黒と白で 1973Telecaster

私は、どうも黒いギターに弱いらしく、黒いギターばかり持っている。

中学の頃ギターを始めて手にした頃は、ずっとスリートーンサンバーストに憧れがあって、フェンダーのストラトはサンバーストが一番良いだろうと思っていた。

しかし、いつの間にか、手元には黒塗りつぶしのギターばかりが残っていた。

確かにサンバーストはエレキギターらしいし、あれはあれで美しいのだけれど、どうもものとしての存在感が強すぎて、つい眺めてばかりになってしまい、あまりじっくり弾きこむということをできなくなってしまうような気もする。まあ、気のせいなのだろうけれど。

その点、黒の塗りつぶしはシンプルでいて、飽きなくて、良い。食材の世界でも、黒酢、黒豚、黒にんにく、と黒は重宝されているけれど、ギターについても同じぐらい黒は重宝されても良いのではないか。

塗装の良し悪しが一番顕著に出るのも黒の塗りつぶしだと思う。サンバーストは、サンバーストであればなんとなくカッコがつくし、木目が透けている塗装はどうも、ごまかしがあるように感じる。黒は、いちばん簡単そうでいて、綺麗な黒の塗装というのはこれがまたなかなか奥深いものがある。

例えば、黒いピアノ、あれはあれでいて一般的だけれど、近年作られた黒塗りのピアノで、「ああ美しいな」と思わせるような黒を見たことがない。一部の高級ピアノを除いて、どれもつまらない黒である。

それが、ちょっと古い60年代ぐらいまでの黒いピアノは黒に引き締まった感じがするものがある。塗装が厚ぼったくなくて、黒に透明感があり(艶消しでも)、カブトムシのような黒でかっこいい。ああいうのが黒の理想形である。

それで、黒いギターに話を戻すと、これがなかなか美しい黒のギターは少ない。

そもそも、ギブソンはレスポールカスタム以外に黒のフィニッシュのギターを近年までほとんど作っていなかったし、フェンダーも70年代中盤まで黒はカスタムカラーだった。

最近になって、エボニーフィニッシュのレスポールスタンダードなんかもあるけれど、70年代まではレアカラーの部類である。

私の手元に1973年のFender Telecasterがある。ブラックフィニッシュで、ホワイトガードである。

70年代のテレキャスター、というか70年代のフェンダーもギブソンも、私が学生の頃ぐらいには新品の半値ぐらいか、もっと安く売っていた。ところが、ここに来て、少しづつ値段が上がっているのだ。

私が、始めて1979年のテレキャスターを20代の終わりに買った時は、12万円だった。もっとも、リフィニッシュで、改造箇所もいくつかあって、フレットは減りまくっていたけれど、それでも、今買うと倍ぐらいするようになってしまった。

70年代のテレキャスターは75年ぐらいを境にボディーがノーザンアッシュのものすごく重いやつになるので、サウンドも引き締まるというか、ちょっとバリバリという感じに変わるのだけれど、あれはあれで他のギターには出せない魅力がある。だから、75年から79年ぐらいのテレキャスターが好きだ。

ただ、あれだけでテレキャスターの音というものは語れなく、どうしても、テレキャスターといえば50年代のヴィンテージというところに回帰していく。けれど、50年代のヴィンテージは今や数百万円の値段が付いていて買うことができない。60年代の個体でも100万円はゆうに越してしまう。

そこに来て、71年から74年ぐらいまでのテレキャスターは、古き良きテレキャスターのテイストを残しつつ、バリバリと暴れる感じもあり、テレキャスターを語るには十分素晴らしいギターだと思う。

できれば、これからも、あまり値段が高騰しないで、誰にでも手がとどく値段帯でいてほしい70年代のテレキャスター。まだ、派生モデルが少なく、モデル名がシンプルに「Telecaster」だった時代の楽器を、ギターおじさん達のためにも買占めとかしないでおいてやってほしい。

73年のテレキャスター、

とても不器用ですが、素晴らしい楽器です。そして、ブラックフィニッシュです。

家のベヒシュタインを調律してもらった

昨年の5月にベヒシュタインの古いグランドピアノを家に迎え入れた。それで、うちの貯金は全て使い果たしてしまった。そういうわけで、我が家には住宅ローンやら、楽器のローンやらだけが残った。

確かにお金は無くなったが、心は満たされた。

しかし、ピアノというものはメンテナンスをしなくては、どんどん劣化するものである。逆に、メンテナンスさえ怠らなければ、うちのピアノのように120年後にも楽器としての役目を果たせるのである。

しかし、悲しいかなピアノを買ってお金に窮してしまい、1年ほど調律ができなかった。北の国から運ばれてきた私のピアノは、東京の湿度にやられピッチがどんどん上がってきてしまい、ついには447Hzぐらいに狂ってきてしまっていた。これでは、ピアノを常に痛みつけているような状態だ。

これではピアノが壊れるのが時間の問題なので、清水の舞台から飛び降りる気持ちでピアノを調律してもらった。

ピアノをずっと調律できないでいたのには、お金以外にもう一つ理由があった。うちのピアノは1896年製ということもあり、すでにボロボロでいつ壊れてもおかしくない。そのようなピアノを調律したりすると、壊れてしまうのではないかと心配だったのだ。

響板には幾つもの割れがあり、アクションは元気なのだが、フレームにヒビが入っている。このフレームのヒビが気になってしまい、このピアノを調律すると、このヒビがさらにひどいことになるのではないかと危惧していて、ずっと触らずにいたのだ。また、そのようなピアノを快く調律してくれるような調律師がいるのか、ということも心配だった。

しかし、一方ではピッチが5ヘルツも上がっている。このままではピアノに負担がかかりすぎて、ピアノがダメになってしまう。

困った挙句、餅は餅屋だろうということでベヒシュタイン・ジャパンに電話をかけ、調律師さんにとりあえず来て診てもらうことにした。

こうこうこういう状態なのですが、ピアノ、調律していただけますかね?もし、来てみて、これはもうダメだということであれば、何もしないで帰っていただいても構いません。と、ダメ元でお願いしたら、調律師さんは

大丈夫です。ピアノは、持ち主が諦めない限り、いつまででも寿命を延ばすことはできます。お金がかかる場合もありますが、諦めなければ、ピアノはゴミにはなりません。ましてや、ベヒシュタインという名器をお持ちであれば、諦めずにコツコツメンテナンスすれば、必ず、良い状態を保てます。

と言ってくれるではないか。

それでは、ということで、調律に来てもらった。

午後の1時半から何時間もかけて、じっくり調律してもらった。調律だけでなく整音もしてもらった。440Hzにしてもらったから、7Hz下げである。調律を3回したという。

ピアノは、また蘇り、元気を取り戻した。もちろん、120年前の楽器である。色々とガタはきている。御老体である。新品同様とはいかない。けれど、雑音していたところも、できるだけ雑音を消してもらい、音色のバランスも整えてもらった。以前よりも、鍵盤の押さえ方に対して敏感に反応するようになった。

このピアノは、元ピアノ屋稼業の私にとって特別な一台なのだ。そして、我が家の大切な宝物なのだ。

これから、時々は練習して、いつかErroll GarnerのMistyを弾けるようになりたい。そこまでいかなくても、弾いてみたい曲は幾つかある。

この、外出自粛の中、私の心を癒してくれるのは一台のBaby Grandなのだ。

オーバーホールが必要な懐中時計

Walthamの懐中時計が好きで、2つばかり持っている。

懐中時計は、カチカチカチカチしっかりと時を刻んでくれているようで、好感が持てる。ラーメン屋に入り、注文をした後に店の親父が自分のラーメンをしっかり作ってくれている時の安心感のようなものを、あの生真面目な懐中時計の音を聞いていると感じる。

ところが、悲しいことに、2つのWalthamのうちの片方は、1日に20分以上も遅れてしまうのだ。これでは使い物にならない。そのため、所有してから一度も持ち出したことがない。

時計屋に修理に出そうと思い、Web見積もりを取ったところ、オーバーホールだけで3万円と言われた。3万円といえば、かなりの金額である。おいそれと出せる金額ではない。それで、仕方なく、そのままにしてある。

これではあまりにも不憫なので、時々巻き上げて、動かしてはいるのだけれど、ある程度正確に時を刻んでくれなければ、時計は無用の長物である。

Walthamの良く調整された懐中時計は5万円も出せばある程度のものは手に入るので、今更3万円をかけて調整に出すメリットも感じられずに、机の引き出しにしまってある。

もう一つElginの金時計も持っている。これは、ちょっとアールデコ調の時計で、デザインは気に入っているのだけれど、不動品である。巻き上げれば動いてくれて、時をある程度正確に刻んでくれるのだけれど、分針が止まってしまうのだ。これも、オーバーホールの見積もりを出したら3万円と言われた。

どちらかといえば、こちらの方が小型で使い勝手が良さそうなので、治したいのだけれど、3万円という金額に気後れしてしまい、修理に出せずにいる。庶民がそんなに時計ばかり持っているのは身分不相応なのだけれど、うちは祖父が時計修理工の端くれだったので、時計には思い入れがあるのだ。

実は、もう一つ、ジャガールクルトの懐中時計もある。

こちらは、完全なる不動品。手に入れたときは正確に時間を刻んでいたのだけれど、ある時急に時を刻まなくなった。これは、それほど高価ではなかったのだけれど、私の持っている時計の中では最高級品である。こういう時計を新品で買うことは絶対にないとは思うのだけれど、新品で買うと数十万円ぐらいするのだろうか。

こちらは、オーバーホールの見積もりが5万円と言われた。

5万円、さらにおいそれとは出せない金額である。5万円もあれば、そこそこ使える新品の腕時計が買える。

これらの、時を正しく刻まない懐中時計を眺めていると、

よし、ちゃんと働いて、ちゃんと稼いで、いつかはこれらの時計を修理できるだけ経済的な余裕を持ちたい。と思うのだ。

そんな日が来るのは何年後になるかはわからないけれど、とにかく、いつか早いうちにとりあえず自分で満足できるだけしっかりと社会に貢献できる仕事ができるようになりたい。

ド派手な音色の70’s DiMarzio

今日、ギターのピックアップを交換した。

もともと、買った時には前のオーナーがDiMarzioの Super Distortionに交換したようで、Super Distortionが2つ付いていたのだけれど、どうも、音が硬すぎて好きではなかった。せっかく作りの良いギターなのだからもっと色彩があるピックアップにしたかったのだけれど、なかなかそれが何なのかわからずにいた。

それで、どうしようかと考えていたのだけれど、たまたまヤフオクで3,000円弱でオリジナルで付いていたものに限りなく近い品物と、手持ちのピックアップで最初期のDimarzioのPAFがあったので、二つとも交換してしまった。

結果、大暴れするギターに仕上がった。

DiMarzioのPAFはこれがまた、下品なピックアップの代表のようで、なかなかこれがつけてみると大暴れして面白い。Super Distortionも出力の高いピックアップだったけれど、Super Distortionが図太くて硬質なサウンドだとすると、最初期のPAFは出力の高さもさることながら、刺々しくもなり、ピッキングをソフトにすると表情が変わる(ジャズのようにとまではいかないけれど)面白い音がする。

リアには、2,600円で手に入れた80年代のHamerのオリジナルピックアップをつけた。このころのHamer USAのピックアップはたしかDiMarzioで作っており、ほぼ70年代のDiMarzio PAFと同じ作りだったと思う。

DiMarzio  PAFって、たしかGibson  PAFのレプリカのつもりで作っていたはずじゃなかったっけ?というような野暮な疑問は置いておいて、 DiMarzio PAFはやっぱりディマジオの音なのです。セイモア・ダンカン悔しかったら、こういう大暴れするピックアップを作ってみろ!!まあ、ダンカンも、使いやすくて悪いピックアップじゃないとは思うけれど。

ちなみに、最近リイシューで出ているDiMarzioのPAFは使ったことないので何とも言えませんが、おそらく、同じスペックで作っているでしょうから、こういう大暴れ、ド派手系の音がするはずです。コントロールするのは難しいかもしれませんが、ギターとしては爪弾いていて非常に楽しいピックアップです。

雪に降られても三ノ輪の桜は散らなかった

昨今の新型コロナ騒ぎでも、桜は裏切らず例年のごとく満開をむかえ、私を楽しませてくれた。

まあ、新型コロナは桜の病気じゃないから当たり前なのだけれど、10年ぐらい前には、あの震災で色々とあって、もう綺麗な桜を見ることはできないのではないかとすら思ってしまったこともあったけれど、あの年も桜は見事に咲いた。

今年は、異常気象で、桜が満開を迎えた後に、東京は大雪に見舞われてしまい、ついに全て散ってしまうのではないかと思われた。桜が散るのは、時間の問題で仕方ないことだし、仕方ないというよりも、あれが散ってくれるから、世の中は春になるのだ。

そんなことで、積もるほどに雪が降ったもんだから、せっかく春の風物詩も、たいして鑑賞する暇もなく見納めかと思われた。桜が咲くのも自然現象であれば、この季節に雪が降るのも異常とはいえ自然現象なのだから仕方ない。

まあ、仕方あるまいと思い、今日帰宅してから近所のコンビニまでの道を歩いていると、道すがらまだ満開の花をたたえた桜の並木を見ることができた。

大したものである。立派だ。

あの雪のおかげなのかなんなのかはわからないけれど、まだ葉がつかずに、見事な桜並木だった。

思えば、東京に出てきて今年で20回目に見る桜である。

「東京成人式」とでも言おうか、今年で2度目の成人式を迎える私にとって、今年の桜は特別だった。今年に入って転職をして、新しい職場にもまだまだ慣れず、その上昨今のこの騒ぎなので、参っていたところだった。新しい、職場はいい方ばかりなので一安心なのだが、肝心の仕事の方が上手く進まない。どうしたもんか戸惑いながらの毎日である。戸惑うも何も、手探りの中何もつかめずにいる。伝染病も怖いけれど、それよりも人生の悩みというのはいつ何時やってくるか予想できそうで予想できない。予想できないだけでなく、どのように乗り越えればいいものか、毎度戸惑ってしまう。

時間が解決してくれる、というほどのんびりは構えていられない。こちらは給料をもらっている身だ。早く会社の役に立たなくてはならない。それでなければ、他の社員に失礼である。そんなことを、思いながら、毎日重い気持ちで机に向かう。

どんな気持ちで机についたところで、何か急にいい仕事ができるわけでもない。それで、焦りだけが私にのしかかってくる。

そういえば、入社した日に、会社の偉い人に社内のみなさんを紹介してもらっていた時。会社で一番古株そうな方に挨拶をした。

今日からお世話になります。宜しくお願い致します。

と言ったら、その人は笑顔で手を差し伸べてくれ、

楽しくやろうぜ。よろしくな。

って言ってくれた。その言葉が嬉しくて、いい歳して、ジーンときてしまった。今日も、昨日も、その言葉を胸に会社に行っている。その言葉が、今の私を支えてくれている。

三ノ輪の桜も、大雪に降られてしまい、災難だっただろうけれど、今日まで満開の花をたたえて耐えていてくれた。桜は人間じゃないから、一概に勝手なことは言えないけれど、あの連中もあの連中で頑張ってくれているのだから、私も負けないように頑張らなければならない。目下、昼ごはんだけを楽しみに会社に行っているようなもんだけれど、そのうち、あの先輩が声をかけてくれたように、楽しく仕事ができるようになりたい。

暗いニュースばかりの時には、私たちはつい暗いニュースに浸ってしまう。浸って、なんだかみんな被害者みたいな気持ちになって不安に「安心」してしまう。不安に感じることは生きることだから、そういうもんだけれど、いくら不安でも生きていかなければならない。それでなければ、なんの為に私たちはこの世の中で生き残っているのか。

時々、死にたくなるような嫌なこともあるのは仕方ないし、運が悪くて死んでしまうこともあるだろう。それは、人間だから仕方ない。だけど、まあ、なんとか今日も死なずに夜を迎えられたことに感謝して、なんとか生きている意味を作っていかなければならないのは人の常。それができなくなった時は、死ななくてもいいけれど、生きていては申し訳が立たない。だから、明日も、楽しくやろうぜ、っていうことばを胸に、楽しいか楽しくないかわからない一日を、なんとか生き抜こう。

Leica standard, Elmar 50mm f3.5

Poor man’s Fender Twin! Peavey Vintage

もうかれこれ2年ぐらい、自宅のメインのアンプとしてPeaveyのVintageというのを使っている。その前までは、 60年台前半のフェンダーのTremoluxというマイナーなアンプを使っていたのだけれど、どうも調子が悪くなってきて、直しても直しても、ボソボソとノイズが出るだけになってしまった。真空管を交換しなければならないのかと思うと、また三万円コースだから、二の足を踏んでいる。

Peavey VintageはTremoluxが壊れる前から持ってはいたのだけれど、主にスチールギター用のアンプとして使っていた。100ワットアンプなので、歪ませないで大きな音が出せるのがスチールギターには魅力的だ。

このアンプの本当の魅力に気が付いたのはFenderのStevie Ray Vaughanを繋いだときだった。Fenderのアンプで鳴らすよりも、それっぽい音が出てきたので、嬉しくなって、それから通常のギター用アンプとして使っている。

Peavey Vintageというアンプも、かなりマイナーなアンプである。PeaveyのツイードアンプといえばClassicシリーズが有名で、私も産まれてはじめて親に買ってもらったアンプはPeavey Classic 20だったのだけれど、使いやすくて、それっぽい音がすぐに出せるアンプだった。今それは、妻の実家に置いてある。ぱっと見、Peavey VintageもPeavey Classicのように見えるので混同されるのだけれど、Vintageの方が10年以上古いアンプで、シンプルなアンプである。1チャンネルで、不器用なアンプである。

昨今のハイテクアンプは、一台で色々な音が出せるようにできているけれど、このアンプは、得意分野には長けているけれど、それ一辺倒で、色々な音は出せない。

見た目や使い勝手はFenderのツインに似ているのだけれど、プリアンプはソリッドステートで、ツインほどコンプレッション感は無い。そこが、なんともPeaveyらしくて潔い!!Fenderのような、高級アンプとは一線を画している。

私は、リバーブを常用するので、アンプにビルトインでリバーブが付いているのもありがたい。軽くリバーブをかけると、これがまたフェンダーのようなエロスの漂うリバーブとは異なり、ドライで素っ気ないところも使いやすくて良い。本物のスプリングリバーブなのだけれど、もう、ここまでこればデジタルでも良いのでは無いかと思うくらい素っ気ないリバーブである。(もっとも、この時代にデジタルのリバーブをギターアンプに搭載したものはないとは思うけれど)

これだけ、読むと、Peavey Vintageはなんだかただの安物アンプのような感じがするかもしれないけれど、そこが、実のところただの安物アンプには無い要素がある。そして、それがこのアンプを魅力的にしているのだ。

それは、音が暴れること。ブリティッシュアンプのように育ちの良いアンプには絶対に出せない、アメリカ製の、しかもPeaveyにしか出せない粗さがある。これは、昨今の高級ブティックアンプではなかなか出せない味なのだ。昨今のフェンダーのアンプにもこういうテイストのアンプは無い。無骨で、荒っぽい。これこそ、このアンプの魅力なのだ。

その、荒っぽさが、扱いきれないほどひどくはなく、かといって、ちょうど良くまとまりすぎてもおらず、時々手をやくぐらいなのが、所有している満足感につながっている。

おそらく、現行のフェンダーのツインを使っていたら、買ってすぐに飽きていたかもしれないけれど、このアンプに関して言えば、まだまだこれからガンガン使っていきたいと思っている。

Fuzzy Pedal Steel Productsでスチールギターをメンテしてもらった

全然まだ弾けていないのだけれど、Fuzzyという立川の砂川町にある日本で唯一のペダルスチールギターメーカーのPedal  Steel Guitarを一台持っている。 E9thとC6thのダブルネックなのだけれど、E9thの方はなんとなくペダルの使い方を理解しつつあるが、C6thのほうはちっともわからない。

ちっともわからなくて困っていて、仕方がないから、そのまま殆ど弾かずに書斎の一等地に置いてあった。それが、この度、もう少し練習してやろうと思い、キッチンの真ん中にアンプと一緒に置いた。これで、練習はしやすくなった。

折よく、カントリーのバンドの師匠から日本スチールギター協会の会報のバックナンバーを大量に譲ってもらった。

この会報に、いろいろなTAB譜が掲載されていて、毎号、E9th、C6th、C67thラップスチールギター各1曲ずつ課題曲が載っているのだけれど、これがなかなか勉強になる。早速、それらのTAB譜を頼りに練習をしている。

しかし、困ったことに、私はC6th側のパーツを流用しE9thのRKRのレバーのセッティングを変えて使っていたので、C6thのセッティングが通常のセッティングと違っていた。これでは、C6thのTAB譜通りに弾けない。

困った挙句、仕方がないのでFuzzyの藤井さんのところに楽器を持って行って、パーツを加えてもらった。

Fuzzyは立川からさらにモノレールと西武線を乗り継いで行ったところにあるのだけれど、キャリーカートも入れて30kgの楽器を持って行くのだから一苦労だった。それでも、自分の楽器を製造した場所に行くのだから、聖地巡礼のような気持ちになる。私の楽器には製造番号のようなものは書いていないので、いつ作られたものなのかはわからないけれど(中古で手に入れたわけだし)そんなに古いものではない。

私のカントリーのバンドのリーダーの楽器もFuzzyの楽器だ。リーダーが使っているんだから楽器の良さはわかっていた。だから、インターネット上で売りに出ていたのを発見し次第、すぐに購入した。

Fuzzyからパーツの取り付けが終わった楽器を引き取りに行き、自宅で組み上げてみたら、なんだかまた、この楽器で世界を変えてやろうというような、勇ましい気持ちになった。

さようなら。ありがとう、ウェスタンの名店 上野アメ横 Young

ウェスタンスタイルの洋服は、上野アメ横で揃えている。時々、アメリカの通信販売のSheplersなんかも利用するけれど、帽子なんかは、かぶってみなくてはサイズ的に合うかどうかもわからないので、実店舗で買うしかない。そこで、上野のウェスタンの専門店に出向いて買っている。

幸い、私は上野へは、すぐに出れるところに住んでいるため、不便はしていない。

上野アメ横でウェスタンスタイルの洋服を売っている店は、そう多くはない。かつてウェスタンが流行った頃は(そんなの何十年も前のことだが)もっとたくさんあったのだろうけれど、今は2〜3店舗しかない。ウェスタンの店は、今となっては上野アメ横でさえも、絶滅危惧種なのだ。

その、ウェスタンの店が、また一店その歴史に幕を閉じる。

上野アメ横Youngがその店だ。

今まで、多くのウェスタンシャツや、帽子をYoungで買ってきた。私のワードローブの大半はYoungのお世話になっている。私にとってYoungは無くてはならない店である。その、Youngがなくなる。

2020年の3月下旬までだという。

今、閉店セールをやっていて、全品30%引きになっている。私も、お別れに向けて、帽子とウェスタンシャツとループタイを買ってきた。なんとも悲しい買い物である。

上野の近くへ引越してきて約15年、足繁く通った店がまた一軒なくなってしまう。

さようなら。

ありがとう、Young

どのようなチューニングにすべきなのか、Fenderの8弦

先日、40歳の誕生日を迎えた。

その、40歳の誕生日の前日、妻と御茶ノ水に散歩に行くと、1960年代のフェンダーのペダルスチールギターが店に置かれていた。妻は、私への誕生日プレゼントとして、その楽器を購入してくれた。

フェンダーのスチールギターの歴史は古く、Fenderという会社はもともとスチールギターを盛んに製作していた。50年代にテレキャスターを発売してからというものスパニッシュスタイルのエレキギターがフェンダーのラインナップの中心を担ってきて入るけれど、70年代の中頃まで、スチールギターもレギュラーラインナップに入っていた。

今回、妻にもらったのはFender 400という8弦、4ペダルのペダルスチールギター。ペダルスチールギターとしては4ペダルはちょっと少なくて不便なような気がするけれど、もともとノンペダルのスチールギターがベースになっている楽器なので、バーをスラントさせてコードを鳴らす前提で使えば、様々なコードが鳴らせる、その上で、基本的なコードについてはペダルを使えるという優れものである。

もともと、40年代ぐらいまではみんな6弦のスチールギターで弾いていたわけだし、もっと色々なコードに対応するために8弦にしたり、ペダルをつけたりしたという歴史もある。多くのスチールギターの名手が、6弦の不便な楽器やら8弦のシングルネックで多くの名演を残している。だから、ペダルが少ないとか、弦が少ないからといって表現の幅が狭まるというわけでは必ずしもない。

もちろん、ジャズで使うような、テンションコードを鳴らすためには8弦だと、少し不便ではある。バディーエモンズのC6ネックのような美しく複雑で完璧な響きは出せないかもしれない。けれども、スピーディーウェストはこのシングルネック、4ペダルの Fender 400で多くの名演を残しているわけだし、頑張ればやってできないことはないし、シンプルな分だけ楽器として扱いやすい。

しかしながら、一つだけ問題があって、果たしてこの楽器のチューニングをどうしようかというのが悩ましいところだ。

目下私は、10弦のE9thチューニングの1、2弦を省略した、変形E9thチューニングで使っているのだけれど、これでは、デフォルトで7thコードを鳴らすことができない。

そこで、3番ペダルでB7thを鳴らせるようにセッティングした。

1番、2番ペダルは通常の10弦のE9thペダルスチールギターと同じセッティングにしてある。これで、普通のE9thネックと同じ感覚(D#, F#はないが)で弾ける。

これが果たして正解なのかは、使いながら考えることにしていこうと思っている。4番ペダルはディミニッシュを鳴らせるようにセッティングしているのだけれど、ディミニッシュはサブドミナントから続いて鳴らすことが多いから、本当は3番ペダルに振り分けたほうがいいのかもしれないけれど、そうするともっと使用頻度が高いドミナント7thを鳴らすのが面倒になる。

どうも、こうも、正解が見えないのだ。

仕方がないので、手探りで日々セッティングを変えながら使っている。この楽器を開発した方は、一体、どんなチューニングで、どんなペダルセッティングで演奏することを想定していたんだろう。おそらくC6thかA6thで弾く前提で作っていたのだろうけれど、残念ながら6th系のチューニングは私はちっともわからない。インターネット上でFender 400のユーザーズマニュアルを見つけたのだけれど、8ペダルのセッティングで、難しいチューニングが載っていたので、それはパスすることにして、自分の使いやすいようにして使っている。

目下、スチールギターラグしか弾けないのだけれど、こつこつ練習して1日でも早くこの楽器を使いこなせるようになりたい。

生まれて初めて花を贈られた日

私事ではあるけれど、月に一度集まってバンドをやっており、今時めずらしいカントリーミュージックを少々嗜んでいる。

メンバーは老若男女様々で、私はカントリー歴が一番短く、一番下っ端である。一番下っ端なのにもかかわらず、ボーカルとギターをやっている。キャバレーのハコバンのようにボーカルは持ち回りで、3名で代わる代わるリードボーカルをとっている。ギターも、どっちがリードとかそういうのもなく、歌っているときはリズムギター、歌っていない時もリズムギターだったりなのだが、時々リードギターも弾く。

このブログにはよく自分の所有しているギターことについて書いたりはしているけれど、実はギターは下手っぴで、コードを押さえて伴奏をするのがやっとであるから、ギターソロなんていうものをとることは滅多にない。滅多にないのだけれど、メンバーが優しいので、時々ソロをまわしてくれる。

それで、実は今日は自分のカントリーのバンドのライブを開催した。会場は高田馬場のローンスターカフェ。カントリーの老舗である。

前回は、東村山だったかどこだったかのカフェでやったので、今回は都心!随分出世したもんである。ローンスターカフェは会場費が安いので助かる。広くて良いお店だった。

それで、ライブはなんとか滞りなく終わったのだから良かったのだけれど(ライブが滞ると、それはそれは大事件だからさ)、なんだか終わってしまったというちょっとした寂しさもある。もっとコンを詰めて練習すれば良かったとか、いろいろあるのだけれど、とりあえずは楽しめたからそれでよし!!

それで、嬉しいことに、会場に行ったら私宛にお花が届いていた。職場の方が贈ってくれたのである。私は、生まれてこのかたひとに花を贈ってもらったことがない気がする。何かよからぬことをやるとき(まあ、大抵はバンドのライブなのだけれど)、会場に入って自分宛の花があるという、この嬉しさは、何なんだろうか!!

嬉しくて、ライブの前から、どのようにお礼を言ったもんかを考えていた。

ライブのセットリストには、インストロメンタル、カントリーダンスナンバーや、カントリーワルツ、アップテンポの曲からバラード、クリスマスソング(R&Bナンバーだけど)もありだったのだけれど、何だか自分のバンドが祝福されているような気分になって、

全然緊張しなかった!!

緊張しない、というと何となく嘘のような気もするのだけれど(確かに、初めは脚が震えていたような気がする)、リラックスしてできた。花を贈ってくれた職場の方々、ありがとうございました。

それで、今回の相棒はフェンダーのBlack & Gold Telecaster!!機材だけは立派なのである。

これは、もう、楽器の腕とかではなく、いかにカッコイイ楽器を現場に持っていけるか。これにかかっている。カントリーといえば、テレキャスである。それも、普通のテレキャスターだと、いかにもギター弾きのようで芸がない。こっちはギターだけでなく、下手な歌も歌うわけだから、目立つギターでなくてはいけない。そういうときに、便利なギターである。

先日ギルドのアーティストアワードを買った際に、下取りに出そうかとも思ったのだけれど、出さなくて良かった。妻よありがとう!!

今回のライブで使うギターをどれにしようかとテレキャスター3本のうちから迷っていたら、娘が「お父さんには、これが良いよ」と言って、このブラックゴールドテレキャスターを推してくれたのである。娘の推しメンである。ますます売らなくて良かった。

そういうわけで、バンドメンバー、職場の愛すべき方々、妻、娘に支えられて、今日のライブを迎えることができたことを、感謝しております!!

また、ライブをやりたいな。