Rhodes Suitcaseの接点不良、、、

昨日、週末にRhodes Suitcaseを修理したと書いたけれど、今日嬉々としてローズを弾いていたら、突然、また音が出なくなってしまった。

さっきまで鳴っていたオルガンの音が、プツリと鳴らなくなってしまった。

なんとなく、その前から嫌な予感はしていたのだけれど、突然のことで頭が真っ白になった。ああ、ついに、トランジスタが飛んでしまったかもしれない。この前、下手に修理したせいで、かえって症状を悪化させてしまったのかもしれない。そんなことが、頭をよぎった。

仕方がないので、症状を見ようとパワーアンプを止めているネジを一つづつ外して、中身を見てみた。私は、このパワーアンプを外すのが恐ろしくて嫌なのだ。なんせ、馬鹿でかい電解コンデンサがむき出しになっている。そこに触れた途端に間違えなく感電する。それも、かなりの強烈な感電を。

なので、できることなら、パワーアンプをバラしたくない。

しかし、音が鳴らなくなってしまったのなら仕方がない。

アンプをバラしてみた。

また、接点不良が原因だった。

仕方がないので、接点復活剤を端子に吹いて、繋ぎ直したら、音が出た。音が出たのは嬉しいのだが、次またいつ何時同じ症状が出てくるかわからない。

その時は悔しいが、あきらめようか。感電するのが怖いのである。山田かまちはギターアンプを分解していて感電死したというし、そういう事態がいつ何時私に降りかかってくるかもわからない。

あの馬鹿でかい電解コンデンサに触れたら、私も山田かまちだろう。

だから、次、音が出なくなったら、諦めて、しばらくお金がたまるのを待ってから、専門家に診てもらおうかと思う。

Rhodes Suitcaseのパワーアンプを修理した

Rhodes Suitcaseピアノには2つのパワーアンプが内蔵されていて、外部機器をつないで音を出せるようになっている。2チャンネルあるうちの片方を使ってローズを鳴らし、もう片方で外部のシンセサイザーなりなんなりをつないで鳴らすことができるのだ。

今まではローズだけで使っていたので、特に不便はなかったが、この度Hammond organが私の書斎に来たので、それまで使っていたデジタルのハモンドをリビングに持って行き、Rhodesにつないで使うことにした。

それで、試しにつないでみたのだが、どうも音が出ない。調べてみると、片方のチャンネルのパワーアンプが故障しているようであった。ローズスーツケースのパワーアンプはトランジスタアンプで、ずいぶん古いトランジスタが使われているので、簡単には直せない。パーツがないのだ。デジタルハモンドをつなげるのを諦めていた時、Vintage Vibeでローズのパワーアンプ修理キットを発見した。

迷わず購入してみたところ、これがまたかなりシンプルなキットで、トランジスタ7つと、抵抗2つ、電解コンデンサー2つだけのものであった。その他の部品については、各々で調達して直せということらしい。

とりあえず、どこが故障しているかもわからないので、すべてのトランジスタを交換してみた。ついでに、抵抗と電解コンデンサもキットについてきたものは全て交換してみた。

もう一度、組み直してみても、音が出ない。

これは困った。大枚をはたいて買った修理キットの意味がなかったのか、と諦めていたところ、インプット側の端子をいじっていたら、奇跡的に音が出た。ただし、音が出たり出なかったり。

よく見てみると、どうやら接触不良らしい。やれやれ、もしかしたら、はじめから単なる接触不良だったのかもしれない。けれども、たしかに音が出たので、接触不良を修理し、再度つないだところ、両方のチャンネルから音が出た。

これで、ローズにデジタルハモンドをつないで使うことができる。何はともあれ Vintage Vibe様様である。

ローズのパワーアンプの修理だけで土曜日の午後の全てを使ってしまったが、とりあえず治って音が出たので良しとしよう。あのキットさえあれば、たとえ、もう片方が壊れてしまっても修理ができることがわかっただけでもよかった。

ちなみにVintage Vibeのキット、出力トランジスタ付きのキットと、出力トランジスタなしのキットがあり、私は、念のため出力トランジスタありの方を買った。けれども、よく考えてみたら、出力トランジスタは壊れていなかったので、なしの方でもよかったのだけれど、あのローズのトランジスタ、今買っておかないと無くなってしまってはいけないので、とりあえず手元に置いておこう。

Vintage Vibeいつまでもパーツを供給し続けてくれますように。

オルガンの正しい使い方

私は、両親がキリスト教の家庭で育った。しかしながら、教会へはほとんど足を運び入れたことはない。

年に1度か2度、クリスマスと、イースターには教会に行った記憶がある。それらの日には、子供も参加できるパーティーがあるので、連れて行ってもらったのだと思う。

母は今は毎週教会に通っているらしいのだが、子育てをしている間は、教会に行く暇もなかったのだろう。だから、私はほとんど教会での記憶がない。クリスマスのミサの記憶はあるにはあるのだが、教会の裏の駐車場に車を駐めて、チェペルの横の隙間の雪をかき分けながら暖房の効いた建物の中に入っていった記憶と、聖しこの夜を歌ったことぐらいしか覚えていない。

当然ながら、賛美歌の類は全く覚えていない。

この度、オルガンを弾こうと思い、はて、何を弾けるだろうと考えてみたが、何一つとして弾ける曲はない。弾けもしないのに、書斎の3分の1ぐらいをHammond organが占めているのだ。これは、とても不経済なので、オルガンを練習することにした。

初めは、まず、ジャズを弾きたいと思ったのだが、ジャズは難しくてとても手がでない。オルガンでジャズを演奏する場合、左手はウォーキングベースを弾くか、コンピングをするかどちらかなのだが、もちろん、そんなことできるわけがない。

ベースラインも弾けなくて、コードを押さえながら右手でメロディーラインを弾くことができなかったら、ジャズは無理である。さしあたり、これでは弾ける曲がない。仕方がないので、一番簡単なジャズピアノの教則本を見ながら勉強しているのだけれど、1ページ進むのに1月以上はかかりそうなので、全く面白くない。

音楽というものは、もとより面白いという類のものではないのかもしれないが、ここまで何も弾けないと、面白くないというよりも苦行である。

そこで、まずは、ジャズの基本、ゴスペル、と言いたいところなのだが、ゴスペルの元ネタの賛美歌を練習することにした。

賛美歌、全く知らない。知らないが、賛美歌は覚えやすいはずだし、何よりも弾いていて少しは心が救われて、苦行は苦行でも気分は悪くないだろうと踏んだのである。それで、銀座の教文館に行って、教会で弾く音楽の楽譜を買ってきた。初めは、賛美歌をと思ったのだが、賛美歌は伴奏譜だったので、オルガン曲集を買ってきた。

大雑把に言うと賛美歌のフレーズを、オルガンように編曲している曲集である。教会の奏楽曲というのか、そういう用途の曲集である。

私は、心の中ではジョードシューなのだが、ここに来て、教会音楽の練習をするとは思ってもいなかった。しかし、神に仕えるもののための音楽である、何宗であろうが弾いていけないこともあるまい。

それに何より、このHammond organという楽器はそもそも、教会で音楽を奏でるために発明された楽器なのであるから、本来の用途である奏楽曲を弾くというのは理にかなっている。

それで、バロック時代の、何やら知らない作曲家の曲にチャレンジしているのである。

ちょっと弾いただけで、弾けた気になるよう、一番短い曲が載っている「短いオルガン曲集」という本を買ってきた。まずは、これで、ゴスペルぐらいまでをカバーするオルガニストになろう。

サイクルチェンジャー要らず

Hammond B3は117V 60Hzで使うようにできているらしく、東京の50Hz環境で使うためには周波数変換機というもの、いわゆるサイクルチェンジャーがなくては使えない。誠に困ったものである。そうでなくてはA440のピッチに合わなくなってしまうのだ。

しかし、私の家に入れたハモンドにはサイクルチェンジャーが付いていない。どうしたものか、困ったものである。これでは本当は50Hzで使うと大体短3度低い音程になってしまうというのだ。しかし、一応A440のピッチで音は出ているようだ。

気になって、油を注すついでに裏を開けて見てみた。

ハモンドオルガンの中身を見るのは初めてである。どこがどのように改造されていても、私は気付かない。油を注すインストラクションを見ながら、油を刺そうとすると、Runモーターのあたりがインストラクションと随分違うのだ。

見たことのないモーターが増設されている。そのモーターから、トーンジェネレーターのシャフトにベルトがつながっている。確かハモンドは、モーターのダイレクトドライブじゃなかったっけ、などと思いながら考えてみると、これは50Hzに合わせて鳴らすための改造である。

なんと、サイクルチェンジャーを増設するのではなく、モーターを変えているのだ。世の中に、このような改造を施してあるハモンドは一体何台ぐらいあるのだろう。きっと珍しいだろう。

あいにく、オイルを注すので一生懸命になってしまい、モーターの写真を撮るのを忘れてしまったが、こういう力技で、解決する方法があったかと、目から鱗であった。

ノイズの原因は、そのベルトドライブの部分でもあったようだ。とりあえず、Hetmanのチューニングスライドグリスを塗っておいた。普通のハモンドオイルでは、すぐに油ぎれを起こしてしまうからだ。果たして、これでいいのかわからないけれど、モーターノイズは一旦収まった。

Hammond organの動作音が静かになった。

昨日、自宅にハモンドオルガンを搬入したのだが、電源を入れるたびにモーターの音がブンブンうるさくてどうも気になっていた。

ハモンドオルガンというのは、このぐらい雑音がするものなのかと諦めていたが、聞いているとその雑音がどんどん大きくなっているような気がして(気持ちの問題なのだろうけれど)気になっていた。どうも、カタカタがしていた。

カタカタの原因はわからないのだけれど、インターネットで調べると、同じような悩みを抱えている人がいて、やれ、モーターの不具合だとか、やれスタートモーターが壊れているだとか色々と書かれていた。

モーターが壊れてしまっていてはどうしようもないので、これは諦めるしかないかと思っていたのだけれど、まだ望みは捨てないでいた。

幾つかの記事を読んでいるうちに。油をさしたら治ったという記事があったので、これはいっちょもう一度油をさしてみるべか、と思い立ち、ハモンドを移動して油をさし直した。昨日から3回か4回は油をさしている。その度にハモンドを移動するのだけれど、これがなかなか大変なのだ。

Hammond B3は200キロぐらいある。その巨体を動かすのは並大抵のことではない。まず、レスリースピーカーをどかせる。これが60キロぐらいあるので、うまいこと動かさないと、壊れてしまうのだが、持ち手のようなものが付いていない。レスリーは、据え置きで使うようにできているのだろう。持つところのような便利なものは一切ついていない。だから、できるだけ床に傷がつかないようにゆっくり動かすのだ。

レスリーが移動できたら次はハモンドを動かす。隣においてあるアップライトピアノに傷がつかないように、ぶつけないように動かさなくてはいけない。200キロの楽器を一人で引っ張ったり押したりするのはこれがまた大変。

なんとか動かすことができて、ハモンドのオイルを注入した。

いかんせん、10年以上オイルをさしていなかったものだ。普通なら1ozぐらいさせばいいと書いてあるのだけれど、ちょっと多めにさしておいた。昨日までは1ozずつさしたところに、今日はさらに半オンスさした。モーターのベアリングにつながっているところに重点的にさした。すると不思議なことに、少し動作音が静かになった。

良かった。

とりあえず、ハモンドでは一曲も弾けないのだけれど、ちゃんと動作するようになったのだから嬉しい。このハモンドは借り物なのであんまり無茶なことはできないのだけれど、オイルを注すぐらいはやってあげないと壊れてしまっては大変だ。とにかくインターネットに書いてあった通り、オイルをさして良かった。

Hammond B3がやってきた

入るかどうか、が入ってきたところで置き場所があるのかないのか、心配していたHammond B3とLeslie122RVがなんとか部屋に収まった。

ハモンドについては、あらかじめどこに置こうか考えていたのだけれど、レスリースピーカーについては、事前に考える余裕がなく、運送屋さんに、どこに置きますか、と言われても、はて、どこに置こうかと考えてしまう始末。

それでも、なんとか場所を作って、部屋に入れた。

Hammond B3の電源を入れると、常にモーターの駆動音がかなり聞こえるのだけれど、果たしてこれでいいものなのか。油をさせるところにはさせるだけ油をさしたのだけれど、果たしてこれで良かったのか。

ちっともわからないけれど、とりあえず音は出た。気になっていたサイクルチェンジャーは付いていなかったけれど、何やらモーターが替えられていて、なんとかA440は出ているようだ。

まだ、何も弾ける曲がないのだけれど、さて、これから何を練習しようか。

産みの苦しみを見てしまった、初夏

オペラシティーの建物を出たら、雨が上がっていた。

その日は朝から、おかしな天候だった。朝家を出た時には晴れていたのだが、初台についてみると、雷雨に見舞われ、私は演奏会が始まる前にその雷雨の模様を観ながら喫茶店で朝ごはんを食べ、コーヒーを飲んで時間を潰した。

私は、演奏会そのものには興味がなかった。ただ、その頃仕事で演奏会作りに加わっていたので、その関係で、勉強として一度ピアノのコンクールというものを見なければならないと考えていたので、そのために足を運んだ。

会場について、コンクールの予選を聴いていると、曲目は違えど、皆ほぼ一様に上手い演奏をする。それが、トコロテンを押し出すかのように、するすると現れ、舞台袖に降りていく。演奏そのものが心を打つことはほとんどなかった。小学生、中学生の演奏で感銘を受けるうような演奏は期待していなかったが、本当に聴いていても、つまらないものであった。

ただ、そこには確かに努力のあとはあった。それは、私の経験したことのない努力の形だった。ただ、ピアノを審査員にウケるように弾くというたゆまぬ努力。きっと楽しくなんかないだろう。受験勉強が楽しくないのと同様に、彼らも、そのつまらない努力のために、初夏を潰しているのだ。ひょっとしたら去年の冬から同じ曲と格闘しているのかもしれない。その、努力を感じさせる何かがあった。

人間とは不思議なもので、幾つかの演奏を聴いているうちに、弾き手がその努力を好きでしているのか、嫌々やっているのかがわかってしまう。初めはそれは、ただ流して弾いているだけなのかと思ったが、そうではなく、その演奏は嫌々弾いている演奏なのだ。これがプロの弾きてなら、嫌々弾いていようとどうであろうと、それを技術でカバーすることはできるだろう。悲しいかな、素人の子供にそれはできない。

親なのか、先生なのかに着せられた、ドレスや、似合わない背広に身を包んだ子供が演奏する姿を、半日も見るのはある意味つらかった。ただ、一つ確かにわかるのは、ここで演奏しているコンテスタントの方が、私の何万倍も辛いのであろうということだった。ここで、頭一つ抜けたところで、将来何の役に立つのかもわからないお遊戯を、審査員の前で晒し者にされながら踊り続けるのはさぞ辛かろう。

けれども、その中で、最後に弾いた中学生がの演奏には、なかなかの感銘を受けた。本人も楽しんではいないのかもしれないけれど、それが、芸としてある程度成り立っていたからだ。それは、審査員には興味のないことなのかもしれないけれど、ピアノの上手い下手もわからない私にとっては、芸として面白いかどうかだけがここに座っている意味だと思って聴いていたから、彼の演奏は唯一聴くに耐えた。ショパンの革命エチュードを弾いていたような気がする。

コンクールの予選を最後まで聴かずに、私は会場を後にした。コンクールの客席に、職場の同僚が娘さんを連れて聴きに来ていたので、彼女らとコーヒーを飲むことにしたのだ。彼女もまた去年までは娘さんをこのコンクールに出場させていたとのことだった。

娘さんは、黙ってコーヒーを飲んでいた。母親の職場の同僚とコーヒーを飲んでもつまらないのだろう。そりゃそうだ。かわいそうなので、早々に切り上げてあげるべきだったので、店を出た。

私が、手持ち無沙汰そうにしていると、気を使ったのか、天気も良くなったのでちょっと新宿まで歩きませんか。と同僚が背後から声をかけてきた。娘さんは、ちょっとお母さん早く帰ろうよ、というような雰囲気であったが、私は夕方まですることがなかったし、そもそも、ああいうものを観た後だったから気分転換に誰かと談笑しながら外を歩きたかった。

新宿駅に向かい、西新宿のビル群を縫うように3人で歩いた。雨はすっかり上がって、日差しが強く感じられた。私は都庁の前で立ち止まり、自販機で水を買い飲んだ。水を飲んでいると、あのコンクールの時に気づかなかったプレッシャーのようなものから解放されたような気がした。聴いていた私が、これだけプレッシャーを引っ張っているのだから、あそこで演奏していた彼らは、いったいどれだけのプレッシャーを背負っていたのだろうと考えるとゾッとした。もっと、彼らの演奏に真摯に向かえばよかったと、少し後悔した。

プレッシャーから解放され、気分が軽くなったので私は気が大きくなってしまったのか、同僚の親子に都庁の展望室に登らないかと提案してみた。なぜ、そんなことを思いついたのかはわからない。この開放感を味わうためには、どこか見晴らしのいいところに立ちたいと思ったのだろうか。

娘さんは、嫌とは言わなかったが、行きたいとも言わずに、同僚と一緒に私についてきた。思えば、身勝手な提案ではあったが、私はあのプレッシャーからの開放感を味わわなければ、気分が滅入ってしまいそうであったのだ。

展望室に上がると、さらに気分が高揚し、私は二人を連れて都内の展望を案内した。まるで、自分の所有物であるかのように。

あっちは六本木、こっちに僕の家がある。日比谷線の三ノ輪駅の方だけど、ここから見えるかな。うちは3階建てだからひょっとしたら見えるかもな。

などと、言いながら、一通り外を眺めたら、やっと気分が晴れてきた。同僚も、お付き合いとはいえ、すこし楽しそうであった。ベンチに腰掛けていると、展望室の中にグランドピアノが置いてあり、それを弾くための行列ができていた。私は、その時初めてピアノが置いてあったことに気がついた。

ちょうど、その時ピアノを弾いていた若者はなかなかの腕前で、カンパネラを弾いていた。その演奏は、プロのようではなかったが、さっきまで聴いていたコンクールのそれとは違い、のびのびと感じられた。ああ、私はこういう音楽しか今まで聴いてこないようにしてきたんだな、と思った。たしかに、私はあのコンクール会場で聴いたような音楽は無意識的に聴かないようにしてきたのだろう。

芸というものを熟成させる過程で、どうしても、人に睨まれながら演奏をしなくてはいけない局面を何度も通過するであろう。けれども、そのような演奏をいつまでもしていては芸としてお金を稼げるようにはならない。あの、厳しいプレッシャーを通り越して、あたかも都庁の展望室で弾いているような演奏ができるようになって初めてそれが芸として成り立つ。そんな、どうでもいいようなことをつくづく考えながら、展望室を後にした。

都庁を後にして、照りつける暑い日差しの中を、新宿駅まで向かった。何か、美しいものが生まれるまでの産みの苦しみと言うものをまざまざと見てしまったような気まずさを感じながら、私たちは初夏の新宿を歩いた。

どれだけCDを買っても聴きたい音楽がつきないこと

今はもうCDの時代ではないのかもしれない。

最後に映画のDVDをレンタルしたのはもう5年以上前だったかもしれない。よく覚えていない。結局一度もBlu-rayディスクというものの世話にならなかった。映画はもっぱらアマゾンプライムで視聴している。アマゾンプライムで観ることのできる映画は非常に限られていて、観たいと思うような映画に限って取り扱いがないのが常なのだけれど、まあ、それは仕方ないだろう。アマゾンの映画レンタル商売と私の趣味が合わないのだから。しかし、まあ、アマゾンプライムで十分事足りるぐらいしか映画を見たいという欲求がないのでそれはそれで割り切っている。

しかし、こと音楽となると、数多ある配信サービスではどうも満足ができない。未だにCDやレコードを買って聴いている。これは、映画の場合と逆で、もしかしたら私のCDラックにあるぐらいの音源であれば、どこかの配信サービスで十分カバーできるのかもしれないけれど、それでは満足できない。

私は、まだ見ぬ名盤がないか探すためにいつもレコードショップに足を運ぶ。書斎には約3,000枚のCDがあるのだけれど、それでは満足できないのだ。なにせ、今聴きたいというような音楽は大抵自宅のレコードラックにはないのだ。

もしかしたら、音楽を嫌いなのかもしれない。音楽に飽きているのかもしれない。けれども、きっとどこかに、私が今聴きたいような音楽があるのではないかと思い、レコードショップに足を運ぶ。

自宅にあるCDのほとんどは、かつて聴きたくて聴きたくて仕方がなかったものばかりである。その時々で、それらの音楽がないと明日を過ごせないのではないかという切実な思いで買いあさった。

けれども、ふと音楽を聴きたくなった時、そこには聴きたい音楽が見つからないのだ。

これを、贅沢病といえば、まさにそうなのだろう。けれども、耳は常に贅沢で、耳の贅沢は心の贅沢で、心の贅沢は常に心を豊かにしたいという欲求に駆られているものである以上、この贅沢病を治そうとも思っていない自分がいる。

とは言っても、聴きたい音楽が手元にないというのとも違う。手元にある音楽はどれもなかなか悪くない音楽なのである。これほど多くの素晴らしい音楽と出会え、聞こうと思えばいつでも手が届く、この音楽視聴装置という魔法に出会え、それを所有していることは私にとってこの世界に生きている最も素晴らしい喜びの一つなのである。まったく、この世界に生まれてきて良かった。

音楽はときに素晴らしく心を打つ。それは上手い下手を超えて、魂に手をかざしてくる神々のような存在だ。そもそも私が聴きたい音楽は上手い音楽ではない。例えば、クラシックのピアノであればホロヴィッツやミケランジェリなどは文句なしに上手い。その他、有名無名、ベテラン・若手の上手いピアニストは腐るほどいる。しかし、それがどれ程上手くても魂に手をかざすような演奏に仕上がっているわけではない。私がいう素晴らしい音楽は、私を超えて、私の魂と、音楽の神様に接近してくるような音楽なのだ。

以前、仕事柄、色々なピアニストの音楽を聴いた。その中には一部の有名人を含めて、上手いと言われている人、下手と言われている人がたくさんいた。しかし、その中で、私の魂に手をかざしてきたような演奏に出会えたのはほんの数回だった。まあ、私が自分から進んでピアノ音楽の演奏会に足を運ばなかったせいも大いにあるけれど、それでも、その少ない経験の中から私は学んだことがある。音楽の良し悪しは、演奏の良し悪しと必ずしも一致しないのだ。演奏が素晴らしいから、その音楽が素晴らしいわけではない。その聴き手の心の有り様にいかにアプローチしてくるかがもっとも大切なのである。

さらにピアノの世界には数多のコンクールがあり、幼い子供から、若手音楽家まで多くの人たちが参加している。

あれは、不毛だと思う。

たしかに、優れた演奏家を見つけることはできるだろうし。参加する演奏家はそのコンクールのために腕を磨くだろう。けれども、コンクールで秤にかけられるような音楽の中に、素晴らしい音楽を見つけることは、太平洋の中になくした貝殻を探すよりも難しい。もちろん、優れた演奏家は見つけ出すことができるのだが。

あのような形の中から、音楽を紡ぎだそうという無謀で不毛な産業に、何の意味があるだろう。

私が言っているのは、エキセントリックな音楽を聴きたいと言っているのではない。豊かでも良いし、貧しくても良いから、心を刺激してくれるような音楽に常に向き合っていたいのだ。それは、必ずしも優れた演奏の中には見つからない。もちろん、下手な演奏からそれを探す方が何万倍も困難なことは承知しているのだけれど。

そのような視点から、音楽と向き合える音楽家が出てこなければ、音楽の時代は終わるだろう。これは、クラシック音楽に限らず、ポップスにもジャズにも言える。むしろ、ポップスやジャズこそ、優れた演奏家の中から素晴らしい音楽を見つけることは困難であるとすら思う。

時々、音楽に良し悪しはないという意見をおっしゃる方もいる。彼らは、音楽を聴く心を持ち合わせていないのだろう。音楽に良し悪しはある。ただ、それが見えづらく、わかりづらいだけなのだ。

そのような事情で、私は時に素晴らしい音楽を探し、レコードラックに向かう。けれども、なかなかその中から、その時の気分に合っていて、かつ素晴らしい音楽というものを探すことは非常に困難だ。だから、そのためのメサドン療法として、上手い音楽も持っている。人間とは不思議なもので、良い音楽にあまり触れすぎていると、心が疲れてしまう。そういう時に、どうでも良い上手い演奏を求めるのだ。

今日は、疲れたので、上手い演奏を聴いている。これはこれで悪くない。

部屋を片付けた、ハモンド入ると良いな

暑い日々が続きますが、皆様のご機嫌はいかがでしょうか。特にお変わりないでしょうか。

今年は、新型コロナとかで皆マスクをつけているおかげか、夏風邪などあまり流行っていないのか、はたまた流行っているのか、よくわかりませんが、私は元気にしております。だんだん、この新型コロナウイルスなんかにも慣れてきてしまっていて、会社は知らないうちにすっかり通常運転に戻っております。景気はどうなんでしょうかね、私の周りはすっかり景気の悪い話ばかりを聞きます。

週末なんかも、派手に出歩いたりはできないのでしょうが、昨日渋谷に散歩に行くと、以前通りの人出でした。世の中、だんだんコロナにも慣れてきたのか、これは良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが、そもそも、良い悪いで人は行動しないですからね。

それでも、私も外出は以前よりもすこし控えめ気味にしているつもりです。この、なんでも控えめ気味ぐらいが世の中丁度良いのかもしれません。なんでも一生懸命というのも、それはそれで良いのですが、人生長いので調子良いときも、調子が悪いときもあるのは仕方ありません。

かくいう、私も、ここ1年ぐらい(いやもうちょっとかな)仕事ではスランプに陥っているところです。どうも、毎日調子が上がらない。物事に集中して取り組めない。そのせいなのかなんなのか全然ポジティブなアウトプットがない、という状態が続いております。その一方で、物欲などは衰えていないので、これは仕事だけの問題なのか、または体調そのものが良くないのかはよくわかりませんが。あんまり調子が良いのも、いままで悪い兆候だったということもあるので用心しなければなりません。

自分で、ちょっと不調だなと思いながらやっているのはなかなか辛いことですが、これがなかなか人に説明するのは難しい。そもそも、そういう悩みはわかってくれる人がおりません。人間というのは孤独な生き物だということをこういう時こそつくづく感じます。

一方で、調子が良いと本人が思っているときはもっと要注意。私なぞは調子が良いのは長続きした試しがない。調子が良いと自分で思っていると、すぐに体調を崩してしまいかえって痛い目にあいます。だから、このいまのネガティブな気分さえなんとかなれば、少し不調なくらいで仕方ないのかもしれません。

このような、不調が続く毎日ですが、ちょっと日の光が見えてくるようなことがあります。人生捨てたもんではありません。捨てる神あれば拾う神あり。といえば言い過ぎでしょうか。

実は、ある知り合いからハモンドB3を貸してもらえるかもしれないのです。Hammond B3といえばジャズオルガンの名器、オルガンの世界の金字塔です。山でいう富士山。車でいうクラウン。相撲でいう朝青龍。時計でいうグランドセイコー。トランペットでいうバック。ピアノでいうスタインウェイ。スピーカーでいうJBL。オルガンでいう、、あ、オルガンではHammond B3でした。

なんだか、国産品やらなんやらしか思い浮かばないのは庶民の悪いところです。しかし、B3は庶民ではなかなか所有することはできません。まあ、わたしも別に所有できるわけではありませんが。それでも、B3が自宅に来るかもしれないのです!!

まず、困ったのは置き場所です。なんせB3は130cm四方ぐらいの場所をとる。自宅にそんなスペースはなかったのですが、なんとか片付けてスペースを作りました。次の問題は重量。これがゆうに200kgくらいあるのです。うちみたいなぼろ家の床が耐えられるのか。不安なところです。B3だけならなんとかいけるかと思いますが、問題はその上に座って弾くということ。これだけでも、床が耐えられるのか不安なところです。それでも、なんとか置きたいと思い場所を空けました。それもできるだけ窓際の床を。

最後の問題。これが一番の難関です。

果たして家に搬入できるのか。以前のアップライトピアノの経験から、玄関入れは絶対に無理ですので、窓入れになります。これが、掃き出し窓の一つでもあれば良いのですが、悲しいかな下町暮らし。そんなものはありません。なので、1階腰窓、ユニック入れです。果たして入れれるのか、心配です。

もし、入ったところで、ハモンドを演奏できるのか、という問題はありますが、演奏できるかどうかは二の次です。

それよりも、東京の50hz電源で使える仕様になっているのか(サイクルチェンジャーは付いているのか)、そもそも音はなるのか。などと、わからないことはたくさんあります。

心配してみたとことで、家に入らなければ始まりません。それ以外の問題は、少しづつ解決することとして、まずは家に入れることからです。まあ、音が出なければ、単なる場所をとる高価な粗大ゴミですが。それも仕方ありません。ハモンドを家に入れるという夢を叶えるためには、そのぐらいのリスクは背負わなければなりません。

ハモンドの修理って、いったいいくらぐらいになるんだろう。メンテナンスっていったいいくらぐらいになるんだろう。

不安なことばかりですが、とりあえず、まずは家に入るかがさしあたっての問題です。

ハモンド、家に入ったら良いな。

フラメンコを少々 Tomatito

先日、従兄弟から電話があった。

従兄弟から電話がくることなど、滅多にないことなので、私は不謹慎にも誰か親戚が亡くなったのかと思ってしまった。だいたい、滅多に連絡がこない人からの電話は、よくない知らせのことの方が多い。今回も、またそのような知らせかと思い、焦るような、諦めるような気持ちになり、電話を取った。

すると、電話の向こうの従兄弟はそれほど緊迫した様子でもない。むしろ、急ぎの用ではないというようなことを言うではないか。久しぶりに電話をかけてきて、急ぎの用ではないということは、日常では滅多に起こらないことである。大抵、急ぎの用でないときは、手紙などを書く。しかしながら、手紙ではなく電話なのだから、ある程度は急いでいるのだろうとタカをくくっていたが、実のところ、本当に急ぎではないようだった。

どうも話によると、従兄弟の息子さんがこの度ギターを始めるという。それにあたり、どのようなギターを買い与えれば良いかの相談だった。私の得意分野である。実のところ、恋愛とか相続とかの相談とかでなく、楽器の相談で安心した。楽器の相談以外では、私はほとんど役に立たない。親戚の中でも、私ほど相談のしがいのない人間は珍しい。

それで、息子さんは何ギターが弾きたいのですか。エレキギターですか、クラシックギターですか。と尋ねてみるも、いや、それは息子に聞かないとわからないという。無理もない。ギターについてズブの素人に、何ギターですかと聞いてもわかるわけがない。

フラメンコギターです。

と答えが返ってきたら、どうしようかと思った。フラメンコギターは専門外である。コンデエルマノスぐらいしか知らない。

運良く、息子さんはクラシックギターを嗜むつもりらしい。

クラシックギターならば、19,800円ぐらいからありますよ。ありますけれど、大人が弾いて満足するようなギターはだいたい20万円ぐらいからでしょうね。子供の練習用だと、まあ5〜8万円ぐらいを考えておくといいかもしれません。と回答すると、

え、ギターってそんなにするのかい。それは、まいったなぁとのことである。まいるのはこちらである。19,800円のギターで満足されていては、私の生業は成り立たない。せめて、20万円ぐらいは覚悟してもらわないと。

一度、いいギターの音を聞いてもらって、その上で判断してもらった方が早そうだ。

それで、今夜はトマッティートを聴いている。当代きってのフラメンコギタリストである。パコデルシア亡き後、彼とヴィセンテアミーゴぐらいしか、私はギタリストを知らない。

トマッティートの音は、乾いていて、なんとも悩ましい音がする。この、カラッからに乾いているようでいて、ずっしりくる音圧は、なんなんだろう。ギタリストたるもの、このようなずっしりとした存在感をギター一本で出せなければいけない。

指が回るのは、それはフラメンコを志しているのであれば、もちろん必須の条件なのだけれど、トマッティートはそれに加え、このガラスを砕いたようなギラッとしたラスゲアードや、そもそも、何を弾かせても、ずっしりくる感じとか、彼のサウンドがある。指の力がよっぽど強いのだろう。クラシックギターの連中にはこうはできまい。

トマッティートには、今後もこのような凶暴でいて、さっぱりしていて、哀愁などとは無関係な音楽を続けて欲しいと思っている。