私のカントリーミュージックへの入り口 Garth Brooks ”the hits”

一番最初に買ったカントリーミュージックのCDはGarth Brooksのベスト盤だった。高校1年生か、中学3年生ぐらいの頃だったと思う。当時ガースブルックスが何者かはまったく知らなかったけれど、中古CD屋で見かけたテンガロンハットをかぶったジャケット写真から、これは確実にカントリーのCDだとわかった。そして、めちゃくちゃ安かった。きっと400円もしなかったと思う。

だから、試しに買って聴いてみた。

すぐに、そのサウンドが気に入った。フィドルやスチールギターの入った音楽はほぼ初めて聴いたのだけれど、すぐに心地よさを感じた。カントリー独特の歌いかたにはなんだか面食らったが、これは、このおじさん独特の歌いかたなんだろう、と思い、受け流した。歌い方から言ったら、戦前のブルースの方がずっとへんな歌いかただったので、このぐらいの違和感には免疫ができていたのだ。

カントリーのミュージシャンを他に知らなかったので、2年ぐらいはカントリーといえば、このアルバムばかりを聴いた。ベスト盤だったので、入門者の私にはちょうど良かった。当時は、グーグルもYouTubeもなかったから、タワレコのカントリーのコーナーに行くぐらいしか札幌でカントリーの音楽を調べる方法はなかったけれど、そもそも、当時のタワレコにカントリーのコーナーがあったかも覚えていない。そういうところには近づかないようにしていた。

なので、2年ぐらい、カントリーとはこういうもんだと思っていた。基本的には間違っていなかったのだけれど、ウィリーネルソンもハンクウィリアムズも知らなかったから、カントリーミュージックのほんの一面しか知らなかった。

けれども、それでラッキーだったとも言える。自分の中でカントリーの標準を2年間このベスト盤を聴き込むことによって形成できた。これが、今のような便利な時代だと、いろいろ聴けすぎてしまって、何が一体カントリーなのかよくわからずにいたと思う。

そんなこともあって、初めてウィリーネルソンを「発見」した時の衝撃はすごかった。なんて、表現の幅が豊かな音楽なんだろう、って思った。それまで、カントリーといえばガースブルックスのようなさらりとして、あんまり毒のない音楽だと思っていたのだけれど、ウィリーネルソンはなんだか生々しくて、インパクトのある音楽でびっくりした。

そのあと、何年も経ってジミーロジャーズとか、ハンクウイリアムスやらのさらに生々しく毒々しいカントリー音楽を知って、カントリーの深い淵を覗き見てしまった気がした。入り口がガースブルックスだったから、なおさらそういう生々しい音楽への体の反応がシャープだった。

シャープだったからこそカントリーという音楽を好きになれたんだと思う。これが、初めっからハンクウィリアムズから入っていたら、好きにならなかったかもしれない。ガースブルックスはそういう意味では、誰にとっても口当たりのいいテイストだったから良かった。

今ではあんまり聴かなくなってしまったが、そういう意味ではガースブルックスにとても感謝している。

今夜、数年ぶりにGarth Brooks “the hits”を聴いた。じっくり聴いたのは高校ぶりぐらいかもしれない。

20年の時を経て、彼の音楽は色褪せていなかった。

やっぱり、エンターテイメントの世界であれだけ完成された人は、20年ぐらいじゃ色褪せないんだな。

なんだかよく知らないけれど、Buddy Emmonsは知っている。

昨年の春にスチールギターを買って、練習しようと試みた。試みたが、ダメであった。普通のギターもろくに弾けないのに、スチールギターは私には複雑すぎた。

スチールギターというか、ペダルスチールをいきなり購入した。

これもいけなかった。

さらに複雑すぎた。

普通のギターもろくに弾けないのに、ペダルスチールはスチールギターのなかでもさらに複雑で全然理解できなかった。

しかし、楽器というのは、理解よりも先に、何か曲を練習したほうが習得には役に立つので、今後も、モチベーション次第で、ちょこちょこ練習して、簡単な曲で良いので一曲は弾けるようになりたい。とは思っている。

なりたいが、このままではいつまでたっても、弾けないであろう。なぜなら、複雑すぎるからである。

ペダルスチールギターが、家の大きな飾りとなってしまっている。こんなに存在感のあるオブジェは珍しい。

ペダルスチールギターといえば、なにはともあれとりあえずバディー・エモンズである。というか、ペダルスチールギタープレーヤーのリーダー作はバディーエモンズしか持っていない。というか、ペダルスチールプレーヤーの名前は、バディーエモンズぐらいしか知らない。

カントリーが好きだから、もちろん、他のプレーヤーの演奏も聴いているのだけれども、名前まで覚えている人は少ない。それなのに、ペダルスチールギターを買ってしまった。なんて、愚かなんだろう。

それで、とりあえずバディーエモンズを聴いている。この人は、カントリーと言うよりも、もっと幅広いジャンルで活躍しているので、ひとことでどんな演奏とは言えない。言えないのだが、あえて言葉に表現すると、ペダルスチールギターという楽器を駆使し、それまでギターでは鳴らせなかったようなコードを巧みに、自由自在に操り、まことに勢いよく音楽を奏でる人である。

全然、言葉にならなかった。

とりあえず、聴いていただけると、凄さがわかっていただけると思う。というよりも、バディーエモンズの名前を知らない方でも、60年代ぐらいのカントリーを聴いたことがある方は、知らず識らずのうちにこの人の演奏を耳にしているだろう。ペダルスチールギターという楽器を今の形にしたのは、この人である。Sho-BudもEmmonsもこの人が中心になってできたブランドだ。

今でこそ、ペダルスチールギターという楽器はカントリーじゃメジャーな楽器であるけれども、そういう風になったのは、ひとえにこの人のおかげだと思う。それまでは、ペダルなんて便利で複雑なものは付いていなかったから、いろんな和音を出すために、ネックが4つも付いているスチールギターなんかを使っていた方もいる。スチールギターっていう楽器そのものがもう、和音を前提にしている楽器だから、こういう複雑なことになる。

そういうもともと複雑な楽器を、さらに複雑にしたのが、このバディーエモンズという偉人である。巨人である。コロッサスである。スチールギター界の太陽のような人である。この太陽がまぶしすぎて、私のように、ペダルスチールギターに明るくない人間ですら名前を知っていて、CDも持っている。あまつさえ、ペダルスチールギターまでも買ってしまった。

そういう人のレコードを夜な夜な聴いている。

煌びやかでいて耳に心地良いギターのサウンド Les Paul and Mary Ford 「Fabulous Les Paul and Mary Ford」

楽器というのは不思議なもので、同じ機材を使っても同じ音が出せるというわけではない。そもそも、同じ楽器を使っても奏者によってセッティングや調律が違ったりもする。たとえ、同じセッティングにしても、二人の違う奏者に弾いてもらったら違う音がなるということはよくある。

電子ピアノとかの場合は同じ音がなるのかもしれないけれども、アコースティックな楽器だとこういうことが起こる。アコースティックな楽器に限らずともエレキギターなんかもそうである。

何が違うのかは専門家に聞かないと詳しいことはわからないけれども、奏者によって鍵盤の叩き方(押し方という方が正確か)、弦の弾き方、息の吹き込み方が違うからそうなる。逆に言うと、そういう弾き方を近づけることによって、憧れの音に限りなく近づけることはできるとも言えるだろう。

ギターの場合、ミュージシャンの使用している楽器やセッティングについて、雑誌や書籍でWebサイトなんかでかなり詳しく紹介されていることがあるので、憧れのギタリストの使用機材とほとんど同じものを手にすることも可能だ。厳密には個体差もあるだろうけれども、そういう努力で、憧れのギタリストの音にかなり近づけることはできる。

一方で、ギタリストのタッチを真似するというのはすごくむづかしい。今はYouTubeなんかがあるから、憧れのギタリスト本人が奏法について懇切丁寧に解説してくれたりするチャンスもあるけれども、そんな映像を見ても、実際のところどんな強さで弦を押さえているのか、弾いているのかはなかなかわからない。そういうことは、本人じゃない以上、いくら真似しようと思っても結局習得できないことなのと同時にミュージシャンの企業秘密でもあるのだろう。

Gibson Les Paulというおそらく世界一売れているアーティストのシグネチャーモデルのエレキギターがある。エレキギターにあまり興味がない人もご存知のギターだ。平たく言うとLes Paul氏の使用していたギターのレプリカモデルとその派生モデルだ。レス・ポールさんは相当このギターが気に入っていたか、義理堅い人だったのか、生涯ずっとこのシグネチャーモデルを使っていた。

Gibson Les Paulといえば今や色々なジャンルの音楽奏者に愛用されている。ジャズではかつてジム・ホールがレスポールカスタムを愛用していたし、アル・ディメオラが自身のリーダーアルバムのジャケット写真で持っていたりもしていた。ロックではランディー・ローズをはじめとするヘビーメタルギタリストの多くが愛用しているし、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックのいわゆる「3大ギタリスト」全員が愛用していた。クラプトンなんかは今でこそストラトをメインで使っているけれど、かつてレスポールをマーシャルのコンボアンプに繋いで程よく歪んだサウンドでブルースギターの新しいスタイルを確立した。

そういう色々な音楽で使われて、いろいろなサウンドを生み出している楽器だけれど「レスポールらしい音」のイメージというのがある。太くて、どっしりしていて、力強い音だ。そういう音だから、歪ませた時にも芯がくっきり出るという利点もあり、特にロックギタリストに愛用者が多いのだろう。

それでは、レス・ポール氏ご本人のギターの音はどんなんだったかというのが気になるところだ。

何枚かのレス・ポール氏のアルバムを持っているのでCDやレコードで聴いたことはあるのだが、これが意外に「レスポールらしい音」というイメージとはちょっと違う。艶やかで、キラキラしていて、はじけるような音がする。高音も耳にうるさくなく、粒が揃った煌びやかな音色だ。低音は太めながら、アタックがしっかりした音がする。

ご本人が使っていたレスポールモデルも時代により変遷があるので、どのアルバムでどれを使っていたかはわからないけれど、50年代から晩年までレス・ポール氏のギターサウンドはそういう音である。

「Fabulous Les Paul and Mary Ford」という1965年発表のアルバムがある。ジャズのスタンダードや、カントリーのスタンダード曲を演奏し、レス・ポールがギターソロを存分に披露し、何曲かでは奥さんだったMary Fordが歌も歌っている。あまり有名なアルバムではないけれど、とても楽しめるアルバムだ。

1965年だからGibsonから出ていたいわゆるレスポールモデルはなかったわけだが(1961年からレスポールのボディーシェイプが変更になったことを受けレス・ポールのシグネチャーモデルとしてのギターはこの年代にはGibsonからは出ていない)、おそらく彼はLes Paulモデルを使っている。ジャケットの写真ではうまいことギターのボディーシェイプが見えないようになっているけれど、Les Paul Customと思われるギターを持っている。

そして、このアルバムの彼のギターの音もやはり、艶やかで、キラキラしていて、はじけるようで、耳に心地良いサウンドなのだ。このレスポールのサウンドを出しているギタリストを他に聴いたことがない。唯一無二のサウンドなのだ。

同じ、レスポールというエレキギターを使ってもこうも違うサウンドが出せるのかと驚いてしまう。エレキギターがお好きな方には是非レス・ポールのギターサウンドを聴いてほしい。初めて聴いたら、おそらくその意外なレスポールサウンドに驚くだろうから。

音楽の閻魔様 Tony Rice 「The David Grisman Quintet」

趣味でギターを弾くのだが、20年以上弾いているのにとても腕は拙い。とても人に聴かせられるようなもんじゃない。これは、もとよりあまり熱心に練習していないので仕方がない。練習なんぞしなくても、20年も手元に楽器があれば、ある程度弾けるようになりそうなもんだが、楽器というのはどうもそういうもんではなさそうだ。

練習はしているのだ。「熱心に」練習していないのである。

この「熱心に」というのは説明するのが難しいのだが、例えば、一つのフレーズが弾けるようになりたくて、弾けるまで何度も繰り返し練習する。初めはゆっくりのテンポで弾けるよう、出来るようになったらだんだんテンポを上げて練習する。そういうのが熱心な練習の一例だ。

私は、そういうことができない。せっかちなのである。「だいたい」弾ければそれでいいのである。この「だいたい」とはどれぐらいだいたいかというと、人が聞いてそれと分かるほどしっかりとした程度まで弾けなくても、自分さえ弾けた気分になればそれでいいのである。

そういうことだからいつまでたっても上達しない。

まあ、それでも、程度の差こそあれ、世の中のギターを趣味としている人たちの6割ぐらいが私のように、「だいたい」弾ければ良しとしているのではないだろうか。だいたいでも自分が気分良くなればそれでいいのである。その拙い演奏を聞かされている家族や身の回りの人間には気の毒だが、楽器なんていうものは、もともと出てくる音色の9割9分は拙い演奏なのだ。それからだんだん練習して上達して、一部の上手い演奏が生み出される。それでいいのだ。

その1分の割合の上手い演奏が録音として残っていて、レコードプレーヤーなんかで鑑賞できるというのは、とてもありがたいことなのだと思う。

今日、The Tony Rice Unitの「Devlin」というアルバムを聴いていて、そんなことを思った。

まあ、このThe Tony Rice Unitの演奏はギターのトニー・ライスをはじめとして、名人揃いである。技巧的にも音楽的にも一分の隙間もない演奏である。どうだ、マイッタかこのやろう。というような完璧な音楽である。それを好きかどうかは別として。

この演奏が退屈だと思う人もいるかとは思うけれど、これを聞いて「拙い演奏だなー」と思う人はまずいないだろう。完璧主義ともまた違った、完成形がある。バンドの編成自体が少人数なので、音に隙間ができそうなもんなのに、そういう隙はなく音が詰まっている。それでいて、リラックスしている雰囲気すらある。こういうのが名人芸と呼ばれるもんなんだろう。

トニー・ライスはミュージシャンとしてはもう超一流で、素晴らしい音楽を繰り広げている。ブルーグラスの伝統にとらわれることなく、ブルーグラスの文脈を引き継ぎながらもジャズ・フュージョンの要素その他、色々な音楽の要素を取り入れ新しい音楽を発表し続けている。こう言う土壌からこっち方面のムーブメントが湧いてくるというのはすごいことだと思う。そのムーブメントはThe David Grisman Quintetの同名アルバムに端を発しているのだろうけれど、超一流の楽器プレーヤーが新しい音楽を奏でると、一気に音楽が完成するのだろうか。

The David Grisman Quintetはデビューアルバムから凄い。このアルバムの音楽がなければ今のブルーグラスはもっと狭っ苦しい音楽になっていただろう。ギターはトニー・ライスが弾いている。自信に満ち溢れた、説得力のあるギターである。

どこで、どれだけ練習したらこんな上手いギター弾けるようになるのか全くわからん。きっと日々「熱心に」練習していたのであろうな。これからなんぼ練習してもこういう世界にたどり着くのは絶対に無理だ。感覚自体が違う。ブルーグラスの基礎を押さえた上で、こういう他の音楽に幅を広げなければならないなんて、想像を絶する。

まあ、一方で、こういう素晴らしい音楽をやってくれて、アルバムを残してくれているんだから、リスナーとしては安泰だな。もっと突き進んだ演奏を聴きたければ、トニー・ライスが自身のアルバムでやっているから心配ない。

突き進んだ演奏を聴こうとすると、必ず泥沼にはまる。このThe David Grisman Quintetまさに、泥沼にはまる寸前の音楽だ。泥沼への入りぐちあたりがこの世の最高の音楽を聴けるのかもしれない。泥沼にはまって、どっぷり浸かっちゃったような音楽より、危険なところに足を踏み入れているところの音楽がスリリングで良い。本当の意味で、そのような音楽に出会えることは死ぬまでないかもしれないし、それは死ぬときなのかもしれない。

そして、演奏者としても、そのような泥沼の入り口あたりが、演奏がこの世の最高の音楽を奏でられるところなのかもしれない。トニー・ライスはこのアルバムを前後して新しい音楽の世界に飛び込んでいった。彼の音楽はその後どんどん発展して行ったけれども、この「The David Grisman  Quintet」での演奏が、一つの頂点と言えるかもしれない。

楽器が上手い方々はそれでも、楽器一台席抱えて、その世界に飛び込めるか?

ぜひ、飛び込んで欲しい。後に何も残らなくても別にそれで構わない。

名曲を残すという偉業  Jimmy Webb 「Ten Easy Pieces」

世の中に名曲をかける人というのが確かに存在していて、シューベルト、松任谷由実、バートバカラック、武満徹、コールポーター、山口隆などと枚挙にいとまがない。彼らは一体どういう感覚であんな名曲を作っているのだろう。全くわからない。

名曲を残せる能力というのは、本当に素晴らしいと思う。羨ましい。エジソンみたいに目に見える形で社会に貢献しているわけではないかもしれないけれど、だからこそ羨ましい。

電球なんかを発明されると、こりゃもう万人の認める偉業で、一部の未開の地を除く地球全体の人類がその恩恵にあずかっている(いた)。ベルが発明した電話なんかもみんな恩恵にあずかっている(いた)。その一方で、それらの発明は今の社会では発光ダイオードやら、iPhoneに取って代わられていて今の子供にエジソンの発明したものの凄さを説明してもイマイチピンとこないかもしれない。

目に見える形で社会に貢献すると、時代という波に押し流されるのが早い。貢献自体の息の長さは長くても、消えゆくのも早い。新しい時代がやってくるのだ。

その点、名曲の社会的貢献の息は長い。ユーミンの「 Hello My Friend」はおそらく、4万年後にも歌い継がれているだろう。彼女の曲は4万年は通用する名曲だからだ。何の根拠もないが。

けれども、名曲というのは「新しいものに取って代わられる」ということがあまりない。スカルラッティよりも新しい音楽理論で作曲された名曲は数多あるけれど、それだからって彼の名曲が新しい名曲に「取って代わられる」ことはない。何度も引き合いに出して恐縮だが、ユーミンの曲だって、多少歌詞が時代遅れになった所で、名曲であることに変わりはない。

同じことは文学にも言えるし、美術作品にも、工芸品、一部の工業製品にすら言える。1965年式フォードマスタングの素晴らしさは、4万年後も語り継がれているかもしれない(いや、そんなことはないか)。

Jimmy Webbも名曲をたくさん残している。カントリーのシンガーGlen Campbellが歌った「By the time I get to Phoenix」「Wichita Lineman」などは、過去百年に書かれた名曲5000選の一曲に数えられるだろう。それぐらい、彼の書いた曲は素晴らしい。

「Ten Easy Pieces」はそんな彼のヒット曲(10曲)を彼自身がピアノ弾き語りで歌ったセルフカバー集である。

自身も何枚かアルバムを発表していて、バリトンボイスを聞かせる優れたシンガーでもあるのだが、このアルバムを聴いてみると、改めて彼の歌の良さが伝わってくる。

JD Southerのセルフカバー集「Natural History」を聴いた時も感じたが、人に曲を提供しているソングライターのセルフカバーを聴くと、曲の原型を見たような気分になる。「Ten Easy Pieces」も「Natural History」もアレンジがシンプルなので、そういう面が際立つ。

彼の代表曲の多くが1960年代から70年代に書かれたものであるけれど、今このアルバムを聴いていても、その曲の素晴らしさは少しも損なわれてはいない。むしろ、時を経て曲の良さが際立ってくるかのような勢いすらある。彼のような、澄んだ楽曲をかける人はどの時代にも多くはない。

100年後に、エジソンとジミー・ウェッブの偉業のどちらがこの世界に残っているか、負けを覚悟でかけてもいい。ジミー・ウェッブだろう。

Jim Campilongoとテレキャスターのギラギラ、ビリビリした関係

私の好きなギタリストにはテレキャスターというギターを愛用している人が多い。

ジェームスバートンやジェリードナヒュー、ヴィンスギル、ブラッドペイズリー、ジムメッシーナなんかのカントリー系の音楽をやる人たちの多くはテレキャスターをメインに使っているし、ロック寄りのギタリストでロイブキャナン、ダニーガットン、エイモスギャレットもメインで使っている。ブルースではアルバートコリンズ有名だ。今はアコースティックギター一辺倒になったトミーエマニュエルもかつてはテレキャスターをメインで愛用していた。

上記に挙げたギタリストのアルバムをよく聴く。きっとテレキャスターのサウンドが好きなんだろう。

私は特に、カントリー系の音楽が好きなので、そういうサウンドに偏る傾向にあるのだと思う。今のカントリーのギタリストの間ではテレキャスターをメインに使うことがかなりの割合で定着しているのだろう。

1950年代の初頭にテレキャスターが出てきた頃はまだ、 GibsonのフルアコやGuildのフルアコを始めとするギターをメインとしていたギタリストも多かった。マールトラヴィスなんかはGibson Super 400やGuildの特別オーダーのフルアコを使っていた。ドンギブソンもGibsonのSuper 400を使っていた。チェットアトキンスはずっと Gretschとエンドース契約をしていたのでGretschを使っていた。他にも、ジョーメイフィスなんかはMosriteのダブルネックを使っていた。Mosriteのヴェンチャーズモデルの元となったギターはジョーメイフィスのために作られたモデルだったと言っていいだろう。

マールトラヴィスの粒が揃った暖かくて甘いGibsonのサウンドも、チェットアトキンスの使う芯がくっきりしていながら太いGretschのサウンドも好きだ。テレキャスターではなかなかああいうサウンドは作れないだろう。

けれど、トレブリーで、サスティンが短くて、ジャキジャキしたテレキャスターの音はなかなか他のギターでは再現できないのも確かだ。

ジムカンピロンゴというギタリストは、ノラジョーンズがボーカルをやっていたバンドのThe Little Williesのメンバーとしてその名を知られている。彼はテレキャスターのそういうジャキジャキ、ギラギラ、ビリビリしたサウンドを前面に押し出している人なのだ。

The Little Williesではベンドやスイープピッキングなんかを駆使して、軽快なカントリーのギターを聴かせてくれるのだが、彼のトリオのアルバム「heaven is creepy」では、もっと泥臭く、生々しいギターサウンドを聴かせてくれる。The Little Williesの曲を聴いて、ギターの音が気に入った方には、是非聴いてほしいアルバムだ。

2012年12月号のギターマガジンの特集でジムカンピロンゴ直伝のカントリーギターフレーズのレクチャーが掲載されていたので、ギターを演奏される方は見てみると面白いと思う。

かなり目立つギターのサウンドでありながら、バンドの中にうまくとけ込む不思議なところがある。The Little Williesの曲を聴いていても、ギターがうるさいという印象はないのだが、確かに存在感のあるリードギターである。

今、一番ギラギラ、ビリビリしたカントリーリックを弾けるギタリストの一人である。一度、生で聴いてみたいが、まだ聴いていない。

ジェリーリードとランブリンジャック

フィンガースタイルのギタリストが近年、とは言ってももう15年ほど前からだけれど再評価されてきて、トミーエマニュエルやらマーティンテイラーやらをはじめとしてすごい上手い人がたくさんいる。日本にでも打田十紀夫さんとか大御所の名前を頻繁に目にするようになった。

そういう人たちのアルバムも好きで聴くけれど、どちらかというと、もっとフォーク寄り、カントリー寄りのアルバムを好きで聴いている。

カントリーではマールトラヴィスとかチェットアトキンスをはじめとして、いろいろすごい人がいる。やっぱり、この二人のパイオニアがカントリーのフィンガーピッキングではすごいと思うけれども、個人的にはジェリーリードのギターが好きだ。特に、彼が弾き語りで弾く時のちょっと凝った運指のコードやベースラインとかがかっこいいと思う。

ジェリーリードは、曲もたくさん書いていてアルバム曲の大半はオリジナル曲だ。たまにカバーもやるのだが、そのカバーがすごくいい。ジェリーリード節に再調理されているカバー曲なのである。アルバムもたくさん出しているけれど、今すぐにCDで手に入るのはあまり多くない。中でも「Nashville Underground」というアルバムの最後から2曲目に入っている「Hallelujah I love her so」が好きでよく聴いている。

ギターと歌だけでここまで表現豊かに歌えるっていうのがすごい。ジェリーリードの歌声っていうのは、比較的素朴な歌なのだけれど、ギター伴奏と一緒に聴くとジェリーリードの音楽の世界の広さが伝わってくる。

この人、すごいギターソロも弾けちゃう人なんだけれど「Hallelujah I love her so」のソロは、控えめだ、まるで余興で弾いているんじゃないかっていうほどの力が抜けている。

アルバム一枚聴いてしまうと、結構ギターはうるさいアルバムに仕上がっているのが、よく言えばジェリーリードのいろいろな面が詰まっている、チェトアトキンスなんかと共演版を何枚も出しているので、それを聞いてみるのもいいかもしれん。

フォークの世界じゃ、断然ランブリンジャックエリオット。このおじさんがまちがえないギター弾き語りを提供しくれる。ギターの腕は天下一品であるが、アルバムでは、あくまでもシンガーとして「フォースソングを」歌っている、

この人も、ギター一台と歌で、飯を食っているだけあって、安定して聴くことできる。

どうやら、私はこういうフィンガーピッキングの音楽が好きなようだ。

カーターファミリースタイルのピッキングから、ギャロッピングもなんでもこなしながら歌を歌う。実に器用なシンガーなのだが、歌も素朴でいい。

ギターもこのくらい弾けたら、きっと楽しいだろうな。

普段カントリーを聴かない人でも楽しめそうなアルバム Vince Gill 「Guitar Slinger」

カントリーのギタリストのアルバムはバカテクのギターが前面に押し出されているものが多くて、ギターが好きな人間でもアルバム一枚を通して聴いて楽しめるというものは少ない。大抵は、その凄さに参ってしまうのだ。ヘビメタの早弾きギター中心のアルバムを聴いているのと変わらない。

世の中には朝から晩までああいうバカテクものを聴いていて楽しめるという方もいるということはうかがっているが、私にはキツい。かつて、朝から晩までバンヘイレンをかけている店で短期間働いたことがあったが、あれは音楽を無視して過ごしていたからなんとかなった。仕事だからBGMは無視できたのだ。

しかし、無視するような音楽をわざわざ聴くことはない。お店ならともかく、自宅では音楽をできれば楽しみたいし、せっかくかけるならある程度耳を傾けるような音楽をかけたい。

一方で、カントリーのバカテクギターを聴いていると、なんだかハッピーな気持ちになれることは確かで、興奮する。興奮した高揚感を味わうには、Brad Paisley、Scotty Anderson、Johnny Hiland、Brent Masonとかのモダンなものから、Roy Clark、Jerry Reedたち大御所など、その他大勢素晴らしいプレーヤーはたくさんいる。それぞれに持ち味があって、一言にバカテクカントリープレーヤーと言っても味わいは異なる。彼らのアルバムの中には、あまり体力を消耗しないでもじっくり何度も聴けるようなアルバムがある。

Vince Gillもバカテクのカントリーギターを弾けるギタリストの一人だ。YouTubeで検索するとAlbert LeeやDanny Gattonと共演しギターを弾きまくっている映像が出てくる。実際、クラプトンのクロスロード・ギター・フェスティバルなんかにも出演していて、いわゆる「ギターヒーロー」の一人として数えられている。

けれども、Vince Gillの本当の魅力はその一度聴いたら心に残る透き通った歌声と、曲の良さ、アルバムとしての完成度だと思う。特に、彼の曲にはいかにもカントリーのような曲もあるが、時としてカントリーのアルバムに入っているにしてはずいぶん都会的で垢抜けたものがある。そういう曲を、彼の声で聴いているととても落ち着く。バラードもカントリーにありがちなベタベタする感じにならずに、さらっとしていて新鮮である。

彼の「Guitar Slinger」というアルバムは、タイトル通りヴィンス・ギルのギタープレイもそこそそ聴けるのだが、それよりも、ギターだけでない彼の音楽の魅力がたくさん詰まっている。一曲目はギターのイントロから始まるのだけれど、アルバムを聞き進むにつれて、なぜこのタイトルなのかちょっとわからなくなるくらい、ギタープレイではなく曲そのものの魅力に耳が惹きつけられる。曲が彼の澄んだハイトーンボイスにとても合っている。ギターがギンギンの一曲目から始まり、洗練されたポップな曲、ちょっとカントリーテイストの曲、リラックスした優しいバラードなんかが散りばめられており、くつろぎながらアルバム一枚聴きとおせる(54分)。

特に5曲目の「Who wouldn’t fall in love with you」が良い。少しけだるい感じのスローテンポの曲。ラブソングで、祈るような切なさがあるのに、熱すぎない。熱唱というのではなく、ため息のような歌だ。4曲目のちょっと泥臭いロックな感じの曲の次に、雰囲気を変えたスローでけだるい曲がくるので、アルバムの前半でとても大きなアクセントとなっている。そして、そのアクセントのおかげで、このアルバムに引き込まれるのだ。

この曲で聴ける彼のギターは、ちょっと控えめだがとても存在感がある。短いギターソロも、歌のバックのオブリガードも、静かで、レイドバックしていて、それがこの曲の雰囲気を作っている。やっぱり、ヴィンス・ギルはすごいギタープレーヤーでもあるんだなあと再確認させられる。

確かにこのアルバムに入っている曲の節々でそういう風に曲のテイストを構築するさりげないギターが入っているから、「 Guitar Slinger」というタイトルなのかなあ、などと改めて考えてみたが、どうなんだろう。

典型的なカントリーのアルバムではないけれど、カントリーを普段聞かない方が初めて聴くカントリーのアルバムに選んでもいいと思う。とっても素敵な曲がたくさん入っているし、カントリーテイストの曲ですらあっさりしているから、「よし、カントリーを聴くぞ!」という気分じゃなくても聴ける。

とは言っても、バックバンドにはフィドルもペダルスチールギターも入っているので普段カントリーを聞かない方には十分カントリーのテイストを味わってもらえるかと思います。