哲学を傍らに〜ピアノのあれこれから思うこと

つい最近まで、私はピアノ屋に勤めていた。ピアノ屋でいろいろなピアノを扱ったり、お客様のピアノを見せてもらったりした。私の勤めていたお店は高額商品を中心に扱うピアノ屋だったから、お客様も高級ピアノを持っている方が多かった。

ピアノ屋になるまでは、ピアノというのはただの黒い箱だと思っていた。まあ、もっとも、ピアノ屋になるぐらいだから自分自身も楽器は好きで、世の中の普通の人よりも楽器については知っているつもりだった。けれども、ピアノ屋になってみて、自分がいかにピアノについて知らないでいたかを思い知った。アップライトピアノとグランドピアノの違いはわかるとしても、それ以上はほとんど知らないも同然だった。

例えば、グランドピアノにはアリコート弦というものがある。これは、ハンマーでは叩かれない弦のことで、倍音を共鳴させるためだけに張ってある。アリコート弦として、「4本目の弦」を実際に張っているのは、ドイツのブリュートナーという会社のピアノなのだが、ブリュートナーの「4本目の弦」方式以外に、この「アリコート」という不思議な方式は、世界中のグランドピアノで採用されている。

もし、グランドピアノを見る機会があったら、高音弦の張ってあるところを見てみてほしい。調律するピンに弦の張ってある鍵盤側ではなくて、ピアノの響板側の方を見てみると、金属のフレームから飛び出した杭のようなものに弦が引っかかっていて、その手前の銀色の出っ張りのようなまくらに弦が乗っかるように張られている。このまくらに乗っかった箇所から、もう少し鍵盤側にもう1箇所弦が乗っかっている「ブリッジ」という棒のようなものが見えるだろう。このまくらと、ブリッジの間の弦は、鍵盤を押してもハンマーで叩かれることはないのだけれど、ピアノを鳴らしている時、この間の部分が常に共鳴している。そのことによって、ピアノの音色に高次倍音が加わり、複雑で煌びやかな音色になるのだ。これが、「アリコート」という仕組みで世の中のグランドピアノの7割以上はこの方式を採用しているのではないだろうか。

我が家にある、ベヒシュタインというメーカーのピアノは長い間ずっと、このアリコートという仕組みを採用してこなかった。それどころか、この部分が共鳴しないように、フェルトで押さえてある。アリコートを採用しないと、余計な高次倍音が混ざらないので、どこか素朴で儚い響きになる。ヨーロッパのピアノは、個性的なメーカーが多くて、お互いにあまり真似をしないで楽器作りをしてきたという背景もあって、古いピアノはこのアリコート方式を採用していないメーカーが多い。

逆に、アリコート方式で有名なのはスタインウェイだ。この方式を発明したのは、たしかスタインウェイじゃなかったかしら。スタインウェイではこれをアリコートと呼ばずに、デュプレックス方式と呼んでいる。スタインウェイピアノは、それ以外にも様々な方法で高次倍音を共鳴させ、あの重厚でいて、凛としたピアノの音色を作り出している。その、複雑な高次倍音を共鳴させるさじ加減は、秘伝のレシピのようなもので、そっくり同じ設計で作っても、なかなかスタインウェイのような音にはならない。

我が家のベヒシュタインは(写真のピアノはベヒシュタインではなくSchimmelというピアノです)、その全く逆の発想で作られていて、共鳴弦によって高次倍音を付加するのではなく、弦のテンションと長さの取り方により、複雑な倍音構成を実現している(らしい)。話すと長くなるので割愛するけれど、アリコート方式一つを取っても、ピアノの作りはそれぞれに工夫と個性がある。

その中でも、最もアグレッシブな工夫(まあ、100年以上前の技術だけど)を凝らしたピアノ、スタインウェイが今となっては、ピアノのスタンダードになってしまった。

近年作られた多くのピアノを見ていると、どれもこれもが、スタインウェイの技術を真似して作られていて、どうもつまらないような気持ちになってしまうのは私だけだろうか。

しかしながら、いくらスタインウェイの技術を採用したからといって、スタインウェイの音になるわけではない。実際は、そこからが楽器造りの勝負なのだ。これは、カタログやホームページに書かれたスペックからは読み取れない世界なのだけれど、その、同じ音にならないというところが楽器にとって一番大切なことなのだ。

多くの、メーカーがスタインウェイの技術の真似をしている、と書いたが、だからと言って、スタインウェイの音を真似しているというわけではない。倍音の乗せ方は、先ほど書いた通り秘伝のレシピである。同じハイテク調理器具を使っても、レシピが違うと味が違うように、ピアノメーカーによって、音色は様々である。

悲しいことに、ただ、スタインウェイの後を追ってコピーしているだけのメーカーも沢山ある(どことは言わないけれど)。けれども、一流ブランドのピアノを弾くと、どれもが、スタインウェイの技術を借用しながらも驚くほど味付けが大きく違うことに気づくだろう。もちろん調律や、その他いろいろなファクターが介在するので、聴きわけるのは難しいのだけれど、一流メーカーのピアノにはそれぞれ、どんな音のピアノを作りたいかの哲学がある。

この、音作りの哲学というのが、実際は楽器造りで一番大事なことで、設計や製造技術はその後についてくるものだと思う。

なんで、今日こんな話を書いたかというと、帰宅して、書斎に置いてある楽器を見ていて、ふと、自分はなぜこんなに同じような楽器を何台も所有しているのかと思ったからである。

そうか、私は、哲学を傍らに置いているんだ。と、わけのわからない納得のしかたで、自分の収集癖を正当化してみるのである。

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