音楽の閻魔様 Tony Rice 「The David Grisman Quintet」

趣味でギターを弾くのだが、20年以上弾いているのにとても腕は拙い。とても人に聴かせられるようなもんじゃない。これは、もとよりあまり熱心に練習していないので仕方がない。練習なんぞしなくても、20年も手元に楽器があれば、ある程度弾けるようになりそうなもんだが、楽器というのはどうもそういうもんではなさそうだ。

練習はしているのだ。「熱心に」練習していないのである。

この「熱心に」というのは説明するのが難しいのだが、例えば、一つのフレーズが弾けるようになりたくて、弾けるまで何度も繰り返し練習する。初めはゆっくりのテンポで弾けるよう、出来るようになったらだんだんテンポを上げて練習する。そういうのが熱心な練習の一例だ。

私は、そういうことができない。せっかちなのである。「だいたい」弾ければそれでいいのである。この「だいたい」とはどれぐらいだいたいかというと、人が聞いてそれと分かるほどしっかりとした程度まで弾けなくても、自分さえ弾けた気分になればそれでいいのである。

そういうことだからいつまでたっても上達しない。

まあ、それでも、程度の差こそあれ、世の中のギターを趣味としている人たちの6割ぐらいが私のように、「だいたい」弾ければ良しとしているのではないだろうか。だいたいでも自分が気分良くなればそれでいいのである。その拙い演奏を聞かされている家族や身の回りの人間には気の毒だが、楽器なんていうものは、もともと出てくる音色の9割9分は拙い演奏なのだ。それからだんだん練習して上達して、一部の上手い演奏が生み出される。それでいいのだ。

その1分の割合の上手い演奏が録音として残っていて、レコードプレーヤーなんかで鑑賞できるというのは、とてもありがたいことなのだと思う。

今日、The Tony Rice Unitの「Devlin」というアルバムを聴いていて、そんなことを思った。

まあ、このThe Tony Rice Unitの演奏はギターのトニー・ライスをはじめとして、名人揃いである。技巧的にも音楽的にも一分の隙間もない演奏である。どうだ、マイッタかこのやろう。というような完璧な音楽である。それを好きかどうかは別として。

この演奏が退屈だと思う人もいるかとは思うけれど、これを聞いて「拙い演奏だなー」と思う人はまずいないだろう。完璧主義ともまた違った、完成形がある。バンドの編成自体が少人数なので、音に隙間ができそうなもんなのに、そういう隙はなく音が詰まっている。それでいて、リラックスしている雰囲気すらある。こういうのが名人芸と呼ばれるもんなんだろう。

トニー・ライスはミュージシャンとしてはもう超一流で、素晴らしい音楽を繰り広げている。ブルーグラスの伝統にとらわれることなく、ブルーグラスの文脈を引き継ぎながらもジャズ・フュージョンの要素その他、色々な音楽の要素を取り入れ新しい音楽を発表し続けている。こう言う土壌からこっち方面のムーブメントが湧いてくるというのはすごいことだと思う。そのムーブメントはThe David Grisman Quintetの同名アルバムに端を発しているのだろうけれど、超一流の楽器プレーヤーが新しい音楽を奏でると、一気に音楽が完成するのだろうか。

The David Grisman Quintetはデビューアルバムから凄い。このアルバムの音楽がなければ今のブルーグラスはもっと狭っ苦しい音楽になっていただろう。ギターはトニー・ライスが弾いている。自信に満ち溢れた、説得力のあるギターである。

どこで、どれだけ練習したらこんな上手いギター弾けるようになるのか全くわからん。きっと日々「熱心に」練習していたのであろうな。これからなんぼ練習してもこういう世界にたどり着くのは絶対に無理だ。感覚自体が違う。ブルーグラスの基礎を押さえた上で、こういう他の音楽に幅を広げなければならないなんて、想像を絶する。

まあ、一方で、こういう素晴らしい音楽をやってくれて、アルバムを残してくれているんだから、リスナーとしては安泰だな。もっと突き進んだ演奏を聴きたければ、トニー・ライスが自身のアルバムでやっているから心配ない。

突き進んだ演奏を聴こうとすると、必ず泥沼にはまる。このThe David Grisman Quintetまさに、泥沼にはまる寸前の音楽だ。泥沼への入りぐちあたりがこの世の最高の音楽を聴けるのかもしれない。泥沼にはまって、どっぷり浸かっちゃったような音楽より、危険なところに足を踏み入れているところの音楽がスリリングで良い。本当の意味で、そのような音楽に出会えることは死ぬまでないかもしれないし、それは死ぬときなのかもしれない。

そして、演奏者としても、そのような泥沼の入り口あたりが、演奏がこの世の最高の音楽を奏でられるところなのかもしれない。トニー・ライスはこのアルバムを前後して新しい音楽の世界に飛び込んでいった。彼の音楽はその後どんどん発展して行ったけれども、この「The David Grisman  Quintet」での演奏が、一つの頂点と言えるかもしれない。

楽器が上手い方々はそれでも、楽器一台席抱えて、その世界に飛び込めるか?

ぜひ、飛び込んで欲しい。後に何も残らなくても別にそれで構わない。

各トラックの演奏時間が短いハードバップの名盤 Jimmy Smith 「Crazy! Baby」

医者に通っているのだが、病院というのはずいぶん待たされる。診察までにゆうに45分は待たされる。診察の予約時間の10分前ぐらいまでには受付手続きをしに行かなければならないので、必然的に1時間ぐらいは待たされる。

仕方がないので、本を読んだりして待っているのだが、いつ呼ばれるかもわからないので、なかなか本にも集中できない。そもそも医者の待合室というのはどうも落ち着かない。あれじゃあ、いかがわしい店の待合所にいるのと変わらないんじゃないか。なんとか改善して欲しいところである。

もとより私は待ったり、長時間おとなしく座っているというのが苦手である。クラシックのコンサートなどで、静かに座って聞いているのも苦手だが、おとなしく待つ、という時間はもっと苦手だ。ロックのコンサートでさえ、なんだか立たされているのが耐えられなくて、よく途中で抜け出す。ジャズのライブなんかも狭い店が多いので、狭い席に座っているというのが苦手だ。満員電車はいうまでもなく、ありゃ誰だって苦手だろう。

そういう、せっかちな私は、 小説なんかも長いやつは苦手である。おのずから短編ばかりを読んでいる。新書なんかも、一冊読み通せるかどうかの瀬戸際である。とにかく短いに限る。まあ、短ければなんでもいいっていうわけではないけれど。

川端康成の掌編小説を集めた文庫「掌の小説」というのがある。長くても10ページ短いやつは2ページ(原稿用紙5枚ぐらいか)ぐらいの、優れた掌編小説が100編以上収められているのだが、あれなんかも読み通せるやつと、途中で投げ出してしまうやつがあるくらいだ。

3ヶ月ぐらい前にちくま新書だったかの「カント入門」という、一見お手軽にカントの哲学を勉強できそうな本に挑戦したが、敗れた。最後まで一応字は読んだが、全く頭に入らなかった。あれなんかも、落ち着いてじっくりゆっくり読み進めて、わからないところは調べながらやっていけばある程度はカントの哲学に入門できたのかもしれないが、私はそういう忍耐を持ち合わせていないので、全くわからないまま、ただ字を追いかけて、耐えて耐えて最後のページにたどり着いた。

サラーっと三日ぐらいでああいう本を読んだところで、もとよりカントなんかを理解できるはずはないのだけれども、それでも、もっとしっかり読み込めば、わからないなりにも何かを得ることはできよう。私には何もわからなかった。カント以前に、「カント入門」を読めなかったということがわかった。「カント入門」の門の敷居は高いということだけはわかった。それをわかるための本としては良かった。

そういったことは、ジャズやロックのアルバムでも同じことが言えて、長いトラックは苦手である。特にジャズなんかは10分を超す演奏が1トラックに収められているのはざらである。LPレコードなら、片面2曲とか、そういったけしからんことが平気に行われている。10分間の演奏ならば、ソロ回しが8分ぐらいある。ライブでも8分のソロ回しは長く感じるだろう。演奏にもよるけれど。

例えば、マイルス・デイヴィスの「In a silent way」なんかはA面に1トラックだけ、18分16秒である。18分を通して聴くのはなかなかパワーがいる。A面の1曲目くらいは、短くてさらっとしたのを入れて欲しいところだ。まあ、「In a silent way」はとても素晴らしいアルバムだから、このA面も何とか頑張って聴き通すことはできるし、楽しめるのだが。それでも、体力がいることには変わりない。

その点、一曲ごとの演奏時間が短いアルバムは良い。何より手軽に楽しめる。手軽でいて、決して演奏そのものが軽いわけではない。短いトラックの名演奏も当たり前だけれど存在する。

Jimmy Smithの「Crazy! Baby」は各トラックが短くて簡潔でヨロシイ。1曲目の「When Johnny comes marching home」は約9分と長いのでなかなかしんどいのだが、この際聴き飛ばして仕舞えばいい(とても熱い素晴らしい演奏なのですが)。その他は各曲5分前後の演奏なのでスルスルと聴くことができる。

何よりもスタンダード曲を何のてらいもなく、かつジミー・スミスらしく演奏しているのが良い。凝ったアレンジではなく、キメも定番のやつで、ジャムセッションのようにシンプルに仕上げている。

ジミー・スミスのトリオが端整で良い。息が合っているし、Donald Baileyのドラムがきっちりとビートを刻む上で、オルガンのジミー・スミスが結構のびのびと、濃い味付けで、クドイぐらいに演奏していて良い。ギターの Quentin  Warrenもバッキングは控えめながらも、ソロになるとソウルフルで良い。あんまりギターのソロとっていないのだけれど。短いソロの中でやりたいことを存分に表現しているようで良い。

ジミー・スミスがあんまり小難しいことをやっていないのも、ここではよく出ている。ジミースミスって、デビューした頃の演奏聴くとちょっと騒がしくてイマイチ好きになれないのだけれど、このアルバムとかVerveでケニー・バレルとグラディー・テイトとトリオでやっているアルバムは好きだ。特にVerveのやつオルガントリオの一つの完成形だと思う。

ハードバップのアルバムは、ダラダラと長くソロをとるレコードが結構あるんだけれど、このぐらいの演奏時間のトラックでいい演奏もたくさんある。

名盤が多いジミー・スミスのアルバムの中でも「Crazy! Baby」は各トラックが短いジャズの名演奏が詰まっている。

Tom Harrell入門盤  Bill Evans 「We will meet again」

好きなトランペッターはたくさんいるけれど、中でもチェット・ベーカーとトム・ハレルは特別だ。

チェット・ベーカーについては別に機会に書くとして、トム・ハレルについて今日は書きたい。

とは言っても、書くべきことがはっきりと思いつかない。彼について、何を語るべきなのか、自分の言葉で表現できるのかがわからない。トム・ハレルのトランペットは個性はあるけれど、派手ではないので書きづらいのだ。

まず、彼のトレンペットの魅力はその音だ。暗く、さっぱりとしていて、枯れたような音色。けっして煌びやかな音色ではないんだけれど、トランペットという楽器の魅力を十分に伝える音色だ。一言で言うと、いぶし銀のような音色だ(曖昧すぎるか)。

トムハレルのソロはあまり高音は使わないで中低音を中心に展開されるのだが、ハイノートを吹いても、それがキラキラピカピカしない。シブいという表現がぴったりなハイノートである。中低音も、一音一音が、霧の中から紡ぎ出されるような音である。

テクニックは物凄くあるだろうし、音の数自体は少ないわけではないのだけれども、彼のトランペットは寡黙である。時につぶやくように、熱くなっても声高にならない。不要なひけらかしはない。ソロの時も盛り上がりはあるのだけれども、その盛り上がりは派手さやガジェットによるものではない。あくまでも彼の言葉の文脈上の盛り上がりである。

これは、音楽的にはとても高度なことなのだろうけれど、聴いている私にとっては、難解だという印象は受けない。彼の音楽を理解しようというよりも、彼の音楽を感じようという気分にさせられる。難解という印象よりも先に、彼の出す音色、フレーズに聴き入ってしまうのだ。

ビル・エヴァンスか彼のアルバム「We will meet again」でトム・ハレルをトランペッターに起用しているが、このトランペットが、アルバムのムードを作り上げている。もちろん、リーダーのビル・エヴァンスが音楽を構築しているのだけれど、彼を筆頭とした極上のリズムセクションの中でラリー・シュナイダーのサックスと、トム・ハレルのトランペットがほどよく絡みあい語り合う。

このアルバムは4曲目の、スタンダード曲の「For all we know」を除いては、全曲ビル・エバンスのオリジナル曲で構成されている。50年代のビル・エヴァンストリオがよく演奏していた曲と、70年代に入っての曲が混ざっている。

ここでのトムハレルは、比較的饒舌である。饒舌とは言っても、リー・モーガンのような熱く、明るく、パリパリ、シャキシャキした感じではなく、クールに曲を盛り上げる。ラリー・シュナイダーのサックスがしなやかにイキイキとソロをとるのに合わせて、トムハレルも華があるソロをとる。それでいても、彼のトランペットは暗く、枯れたような響きだ。ビル・エヴァンスの曲自体が暗いということもあるけれど。

トム・ハレルのリーダーアルバムを何枚か持っているけれども、彼のアルバムはだいたい全曲彼自身のオリジナル曲で構成されている。とてもコンセプトが決まっていて、よく作り上げられたアルバムが多い。その点、少しこむづかしい音楽になっていて、するっと聞き流せるようなものは少ない。どのアルバムも魅力的なのだが、聴くのにこっちも覚悟がいる。

彼のアルバムの中にもとっつきやすいやつが幾つかあるので、それは後日紹介しよう。トム・ハレルを初めて聴くのには、この「We will meet again」がお勧めだ。

もちろん、リーダーのビル・エヴァンスも素晴らしい。フェンダーローズピアノなんかも顔を出して、ビル・エヴァンスの安定した魅力を発揮してくれる。

Take me out to Bethlehem ハワードマギー 「チェリー味の人生」

ベツレヘムというジャズのレーベルのレコードは20代半ばにあるまであまり聴かないできた。

どちらかといえば、 ジャズといえばPrestigeやBlue Note、 Savoyなんかのアルバムを中心に聴いてきた。いわゆるジャムセッション的な内容のアルバムが好きだったのもあるけれども、CD化されているアルバムの量がPrestige、 Blue Noteは圧倒的に多かったのもその理由だ。  VerveもCD化されているアルバムが多い。

CD化されているアルバムは、いわゆる名盤や定番が多いからあまりハズレがない。だから安心して聴いてきた。

数年前から、ベツレヘムのアルバムの廉価版のCDがたくさん出てきた。それに乗っかって、試しにベツレヘムのアルバムを買って聴いてみた。Howard McGhee、Ruby Braff、Jonah Jones、Charlie Shaversを聴いてみた。トランペットのリーダ作ばかり何枚か買って聴いてみた。ギターものも何枚かは買ってみたけれど、とりあえずトランペットのリーダ作を重点的に聴いてみた。

結論として、ベツレヘムは内容がよくまとまっているアルバムが多い。いわゆるジャムセッションものではなくて、ちゃんとアレンジされているものが多い。編成も比較的大人数なものが多い。ストリングスものも多い。

私が持っているものもがストリングスものに偏っているというせいもあるけれど、どのアルバムも、よくできていて結構聴かせる。アルバムを一枚通してなかなか聴かせる。

特に、Howard McGheeの「Life is just a bowl of cherries(チェリー味の人生)」なんかは、吹きまくるバップトランペッターのイメージがあったハワードマギーがストリングスをバックに静かに聴かせる。決してトンがることなくメロディーを朗々と唄う。

彼の別のアルバムで、Blue Noteの「Nobody knows you when you’re down and out」でも彼の朗々としたトランペットを味わえるけれど、この「Life is just a bowl of cherries」の方がソフトでファットでダークなトランペットをじっくりと聴かせてくれる。大人のアルバムに仕上がっている。ハワードマギーのトランペットのダンディーな一面を十分に味わうことができる。

けれども、一方でちょっとわざとらしさというか、作り物くささがあるアルバムなんだよな。確かに、いいアルバムなんだけれど。ここまでアルバムが良く出来上がっていて、ハワードマギーが危なげなく吹いているのを聴くとちょっと興ざめであることは否めない。ハワードマギーのアルバムには一曲ぐらい攻めの曲が入っていてほしい。テクニック的にどうこう言うような曲というよりは、もっと毒のある曲があっても良い。

今まで買ったベツレヘムのアルバムの中では結構多くに、この作り物くささがある。

けれども、そういうアルバムも持っていて損はないということも、一方では確かで、時々聴きたくなる。こういう危なげないよくできたアルバムを。そして、気がついたら愛聴盤になっていたりするんだよな。

ブルースの泥臭さ、粘っこさをほんのり感じる Lou Rawls 「Live」

ブルースの香りが強いアルバムはどうも暑苦しいアルバムが多い気がする。爽やかなブルースのアルバムというのもないわけではないけれど、たいていは暑苦しい。

戦前のブルースの一部や、ラグタイムなんかはそうでもないけれど、シカゴブルース、テキサスブルースの50年代以降のやつなんかは熱演が多いせいか、爽やかという類の音楽ではない。

ブルースというジャンルに入っていなくても、ジャズやソウルのアルバムでもブルースの香りが強いと、だんだん爽やかという世界から遠ざかる。どちらかというと、泥臭く、粘っこい音楽になりがちだ。

そんなことをLou Rawlsのアルバム「Live」を聴いていて思った。

このアルバムは、ジャズ専門のレコード屋で購入した。Lou  Rawlsはジャズシンガーというよりも、 R&Bやソウルシンガーとして知られているのかもしれないけれども、このアルバムはジャズのバンドをバックに歌っている。それでも、内容は泥臭いブルースのアルバムに仕上がっている。

ギターのHerb Ellisがブルージーなフレーズをバッキングで入れていて、あれ、ハーブエリスってこんなにブルース臭いギター弾く人だったっけ、と思ったりする。

それでも、ジャズのスタンダード「The shadow of your smile」や「The girl from Ipanema」なんかもやっているので、一応ジャズのアルバムと分類されているのだろう。けれども、それらの曲でも、ブルースを思わせる節回しが出てきたり、ノリもジャズというよりもブルースに近い。

そのせいもあり、かなり暑苦しくなりそうなところではあるけれど、不思議とそこまで暑苦しくもない。まあまあ、程よい暑苦しさである。だからこそ、ブルース独特の泥臭さや粘っこさを再確認した。

十分熱いアルバムではあるんだけれど。けれど、そこにジャズのちょっとモダンな響きが加わり、ブルースとしては暑苦しい部類ではない。ジャズとしては、ちょっと泥臭い部類だけれど、いわゆるハードバップの暑苦しさではない。

こういうアルバムを、どういうタイミングで聴こうかと、ちょっと扱いに困っていたのだけれど、改めて聴いてみると。そこまで聴くシチュエーションを選ぶようなアルバムではなかった。

どんな時にでも聴いて心地いいとか、聴いてリラックスできるという類のアルバムではないけれど、ジャズを聞き飽きた時や、本気の「どブルース」アルバムを聴こうという気分になれない時なんて聴いてみると新たな発見があると思う。ブルースとはもしかして本来結構楽しいもんなんじゃないか、とか、ジャズのフォーマットでブルースをやると、こんなに雰囲気が変わるんだなあ、とか思いながら聴いている。

それと、このルーラウルズというおっさんは物凄く強いビートを感じる。ジャズの人たちがいう「スイングする」という言葉があっているかもしれない。バックのバンドも物凄くスイングする。

そういうこともあって、このアルバムは「ジャズ」のアルバムとして扱われているのだろう。

そういう、どっちつかずのアルバムは、扱いに困ることもあるが、案外このアルバムのような名盤も多い。

贅沢な癒しを提供してくれるBobby Darinの I won’t last a day without you

音楽に癒しを求めることは悪いことじゃない。

音楽を一生懸命にやっている人の中には、「俺の音楽は癒しなんかじゃない」という方もいるかもしれないけれど、それはやっている側の意見で、受け止める側にはそれぞれの受け止め方があっていい。

「これは、絶望を表現した音楽です」なんて言われたって、その中に希望を見出せるリスナーだっていてもおかしくない。むしろ、プレーヤーやプロヂューサーなんかが意図した形とは違う受け取り方がしやすいのは音楽のいいところの一つだと思う。

例えば、フリージャズなんかは、はっきり言って普段聴かない人には何が何だかわからない。ノイズなんかもそうだろう。ああいう音楽は、受け止める側に委ねられている場合も多いので、より一層、自由に自分の感受性の思うままに音楽を感じればいいと思う。

だから、疲れた時に聴く音楽と一言で言っても、様々な音楽でありうる。人によっては、ヒーリングミュージックとしてそれ専門に出ている音楽を聴く方もいるだろうし、クラシック音楽だったり、ジャズだったり、場合によってはヘビメタを聴いて落ち着くというのもあるだろう。そういう私も、疲れた時だからこんな音楽を聴くと決めているものはない。

逆に、これを聴くと必ず癒されるという音楽もない。いくらヒーリングミュージックとして売られている音楽でも、聴いていて嫌になってしまうことはあるし、時にはゴリゴリのジャズ、ハードバップなんかを聴いて癒されることもある。松田聖子を聴いて癒されることもある。

けれども、癒される確率が高い音楽は存在する。

Bobby Darinが歌う「I won’t last a day without you」がそうだ。

この曲はオリジナルの、カーペンターズの歌ったバージョンが有名だ。名ソングライターのロジャーニコルスとポールウィリアムスの共作だ。

毎日毎日たくさんの見知らぬ人に会わなければならない。私と関わりのない人たちと。それに、耐えられるほど強くはないんだ。

だから、この世界にいつも私のことを想ってくれて頼りになる人がいると思えることはとても嬉しい。そして、あなたはいつもそこにいてくれる。

という歌い出しの歌詞からして、都会の暮らしに疲れた私を励ましてくれるかのようでいい。

カーペンターズのバージョンもいいけれど、ボビーダーリンのバージョンはちょっとけだるくて、レイドバックしていて、優しくつぶやくようで気に入っている。ボビーダーリンはどんな曲を歌わせても上手いシンガーだけれど、この曲のアレンジは特に彼の歌のスタイルに合っているのだと思う。バックバンドにホーンもストリングスも入っていて、バックコーラスも入ってとても豪華なアレンジメントだ。

ジャズのスタンダードや、ミュージカルの曲、ポップスやフォークのカバー、何を歌わせてもボビーダーリンは上手い。レイチャールズのようにソウルフルに歌えるし、フォークソングの素朴さも出せる。ビッグバンドをバックに歌っても映える。こんな器用なシンガーはなかなかいない。そんなに器用でいながら、彼にはスタイルがある。

そういう、素晴らしいミュージシャンが提供する「癒し」は安定感がある。「いつでもどこでも癒しに行きます!」というような力強さすらある。

「I won’t last a day without you」は「Darin 1936-1973」という彼の死後リリースされたアルバムの1曲目に入っている。このアルバムでは、ボビーダーリンの様々な側面を聴くことができる。入っている曲も様々なスタイルの曲で、カーペンターズのカバーだけでなく、ランディーニューマンやボブディランの曲もカバーしているし、彼の代表曲にもなったジャズのスタンダード「 Moritat」も入っている。所謂コンピレーションアルバムの位置付けでありながら、一枚のアルバムとして通して楽しめる。

「I won’t last a day without you」を聴いて、余力があるときはアルバムを最後まで聴いている。

「Grant Greenのオルガントリオ」の魅力が詰まったクインテット作 「Am I Blue」

Grant Green、John Patton、 Ben Dixon、のトリオやこの3人がリズムセクションをやっているアルバムは、間違いない。グラントグリーンの ハードバップ時代のサウンドの一つの完成形がこのトリオでの録音だと思う。

グラントグリーンは様々なオルガンプレーヤーと共演しているギタリストだ。John Pattonの他にもBaby Face Willette、Jack McDuff、Larry Young。彼らと演っているアルバムも良い。それぞれが個性派ぞろいのオルガンプレーヤーである。名盤も多い。その中でもJohn Pattonと共演しているアルバムを推す。

グラントグリーンがお好きな人は、「Live at Lighthouse」なんかのもっとファンク色の強いアルバムの方が良いというかもしれない。確かにあれもすごい。すごいけれども、聴いていてちょっと疲れる。熱い演奏は聴いていて疲れるもんだ。

その点、ジョンパットン、ベンディクソンとグラントグリーンは熱くなっても、騒がしくない。おそらく、グラントグリーンが音数の少ないプレーヤーであるというのに併せ、ジョンパットンがノリはいいけどやや控えめなオルガンがいいんだろう。ソロも、不器用な感じがするぐらいあんまり派手なことはやらない。というよりも、ジョンパットンのソロは、ほぼシンプルな単音フレーズと、それらのフレーズの繰り返しによって成り立っている。けれども、絶妙なところで入ってくるバッキングも不器用な彼のソロも、オルガンジャズの魅力に溢れている。

そこに、ベンディクソンのドラムが絡む。ベンディクソンはきちんと盛り上げるドラマーである。すごく派手なドラマーじゃないけれども、曲にきちんとアクセントをつける。タメの効かせ方なんかは、もの凄いものがある。

グラントグリーンの寡黙でありながら雄弁なギター、ジョンパットンの不器用でありながら美味しいところを押さえているオルガン、絶妙なアクセントをつけてくるベンディクソンのドラムのバランスが、聴いている者を心地よくしてくれる。

このメンバーでの演奏をとりあえず、一枚聴いてみたいという方にオススメのアルバムはGrant Greenの「Am I Blue」。トランペットにJohnny Coles、テナーサックスにJoe Hendersonが入っています。フロントの二人ももちろんソロをとりますが、ソロの尺も短めで、管楽器がバリバリいう感じのジャズではなくて、ブルージーで、ゴスペル調の曲もあり、ほのぼのした感じがしてきます。

あくまでも、グラントグリーンがリーダーで、管楽器の二人はホーンセクションのような立ち回りをしているけれども、そのアレンジがまたこのアルバムのリラックスした雰囲気を作っている。グラントグリーンが弾くリードギターっていうのもとてもシンプルで自信に満ち溢れていていい。

このトリオで、もっとアルバム作ってくれたらよかったのに。

まあ、いつまでもこのサウンドばっかりもやってられなかったのだろうけど、Blue Noteレーベルの宝石のようなトリオです。騒がしくも、静寂でもないジャズ、これがジャズのある意味最も美味しいところなんじゃないかと近頃は思うのです。

結構難しそうなことをやっているけれども、すんなり聴けるアルバム。Johnny A “sometime tuesday morning”

Johnny Aという人については詳しく知らない。スティーブヴァイに見出されてメジャーなアーティストになったということは聞いたことがあるけれど、こういうわりと畑違いというかブルース、カントリー、ロカビリーの匂いをさせるようなギタリストを見つけ出せるのもすごいな。スティーブヴァイと共演もしているらしいけれど、その音源は聴いたことがないのでわからない。きっとすごいんだろうな。

よく知らないけれども、このアルバムが素晴らしいアルバムであることは確かだ。どのように素晴らしいかというと、聴いていて疲れない。ちょっとジャズの香りがするサウンドに、ブルースやカントリーの要素が混ざり合って、気怠く、落ち着いた音楽に仕上がっている。

相当なテクニックを誇るギタリストなんだろうけれども、そのテクニックをこれ見よがしに披露するのではなく、あくまでもアルバムとして「大人な」感じに仕上げてあるのがいい。ギターのサウンドも、まるでアンプに直接プラグインしているかのように生々しく、どこか小さなクラブでギタートリオを聴いているような感じがする。

アルバムはJohnny Aのオリジナル曲が大半を占めるのだが、グレン・キャンベルが歌った名曲「Wichta lineman」や、ビートルズの「Yes it is」などの名曲のカバーが数曲収録されている。

カバー曲の選曲もそうだし、アレンジがこのアルバムに合っている。オリジナル曲とカバー曲のバランスが良く、アルバムをかけっぱなしにして一枚を通して聴ける。

ブライアン・セッツァーとダニー・ガットンとベンチャーズに、ちょっとジミヘンみたいなロックの要素を加えて、そこにジャズのいいところを加えたような音楽と言ってしまうとJohnny Aに失礼なのだが、どんな音楽なのかをざっくり言ってしまうとそんな感じだ。

しかし、このアルバムでのJohnny Aが上にあげたミュージシャンと少し異なるのは、スタイルがちょっとお洒落で、アレンジがジャズ寄りなところだろう。コードの鳴らし方も、ロックなサウンドの中でアクセントとしてテンションを鳴らすというよりも、全体の流れの中にジャズっぽいテンションコードが駆使され、アクセントとしてロックな味付けをしているといった感じだ。

そして、その音楽が嫌味でなく、大げさでなく、むしろどこか親しみやすいのが不思議なことだ。決して難解でない。純粋に音楽として楽しめる。じっくり聴かなくても、小さな音でかけて聴き流す事も出来る。

ギタリストのリーダーアルバムで、インストのアルバムだから、ギターに興味がないっていう人にはちょっと敷居が高いと思われるかもしれませんが、ロカビリーやカントリーのテイストの入ったロックがお好きな方にはオススメです。

適度に騒がしくないアレンジメント Milt Jackson Orchestra “BIG BAGS”

気分をスカッとさせたい時にビッグバンドのジャズを聴くという方もいると思う。私もカウントベイシーなんかを聴くときは、なんだかバッティングセンターに行くような気持ちで、「よし、こりゃいっちょやってやろう!」なんていう訳のわからないテンションで聴いたりする。

カウントベイシーの音楽は、元気があるときのストレス解消なんかには丁度いい。たまにバラードなんかが入っていて、それもいい箸休めになって、自分が演奏しているわけでもないのにいい汗がかける。

まあ、一言にビッグバンドとは言ったって、ボブミンツァーみたいなものもあるし、なんとも言えないのだが。かくいう私はさほどビッグバンドジャズに詳しくはない。友人で学生時代にビッグバンドでベースを弾いていた奴がいるので、彼に色々教わって聴いたりもしたのだが、ちゃんとアルバム一枚通して聴いたのはあまりない。何故なら、疲れてしまうのだ。

このブログでは、できるだけそういう疲れてしまうような音楽は取り上げない。もっと、カウチに座ったり、座布団に寝そべったりして聴いて、じっくり集中しなくても聴けるようなものを紹介したい。何故なら自分自身、疲れて気力が湧かない時、仕事から帰ってリラックスしたい時、ただ単に音楽を聞き流したい時に丁度いい音楽を求めているからだ。いつもがいつも音楽と全力で格闘できるわけではない。時には、音楽が流れるのに任せておいて、自分はゆっくりしたい。だからといってどうでもいいような音楽じゃ物足りない。

そこで、第一弾として紹介するのが、Milt JacksonのBig Bagsというアルバムだ。

できるだけ騒がしくない音楽から紹介したかったのだが、いきなりビッグバンドジャズとなってしまった。しかも、Milt Jacksonはヴィブラフォン奏者でもかなり音数が多めのビバップとかそういう系の人だから、一見、騒がしいジャズを期待するアルバム。Roy Ayersとかそういう人のアルバムならもっと、都会の洗練とベルベットのようなサウンドを手に入れることができそうなのだが。

しかしながら、このアルバムは少々くたびれている時でも聴ける。7曲目までなら特に。

確かにアレンジメントをしているTadd Dameronと Erie Wilkinsは結構ビシビシバシバシ系のアレンジを書いている。このアルバムだって「Star Eyes」のアレンジなんかは、カウントベイシーオーケストラを彷彿とさせる音楽で、ドラムのConnie Kayもどんどん攻めてくる。8曲目の「Star Eyes」以降は結構うるさい。この辺からエキサイトしてきて、ちょっと騒がしいジャズになってくる。

けれどもアルバムとしては、何かしながら、例えば本を読みながらでも聴いていられる音楽に仕上がっている。それは、Milt Jacksonのリードが程よく抑えられているからだろう。抑えられていると言っても、手を抜いているというわけではない。むしろフレーズは澱みなく出てきているし、すごくスリリングなヴィブラフォンを聴かせている。

けれども、そこをやりすぎないで、ちょうどいいところで音楽を作っている。泥臭くなりすぎないし、バリバリしすぎない。けしてサラリとした音楽ではないのだが、音楽をごり押ししてこない。どちらかといえば、バックのビッグバンドがちょっと前に出てきていて、ミルトジャクソンは、控えめな印象を受ける。この人、そんなに控えめな演奏する人でもなかったと思うけれど。

一言文句があるとしたら、私の手元にあるCDでこのアルバムを聴いていると、ボーナストラックとして「Round Midnight」と「Star Eyes」の別テイクが入っているのだが、それがそれぞれの曲の後に続けて入っている。同じ曲を2回続けて聴かされるのだ。これは、ちょっともったいない。

私は、  CDにボーナストラックとかは要らないと思うのだ。アーティスト(アーティストとは奏者なのか、プロデューサーなのかはその時その時で変わるが)が意図した通りにアルバムが聞ければそれでいいではないか。

まあ、そういう問題は置いておいて、都会の喧騒に疲れた大人のための ビッグバンドジャズとして、「Big Bags」は悪くない。