらいだ。

夏バテしている中でも、十分に聴いて楽しめるアルバム。The Poll Winnersの”Straight Ahead”