Jim Campilongoとテレキャスターのギラギラ、ビリビリした関係

私の好きなギタリストにはテレキャスターというギターを愛用している人が多い。

ジェームスバートンやジェリードナヒュー、ヴィンスギル、ブラッドペイズリー、ジムメッシーナなんかのカントリー系の音楽をやる人たちの多くはテレキャスターをメインに使っているし、ロック寄りのギタリストでロイブキャナン、ダニーガットン、エイモスギャレットもメインで使っている。ブルースではアルバートコリンズ有名だ。今はアコースティックギター一辺倒になったトミーエマニュエルもかつてはテレキャスターをメインで愛用していた。

上記に挙げたギタリストのアルバムをよく聴く。きっとテレキャスターのサウンドが好きなんだろう。

私は特に、カントリー系の音楽が好きなので、そういうサウンドに偏る傾向にあるのだと思う。今のカントリーのギタリストの間ではテレキャスターをメインに使うことがかなりの割合で定着しているのだろう。

1950年代の初頭にテレキャスターが出てきた頃はまだ、 GibsonのフルアコやGuildのフルアコを始めとするギターをメインとしていたギタリストも多かった。マールトラヴィスなんかはGibson Super 400やGuildの特別オーダーのフルアコを使っていた。ドンギブソンもGibsonのSuper 400を使っていた。チェットアトキンスはずっと Gretschとエンドース契約をしていたのでGretschを使っていた。他にも、ジョーメイフィスなんかはMosriteのダブルネックを使っていた。Mosriteのヴェンチャーズモデルの元となったギターはジョーメイフィスのために作られたモデルだったと言っていいだろう。

マールトラヴィスの粒が揃った暖かくて甘いGibsonのサウンドも、チェットアトキンスの使う芯がくっきりしていながら太いGretschのサウンドも好きだ。テレキャスターではなかなかああいうサウンドは作れないだろう。

けれど、トレブリーで、サスティンが短くて、ジャキジャキしたテレキャスターの音はなかなか他のギターでは再現できないのも確かだ。

ジムカンピロンゴというギタリストは、ノラジョーンズがボーカルをやっていたバンドのThe Little Williesのメンバーとしてその名を知られている。彼はテレキャスターのそういうジャキジャキ、ギラギラ、ビリビリしたサウンドを前面に押し出している人なのだ。

The Little Williesではベンドやスイープピッキングなんかを駆使して、軽快なカントリーのギターを聴かせてくれるのだが、彼のトリオのアルバム「heaven is creepy」では、もっと泥臭く、生々しいギターサウンドを聴かせてくれる。The Little Williesの曲を聴いて、ギターの音が気に入った方には、是非聴いてほしいアルバムだ。

2012年12月号のギターマガジンの特集でジムカンピロンゴ直伝のカントリーギターフレーズのレクチャーが掲載されていたので、ギターを演奏される方は見てみると面白いと思う。

かなり目立つギターのサウンドでありながら、バンドの中にうまくとけ込む不思議なところがある。The Little Williesの曲を聴いていても、ギターがうるさいという印象はないのだが、確かに存在感のあるリードギターである。

今、一番ギラギラ、ビリビリしたカントリーリックを弾けるギタリストの一人である。一度、生で聴いてみたいが、まだ聴いていない。

安定してまとまっているGibson L-50 と 暴れん坊な Chaki P-1

ピックアップの付いていないアーチトップギターが好きで、今までに何台か所有してきた。いわゆるピックギターと呼ばれるギターだ。

ピックギターは、フラットトップのアコースティックギターと違って、ちょっと詰まったような鳴りがする。詰まったところからパーンと音が弾け出るような感覚だ。

この弾け出る感覚が気持ちよくて、GibsonのL−50という、1950年代に作られた廉価版のギターをいつも手元に置いてある。これを爪弾くと、ピッキングの強さによって丸い音になったり、ジャキジャキした音になったりするので、その感触に魅せられる。ネックグリップが程よく太くて弾きやすいのも良い。

L−50は年代によって色々と仕様が違って、一度30年代製のものを触ったことがあるけれど、バックがフラットなせいもあってか、まっすぐ前に出てくるような音がしてとても良かった。値段も20万円しないくらいだったので、もしもお金があったらきっと買っていた。ネックグリップも、もっと太いかと思っていたのだが、50年代のものとさほど変わらず、ネックヒールに近い部分が若干太めかというぐらいだった。本当にいいギターだった。Gibsonは廉価モデルでもあれだけいいギターを作れるんだからすごいと思う。

40年代製のシルクスクリーンのスクリプトロゴのやつを弾かせてもらったこともあるけれど、あれも良かった。値段は30万円近くしたらしいけれど、音に個性があって魅力的な楽器だった。音がジャキジャキしてくるまでのキャパシティーが広い楽器で、単音で普通にピッキングすると丸い音がするのだが、強くストロークするとジャキジャキ鳴った。トラスロッドは入っていたが、ネックは50年代よりもちょっと太めで、握りごたえがあった。

50年代のモデルは、今の所どれもハズレがない個体に当たっている。その中で一番気に入った一台を買った。私が持っているのは確か58年製だったと思うが、シリアルが消えかかっていてよく分からない。トップが単板プレス成形のモデルだ。

もう一台ピックギターでよく使っているのが ChakiのP-1という日本(京都)製のギターだ。ギブソンのコピーのヘッドシェイプなのだが、ボディーサイズは17インチでL−50よりも大きめだ。

私が持っているChakiにはどこにも品番らしいものは記載されておらず、仕様からおそらくP−1だと推定している。

総ラミネイトボディー、つまりベニヤ板で作られているギターだ。ネックはメイプルでエボニー指板。この、P−1というギターは憂歌団の内田勘太郎さんが使っていたから有名になった。決して高級なギターではないし、値段もそんなに高価ではないのだが、少量生産のため、あまり市場に出回らない。

Chakiは人気があるらしくて、ヤフオクなんかでもそこそこいい値段が付いているけれど、当たりハズレが多いのは確かだ。いや、ピックギターそのものがかなり当たりハズレがあっていいのを見つけるのは難しい。実際に買ってしばらく弾いてみないと判らない箇所もあるけれども、実際に一度手にとってみれば良し悪しは大体わかる。

今まで7〜8台のChakiを試奏してきたけれど、どれも全然鳴らなかった。ならないうえに、ジャキジャキだけはしているので、どうも低音が物足りなかった。それか、音がこもりすぎの個体が多かった。

私が持っている個体も、ちょっと個性が強くて、うまく鳴らすにはコツがいる。弱いピッキングで鳴らすのが難しい。強くピッキングするとバーンと鳴るのだが、音がものすごく暴れる。ギブソンのような上品なまとまりはない。

けれども、この暴れる感じと、弱いピッキングでチープになる感じが好きで、手元に置いている。きっと、メイプルネックにエボニー指板という組み合わせと、総ベニヤ板のボディーがこの音の大きなファクターなんだと思う。こう言うギターはテキトーに作ってもなかなか作れない。チャキの老舗ながらのノウハウが詰まっているんだろう。

プロとして現場で使うわけでなく、自宅で爪弾く程度なので、こう言うギターはとても良い。持っていて本当に良かったと感じる。できることならいつまでも手元に置いておきたいギターだ。これだけ、自分の好みにあった暴れ方のするギターは見つからない。

あと、 チャキは製造の年代によって造りやパーツのクオリティーがまちまちで、70年代ぐらいのチープなやつが好きだというファンが多いらしいのだが、私個人としてはもっと新しいグローバーペグが付いて、エボニー指板の仕様のモデルが好きだ。フレットの仕上げが全然違うので、70年代のモデルはリフレットしたほうがいいかもしれない。

Take me out to Bethlehem ハワードマギー 「チェリー味の人生」

ベツレヘムというジャズのレーベルのレコードは20代半ばにあるまであまり聴かないできた。

どちらかといえば、 ジャズといえばPrestigeやBlue Note、 Savoyなんかのアルバムを中心に聴いてきた。いわゆるジャムセッション的な内容のアルバムが好きだったのもあるけれども、CD化されているアルバムの量がPrestige、 Blue Noteは圧倒的に多かったのもその理由だ。  VerveもCD化されているアルバムが多い。

CD化されているアルバムは、いわゆる名盤や定番が多いからあまりハズレがない。だから安心して聴いてきた。

数年前から、ベツレヘムのアルバムの廉価版のCDがたくさん出てきた。それに乗っかって、試しにベツレヘムのアルバムを買って聴いてみた。Howard McGhee、Ruby Braff、Jonah Jones、Charlie Shaversを聴いてみた。トランペットのリーダ作ばかり何枚か買って聴いてみた。ギターものも何枚かは買ってみたけれど、とりあえずトランペットのリーダ作を重点的に聴いてみた。

結論として、ベツレヘムは内容がよくまとまっているアルバムが多い。いわゆるジャムセッションものではなくて、ちゃんとアレンジされているものが多い。編成も比較的大人数なものが多い。ストリングスものも多い。

私が持っているものもがストリングスものに偏っているというせいもあるけれど、どのアルバムも、よくできていて結構聴かせる。アルバムを一枚通してなかなか聴かせる。

特に、Howard McGheeの「Life is just a bowl of cherries(チェリー味の人生)」なんかは、吹きまくるバップトランペッターのイメージがあったハワードマギーがストリングスをバックに静かに聴かせる。決してトンがることなくメロディーを朗々と唄う。

彼の別のアルバムで、Blue Noteの「Nobody knows you when you’re down and out」でも彼の朗々としたトランペットを味わえるけれど、この「Life is just a bowl of cherries」の方がソフトでファットでダークなトランペットをじっくりと聴かせてくれる。大人のアルバムに仕上がっている。ハワードマギーのトランペットのダンディーな一面を十分に味わうことができる。

けれども、一方でちょっとわざとらしさというか、作り物くささがあるアルバムなんだよな。確かに、いいアルバムなんだけれど。ここまでアルバムが良く出来上がっていて、ハワードマギーが危なげなく吹いているのを聴くとちょっと興ざめであることは否めない。ハワードマギーのアルバムには一曲ぐらい攻めの曲が入っていてほしい。テクニック的にどうこう言うような曲というよりは、もっと毒のある曲があっても良い。

今まで買ったベツレヘムのアルバムの中では結構多くに、この作り物くささがある。

けれども、そういうアルバムも持っていて損はないということも、一方では確かで、時々聴きたくなる。こういう危なげないよくできたアルバムを。そして、気がついたら愛聴盤になっていたりするんだよな。

ジェリーリードとランブリンジャック

フィンガースタイルのギタリストが近年、とは言ってももう15年ほど前からだけれど再評価されてきて、トミーエマニュエルやらマーティンテイラーやらをはじめとしてすごい上手い人がたくさんいる。日本にでも打田十紀夫さんとか大御所の名前を頻繁に目にするようになった。

そういう人たちのアルバムも好きで聴くけれど、どちらかというと、もっとフォーク寄り、カントリー寄りのアルバムを好きで聴いている。

カントリーではマールトラヴィスとかチェットアトキンスをはじめとして、いろいろすごい人がいる。やっぱり、この二人のパイオニアがカントリーのフィンガーピッキングではすごいと思うけれども、個人的にはジェリーリードのギターが好きだ。特に、彼が弾き語りで弾く時のちょっと凝った運指のコードやベースラインとかがかっこいいと思う。

ジェリーリードは、曲もたくさん書いていてアルバム曲の大半はオリジナル曲だ。たまにカバーもやるのだが、そのカバーがすごくいい。ジェリーリード節に再調理されているカバー曲なのである。アルバムもたくさん出しているけれど、今すぐにCDで手に入るのはあまり多くない。中でも「Nashville Underground」というアルバムの最後から2曲目に入っている「Hallelujah I love her so」が好きでよく聴いている。

ギターと歌だけでここまで表現豊かに歌えるっていうのがすごい。ジェリーリードの歌声っていうのは、比較的素朴な歌なのだけれど、ギター伴奏と一緒に聴くとジェリーリードの音楽の世界の広さが伝わってくる。

この人、すごいギターソロも弾けちゃう人なんだけれど「Hallelujah I love her so」のソロは、控えめだ、まるで余興で弾いているんじゃないかっていうほどの力が抜けている。

アルバム一枚聴いてしまうと、結構ギターはうるさいアルバムに仕上がっているのが、よく言えばジェリーリードのいろいろな面が詰まっている、チェトアトキンスなんかと共演版を何枚も出しているので、それを聞いてみるのもいいかもしれん。

フォークの世界じゃ、断然ランブリンジャックエリオット。このおじさんがまちがえないギター弾き語りを提供しくれる。ギターの腕は天下一品であるが、アルバムでは、あくまでもシンガーとして「フォースソングを」歌っている、

この人も、ギター一台と歌で、飯を食っているだけあって、安定して聴くことできる。

どうやら、私はこういうフィンガーピッキングの音楽が好きなようだ。

カーターファミリースタイルのピッキングから、ギャロッピングもなんでもこなしながら歌を歌う。実に器用なシンガーなのだが、歌も素朴でいい。

ギターもこのくらい弾けたら、きっと楽しいだろうな。

ブルースの泥臭さ、粘っこさをほんのり感じる Lou Rawls 「Live」

ブルースの香りが強いアルバムはどうも暑苦しいアルバムが多い気がする。爽やかなブルースのアルバムというのもないわけではないけれど、たいていは暑苦しい。

戦前のブルースの一部や、ラグタイムなんかはそうでもないけれど、シカゴブルース、テキサスブルースの50年代以降のやつなんかは熱演が多いせいか、爽やかという類の音楽ではない。

ブルースというジャンルに入っていなくても、ジャズやソウルのアルバムでもブルースの香りが強いと、だんだん爽やかという世界から遠ざかる。どちらかというと、泥臭く、粘っこい音楽になりがちだ。

そんなことをLou Rawlsのアルバム「Live」を聴いていて思った。

このアルバムは、ジャズ専門のレコード屋で購入した。Lou  Rawlsはジャズシンガーというよりも、 R&Bやソウルシンガーとして知られているのかもしれないけれども、このアルバムはジャズのバンドをバックに歌っている。それでも、内容は泥臭いブルースのアルバムに仕上がっている。

ギターのHerb Ellisがブルージーなフレーズをバッキングで入れていて、あれ、ハーブエリスってこんなにブルース臭いギター弾く人だったっけ、と思ったりする。

それでも、ジャズのスタンダード「The shadow of your smile」や「The girl from Ipanema」なんかもやっているので、一応ジャズのアルバムと分類されているのだろう。けれども、それらの曲でも、ブルースを思わせる節回しが出てきたり、ノリもジャズというよりもブルースに近い。

そのせいもあり、かなり暑苦しくなりそうなところではあるけれど、不思議とそこまで暑苦しくもない。まあまあ、程よい暑苦しさである。だからこそ、ブルース独特の泥臭さや粘っこさを再確認した。

十分熱いアルバムではあるんだけれど。けれど、そこにジャズのちょっとモダンな響きが加わり、ブルースとしては暑苦しい部類ではない。ジャズとしては、ちょっと泥臭い部類だけれど、いわゆるハードバップの暑苦しさではない。

こういうアルバムを、どういうタイミングで聴こうかと、ちょっと扱いに困っていたのだけれど、改めて聴いてみると。そこまで聴くシチュエーションを選ぶようなアルバムではなかった。

どんな時にでも聴いて心地いいとか、聴いてリラックスできるという類のアルバムではないけれど、ジャズを聞き飽きた時や、本気の「どブルース」アルバムを聴こうという気分になれない時なんて聴いてみると新たな発見があると思う。ブルースとはもしかして本来結構楽しいもんなんじゃないか、とか、ジャズのフォーマットでブルースをやると、こんなに雰囲気が変わるんだなあ、とか思いながら聴いている。

それと、このルーラウルズというおっさんは物凄く強いビートを感じる。ジャズの人たちがいう「スイングする」という言葉があっているかもしれない。バックのバンドも物凄くスイングする。

そういうこともあって、このアルバムは「ジャズ」のアルバムとして扱われているのだろう。

そういう、どっちつかずのアルバムは、扱いに困ることもあるが、案外このアルバムのような名盤も多い。

贅沢な癒しを提供してくれるBobby Darinの I won’t last a day without you

音楽に癒しを求めることは悪いことじゃない。

音楽を一生懸命にやっている人の中には、「俺の音楽は癒しなんかじゃない」という方もいるかもしれないけれど、それはやっている側の意見で、受け止める側にはそれぞれの受け止め方があっていい。

「これは、絶望を表現した音楽です」なんて言われたって、その中に希望を見出せるリスナーだっていてもおかしくない。むしろ、プレーヤーやプロヂューサーなんかが意図した形とは違う受け取り方がしやすいのは音楽のいいところの一つだと思う。

例えば、フリージャズなんかは、はっきり言って普段聴かない人には何が何だかわからない。ノイズなんかもそうだろう。ああいう音楽は、受け止める側に委ねられている場合も多いので、より一層、自由に自分の感受性の思うままに音楽を感じればいいと思う。

だから、疲れた時に聴く音楽と一言で言っても、様々な音楽でありうる。人によっては、ヒーリングミュージックとしてそれ専門に出ている音楽を聴く方もいるだろうし、クラシック音楽だったり、ジャズだったり、場合によってはヘビメタを聴いて落ち着くというのもあるだろう。そういう私も、疲れた時だからこんな音楽を聴くと決めているものはない。

逆に、これを聴くと必ず癒されるという音楽もない。いくらヒーリングミュージックとして売られている音楽でも、聴いていて嫌になってしまうことはあるし、時にはゴリゴリのジャズ、ハードバップなんかを聴いて癒されることもある。松田聖子を聴いて癒されることもある。

けれども、癒される確率が高い音楽は存在する。

Bobby Darinが歌う「I won’t last a day without you」がそうだ。

この曲はオリジナルの、カーペンターズの歌ったバージョンが有名だ。名ソングライターのロジャーニコルスとポールウィリアムスの共作だ。

毎日毎日たくさんの見知らぬ人に会わなければならない。私と関わりのない人たちと。それに、耐えられるほど強くはないんだ。

だから、この世界にいつも私のことを想ってくれて頼りになる人がいると思えることはとても嬉しい。そして、あなたはいつもそこにいてくれる。

という歌い出しの歌詞からして、都会の暮らしに疲れた私を励ましてくれるかのようでいい。

カーペンターズのバージョンもいいけれど、ボビーダーリンのバージョンはちょっとけだるくて、レイドバックしていて、優しくつぶやくようで気に入っている。ボビーダーリンはどんな曲を歌わせても上手いシンガーだけれど、この曲のアレンジは特に彼の歌のスタイルに合っているのだと思う。バックバンドにホーンもストリングスも入っていて、バックコーラスも入ってとても豪華なアレンジメントだ。

ジャズのスタンダードや、ミュージカルの曲、ポップスやフォークのカバー、何を歌わせてもボビーダーリンは上手い。レイチャールズのようにソウルフルに歌えるし、フォークソングの素朴さも出せる。ビッグバンドをバックに歌っても映える。こんな器用なシンガーはなかなかいない。そんなに器用でいながら、彼にはスタイルがある。

そういう、素晴らしいミュージシャンが提供する「癒し」は安定感がある。「いつでもどこでも癒しに行きます!」というような力強さすらある。

「I won’t last a day without you」は「Darin 1936-1973」という彼の死後リリースされたアルバムの1曲目に入っている。このアルバムでは、ボビーダーリンの様々な側面を聴くことができる。入っている曲も様々なスタイルの曲で、カーペンターズのカバーだけでなく、ランディーニューマンやボブディランの曲もカバーしているし、彼の代表曲にもなったジャズのスタンダード「 Moritat」も入っている。所謂コンピレーションアルバムの位置付けでありながら、一枚のアルバムとして通して楽しめる。

「I won’t last a day without you」を聴いて、余力があるときはアルバムを最後まで聴いている。

「Grant Greenのオルガントリオ」の魅力が詰まったクインテット作 「Am I Blue」

Grant Green、John Patton、 Ben Dixon、のトリオやこの3人がリズムセクションをやっているアルバムは、間違いない。グラントグリーンの ハードバップ時代のサウンドの一つの完成形がこのトリオでの録音だと思う。

グラントグリーンは様々なオルガンプレーヤーと共演しているギタリストだ。John Pattonの他にもBaby Face Willette、Jack McDuff、Larry Young。彼らと演っているアルバムも良い。それぞれが個性派ぞろいのオルガンプレーヤーである。名盤も多い。その中でもJohn Pattonと共演しているアルバムを推す。

グラントグリーンがお好きな人は、「Live at Lighthouse」なんかのもっとファンク色の強いアルバムの方が良いというかもしれない。確かにあれもすごい。すごいけれども、聴いていてちょっと疲れる。熱い演奏は聴いていて疲れるもんだ。

その点、ジョンパットン、ベンディクソンとグラントグリーンは熱くなっても、騒がしくない。おそらく、グラントグリーンが音数の少ないプレーヤーであるというのに併せ、ジョンパットンがノリはいいけどやや控えめなオルガンがいいんだろう。ソロも、不器用な感じがするぐらいあんまり派手なことはやらない。というよりも、ジョンパットンのソロは、ほぼシンプルな単音フレーズと、それらのフレーズの繰り返しによって成り立っている。けれども、絶妙なところで入ってくるバッキングも不器用な彼のソロも、オルガンジャズの魅力に溢れている。

そこに、ベンディクソンのドラムが絡む。ベンディクソンはきちんと盛り上げるドラマーである。すごく派手なドラマーじゃないけれども、曲にきちんとアクセントをつける。タメの効かせ方なんかは、もの凄いものがある。

グラントグリーンの寡黙でありながら雄弁なギター、ジョンパットンの不器用でありながら美味しいところを押さえているオルガン、絶妙なアクセントをつけてくるベンディクソンのドラムのバランスが、聴いている者を心地よくしてくれる。

このメンバーでの演奏をとりあえず、一枚聴いてみたいという方にオススメのアルバムはGrant Greenの「Am I Blue」。トランペットにJohnny Coles、テナーサックスにJoe Hendersonが入っています。フロントの二人ももちろんソロをとりますが、ソロの尺も短めで、管楽器がバリバリいう感じのジャズではなくて、ブルージーで、ゴスペル調の曲もあり、ほのぼのした感じがしてきます。

あくまでも、グラントグリーンがリーダーで、管楽器の二人はホーンセクションのような立ち回りをしているけれども、そのアレンジがまたこのアルバムのリラックスした雰囲気を作っている。グラントグリーンが弾くリードギターっていうのもとてもシンプルで自信に満ち溢れていていい。

このトリオで、もっとアルバム作ってくれたらよかったのに。

まあ、いつまでもこのサウンドばっかりもやってられなかったのだろうけど、Blue Noteレーベルの宝石のようなトリオです。騒がしくも、静寂でもないジャズ、これがジャズのある意味最も美味しいところなんじゃないかと近頃は思うのです。

普段カントリーを聴かない人でも楽しめそうなアルバム Vince Gill 「Guitar Slinger」

カントリーのギタリストのアルバムはバカテクのギターが前面に押し出されているものが多くて、ギターが好きな人間でもアルバム一枚を通して聴いて楽しめるというものは少ない。大抵は、その凄さに参ってしまうのだ。ヘビメタの早弾きギター中心のアルバムを聴いているのと変わらない。

世の中には朝から晩までああいうバカテクものを聴いていて楽しめるという方もいるということはうかがっているが、私にはキツい。かつて、朝から晩までバンヘイレンをかけている店で短期間働いたことがあったが、あれは音楽を無視して過ごしていたからなんとかなった。仕事だからBGMは無視できたのだ。

しかし、無視するような音楽をわざわざ聴くことはない。お店ならともかく、自宅では音楽をできれば楽しみたいし、せっかくかけるならある程度耳を傾けるような音楽をかけたい。

一方で、カントリーのバカテクギターを聴いていると、なんだかハッピーな気持ちになれることは確かで、興奮する。興奮した高揚感を味わうには、Brad Paisley、Scotty Anderson、Johnny Hiland、Brent Masonとかのモダンなものから、Roy Clark、Jerry Reedたち大御所など、その他大勢素晴らしいプレーヤーはたくさんいる。それぞれに持ち味があって、一言にバカテクカントリープレーヤーと言っても味わいは異なる。彼らのアルバムの中には、あまり体力を消耗しないでもじっくり何度も聴けるようなアルバムがある。

Vince Gillもバカテクのカントリーギターを弾けるギタリストの一人だ。YouTubeで検索するとAlbert LeeやDanny Gattonと共演しギターを弾きまくっている映像が出てくる。実際、クラプトンのクロスロード・ギター・フェスティバルなんかにも出演していて、いわゆる「ギターヒーロー」の一人として数えられている。

けれども、Vince Gillの本当の魅力はその一度聴いたら心に残る透き通った歌声と、曲の良さ、アルバムとしての完成度だと思う。特に、彼の曲にはいかにもカントリーのような曲もあるが、時としてカントリーのアルバムに入っているにしてはずいぶん都会的で垢抜けたものがある。そういう曲を、彼の声で聴いているととても落ち着く。バラードもカントリーにありがちなベタベタする感じにならずに、さらっとしていて新鮮である。

彼の「Guitar Slinger」というアルバムは、タイトル通りヴィンス・ギルのギタープレイもそこそそ聴けるのだが、それよりも、ギターだけでない彼の音楽の魅力がたくさん詰まっている。一曲目はギターのイントロから始まるのだけれど、アルバムを聞き進むにつれて、なぜこのタイトルなのかちょっとわからなくなるくらい、ギタープレイではなく曲そのものの魅力に耳が惹きつけられる。曲が彼の澄んだハイトーンボイスにとても合っている。ギターがギンギンの一曲目から始まり、洗練されたポップな曲、ちょっとカントリーテイストの曲、リラックスした優しいバラードなんかが散りばめられており、くつろぎながらアルバム一枚聴きとおせる(54分)。

特に5曲目の「Who wouldn’t fall in love with you」が良い。少しけだるい感じのスローテンポの曲。ラブソングで、祈るような切なさがあるのに、熱すぎない。熱唱というのではなく、ため息のような歌だ。4曲目のちょっと泥臭いロックな感じの曲の次に、雰囲気を変えたスローでけだるい曲がくるので、アルバムの前半でとても大きなアクセントとなっている。そして、そのアクセントのおかげで、このアルバムに引き込まれるのだ。

この曲で聴ける彼のギターは、ちょっと控えめだがとても存在感がある。短いギターソロも、歌のバックのオブリガードも、静かで、レイドバックしていて、それがこの曲の雰囲気を作っている。やっぱり、ヴィンス・ギルはすごいギタープレーヤーでもあるんだなあと再確認させられる。

確かにこのアルバムに入っている曲の節々でそういう風に曲のテイストを構築するさりげないギターが入っているから、「 Guitar Slinger」というタイトルなのかなあ、などと改めて考えてみたが、どうなんだろう。

典型的なカントリーのアルバムではないけれど、カントリーを普段聞かない方が初めて聴くカントリーのアルバムに選んでもいいと思う。とっても素敵な曲がたくさん入っているし、カントリーテイストの曲ですらあっさりしているから、「よし、カントリーを聴くぞ!」という気分じゃなくても聴ける。

とは言っても、バックバンドにはフィドルもペダルスチールギターも入っているので普段カントリーを聞かない方には十分カントリーのテイストを味わってもらえるかと思います。

ピアノ伴奏の理想形(私の中で) Randy Newman 「 Live」

ピアノ弾き語りというのにすごく憧れる。

ピアノ弾き語りといえば、Billy JoelとかElton Johnが有名。ああいう風に自分の歌をピアノ弾き語りで歌えたらどんなに素敵だろう。あの、ピアノという持ち歩けなくて、嵩張る、不自由な楽器を選ぶのもなかなか素敵なことだと思うけれど、なんといってもピアノのあの現代ではありふれた音色で伴奏をして歌を歌うというのがいい。

もともと私はピアノの音が嫌いだった。幼少の頃ピアノのレッスンを受けたが、今は全く弾けない。そのことがコンプレックスになって、ピアノの音を聞くと嫌な気分にすらなっていたのだ。そもそも、ピアノのレッスンというのが忍耐を強いるものであり、嫌だった。テキストみたいのがあって、その通りに弾かなければいけない。「間違え」というものが歴然と存在していて、その音符ではない音を弾いたり、異なったリズムで弾けば間違えである。そして、その間違いを起こさないために延々と練習しなくてはいけない。間違えると、教官に怒られたりする。

ピアノのレッスンについて覚えているのは、音楽というのは辛く苦しいもので、練習をしなければ絶対に上手くならないということを、間違えるたびに再確認したことだ。そのこともあって、中学校に入るまで音楽はどちらかというと嫌いだった。

中学に入り、エレキギターを買った。今度は、誰にも習わずに、エレキギターを弄った。練習したのではなく弄った。コードの押さえ方とかについては、きちんと音がなるように我流で何度も練習したが、その他についてはほとんど真面目に練習しなかった。そのために、それから25年が経った今でも、まともにギターは弾けない。ギターソロというものが弾けない。ヘビメタの早弾きももちろんできない。ジャズやクラシックは弾けない。しかし、自分が楽しめる程度には引くことができる。誰にも聴かせることのできるクオリティーではないけれども、ギター弾き語りで歌を歌うことはできる。

ギターに慣れ親しんだら、音楽コンプレックスが軽減してピアノの音も嫌いではなくなった。二十歳頃のことである。それでも、ジャズのピアノトリオなんかを聴けるようになったのは30歳をこえた頃からである。20代の時に遅ればせながらビリージョエルなんかを聴きだして、ピアノ弾き語りに憧れをもった。いつかピアノを買っていじってみたいと思った。

その夢が叶って、35歳の時に自宅にピアノを買った。電子ピアノの音だとすぐに飽きて弾かなくなると思ったので、アップライトピアノを買った。生ピアノは音量の調整とかができないのでいい。誠にピアノらしい。ピアノは「小さな音も大きな音も出る」という意味でその楽器の名前がついたそうだが、今日、東京都内の住宅街でピアノを弾くとかなりうるさい。小さい音で弾こうとしてもうるさい。幸い、自宅が高架線沿いなので、多少のうるささは許される環境なのだが、うちの中にいる家族には十分うるさい。

そのうるさいピアノを、弾けもしないのにいじっているのである。誰に習うこともなく、気が向いたときに、歌詞カードとコード表だけを頼りに弾き語りの、伴奏の部分だけ我流で練習している。もう少し慣れたら、弾き語りの伴奏の仕方の教則本でも買ってこようかと思ったりもするが、きっといつまでもそこまで上達する日は来ないだろう。

理想のピアノ弾き語りはRandy Newmanである。Randy Newmanの「Live」というアルバムの弾き語りのスタイルがいい。ピアノが必要最低限の伴奏を行い、小難しいことはせず(実際のテクニック的には難しいのかは知らんが)、ソロは殆んど弾かず、歌の伴奏に徹している。元ピアノ嫌いとしてはピアノ伴奏の入り口であり、理想像である。

ランディニューマンの唄も歌詞もとっても良い。英語の歌詞の内容は正確にはわからないが、聞き取れるだけでユーモアと皮肉に富んでいて、それが結構差別的だったりするのだが、ランディニューマンの力の抜けた歌い方がそれをすんなりと歌い上げている。社会にメッセージをぶつけてやろう!という感じではなく、静かに嘲笑い哀しむというような歌だ。実際、彼の代表曲は政治的にも、社会的にもかなりヤバい内容の歌詞だったりするのだが、そんな曲が差別の対象とされている人さえもつい口ずさんでしまうような、不思議な魅力がある。

彼みたいに自然なピアノ弾き語りができるのであれば、別に彼の歌が歌えるようにならなくても構わない。

ビリージョエルのようにキリッとはしていないし、レイチャールズのようにソウルフルでもない、ジェリーリールイスのように乱暴でもないが、そういうトレードマークのようなものや、スタイルというものともまた違ったところで、ピアノというものの一つの魅力を最大限に発揮しているピアノプレーヤーだと思う。

ピアノを買って2年が経ち、未だ全く上達していない私は、今夜もRandy Newmanの「Live」を聴く。

 

今ほどエモーショナルではないPatti Austin 「End of Rainbow」

Patti Austinという名前を初めて知ったのはArturo Sandovalのアルバムで「Only you(No Se Tu)」というArmando Manzaneroの曲を聴いた時だ。

サンドバルの朗々と歌い上げるトランペットもすごかったが、パティーオースティンのなんだかしっかりした歌唱がぐっと胸にしみた。彼女の声がすごく生々しくて、歌い出しはちょっと控えめで、曲の後半に向けてドサッとそのパワーをぶつけてきて、エンディングではしっとりと聴かせる。その迫力と展開の見事さに一気に引き込まれてしまった。オブリガードを入れるサンドバルが彼女の歌にぴったりくっついてきて、トランペットソロでぐっと盛り上げると、パティーオースティンも勢いづいてきてエンドコーラスでフルスロットルまで持ってきて、その後さらりとしたエンディングに落ち着く。曲の展開としてはオーソドックスだが、だからこそシンプルに心に響く一曲だ。

YouTubeでQuincy Jonesの何かの記念コンサートで彼女が「How do you keep the music playing」を歌うのを見たことがあるけれど、ちょっとハスキーになった声でミッシェルルグランの名曲を歌い上げる姿はカッコよかった。クインシージョーンズのプロデュースしたジェイムスイングラムとのデュエット版(スタジオ録音)でもパティーオースティンは、ジェイムスイングラムが熱くなっている横でクールに歌っていて、その対比もまたいいのだが、ライブでもスタジオでも、声量を存分に使って歌っている時も常に先の展開を考えて冷静にコントロールしているようで、単なる熱い音楽にならない。とは言っても、その一方で、とてもエモーショナルでとても興奮させられる。巧妙につくられた音楽でありながら、エキサイティングである。

今日はパティーオースティンのEnd of Rainbowというアルバムを聴いていた。1976年に録音されたアルバムだから、彼女が20代の頃のアルバムだ。

一曲目の「Say you love me」を聴いて、ずいぶん透き通った彼女の歌声に驚かされる。今のパティーオースティンの歌声はどちらかというともうちょっとこってりしていてハスキーだ。このスッキリとした印象はアルバムを通して聴かれる。

そして、このアルバムは全曲彼女のオリジナル曲で構成されているのだが、どの曲もクセがなくあっさりしている。CTIレーベルから出ているアルバムだから爽やかなフュージョンアレンジになっているということもあるかもしれないけれど、なんだかJames Taylorのアルバムを聴いているんじゃないかっていうような気分になる。日曜の朝から聴けるアルバムだ。

こういうスッキリ・アッサリしたアルバムは、いつでも聴けるかわりに印象に残りづらくて、かえってあまり聴かなくなってしまうものだ。実際、私も一年以上このアルバムを聴かなかった。

しかし、実際聴いてみると、 CTIならではの、ストリングスが入ってくるアレンジなんかがちょっと特徴的だが、サイドプレーヤーも豪華でこの時代のフュージョンのベストメンバーと言える安定したプレイだし、全体としてはサラーっと聴けてしまうアルバムなので、気分がのっていないときでも聴ける。

ちょっと今のPatti Austinのイメージで聴くと拍子抜けするかもしれないけれど、彼女のクールで制御されたような歌唱は、こういう時代から続いているんだなあ、と再確認させられる。