産みの苦しみを見てしまった、初夏

オペラシティーの建物を出たら、雨が上がっていた。

その日は朝から、おかしな天候だった。朝家を出た時には晴れていたのだが、初台についてみると、雷雨に見舞われ、私は演奏会が始まる前にその雷雨の模様を観ながら喫茶店で朝ごはんを食べ、コーヒーを飲んで時間を潰した。

私は、演奏会そのものには興味がなかった。ただ、その頃仕事で演奏会作りに加わっていたので、その関係で、勉強として一度ピアノのコンクールというものを見なければならないと考えていたので、そのために足を運んだ。

会場について、コンクールの予選を聴いていると、曲目は違えど、皆ほぼ一様に上手い演奏をする。それが、トコロテンを押し出すかのように、するすると現れ、舞台袖に降りていく。演奏そのものが心を打つことはほとんどなかった。小学生、中学生の演奏で感銘を受けるうような演奏は期待していなかったが、本当に聴いていても、つまらないものであった。

ただ、そこには確かに努力のあとはあった。それは、私の経験したことのない努力の形だった。ただ、ピアノを審査員にウケるように弾くというたゆまぬ努力。きっと楽しくなんかないだろう。受験勉強が楽しくないのと同様に、彼らも、そのつまらない努力のために、初夏を潰しているのだ。ひょっとしたら去年の冬から同じ曲と格闘しているのかもしれない。その、努力を感じさせる何かがあった。

人間とは不思議なもので、幾つかの演奏を聴いているうちに、弾き手がその努力を好きでしているのか、嫌々やっているのかがわかってしまう。初めはそれは、ただ流して弾いているだけなのかと思ったが、そうではなく、その演奏は嫌々弾いている演奏なのだ。これがプロの弾きてなら、嫌々弾いていようとどうであろうと、それを技術でカバーすることはできるだろう。悲しいかな、素人の子供にそれはできない。

親なのか、先生なのかに着せられた、ドレスや、似合わない背広に身を包んだ子供が演奏する姿を、半日も見るのはある意味つらかった。ただ、一つ確かにわかるのは、ここで演奏しているコンテスタントの方が、私の何万倍も辛いのであろうということだった。ここで、頭一つ抜けたところで、将来何の役に立つのかもわからないお遊戯を、審査員の前で晒し者にされながら踊り続けるのはさぞ辛かろう。

けれども、その中で、最後に弾いた中学生がの演奏には、なかなかの感銘を受けた。本人も楽しんではいないのかもしれないけれど、それが、芸としてある程度成り立っていたからだ。それは、審査員には興味のないことなのかもしれないけれど、ピアノの上手い下手もわからない私にとっては、芸として面白いかどうかだけがここに座っている意味だと思って聴いていたから、彼の演奏は唯一聴くに耐えた。ショパンの革命エチュードを弾いていたような気がする。

コンクールの予選を最後まで聴かずに、私は会場を後にした。コンクールの客席に、職場の同僚が娘さんを連れて聴きに来ていたので、彼女らとコーヒーを飲むことにしたのだ。彼女もまた去年までは娘さんをこのコンクールに出場させていたとのことだった。

娘さんは、黙ってコーヒーを飲んでいた。母親の職場の同僚とコーヒーを飲んでもつまらないのだろう。そりゃそうだ。かわいそうなので、早々に切り上げてあげるべきだったので、店を出た。

私が、手持ち無沙汰そうにしていると、気を使ったのか、天気も良くなったのでちょっと新宿まで歩きませんか。と同僚が背後から声をかけてきた。娘さんは、ちょっとお母さん早く帰ろうよ、というような雰囲気であったが、私は夕方まですることがなかったし、そもそも、ああいうものを観た後だったから気分転換に誰かと談笑しながら外を歩きたかった。

新宿駅に向かい、西新宿のビル群を縫うように3人で歩いた。雨はすっかり上がって、日差しが強く感じられた。私は都庁の前で立ち止まり、自販機で水を買い飲んだ。水を飲んでいると、あのコンクールの時に気づかなかったプレッシャーのようなものから解放されたような気がした。聴いていた私が、これだけプレッシャーを引っ張っているのだから、あそこで演奏していた彼らは、いったいどれだけのプレッシャーを背負っていたのだろうと考えるとゾッとした。もっと、彼らの演奏に真摯に向かえばよかったと、少し後悔した。

プレッシャーから解放され、気分が軽くなったので私は気が大きくなってしまったのか、同僚の親子に都庁の展望室に登らないかと提案してみた。なぜ、そんなことを思いついたのかはわからない。この開放感を味わうためには、どこか見晴らしのいいところに立ちたいと思ったのだろうか。

娘さんは、嫌とは言わなかったが、行きたいとも言わずに、同僚と一緒に私についてきた。思えば、身勝手な提案ではあったが、私はあのプレッシャーからの開放感を味わわなければ、気分が滅入ってしまいそうであったのだ。

展望室に上がると、さらに気分が高揚し、私は二人を連れて都内の展望を案内した。まるで、自分の所有物であるかのように。

あっちは六本木、こっちに僕の家がある。日比谷線の三ノ輪駅の方だけど、ここから見えるかな。うちは3階建てだからひょっとしたら見えるかもな。

などと、言いながら、一通り外を眺めたら、やっと気分が晴れてきた。同僚も、お付き合いとはいえ、すこし楽しそうであった。ベンチに腰掛けていると、展望室の中にグランドピアノが置いてあり、それを弾くための行列ができていた。私は、その時初めてピアノが置いてあったことに気がついた。

ちょうど、その時ピアノを弾いていた若者はなかなかの腕前で、カンパネラを弾いていた。その演奏は、プロのようではなかったが、さっきまで聴いていたコンクールのそれとは違い、のびのびと感じられた。ああ、私はこういう音楽しか今まで聴いてこないようにしてきたんだな、と思った。たしかに、私はあのコンクール会場で聴いたような音楽は無意識的に聴かないようにしてきたのだろう。

芸というものを熟成させる過程で、どうしても、人に睨まれながら演奏をしなくてはいけない局面を何度も通過するであろう。けれども、そのような演奏をいつまでもしていては芸としてお金を稼げるようにはならない。あの、厳しいプレッシャーを通り越して、あたかも都庁の展望室で弾いているような演奏ができるようになって初めてそれが芸として成り立つ。そんな、どうでもいいようなことをつくづく考えながら、展望室を後にした。

都庁を後にして、照りつける暑い日差しの中を、新宿駅まで向かった。何か、美しいものが生まれるまでの産みの苦しみと言うものをまざまざと見てしまったような気まずさを感じながら、私たちは初夏の新宿を歩いた。