Jz Club 上海で素晴らしいマティーニを飲んだ

上海のJz Clubに行ってきた。

夜10時からテナーチームのライブがあって、それを聴いてきた。

何よりも、素晴らしかったのは、Jz Clubのマティーニが美味しかったこと。今まで飲んだマティーニのなかで一番素晴らしかった。マティーニ一杯で1600円ぐらいしたけれども、まあ、旅先での出費だから、お財布には痛いけれど、その価値はあった。素晴らしいバーテンダーがいる。黒いシャツに、黒のダブルのベストを着た、素晴らしいバーテンダー。

演奏も良かった。テナーサックス二人がリーダーで、特にピアノが良かった。上海のジャズシーンは六本木のジャズクラブぐらいレベルが高い。聴いているこっちが圧倒されてしまう。こんなに圧倒されたのは、いつか御茶ノ水  Naruで五十嵐一生のライブを聴いた以来か、そのあと、森田珠美のライブを聴いて以来か。

とにかく、Jz Clubは良かった。

明日から、マティーニの上手いバーテンは日本に行くというから、残念だけれど、また滞在中に行きたい、

私だけのお気に入り Blue Mitchell “Stablemates”

ジャズのアルバムを買うのは難しい。

全部試聴してから買えばいいのだろうけれど、そんな暇があったら、ジャケットを眺めたり、サイドマンやら、収録曲で適当にアタリをつけてとりあえず買ってみるほうが、好みのレコードにあたる可能性が高まる。そもそも、ジャズのアルバムは玉石混交で似たような内容のものが数多存在するので、その中でお気に入りの一枚を見つけるのは難しい。

いわゆる名盤とか呼ばれていない、一見地味なアルバムが、とっても自分に響いてくることもある。だから、そういうやつをいちいち試聴していたら、日が暮れてしまう。よく、DJの方々なんかが熱心に試聴してから購入していたりするけれど、あれは、それなりの知識があって、「どうもこれはすごく良いらしい」という情報をもとにアタリをつけてから試聴しているからできるんだと思う。詳しいことはわからんが。

そういう知識があんまりない私は、とりあえず「名盤100」とかのシリーズから数枚を買って聴いてみて、気に入った演奏があれば、それを演奏しているメンバーの名前を覚えたり、曲名を覚えたりして買ったり、ジャケットを見て良さそうだったら買ったりしている。予備知識があって買っているアルバム7割、残り3割はジャケ買いだ。

だから、良いアルバムに当たる打率は低い。演奏は素晴らしくても、ものすごく上手くても、自分の好みに合わないのが大半なのである。これは、一生懸命演奏していただいた方々には申し訳ないのだが、味覚みたいなもんで、こっちには好き嫌いがある。いくらおいしく調理していただいても、いくら高級食材や、その土地の名物を使ってくれても、好みに合わないものは仕方ない。

それでも、世の中良くできているもので「名盤100」とかのシリーズは、確かにどれもそこそこ味わい深く、聴ける。いい意味で万人受けするアルバムが多いのだ。ジャズ、というと、なんだかこだわったほうが良いのではないかと思いがちな私を、ジャズの名盤はリセットしてくれる。

ジャズは、こだわんないで、名盤だけ聴いていればあるいみ間違いない。間違いなく、楽しめる。そりゃ、名盤と呼ばれているジャズレコードの8割ぐらいはお好みに合わないものかもしれないけれども、それでも、半分くらいはお好みに合わなくても楽しめる。音楽とは不思議なもんだ。お好みに合わなくても楽しめちゃうことがある。けっこうな割合である。

だから、名盤だけ買っていれば安泰なのだけれど、そういうわけにもいかないのが人情である。「駄盤」と呼ぶと失礼だが、そういう、よく分からない評価が定まらないレコードの中に本当に自分の好みにぴったりのものが見つかることがある。これは、外出していてふらっと入った店を気に入ってしまうことがあるのと同じような感覚で、なんとなく、自分の好みに合いそうな聞いたこともないレコードを買ってみて、「やっぱり良かった」、「すごく良かった」ということが稀にあるのだ。この喜びは筆舌に尽くしがたい。

自分だけのお気に入りだと思っていたレコードについて、ジャズが好きな友人にこそり話すと、「あれ、良いよね」なんて言われることがある。「なんだ、こいつまで知っていたのか」と驚くのだが、そういうアルバムは「隠れ名盤」とか呼ばれている。その、自分だけの「隠れ名盤」を探すのがジャズレコード鑑賞の一つの楽しみなのだ。

だから、名盤だけを買っているだけでは、そういう裏の楽しみを味わえない。別に楽しめなくても一向に構わないし、幸せな人生は待っているのだけれども、それだけで終わる人生はなんだかつまらない。秘境に足を踏み入れてこそ、人生の醍醐味を味わえるかもしれない。ジャズレコードにはそういう罠が潜んでいる。

そういう罠をくぐり抜けて生きているのがジャズを回すDJだろう。彼らは、秘境の奥深くまで入り込み、徳川埋蔵金のようなレコードを発掘してくる。CD化されていないような「隠れ名盤」をしこたま発見してくる。

しかし、隠れ名盤は、多少贔屓目に評価していることも忘れてはいけない。自分だけのお気に入りだから、多少の粗は気にならなかったりする。それでも愛せるかどうか、が真の愛なんだと思う。

今夜はその、真の愛の中から、Blue Mitchellの「Stablemates」を聞いている。1977年になって、ジャズなんてとっくのとうに見切りをつけていたと思われていたBlue Mitchellがアルバム一枚、ストレートアヘッドなジャズを吹き込んだ名作である。

なんだかよく知らないけれど、Buddy Emmonsは知っている。

昨年の春にスチールギターを買って、練習しようと試みた。試みたが、ダメであった。普通のギターもろくに弾けないのに、スチールギターは私には複雑すぎた。

スチールギターというか、ペダルスチールをいきなり購入した。

これもいけなかった。

さらに複雑すぎた。

普通のギターもろくに弾けないのに、ペダルスチールはスチールギターのなかでもさらに複雑で全然理解できなかった。

しかし、楽器というのは、理解よりも先に、何か曲を練習したほうが習得には役に立つので、今後も、モチベーション次第で、ちょこちょこ練習して、簡単な曲で良いので一曲は弾けるようになりたい。とは思っている。

なりたいが、このままではいつまでたっても、弾けないであろう。なぜなら、複雑すぎるからである。

ペダルスチールギターが、家の大きな飾りとなってしまっている。こんなに存在感のあるオブジェは珍しい。

ペダルスチールギターといえば、なにはともあれとりあえずバディー・エモンズである。というか、ペダルスチールギタープレーヤーのリーダー作はバディーエモンズしか持っていない。というか、ペダルスチールプレーヤーの名前は、バディーエモンズぐらいしか知らない。

カントリーが好きだから、もちろん、他のプレーヤーの演奏も聴いているのだけれども、名前まで覚えている人は少ない。それなのに、ペダルスチールギターを買ってしまった。なんて、愚かなんだろう。

それで、とりあえずバディーエモンズを聴いている。この人は、カントリーと言うよりも、もっと幅広いジャンルで活躍しているので、ひとことでどんな演奏とは言えない。言えないのだが、あえて言葉に表現すると、ペダルスチールギターという楽器を駆使し、それまでギターでは鳴らせなかったようなコードを巧みに、自由自在に操り、まことに勢いよく音楽を奏でる人である。

全然、言葉にならなかった。

とりあえず、聴いていただけると、凄さがわかっていただけると思う。というよりも、バディーエモンズの名前を知らない方でも、60年代ぐらいのカントリーを聴いたことがある方は、知らず識らずのうちにこの人の演奏を耳にしているだろう。ペダルスチールギターという楽器を今の形にしたのは、この人である。Sho-BudもEmmonsもこの人が中心になってできたブランドだ。

今でこそ、ペダルスチールギターという楽器はカントリーじゃメジャーな楽器であるけれども、そういう風になったのは、ひとえにこの人のおかげだと思う。それまでは、ペダルなんて便利で複雑なものは付いていなかったから、いろんな和音を出すために、ネックが4つも付いているスチールギターなんかを使っていた方もいる。スチールギターっていう楽器そのものがもう、和音を前提にしている楽器だから、こういう複雑なことになる。

そういうもともと複雑な楽器を、さらに複雑にしたのが、このバディーエモンズという偉人である。巨人である。コロッサスである。スチールギター界の太陽のような人である。この太陽がまぶしすぎて、私のように、ペダルスチールギターに明るくない人間ですら名前を知っていて、CDも持っている。あまつさえ、ペダルスチールギターまでも買ってしまった。

そういう人のレコードを夜な夜な聴いている。

ジャズ初めての人に胸を張って勧められるアルバム Chet Baker 「It Could Happen to You ~ Chet Baker Sings」

チェット・ベーカーは若いころハンサムだったから、なんだか音楽の部分で割り引かれて見られているともう。私が勝手に言うのも失礼だが、損しているともう。若いころのチェットって、あらためて聴いてみると、とても心にしみる音楽をやっている。

人気があったことは確かだし、トランペッターとしての腕も確かだから、当時からそれはそれは高評価されていただろうけれども、これがもっとブサイクな顔をしていたら、聴衆にもっと純粋に音楽を聴いてもられたと思う。ブサイクだったら雑誌の人気投票では上位には入らないかもしれないけれど、それでもやっぱり高く評価されていると思う。

若いころのチェット・ベーカーはなんだか、「いい男」部分が強調されてしまい、アルバムのジャケットなんかがどうも安っぽくなってしまっているような気がする。まあ、中身もそんなに硬派な感じじゃないのだけれど、チェット・ベーカーは硬派じゃないからいいのだ。

歌も、歌えちゃったりするから、どうもそういう軟派なイメージがついてしまっている。音楽自体は40代にヨボヨボになってからの音楽と変わらないのだけれど、若いころはパッケージのせいか、どうもその軟派さに磨きがかかっている。磨きがかかっていて、一見つるつるピカピカしてしまっている。本当は若いころからいぶし銀系の音楽をやっているんだけれど。チェット・ベーカーの若いころのレコードがいぶし銀と評されることはほとんどないんじゃないか。

勿体ない。

例えば、「It could happen to you~Chet Baker Sings」なんて、歌もののレコードなのに、歌が、なんだかナヨナヨしているから、軟派なレコードだと思われがちだ。本職のはずのトランペットのソロもやけに短い。トランペットを吹いていない曲さえある。確かに、これは一聴して軟派なレコードである。

しかしながら、やっている音楽は案外渋い。リズムセクションはやけに豪華で、ノリノリだし、チェットの歌も(スキャットも)ノリノリである。ノリノリでいて、ノリだけで聞かせるのでは無く、ときにしっとり、ときにパリッと聴かせる。

もっと聴きたいと思わせるところまでで抑えられている。「チェットの音楽の魅力を余すところなく聴かせます」という、アルバムではなく、ちょっといいところを匂わせて、指の間から流れ落ちる砂のようにするすると消えて無くなってしまうような音楽だ。この、いいところを匂わせるセンスが素晴らしい。

一曲一曲の収録時間も短いし、聴きやすいのが尚更いい。こんな演奏は各曲10分も聴かせられるような類いの音楽では無く、短めにさらっと聴くのがちょうどいい。そして、収録曲が全曲スタンダードで、曲数も多いので、ジャズの初心者から楽しめる。こういう、ジャズがわたしにはちょうどいい。初めて聴くジャズがこのアルバムだっていう人は、とても羨ましい。それこそジャズの英才教育である。

いきなりローランド・カークから聴き始めても構わんのだが。

デートというよりもライブを聴いたような気分になる「A Jazz Date with Chris Connor」

クリス・コナーがジャズデートしようって言うので、これは光栄だと思い楽屋についていったら、楽屋は随分狭くって、そこらじゅうに楽器がゴロゴロ転がっていた。清潔とは懸け離れた世界で、クリス・コナーが置いていったと思われる化粧道具が乱雑に鏡の前に置いてあって、その鏡っていうのも、鏡台なんて立派なものじゃなくって、ただ壁に鏡がかけてあるだけで、その下に化粧道具やひげそりなんかを置けるように小さな盆のようなものが壁から突き出ている。

そんな楽屋の中で、私は、どうしたものかと佇んでいた。どう考えても、これはデートなんていう感じの雰囲気ではない。どちらかというと、彼女に汚い楽屋を掃除するように言われた掃除夫のような立場である。

そうしているうちに、楽屋の入り口の垂れ幕のようなものがゴソゴソ動いて、ジョー・ピューマが入ってきた。なんだか知らないけれども、随分改造された古いギターを持っている。

「お前、部外者だろ。こんなところで何してる!」

とジョー・ピューマが言うので、私は何してるとも言えないで、とりあえず口に出た言葉、すみません、と一言つぶやいた。

素直にすみませんとだけつぶやいたので、こいつは大したやつじゃない、クリス・コナーの取り巻きの一人だろうと思い、ジョー・ピューマはすぐに私に関心がなくなったのか、ギターでアーティ・ショーの古い曲のイントロを弾きだした。

そのポロポロという音色があんまりにも素晴らしかったので、ああ、これはいいレコードになるなと直感した。ツヤのある、美しい短いイントロを弾いたら、初めのコードをストロークした。

クリスコナーが歌い出したら、どっからともなくオスカー・ペティフォードがベースで伴奏をつけはじめた。しばらくしたら、ビブラフォンだのフルートだのが入ってきて、静かにオブリガートを入れてきた。おお、これこそ、アルバムの一曲目にぴったりな曲調だ。一曲目から爽やかに騒がしい演奏が多い昨今のレコードの中で、こういうスローテンポの曲から入ったら、素晴らしいではないか。と思っているうちに、曲が終わった。

クリス・コナーは二度ほど咳払いをして、またマイクの前に立って、何もなかったかのように二曲目に入った。その時、すでに私は観客席に座っていた。観客席から彼女を眺める方が気分が高揚した。彼女は天性のエンターテイナーなのだろう。

二曲目はジョー・ワイルダーのトランペットと、アル・コーンのサックスのイントロから始まった。やけにノリのいい曲である。ジョー・ワイルダーが、随分しっかりしたフカフカしたサウンドで吹いていて、アル・コーンのサックスも機嫌がいい。ああ、これがスイングかしら、などと思いながら聴いていたら、アルコーンが短いソロを吹いた。

三曲目、四曲目と進むうちに、ジョー・ワイルダーが引っ込んだりラッキー・トンプソンが出てきたりしたけれど、彼女のバックを支えるバンドは、相変わらず安定している。それほど大人数の編成ではないのに、まるでビッグバンドをバックに歌っているように感じることもある。何より、リズムが締まっていて、小気味良いのだ。

「Fancy Free」というあんまり聞きなれない曲があったけれど、何だか可愛らしいアレンジで、これはそもそもデートだったんじゃなかったか、こんなにお客さんとして楽しんでたらデートじゃないなと思い始めたけれど、まあ、この際いいことにしよう。

6曲目のミドルテンポの曲、これも誰の曲だったか知らない「 All I need is you」をやったところで休憩。短いながらもソロ回しも良かった。ジャズを聴きに来たっていう気分がした。

ああ、続きを続きを聴きたいけれど、今夜は母ちゃんが肉じゃが作ってくれてるってさっきメール来てたから、私は、帰ろうということにした。本当はジョー・ワイルダーのトランペットもっと聴きたかったし、B面になったらまたジョーワイルダーが出てきて、安定したソロを聴かせてくれるんだろうけれど、また、今度聴けばいいか、とA面だけ聞いてターンテーブルからレコードを取り上げた。

裏ジャケを見ると、どうもB面には「Lonely Town」なんかが入っているみたいだ。

そうだ、思い出した、このアルバム前も聴いたことあったぞ。前回も、クリス・コナーにジャズデートしましょうって言われて、ヒョコヒョコついていった。その時は、母ちゃん、あんた外でご飯食べてきなさいって言ってたから、そのまま最後まで聴いたんだった。その時はCDで聴いたから、ボーナストラックなんて入っていて、エロル・ガーナーの「Misty」なんかも聴いたっけ。このアルバムはライブ盤じゃないのに、ライブを2セットとアンコールを聞いたような気分になったんだった。

「Misty」はちょっとムード音楽みたいなサウンドで、ジャズデートっていうのとは趣が違ったからレコードでは外されていたんだろうな。

クリス・コナーの「A Jazz Date with Chris Connor」、ボーナストラックはなくてもいいかもな。

CTIレーベルからこういうアルバムが出てきて本当に良かった Gerry Mulligan Chet baker 「Carnegie Hall Concert」

私は今まで勢いだけで生きてきたようなところがあるから、勢いを失うと何にも残らなくなってしまう。

半年ほど前からパワーが減退し、何もする気が起きなくなってしまった。正確には、何もする気が起きないというのではなく、する気が起きても、できない日々が続いている。

世の中の大勢の人たちも、する気が起きてもできない中で何とか頑張っているんだから、私も何とか頑張るべきなのだろうけれども、ついつい自分に甘えてしまい、何もやっていない。そのこと自体が、自分をさらにダメにしてしまっている。外にも出ない仕事もしないで毎日を過ごしている。

5年ぐらい前から、こんなダメ人間はまずいだろうと思っていたのだけれども、ついに、そのダメ人間にも決定打が打ち放たれ、本当のダメな毎日を送っている。

こんな時だから、本を読んだり音楽を聴いたりするべきなのだけれど、それもできていない。無気力である。

それで、一日中過ごしていると、やはりどこか体の中でストレスを感じてしまい、夜な夜なブログを書いたりしている。ストレスというのは本来なら、外からの刺激があってそれに対する反応として発現するものなのだろうけれど、私の場合、自分の何もやっていなさが、過去や未来の自分像に跳ね返り、自分を責めることによってストレスとなる。

そんな状態でも、今夜はGerry MulliganとChet Balerが1974年にCarnegie Hallで行ったコンサートのライブ盤(CTIレーベルから出ている)Gerry Mulligan Chet baker 「Carnegie Hall Concert」を聴いている。こんな状態でも聴ける音楽があるというのは素晴らしいことだと思う。ジェリー・マリガンとチェット・ベイカーには感謝せにゃいかん。

このアルバムのいいところは、50年代に人気ユニットを組んでいた二人の再会コンサートであることもそうだが、バックのメンバーが当時の CTIの誇る凄腕ミュージシャン勢ぞろいというところだろう。

当時フュージョン界をリードしていた凄腕ミュージシャン、ピアノ Bob James、ギター John Scofield、ベース Ron Carter、ドラム Harvey Mason、という豪華なリズム陣がバックを固めている。

そのせいもあり、アレンジがモダンで、サウンドもいわゆる50年代のジェリー・マリガンとチェット・ベイカーのユニットとは異なっている。Dave Samuelsのヴィブラフォンもいい味を出していて、思いっきり70年代の  CTIのサウンドになっている。

そのことには、賛否両論があると思うけれども、ジェリー・マリガンも、チェット・ベイカーも70年代以降に素晴らしい音楽キャリアを残しているし、もともと、どんなフォーマットでやっても素晴らしいサウンドを作れる二人なので、私はこういうレコードができたことを感謝している。ぜひ、この二人を、こういうバンドの中で聴いてみたかった。

CTIのスタジオアルバムはやけにストリングスが入ったアレンジが目立つので、そっちの方に耳が行ってしまうのだが、Jazzとして完成度の高いアルバムも多い。それらについては、後日紹介するとして、このアルバムを聴いていただければ、CTIのジャズの美味しいところを楽しんでいただけると思う。

何よりもボブ・ジェームスのピアノ(エレクトリックピアノ)のサウンドが印象的なのだが、ここにジェリー・マリガンのバリトンサックス、チェット・ベイカーのトランペットが絶妙に絡んでくるところは筆舌に尽くしがたい。

50年代のズンズン前に進み続けていたジャズもいいけれども、こうして、一旦ジャズシーンが落ち着いて、もっぱらフュージョンサウンドが流行るようになってきた頃に、50年代スタイルのジャズを再演したら50年代のアルバムでは出し切れていなかったモダンジャズの魅力が見えてくる。

このアルバムが、フュージョンアルバムになっていないこと、 CTIの名盤の多くもどちらかというとフュージョンサウンドよりももっと古いスタイルのジャズの良さが聴こえてくるものが多い。その辺がプロデューサーのクリード・テイラーのセンスなんだろう。

クリード・テイラーこそ、70年代になって50年代のジャズの魅力を再発見したプロデューサーなんだと思う。そして、その50年代のジャズを50年代のメンバーと演奏させるのではなくて、バックは腕利きのフュージョンシーンで活躍しているミユージシャンで固めるというのも、成功しているアルバムが多い。

50年代のバリバリのハードバップサウンドではない、70年代の元気だったフュージョンの音でもない。それらをミックスして出来上がったちょっと中途半端な音楽だ。だからこそ、肩肘張らずにゆっくり音楽を楽しめる音楽に仕上がっているんだろう。

本当の凄腕は、その腕の活かしどころを知っていて、ジェリー・マリガンとチェット・ベーカーはそういう時代の波を超越しているところで音楽を奏でることができるミュージシャンなんだろう。

とにかく、意気消沈している時に、オススメのアルバムです。

ジャズに新しい古いを求めなくなったからこそ楽しめるアルバム「Ruby Braff Goes “Girl Crazy!”」

ジャズにスリリングなものを求める方にはあまりウケが良くないかもしれないけれど、私はRuby Braffというトランペッター(コルネット)が好きだ。何ら新しいことをやっていたわけでもないので、ジャズの歴史を書いた文献の中ではなかなか登場しないけれど、ディキシーランドやスイングジャズがお好きな方ならよくご存知かもしれない。

代表作の多くが50年代中盤以降にリリースされているので、時代としてはハードバップなんかが盛んに演奏されていた頃なのだが、ルビー・ブラフは古いスタイルを継承しジャズを奏で続けた。

70年代に入ってリードギターのGeorge Barnesと双頭カルテット(コルネット、リードギター、リズムギター、ベースという編成)で人気を博した。このカルテットでの演奏もなかなかいいのだけれど、一番脂がのっていたのは50年代だったと思う。

脂がのっていたとは言っても、熱いソロをバリバリ吹くイメージではなく、古き良きディキシーランドからスイングスタイルのジャズに少し新しい要素を加え、肩肘張らないアルバムを残していた。当時のことをリアルタイムで知らないから、実際どういう風に受け止められていたかはわからないけれども、1955年のダウンビート誌の賞をもらっているくらいだから、結構人気はあったのだろう。

1959年の彼のリーダー作で「Ruby Braff Goes “Girl Crazy!”」というアルバムがある。このアルバムなんかは彼の真骨頂で、当時バリバリのハードバップをやっていたメンバー( Jim Hall, Hank Jones, Al  Cohn等)と一緒に、ガーシュウィンのミュージカルの曲を演奏し、ルビー・ブラフなりの「新しい」味付けのジャズをやっている。

このアルバムでも、ルビー・ブラフはいつもの調子でのびのびとオールドスクールなトランペットを吹いている。当時としてはかなり古臭いアレンジを施しているせいか、他のメンバーも、それに合わせてかやや控えめなソロを繰り広げている。

まず、ソロよりもアンサンブルに重きを置いたアレンジである。ディキシーランドスタイルのアレンジはアンサンブルもアドリブのようなもんなのだが、各プレーヤーのソロが短めである。その短めのソロの中で、各プレーヤーの魅力があふれている。

特に、ジム・ホールのソロは、短い中にも新しい(当時の)ジャズの香りが漂う演奏になっている。このアルバムで初めてジム・ホールを聴くという人はそんなにいないかもしれないけれど、ジム・ホールって小洒落たギタリストなんだな、もうちょっと聴いてみたいな、という気分にさせられるソロである。

ハンク・ジョーンズはスタイルに縛られない、いつもながらの安定したピアノを聞かせる。このアルバムの完成度の高さは、この人のピアノによるところが大きいだろう。所々で、ハンク・ジョーンズのピアノがいいアクセントになっている。ハンク・ジョーンズのおかげで、このアルバムはモダンなサウンドに仕上がっているとも言えるだろう。

そして、何より、このアルバムのいいところは、音楽そのもののリラックスしたムードだ。ルビー・ブラフはハイノートもヒットするし、結構自由自在に彼のスタイルでソロをとる。他のメンバーは、やや控えめだけれど、各々のスタイルでアドリブを繰り広げるのだけれど、そういうところも含めても音楽のバランスが絶妙にとれていて、聴いていて楽しいアルバムである。

ルビー・ブラフだって時代の波に逆らうことはなかなか大変だったと思うけれど、このアルバムではそういう時代の波の中でのルビー・ブラフなりの漂い方を出せていると思う。ジャズは、新しい古いで良し悪しを決められるもんじゃないということを改めて考えさせられる。

70年代に入って、50年代のジャズのスタイルが時代遅れになった時に、ルビー・ブラフの人気が再燃したのもわかる気がする。こういうもともと時代遅れと思われるような音楽の本当の良さは、時代に縛られることがないくらい時間が経たないとなかなか見えてこないのかもしれない。

ジャズに新しさを求めなくなった今だからこそより一層魅力が伝わってくるアルバムであり、良いものはいつの時代も良いということの一つの証だと思う。

 

煌びやかでいて耳に心地良いギターのサウンド Les Paul and Mary Ford 「Fabulous Les Paul and Mary Ford」

楽器というのは不思議なもので、同じ機材を使っても同じ音が出せるというわけではない。そもそも、同じ楽器を使っても奏者によってセッティングや調律が違ったりもする。たとえ、同じセッティングにしても、二人の違う奏者に弾いてもらったら違う音がなるということはよくある。

電子ピアノとかの場合は同じ音がなるのかもしれないけれども、アコースティックな楽器だとこういうことが起こる。アコースティックな楽器に限らずともエレキギターなんかもそうである。

何が違うのかは専門家に聞かないと詳しいことはわからないけれども、奏者によって鍵盤の叩き方(押し方という方が正確か)、弦の弾き方、息の吹き込み方が違うからそうなる。逆に言うと、そういう弾き方を近づけることによって、憧れの音に限りなく近づけることはできるとも言えるだろう。

ギターの場合、ミュージシャンの使用している楽器やセッティングについて、雑誌や書籍でWebサイトなんかでかなり詳しく紹介されていることがあるので、憧れのギタリストの使用機材とほとんど同じものを手にすることも可能だ。厳密には個体差もあるだろうけれども、そういう努力で、憧れのギタリストの音にかなり近づけることはできる。

一方で、ギタリストのタッチを真似するというのはすごくむづかしい。今はYouTubeなんかがあるから、憧れのギタリスト本人が奏法について懇切丁寧に解説してくれたりするチャンスもあるけれども、そんな映像を見ても、実際のところどんな強さで弦を押さえているのか、弾いているのかはなかなかわからない。そういうことは、本人じゃない以上、いくら真似しようと思っても結局習得できないことなのと同時にミュージシャンの企業秘密でもあるのだろう。

Gibson Les Paulというおそらく世界一売れているアーティストのシグネチャーモデルのエレキギターがある。エレキギターにあまり興味がない人もご存知のギターだ。平たく言うとLes Paul氏の使用していたギターのレプリカモデルとその派生モデルだ。レス・ポールさんは相当このギターが気に入っていたか、義理堅い人だったのか、生涯ずっとこのシグネチャーモデルを使っていた。

Gibson Les Paulといえば今や色々なジャンルの音楽奏者に愛用されている。ジャズではかつてジム・ホールがレスポールカスタムを愛用していたし、アル・ディメオラが自身のリーダーアルバムのジャケット写真で持っていたりもしていた。ロックではランディー・ローズをはじめとするヘビーメタルギタリストの多くが愛用しているし、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックのいわゆる「3大ギタリスト」全員が愛用していた。クラプトンなんかは今でこそストラトをメインで使っているけれど、かつてレスポールをマーシャルのコンボアンプに繋いで程よく歪んだサウンドでブルースギターの新しいスタイルを確立した。

そういう色々な音楽で使われて、いろいろなサウンドを生み出している楽器だけれど「レスポールらしい音」のイメージというのがある。太くて、どっしりしていて、力強い音だ。そういう音だから、歪ませた時にも芯がくっきり出るという利点もあり、特にロックギタリストに愛用者が多いのだろう。

それでは、レス・ポール氏ご本人のギターの音はどんなんだったかというのが気になるところだ。

何枚かのレス・ポール氏のアルバムを持っているのでCDやレコードで聴いたことはあるのだが、これが意外に「レスポールらしい音」というイメージとはちょっと違う。艶やかで、キラキラしていて、はじけるような音がする。高音も耳にうるさくなく、粒が揃った煌びやかな音色だ。低音は太めながら、アタックがしっかりした音がする。

ご本人が使っていたレスポールモデルも時代により変遷があるので、どのアルバムでどれを使っていたかはわからないけれど、50年代から晩年までレス・ポール氏のギターサウンドはそういう音である。

「Fabulous Les Paul and Mary Ford」という1965年発表のアルバムがある。ジャズのスタンダードや、カントリーのスタンダード曲を演奏し、レス・ポールがギターソロを存分に披露し、何曲かでは奥さんだったMary Fordが歌も歌っている。あまり有名なアルバムではないけれど、とても楽しめるアルバムだ。

1965年だからGibsonから出ていたいわゆるレスポールモデルはなかったわけだが(1961年からレスポールのボディーシェイプが変更になったことを受けレス・ポールのシグネチャーモデルとしてのギターはこの年代にはGibsonからは出ていない)、おそらく彼はLes Paulモデルを使っている。ジャケットの写真ではうまいことギターのボディーシェイプが見えないようになっているけれど、Les Paul Customと思われるギターを持っている。

そして、このアルバムの彼のギターの音もやはり、艶やかで、キラキラしていて、はじけるようで、耳に心地良いサウンドなのだ。このレスポールのサウンドを出しているギタリストを他に聴いたことがない。唯一無二のサウンドなのだ。

同じ、レスポールというエレキギターを使ってもこうも違うサウンドが出せるのかと驚いてしまう。エレキギターがお好きな方には是非レス・ポールのギターサウンドを聴いてほしい。初めて聴いたら、おそらくその意外なレスポールサウンドに驚くだろうから。

とっつきやすいジャズ・ソロギターのアルバム Martin Taylor 「Solo」

テクニックがあるミュージシャンはあれはあれで大変なんだと思う。ついテクニックひけらかし系の音楽を期待される。せっかく素晴らしい音楽をやっていても、そっちまで注目されていないミュージシャンも多いんじゃないか。

例えば、早弾きの凄いギタリストなんかは、つい早弾きの方に耳が行ってしまって、肝心の音楽そのものがどうかまでよく聴き込むことができなくなることがある。素晴らしい音楽なんだけれど、ついその技術に注目しがちになってしまい、その凄さがわかっただけでお腹いっぱいになる。

私のレコード( CDも含めて)ラックには、そういう凄いテクニックを誇るミュージシャンのアルバムがたくさんあるけれど、その中で聴きこんでいるものは比較的少ない。大抵はすぐに飽きてしまって、あまり聴いていないものばかりだ。テクニックがすごくて、かつ素晴らしい音楽を作り出しているミュージシャンはたくさんいるし、そういうアルバムも多いのだが。

Martin Taylorは一台のギターでまるでトリオのような演奏の出来る凄腕ミュージシャンだ。リードメロディーを弾きながら、ベース、コード伴奏を同時にやってのける。一人でバンドのようなサウンドを出せる。すごく速いテンポでも、そういう演奏ができる。

チェット・アトキンスもそういうことができるギタリストだったけれど、マーティン・テイラーはそういうことをジャズの文法の中でやってのける。ジャズのソロギターはジョー・パスの「Virtuoso」が有名だけれど、あれをもっと進化させたかのようなテクニックだ。

初めてジョー・パスのソロギターを聴いた時もびっくりしたが、マーティン・テイラーのソロギターを聴いた時も驚いた。ジョー・パスで少々ソロギターのテクニックについては聴き手として免疫がついていたのだけれども、その免疫も吹っ飛ぶくらい驚いた。

何が驚いたって、マーティン・テイラーのソロギターはすごく聴きやすいことだ。ジョー・パスよりもリスナーを選ばない「ポップな」音楽に仕上がっている。ポップという言葉が適当かどうかはわからないけれど、ジャズに明るくない人が聴いたって、なんだかウキウキするような音楽に仕上がっている。

ジャズのフォーマットの中で、ポピュラー音楽やカントリーの曲をカバーしたりもしているのだが、それもすごく聴きやすい。原曲を知っている人にはおなじみのメロディーがマーティン・テイラーなりにアレンジされて演奏される。

彼ほどの天才的なテクニックがあったら、その技術の方ばかり注目されてしまいそうだけれども、実際に彼の音楽を聴いていると、なんだかそっち方面のことを忘れてしまうくらい音楽が完成されている。ジョー・パスのソロギターもそうだけれど、素敵な音楽に仕上がっているので、素直に音楽を楽しめるのだ。

100ぺん生まれ変われるとしても、彼の10分の1もギターテクニックを身につけることはできないだろうけれども、同じくらいの割合で彼のような豊かな音楽を奏でることもできないだろう。ベースラインがグイグイ曲をおして行って、コードバッキングがその間に複雑かつ的確に入ってくる。その上をメロディーラインが自由自在に動く。

マーティン・テイラーはジャケ写もいい。渋いオヤジ感が出ていて、ああ、やっぱりこういう信頼できそうな人がこれ弾いているんだなあと、勝手な感想を抱いている。その、信頼できそうなジャケ写にも、程よい胡散臭さすらあって好感が持てる。

のどかで豊かなジャズのライブ Bobby Hackett 「Live at Roosevelt Grill Vol.2」

私はどうもBobby Hackettというコルネット奏者が好きである。昔(1940年代)グレンミラーのバンドでギターを弾いたりコルネットを吹いていた人だ。弾いていたらしいのだが、その頃の演奏はあんまり聴いたことがない。エディー・コンドンの名盤「Bixieland」でコルネットを吹いている。

ボビー・ハケットのキャリアについて、詳しいことはわからないので、詳しくは Wikipediaを見ていただければわかりやすいかと思う。実にシンプルにまとめられている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ボビー・ハケット

この人のコルネットの音は絶品である。どちらかというとソフトな音色でまさに私の好みである。Columbiaからリリースされていた、「The Most Beautiful Horn In The World」なんかは、ストリングスもので、ムード音楽に分類されかねないサウンドであるけれど、そういうジャンルにとどまらず、ジャズのアルバムとして楽しめる。彼のコルネットの音色がとても「ジャズ」だからである。まあ、なんとも雄弁なラッパである。

ボビー・ハケットといえば「Coast Concert」が名盤として名高いけれど、あのレコードだけでなく素晴らしい演奏を聴かせているアルバムは多い。

「Live at the Roosevelt Grill」もそんなアルバムの一枚である。手元に「Live at the Roosevelt Grill Vol.2」しか見当たらなかったので、「 Vol.2」を聴いてみた。

なんともリラックスした、アットホームな雰囲気のライブである。Live盤としては音質もまずまずだ。CDだとボーナストラックで5曲追加されているのだが、それらのトラックも追加されてよかったと思える内容だ。

選曲もいい。ジャズの古いスタンダード中心の選曲の中にボビー・ハケットの名を一躍有名にした「A string of peals」なんかも入っている。ファンとしては嬉しい。

メンバーも豪華である。スイング時代の有名どころが一緒に演奏している。こんな豪華なメンバーのライブを生で聴けた方々がとても羨ましい。これはおそらく、ライブ録音をするから特別に揃えたのだろう。トロンボーンのヴィック・ディッケンソンもピアノのデイブ・マッケンナも堂々と安定したソロをとっている。アンサンブルも息が合っていて、付け焼き刃でやったジャムセッションという感じではない。

こういう、アルバムは聴いていて安心できる。騒がしすぎず、退屈でもない。まあ、こんなアルバムばっかりでもジャズはつまらないのだろうけれど、夜に独りゆっくり聴くにはちょうどいい。まあ、騙されたと思って聴いてみることをお勧めする。ジャズって、せせこましくなく、こんなに豊かだったんだなあと思わせられるアルバムだ。

1970年の録音なのだが、70年代といえば、ジャズもフュージョンの波が押し寄せていたのだから、こんな音楽は時代遅れだったのだろう。それから40年以上経った今聴いてみると、70年代のフュージョンだって時代遅れなわけだから、全然時代遅れな感じはしない。今だからこそ、素直にこのアルバムの音楽に耳を傾けることができるのかもしれない。

一方で、いまの時代にはなかなかこういう、のどかな演奏をしてもいられないんだろうな。いまのジャズミュージシャンもちょっと気の毒だ。