健康なのはいいけれど、

先日、人間ドックというのを受けてきた。

メタボリックシンドロームという診断以外は、特筆するほど大きな問題はなく、再検査も一項目だけで、日頃の不摂生にしては案外悪くない結果であった。20代の頃は40までこうして元気に生きているとは思ってはいたけれど、まさか本当に40歳になるとは思っていなかった。そして、私はもうすぐ41歳になる。

30代の後半は体調を崩したりしてボロボロであった。一時期はもう社会復帰すらできないのではないかと自分では思っていた。こうして、社会人としてまともにというほどではないけれど、働いていられることが奇跡のようである。

しかし、人の欲というのは限りない。

私は今、社会人としていくばくかの成功体験を持ちたいとすら思っている。過去十年間何の努力もしてこなかったのにもかかわらず、少しでもこれから成功したいと思っている。

人間は欲を持ち始めると、憂鬱になるものなのか。己のだらしなさ、己の無力さを痛感して気が滅入るものなのか。私はいまものすごく落ち込んでいる。初めから低かった思考能力は、更に減退し、行動力も衰え、齢四十にしてもはや斜陽であるかのような気分になってしまっている。

せっかく、人間ドックで健康だと言われたのに。

思えば、かつてほど本を読まなくなった。音楽も聴かなくなった。文章を書く機会も減った。

このままではいけないと思いながらも、今日も夕日は沈んでいく。

年の瀬に焦ること

先日、キッチンに置いてあったフェンダーの6弦のスティールギターを片付け、代わりにフェンダーの8弦のペダルスティールギターを出してきた。

今まで、そのペダルスティールギターはE9チューニングにしていた。E9であれば他にも幾つか10弦のペダルスティールギターをそのセッティングで持っており、わざわざ2本弦が少ないフェンダーのギターを出してきて弾くこともないだろうと思い、もう半年ほどしまったままにしていた。それを、もう一度出してきたのは、このペダルスティールギターをC6チューニングにしてみれば、C6のノンペダルスティールギターの練習にもなるし、ペダルも4つ付いているので、ペダルスティールの練習にもなり一石二鳥と考えたからである。

なぜ今更C6チューニングのスティールギターが弾きたくなったのかはよくわからない。最近スピーディーウェストのCDを聴いてジャジーなコードも弾いてみたくなったためかもしれないし、いままでC6というチューニングが全くわからなかったのが悔しかったからかもしれない。何れにしても、ほとんど気まぐれでC6のペダルスティールを嗜むこととなった。

2020年ももう終わろうとしている。一年の終わりに、何か焦りのようなものも感じているのだろう。今年も何もせずに終わっていくというのはあまりにも悲しい。それであれば、せめてC6チューニングのペダルスティールギターで一曲ぐらい弾けるようになれるのであれば、御の字と考えたのかもしれない。

思えば、今年は変な一年であった。春に私は転職し、ほどなくしてコロナの大流行があり、世の中の多くの人達は、自宅勤務だとか、テレワークに移行し、学生の多くも学校が休みになってしまったり、配信授業を受けたりと、私も含め世界中の人たちが今までの世界とまるで違う世界で生きてきた一年だった。来年もどうなるのかは誰もわからない。もしかしたら早期に解決するかもしれないし、永遠にもとには戻らないかもしれない。

世界というのは、一度変わってしまうともう完璧にはもとに戻らないものなのだ。それは、世界を、自分の世界と言い換えることもできるし、人間関係と言い換えることもできる。私の場合、今年の春に転職してから、どうも自分のペースをつかめないでいる。私は、会社に貢献できていないという思いが強く、貢献したいという思いも強く、それでいて、なにもせずに毎日を過ごしている。

自分の怠惰さ、無力さを思い知った一年だった。

いや、むしろ、振り返ってみると、私は前の会社に対しても何も貢献できないまま辞めてしまったではないか。前の会社だって、私がいた間に少しも良くはならなかったではないか。売り上げは下がる一方で、それに対して私は何もできなかったではないか。

結局私には、成功体験がない。

当たり前である。私は成功体験を勝ち得るような努力を怠ってきたではないか。

向上心とは、努力とともにあるべきもので、努力ないところに向上心は不要である。私は、そういうトレーニングを怠ってきた。甘えっぱなしできたのである。それで、ヤドカリのように自分のまわりの器だけ大きくしたり、小さくしたりして自分を大きく見せようとしてきただけなのだ。

年末になり、C6チューニングのペダルスティールギターを出してきたのも、それと同じことなのかもしれない。結局、器だけ変えたところで、トレーニング=練習をしなければ、自分はちっとも良くはならない。

努力しなければならない。それが私に今更課されたことなのだ。一年の終わりに、努力を怠ってきた自分を恥じているのである。